医学断片集 2


ある未亡人の話  医薬断片集 (昭和24年10月29日発行)

「この婦人は、年は四十五歳、三年前、夫君が死亡し孤独となった。

そこで親戚へ身を寄せようとしたが、どの親戚も、テンデ寄せつけない。

というのはこういう原因がある。この婦人は数年前からの肺結核で顔色は青く、痩せていて一見それとみえるのである。

従って、進退きわまりどうする事も出来なかった。

それを聞いた私はあまりかわいそうだから、私の家へ引きとって、台所の手伝などをさしているが、

時を経るに従い、漸次健康になりつつあるので、本人は喜びと感謝の日を送っているという訳だ。


これだけでは、はなはだ平凡な話であるが、実は一つの重大な事をいいたいのである。

というのは、結核とさえいえば、感染を恐れて、世間は寄せつけないに反し、私の方は平気で引きとり、

しかも台所で、食事の手伝をさせるのだから、普通からいえば狂人としか思われまい。

ところが、結核は感染しない事がはっきり判っている私としては、普通の処置をとったまでである。

全く、右のような悲惨な事実は、世間到るところにある話で一度結核に罹るや、

病苦の外に右の婦人のように誰も構ってくれないという悲しい運命におちるという事は何たる憐むべき事であろう。

これによってみても結核は感染しないという原理を医学が一日も早く発見されたいのである。

これだけでもいかに人間の幸福を増すかは今更いうまでもあるまい。」




輪 血・医薬断片集 (昭和24年10月29日発行)

「血液とは、霊の物質化である事は、常に吾等のいうところであるが、

もちろん輸血においても、霊の放射によって、霊を充実させれば同様の効果を奏するのである。

まず、霊の放射五分間で輸血二百グラムくらいと同じくらいであろう。

とすれば、本教信者の霊の放射能力は実に偉大というべきである。」




正しい治療・医薬断片集 (昭和24年10月29日発行)

「今日よく専門家は、正しい治療というが、この意味はサッパリ判らない。

正しい治療という事は正しくない治療もあるという訳だ。

この治療の正不正は素人は何を標準にして決めたらいいかテンデ判る人はあるまい。

世の中には、理屈の合わない事が多過ぎるようだ。」




ある眼科医の話 医学談片集 (昭和24年11月5日発行)

「これは十数年以前、私が麹町半蔵門で開業していた頃の話である。

当時東京市内某区の学校医を三十年もしていたある老眼科医が眼病に罹り漸次悪化し、失明一歩手前という時であったのが、一週間の浄霊で完全に治ったので、喜びのあまり教修も受けたのである。

右眼病の原因を訊くとこうである。彼は数ケ月前入浴の際石鹸の汁が眼に入り非常に痛むので、お手のものの医療を施したが治らない。

しかも彼の息子は慶応病院の眼科の助手であったので、最新の治療を熱心に施したが、漸次悪化するばかりで、医師として恥しいのを我慢して私の所へ来たというのである。

それから二、三ケ月経ったある日彼は立寄ったので「浄霊はやっていますか」と質(き)いたところ彼は「飛んでもない」という顔付で、こう語った。

「自分は先生に治して貰った事も、教修を受けた車も、家内にも伜にも絶対秘密にしている、なぜなれば、もし医師会へ知れると脱会の憂き目をみるからである」

との事で、私はただ唖然たるばかりであった。」




ある看護婦長の話 医学談片集 (昭和24年11月5日発行)

「数年前、本教が日本浄化療法時代に講習を受けた、元陸軍病院所属、結核療養所の看護婦長をした某女の話をかいてみる。

彼女は、数多くの結核患者を扱っていたが、そのほとんどは漸次悪化し、死にまで至る中に、唯一人某青年士官の患者だけは助かった。

というのはどの患者も軍医の命を固く守っていたに拘わらず、経過がよくない。

ところが彼のみは軍医の命を全然守らない。絶対安静を申し渡されていたにかかわらず、ベッドにいる事は滅多にない。

医師の回診の時だけソッとベッドへ入っているという訳で、彼女がいくら注意してもいう事を聞かない。

しかし、経過の方は不思議に良好だ。彼女としてはどう考えてもわからない。

ついに彼は全治退院した事によって彼女の疑問は深まり、数年間は疑問の幕に閉ざされていた。

ところが本療法の原理を知るにおよんで、長い間の疑問は一ぺんに氷解したと喜んで語った事を覚えている。」




変な話・医学談片集 (昭和24年11月20日発行)

