医学の革命について 7
明主様御講話 「医者が反論できない」 (昭和28年2月27日)
「それから医学の革命もこれからだんだんやって行きますが、それについて昨日、一昨日の東京日日に出てました。
たいてい読んだでしょうが、薬毒と医学の誤謬ということを書いてあるのです。
東京日日は大新聞の中にははいってないが、中新聞としては、とにかく社会からもそうとう認められています。
その日刊新聞にこっちの説が非常に詳しく書いてあるということは非常に良いことと思うのです。
これは最初ですが、これからだんだんみんなが知るようになってくるとか、世論みたいに拡がって行くというようになるでしょうが、とにかく非常に良いと思います。
それからもうじき「結核信仰療法」売り出すつもりですが、これも非常に売れると思います。
なにしろ結核でなおらなくて煩悶している人がたいへんなのですから、そういう点で医学の方に愛想を尽かしてますから、なにかほかのことでなおすものはないかと思っている人はたいへんなものです。
そこに、「結核信仰療法」というと、それは腹の中では信仰でなおそうかと思っているような人がたくさんあるに違いないから、そういう人は飛びつくわけです。
それに「結核信仰療法」は充分徹底して書いてあり、それからなおった人の体験談を百例載せてあります。
問題にはなりましょうが、お医者さんの方ではどうすることもできないと思います。
実は今度の「アメリカを救う」でも、お医者さんの方では、なかなか問題にしようとしているのですが、さて見てみると突っ込むことができないのです。
なんとなれば御自分の方が下だからです。
大学生の講議を小学生が文句言うようなものですから、ちょっと手が出ないのです。
ですから今度の「結核信仰療法」でも「医学が結核を作る」という項目があるのですから、それを見たら随分ジリジリするだろうと思いますが、そうかといって突っ込むことができないのです。
ですから私は突っ込んでくれば結構だと思っているのですが、先方は拳骨を懐に入れていて出してこないのです。
それで私が考えていることは、結局私が大病院に行って、片端から浄霊してやるとか、病原を説明してやるとか、医科大学の講議をやりたいと思ってます。
それも生徒ではいけないのです。博士階級の人を少なくとも数十人というのなら、私も喜んで講議します。
そうでなければ解決がつきませんから、そこまで行くだろうと思ってます。
だからこれからだんだんおもしろくはなってきます。」
明主様御講話 「医科大学に行って講義をしたい」 (昭和28年3月7日)
「それから「アメリカを救う」の本もだいぶ売れるようで、まだ売れているようです。
つまりある程度売れたのはベストセラーとして・・・やっぱりベストセラーというのは、本の売りさばき元によって違うようですが・・・勿論売れ口の良い、良く売れた本ということには、ああいった商売人の方でも認めてきたようです。
もっとも有名な作家の書いたものなら、これは売れるに決まってますが、私らは素人ですし、しかも新宗教の教主などが書いて出した本とすれば、たいしてそういった世間的には注目されないわけですが、ただ「アメリカを救う」という標題がいいのです。
それからこれが一番の魅力でしょう。戦後日本人がなんでもアメリカの物ならいいというように、一種のあこがれを持っていたアメリカです。
なんでもアメリカにはかなわない。日本の文化は戦争のために少なくとも十年は遅れていると言ってます。中には三十年も遅れていると言っている人があります。
それほど日本は負けているわけです。そうして非常な打撃を受けて、大怪我をして、ふつうまだやっと物につかまってヒョロヒョロ歩けるくらいの日本が、アメリカを救うと言うのですから、意外に思うわけです。
ですから意表に出たわけです。それが魅力になるわけです。
それから本屋に並んでいると表紙の図案が魅力になっているようです。
また、病人とか医者とか薬屋とか、病気に関係のある人は、ちょっと買ってみようという気になるわけです。そういうようですからあんがい売れたわけです。
それで今度は自然栽培のことも出します。これはいずれいろんな計画は話します。
それから「結核信仰療法」も本はできてますから、近日中に新聞広告をして売り出します。
これはあるいは「アメリカを救う」よりも良く売れるかと思ってます。
というのは、結核患者は長いですし、医者の言うことを聞いたり療養所にはいったりいろいろしても、どうしてもなおらないですから、煩悶懊悩して「もう医者では駄目だ、なにかほかにないか」という人がたくさんありますから、「このうえはもう信仰をするよりない」ということになる。
