医学断片集 8


明主様御教え 「嗚呼此悲劇」 (昭和28年)

「この婦人の偽らざる告白(省略)を読む時、誰か胸の迫るのを覚えない人はあるまい。

何しろ四十歳になるまで、全然人間扱いをされないばかりか、ようやく結婚が出来たと喜んだのも束(つか)の間(ま)、

間もなく追放されたというので、それやこれやの悲劇の持主となり、長い間暗黒生活を続けていたのである。

ところが浄霊を受けるや、更生の恩恵を受け、近頃は普通人に伍(ご)して信仰の手伝いまで出来るようになったのであるから、本人の喜びは察するに余りある。

この病気なども現在医学では、手が付けられない難症であるが、浄霊によって見事救われたのである。

そうしてこの婦人の異常な黒さは薬毒のためである事を付記しておく。」




明主様御教え 「野蛮なる医学」 (昭和28年)

「私はこの患者の経過(省略)を読めば読む程、現代医療の余りに野蛮的なのに驚き、読み終って慄然(りつぜん)とするのである。

とはいうものの医師が悪いというのではない。

医師といえども長年かかって習い覚えた医学と豊富の経験によって、これが最善の療法と思い治そうとするのであるから、咎(とが)める訳にはゆかないが、

そうかといって、手を尽せば尽す程裏切られ、益々悪化を重ね、ついには自殺の決心までしカルモチンを服(の)んだところ、

命運があったとみえ、一時昏睡状態にはなったが、危なく一命を取り止めたのである。

なお驚くべき事は、最初の病状に対し甲の医師は右の腎臓が悪いと言い、乙の医師は左の腎臓が悪いといい、

決定しないまま切開したところ、両方共切開を要する程悪くない事が分り、慌てて縫ったというのであるから、信じられない程の軽率である。

これがための患者の犠牲は大変なものだが、何ら責任を負わないで済むという医師の特権も大したものである。

しかしこれほどの重症も、一度浄霊を受けるや漸次快方に向い、日に日に健康を快復する事実を見たら、浄霊の救いこそ一大福音であろう。

そのため患者も家族の歓喜も涙なくしては読めない程である。

ところがこれ程の医学の無力を知らず、信頼している世の中であるから、不可解というより外はない。

それに引換え我浄霊法が、いかに卓越せる医術であるかもよく分るであろう。」




明主様御教え 「嗚呼医学の犠牲者」 (昭和28年)

「この患者の経過(省略)を読むにつれて、医学の恐ろしさがつくづく思われると共に、一種の憤激さえ湧くのである。

最初の病症は小さな腫物が股へ出来たので、これなども放っておけば、段々腫れて自然に穴が穿(あ)き排膿し治るべきもので、

大抵の場合腫物は次々出来るものであって、出るだけ出れば順次治ってゆき、

何ら心配はないのみか、それだけ体内の毒素は減るから、健康上実に有難いのである。

ところが逆解医学は、薬や手術等色々な療法をもって排膿を止めるので、それが悪化の原因となるのみか、

その薬毒によって次々新しい病気が作られ、悪化に悪化を重ねてどうにもならなくなるのである。

しかもこのような医学のための被害者は、今日数限りなく作られているのであるから、全く恐ろしい世の中である。」




明主様御教え 「医学の無力と浄霊の偉力」 (昭和28年)

「この患者(省略)は極度の神経衰弱症状のため、十数年に渉(わた)ってありとあらゆる医療を受けたにかかわらず、悪くなっても快くはならず、病気の数も益々増え、

どうにもならなくなった結果、病院と話合いの上退院したのであるから、

患者も医師も医療に愛想をつかした訳で、この点大いに注目すべきであろう。

しかしこれは本音であって、医学の無力を証明しているにすぎない。

ところが一度浄霊を受けるや、僅か数ケ月で全快、元通り働けるようになったのであるから、医学と浄霊との違いさが分るであろう。

しかしこれを知らない世人は、これほど治る浄霊を迷信と思い、治らない医学を正信と思っているのであるから、全く石が流れて木の葉が沈むのたとえの通りである。

しかしこのような盲聾(もうろう)の世の中がいつまでも続くはずはないから、近き将来目覚むる時の来るのは必然であるから、その時を待つより致し方ないと私は我慢している次第である。」




