2015年4月 4日 (土)

小児慢性で怒られて・・・ *ブルーな気持ち*

 小児慢性医療券のシステムが変わって 3つの病院と地元薬局の名前を記載してもらった私。 小児慢性申請するのも 毎年毎年 医師に診断書書いてもらってお金もかかるし 面倒だし 東京都は「子」医療証があるので 1回200円の診察でもいいじゃないかと思ってしまう。
 娘みたいなレアな疾患だと 国として厚労省がカルテを残すと言われれば日本全国にデーターの共有じゃないけど 乳幼児医療証でほとんど手術代は自己負担してないし・・・ 入院中の経管栄誉とかミルク代(母乳だったけど)親が負担する割合分しかしないでお世話になった。 子供の医療費=国税 ということは子育て支援対策であり 国の政策である。 必要な時(3歳まで)は お願いして それ以降は切り捨てるのも自分勝手すぎるような気がして データー提供の為に 診断書代を 負担する。 
 でも それが実際役に立っているかどうかは 実感が無い。 なぜならどのように国が娘のカルテを保管して 医師達に共有しているかは 見えない。 つまり私達から見て不透明なのだ。 
 家族の医療費を 計算したら頭が痛くなった。 市役所の福祉課に 止めてもいいか聞きにいった。 申し訳ない気持ち・・・罪悪感もぶちまけた。 心臓障害だけじゃない無脾症の娘。 新制度は私にとって キャパシティーオーバーであった。 理解出来ない世界 理解したくない世界 意味不明の世界である。 医療費って複雑で その分野を専門にやってないと やっぱり分からない。 分からないって言うこと自体が いけないことかもしれない。 
 娘の問題が 心臓だけじゃなく てんかん発作とか 知的の障害とか 逆流症とか 脾臓が無いとか 全部かかっている病院が別とか 親として言葉に出して言ってはいけない言葉 「あ~ 面倒くさい」 が本音である。
 心臓の病院は 心臓しか診ません。 てんかん発作の病院は 心臓は専門外です・・・で紹介状や報告する手紙はお互い出し合っているみたいだけど カルテが電子カルテなので 肝心要の医師達が 「見ていません」 「知らなかった~。 お母さん教えてくれてありがとう。」 と言われれば 「・・・sweat01 そういうものなんですか・・・?」 「そうだねぇ」 で終了。
 医者が気付かなくても 薬局で薬の飲み合わせを 気付いてくれるかもしれない・・・と 院外処方で一本化した。 

 その薬局での出来事である。

 保険証の確認は 年一回で毎月確認しないのが 地元薬局だった。 病院では毎月口うるさく言われるので 必ず出すが 薬局は何も言わないので 出さなかった。 そんなある日 新しくなった小児慢性に毎月の限度額まで記載する用紙が付いていた。 それも保険証の一部と思い 今まで出していなかった。 出してくれと言われなかったので 出さなかった。 1月から始まった制度で 今3月である。 1月の時は心臓の病院だったので 1回で限度額がオーバーになり 薬局が記載する場所がなかった。
 3月は 市立病院(てんかん)から入った。 どうやら限度額までいってなかったので 薬局が記載する義務だか 権利があったが 私が出し忘れて(出してくれとも言われなかったので) 記載しなかった。 その後心臓の病院に行き 薬をピックアップした時に 書類の提出を促された。 
「じゃあ・・・ 今取りに行きますね」
 いつも心臓の病院が 終わって地元に戻ると7時以降になるので 薬局の夜間ポストに処方箋を放り込む。 翌日にピックアップするが その時は保険証は持っていない。 
「いえ・・・ 急いでませんから大丈夫です。 何かの用事で来られたら 立ち寄って下さい。」 
 だから緊急性はないものと思っていた。 数日後 郵便局のついでに用紙を持って薬局へ行ったら大騒ぎになった。 順序としては・・・ 
①市立病院 (てんかんの診察)
②薬局 (てんかんの薬)
③心臓の病院 (診察や各種検査)
④薬局 (心臓の薬) ・・・・ だったのに ②と④が抜けて 用紙には①と③が記載されてしまったのだ。 
「本当だったら 私達がここに記入して限度額いっぱいまで・・・・・(何か言ってた)」 
 医療費の配分に関して私は知らない。 けど キツイ口調で激怒させてしまう何かを私がしてしまったのだろうと瞬時に悟った。 ちなみに私はうつ病で 細かい字を読むのは苦手。 そのカルテも処方もこの薬局にお願いしている。 でも私が悪いみたいな・・・ 夜間ポストに放り込む時に この用紙もちゃんと放り込んでくれないと困ります・・・ と言われてしまえば 親として言う言葉は一つだけだった。

