医学の革命について 3


明主様御教え 「結核の革命的療法 序文」 (昭和26年8月15日発行)

「この著は、私が目下執筆中の、「文明の創造」の第一章「科学篇」中の、医学の一項目から結核に関したもののみを抜萃(ばっすい)したのである。

という訳は、近来結核問題が非常に喧(やかま)しくなって来たからで、結核漸増の傾向は、このままでは到底済まされなくなったからである。

今日政府も専門家も大いに憂慮し対策を練り、出来る限りの方法を行おうとしているが、残念ながら予期の成果は得られそうもないのは、今までに何回となく、右と同様な手段を実行して来たにかかわらず、成果どころか反って逆でさえある事実によってみても判るのである。

その何よりの証拠として、対策が回を重ねる毎に、大規模になりつつある事である。

しからばこれは何が故であろうかというと、全くその根本が誤っているからである。


ではどこに誤りがあるかというと、現代医学の考え方が学理に囚われ過ぎ、実際を無視している点にあるためで、

これに目醒めない限りいかに努力を払うといえども、結核は減らないどころか、益々増加の一路を辿るのみであろう。

それがため国力のマイナスはもとより、個人としてもすくなからぬ負担と、貴重な生命の犠牲とは、蓋(けだ)し甚大なるものがあろう。

私はこれらの悲劇を見る時、到底安閑としてはおれない。一日も早くその誤りに目醒めさせ、真の医学のいかなるものかを、伝えなければならない事を痛感するのである。

現在医学のやり方を見れば、ちょうど地獄行を天国行と錯覚して、バスを走らせているようなもので、危険この上なく、一刻も早く止めなくてはならないからである。


そうしてこの著は、宗教宣伝の目的はいささかもないのはもちろんだが、宗教的色彩が濃く出ているのは止むを得ないので、それでなくては原理を判らせる事が至難であるからである。

そうしてこの著には宗教の外、科学も哲学も織込まれてあるから、現代人のいかなる階級でも理解出来ない事はなかろう。

もちろん理論ばかりではなく、多くの結核患者が日々救われつつあるその感謝に満ちた報告、百人の実例をもあわせて載せてあるから、一読直ちに肯(うなず)けるであろう。

しかも右の報告(省略)は、特に顕著なもののみを選んだのではなく、最近数力月間に来た感謝状の中から、入手したままの順序で、これ以外の例も無数に上るのである。

従って、この療法を採用するとすれば、結核はたちまち漸減され、数十年後には世界に類例のない無結核国家日本となる事は、断言して憚(はばか)らないのである。

このような夢にも等しき大言壮語を吐くという事は、いかに絶対的確信があるかという事である。

もし万が一それが偽りとすれば、私の行為は、いたずらに医学を誹謗し、人類を毒する大罪を犯す事となり、社会から排撃され、永久に葬り去られる事は必定である。

としたら、私といえどもそんな愚かな自殺的行為をするはずがないではないか。

何よりもこの療法に依存する者の、日々増えつつある事実によってみても多くを言う必要はあるまい。

ただこの療法を採用するだけで、最も難問題とされている結核は容易に解決出来るのである。

とはいうものの当事者に与える影響もすくなくないとは想うが、人類救済という大きな見地からみれば、また止むを得ないであろう。」 (「結核の革命的療法」より)




明主様御教え 「結核信仰療法 序文」 (昭和27年12月1日発行)

「本著は結核医学に対する原子爆弾であり、医学の革命書であり、天国の福音でもある。

何となれば現在までにおける医学的結核療法は根本的に誤っているからである。

というと何人(なんぴと)も驚くであろうが、これが現実である以上そう言わざるを得ないのである。

そうして本当の事を言えば、医学が結核を作り、結核患者を増加しているという信じられない程の事実である。

見よ、政府も専門家も、年々巨額の国帑(こくど)を費やし、施設万端出来る限りの手段を尽しつつあるにかかわらず、年々増加の傾向にさえあるので、このままの方策を続けるとしたら、表面の数字はとにかくとして、事実は増えるのみである。