明主様御教え 「偉大なる哉神霊医術」 (昭和28年)

「我神霊医術はあらゆる病気を治し、地獄家庭をして天国家庭に転向させつつある事実であって、全く夢の現実化である。

これによってみても病貧争絶無の地上天国の出現は、時の問題でしかない事が分るであろう。

この人の例(省略)にみても、最初から救われるまでの経路がそれをよく物語っている。

それについて考えられる事は、昔から幾多偉大な宗教家、学者、発明家等が出て、今日の文明世界が造られたのであるから、私といえどもその功績は認めるが、

正直にいって私がやっている救世の大業に比べたなら、足下にも及ばないのは確かと思う。

といって私が偉いというのではない、最高神の恩恵は、この悲惨な現状に対し放って置けず、私という者を代行者とし、救わせられるのであるから、これ意味を充分承知して私に縋(すが)れば救われるのは当然である。」




明主様御教え 「空洞など何でもない」 (昭和28年)

「これは誰も知る通り、医師は結核患者の空洞を非常に恐れているが、私からみればナンセンス以外の何物でもない。

左の患者(省略)は二つの空洞を認められ、手術を勧められたが、病室満員のためグズグズしている間に浄霊の話を聞き、退院を許可されたので、

早速浄霊を受けたところ、六十日を経てからレントゲン写真を撮ったが、空洞は全然消滅全治の烙印(らくいん)を捺(お)されたのである。

この事実にみても、医学の方はメスによって痛苦や不具はもちろん、多額の費用を要しながら、結果はほとんどは治らないのであるから、浄霊との優劣さは比べものにはならない事がよく分る。

しかもそれを進歩と誇っているのであるから、全く悲喜劇である。

それというのも浄霊のごとき素晴しい医術の生まれた事を知らないからである。」




明主様御教え 「結核も此通り全治する」 (昭和28年)

「この患者の結核は世間普通にある症状で、医療も気胸(ききょう)その他決った方法で、特に取上る程の事もないが、

ただ浄霊療法の治り方が、いかに正確であるかの例(省略)として載せたのである。

というのは浄霊を始めてから、レントゲン写真を相当の間を置いて五回撮ったところ、曇りは一回毎に目に見えて減ってゆき、

一年三ケ月にして、一点の曇りもない程完全に治ったのである。

しかもその間世間よく言われている精神的信仰的分子などいささかもない事で、しかも科学的診査の確証であるから一点疑うところはない。

恐らく今日の世界で、結核がこれ程完全に治る方法は絶対ない事はもちろんで、もしこれが医学界での出来事としたら、それこそ大変な騒ぎで、世界的大問題となるのは当然で、ノーベル賞も無論であろう。

ところがいつもいう通り、宗教なるがゆえに、これほどの功績も発表の便宜すらなく葬られてしまうのであるから、この文明の世の中に考えられない事である。

それがため気の毒なのは、浄霊の恩恵に与(あず)かれない多数の病人である。」




明主様御教え 「信じなくとも此通り治る」 (昭和28年)

「この例(省略)も医学と浄霊との比較であるが、全然浄霊を信ぜず、ただ一途に医療でなくては治らないと決めていたこの患者が、色々な事情のため仕方なしに浄霊を受けたのであるから、この点注目して貰いたいのである。

というのは世間よく信仰で病気が治るのは、精神作用のためとしているが、それを見事破ったのである。

これでみても精神作用は微塵もないにかかわらず、短期間で治ったのであるから、この事実を何と見るかである。」




明主様御教え 「盲腸炎など何でもない」 (昭和28年)