「・・・申し訳ございません。」

 心の底から 小児慢性 面倒だから止めたいと思った。 

 確かに 医療券をよく読めば そんな事を書いてある。 でもそれを 医療関係者がキチント理解して 「この書類は 毎月必ず出して下さい」 と言ってもらわなければ 私も忘れる。 医療事務の方々のように 完全に理解している訳ではない。 
 この薬局は 私のうっかりミスで どれくらいの損失を 出したのだろうか・・・ そんなことを 考えた。 地元だし これからもお世話になるし こんなことで気まずくなりたくなかった。 だからひたすら頭を下げた。

 医療制度の助成もらうのもいいけど・・・ もっと簡単にしてほしい。 …って言うか個人情報守秘義務があるから 親が金払って診断書取って 国に提出してるんだけど・・・ このあり方自体 ストレスだから 止めていいですか?
 ごめんね。 私 うつ病(考え出すと止まらなくなり夜眠れなくなる不眠症)なんです。 一応。

 

2015年4月 2日 (木)

まさかのダブル・ワーク決定!

 子供達がそのチラシを持ってきたのは 医療費の合計を電卓で叩き出し 仕事を探そうと決意し 面接までたどり着いたコンビニから連絡が来ず きっと電話は来ると信じてる片思いの少女のような自分と 40歳だぞ・・・ 仕事なんてそう簡単には見つからないさ ・・・ と悪魔のような心の声にささやかれ 不安に陥り 保険のような感覚で提出した履歴書だった。 
 それは小学校経由で 保護者宛に臨時職員求という求人広告で 昨年から1-3年生のみ対象で始まった放課後教室の監視員の仕事だった。 時給900円である。 コンビニより10円高い。 夏のプール監視のバイト募集みたいなものだろうと思ったのが甘かった。 
 プールの監視員募集は 校長の名前で小学校単位で保護者向けに募集する。 これは募集先をよく見れば 教育委員会・生涯学習課(私の街では)になっていた。 でも良く見ないあわてものの おっちょこちょいが安易に その募集に乗ってしまった。 4月から全学年が対象になる。 放課後教室も 良く見れば シルバー人材が自由気ままに 各々遊ぶ子供達を 見てるだけ~の仕事である(ように見える)。 娘も発達が悪いので 親が言い聞かせろと言われたルールを みごとに破りまくりである。 例: カードに保護者の捺印がなければ入れません。 その場の勢いで クラスの友達が放課後に行くのを見て ノリで入れてと個人交渉を試みる強者である。
 何度 担当者から苦情の電話(?)来た事だろう。 その度にすっとぼけて 「はい。 帰って来るよう行って下さい。」 と電話を切った。 
「お母さんが 責任もって 迎えに来て下さい!」 と言われれば 小学校まで行くつもりだった。 でも20代の若者は こう言った。
「お母さんが 家にいないって娘さんが 言っているのに 自宅にいるのはどういう事ですか?」 ならば こう答える。
「いえ・・・ 本日外出の予定はございません。 娘には 何度も放課後に行きたい時は 事前に話し合うよう 言い聞かせております。 追い払って下さい。」 ガチャン。
 上から目線で 娘の言っている事と話が違うと 見も知らない若者から電話が来ても 私も何が起こっているのか 事態の把握が出来ない。 そう。 買ってもらえないおもちゃを 駄々こねるように 今 遊びたい! と思っている子供にルールは無用なのだ。 それが分からないのは 彼自身 ついこの前まで未成年(親に世話される子供)だったからである。 採用担当者からあなたの仕事はこれだけですと言われれば それだけしかしない。 子育てが全てマニュアル通りにいかないことを 親のしつけが出来てないのが悪いと思ってしまう。 ある意味正解である。 だって 管轄が同じ教育委員会でも 小学校と放課後教室は運営が別である。 個人情報守秘義務で 娘の障害のことは この担当者は知らない。 わたしも人生経験で 障害がありますが放課後教室に行かせても大丈夫でしょうか・・・ とは聞かない。 事故は起こる時には起きる。 子供同士である。 何でも有である。 要は 娘がその場所に行きたいか 行きたくないか・・・ である。 
 保護者会のあったある日に 一度押し込んだら 大好きになった。 以後 お世話になっている。 
「いいですか?」 なんて質問すれば 娘の出来ない事リストを つきつけられて 「ダメ!」 と言われる。 保育園の申込と同じである。 なら申請書を下さいと言わなければダメなのだ。 障害を理由に断るのは人権として・・・である。 だから 申込み書を渡さない。 申込んでないなら 断った訳では無いので 法律的にはOKである。
 小学校が6歳が就学年齢と決めたのである。 発達は別問題だと言って就学猶予を認めなかった。 なら・・・ 個人情報守秘義務の中 頑張って下さいと グレ母は思った。 まあ・・・ それなりにやらかしたよなぁ・・・ そんなことを 思いながら 応募した。 きっとシルバー人材の方々も 辟易しただろうなぁ・・・ だから保護者から 募集したんだろうなぁ・・・ そんな感覚だった。

