医学断片集 9
明主様御教え 「薬剤中毒」 (昭和28年)
「薬という薬はことごとく中毒を起すものである事は、度々説いたから分ったであろうが、
一層詳しくいえば、つまり効いている期間に長短の差があるだけの事で、最も短いのが近頃流行の麻薬であって、
これと同じようにどんな薬でも一時的効果で、それが癖になって病気を漸次増悪させるのである。
この患者の例(省略)がそれをよく物語っている。
特に喘息の注射はそれがはなはだしく、ついには一日何十本も射たねば我慢出来ず、自分で射つようになるので、
この点麻薬と少しも違いはないが、当局は麻薬のみを厳しく取締っているのは、前記のごとく時間が短いからである。
これが分ったなら喘息やその他の注射にしても放ってはおけないはずである。
ところがまだ困る事は、一般服(の)み薬もそれと同様だが、こちらは中毒が非常に緩慢で、時日も長いから発見が出来難いのである。」
明主様御教え 「此救い」 (昭和28年)
「この一家の例は、他の宗教も絡(から)んでいるので余りかきたくないが、病気を治す上にはそんな事は言っておれないのである。
というのは一般の人は信仰で治らない場合、非科学的のためと解し、ヤッパリ病気は医者だという観念に捉われているからで、本当の事を分らせたいため、この文を添えたのである。
この例(省略)のごとく、医学でも信仰でも治らないものが助かったのであるから、どうしても浄霊より外に助かる道は世界にない事が分るであろう。」
明主様御教え 「何と医学の幼稚なる事よ」 (昭和28年)
「この患者の報告(省略)を見ると、数人の医師に診て貰いながら、どの医師も原因不明というので、失望落胆困っていたところ、
浄霊で僅かの間に全快したので、余りの医学の幼稚さに呆れたというのである。
しかし吾々からみると、病原が分ってさえ治せない医学としたら当然である。
それ程の病気でさえ浄霊で治るのだから、浄霊こそ真の医学でなくて何であろう。
ここで考えなければならない事は、医師は何十年も修業をした玄人(くろうと)であり、
その玄人が治せない難病が、三日間の修業で出来たての素人(しろうと)で治るのであるから、全く現代の奇蹟どころか世紀の大問題といえよう。」
明主様御教え 「迷信打破の困難」 (昭和28年)
「この患者のような例(省略)は常に聞いているところで、この解説も信仰的にはなるが、これも止むを得ないのである。
何しろ本当に分らせるには、こう説くより仕方がないからである。
それは医療で散々苦しんだ揚句(あげく)、浄霊を受けるやたちまち起死回生の恩恵を受けた事を忘れてしまい、程経(ほどへ)て再発するや、再び医療を受けたのであるから、
もちろん治るはずはないが、今更浄霊も気が引けるので医療を続けたが、前と同様駄目なので、命には替えられぬとして、意を決して再び浄霊に縋(すが)ったのである。
というように医学迷信の根強さは全く驚くの外はない。これにみてもこの迷信打破こそいかに急務であるかが分るのである。」
明主様御教え 「蛔虫は無薬で治る」 (昭和28年)
「今日蛔虫(かいちゅう)で悩んでる人は、全国的に見てどのくらいあるか分らない程であろう。
ところが、虫下し薬を飲んでも、その都度若干は出るが、決して皆無にはならないばかりか、むしろ回を重ねるに従い増すくらいであるから、薬では根治出来ない事がよく分る。
しかも副作用が起きたら胃腸が悪くなるのである。
それが浄霊によれば必ず根治するので、この御蔭話を見ても分る通り、僅かの間に虫一匹もいなくなったのであるから、医薬と浄霊とを比べたら雲泥の相違である。
ゆえにこれ(省略)を読んでも信じられないとしたら、その人は頭脳も病的になっているとしか思えないのである。」
明主様御教え 「天国と地獄」 (昭和28年)
「医学と浄霊の違いさは全く天国と地獄である。
左の報告(省略)を見ても分るごとく、九州大学病院のような立派な病院に入院しながら、医師から手のつけようがないと言われ、仕方なくグズグズ日を送っていた際、
本教の話を聞き、最初妻君が入信直ちに浄霊を施すと共に、時々支部長も来て手伝ってくれたところ、ズンズン快くなり、医療との余りの違いさに驚いたのである。
このような訳で、私は常に医学の無能を力説しているが、医学迷信者は逆に宗教治病を迷信としているのは、まことに困った世の中である。