(1)「以前聞いた話だが、ある医師の息子が盲腸炎に罹り、早速手術したところ死んでしまった。

そのお医者さんいわく、「実をいえば、医者の伜でなかったら助かったかもしれない。

というのは医学上あの場合手術をすべきが医師としての常識であるからで、手術をしない訳にはゆかなかったのだ」とは、変な理屈もあるものだ。」


(2)「私は以前歯痛で悩んだ時、その前日薬の綿を詰めたためと思ったので、

歯科医に、「それを除って貰いたい、そうすれば治ると思う」と言ったら歯科医は・・・「そんな訳はない、明日まで待ってくれ」というから、

翌日行ったところ、彼いわく、「昨晩ドイツのあらゆる本を調べたところ、その薬で痛んだ例がないから痛む筈がない」・・・と言うので

私は「筈がなくても痛くてしようがないから除ってくれ」と言ったので、渋々除ってくれたがそれで痛みはなくなった。


(3)「これも歯痛当時の話、某歯科医学士に、私の慢性歯痛を診て貰った。

彼いわく、「必ず治るから二週間来て御覧なさい」私はその通りした。

少しも快くならないので訴えたところ、彼は、「たとえ痛みはあっても、歯の病の方は大分よくなっている」というので、私は変だと思った。

「歯の病なんかはどうでもいい。痛みさえ治ればそれでいいのだから・・・」


(4)「こういう事があった。ある中年の婦人、頭の中に何かがいて、始終しゃべっている。

それがうるさくて時々気違いになりそうになる・・・という症状、で、その頃の帝大○内科に一年入院したが、少しも良くならない。

その時博士いわく、「あなたの病気はもう治っているから退院しなさい」と言う。

妾(わたし)は、苦痛は少しも快くならないといったら博士は、「あなたの身体をいくら診察しても、悪い所は少しもない」と言うので、

「変だ」と思いながらも退院したという話で、私は二ケ月ばかり治療したら、すっかり治ってしまった。

これは唯物医学の欠点で、病原は眼に見えない霊である事を知らないからだ。」


(5)「よく世間でいう、お医者さんの子供が病気に罹ると、必ず自分がやらないで友達等に頼む、という事をよく聞くが、これ程変な話はあるまい。

お医者でありながら、自分の大事な子供の生命を他人に任せるという事は、どう考えても理屈が合わない。

察するところ、自分の子供となると、迷いが生ずるからだと思う。

とすれば易者の身の上判断となんら撰ぶところはない。」




人形医学・医学談片集 (昭和24年11月26日発行)

「現代医学は、ありていにいえば人間医学ではない、人形医学である。

一個体の人間としてではなく、手や足、首、胴体がバラバラになっているという解釈でしかない。

という事は、人間四肢五体の関連性を認めていない。

なによりの証拠は、脳神経科、眼科、耳鼻咽喉科、歯科、結核専門、消化器専門、肛門科、泌尿科等々各部門に分れている。

おもしろいたとえだが、眼が悪く肺結核で痔疾も悪い、脚気も水虫もあるとしたら、五個所の病院か、

または綜合病院の五つの科目に持っていかなければならない、薬剤も一病一種としても五種を要する。

これではもちろん、一日中馳け廻っても五科目の診療は受け得られないとすれば、この場合どうすればいいかを聞きたいのである。

この点について、わが神霊医療は、病気はすべて同一としている。

つまり毒素が集溜した部分が病気となるのであるから、療法も同一である、従って五種の病気でも一回ですむというだけにみても、理想的医学といえよう。

本療法が素晴しい効果を挙げる事は、この点だけでもうなずき得るであろう。

これこそ真の人間医学でなくて何であろう。」




病は内から外へ・医学談片集 (昭和24年11月26日発行)

「医学においては、病原は外部から侵入するとされている。

吾々の方は内部から外部へ、排泄さるるとしている。全く反対である。

おもしろい事には、この理論は人間行動の理念と一致している。

それはある種の考え方は外部的条件によって人間は悪を犯すという、すなわち罪を他に転嫁するのである。

それと反対の考え方は、人間の悪は自分自身の心が間違っているからだといい、罪を自分の責任に帰すのである。

右二つの考え方の結果を見ると左のごときものである。

罪を他に転嫁するものは、犠牲心がなく人を怨み、社会を呪い、不平者となるので、こういう人間が殖えると暗黒的社会となる。

これと反対に、人間が犠牲心が強く、人の罪を許し社会と和し、すべてを善意に解釈するから温かい愛の充ちた社会が出現する。

以上の意味を、よくよく玩味されたいのである。吾々の意図が奈辺にあるかが明らかに知り得るであろう。」




浄霊の急所 神霊医学断片集 1 (昭和27年2月17日発行)