 市役所に 必要書類を提出した時に 子供の通っている小学校以外も行けるかどうか聞かれた。 その時に 娘の心臓障害と 来年度から支援級に通う事情を カミングアウトした。 これで落とされるなら それまでだと思った。 
 私の居住区からだと コミュニティバス(1時間に1本くらい)を 利用しないとその他の小学校に行けない程 立地的に不便である。 8時半からお仕事開始なら 遠くの小学校なら7時前に家を出なくてはならない。 しかも1時間お店を開いて 子どもが来なければ閉店(解散)である。 そんな条件 子どもが通う地元小学校でなければ 働きたいと思うはずがない。
「無理です。 履歴書にも子供が通う地元小学校希望と 書きましたが それ以外考えていません。」
 言うべきことは言わないとあと後面倒に巻き込まれる。 本能が 教育委員会注意報を 出した。
「原付とか 自転車とか乗ってくれてかまわないので 他の小学校に行けませんか?」 
「すごく頑張って (父親の母校である)隣町の小学校ですね。 でも二山超えるので・・・ 歩くのはキツイですね。 バス代出ないなら あり得ません。 希望は 地元小学校です。」 
「・・・ 分かりました。」  
 そう言って 書類は置いてきた。 

 コンビニのパートが決まり 放課後教室のことは忘れていたら 面接のお知らせの手紙が来た。 一つ仕事が決まったので 心に余裕がでた。 断るなら電話ではなく 直接顔を見て 断ろうと思った。 
 面接会場で 娘がやらかした数々の放課後教室の思い出と 発達が遅れ気味の子供に対する思いと 親が子供の障害に気付かない 認めたくない気持ちを話した。 『通級指導学級がなくなる』 でも記したが 親が100%子供中心に生活できない事情が各家庭でもあるだろう。 その助けになるならと指導員に応募したと言ったが・・・ 面接会場で渡されたプリントに 「お子様の通っている小学校への採用はありません」 の文字に 騙された気持ちにもなった。 
 自分の子供を 放課後に預けて働いて 遠くの小学校配属なら自分の子どもがからっぽの家に帰ることになる。 ので発達遅れ気味で来年度から支援級へ行く娘の存在を強調し お金は欲しいけど 地元小学校への配属がないのなら 「正直言って 応募したのは錯誤(勘違い)です。 不採用にしてください。」 とはっきり申し出た。