なるほど最近は相当減ったと言われているが、実は本当に減ったのではなく、薬物その他の方法での一時抑えのためであるから、いずれは形を変えた病気か、あるいは悪性結核続出となるのは、火をみるよりも明らかである。

しかもこの病気は青年層に多い以上、重要産業にも大いに影響を及ぼし、国力の低下は免れないとしたら、早急に解決しなければならない重大問題である。


私はこの事を二十数年以前発見し、その後数万以上の患者に実験の結果、動かすべからざる真果を認めると共に、現在毎日私の弟子をして、幾万の患者を救いつつあるのであるから、この空前にして画期的療法をあまねく知らせ、結核に悩める大衆を救うべき念願の下に、まずこの著を最初の一弾とするのである。

もちろんこれ程進歩した現代医学を、真向(まっこう)から否定する以上、いかに絶対確信があるかを認識されたいのである。

右のごとくであるから、この原理を信じ実行に移すとすれば、結核は年一年漸減(ぜんげん)し、ついには無結核日本否世界となるのは、断言してはばからないのである。

しかも費用の点に至っては零に等しく、仕事も休まず、感染の憂いさえないのであるから、これ程理想的医術はないであろう。

事実今日社会全般をみる時、結核という嵐の中に身を置き、危険にさらされながら、どうしようもない惨状を見る私は、到底晏如(あんじょ)としてはおれないのである。

といって政府始め専門家、一般社会に知らせようとしても、中々簡単にはゆかない。

何となればこの原理が宗教人から出たという理由で、科学万能に囚われている現代人としては、容易に受け入れ難いからである。

そうかといってこのままで進むとしたら、国民保健の将来は、果してどうなるであろうかを考える時、実に寒心に堪えないのである。

(この著は医科大学を始め、大病院、療養所、専門家、各大臣、国会議員、新聞社、関係方面へも出来るだけ配布するのはもちろん、

世界的には英訳して、ノーベル賞審査委員会、各国の大学、大病院、医学関係方面に、広範囲に頒布するつもりである)」 (「結核信仰療法」より)




明主様御教え 「アメリカを救う 序論」 (昭和28年1月1日発行)