浄霊の場合いつも私が注意している通り、急所を外れては、労多くして効少なしという事である。

何病気でもそうだが、近来殊に多いのは頭の病気であろう。

その原因は首の周り、すなわち左右いずれかの淋巴腺に固結があり、相当腫れているので、

大抵は見ただけでも分るが、必ず相当の熱もあり、触ればよく分る。


今一つはこれも左右いずれかの延髄部が腫れている。

見ただけでも片一方が高くなっているし、触ればなおよく分り微熱もある。

という訳でこの部を浄霊すれば必ず効果がある。

こういう人は常に頭重や朦朧(もうろう)感があり、

特に意外なのは、腕や足の悪い人でも、この部の浄霊で治る事がよくあるから、全く不思議である。


また今一つの面白い事がある。

それは痔疾のような肛門に関係ある病気の原因は、ほとんど後頭部にある毒結であるから、そこを浄霊するとよく治るし、


また歯痛によっては、その原因が盲腸手術の時の消毒薬が毒化し、歯茎から出ようとするためもあるから、盲腸部を浄霊すると、よく治るにみて明らかである。


次はひょう疽の場合、その側の淋巴腺部脱疽(だっそ)の場合は同じく股にグリグリがあるから、そこを浄霊すれば必ず治るのである。

(註 ひょう疽・・・手足の指の皮下組織に起こる化膿(かのう)菌による炎症。強い痛みがあり、骨などに波及しやすい。脱疽・・・壊死(えし)の状態から、腐敗菌感染などのためにさらに悪化したもの。)

このように病気というものの苦痛は、その元があり急所があるのだから、そこを発見しなければならないが、

それを知らない医学は、ただ苦痛の個所だけを治そうとするので仲々治らず、治っても一時的で本当に治らないのであるから、右の意味を教えてやりたいと思うのである。」




闘病という言葉 医学断片集(2) (昭和27年3月12日発行)

「この言葉程間違ったものはない。

これでは病気を敵と見ている訳だから、そんな気持が少しでもあると仲々治らないのである。

信者はよく知っているはずだが、病気は最高の健康法であり、大いに感謝すると共に、歓迎すべきものであるから、

人間は出来るだけ病気に罹るようにすれば、益々健康になり病気には罹らなくなるものである。

最近の御蔭話中に信者でありながら、闘病という文字があったので、これをかいたのである。」




医学の盲点 医学断片集(3) (昭和27年3月19日発行)

「よく新聞やラジオ等で、こういう素晴しい新薬が出来たとか、こういう新手術で不治の病が治ったとか云って、大々的に太鼓を叩いているが、

これらことごとくは一時的の効果で根治ではないから、時が経てば必ず再発か、他の病気となって現れるのである。

何しろ現代医学というものは、いつもいう通り根本が分らないからただ上面だけを治そうとするだけの効果であるから、可哀想なのは今の人間である。

これにつけても吾々が行っている本当の医学を一日も早く世界人類に知らせたいものである。」




神経の所為 医学断片集(4) (昭和27年3月26日発行)

「よくお医者は、「貴方(あなた)の病気は大したものではありませんよ、苦しいのは神経のせいですよ」と云われるのは知らない人はないであろう。

ところでその言葉をよく考えてみると、こういう事になろう。

苦痛のある程の病気でないのに、苦痛を感じるとしたら、その神経は病的である。

つまり異常神経となっているのであるから、それを治すのがお医者の責任ではなかろうか、この例として時々そういう患者に出くわす事がある。

いわく「お医者は何ともないといわれるが、私は苦しくて仕方がない」という人や、中には「貴方の病気はもう治っている」といわれるにかかわらず、「まだ苦しいのです」という人がある。」




赤 痢 医学断片集(5) (昭和27年4月2日発行)