 これで放課後教室の採用はないものだと思ったが 先日 一通の手紙を受け取った。 市役所の封筒に入った教育委員会・生涯学習課からの通知だった。
 
・・・ 厳正なる選考の結果 放課後教室の臨時職員に 貴方様を採用させていただくことに ・・・

 あいつら・・・ 私の話を聞いてなかったのかなぁ・・・ 娘の就学相談の時も 私の質問に回答はなく 「お母さんは分かっていません」 の一本張りだった。 放課後教室の職員は 待遇の悪さから応募が少ないと後から知った。 まぁ、 行ってみて子供がいなければ解散である。 ボランティア的な要素が なければ出来ない仕事である。 必死に金儲けしようと思ってたら出来ない。 従って 生活の為に働らかなければならない人に不向きである。 かといって自分の子どもがいる小学校も不可なら 母親業の片手間ワークも不向きである。 
「3月26日に オリエンテーションがあるのですが・・・」 
「申し訳ございません。 その頃には子供と小笠原に行っている予定なので オリエンテーションは出れません。 いろいろご迷惑を お掛けしそうなので 不採用にしてください。」 
 こんなにストレートに申し出たのだ。 なぜ採用になったのか 私も分からない。 保育資格はあるかとか 教職免許はあるか(高卒なのでありません!) 児童の心理士など子供と触れ合う上でなにか資格はもっているのか・・・ とか 沢山聞かれた。 残念ながら何も持ってない。 ただの心臓障害児の母親である。 知的障害児かも・・・ いや IQ的には充分資格はあるが 障害児として愛の手帳を申請してないだけの話である。 その話もした。 だから… 不採用でかまわないと言い切った。 お願いするべきだったのか。 いや・・・ 面接に行ってはダメだったのだ。 若者の就活みたいに すっとぼけて無連絡で印象悪く スルーすれば100%不採用だっただろう。

 役所としての手順は踏んだのだ。 結果 shine採用shine 難関を突破したのかどうか 私は知らない。 とりあえず土曜日中心に働く予定・・・ である。

 さすが教育委員会。 あなたたちは やっぱり最強である。

 

2015年3月22日 (日)

チャレンジャ~だねぇ♪

 「春休みを利用して 小笠原でホエ~ルウォッチングを 計画しています」 と主治医に報告。 いいとかダメとか意見なんて求めていない。 来週出発と船のチケットもユースも押えてあるのに ダメとか言われたらショックである。 嫌 そんなこと言われるなんて想定していないから報告できた。
「小笠原って 無医村だよね~。 お母さん チャレンジャーだねぇ・・・」 
 主治医は 一言つぶやいた。 
「大丈夫です。 一応診療所は ありますから・・・」 
 先生・・・ 今まで 普通に育てていいって 言ってましたよねぇ・・・ チャレンジャーって どういう意味ですか。 心の中で そんなことを思いつつ お世話になることは無いと信じつつ 一応東京都だからと 子供達の保険証・医療証を持参して旅行へ行く。 小学校に入学する時も 最悪のケースとか 万一の事態とか 考えたくない話題を 振っておいて 真面目に淡々とこたえると 明らかに動揺した校長。 そんなことは起こらないと考えるのは 楽観的なのだろうか。

 私が学生時代 自分が生涯貫きたい仕事に選んだのは旅行会社だった。 人生プランでは 結婚してからもこの仕事について 子どもと一緒に格安で世界を巡るはずだった。 親に逆らえない両親を見て 結婚生活にあこがれや幻想を抱いていなかった。 今の夫をパートナーに選んだのは 当時外資系の会社に勤めていて 米国留学を目標に動いていた私に 「一緒に渡米して僕は赴任・君は大学という人生はどうですか」 という甘い言葉に乗ってしまった。 夫が結婚した後 行った先は米国ではなく 国内の大学院だった。 
 アメリカで米国公認会計士の資格を取ると言っていたのに 国内の資格もまだ取得していなかったただの事務員だったと知った。 世の中にはいろいろな職業があり その業界独特のやりかたがある。 病院も小学校も私にとって未知の世界だったのと同じである。
 人生計画通りにいかなかった見本みたいな人生で・・・ でも 私達が日本国内にいたとしても 世界がこちらに近づいてくる。 例えば 小学校ではモンゴルからの留学生を 受け入れて常に毎年 ホームステイのボランティアを 募集していたり 東京オリンピックが決まったり・・・ 外国籍や ハーフのお友達も多い。 今や小学校も変わりつつある。