医者ではどうしてもなおらないということになれば、まず信仰ということが頭に浮かびます。
そうなって、なにを信仰しようかということになると、不動様や観音様といっても、絶対安静ですからお参りに行くわけにもいかないのです。
そこで古い先祖からの宗教もあるが、これでは病気がなおるほどの御利益がない。
天理教とかいろいろな新宗教などをみても、これならなおるというものもちょっと見出せない。
そうすると「メシヤ教という奴はだいぶ病気がなおるということを時々聞くが、どんなものかな」と思っているところに「結核信仰療法」となると、それでは読んでみようということになって、どうしても買うということになります。
ですからあれはそうとう読まれるだろうと思ってます。
それで項目の一番目に「医学が結核を作る」というのがあります。
それから「結核は感染しない」ともあります。そこでどうしてもちょっと見たくなります。
「医学が結核を作る」というと、医者を信じてこれほどやっていてなおらないのだから、これはあるいはそうかもしれないということになります。
そうして大体お医者が見ずにはいられないと思います。
「とんでもないことを言う、もしか間違っていたらうんとやっつけなければならない。
メシヤ教というのは生意気な奴だ、宗教のくせにして医学の方にはいって、医学が病気を作るなんてとんでもない」ということになったらいいのです。
そうして質問してくるのを、こっちは待っているのですが、おそらくその勇気はないと思います。
それで私はいよいよとなったら、大病院でやってやるつもりです。そこまで覚悟しているのです。そこまで行くとおもしろいです。
そうして痛がっているのや、ウンスウンス言っている者をなおして、お医者に見せてやるのです。
それからもう一つは医科大学に行って講義をしたいと思うのです。それは生徒でなく、少なくとも博士級の教授を四、五十人並べてやるのならしゃべってやろうと思ってます。
結局そこまで行くでしょう。そこまでいかなければ解決がつきません。
しかし先方の方では弱みがあるから怖いのです。自分の方が贋物でこっちの方は本物ですから、あばかれてはたいへんだと思ってます。
それは私の書いたものを見ると、はっきりとは分からないが「なるほどそうだ」と思います。
例えば、手術を一つみると「手術は医学の進歩ではない、医学の退歩だ。医学の進歩なら臓器を切り取らないで、そのままでなおすのが本当だ」と書いてありますが、そうするとこれは本当だから苦情は言えません。
切り取ることをいばるわけはないですから・・・。
そういうようだから、それを言ってくるだけの勇気はないと思います。
しかしそこまで行かなければ本当の解決はつきません。
それからその先に出るのは「メシヤ教奇蹟集」です。この序文はこの前読みましたから、次の記事ですが、これは短いものです。
あとはお蔭話ですが、それを百例つけます。これは病気なおしばかりでなく、汽車や自動車に轢かれて助かったとか、高い所から落ちて助かったとか、炭鉱で爆発したのに助かった、というようなことと、病気で奇蹟的に助かったというのを大体百例を付録としてつけますが、その記事ができましたから読ませます。
(御論文「一、奇蹟とは何ぞや」「二、霊主体従」「三、霊と体」)
この終わりのところが肝腎なのです。今までの宗教・・・というが教えですが、教えだけでは力が弱いのです。
ところがメシヤ教は教えとともに事実を見せるというので、これで人間は初めて神様は確かに在るということが分かり、そうすると悪いことはできないということになって、これで本当の人間になるわけです。
それで神様は確かに在るということを見せるのは奇蹟なのです。
奇蹟以外で神様の実在を信ずるということはできないのです。
ところが今まではそういった奇蹟を見せないで、ただ「神は在る、在るから信じろ」と言うが、実際理屈に合いません。
そこで、本当に救われないのです。」
明主様御講話 「最後には病院に行って片端から浄霊したい」 (昭和28年3月23日)
「また「結核信仰療法」の方も問題にならざるを得ないと思います。
これをお医者なり、あるいはそういうことに関係のある学者などの専門的の人が見たら、黙ってはいられないと思います。
「医学が結核を作る」ということでも、仮に政府の当局者が見たらたいへんなことになります。
とにかく結核は医学によって解決しようとして、いろいろな手段を尽くし、法律まで出してやっており、たいへんなものですが、それがかえって結核を作るものだということを、天下に発表したとすると、黙ってはいられないです。
