医学の革命について 6


明主様御講話 「メシヤ教の仕事は世界の文化革命」 (昭和28年3月26日)

「「アメリカを救う」「結核信仰療法」と次々に出ましたが、つまりこれから、言葉は弱いが、いろいろな文化的のものを根本的に壊してしまうのです。

そうして本当のものを知らせるということです。これを一口に言うと、今までの文明は夜の文明です。

つまり医学にしろ、農業にしろ、一切のものが電気とか行灯、それからガス、蛍光灯というものだったのです。

ところが太陽が出て昼間になると、そういう物はいらなくなるのです。

それでだいぶ明るくなったにかかわらず、そういう物をありがたがっているから「そういう物はいらない」「かえって物によっては邪魔になる物がある」というようなことを知らせるわけです。

だから今まで長い間それで間にあったり、あるいはそれあるために便利を得ていたというのが、ぜんぜん駄目だと言われるので、びっくりして反対したりいろいろするのです。

ですから呑み込ませるのになかなか骨が折れるわけです。

それで今日、結核について、どれほど人間が苦しんでいるかということは、みんなよく知ってますから今さら説明の要はありませんが、そういうようで「結核信仰療法」はなかなか売れるらしいです。

これで困っている人はたくさんありますから・・・。

そしてあれはただ本人が苦しむだけではなくて、家族の者でも知り合いの人でも、伝染するとおどかされてビクビクしている、その哀れな状態などは見ていられないくらいです。

ですからそれを大いに知らせなければならないというわけです。

それで今までの文明というものは間違っている点がたくさんあるのです。

今病気に関して一生懸命にやってますが、これが一番の根本です。

それから病気のない世界という基礎的の仕事をしながら、今度はほかのいろいろなこともだんだんにやって行きます。(中略)


そういうようで、メシヤ教がやることは宗教ではないのです。一口に言えば世界の文化革命です。

それをやるについては宗教的にやるのが一番良いのです。一番やり良いのと、結果が良いのです。

というのは、根本である霊があるということを知らせるのは、それは宗教的にもってゆくよりほかにしようがないのです。

ですから宗教は、一つの宗教形式と言いますか、それを利用するわけです。

だからメシヤ教の中心は宗教的で、それを分からせるというのに浄霊で病気をなおすという奇蹟です。これが霊の実在を知らせるのに一番良いのです。

ということは、もうこれよりほかにしようがないのです。

それで病気がなおるということが今の人の頭でいったら奇蹟ですから、それで今度は「救世教奇蹟集」というのを、今編集してますが、これは霊の実在を教える手段なのです。

そういうようで、だんだんそういうことを知るについて、文化革命になるわけです。

そのうちでも根本は医学ですから、医学革命というこれが一番大きな問題です。

だから今度売り出した「結核信仰療法」は問題になるべきものです。けれども問題になるというが、その形がどう出るかということはちょうど戦争と同じようなもので、平和の戦争です。

武器を使用しない戦争ですから、先方はどう出るかということです。

なにしろ「医学が結核を作る」「結核は感染しない」「黴菌というものは根本原因ではない、結果だ」というようなことを書いてありますから、もしあれを見て医学が黙っていたら、あれを認めることになります。

