医学の革命について 5


明主様御教え 「米国に於ける驚くべき病者の氾監」 (昭和27年9月24日発行)

「下記の報告は本教信者TB君が、米国ノートルデイム大学(カソリック系)に留学一カ年を経た最近一まず帰朝したが、

かねて依頼してあった現在米国における主なる病気の統計を、精査記録したものを持って来たので私はこれを見るや唖然としたのである。

それは余りに私の説を立証しているからである。そうして今日日本人の誰もが思っている事はつい最近までは世界医学の覇権を握っていた彼の独逸(ドイツ)を追抜き、

今日隆々たる米国医学の事であるから、定めし素晴しい成果を挙げているに違いないと予想していたであろうし、私もそう思っていたところ、

事実は全然裏切られており、その悲惨なる現状には驚くの外ないのである。

もし今後もこの趨勢(すうせい)が続くとしたら、この恐るべき状態は益々増大すると共に、いずれは国を挙げての一大危機に直面するであろう事も、想像に難からないのである。


しかも米国が現在一大脅威として、国を挙げてその対策と共に努力しつつある彼のソ連の軍備と、そうして共産主義の執拗な侵略的行動である。

ところがそれとは別なこの健康問題についての重大性も閑却出来ないので、むしろ共産主義以上かも知れないと思うのであって、これこそ一日といえども忽(ゆるが)せに出来ない大問題である。

というのは共産主義の脅威にしても、自由主義国家群の連合の力でともかく抑えられている現状であるに反し、こちらはそうはゆかない。

なぜなれば現代医学の幼稚なるためいまだその原因すら判らず、分っても解決の方法さえ不可能であるとしたら事はすこぶる重大である。

それもそのはずどころか吾々からみれば、実は医学そのものが原因となっているという信ずべからざる程の意外な事実である。

としたらこの点に気付かない限り、今後といえども悪化の一途をたどるのみであろう事は、下記の統計を見ればよく分るのである。

それは年を経るに従い加速度的にあらゆる病気が増えつつある事実である。

従ってこの趨勢が続く限り、向後(こうご)一世紀を経ない内に今日のごとき強大なる米国といえども、急速度に衰退の止むなきに至るのは、断言して憚(はばか)らないのである。


今私は世界の文明諸国を見渡したところ、ともかくキリスト教をもって立国の方針とし、一般国民が神を信じ、正義の行われている国としては、まず米国をもって第一と見てよかろう。

それがまた米国繁栄の基礎ともなっており、偉大な国家としての原動力ともなっているのは争えない事実であろう。

今日世界の平和を維持している国の王者としてはもちろん米国であるとしたら、何よりもまずこの国を救うのが、平和と幸福に対する最大条件であろう。

この意味において一日も速かに同国における病気増大の根本原因を知らせ、解決方法を教ゆる事こそ神の大愛でなくて何であろう。

従って、私は統計の順に一々の病気について、その原因と治す手段と、予防の方法とを詳しく明示して小冊子となし、同国大統領始め、各方面の識者、医学関係者に配布する心算(つもり)である。


ところでここで日本についても言いたい事は、米国医学が如上(じょじょう)のごとき実体であるにかかわらず、今日最も優秀なるものと誤信し、それを採入れようとしているのであるから、実に悲しむべき盲点である。

これも全く唯物科学に囚われている結果で、米国医学の外形的進歩としての施設や、機械の優秀、強力なる新薬の続出等に眩惑された結果に外ならないので、米国と同様危ういかなである。

従って日本の当事者もこの文を読んで速かに自覚されればいいが、依然として迷夢から覚めないとしたら我国の将来も暗澹(あんたん)たるものであろう。

最後に一言したい事は、医学が進歩する程病人が増えるというその鉄則は、現在米国が遺憾なく全世界に示している一事である。」




明主様御教え 「結核信仰療法に就いて」 (昭和28年4月15日発行)

「私は今回発行した結核信仰療法なる著書について、少しかいてみたいと思うが、これを読めば分る通り、全く現代医学に対する原子爆弾であり、挑戦状といっていいかも知れない。

しかし挑戦の言葉は宗教らしからぬ嫌な感じがするが、これも万(ばん)止むを得ないであろう。

というのは、このような著書を出さねばならない程に、医学の誤謬のために大多数の人間が苦しんでいるからである。

そのため私が神から命ぜられている救世の必要上、人類不幸の原因としてのあらゆるものは、除去しなければならないからである。

というのは現在文化の面において、真理にあらざるものを真理と信じている。

それが災いの原因となっているのであって、特に医学の面において最もはなはだしいのであるから、これを先に取上げたのである。

その中での日本の悩みとしては、何といっても結核問題であろう。


著書にもある通り、現代医学が結核を作るという驚くべき説と、この裏付として数多くの実例を添えてあるに対し、初めて読んだ専門家も一般人も、愕然として到底信ずる事は出来ないであろう。

