医学断片集 10
明主様御教え 「嗚呼医療とは」 (昭和28年)
「この患者の経過を見ても、医療は無力どころか反って悪化方法である事がよく分る。
これが進歩したものと信じ、命まで委(まか)せるのであるから、これ以上の冒険はあるまいと言いたい。
そのための患者の痛苦の激しさは、この文(省略)を読みながら膚(はだえ)に粟(あわ)を生ずるくらいである。
しかも今日こういう人はどのくらいあるか分らないのであるから、何と恐ろしい世の中ではあるまいか。
ところがこんな酷(ひど)い症状でも、浄霊するやたちまち快方に向うのであるから、常識では到底考えられないであろう。
ここで医師の無責任である事は、貴重な人間生命を余りに軽視しすぎる事である。
というのは手術の直前にいわく、貴方(あなた)の病気は分らないからともかく切開してみようといい、
切開してみると手のつけようがない酷い状態なので、諦めよと婉曲にいったそうだが、
それ程の悪化が切開しなければ分らないというのは、医学の診断なるものがいかに幼稚であるかが分る。
ところがこれ程の難物でも浄霊で全治したのであるから、神の業と人間の業との違いさが分るであろう。」
明主様御教え 「此偉大なる救い」 (昭和28年)
「本教のモットーである病貧争絶無の世界などと聞くと、これは単なる理想論であって、実現の可能性は決してないと誰しも思うであろう。
何しろ今日までの世界から観ても、そのような夢はあり得ないからである。
ところが私は常にこれを断言してはばからないのは、いかに確信に充ちているかを信じられたい。
この報告〔略〕にあるごとく、この一家は余程以前から死人病人絶え間ない程で、地獄そのままの状態が長年続いて来たのである。
ところが偶然本教を知り入信するや、たちまち天国的家庭となり、それからは皆健康に恵まれたのであるから、この例にみても本教の救いの業のいかに偉大なるかが分るであろう。
これに比べたら、現在医学の情ない有様はよく分るのである。
従って人が造った医学に対し、神の造った医学がいかに卓越せるかが判るであろう。
嗚呼哀れなる仔羊を一日も早く救うべく念願するのである。」
明主様御教え 「自己経験によって医学の蒙を悟る」 (昭和28年)
「この患者は医療の無力と浄霊の素晴しさを、自己の経験によって徹底的に分ったので、一つの例としてこの文(省略)を添えたのである。
これにみても分るごとく、医師は随分懸命になって治療したにかかわらず、
初めは相当の効果はあったが、漸次効果がなくなり、どうする事も出来ず、
ついに絶望的宣告を申し渡したのであるから、よくよくの事であろう。
しかしこのような例は医師としたらザラに経験しているところであろうから、吾々とても医師に対し同情に堪えないのである。
つまり今日の医学では、見込通り病気を治し得る程に進歩していない事である。
といっても医学以外治る方法もないので、仕方なしに医師も一般も医療に頼っているのである。
ところがこの著によっても分るごとく、浄霊の方は医学とは根本的に違っており、病理も分り治病方法も簡単で、驚くべき効果を奏するのであるから、天下の医師諸君は一日も早くこれに目覚められん事である。
その結果患者も救われ医師自身も助かる事はもちろんであるから、一挙両得である。」
明主様御教え 「神書拝読で治る」 (昭和28年)
「この患者の例(省略)は実に驚くべきものであって、
医師から肺浸潤といわれ、気胸二ケ年続けなければ治らないとされていたにかかわらず、
御神書を一ケ月間読んだだけで全快してしまったのである。
しかも一回の浄霊さえ受けなかったので、言わば読書療法である。
このような偉大な治病力は、古往今来嘗(かつ)てないであろう。
全快後医診を何回受けても、完全に治ったというのであるから確かである。
これについて今一つの重要な事は、以前妻女の難病が浄霊で全快した事を忘れてしまい、
自分が肺浸潤と医師から診断されても、医療で治そうとしたのであるから、医学迷信のいかに根強いかが分る。
それでも治らないので気が付きそうなものだが、目が醒めないため医師の方から信仰を勧められ、仕方なしに信仰へ向き直ったが、
それでもオイソレと浄霊を受けようとせず、御神書だけ拝読の結果治ったのであるから、
物で治らない病気が、形なき読書で治り、有より無の方が勝った訳で、
これを学者がみたら何というであろうか聞きたいものである。
これによってみるも、まず学者の頭の切換えこそ先決問題であろう。」
明主様御教え 「結核は治りいい病気」 (昭和28年)