容認することになるから、どうしても先方はなんとか言わなければならないのです。

そうかといって実例が百つけてありますから、それを読むと、自分の方はあれほどの結果は得られないのですから、先がこっちに攻勢に出るということはできないわけです。

そこでいずれ医師会やなにかでみんなが相談したりし、それから当局の厚生省あたりでも、なんとかしなければならないというところまで、だんだん追いつめられてきます。

これはどうしても医学よりメシヤ教の浄霊の方が確かになおる、効果がある、そうすれば浄霊の方を一般に行なわなければならない。

そうすると医学を廃止しなければならないということになります。

そうかといって、理論とか科学とか言ったところで、実際になおる方が良いのですから、向こうでもだんだん研究し調査をすることになるでしょう。

そうすると医学よりもずっとなおるということが分かります。

いつも言うとおり、百対一でも足りないのです。

そうすると浄霊を採用するか、医学を採用するか、というところまで行きますから、政府でも徹底的に調査しなければならないことになります。

そうしたら私はまず大病院に行って病人を片端から浄霊してなおしてきます。

その場合でも、薬をたくさん使ってある者はなおりが悪く、薬が少ない者はこのとおり早くなおるということを見せますから、そうすると薬毒ということも分かります。

これは私が行くまでもなく、私の弟子でたくさんだと思います。それだけの効果を上げることができると思います。

そうなるとどうしても浄霊を採用しなければならないのです。

そうして医学の方を廃止しなければならないということにまで行くわけです。

また行かなければならないのです。それでもグズグズしていると、病人の方で医者の方に行かないで、みんなこっちに来るようになります。

ですからもしか先方が執着が取れないで頑張っていたら、自然に亡びるということになります。

そうなると浄霊をする人が何万人できても足りないことになります。

今医者は全国で七万人ありますが、そうするとまず信者で浄霊を専門にする人が七万人は必要になります。

しかしこっちは何年もかかって学校で教育するのではないからわけはありません。

そうなると浄霊医者になり手がたくさんあります。

それで一カ月卒業くらいでドンドン卒業させてやっていると、しまいにはそれが外国の方に知れてぜひ来てくれというので、浄霊教師を招聘(しょうへい)することになります。

そうなると外国人がみんな生徒になりますから、みんな頭を下げます。

それだけでも、とにかく日本が世界を救い、日本人というものは一番優秀な国民だということになりますから、日本人に全部頭を下げるに違いありません。

いずれはそうなりますが、もっと手っ取り早いのは自然栽培です。

数年くらいたつうちにはドンドン増えて行きますから、そこで米の輸入をしなくてもすむというので、メシヤ教のお蔭だということになって、みんな頭を下げます。

そうなってから今度は政治とかいろいろな仕事をするのです。さもなければなかなか信用しないのです。




明主様御講話 「医学は結局切り捨てられる」 (昭和28年3月27日)

「それから出版ですが「アメリカを救う」はだいぶ結果が良くて、まだ売れているようです。

これは大体アメリカが目的ですが、日本は手近ですから、ついでといったようなわけでやっているのですが、成績はだいぶ良いです。

それで今度の「結核信仰療法」は「アメリカを救う」以上に売れるだろうと思います。

これはメシヤ教信者ができるうえにおいて、今にたいへんな力になると思います。なにしろ肺病は多いのですから、この人たちがこっちにすがってくるようになると、それはとても大きな発展力になるわけです。