「赤痢は今年も大分流行しそうな形勢であるので、当局も大いに憂慮しているようだが、何しろ医学ではこの病気の本当の原因が分らないので、

何とかせざればなるまいと熱心に注意しているが、その方法たるや二階から目薬程度のもので、ヤレ外出から帰ったら手を洗えとか、

食事の前もそうせよとか、出来るだけ清潔にして、食物や食事に注意せよなどと消極的手段を教えているが、

これを吾々からみれば、全くナンセンス以外の何物でもないのである。

そこでこの病気の真の原因を教えて上げようと思うのである。

それは薬剤を体内に入れると薬毒で血が濁る。

ところが現代人は頭脳を酷使するから、その毒血は頭脳へ集溜し固結する。

すると浄化作用が起って、発熱と共に液体化した毒血は、下降して腸に集中し、肛門から出るのであるから、

放っておけば自然に治り、予後は頭脳は明晰となり健康は増すのであるから実に結構なものであり、生命には何ら危険はないのである。

ところがその原理を知らないから、下熱さしたり、頭脳を氷で冷したりして、浄化を妨害するから、生命の危険にまで及ぶのである。」




無 題 医学断片集(6) (昭和27年4月9日発行)

「この間ラジオの米国通信に、四十三度の高熱の五十歳の男の患者の病気が治ったのは、世界にも珍しいとの事であるが、

私は以前四十歳くらいの男で、ヤハリ四十三度以上の高熱のため、体温器が度々割れるので、病院でも困ったという患者を、完全に治した事があるが、これは米国の例よりも以上である。

という訳で、吾々の方はそんなのは問題ではない。

それ以上の例が毎日のようにあるからである。

また八年間の盲が偶然治って、非常に珍しいという放送もあって、原因は硫酸がかかって盲目になったというのだが、

すべて病気ではなく、そういう災害的のものは放っておいても、年月さえ経てば自然に治るものである。

従ってそれを珍しいというのは、全く医学の未発達である事を示しているのである。」




信用のある医師 医学断片集(7) (昭和27年4月16日発行)

「よくラジオ、新聞、雑誌等に病気の質問に対する応答中に、信用のある医師に診て貰えという言葉があるが、これは変な話ではないかと思う。

もしそれが本当とすれば信用の出来ない医師もあるという事になろう。

すると法律上正規の許可を得て医師となった以上、不信用な医師があるとすれば、厳重な制裁を与えるか、

場合によっては免許を取上げるという方法もあるのだから、現在開業している医師に不信用な者はないはずである。

としたらその答は当を失している訳である。

また信用があるかないかは、何を標準にしたら分るのであろうか。

恐らく事実において不可能であろう。

としたらこの事もおかしな答であると思う。

今一つは右のごとき質問をする人は、散々医師にかかって治らない結果、窮余の極(きわみ)質問するのであろうから、

よく一度専門家に診て貰えなどという答も人を馬鹿にしているとしか思えないのである。」




薬毒皆無になれば百歳以上生きる 医学断片集(8) (昭和27年5月7日発行)

「一切の病気の原因は、薬毒であるのは信者はよく知っているが、

人間の健康も薬毒解消を条件とするので、つまり浄霊の目的は薬毒を減らすにある。

だから薬毒が減るだけは健康は快復するのであるから、人間は薬毒さえ皆無になれば、病気で死ぬ人はなくなる訳で

自然死すなわち樹齢つきて枯れるごとく、あの世へ往くのである。

としたら誰でも百歳以上生きられるのは、一点の疑いないのである。」




便秘の誤解 医学断片集(9) (昭和27年5月14日発行)

「よく医学では、便秘は健康に害があるように云ったり、病気によっては原因を便秘にする事がよくあるが、これは本当の病原が分らないからである。

ところが便秘は何ら健康には影響はないもので、安心して可なりである。

そうして前にもかいた事があるが、滑稽なのは子供の病気によっては原因を便秘のため、自家中毒が起ったからと言うが、実に馬鹿馬鹿しいにも程がある。

これは便が溢れて全身に廻るように思うためであろうが、そんな事は決してない。

便通がなければ、便は糞袋の中に段々固まるだけである。

右のような訳で、下剤や浣腸で無理に出させるが、こっちが反って悪いのである。

何となれば排便機能を退化させる事になり、反って常習便秘者となるからである。」




体温計 医学断片集(10) (昭和27年5月28日発行)

「今日一般の人で、体温計の御厄介にならない人は一人もあるまい。

ところが我メシヤ教信者になると、全然必要がなくなるから摩訶不思議と言えよう。

それはなぜかというと、発熱というものは、病源である毒素を溶かしてくれるものであるから、

まことに結構なもので高い熱が出れば出る程、病気は早く治る訳である。

してみれば熱は恐ろしいものと思うから、体温計が必要となるので、有難いものであるとしたら測る必要はない訳である。

この点だけにみても本教信者になれば、いかに幸福を掴み得るかが分るであろう。」