「左の結核患者は、二ケ年苦しみほとんど絶望状態になっていたのが、
たまたま本屋で本教発行の「結核信仰療法」を買求め、読んだのが機縁となって、ついに救われた人の礼状(省略)であって、僅か二ケ月の浄霊で全快したのであるから、全く驚くの外はあるまい。
今日普通の感冒でも、少ししつこいのになると、治るまでにはその日数を要するのは当り前であるから、浄霊の力のいかに素晴しいものであるかが分るであろう。
この人などもそのまま医療を続けていたら、漸次悪化し今頃はどうなっていたか分らないどころか、遅かれ早かれあの世行となるのはもちろんである。
これほど簡単に治る我浄霊法がありながら、これを知る機会に恵まれないため、迷信医学の犠牲になるとしたら、何と哀れむべきではなかろうか、思うだにゾッとするのである。」
明主様御教え 「疫痢は簡単に治る」 (昭和28年)
「この患者の症状(省略)からみると、立派な疫痢である。
それがいとも簡単にその日の中(うち)に全治したのであるから、浄霊の効果たるや驚異の外はあるまい。
医学からいっても疫痢は最も危険な病とされており、死亡率も高いので、医師は特に慎重に取扱っているのは誰も知る通りである。
ところがこの子供の母親は、疫痢らしいと主人から言われても眉一つ動かさないのであるから、いかに浄霊の効果を信じているかが分る。
従ってその安心感たるや大したものである。
これによっても考えられる事は、子供の病はいつ出し抜けに発(おこ)るか分らないから、夜中など急に医師を招ぶ事など容易ではない。
しかもこの病気は時間を争うとしているくらいだから、その心配は一通りではあるまい。
それが母親一人の手で簡単に治るのだから、その安心たるや言うまでもあるまい。
これこそ本教信者のみが与えられる大いなる恵みでなくて何であろう。」
明主様御教え 「非科学的浄霊に救わる」 (昭和28年)
「この患者は、それ程重症ではない普通の結核患者であるが、とにかく最初からこの療法を、非科学的のものとし軽蔑し切っていたにかかわらず、僅かの間に救われたのである。
つまり科学といわれる医学で治らず、非科学と思っていた浄霊で治ったのであるから、どちらが真の科学か考えて貰いたいと思う。
この例〔略〕にみても医学は科学でないという私の持論は合っているのである。
つまり現代医学は病気が治る程に進歩していないのを、進歩したと思っている。
そこに問題がある。
従って有りのままいえば、医学らしきものと言うより外はない。
このらしきものに貴重な生命を預けるのだから、危ない事この上なしといえようと言ったら、随分思い切った言葉と思うだろうが、そういうより仕方がないからである。」
明主様御教え 「疑い結構」 (昭和28年)
「今日智識人程、信仰で病気が治るのは、精神作用によると固く信じている頑迷さである。
何しろ彼らの考え方は、この医学の進歩した世の中に、薬も機械も使わないで病気が治る理屈がないと決めており、
そんな非科学的な方法であると思うのは、余程智性の低い愚夫愚婦くらいだとの解釈である。
もっともそういう事実も世間ざらにあるから無理もないとも言える。
ところがこの患者〔略〕のごとく、最初から疑いの強い事は驚く程で、不承不承(ふしょうぶしょう)に浄霊を受けたのであるから、精神作用は微塵(みじん)もない事は分る。
ところがそれまで相当重態であったのが、たちまち好転し短時日で全快したのであるから、疑いは一遍に消し飛んでしまったのである。
これによってみても御自分の方が迷信でないものを迷信と見る迷信者である事がよく分るであろう。」
明主様御教え 「小児結核も此通り」 (昭和28年)
「この患者は小学六年生の少女であるが、肺浸潤として医師から三ケ月入院、一ケ年静養と診断されたに対し、
二十日の浄霊で治ったので、早速医師の診断を受けたところ、全治との証明を受け、体重二貫目も増えたのであるから到底信じられない程の奇蹟である。
この例(省略)にみても、小児結核など何ら恐れるところはない事が分る。
ところがこの記事を当局も医家も読んでも何ら感じないであろう事は、例のごとく宗教なるがゆえにというだけの理由である。
今日我国の最大脳みとされている結核を、簡単に撲滅出来るとしたら、医療でも宗教でも、何でもいい確実に治る方法でさえ生まれたら、それで解決出来る訳である。
ところがこんなハッキリした理屈も分らないとしたら、その人達の頭脳こそ、むしろ結核よりも大問題であろう。
こういう人が国民保健の鍵を握っている現在であるから、可哀想なのは一般国民である。」
