国連防災会議:「避難しない」選択も 被災介護施設長訴え

毎日新聞 2015年03月17日 12時14分(最終更新 03月18日 09時05分)

震災当時の避難の状況を説明する高木健さん=仙台市青葉区で2015年3月17日午前9時44分、喜浦遊撮影
震災当時の避難の状況を説明する高木健さん=仙台市青葉区で2015年3月17日午前9時44分、喜浦遊撮影

 仙台市で開催されている国連防災世界会議の公開フォーラムで17日、福島県楢葉町の通所介護施設(休止中)の施設長、高木健さん(49)が、東京電力福島第1原発事故で避難先を転々とした体験を踏まえ「避難しない『籠城(ろうじょう)』という選択肢もある」と提案した。避難のため3カ所を移動しているうちに体調を崩す利用者がいたといい、「避難しない選択肢」も社会で共有すべきだとの結論に達したという。

 高木さんは「福島で起きたこと」をテーマにしたトークセッションに参加した。

 2011年3月12日早朝、町職員から避難方針を告げられ、前日から帰宅できずにいた利用者11人、職員8人とマイクロバスなど4台で施設を出発した。最初に避難した同県いわき市の小学校体育館は扉が開いたままで冷え込み、自宅にいるようにふるまったり、幻覚症状を示したりする人も出始めた。

 「これでは持たない」。同13日、同市内の特別養護老人施設に受け入れてもらったが、食料不足で15日朝に出ていかざるを得なくなった。友人の尽力で避難先に決まった千葉県の施設にたどり着いたのが16日未明。自分の体重を量ると、6キロ落ちていたという。

 高木さんは「自分の判断は正しかったのか」と自問自答してきた。寝たきりや病状の重い高齢者は車に乗せるだけでも危険が伴う。

 実際に原発事故で避難しなかった施設として、福島県飯舘村の特別養護老人ホーム「いいたてホーム」がある。高木さんによると、避難先を転々とした施設で1年間の死亡率が高くなる傾向があったが、同ホームは事故前とほとんど変わらなかった。高木さんは1週間程度は耐えられる水や食料、燃料の備蓄を促している。

 楢葉町は町域のほとんどが第1原発から20キロ圏内にある。圏内は避難指示解除準備区域に指定され、立ち入りや日中の滞在は可能だが、原則として宿泊はできない。施設に居続けた場合の被ばくについて、高木さんは「いいたてホーム内の放射線量は1時間あたり0.2〜0.3マイクロシーベルトだった。今回の事故の規模なら目張りして施設待機し、安全な避難ルートが確立されてから短時間で移動させる方が、命を守るうえで一番だと思う」としている。

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