玄界灘を行く1隻の船。
乗っているのは東日本大震災の被災地宮城県の職員です。
向かった先は福岡市沖の玄界島。
以前はあそこは小学校だけ被害を受けたもんですから…。
島は10年前大地震に襲われました。
壊滅的な被害を受けた住宅街。
僅か3年で異例の早さの復興を遂げました。
その秘けつを知りたいと東日本大震災のあと東北の被災地から視察が相次いでいます。
(取材者)3年でなったって…。
しかし視察に来た人たちが聞かされたのは島の暮らしの思わぬ変化でした。
答えたのは島の自治会長です。
地震の前は家族6人で生活していました。
今は集合住宅で独り暮らしです。
復興のモデルと呼ばれる島で変わりゆく暮らしと人々のつながり。
玄界島の10年を見つめます。
福岡博多港から高速船で35分。
およそ500人が暮らす玄界島です。
一年を通じて海の幸に恵まれた漁業の島です。
このこういう岸壁が出来る前は砂浜でしたもんねここは全部。
元漁師でうにやあわびわかめを採っていました。
10年前の地震の時も上田さんは漁に出ていました。
その島。
ガタガタといってあの島が崩れたね。
この島も見えなかったです。
もう砂ぼこりで。
2005年3月20日。
福岡県西方沖でマグニチュード7の地震が発生。
玄界島は壊滅的な被害を受けました。
死者はなかったものの山の斜面に密集していた住宅の7割が全半壊。
その日のうちに全ての住民が島を離れ避難生活を強いられました。
島の人たちはすぐに復興に向けて動き出します。
地震のあと1か月余り復興対策検討委員会を設立しました。
検討委員会は漁協や自治会の代表などで構成。
福岡市に住宅地を再建してほしいと求めました。
これを受けて福岡市が示した事業の計画です。
まず集落の土地全てを市と国の予算で買い上げます。
一旦さら地にした上で港近くのまとまった平地には公営の集合住宅を建設。
戸建てを希望する人には斜面の土地を割り当てます。
この計画が最も早くできると説明されました。
ただしこの計画は先祖代々の土地を手放す事に全ての住民が同意する必要がありました。
上田さんは当時自治会の役員でした。
毎日顔を突き合わせる島の人間関係が意見を取りまとめるのに役立ったといいます。
島民たちは一致団結して復興に当たりました。
市の方針が示されてから僅か3週間で全ての住民が同意したのです。
2年後集合住宅が完成。
引っ越しは島の人みんなで手伝いました。
次の年には住宅街も再建を終えました。
過去の地震災害と比べて異例の早さでした。
いち早く復興した玄界島。
しかし上田さんの生活は一変しました。
かつては息子の家族と6人で暮らしていた上田さん。
避難先から戻る時世帯を分けて集合住宅で生活する事を選びました。
息子の家族に負担をかけたくなかったといいます。
80歳を越えて初めての独り暮らし。
これまで料理をした事はほとんどありません。
今島の4軒に1軒は独り暮らしの世帯です。
復興の証しである集合住宅。
これまで2人が誰にもみとられずに亡くなりました。
肩が触れ合うほど狭い道で立ち止まって言葉を交わすのが島の日常でした。
復興後幅が広くなった道路。
何しよっと?お医者?お医者。
歩きやすくなった分立ち止まる事は少なくなったといいます。
島の人が気軽に集まる場所も無くなりました。
地震の前島には旅館がありました。
毎日のように地元の人が集まり寄り合いが行われていたといいます。
しかし旅館の経営者は借金をしてまで建て直すのは難しいと再開を断念しました。
長崎大学が行ったアンケート調査では「復興後つきあいが減った」と答えた人は6割を超えています。
おはようございます。
地震から10年。
島を離れる人も後を絶ちません。
IwenttoNewZealandlastsummer.じゃあ摂南。
中学3年生の酒井摂南くん。
この春高校進学に合わせて親と一緒に島を離れる予定です。
地震が起きたのは摂南くんが5歳の時。
小学校の入学式は仮設住宅で迎えました。
小学3年生の時島に戻りました。
下りなさい!やだ〜。
島の子どもたちと共に育ってきました。
摂南くんの母親美雪さんです。
毎日船に乗って博多にある病院に通い介護福祉士として働いています。
島を復興する時美雪さんたち若い世代は雇用の場も増やしてほしいと望んでいました。
しかし住宅の再建が優先される中で美雪さんが働ける場はできませんでした。
仕事が終わると定期船で島へ帰ります。
悪天候で欠航し帰れない事も毎週のようにあります。
摂南くんが進学する高校は片道1時間半かかります。
美雪さんは自分のように不便な思いはさせたくないと親子で島を離れる決断をしました。
復興の直後島で暮らす40歳未満の人は176人いました。
その数は今2割以上減っています。
親の仕事や自らの進学。
15歳で向き合う島の現実です。
自治会長の上田さん。
先月博多港に向かっていました。
訪ねたのは港の近くにあるお寺。
毎月必ずここに来て島の将来を案じています。
去年の夏玄界島で行われた町おこしのイベントです。
島の外の人を招いて豊かな暮らしと自然をアピールしました。
しかし若い世代が減る中イベントの担い手が不足。
今年は開催が危ぶまれています。
島を盛り上げる機会をなくしたくない。
上田さんは地元の役場と相談する事にしました。
役場の協力を得ながらイベントの開催を目指す事になりました。
この春島を離れる酒井美雪さんと摂南くんの親子。
今週新しく住む家を訪れました。
摂南くんの部屋です。
棚には島の親友と写した写真を置きました。
福岡県西方沖地震から10年。
復興を経て変わりゆくふるさと。
春を待つ玄界島です。
2015/04/05(日) 08:00〜08:25
NHK総合1・神戸
目撃!日本列島「復興の島で〜福岡県西方沖地震 玄界島の10年〜」[字]
10年前、福岡を襲った大地震。壊滅的な被害を受けた玄界島では、住民たちの団結で、3年で街を再建した。だが「復興のモデル」と呼ばれる陰で、島には予想外の変化も…。
詳細情報
番組内容
2005年3月20日、福岡県西方沖地震で壊滅した玄界島の古い街並み。住民が一致協力して整備方針を決め、集合住宅が並ぶ整然とした街に生まれ変わった。異例の早さは復興のモデルとされ、東日本大震災後、視察が相次いでいる。それから10年。毎日のように人が集っていた街角はなくなり、お年寄りが孤独に亡くなるケースも起きた。島を離れる若者も増えている。復興の一方で何が起きたのか、玄界島の10年を見つめる。
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
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