明主様御教え 「小児麻痺此通り治る」 (昭和28年)
「今日最も多い病気で、医学では最も治療困難とされているものの一つに小児麻痺がある。
事実医学で治った例は嘗(かつ)てないからである。
ところが左記(省略)のごとく一生障害者と諦めていた患者が、一年足らずで全快し、
普通人と同様な立働きまで出来るようになったのであるから、世界的驚異に値するといっていい。
この病気に罹(かか)ったら最後、せっかくこの世に生れながら一生涯障害者として、
不幸な日々を送らなければならないその悲しみは、言語に絶するのである。
ゆえにこれを読んだだけでも医師は考えねばなるまい。
事情が許されるなら、この浄霊法に身を投じたいだろうが、そうもゆくまい。
何しろ社会的名誉もあり、妻子眷属(けんぞく)を養わなければならない責任があるからで、その点充分お察しはするが、
いずれは現代医学の無力が判り、浄霊医術と交替になるのは、何ら疑うところはなく革命は当然であろうから、その覚悟をする必要があろうと思う。」
明主様御教え 「顔面神経痛治る」 (昭和28年)
「顔面神経痛という病気は、婦人に多い病気とされている。
何しろ婦人にとっては最も大事な個所であるのに、それが歪んで二目と見られない醜さになるので、全く恐るべき病気である。
ところがこの患者(省略)は最初から医師にかかったが少しも治らず、しかも医師は三年ないし十年くらいかかるといわれたので絶望し、毎日苦しんでいたところ、
浄霊によって約一ケ年で全快したので、その感謝の気持は読んでいて目頭が熱くなるくらいである。
これにみても医療では手の施しようがない事がありあり分る。ゆえに最初から浄霊のみなら、まず一、二週間で治るものを、散々医療を受けたため一年もかかった訳である。
それでも治ったからいいが、世間この病気は仲々多いもので、困り抜いている人も沢山あるであろう。
医療費をウンと使って治らず、悲観のドン底に陥り、日々を送っている人に、この浄霊療法を知らせたなら、どんなにか喜ぶであろう。」
明主様御教え 「手術無用」 (昭和28年)
「この患者(省略)は卵巣炎にて、手術をせねば治らないといわれたが、
運よく本教を知ったので、早速浄霊を受けたところ、医師から手術でも三ケ月かかり、
その上治っても元通りの仕事は出来ないと言われたにかかわらず、
僅か十日間で治り、農業に従事しても何ら障りがないのであるから、
医療と浄霊とを比べたら、到底比較にはならない。
しかも婦人としての厄介な場所の手術であり、卵巣をも除去されるとしたら、妊娠にも影響を及ぼすので、順調の経過をたどるとしても、ある程度の不幸は免れまい。
このような人も世の中には沢山ある訳だから、一日も早く世の中へこの事を知らせ、多くの人を救いたいものである。
今一つ浄霊医術がいかに理想的であるかは、医学では婦人病を診療する場合、局部を露出したり、手を触れたりするので、患者によってはこれほど辛い事はあるまい。
ところが浄霊は数尺離れたところから手を翳(かざ)すだけで、医学とは比べものにならない程治るのであるから、野蛮と文明程の違いさがあるといっても過言ではあるまい。」
明主様御教え 「結核医学の恐怖」 (昭和28年)
「医学が結核を作り、悪化させ、ついに生命まで失うものであるという事を私は唱えているので、
最早かく必要はないと思うが、人によりその経過も異うので、かかない訳にはゆかないからかくのである。
この患者(省略)なども医学崇拝の根強い信念に囚われているため、ついに療養所へ入り、入院患者の状態などを見るにつけ、
ようやく目覚めて浄霊を受けるようになり、助かったからいいようなものの、そうでないとしたら若い前途を見限り、あの世行となったに違いない。
このような事実を何万の医師は、何十年間も見ながらも全然気付かないという事は実に不思議に思うが、これも致し方ないかも知れない。
なぜならば、医学の真理を教える何人もないと共に、確実な治病法も現われないからで、常に暗中模索的に蠢(うごめ)いているにすぎないのである。
その中へ輝かしい光明として現われたのが本教であるから、反って触れる事を恐れる人もあるらしい。
嗚呼この悩める人類を一日も早く救いたいものと思う。」
明主様御教え 「医学の出鱈目」 (昭和28年)
「この患者の経過(省略)を審(つぶ)さに読んでゆく内に、現代医学の幼稚さがハッキリ分る、というのは医師によって十人十色病名が変る事である。
しかも病気の進行状態からみても、薬毒のためである事は間違いないにかかわらず、それに気が付かない。