「この病気は衆知の通り非常に多い病気で、医学では手術が常識となっているが、これとても順調にいって相当な費用と、全快までの日数は相当なものであるが、

しかも人によっては手術の疵(きず)が治るまでには、数ケ月または数年に及ぶ者さえあるのみか、稀には死ぬ者さえあるのだから、一種の冒険である。

ところがそれで盲腸炎の心配はなくなったとしても、一生涯内臓の障害者となり、

それだけ体力は弱り腹膜炎や腎臓病も起り易くなるのは、医師も経験するところであろう。

それが左の御蔭話(省略)のごとく、僅か二十分で全治したのであるから全く驚異であり、その上浄霊は根治で再発はないので、一生涯の安心を得らるるのである。」




明主様御教え 「驚異的浄霊の偉効」 (昭和28年)

「この人(省略)は簡単な胸部痛苦であるが、色々な療法を受けても効きめがないばかりか、悪化する一方なので、

二進も三進もゆかなくなった時、僅か二回の浄霊で拭(ぬぐ)うがごとく治ったのであるから、その驚きと共に、その感謝感激の情溢るるばかりである。

しかもこの世に神の在る事は朧気(おぼろげ)ながら知ってはいたが、今日までその機会に恵まれなかったところ、

浄霊の偉効に加えて、渇望の真理まで把握出来たのであるから、その幸福たるや絶頂感といっていい。

それがため人生観まで一変したのであるから本教の救いの素晴しさが分るであろう。」




明主様御教え 「医学と浄霊」 (昭和28年)

「この子供(省略)は面白い事には、次々二個所に同じような怪我をしたので、一つは医療、一つは浄霊というように、別々に治療したところ、

医療の方は結果悪く、浄霊の方は結果が良いので、全く偶然的に神がそうしたとしか思えないのである。

と共にいつもながら医療の無力である。

この原因こそ医療の不合理性と浄霊の合理性とをよく現わしている。」




明主様御教え 「結核患者の告白」 (昭和28年)

「左の一文(省略)は、結核患者が浄霊によって救われるまでの経過と、精神状態のありのままを克明にかいてあるので、

これでも分る通り、現代青年がいかに医学を信頼しており、石のごとき頑強な無神思想であるかが分る。

恐らく現代青年のほとんどはこの通りであろう。

これにみても真実を分らせるには、いかに容易でないかが思われるのである。」




明主様御教え 「小児結核此通り治る」 (昭和28年)

「この女の子(省略)は小児結核といわれ、一年休学絶対安静まで言い渡され、家庭は暗黒のドン底に陥っていた際、

僅か四ケ月の浄霊で健康を取戻し、厳重な医診によっても、通学差支えなしと言われたので、家族一同の喜びは一方(ひとかた)ならないのである。

いつもながら現代医学と浄霊の違いさは、余りにハッキリしているかと思えるのである。」




明主様御教え 「ヒロポン禍治る」 (昭和28年)

「これは誰も知るごとく、今日日本において一日もゆるがせに出来ない問題として、ヒロポン禍がある。

最近の統計によるも全国で百万を越え、しかも増える一方だというのであるから、国家にとっても容易ならぬ問題である。

しかも医学では容易に治らないとしているのであるから、悲観の外はない。

ところが左のごとく(省略)僅かな期間に見事全快したのであるから、本人も家族もその喜びたるや目に見えるようである。

従ってこの事だけにみても、我浄霊療法のいかに卓越せるかが分るであろう。」




明主様御教え 「本で救われる」 (昭和28年)

「この人(省略)は医師から肺浸潤といわれ、治療を受けたがいささかも快くならず、仕事も休み家計も苦しくなるばかりで、

散々悩んだ揚句(あげく)、フト町の書店で「結核信仰療法」の書を見付け、それが機縁となって救われたのであって、その喜び方は非常なものである。

ところで私は多くの人に読ませたいと思い、大新聞に広告を依頼しても断って出さないのであるから、これほど不可解な話はあるまい。

察するに余程の事情があるらしいが、どんな事情があるにしても、人命には代えられない以上、出せない理由はないなと思うが困ったものである。」




明主様御教え 「生殖神経衰弱の全治」 (昭和28年)