 結婚する前は 友人とフィリピンのとある島にはまった。 とてもキレイな海で竜宮城をイメージさせる美しさだった。 私はそこで 祝50本目のダイビングを達成。 毎年行きたい場所だった。 でも空で4時間。 車で5-6時間。 船で1-2時間である。 海は美しいがありえない遠さだった。 そのうち子供が生まれて・・・ 独身の友達と疎遠になり・・・ 海外旅行も旅行会社も 父親の他界でなくなった。 
 人生80年なら40歳は 折り返し地点。 いつ死んでも良いように 思い残すことなく生きる事も必要だと悟った。 なら やりたいことをリストにすると イルカと泳ぐ と ホェールウォッチングである。 昔 メキシコのカンクンまで イルカと泳ぎに行った私。 調べれば下田の水族館でやっていた。 車で行ける距離にビックリeye 恐るべしネット社会である。北海道の知床でも ホェールウォッチングをやっていて 船に乗るか乗らないか迷った結果 見送った。 鯨に合える確率とか 子供の当時の体力を考えて 知床はコースから外した。
 ここでお終いの人生を 演出する時に 娘に命の終りを問う訳にはいかず 自分だったらしたいこと・・・ このまま娘がいなくなった時に後悔しない時間の使い方を しようと思った。 
 それが他人から見たらバカと言われるような 例えばベビー服にブランドものの1万円の服を買ったり お雛様にお金を掛けたり etc だったりする。 そのお金で あれ買えたよね~ あれも出来たよね~ とか言われたら反論できないけど その時したいことを した。
 でも主に買ったベビー服は西松屋。 1枚だけお気に入りを手に入れる。 それが贅沢であり 親としてしてやった・・・と自分に言い聞かせる 振り返ればバカバカしいストーリ。 

 3度目の小笠原は ザトウクジラと絶対 会いたい片思い。 私がしたいことを 子供を巻き込んで経験させる。 学校休ませる親を 周囲は冷たい目線で見つめることも予想できる。 でも・・・ 娘が入学当初は 遅刻した娘の手を引きながら すれ違った校長に言われた。 
「無理して来なくてもいいんですよ・・・」 と。 笑顔で すっとぼけた。 子供の前でそんな事言われたら 学校に行きたくない子供は 喜んで行かなくなる。 ただでさえ就学相談で 他のお友達と違うステップを踏んでいることを 娘自身も自覚している。 精神的にナーバスになっていた時期だった。 心臓病をひた隠しにして 自分の口で自分が死んでしまうかもしれない(過去だけど 子どもだから過去・現在・未来の時制が理解出来ず泣いていた)現実を 誰にも知られたくない現実を背負った彼女を見て 心臓病は隠す方針の小学校に同意した。 隠せば周囲から理解されないとその時は思わなかった。 ただ娘が・・・ 可哀想だった。
 そんな妹に引きずられるように 兄も学校に行かなくなった。 そんな頃 私がブログを立ち上げた。 小学校って 何だろう・・・ 義務教育って 何だろう・・・ 母子手帳通りに発達しないのは 全て知的障害になるのか? 誰もそれを 教えてくれないのに 母親の資質を責め立てられた・・・ そんな気持ちになった。 なら 学校行かなくてもいいよね。 無理して行かなくていいよね。 なら遊ぼうよ! 一緒に逃げよう!!

 そして春休みは 母親現実逃避。 楽しい方へ子供はついて来る。 父親は現実を歩み 孤独にお仕事。 現実逃避にも お金がつきまとう。 
 子供達が 私がしたいことを したいか分からない。 でも・・・ 息子は水産系の大学を 現在目標にしている。 自分が好きになったことを 息子も好きになってくれてうれしいhappy01 でも それが深海魚のレベルになると・・・ リゾートダイバーの私は 娘を連れて水族館が似合っていると思い知る。 なんで・・・ そこまで深くなるのか理解できないsweat02 しかも可愛くないしsweat01

 とにかく今 私の頭の中でくじらが泳いでいる。 探せば日本全国で くじらと出会える場所は意外とあったりする。 ただ知らなかっただけだった。 また入院 検査入院(するかも・・・) 麻酔使うかも・・・ いろんなリスクの書類にサインして・・・ 今は考えたくない世界。 だから頭の中で くじらが泳いでいる。
 一緒に泳げるはずもなく・・・ でも 会いたいなぁ・・・ 会えるといいなぁ・・・ そんなことばかり 考える。
 
 4月から 娘は3年生になり 息子は5年生になる。 1年が過ぎるのは早い。 振り返れば早いが 迎えるのは長い。 新学期は クラス替え。 未知との遭遇である。 
 考えたくないことは 考えない。 だから今も私の頭の中に 鯨が1匹 ジャンプしている。 そんな光景 見れるといいなぁ。
 

2015年3月21日 (土)

みんながしていることは私もしたい!