それから「自然農法解説書」も近く出版になります。

これは購読者たる農民は一番多いのですから、農民の数の一割が買ったところでたいへんなものですから、何百万と売れるわけです。

それで結局農家一軒に一冊というようになるまでにしたいと思ってます。

これは全国的に支部でもできて、そこで売るようになると随分買う人もあるだろうと思います。

それで値段も五十円ですから、五十円というと子供のアメ玉でもそのくらいはしますから、普及力も非常なものでしょうと思います。

それからその次に発行するのは「救世教奇蹟集」です。

これは大体できあがりましたが、すばらしいものです。おそらくこれを読んでじっとしていられる人はないくらいに驚異的なものです。

論文も書きますが、奇蹟も今までに栄光に出たのをまた読み直してみると、あまりにすばらしいのでぜんぜん新しいように思われるのです。

これは今までは新聞一枚に一つか二つ、たまに出るくらいなものですが、その奇蹟を並べてみると実にびっくりするくらいのものです。

それでこの本は勿論英文にして世界的に、ヨーロッパ方面にまで配布するつもりです。

これを読んだらキリストの奇蹟というのは、実際ハナクソみたいなものです。

ですから、これだけでも世界中の人たちが驚いてじっとしていられないだろうと思います。

「アメリカを救う」の英文は翻訳はすっかりできてますが、出版は来月か再来月になりそうです。

これはアメリカで大いに問題になるだろうと思ってます。

勿論「結核信仰療法」も「自然農法解説書」もやはり英文にして世界的に配布するつもりです。

こうなると、どうしても世界を相手にして仕事をするという形に自然になってきました。

よく調べてみるとヨーロッパ方面も英文で結構だそうです。

どこの国でも英文ならたいてい読めるそうですから、全部英文にするつもりです。


それでだんだんやっていくと、宗教つまりキリスト教と対抗するような形になっていくわけです。

一番脅威を感ずるのはカトリックです。こっちが発展してくるに従って、これがたいへんだろうと思います。

本元はローマ法王ですから、このローマ法王を押さえる方策と言いますか、それはこっちにありますから、最後に行ってローマ法王にうんとお辞儀をさせるつもりです。

それはもう大丈夫です。なにしろ神様のやることは早いです。

早いと言っても二年や三年では駄目ですが、とにかく十年以内には実現すると思ってます。

そうでなかったら、私があんまり年を取ってしまっては間に合いませんから・・・。

私は九十までは活動する予定ですから、まだ二十年はやりますが、その間に世界中を全部済度しなければならないわけです。

そういうようで結局において、今までの宗教やキリスト教が拡がったというような、そういうものとはまるっきり違うのです。

つまり世界的の文化革命です。今までこれだけ発達してきた文化が、進歩発達したには違いないが本当の発達の仕方ではないのです。

ですからこれの良い所だけをとって、悪い所を切り捨ててしまうというわけです。

大ざっぱに言うとそういうわけです。

話で言うと、なんでもないことですが、切り捨てられる方はたいへんな騒ぎです。

医学などは結局切り捨てられるよりほかにしようがないのです。

そうかといって、人間を切り捨てるのではないので、医学という間違った学問を切り捨てて、本当のことを教えるというのですから、これは文化革命です。

そしてこれは非常に大きなものです。今までいろいろな革命があったが、それは一部のものです。

というのは、つまり夜の世界、夜の文化なのだから、行灯やローソクという物は邪魔だから止してしまうというわけです。

そこで今度昼間の太陽が出て、世界人類にその光を恵むわけです。

そうなると夜の文化はいやでも暗闇に隠れたり、暗闇を利用して間違ったことをやっていたことが駄目になります。

つまり今までの文化はパンパンガールみたいなものです。昼間になると出られないのです。あれは夜の闇を利用して商売しているのです。

それから泥坊といったようなもので、闇を利用してやるのです。そこで闇がなくなり、間違ったことや変なことは少しもできないわけです。

ごく分かりやすく言えばそういうようなものです。ですからこれは、今までの革命のように人間の考えで計画することとはぜんぜん違うのです。

これは霊界がそういうようになるのですから、そう骨折らなくてもちゃんとできてしまうのです。

だから仕事は大きいが、楽で骨が折れないのです。むしろ楽しみ楽しみやれるのですから、たいへんありがたいことです。」




明主様御講話 「最後は医学革命ということになる」 (昭和28年2月1日)

信者の発言
「アメリカを救うを拝見して来た人がありまして、六日に入信の予定でございますが、その人の話で、キリスト教が日本に伝来したときにその人の先祖が非常に協力したそうで、非常に喜んでおりました。

年は取っておりますが、力の限り明主様に御協力をさせていただきたいと申しておりました」

明主様御垂示
「それはおもしろいですね。次に出す予定は「結核信仰療法」と「メシヤ教奇蹟集」です。それから「医学革命の書」です。

「メシヤ教奇蹟集」は今書いてますが、これは今までのすばらしい奇蹟を出せばいいのです。

それから「医学革命の書」は素晴らしい記事です。今まで言わなかったようなことを徹底して書いてあります。これが出たら医学はもうどうすることもできません。

とにかく今まで馬鹿にしていたような新宗教が、ベラボウに大きなことを言うのですから、何がなんだかさっぱり分からないようになります。

ところが少し分かってきたらたいへんです。私の書いたものを取り合いして読むようになります。

そうなればしめたものですが、いずれそういう時期が来ます。それまでのことです。」


信者の発言
「各宗教と申しましても、今までは口の先で言うだけで、ちょうど医者の診断のごまかしと同じで一時のがれをしてましたが、浄化作用が強くなるに従ってごまかしがきかなくなりますから、結局力のないものは滅びることになります」

明主様御垂示
「そうです。だから今度も書いてあります。「メシヤ教に背を向けるものは滅びるし、抱かれる者は助かる。そのどっちかに決めなければならない。それが今後における人類の課題だ」ということを書いてあります。」


信者の発言
「講演会にまいりまして「どうぞメシヤ教にはいってくれというケチなことは言わない。はいるのはそっちだから、どうぞお勝手に」というようなことを言ってまいりました」

明主様御垂示
「そうです。「はいってくれ」でなくて、「はいらしてやる」というのです。ですからただ「こういうものだ」ということを言うのです。はいる、はいらない、は向こうの勝手です。
 
東北のほうの講演会はいつ頃ですか。」


信者の発言
「二月十七日に出発いたしまして二十五日の朝帰ります予定で、七ヶ所ございます」

明主様御垂示
「そうですか。なにしろ宗教というものは、信用がなくなってますし、そこにもっていって新宗教というとなおさら軽蔑してますが、そうかと言ってメシヤ教以外の新宗教というものはもう形無しですから実際しようがありません。」