事程それ程現代人は医学迷信に陥っているのである。

しかしながら事実治された本人の手記である以上、一点の疑いを挿(さしはさ)む余地はないのはもちろん、いかなる学者といえども、事実を否定してまで、自説を押通す事は出来まい。というのは絶対真理であるからである。

この著が天下に公表され、専門家が読むとしたら果してどんな感想が浮ぶであろう。

全く革命的爆弾を打(ぶ)っつけられたようなもので、唖然として何らの考えも浮ばないであろう。

何しろ長い間の医学迷信の虜(とりこ)となっている眼で見る以上、信ずるどころではないと共に反対しようもあるまい。

何しろその理由も資料もないからで、ここに深刻なジレンマに陥(おちい)ってしまい、空前の大問題とならざるを得ないであろう。

私とてもこのような大きな問題を起したくは毫もないが、私の使命たるや人類救済であり、その根本が医学の革命である以上、どこまでもその方針で進まざるを得ないという訳で、一度はこの問題に打っつかるのは、予(あらかじ)め予期していた。

という意味において当局も専門家も、私の説が段々分るに従い、重大問題として取上げない訳にはゆくまいから、その対策にいかに頭を悩ますかは想像に難(かた)からないのである。

としたら問題解決は不可能であるから、容易ならぬ事態に立至るのは必然である。

しかもこの解決いかんによっては、当然医事関係者中に、多くの犠牲者を出さねばならない事になろうが、事は人類永遠の生命に関する重大問題である以上、ある程度の犠牲は止むを得ないのである。

何しろ全人類の最大悩みである病が、これによって解決出来るとしたら、いかなる障礙(しょうげ)も物の数ではない。

その結果現代文明の一大転換が起るのは明らかである。

そうして面白い事には、彼の有名なコペルニクスやガリレオの地動説である。

当時絶対信じられていた宗教上の不動説を、科学によって覆えそうとしたので、ついに大弾圧を受け、牢獄にまで投ぜられた。

ところが私の説も右と同様ではあるが、ただ立場が反対であって、今度は宗教が科学を覆えそうとするのであるから、この点大いに注目する必要があろう。

そうしてこの前代未聞の企画者こそ主神である以上、人間としてはどうにもならないのはもちろんで、私といえども神に操(あやつ)られているにすぎないのである。

しかし神を認めない人の多い今日、人間の計画と思うでもあろうが、もしそうだとすれば、これ程科学の盲点を発見し、その裏付けまで出来るという事は不可能である。

従って読者は既成観念を棄て、白紙になって精読すれば、豁然(かつぜん)と目覚めるであろう。」




明主様御教え 「医学に対する挑戦ではない」 (昭和28年6月24日発行)

「左の御蔭話は、「結核信仰療法」の著書の広告を読売紙上で見て本教浄霊を受ける事になり、それが機縁となって早速入信し、救われたという極く最近の生々しい事実である。

そればかりかその事が入院中の患者に知れたため、次々退院、浄霊に縋(すが)る事となったのであるから、結果からいえば宗教が科学に挑戦し、勝利を得た訳である。

しかし私はそんな考えは毛頭ない。ただ医学の誤謬のために多数の患者が言うべからざる悲惨な運命に沈淪(ちんりん)している事実を知る以上、神の代行者として救わなければならないからである。

従って今後もこのような事は至る所に起り、療病転向者も続出するであろうが、これも右のごとく万(ばん)止むを得ないのである。

それについて考えてみて貰いたい事は、昔から医は仁術なりといわれ、正業としているに違いないが、それが逆である事に気が付かないので、結果からいえば善意の悪徳者である。

ゆえにこの人達に対しても一日も早く目醒めさせ、救わなければならないと痛感するのである。

というのは真理の光は必ず逆理を打ち消す事になるからで、結局医学の滅亡も時の問題でしかないのは断言出来るのである。

としたら医業者諸君も、その時になっては時すでに遅しで、今の内考え直すべきでそれをお奨めする次第である。」(事例省略)




明主様御教え 「三日間で博士が出来る」 (昭和28年10月28日発行)