 随分 温かくなってきました。 娘は今 クラスのお友達と毎日サッカーをするために公園へ通っている。 兄がかつて地元FCに所属していた影響で 当番の時など 娘とパスパスで遊んでいた。 蹴れる位置にボールを蹴ってやると 意外に上手に返す。 
 試合は 当然NGである。 というか まだ2年生である。 体育でもそこまで本格的なゲームをしてないので ボールを追って走り回っているだけである。 結果 宿題も 音読もやらずに 5時に帰って 風呂入って 夕飯食べて 寝る。 朝もお疲れで 寝起き悪しである。 これは血液検査上の貧血の状態だから 起きれないのか ディズニーランドやキッザニアと違って 学校行くのに やる気スイッチが入らないからか 性格が悪いからか 原因は不明だが 朝はゆっくりなお目覚めである。 その上 朝ごはんは完璧に食べる。 遅刻してでも食べる。 大量に飲む薬は 朝食なしなら完璧に胃がやられてしまうだろう。 いや・・・ 現在も原因不明の出血である。 苦しいのか 苦しくないのか・・・ 客観的には分からない。 ただ・・・ 学校から帰って サッカーボール持って 男女問わずのサッカーゲームらしい。 ← 公園までストーカーみたいに付いて行く気力もないですsweat02 そんだけ元気ともいうし 生まれつきの障害に親も感覚がマヒしてます。

 クラスのお友達も 自然と体育見学なのに 走り回る娘に 疑問も 違和感も感じていなく ・・・ 誰からも心臓病だから走っちゃダメとか言われない存在になっています。 今の私の疑問は 心臓病=体育見学する意味って 何だったのだろうということ。 
 就学児に 娘のことより 担任の先生の方が心配と言われ・・・ それまで体力的についていけないから心臓病児は体育見学なのかと思っていたが 学年のカリキュラムがあり 心臓という臓器 循環器の関係で 普通の子と同じ動きが出来なくて 周囲に迷惑をかけるから見学するのだと理解した。 学習障害と呼ばれる子供達には 特別支援級や通級などで支援するが 肢体不自由の心臓障害については 個別の配慮が無いのが 今までの社会常識なのだと理解した。 
 担任教師は 看護婦でないから 医療行為が出来ず 万が一の対応が出来ないのは理解した。 だからアレルギー食材など 親が子供に言い聞かせたにもかかわらず 口にしてしまった時は そこにいる大人(担任)は 無力なのだと理解した。 同じように 万が一何かが起きた時のことを 想定すると やらせてみよう・・・ と思う(私みたいな)親は稀らしく 大事な宝物を 桐の箱に入れて閉じ込めるように 動くなと命ずるのが小学校なのだと 極端な意見だが理解した。
 親は 異議を唱えたいが・・・ 根っからの怠け者の娘は ラッキー♡ と楽な道を歩む。 体力面や 発達面など 出来ない事を 走るのが遅いことを ナチュラルに知らないお友達が 文句を言えば 精神的なダメージも なくはない。 出来ないからやらないは 子どもにはありがちな光景。 体育という科目は 医者の助言と体調の悪化もあり 堂々と免除された。 
 先日の保護者会で 担任から耳打ちされた。 ほぼ欠席・見学の体育である。 3学期は評価できないので 了承してくれという。 やってないものを ゲタ履かせて評価せよと言えるはずもなく やってないものは当然 「0」 で評価されるべき = できない と評価されるべきである。 
 が休み時間のなわとび(? 結局なわとび大会は雨天中止になったので現場を押えていませんsweat02) 鬼ごっこ 放課後のサッカーは お友達の配慮もあり 参加している(注意:娘の話)らしい。 人間関係の大切さを ここで再認識する。 娘のペースを尊重してくれる友人とは それなりに遊べるのだ。 さて ここでクエッション じゃあ体育見学する意味って なあに?