「今回本教信者立松文二君が、米国ノートルディム大学(カソリック系)に留学、一カ年を経た最近ひとまず帰朝したので、

かねて依頼してあった現在米国における主なる病気の統計を精査記録したものを持って来たので、私は一見するや愕然としたのである。

それは同国における驚くべき病者の氾濫であって、全く私の説を立証して余りあるからである。

そうして今日日本人の誰もが思っている事は、つい最近まで世界医学の覇権を握っていた彼の独逸(ドイツ)を凌駕して、隆々たる今日の米国医学の事であるから、

定めし素晴しい成果を挙げているに相違あるまいと共に、私もそう思っていたところ、

事実は余りに裏切られており、その悲惨なる現状には、到底見るに忍びないものがある。

従って今後もこの趨勢が続くとしたら、この恐るべき状態は益々深刻の度を加え、いずれは国を挙げての一大危機に直面する日の来ないと誰か言い得るであろう。


しかも米国が現在国を挙げてその対策に腐心し努力しつつある彼のソ連の軍備と、共産主義の脅威であるが、これも重大には違いないが、

それとは別な意味でのこの健康問題に至っては、むしろそれ以上の重大性があろう。

何となれば共産主義がいかに侵略の爪を伸ばすといえども、自由主義国家群の連合によって、軍備を充実すれば防止出来ない事はないが、この方はそうはゆかない。

なぜなれば現代医学の余りにも無力であるからで、まだその原因すら分っていないばかりか、たとえ分っても解決の手段は絶対あり得ないからである。

としたら前途は全く暗黒の一語に尽きるであろう。

これを吾々からみれば現代医学そのものに、恐るべき一大欠陥が伏在している事である。

にもかかわらず全然それに気が付かず、むしろ反対な方向に進んでいるのである。

それは左記の統計(省略)を見れば分る通り、年を経る毎に加速度的に、あらゆる病気が殖えつつある現状で、

もしもこのままとしたら、向後一世紀を出でずして今日の強大な米国といえども、急速度に衰退の止むなきに至るのは断言出来るのである。


その例として現在ヨーロッパにおける高度の文明国家としての彼の英仏である。

両国近来の衰え振りはどうであろうか。

彼のトラファルガー戦争時代の英国といい、ナポレオン戦争時代の仏国といい、

その国民の元気を今日と較べたら、余りの異いさに驚かざるを得ないのである。

この原因こそ全く誤れる医学の結果に外ならない事は、以下の解説によって判るはずである。


そうして今私は世界の文明各国を見渡したところ、ともかくキリスト教をもって立国の方針となし、一般国民は神を信じ、正義の行われている国としては、まず米国をもって第一とせねばなるまい。

それが米国繁栄の基礎でもあり、今日のごとき偉大なる国家となった原動力でもあろう。

という意味において今日世界の平和を維持出来る力をもつ国としたら、同国を措(お)いて他にない事は言うまでもない。

この意味において何よりもまずこの国の国民の健康をよりよくする事こそ焦眉の急であり、世界の平和と人類の幸福に対する最大条件であろう。

従って私は一日も速かに同国における病気蔓延の趨勢を食止めると共に、なお進んで病なき米国たらしめるべく、まずこの著によって自覚を促さんとするのである。

そこで私は統計の順に一々の病気について、その原因と治す手段と、予防方法と、治病実績とを詳しくかいて英文に訳し、大統領始め各方面の識者、医事関係者等に頒布するのである。


ところで日本人についても言いたい事は、米国医学が如上(じょじょう)のごとき真相であるにかかわらず、

今日最も進歩せる医学と誤信し、これを採入れようとしているのであるから、実に恐るべき迷妄である。

これも全く唯物科学心酔の結果、米国医学の外形的進歩に眩惑されたからであろうが、これを考えれば日本も米国と同様まことに危いかなである。

ゆえに日本の当事者もこの著を読んで、速かに目醒められん事を望むのである。

最後に一言したい事は、医学が進歩する程病人が増えるという厳たる事実は、現在米国が遺憾なく全世界に示している事である。」 




アメリカを救う 広告文 (昭和28年1月24日発行)

「本書は・・・英訳して米国の識者に頒布するためのものであるが、特に日本の識者、医事関係者、病人にも広く読んで戴き度く、ここに邦文出版の運びになったものである。

最近本教の調査によれば、米国における病人の数は年々増加の趨勢(すうせい)にあり、現在医師の診療を受けている者だけでも、一千七百万人というのであるから、同国の人口一億五千万に対し一割強に当る訳である。

従ってこのままを続けるとしたら、将来恐るべき事態に立至るのは言うまでもあるまい。

何しろ世界の平和維持に対し唯一の強力国家としての同国国民の体力が弱るとしたら由々しき大事である。

原因はもちろん医学の誤謬にあるのであるから、その誤謬を同国民一般に知らせ、真の医学に目醒めさせるのが本著の目的であって、

現在最も困っている病気の一々についてもその原因、療法等を根本的に説くと共に、その例証として我浄霊法による全快者数十人の手記をも載せてあるから、日本人にも他山の石として推奨するゆえんである。」




明主様御教え 「医学革命の書 序文」 (昭和28年)

「およそ人間としての最大欲求は、何といっても健康と長寿であろう。

他のあらゆる条件が具備してもこれが得られないとしたら、何ら意味をなさないのは今更言うまでもない。

従って人間生の執着ほど強いものはなく、この執着から離れられないのが人間の特性である。

といってもそれを免れる事の不可能なるがため、今日までは諦めていたに過ぎないのであって、もしこの解決可能な方法が発見されたとしたら、これこそ人類にとっての最大福音であり、大問題である。

