(ナレーション)
2014年10月26日
(ほら貝の音)
およそ450名の山伏たちが列をなし御所を目指した
(ほら貝の音)
(読経)
内裏に参上し紫宸殿に向かって唱えられる般若心経
(読経)
それは時の上皇から寺を賜り修験道を広めた高僧を偲ぶ法要であった
(宮城さん)増誉大僧正はですね行足の面「行」とそれから「足」…行足っていうのは足ですね。
足をもって実際に布教して活動してそして地役を得てると。
なればこそ白河上皇が寛治4年に熊野詣をなさったときに増誉は熊野詣のご案内をしてで無事に京都へ帰って来られた。
そういう功績があったというのはやはりその行足の面が秀でていたということになるでしょうね。
ですから帰っておいでになって増誉に対して聖の身体を護ったという意味で聖護院という「聖」と「護」を取ったお寺を下された。
皇室ゆかりの門跡寺院…
寛治4年西暦1090年に開かれた修験道の総本山である
明治維新までの間に皇室より25人の門主を迎えてきた
次々に現れる部屋
数多の皇族を迎え入れてきた格式を物語る
それぞれの部屋は狩野派の絵師による障壁画で荘厳されている
光格天皇が公務を執行した…
研
あらゆる準備を整え己を磨くべし
後水尾天皇の女院御殿を移築したとされる書院
威厳を抑えた女性好みの空間である
違棚に施された…
蝋燭の灯が灯ると美しい影が揺らめく
花頭窓には建築当初のガラス
現代の工業製品にはない味わい
天明8年世に言う「天明の大火」で御所が焼失
時の帝光格天皇は聖護院に避難した
この一夜造御学問所は急いで建てられた天皇の私室
内裏再建までのおよそ3年間使用されたという
掌に乗るほど小さな阿弥陀仏
光格天皇が自ら刻んだとされる念持仏である
光格天皇はここ聖護院で役行者にその諡を授けた
役行者が開いた修験道
日本古来の山岳信仰が仏教や道教と結びついて生まれた宗教である
自然の中で厳しい修業を重ね心と身体を鍛える
聖護院の開山増誉
若くして大峰山葛城山で修行を重ね霊験を現したという
(宮城さん)堀河天皇のお后の苡子っていう方がお亡くなりになったときにね堀河天皇は増誉を召してねもういっぺん息を吹き返らしてくれということをおっしゃるんですよね。
で増誉が修験のご祈祷を真剣に取り組んだところやがて苡子は息を吹き返してね堀河天皇と再びまみえてお話しを交わして亡くなられたということがですね出てて宮中はですね増誉のその法力に震撼したということが「寺門高僧伝」に出てるんです。
昨年10月
京都御苑に全国各地からおよそ450名の山伏たちが集まった
増誉900年の遠忌で御所に参じる
(ほら貝の音)
宜秋門を経て朱塗りの承明門へ
(ほら貝の音)
やがて聖護院門主が輿に乗って到着した
(宮城さん)四方輿に乗ったままで門主が紫宸殿の前にある承明門まで入るっていうのは非常なことなんですよ。
歴代の親王が大峰に修行するときには必ず御所へ乗り物に乗ったままでお入りになって天皇の肌着を預かってそしてそれを大峰に入ってお加持してまた輿に乗ってですねその肌着を天皇のとこへお返しに行くと。
ですから聖護院が御所へ…参内行列というのになりますと今でも輿に乗ったままで承明門の前まで乗り込むことができたと。
御所の神々修験の神々に国家安泰世界平和皇室安泰そして人々の幸福を願う
(読経)
祈祷を終え聖護院へ
門主は四方輿で御所を去る
(読経)
修験道総本山そして皇室ゆかりの門跡寺院
2つの格を経糸と横糸に900年を超える歴史を紡ぎ続ける聖護院である
心にしみる音色尺八の世界をご紹介します
2015/04/05(日) 06:15〜06:30
MBS毎日放送
美の京都遺産[字]
「聖護院・2」
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
福祉 – 文字(字幕)
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サンプリングレート : 48kHz
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