 これが フォンタン手術が 心臓障害児に対して革命的な手術である所以なのか・・・ 世間が 心臓病 = 体育見学の固定観念から はずれないのか・・・ どちらでしょうね。 
 答えは わかりません。 親でも わかりません。 ただ 毎日 娘は笑顔で帰ってきます。 宿題やらないから 相変わらず おバカさんです。 遊びに全エネルギー使っている感じです。 子どもだから それでもいいか・・・って 何となく思っています。

 支援級へ移籍して 国語・算数が出来ない子が 出来る学年まで戻って プリント学習で対応するのと同じように 彼女の身体面を考慮して 体育も彼女のペースで 面倒見てくれると 親としてありがたいと思ってます。 

 相変わらずの不思議ちゃんですが もうすぐ2年生とバイバイです。 担任の先生・クラスのお友達・そのお母様方・・・ 本当にお世話になりました。

 2年間ありがとうございます。 そして これからも宜しくお願い致します。

2015年3月20日 (金)

先生ありがとうございました

 心臓の病院の外来に行った。 金曜日にヒトヘモグロビン検査キットを提出したので ギリギリ間に合ったか どうかというところだとドキドキしながら病院へ行った。
 受付のお姉さんから 採血を採血室でチャレンジしてみるか聞かれ 前回 大人(老人)の血管が一発で摂れない様子 何度も針を指し直す様子 眉間にしわを寄せて痛いのを我慢している様子を凝視してる最中に 担当者が娘の血管細すぎてGive up 選手交代した瞬間に娘逃げ出す。 結局 診察室で 可愛いちょうちょの針で採血という出来事が 半年ほど前にありましたと お話しすると 「わかりました」 と静かに立ち去り診察室での採血が決定した。
 年齢だけ見れば8歳で そろそろ血管も太く育っているはずである。 母子手帳等の成長グラフ通りに育てば・・・の話である。 採血だけの担当者が 大人用の注射針で 「無理~」 と完璧なネイルアートしている茶髪のお姉さんに言われてしまう姿を 母親も娘も見ている。 母はその後 脱走する娘も目撃。 笑った。 狭い病院で隠れる場所も逃げれる場所も だいたい決まってくる。 トイレに閉じこもりカギをかけなかっただけ ラッキーだった。 採血の必要性は理解しているから それは拒否しなかった。 年配の看護婦のほうが安心するのだろうか。 そのうち人を見かけで判断してはいけないと 教えなければいけないが 採血だけは別である。 やっぱり針を刺すならベテラン希望である。 大人だって同じだよね。

その日は 心電図を先にして その後診察室へ行った瞬間 一枚の貼り紙が目に付いた。 主治医の退職を伝える貼り紙だった。 超ベテランの主治医である。 年齢を考慮しても いつかこの日が来ると思っていた。 夫婦ふたりで無言になった。
 それは一瞬で すぐに次の手術(多分、人工血管入れ替え手術を 15歳頃かな)の時には お世話になった外科医や麻酔科医は いないんだね・・・ 新しいスタッフが娘に触れるんだね・・・ と考えたくなかったけど それが現実なんだろうと思われる現実を 小声で話し合った。 
 そんな貼り紙が貼ってあるせいだろうか 気のせいか 一人一人の診察が長い。 先生が移動する病院へ移動するか 病院を変えるか このままここでお世話になるか選択肢を夫婦で話し合った。 そもそも私達に選択肢はあるのだろうか。 娘を出産して救急搬送した搬送先は市立病院が決めた。 多分 あっちこっち電話で搬送先(受け入れてくれる病院)を 探したのだろう。 そして見つけたのが心臓の専門病院だった。 私たちは名前だけ知らされ同意した。 その病院の役割が心臓しか診ない病院とは知らなかった。 心臓専門の研究所である。 言いかえればそういう部類の障害だった。 まだ未知の分野の障害が 無脾症候群である。 
 でも育てて始めて分かった。 問題は心臓だけではなかったと。 ただ心臓が最優先の修復事項だった。 どの病院もリスクを避けたがった。 それが診療拒否ともとれる言葉の数々である。 病院の役割を 勉強させて頂いたが 地域医療連携と口では言うが 結局は片道切符で連携なんて出来ていないと思い知った。 ・・・ これは私の仕事ではありません ・・・ と紹介状を書いてお終いである。 受け取った方も 目に見えて嫌な顔をした。 
「遠いから 電話で大丈夫です」 一見親切な対応だったけど 実際電話で問い合わせたら 「カルテが手元にないから分からない」 と適当な返事をされ 一般的な話をされ 母親の努力を推奨された。 心臓の方で手術を繰り返し 少し落ち着いた一年後に行ったら 「たまに来て質問されても ずーと診ていた訳でないから分からない!」 と怒られた。 そして逆流症は治ったから見る所はないと返された小児外科。 当時は病院の役割を知らなかったので 何が起こってるのか意味不明で 嫌な感じだけが残った。 
 看護師の仲が良い・悪いでも苦労したので 医者同志の好き・嫌いにも配慮しなければいけないと思い込み 紹介された病院以外あえて行かなかった。 自分で病院を探す努力を怠ったともいうだろう。 でも本当にどうして良いか まったく分からなかったんだ。 もちは餅屋に任す感じで 一人の医師が治ったというなら 治ったのだと信じてすがった。 今でも嘔吐するけどね。 そしてこの問題から目をそむけた。 理由は 心臓の方が生きる為に最優先事項だと 夫婦ふたりとも自覚していたからである。 その他は 結局その他でしかない。 もちろん知的の問題一つで 家庭崩壊は起こる。 でもそれは生き残る可能性があるから その子の一生を左右するから 悩む。 私も同じように 娘も同じように悩んだけど やっぱり生存する・しないの問題に比べたら その問題は私達にとって その他の一つだった。
 