しかしそれを突っ込んでくることはできないのです。
と言って黙っていると黙認したことになります。
それから「結核は感染しない」ということも、結核は感染するという建前で、消毒だとかなんだとか、いろいろやって大騒ぎをやってますが、
それを感染しないとなると、当局のやり方をぜんぜん叩きつけたようなやり方ですから、これもなんとか先方で言わなければ認めたことになりますから、そうなると変なことになります。
だからとにかく、これからあっちの方の人たちが首をひねって相談をしたり、溜息をついているのではもう追いつかないので、なんとかしてやっつけたいが、それはちょっと難しいのです。
なぜ難しいかというと、私の方で書いてある本には、少しばかりも突っ込むところがないのです。
とにかく横綱の前で、子供が前から取り組んで来るようなものですから、先方に勝ち目はないのです。
そうかといってこれを黙っていると、当局や専門家の面目にかかわるし、そうしてまた問題はたいへんな問題です。考えてみれば実際大きな問題です。
こんな無鉄砲・・・では変ですが、こんな大胆なことをした人は今までにないでしょう。
そうかといって、こっちは理論と実際との両方で行くのです。
実際はこうだ、結核菌という物の根本はこうだ、こういう物から発生していると言っているのです。
つまり先方は菌だけを発見して大騒ぎをしますが、こっちは菌の根元をうち開けてありますから、喧嘩のしようがないのです。
先方に勝ち目はないのです。だから正面きってぶつかってくるということはできますまい。
そこで黙っているということもできないというジレンマに陥るでしょう。
彼らの方はどういう態度に出てくるかということが、興味あることです。
それで最後には病院に行って、私が片端から浄霊をやってやるとか、医者との質疑応答でも、たくさん集めて疑問に思う所はどんどんこっちで教えてやります。
そうすると、先方ではどうにもしようがなくなると思います。
それでやっつけられないとすればカブトをぬぐよりないのです。
カブトをぬぐというと、医学の方の法規を急に改正することはできないが、本当にやれば医学禁止法案というものを作らなければならないのです。
そうすると、今日の再軍備問題によって、憲法を改正しなければできないというより、もっと大きな問題になるだろうと思います。
やはり医学を禁止するということは、憲法改正にまで行くかも分かりません。
結局はどうしてもそこに行かなければ追いつきません。
しかしこれは、あえて私がやるわけではなく、神様がやるのですが、神様はどういうような結末をつけるかということが、大いに興味ある問題で、私も今から楽しみにしてます。」
明主様御講話 「結核信仰療法は原子爆弾」 (昭和28年3月24日)
「メシヤ教も今までは長い間、邪神との戦いだったのです。
それでやっと、戦いなら勝ち戦の時期に一歩はいってきたという形なのです。
それでこれからだんだん勝ち戦になって行きますから、日がたつに従ってだんだん発展して行くという時期になってきたわけです。
今度の「結核信仰療法」は原子爆弾です。つまりこれに対して向こうではこれを防ぐ武器がないのです。従って大きな問題になるだろうと思ってます。
たとえてみれば「医学が結核を作る」ということや「結核は感染しない」というそれだけでも、医学としたらたいへんなことを言われたわけです。
だから、もしそう言われて黙っているとしたら、認めたことになりますから、どうしてもそれに反駁しなければならないのです。
そこで反駁するにはあれを壊すだけのそれだけの理由を作らなければならない、ということになります。
ところがおそらく、その理由を作ることはできないわけです。
というのは、百の例を見れば、もうどうすることもできないのです。
あれは事実であって、「このとおり本人が言うのだ」というのを百も並べてあれば、こっちの説を反駁するということはとうていできないのです。
反駁できないから黙っていなければならないが、黙っていれば承認したことになる。
ですから、もしあの説が世の中に拡がって行くとすれば、医学は当然、カブトをぬがなければならないことになります。そうすると大問題です。
そこでなんとかしなければならない・・・なんとかするどころではない、どうしてもこれを防ぎ止めるか、メシヤ教をやっつけなければならない、ということになります。
そうかといって、やっつける方法はない、というジレンマに陥ってしまって、だんだん医学の方は押されて行きます。