これがため助かる命もワヤにしてしまうのであるから、迷信程恐ろしいものはない。
しかもこれが正しいとなっているのだから、敢(あえ)てとがめる訳にはゆかないが、何としても一日も早く目醒めさせたいものである。」
明主様御教え 「癌が何なく治る」 (昭和28年)
「この婦人(省略)は変な場所に巨大な癌が出来て、十一年間苦しみ続けて来たのが、浄霊二ケ月余りで治ったのであるから、大変な喜び方である。
その原因こそすべての療法は固めるだけの方法で、溶かして排除させる事は出来ないからである。
これに反し本療法は溶かして出すのであるから、根本から治るに決っている。
ゆえにこれを知っただけでも、その人は救われたのである。
しかも手術の苦痛もなく、金もかからず、自分でも家族の者でも治せるのだから、何と素晴しいではないか。」
明主様御教え 「噫々医療というもの」 (昭和28年)
「この患者の報告(省略)を読んでも、医療がいかに迷蒙極まるものであるかが分るにもかかわらず、
医師はこれを信じ、患者にも信じさせようとするのであるから恐ろしい世の中である。
何よりも結果が医師の言とはことごとく喰違い、治ると言いながら反対に医療をすればする程悪化するばかりである。
そうしてこの患者の最初は結核性淋巴腺炎といわれたが、これはよくある瘰癧(るいれき)で、頸部にグリグリが幾つも出来る症状である。
これも放っておけば段々化膿し、大きいのはトマトくらいで赤くブラ下り、自然に穴が開き血膿が排泄され、完全に治るのである。
ところが医療はそれを知らないため手術をするが、そうすると不思議にも膿の集溜は止まり、残余の膿は他の部から出ようとして腫れる、というようにこれが順次数が増えるのである。
また、手術をせずレントゲンなどで固めると石のようになり、一生涯治らないばかりか、
時々痛みと発熱があり、身体は段々痩せる、というように医学の無智は呆(あき)れるばかりである。
また排膿を止めると内攻して結核になり易いので、結局元の病気の外に、結核という第二の病気を作るのである。」
(註 瘰癧・・・頸部(けいぶ)リンパ節が数珠状に腫(は)れる、結核症の特異型。感染巣から結核菌が運ばれて起こる。頸腺(けいせん)結核。結核性頸部リンパ節炎。頸部リンパ節結核。 )
明主様御教え 「医学が結核を作る事実」 (昭和28年)
「私は医学が結核を作る訳を、「結核信仰療法」に詳しくかいてあるが、これは仲々信じ難いであろう。
何しろ医学は大いに進歩したとしており、各国の政府はじめ学者、学校教育、言論機関等揃って宣伝しているくらいであるからである。
ところが事実は左の御蔭話(省略)を見ても分るごとく、この患者は最初軽症な肺浸潤で、三ケ月も安静にすれば治るといわれたので、
その通りにしても治らず悪化する一方であっても気が付かず、医学を絶対なものと信じて、ついには病院遍歴者となり、死の一歩手前にまで来た。
その経路を読んでみると、医療が病気を増悪させる事実がよく分るのである。」
明主様御教え 「浄霊は手術以上」 (昭和28年)
「この患者(省略)は最初肺浸潤と診断され、加療中左側腎臓結核が併発したため、腎臓摘出手術をせよといわれたところ、
幸いある動機によって浄霊を受ける事となり、それでドシドシ快くなったので、
早速診断を受けたところ、手術の必要なしと云われる程に治り、しかも肺浸潤までも治ってしまったので、現在健康で職務に従事しているのである。
このように医学は手術によって貴重な内臓を除去する以外方法はないのが現在であるから、全く幼稚なものである。
言うまでもなく真の医術とは、内臓を原形のままで病だけを除るのが本当である事を知って貰いたいのであ
ゆえに病と共に臓器まで除るとしたら、人間医学ではない、動物医学である。
この理によって医学が手術を廃(や)めない限り、私は非医術と断定するのである。」
明主様御教え 「手術とは」 (昭和28年)
「この患者(省略)は肋骨七本も切除したが、これが近頃流行の結核療法であろう。
そんなにまでして一時的小康を得るだけの効果で、根治とはならないのは、医師も分ってはいるだろうが、
外に方法がないので次善的手段として行うだけの事であろう。
このような例を見るにつけても、現在の幼稚極まる医学のための犠牲者こそ気の毒なもので、何とかしてこの蒙を分らせたいものである。」
明主様御教え 「精神病の原因」 (昭和28年)