「この病気は今日の社会にいかに多いかは大抵な人は知っているであろう。

しかし病気が病気だけに人には言えず、自分一人で苦しんでいるのであるから、大いに同情すべきである。

しかも症状が外部には現われ難いので、統計でも分らない程だから、案外多数であるのは専門家も言われている。

しかも始末の悪い事は、これからという青年層に多いので、国力に及ぼす影響も馬鹿にはならないであろう。

もちろん医療では仲々捗々(はかばか)しく治らないので、この病気の解決こそ我浄霊以外にはないのである。

この人の例にみても分るごとく、働き盛りの時代を苦しみ通しで、人並の仕事も出来ないまま過したのであるから、実に気の毒なものである。

従ってその喜びは報告(省略)にもある通りで、浄霊医術こそ真の医学であり、神の救いである。」




明主様御教え 「腰椎カリエス治る」 (昭和28年)

「この病気は医療は固(もと)より、他のいかなる療法でも、また信仰でも治らないものとしている今日、患者の絶望は気の毒なものである。

この若い婦人(省略)などもそうであって、一生涯生ける屍(しかばね)として終るところを、浄霊によって救われたのであるから大変な功徳である。」




明主様御教え 「嗚呼医学というもの」 (昭和28年)

「これはいつもいう事だが、今日どんな人間でも、現代医学は大いに進歩したと信じており、病気になったら最新の治療を受ければ、大抵は治るものと安心している。

また治療に当る医師もそう信じているのであろうが、事実のほとんどは見込外れか、一時抑えにすぎないのである。

何しろ病気の根本が分っていない以上当然であるが、医師としてもその疑問は起るであろうが、どうしようもないまま諦めているにすぎないのであろう。

そんな訳で世界中の医学者が熱心に研究している以上、いつかは本当に治る医療が生まれるであろうと、淡(あわ)い望みに生きている。

これが現状であろうが、私は失望に終る事を断言しておくが、ただ困る事にはこのままであるとしたら、

今後それまでもの間二十日鼠やモルモット扱いをされなければならない気の毒な犠牲者である。」(体験談省略)




明主様御教え 「浄霊こそ根治法」 (昭和28年)

「私が常に唱えているごとく、医療は一時的効果で、本当は病気を作るものである事は、この患者の経過(省略)を見てもよく分る。

最初医療で治ったので安心していると、間もなく再発、前より悪いのみか、それまでなかったはずの結核を知ったのである。

というのは、出しぬけに医師から気胸(ききょう)をやると言われ、さてはと吃驚(びっくり)仰天、急に脅え出したと共に、

なぜモット速く知らしてくれなかったかとの不満も加わり、病症悪化絶望状態に陥った経過は、読みながら目頭が熱くなるくらいである。

しかし幸いにも浄霊を知って、僅かの間に起死回生的に快くなったばかりか、元の病気である骨盤カリエスまで治ったのであるから、これにみても医療の幼稚さと浄霊の素晴しさがよく分るであろう。」




明主様御教え 「浄霊こそ根治法」 (昭和28年)

「私が常に唱えているごとく、医療は一時的効果で、本当は病気を作るものである事は、この患者の経過(省略)を見てもよく分る。

最初医療で治ったので安心していると、間もなく再発、前より悪いのみか、それまでなかったはずの結核を知ったのである。

というのは、出しぬけに医師から気胸(ききょう)をやると言われ、さてはと吃驚(びっくり)仰天、急に脅え出したと共に、

なぜモット速く知らしてくれなかったかとの不満も加わり、病症悪化絶望状態に陥った経過は、読みながら目頭が熱くなるくらいである。

しかし幸いにも浄霊を知って、僅かの間に起死回生的に快くなったばかりか、元の病気である骨盤カリエスまで治ったのであるから、

これにみても医療の幼稚さと浄霊の素晴しさがよく分るであろう。」