ところが喜ぶべし、その欲求は完全に達せられたのである。

すなわちすべての病気は医(いや)され、天寿を全うし得るという実に驚くべき新医術が、私によって創造された事であって、

この医術が普く世界に知れ渡るにおいては、既成医学は当然革命されなければならないと共に、人類の理想たる病なき世界はここに実現するのである。


そうしてまず現在に到るまでの医学の歴史からかいてみるが、そもそも今日の医学なるものは、

知らるるごとく西暦紀元前、彼の有名な医聖ヒポクラテスによって創(はじ)められ、

その後 欧羅巴(ヨーロッパ)においては医療以外、信仰、星占、霊療法等様々な治病法が現われ、

東洋においては古代から神儒仏の信仰による医しの業をはじめ、

易占(えきせん)、禁厭(きんえん)等の外、中国(しな)漢時代に到って漢方医術が生まれ、

中国全土は固(もと)より、特に旺(さか)んに採入れられたのが我日本である。

西洋医学渡来前までは、今日の西洋医学のごとく漢方が一般に普及された事は衆知の通りである。


ところが十八世紀後半に到って、俄然台頭(たいとう)したのが科学である。

これが素晴しい勢をもって欧羅巴全土は固より、世界各地に拡がり、ついに今日のごとき科学万能時代が現出したのである。

それというのもあらゆるものが科学によって解決され、それまで不可能とされていたあらゆるものが可能となる等々、ついに絢爛(けんらん)たる近代文明が確立されたのである。

従ってこの恩恵に浴した人類は、科学をもって無上のものと信じ、科学ならでは何事も解決出来ないとする一種の信仰的観念にまでなったのである。

特に医学をもって科学中の最も重要な部門として扱われた結果、人間生命の鍵をも握ってしまった事は、ちょうど宗教信者が神に対する尊信帰依と同様で、

他を顧りみる事さえ異端視せられるというようになり、世は滔々(とうとう)として科学信仰時代となったのは知る通りである。

これによって医学は客観的には驚くべき進歩発達を遂げ、人類の福祉は一歩一歩増進されるかに見えるが、

一度冷静な眼をもってその内容を検討する時、これはまた意外にも進歩どころか、

反って逆コースの道を盲目的に進んでいる有様であって、その迷蒙(めいもう)なるいうべき言葉はないのである。

何よりも事実がよく示している。それは病気の種類は年々増え、罹病率も減るどころか、益々増える一方である。

その結果人間は常時病の不安に怯(おび)え、寿齢にしても一般人は六、七十歳が精々(せいぜい)で、それ以上は不可能とされている。

上代の文献にあるごとき、百歳以上などは昔の夢でしかない事になってしまった。

もちろん百歳以下で死ぬのはことごとく病のためであるから、言わば不自然死であるに反し、自然死なら百歳以上生きられるのが当然である。

というように人間の健康は極めて低下したにもかかわらず、それに気付かず、ついに病と寿命のみは宿命的のものとして諦めてしまったのである。

しかもそれに拍車をかけたのが彼の宗教であって、それはこう説いている。

すなわち死は不可抗力のものであるから、その諦めが真の悟りとして諭(おし)えたのである。

彼の釈尊が唱えた生病老死の四苦の中に病を入れた事によってみても分るであろう。


そのような訳で現在の人類は、病の解決は医学の進歩による以外あり得ないとし、万一医療で治らない場合、止むなき運命と片付けてしまう程に信頼しきったのである。

ところがこれこそ驚くべき迷蒙(めいもう)である事を、私は神示によって知り得たのである。

というのは医療は病を治すものではなく、反って病を作り悪化させ、ついに死にまで導くという到底信じられない程のマイナス的存在であるという事と併(あわ)せて、あらゆる病を治す力をも与えられたのであるから、