「近来日本においても精神病が非常に増えたとされているが、これは当然である。
もちろんこの原因も薬毒のためであって、今日の人間は矢鱈(やたら)に薬を用いると共に、頭脳を使うので、薬毒は後頭部から延髄付近にかけて固結する。
その固結が脳の血管を圧迫するので、脳貧血を起す。
それが不眠症の原因となるので、不眠が長く続くと精神病が起るのである。
ゆえにこの治療法で右の固結を溶解排除すれば、眠れるようになるから治るに決っている。
ところが医療では不眠症を治す事が不可能であるため治らないのである。
これについて近来電気療法が若干効果ありとされているが、電療は毒素を固めるからそれだけ縮小され、脳貧血は幾分緩和される、それだけの効果で、無論一時的で本当に治るのではない。
この患者(省略)が、浄霊するや連続的下痢があったのは、後頭部の固結が下痢で排泄されたから治ったのである。
従って吾々の方では精神病は治りいい病気とされている。」
明主様御教え 「角膜実質炎に就いて医師との問答」 (昭和28年)
「この娘さん(省略)は医診の結果角膜実質炎といわれ、治るには半年くらいかかり、それも完全に治るかどうか分らないといわれたが、
浄霊僅か一ケ月で奇麗に治ったのであるから、驚くべきである。
そうして二回目に医師に見せたところ、医師は分ったような分らないような変な態度で、患者の姉さんと色々な問答をしたが、これは参考になると思う。
ところがその時の医師の言によるも、医師自身が医学迷信に囚われきっており、何程説明しても分らない頑迷さには驚いたとの事である。
これにみても医師を分らせるには、仲々容易でない事が分る。
これも時期の関係で、いずれは病人や死者続出という場面が出て、医療を施せば施す程逆結果となり、
ここに初めて医学の盲を覚り、私の説に屈伏せざるを得なくなるのは、太鼓判を捺(お)しても間違いはない。」
明主様御教え 「造物主の侮辱?」 (昭和28年)
「この患者(省略)は結核のため妊娠四ケ月で流産さしたが、これはよくある例で、医師は流産させないと病気増悪すると心配するためである。
これについて大いに注意したい事は、妊娠は言うまでもなく自然であって、無事に出産出来るに決っている。
人体はそう出来ているのである。
もしそうでないとしたら、決して妊娠するものではない。
神様はそんな間抜けな造り方をされるはずはないからである。
では医学はなぜ誤ったかというと、結核は医療を施す程増悪するから、栄養も不足となり胎児に悪影響を及ぼすのは当然である。
これは私の長い経験によっても明らかなごとく、妊娠者はそのままにしておいて、今までに一人の間違った例はないが、もっとも浄霊すればそれだけ病気は好転し、健康は増すからでもある。」
明主様御教え 「浄霊で豚の病気まで治る」 (昭和28年)
「偉大な浄霊の力は、独り人間のみではない。
豚の病気まで治るのだから大したものである。
しかも動物は人間と異って、身体に触れる事は厄介であるが、
浄霊は数間離れても効果は同様であるから、
これで治るとしたらどのくらい助かるか分るまい。
としたら農家経済上その利益たるや素晴しいものである。
よく新聞に出ている牛や豚の流行病なども、浄霊だけで確実に伝染を喰止められるのだから、
一日も早く農民に知らしたいものである。
その上鳥類、虫類の末までも同様治るので、これにみても神の大慈悲は無限である。
これで思われる事は獣医という専門医は固より、
人間にも内科、外科、眼科、歯科、脳神経科、ヤレ何々科などと科目が別れているが、
これなども滑稽である。
なぜなれば一切の病原は一つであるから、療法も同一でいい訳で、
それぞれ違うと思われるのは、場所の違いさによる事を医学はまだ知らないからである。」(体験談省略)
明主様御教え 「眼病は必ず治る 1」 (昭和28年)
「今日まで失明者は固(もと)より、今や失明せんとする患者でも、浄霊によってほとんどといいたい程簡単に治る。
ゆえに失明者は十人が十人浄霊で治るが、中には非常に長くかかる人もある。
それは医療を受け手術または薬毒を多量に注入されたのが原因である。
従って吾々の方では、医薬の多い少ないで、治る遅速の見込をつけるくらいである。
この患者(省略)なども幸い浄霊を知ったからよかったが、そうでないとしたら失明は免れなかった。
つまり逆理の医学だからである。
このためいかに多くの不幸な人が出来るかを思う時、心の暗くなるのをどうする事も出来ない。