「これは自画自讃ではないが、現在私が揮っている神力のいかに偉大なものであるかは、どんな言葉でも表現は出来まい。

というのは古往今来これ程超人間的力の経験は、人類史上嘗(かつ)てなかったからである。

これは信者はよく知っているから、ここでは未信者を対象としてかいてみよう。

何しろ長い間難病のため医療を始め、世間にありとあらゆる療法は固(もと)より、色々な信仰によっても治らず、悪化に悪化を重ね、進退谷(きわま)った際

本教の話を聞き、早速浄霊を受けるや、今まで想像もしなかったところの素晴しい効果に愕然(がくぜん)と驚くと共に、

自分ばかりか、入信すれば人の病気まで治せる事を知った以上、何が何でも入信する事となる。

ところが二度吃驚(びっくり)、僅(わず)か三日間の教修で、直ぐに人の病気が治せるからである。

そこでたまたま病人に出遇(あ)うや、最初はオッカナ吃驚、怖々(こわごわ)施術してみると、驚くべしお蔭様でこの通り快くなりましたと礼を言いに来るので、

余りの不思議さに治った方より治した方が吃驚し、入信早々こんな力が自分にあるのかと思うと嬉しくて夢のような気がするので、

早速御神書を読んだり先生に訊(き)いたりしてようやく分り、ここに初めて救世教の真価を知るのである。

それから幾人もの病人を治したりして、信仰も固まり一人前の信者となるという訳である。


ここでよく考えてみて貰いたい事は、今日の医学博士である。博士になるまでには少くとも十数年の年月と、百万以上の金がかかるという事である。

それ程の犠牲を払ってまでかち得た博士が、到底不治と匙(さじ)を抛げた難病が、三日間の修業で出来たてのホヤホヤな赤ん坊博士が、たちまち治してしまうのだから、これ程理屈に合わない話はおよそこの世の中にあるまい、といっても事実は飽くまで事実である。

もし嘘と思う人があったら、思い切って真相を暴(あば)いて貰いたい。私はそれを希望する。


以前私は某医師からこういう事を聞いた。それは国民全部が医師になれば、衛生も養生も健康法も必要がなくなり、それで国民保健は解決するという話なので、当時なるほどと思った事がある。

ところがその頃は医学を立派なものと思っていたからであって、今日逆医学だという事が分った以上駄目に決っているが、もしそうだとしても、前記のごとく医師を作るには、大変な金と時を要するから、事実上不可能である。

ところが我浄霊法は前記のごとく三日間で、博士以上の名医になれるのだから、こんな簡単にして偉大な医学はあるまいと共に、国家経済上にも大変なプラスであって、夢としか思えまい。

従って全国民ことごとくが浄霊法を覚えるとしたら、ここに病なき日本となるのは当然で、国家の隆昌(りゅうしょう)は素晴しいものであろう。

その結果日本は世界第一の模範的文化国家となり、各国挙(こぞ)って見習う事になるのは火をみるよりも明らかである。

諸君、何と偉大なる事業でなかろうか。」




明主様御教え 「新聞の売薬広告」 (昭和28年11月25日発行)

「私は日々新聞を見る毎に、心の暗くなる思いをどうする事も出来ない。

知らるるごとく近頃の新聞の売薬広告は目立って多くなったようである。

言うまでもなく薬物が大いに進歩したといわれ、ペニシリン、ストマイ、テラマイ、パス等々、ヤレ何々の薬がよく効くなどと、専門家は言論機関などを通じてハヤシ立てるので、

一般人はそれを丸呑みにしてしまい、懐(ふところ)をハタいて買漁(かいあさ)るのであろうから、大いに売れ、売薬業者はホクホクものだろうが、

これを吾々からみると実に恐ろしい気がする。というのは大切な金を捨てて病の種を買うようなものだからで、

知らぬ事とはいいながら余りに可哀想で見てはおれないのである。

しかも始末の悪い事には売る方もそれを善いと思って行っている事が、金儲けにもなるのだから大威張で、はなはだ結構にみえるが、実をいうと危険千万(せんばん)としか思えない。

もちろんこれらことごとくの薬は麻薬と同様一時抑えにすぎず、本当に治るのではないから、暫くすると必ず再発する。

また薬で抑えるというように漸次悪化しついに慢性となるのは御蔭話中にも沢山出ている通りである。

従ってこの悲惨事を一人でも多くの人に分らせたいと思って、私は絶えず最善を尽くしてはいるが、何しろ根強い迷信であるから容易ではない。

しかも政府はじめそれに携(たずさ)わっている人達は、これによって国民の健康を維持し得ると錯覚しているのである。


このような恐るべき薬の害毒を知らない結果、堂々たる大製薬会社を作り、医師も協力し、政府も援助するとしたら、現在のごとき病人氾濫(はんらん)時代を生んだのも当然で、その愚及ぶべからずである。