信者の発言
「実際が看板の塗り直しをやっているだけでございます」

明主様御垂示
「それは実力がないからです。」


信者の発言
「漢方薬と蘭方薬との差で、結局同じことでございます」

明主様御垂示
「そうです。同じことです。立正交成会の信者で「たいへん御利益があった」というのですが、それは何かというと「いい医者が見つかった」というのです。」


信者の発言
「こう書いてありました。「御守護によりまして良い医者に巡り合うことができましてたいへんありがとうございました」というのでございます」

信者の発言
「全くかわいそうなものでございます」

明主様御垂示
「そうです。もっとも親玉が日蓮ですから。」


信者の発言
「以前金光教の信者で「駅で腹痛を起こしたときに、駅員が良い薬をのましてくれたので助かった。これも金光さんのお蔭だ」ということがございました」

明主様御垂示
「私がまだ民間療法をやっていたときに、そうとうな人でずいぶん通いましたが、それは金光教信者で「こういう良い先生に廻(めぐ)り合ったのは金光様のお蔭だ」と、その金光様に御礼に行っているのです。」


信者の発言
「そういう信者が今でもよくございますが、本当に見当違いでございます」

明主様御垂示
「私は腹の中でずいぶんあきれましたが、そうかといってこっちはまだヒョロヒョロしているときですからしかたがありません。」


信者の発言
「以前千葉の道徳科学研究所をやっている人で」

明主様御垂示
「モラロジーですね。」


信者の発言
「やはり「そういった研究をしていたお蔭で、これを知らしていただいた」というように言っております」

明主様御垂示
「そうなのです。実際、今度「文藝春秋」に出てますが、踊る宗教だとかダンスをやるPL教団とか、それから生長の家は本屋みたいで、ただ本を読ませるだけです。

結局仏教、キリスト教の焼き直しです。だからこれはというのはぜんぜんありません。

結局 メシヤ教の独舞台になってますから、これからはますますおもしろいのです。」


信者の発言
「私は、今度出版のお仕事をさせていただくにつきまして、他の宗教の出版物を全部集めて読んでみましたが、それぞれに奇蹟はありますが、やはり自分の想念でなおったこともありますし、

結局その信者さんがその宗教にはいったことを感謝し教祖に御奉仕ということを考えたときに、ああいう奇蹟があるということになるのだと考えました」

明主様御垂示
「そうです。そういうことはうまくできてます。」


信者の発言
「しかし結局のところ、いい加減なものに一生懸命になれば、いい加減なものになるに決まっております」

明主様御垂示
「そうです。こういうことは他にないと思います。それは、「こんなことがあるものかと不承不承でやっていても、なおる」ということは他にありませんでしょう。」


信者の発言
「さようでございます。信じなければならないのです。さもなければ家族の者が一週間なり十日なりお参りしなければならないことになっております」

明主様御垂示
「ですから結局自力です。」


信者の発言
「そこに無理にやるということに一種の偽善が出てまいります」

明主様御垂示
「己れを偽るのです。こっちの特色はそこにあるのです。そんなことでなおるものかと思い、格好を見てガッカリしたりしますが、それでもなおるのです。」


信者の発言
「結局、二六時中と申しますか、すべてはお道のことで割り切れていくということはございません」

明主様御垂示
「そうです。それは他の所ではありません。何かボヤボヤして徹底していません。」


信者の発言
「やはり病気のときは医者へ、金儲けのときは違う、と考えているのでございますから」

明主様御垂示
「そうです。それからこれがたいへんに関係しています。一生懸命に神様にお願いするというと、宗教によっては露骨に言ってます。

日蓮宗などは「薬をのんではいけない、医者に行ってはいけない、そして神様にお願いしなさい」と言ってますが、それは薬をやめるから良くなるのです。

それを「これが御利益だ」と言う間違いがあります。」


信者の発言
「それが大部分でございまして、それを信仰づけたというものでございます。こういうことが出ておりました。

奥さんは熱心で主人は反対という家で、主人が倒れたときに、

奥さんは「あなたが苦しむのはあなたに間違いがあるからです。それを除(と)って、そうして神様を信ずる気持になったらなおるでしょう」と言ったのです。

主人は「馬鹿にしている、薄情な妻だ」と思いましたが、いろいろ考えてみると間違いがある。

そこで神様を拝もうという気になったところが気分が良くなり、奥さんと一緒にお参りしたところが、

先生は「信仰は調和の世界だから、一番憎い人を拝まなければならない、あなたが奥さんを拝むようになれば、神様を通じていただける」というので、奥さんを拝んだところがたいへん気分が良くなった。