何にしても浄霊が一般に行渡り、不幸な盲目者が後を絶つ時を待ち望むのである。」
明主様御教え 「此救い」 (昭和28年)
「青年にしてこれからという時、結核という致命的病に取りつかれ、せっかくの前途を暗(やみ)に葬(ほうむ)る人々が、今日いかに多いかは誰も知る通りである。
しかも物質に恵まれた若人程そうであるから、気の毒なものである。
この青年(省略)などは幸い家が余り富んでいないので、医師にもかからず、宗教で治そうとしていたため、薬毒の被害を受けていないので、
浄霊を受けるやたちまち好転、ついに全快したので、その幸福歓喜の心情はよく現われている。
ゆえに、この浄霊医術が知れ渡るとしたら、国家として生産に役立つ青年が増えるから、経済上いかにプラスになるかは言うまでもない。
しかも健康を快復すると共に、神の実在をも知る以上、正しい人間となり、世のため人のために尽す事になるから、これ程の救いはあるまい。」
明主様御教え 「助産婦の告白」 (昭和28年)
「この人は二十年間の助産婦であって、入信後多くの産婦を扱った経験から、浄霊の力の医学よりも断然勝っている事を知ると共に、
それが問題となって医師会や助産婦会から抗議が出たので、保健所長に右の事実を詳細説明したところ、
所長もよく諒解し、その通り大勢に語ったので、皆納得したとの事であるがら、事実には抗し得なかった訳である。
これ程の素晴しい浄霊を知らない世人は、せっかく神から与えられた妊娠の喜びが、逆に心配の種になるとしたら、何と情ない話ではあるまいか。
このような報告(省略)を見る毎に私は胸の迫る思いがある。
これによってみても、この著を読んだ当局者も医事関係者も、一刻の猶予なくこの霊医学を調査研究されるべきで、
これを知ってなお躊躇逡巡(ちゅうちょしゅんじゅん)するとしたら、その人は結果において人類反逆行為を黙認する訳であろう。」
明主様御教え 「医学の恐ろしさ」 (昭和28年)
「この言葉は患者自身が言うのだから間違いないと共に、事実もその通りであって、しかも医学の野蛮極まるやり方がよく表われている。
それは何もかも手術で治そうとし、ほとんど体内を切り刻むのを何とも思わないので、患者は恐怖に戦(おのの)き、苦痛に堪えない悲惨な状態である。
なるほどこれで治るならまだいいとしても、治るどころか次々余病が発生し悪化するばかりであるに対し、これが医学の進歩と信じて公々然と行い、当局も奨励しているのであるから、全く恐ろしい世の中である。
これについても言いたい事は、現在アメリカでも手術流行し、盲腸や婦人機能切除の経験のない人はないとの事を、最近本教羅府(ロサンゼルス)支部員からの報告(省略)の中にあった。
なるほどアメリカの機械文明は世界に冠たるものだが、独り医学に至っては迷路に迷い込み、抜き差しならぬ現状である。
ところがその真似をする我国の医学界に至っては、ちょうど落語にある釣をしている馬鹿を見ているその馬鹿の話を思い出さずにはいれないのである。」
明主様御教え 「精神病でも此通り治る」 (昭和28年)
「精神病は医学では絶対治らないとしている。
もちろんいつもいう通り、これ病気の原因は霊的であるから、体的医学で治らないのは当然である。
ところが厄介な事には、近来この病気は非常に増えて来たそうで、現在だけの病院では到底収容し切れないと悲鳴を上げている。
しかも現在最も進歩したと言われている米国でさえ、精神病は益々増えつつあるとの事である。
それが左の御蔭話〔略〕のごとく、いとも簡単に順調に治るのであるから、早く世界中へ知らしたいと思うのである。
私は一々自画自讃的言葉を使いたくないが、余りな偉大な効果に使わない訳にはゆかない。
ついでだからこの病気に関した外の事をかいてみるが、それは精神病と名の付くのは本物に違いないが、今日軽症は素晴しい数に上っている。
恐らく全人類の九割といっていい程であろう。
こんな事をいうと、私の頭もその組と思われるか知れないが、そうとすれば、精神病者が正気な人間を見ると精神病に見えるそうだから、まず安心である。
それはとにかくその証拠をお目にかけよう。
戦争挑発者、あらゆる犯罪者等、大小はあるがことごとく精神病者であろう。
従って我メシヤ教が全人類に知れ渡るに従い、精神病者は減り邪悪は消滅するとしたら、世界は天国化するのは当然である。」