これによって普く人類を救えとの神の大命であって、今日まで不可能と諦めていた夢が、現実となってこの地上に現われたのである。

現在私の弟子が日々何十万に上る病者を治しつつある事実によってみても、何ら疑うところはあるまい。

万一疑念のある人は、遠慮なく来(きた)って検討されん事である。


以上のごとくこの驚異的新医術の出現こそ、今日までのいかなる発明発見といえども比肩する事は不可能であろう。

何しろ人類から病を無くし生命の延長も可能になったとしたら、彼のキリストの予言された天国の福音でなくて何であろう。

これが世界に知れ渡るにおいては、一大センセーションを捲き起し、世界は百八十度の転換となるのは火を睹る(み)るよりも明らかである。

最近の大発見として世界に衝撃を与えた彼の原子科学にしても、これに比べたら問題にはなるまい。

私は叫ぶ、最早人類最大の悩みである病はここに完全に解決されたのである。

ゆえにこの著を読んで信じ得られる人は天国の門に入ったのであり、これを信ぜず躊躇逡巡(ちゅうちょしゅんじゅん)、何だかんだといって見過す人は、

せっかく天の与えた幸福のチャンスを自ら逃してしまい、いずれは臍(ほぞ)を噛む時の来るのは、断言してはばからないのである。」




明主様御教え 「医学革命の書 序論」 (昭和28年)

「人類は今日まで実に恐るべき過誤を犯して来た。恐らくこれほど大きな誤算はあるまい。

それは何かというと医学である。何しろ人間にとっての最も貴重なる生命を、保持するものとしての重要な存在であるからである。

しかるにこれが前記のごとしとすれば、これ以上の大問題はあるまい。

従って現在文化の素晴しい進歩によって、人間に与えられているところの、礼讃し感謝しても尽し切れない程の福祉も、この医学によってその功績を抹殺しても、なお余りあるくらいである。

ところがこれほどの誤りを今日まで気付かなかったという事は、実に不可解というべきである。

ところが神の大愛はいつまでもそれを許されるはずはない。

ここに医学の蒙を啓くべく、断乎(だんこ)としてその手段を執(と)られ始めた。すなわち医学の革命である。


昔から革命と名の付くものは幾度かあったが、それは一国家、一民族、もしくは一時代、一思想といったように限られていたが、

今私が行わんとするこの医学革命に至っては、全人類の生命を永遠に救うという、

その福祉の大きい事は、破天荒(はてんこう)といっていいか、画期的といっていいか、言葉では現わす事は不可能であろう。

要するに神は全人類苦悩の根本である医学の過誤に目醒めさせるべく、私に対しそれに必要な智慧と力を与えられたのであって、この事こそ真理の具現であり、救いの基本的条件である。

ところが人類は何千年間にわたって真理を知らなかった。

否神はある事情によって知らせなかったのである。

しかしいよいよ天の時到ってここに真理を知らせ、文明転換という史上空前の偉業は開幕されたのである。

これこそキリストのいった「世の終り」であり、「最後の審判」であり、世界的大清算である。


この時に際して、神の大慈悲は今やこの渦中に巻込まれ、溺(おぼ)れんとする最大多数の生命を救わんとするのである。

もちろんこの大清算こそ、既成文明の欠陥を明らかにし、真の文明のあり方を教え、神の大目的たる理想世界を実現せられるのである。

これもキリストのいった「天国」、釈尊のいった「弥勒の世」、本教のモットーである「病貧争絶無の世界」であり、

その根本こそ何といっても人類から病を無くす事である。

以上のごとく私は、古往今来夢想だもしなかった大胆極まる宣言をするのであって、これは神言である以上、一点の誤りはないのである。

この意味において本著を精読するや、ここに豁然(かつぜん)として目覚むるであろう。」




明主様御挨拶 「宗教と科学を超越しての会合」 (昭和28年9月23日発行)