すると先生は「その気持ちで直接神様を拝みなさい」というので、一週間日参するとたいへん良くなった、ということが出ておりました」

明主様御垂示
「それは薬をやめたからです。それから気分的にもいくらかはいいでしょう。しかしまあその程度のものでしょう。」


信者の発言
「もう少し難病になりましたら、手はつけられませんのでございますから」

明主様御垂示
「それは手はつきません。ですからメシヤ教が出ないうちはそういうことで、いい加減に助けられたわけです。」


信者の発言
「ああいうのを見ておりますと、メシヤ教信者のわれわれは、明主様の御守護になれ過ぎていることを反省させていただきます」

明主様御垂示
「結局時期です。私もいろんな宗教の話を聞くとか本を読んでだいたいは分かりましたが、ずいぶん酷いのがあります。

特に天理教などはおどかしてます。

「この信仰から離れる者は、どんな災難があるか分からない」ということなどを根強く言ってます。

それはなかなかうまい政策をしているものです。だからほかの信仰に触れるということを恐れるのです。

それからまたその信仰をやめるということは非常に恐れているわけです。

本願寺にしても「他のほうにちょっとでも触れると、死んでから阿弥陀さんの所にいけない」ということをずいぶんよく教育してます。

それからキリスト教でも「贋キリストが出る」とか、「他にいくと救われない」という予防線はなかなか行き届いてます。

メシヤ教のように「他にやりたい信仰があれば、いくらでも行け」というのは、おそらくありません。」


信者の発言
「この間キリスト教のそうとうに偉い人と雑談をしましたときに、聖書に矛盾があるらしいので、あなた方は素直に信じられるかと言うと、信じられないと言うのです。

それなのになぜいるのかと言いますと、キリストの再臨ということを信ずるが故に矛盾があってもあえて許せる。

バイブルは古い本だから間違いもあるだろう。

それがもし現れなければ、その宣布的なことも達せられない。

そういう偉大な人の出現を待つだけだと言うのです。

そこで私はもう出現していると言いましたのでございますが、それが本音ではないかと思います」

明主様御垂示
「そうです。私は、今度の「医学革命の書」に書いてますが、「私は救世主とは言わないし、キリストの再臨とも言わない。

これからの私の仕事の上において、価値があったら、それから信ずればいいだろう」と書いておきました。

看板をあげたり、自分はこうだ、ということは今までにたくさん出ているのです。

それはみんな駄目になっていますから、そういうことでは人が信じないのです。また信じないのが当たり前です。

しかし事実救世主だけの力をもって、再臨のキリストだけのことを事実において示せば、これは信ずるよりありません。それで結構なのです。」


信者の発言
「これも薬毒のためではございましょうが、御守様をいただき世界二十億の人間が頭を下げたらということで、その御力一つを考えましても、ほかのものは何もいらないと思います」

明主様御垂示
「そうです。それから「キリストのような奇跡は、私の弟子でもできるのだから、もう日本には数十万のキリストが生まれている」ということも書いてます。

しかしこれもいずれは分かりますから、結局時節です。」


信者の発言
「いつでございましたか、フランスで御守様をいただきました人がございましたが」

明主様御垂示
「たいへん感謝して手紙が来てました。」


信者の発言
「そのことにつきまして、御守様をいただきまして四、五日後に来た手紙によりますと、胃の悪い人が良くなり、片方の目の悪い人が良いほうと同じ程度にまでなり、やがては良くなるだろう、と書いてございました」

明主様御垂示
「これはヨーロッパに二つの種をまいたことになります。

それから「アメリカを救う」ですが、やはりアメリカ人ではこの題だけを見て、シャクに障ってムッとします。

「なんだ、太い奴だ。日本人はオレ達に救われているくせに「アメリカを救う」だなんて太い奴だ」という感情が手伝うから怒ります。

しかしアメリカにも偉い人はいますから、そういうことは構わずに読むでしょうが、普通一般人としたらそういう感情が出るでしょう。

しかしそれでいいのです。怒らせるのがいいのです。

あれを見ると、アメリカ医学を攻撃してあります。アメリカ医学をそうとう暴露的に書いてあるのですから、よほど公平な頭にならないと、それが邪魔をして分かるのに困難でしょう。