そうしてこれが現在文明のあり方であってみれば、この迷蒙を打破するのが世界を救う根本であろう。


これとよく似た日本の例をかいてみるが、知らるるごとく封建時代から大東亜戦争直前までは、忠君愛国をもって最高道徳とし、大多数の殺人者程英雄と崇められると共に、

個人としての武士、軍人階級は一生を通じて殺人の技術を練磨し、一旦緩急あれば義勇公(こう)に報ずるという美名の下に、生命を捨てて顧みない。

それを武士道精神の勇者として称えられ、一家一門の栄誉とさえ思われたのであるから、今日から見れば実に想像も出来ない程の馬鹿馬鹿しさである。

それが敗戦によって一転、民主主義国家となった今日、当時を顧(かえり)みてその野蛮思想に愕然とするのである。


ところがいよいよ天の時来って右と同様な変革が文化面にも今や来らんとするので、その第一条件こそ二十世紀の今日まで薬という毒物をもって、病を治そうとして病を作り、そうして苦しむという恐るべき迷蒙である。

従ってこの迷蒙に終止符を打つのが神から命ぜられた私の大任である。」




明主様御教え 「浄霊医術の実験」 (昭和28年12月16日発行)

「信者は誰も知る通り、私は先頃アメリカを救うと結核信仰療法との二著書を発行したと共に、

数年前から栄光新聞や地上天国の雑誌をもって現代医学の欠陥を指摘し、医学が病気を作るという真相を随分思い切ってかき、

信者は固より当局やその他の方面の人にも出来るだけ読ませるべく配布しているので、

医学関係者の人々の目にも相当触れているに違いないと思うが、今もって何らの反響もないのはどうしたものか。

そうして私の予想では当局も医師会も、これは捨ておけずとして必ずや詰問や弁明を求めて来るだろうと期待していたが、そのような事は一向にないので、負け惜しみかも知れないが、いささか張合抜けがした形である。

というのはむしろそれを要望していたからであって、そうなれば天下に早く知れると思ったからでもある。


言うまでもなくこれ程大きな問題は人類史上未だ嘗(かつ)てなかった事はもちろんである。

何しろ人類から病を無くし、天寿を全うし得るという人間最大の悩みの解決法が生まれたのであるからこれ程偉大な福音はあるまい。

全く夢の現実化である。従ってこれ程の大問題を分らせるとしたら、その方法においても尋常一様の手段では難しい。

どうしても事実によって納得させるより外はないので、考えたのが次のごとき方法である。

それはまず第一着手として私を招聘(しょうへい)して実験を行う事である。

その場合帝大のごとき権威ある大病院を選んで、そこで医師の指定のまま一人一人の患者について徹底的に質問する。

それに対して私は理論からも実際からも、微に入り細に渉っても充分納得のゆくよう解説する。

それと共に医師の面前で病人の苦痛を手を翳(かざ)すだけで片っ端から治してゆき、浄霊医術の卓効を示すのである。

以上は実に大胆極まる提言であるが、もちろん絶対確信があるからである。


そこで右のごとき手段方法によって充分認識されたとしたら、第二段の方法に移るのであるが、

右の実験の場合もしいささかでも私の言と事実との食違いがありとすれば、それこそ私はいかなる責任でも負うのはもちろん、断乎たる制裁をも甘受する。

たとえ再び起(た)つ能(あた)わざるまでに葬られても止むを得ないとして諦めるであろう。

だが私としてそんな分りきった自殺的行為などするはずがないのは考えるまでもあるまい。

従ってこの文を見、今までに発行した私の多くの出版物を見たら、当事者たる者直に調査研究に取掛らない訳にはゆくまい。

それと共に前述のごとき手段方法に出て、その結果果して私の言うがごとしとすれば、ここに大問題として国家は取上げるべきであろう。

そうなったらまず法規上の改正であるから当然議会の問題となるであろうし、今一つの重要問題としては医学関係者に対しての善後策であるが、

これがまた厄介な問題であって、出来るだけ犠牲者を出さないよう徐々として切替える方法がいいであろうから、結末までには相当の期間を要するとみねばなるまい。


以上気のついたままをかいてみたが、何しろ文明史上類例のない重大問題であるから、当局者といえどもこの決意は容易にはつくまい。

そうかといってこの問題は遅かれ早かれそこまで到達するのはもちろんであるから、早いに越した事はないと思う。

なぜなればこれを実行の暁、国民の生命は救われ、延(ひ)いては国運に及ぼす影響も甚大である以上、慎重の上にも慎重を期し、一日も早く採用すべきである。

ところがこれを知っても躊躇逡巡(ちゅうちょしゅんじゅん)するとしても時は許さないであろう。

というのは本療法の支持者は日に月に激増しつつある現状であるから、前途を考えたら猶予は出来ないはずである。

要は個人的利害を犠牲にしても国家人民の幸福を図るべきで、もしこの目的が故障なく運ぶとしたら、ここに病なき日本となり、国家の隆昌はもちろん、世界もこれに見習うのは必然であるから、

日本は世界の救世主として仰がれ、日本民族の汚点は払拭され、輝かしい日本として平和のシンボルとなるであろう。

敢(あ)えて世の有識者諸君に愬(うった)えるゆえんである。」