幹部の説明
「記者いわく

栄光二一八号に「超奇蹟」として御発表せられた、この素晴しい奇蹟について、「広く世界に知らせたい」との明主様の御言葉もあり、

岡田道一博士の骨折りにて、六名の医学博士を招き、意見の交換がかわされたのであります。

この日(八月十五日)午後三時、大草管長よりの挨拶があって後、まず医師側より発病当時の状況の聴取があり、

ついで教団側との間に一問一答がかわされ、次第に急所へと触れていったのであります。

明主様には午後三時四十分御出ましになられ、各医師より診断の結果の発表があり、終って明主様より御言葉を賜わったのであります。

以下その時の明主様の御言葉と、各医師の診断の結果とを速記によってお知らせ致します。

なお、当日は産業経済新聞記者二名、報知新聞記者一名が臨席致しておました。」(木原道治)



明主様御言葉
「一言お話ししたいと思いますが、宗教家でありながらお医者さんをお招きしてこういう不思議なことがあったということをお見せするのは、

これは医学とか宗教というような意味を超越して、こういう事実があるということを世界中に知らせたいくらいなものです。

そうしてこれに対して、学者ならざるも、そういったことに関心を持っている人達に一つの研究の材料として提供したいと思うのです。

そこでこの問題の重点は、全部なくなっていたものが新生したか、あるいいは重要な機能が一時引込んでいたものがまた出て来たのか、というところにあります。


ところが私の立場から申しますと、これは確かに新生したものです。

そこでなくなったものが新生するということは理屈に合わないということになりますが、そこで奇蹟ということになります。

というのは、あり得べからざることがあったということが奇蹟です。

ところがあり得べからざることという言葉は、あり得ることを未だ発見できないためにあり得べからざることと断定したがるのです。

ですからしてこれはあり得べきことと立派に説明できるまでに科学が進歩してないと思います。

いずれ科学がもっと進歩すれば、これが当り前だ、こうあるべきだ、というところまで行くと思います。

私の考えでゆくと、これは当り前のことで、全然なくなった物が元通り出るということは何ら不思議はありません。

しかしただそういったところで到底信じられる訳はありません。


そこで私は今「医学革命の書」という本を書いてますが、その中にそういう点を根本的に詳しく書いてありますが、

いきなりそのことを話しても絶対に分りかねることは分ってますから、ただ今はその説明は致しません。

何となればそれ程の神秘をあばくのですから、神秘をあばくとすると相当な予備知識が必要です。

ですから現代人が現代の科学の頭脳をもってそれを理解するということは到底不可能です。

予備知識というと変ですが、大体分り得る程度に順序を追って説明しなければなりません。

しかしそれは人によって程度がありますが、すっかり分り得る人は滅多にありませんが、「ははあ、そういうものかな」と大体のことは分ると思います。

大それた話ですが、科学がもっと発達した暁にはそこに行くに決ってます。


原子爆弾を落す前にその説明をしても分る人はないでしょうが、ちょうどそれと同じです。

私のいうのは、理論物理学のもっと先を説いているつもりです。

今湯川博士は物性論の説明をしてますが、あれは中間子の発見から物性論になったのですが、物性論からその次に行く所がありますが、それを私はすっかり書きました。

今の科学を押し進めた奥の奥を説けば、今の睾丸や陰茎が取れて元通りに新生するということはそう不思議はありません。

私のいうことは馬鹿馬鹿しい大言壮語と思われるようなことですからあまり話したくありませんが、これによって今度本を読んで頂けば、私の話がここの事だなとヒントを得るに便利だと思いますからお話しした訳です。

医学革命といっても私が革命するのではなくて革命されなければならない道程に進んで行く訳です。

それが実際の文化の進歩であり、そうなるべきが当然です。」