とにかく良いにつけ悪いにつけ、問題になればいいのです。今年からは問題にされます。

しかしその代わり今度は以前とは違いますから、問題にされ方も違います。

この次の「結核信仰療法」は医学界、医者のほうで問題になります。

とにかく「医学が結核を作る」などということになるとたまりませんからね。」


信者の発言
「京都のほうでも、「アメリカを救う」などと、こんなたいへんな本が出るのですが、といっている人がございました」

明主様御垂示
「あの題はみんな非常に褒めます。」


信者の発言
「そして、見た感じが非常によろしゅうございます」

明主様御垂示
「ポスターもいいです。みんな褒めています。

これはちょうど信仰を覆(くつがえ)すようなものです。つまりみんな医者と薬の信者のようなものですから、それを引っ繰り返すことです。

とにかく私の本当の目的は医学の革命ですから、「アメリカを救う」というのは、最初の小手調べにちょっと出したのです。

ですから狙う所は医学の革命です。革命ということは、とにかく今までのものはなくしてしまうということになります。だからこれは世界革命ですから、大きな仕事です。

そのうちでも医学というのは人間の生命を扱うものですから一番重要なものです。その重要なものに対する革命で、これは一つの戦いです。

それで今までの世界で起った革命というのは小さなものです。

私は共産主義も小さなものだと思います。なぜといえば、だいたい共産主義という、一つの主義に共鳴した者だけが、何というか、救われているというよりか一致しているわけです。

それからどんなことをしても全部が共産主義に共鳴することはありません。

この医学の革命は最後においては世界全部が共鳴しますから、その大きさが違います。

ただそれだけの大胆な革命は今までになかったということは、それだけ根本的にはっきりされなかったのです。だからそれだけの革命ができなかったわけです。」


信者の発言
「はっきり申しますと、新しい命をいただくわけでございますから」

明主様御垂示
「そうです。だからどうしても共鳴させざるを得ないわけです。共鳴しないとすれば、まだ分かり方が足りないわけです。」


信者の発言
「メシヤ教は病貧争をなくするといっているのに、反対するということになりますと、その反対する人は病貧争が好きだということになります」

明主様御垂示
「そうです。つまり幸福拒絶ということになります。病貧争がなくなれば幸福になるのですから、それに反対するということは、幸福が嫌いかということになります。

それでなければ「そんなことはない」と言いますが、そういうことを言うとすれば嘘を言うことになり、嘘は人を瞞すということになるから、それなら大いに言ってくればいいのです。

ところが言ってくる人はないのです。ですから私は、大学に行って実際に浄霊して見せてやるとか、医科大学に行って講義をしてやる、そうして質疑応答をするのです。そこにいくだろうと思います。

そうして一方その場で浄霊をして、理論と実際とをやるのです。結局大学です。」


信者の発言
「支部をやらせていただいておりましたときに、その地方でのちょっと偉い人などは最初は威張っておりますが、だんだん分かってくるとペッチャンコになります。それと同じようなものでございます」

明主様御垂示
「そうです。こっちは本当だから、最後には嘘は負けます。

それにはこっちの信者がうんとできなければなりません。

つまり共鳴して分かった者がたくさんできるということになるのです。

ですから今に束になって信者になる者ができるということになります。

だから、これでは医学は駄目になってしまうから、政府や専門家が、良いものなら取り入れよう、悪いものならつぶそうということになります。

ところが、つぶそうとしても、それはできません。」


信者の発言
「こちらはもう試験済みなのでございますから」

明主様御垂示
「そうです。実際その効果によって信者ははいっているのですから、そういうことを言うよりも、家族や自分が病気になったときは、それをなおしてもらったほうがずっと得です。

しかし以前からそういう考えはありましたが、こっちにそういう準備がないとそれはできないのです。

それと、そうとうの信用です。これだけ存在が認められるようになって、そういうことがボツボツできるわけです。

結局時期です。しかし案外早く来ました。どうしても最後は医学革命ということになります。

メシヤ教の仕事というのは、今までにないことばかりをやるので、世の中をびっくりさせるが、そこで、引っ繰り返るような、恐ろしいような、小気味の悪いような、ありがたいような、というわけです。」