現在、医学は治病の力は全くないといってよかろう。
その結果不幸な人間を作るのみである。
私は敢(あえ)て医学を非難したくはないが、患者自身の告白が異口同音であるから、ありのままかくのである。
これによってみても、人間の生命を科学で解決する事のいかに誤っているかが分るであろう。」
明主様御教え 「二十年間のリョウマチ簡単に治る」 (昭和28年)
「リョウマチスに対する医療はただ固めるだけで、固まれば痛みは除(と)れるが、その代り手足は動かなくなり、一生障害者となるのである。
しかしこれ以上方法がないから止むを得ないので、もちろん毒素を溶かす事が出来ないからである。
それがためこの婦人(省略)などは四年間というもの、全身不動の状態であったのが、僅か一ケ月余りの浄霊で全治し、何でも出来るようになったのである。
この驚異的医術こそ私は声を大にして叫びたい。
一日も早く現代医学を止め、浄霊一本にすべしというのである。」
明主様御教え 「嗚呼此奇蹟」 (昭和28年)
「この婦人(省略)は身体が非常に小さく、もちろん骨盤も狭いのに妊娠したので、数人の医師は出産不能として、人工流産を極力勧めたにかかわらず、
本人は信者なので頑として応じなかったところ、八百匁(もんめ)以上の嬰児(えいじ)二人まで無事出産したので、
これを見た医師は困って満足な説明が出来なかったそうで、吾々からみれば気の毒に堪えないのである。
しかも私は妊娠中相談を受けたので、医師が何といっても必ず無事出産する、何程骨盤が狭くとも、骨は伸びるから安心せよといったところ、
出産後医師にその由を言ったところ、骨は決して伸びるものではないと、断乎(だんこ)否定したとの事である。
このように目の前に事実を見せられても分らないのは全く迷信のためである。」
明主様御教え 「高血圧訳なく治る」 (昭和28年)
「この患者(省略)は大した病気はないが、高血圧二百というので、年齢に合わせたら少し高いが、浄霊一週間で百六十に下ったのである。
しかも浄霊で下ったのは本当に下ったので安心出来るが、医薬で下ったのは一時的で、必ず元通りになるのみか、反って反動的に高くなるのは医師もよく知っているであろう。
元来高血圧の原因は、血液が薬毒のため濁血となり、それが左右いずれかの顎下に固り、それが腕に続いている動脈を圧迫するのである。
従って浄霊によればその固りが溶けるから低くなる訳である。」
明主様御教え 「医学の罪悪 3」 (昭和28年)
「この婦人〔略〕は心臓病といわれ、せっかく出来た子供を二人まで流産させたのであるから、気の毒なものである。
もちろん医学上からいえば持病の心臓病のため、母体が危険であるからで、医師としては当然な処置であるが、
そうかといって結果からいえば、せっかく出来た子供二人を犠牲にするのであるから、言わば善意の殺人である。
これも医学の幼稚なためで止むを得ないが、それを進歩した医学と思っているのであるから恐ろしい気がする。
何としてもこれに目覚めさせなければ、人間は余りに可哀想である。」
明主様御教え 「浄霊で何でも治る」 (昭和28年)
「この患者(省略)は吾々からみれば、極く軽い眼病であるが、それすら医療は原因不明として中々治らない、その無力さである。
ところが浄霊するや眼病は固(もと)より、他に有るだけの病気も治ってしまったのであるから、浄霊こそ真の医術であり、現代医学は非医学というより言葉はない。
その根本理由は、医学は体的で、吾々の方は霊的であり反対である。
すなわち一切万有は霊が主で体が従で、これが真理であるからである。
これは事実が証明しているから疑う余地はない。」
明主様御教え 「手術の無力」 (昭和28年)
「今日医学では手術をもって唯一の療法としているが、私からみれば飛んでもない野蛮行為で、まず頭に文化の二字を付けて文化的野蛮というのが合っているであろう。
この患者(省略)などは乳腺に出来た腫物を、三回の手術をして、四年間も悩み続けても治らず、医師から見離され絶望のドン底に陥っていたのが、
僅か二十日間の浄霊によって自然に皮膚が破れ、多量の排膿があり、全治したのであるから、専門家が知ったら何と言うであろう。
そのようにいかなる腫物でも、手術をしない方が速かに確実に治る事は断言する。
それはこの患者にしても数年かかって治らなかったのは、医療が治らないようにしたからで、その愚かさは話の外である。
嗚呼全世界の医学者諸君よ、一日も早くこれに目覚めん事である。」