アイゼンハウアーではないが、押し返し、巻き返し状態になって行きます。
そうすると政府でもほうっておくわけにはいきません。これはどっちかに旗を挙げなければならない、ということになります。
そうすると、今まで政府が援助してきて、今もって大いに奨励し援助している医学が形無しになっては、政府の面目にもかかわるから、どうしてもメシヤ教をやっつけなければならない、といったところで、ぜんぜん歯が立たないのです。
ちょうど子供が横綱に向かうようなもので、ぜんぜん勝ち目がないのです。
そこでどうするかということは興味ある問題です。
まあ、いざとなれば私が大病院に行って大勢の患者をやってやり、目の前で見せてやります。
それから博士などが束になっての質疑応答を、私が直接やってやり、良く説明してやります。そこまでいけば結構です。
ちょうどマッカーサーがミズーリ号の上で講和条約をするようなもので、医学の方は日本で、私の方はアメリカというわけになります。そうなれば無条件降伏です。結局そこに行くよりしかたがありません。
そこに行って初めて人類は救われて、病なき世界ができるのです。
こっちには神様がついていて、原子爆弾を持っているのです。
ソ連にも原子爆弾はありますが、医学の方には原子爆弾はないのです。
ですから戦争よりもこっちの方がもっと勝ち目があるわけです。
ただそこに行くまでに、一波乱があるだろうと思ってます。たいへんな問題になります。
日本だけでもそうですが、こっちは日本だけでなく、世界中をやるのです。
「結核信仰療法」の広告に「医学への挑戦」ということを書いてあるが、私は遠慮してそうは書かなかったが、誰かが書いたのでしょう。
しかし書いてみれば、嘘ではないので本当ですから、そのままにしておきました。確かに挑戦なのです。
神と悪魔の戦い、正邪の戦いです。これで勝てばミロクの世になり、負ければ魔の世界になります。
しかし向こうは九分九厘でこっちは十ですから、無論勝つに決まってます。そういうようで、たいへんな問題を提供したわけです。
それからこの次のは、今編集してますが「救世教奇蹟集」です。
それは、こっちは医学ばかりではない、あらゆるものに対してもこのとおりだ、原子爆弾でも平気だ、ということまで書いてあります。
奇蹟を今読み返してみますと、随分すばらしいものです。
だから結局において、世界の文化革命です。勿論、自然農法もたいへんな爆弾です。まあ平和の爆弾です。
やっぱりこっちでやることも戦いですが、ただ、人間を殺すような武器を使うのでなくて、人間を助ける武器ですから、たいへんなものです。
そういうようで、いよいよこれからこっちはすばらしい武器ができて、つまり今までは守って・・・守勢派ですが、今度は積極的に敵に向かって大攻撃を始めたのです。
そういうわけで、いよいよおもしろくなってきたと言いますか、非常に張り合いがあるのです。
今まではギューギュー押さえつけられたり、叩かれたりして長い間苦しんだが、それが逆になってきたのが今年からです。ですから大いに発展するわけです。
今樋口さんがハワイで活動してますが、非常に成績が良く、おもしろいように信者ができるのです。
それで来月あたりから、アメリカのロサンゼルスを基本としてやることになってますが、アメリカがまたおもしろいだろうと思います。
ただアメリカでは、割合医学よりか宗教で、カトリックが非常な勢いですから、信仰的ばかりだと、なかなかたいへんですが、こっちは医学の方に重きをおいてやりますから、その点はかえって良いだろうと思います。
それで、向こうの方で、メシヤ教というものはいかなるものかということが相当に分かれば、それはすばらしい発展をします。
そうしていよいよとなれば、カトリックに向かって一挙に頭を下げさせる方法があります。
それは日本の医学などとは比べものにならないほど、事が大きいのです。それはこの次のお楽しみとしているわけです。
それで、これから出る本は「自然農法解説書」と「救世教奇蹟集」と「医学革命の書」ですが、「医学革命の書」は全般的の病気に対する解説ですが、前にも「天国の福音」「明日の医術」などで書きましたが、今度はもっと思いきって分かりよくしました。
前には思いきって書けなかったので、だいぶぼやかした点がありますが、今度は、はっきり書きます。
病気に関したことは、つまり分からせるだけの仕事はできるわけです。
それからその次には、政治、経済、教育という方面もだんだんやって行きますが、これはずっと楽です。
一番の問題は医学なのですから、これさえ相当にコナしてしまえば、後の方は人間が健康にさえなれば楽なのです。」