 外来で 近況を語った。 前回の外来が1月だったので その後の出来事で話さないといけない事は 咳・おう吐の連発が 一本の点滴で好転した奇跡だった。 理由は不明。 医師も 首をかしげていた。 生理食塩水に 咳を止める効果はない。 でも体内の水分量とか 何か(医学的には分からないけど)リセットされたのだろう。 ・・・ そういうことにしておいた。
 身長・体重を計測し 身長は相変わらず111cmなのに 体重が20kg弱だったので
「随分 重たくなったなぁ・・・・ そんなに太った感じしないのにねぇ・・・」 と柔らかい言葉で医師が感想を述べた。
「お腹 かたいですよ・・・」 私が言った。 
「う○ち 出てる?」 と主治医。 娘が首をふった。 確かに先週は苦労した。 苦笑いである。 でも・・・ それだけではない。
「まぁ・・・ 肝臓も大きいと言えばぁ・・・ 大きいけどね・・・」 そっちが心配である。

 フォンタン後の 10のリストのトップは 肝がん・肝硬変である。 早い子は5年 無脾なら10年以内に・・・ と若い研修医は言った。 それはデーター上のことであるが 肝心なのは娘はどうかということである。 
 主治医は エコーで心臓と肝臓を確認する。
「ん~・・・ 肝臓の中に変な塊は分からないなぁ・・・ 専門じゃぁないから ここではこれが限界だなぁ・・・」 そうつぶやいた。 
 ヒトヘモグロビン検査の結果は ちゃんと出ていた。 陽性である。 
「ガスター飲んでるよねぇ・・・」 「いえ・・・ 飲んでませんsweat02」 「なんで?」 ・・・ あなたが処方しなかったから ・・・  心でつぶやいて 笑顔をキープ。 
 主治医は 過去の検査データーを 確認したら 前・前回は陰性だった。 ガスター飲んで 陰性になったから 前回は胃薬をストップした。 そしたら陽性になった。 貧血の数値も治らない。 これは何を意味するのか・・・ 何か悪い兆候なのか私には分からなかった。 そしてそれを 確かめる勇気もない。

 「一度 専門病院で 診てもらおうか・・・ ねぇ・・・」 
 そう言って 都立こども病院を 紹介すると言ってくれた。 以前紹介してくれた小児外科ではなく 市立病院のてんかんを診てくれている先生が所属する大学病院でもなく 新しい病院だった。 

 ・・・ また 病院が 一つ増えた ・・・

「胃カメラですか?」 
「う~ん。 多分ね・・・ 上からも 下からも 調べてもらうことになるかなぁ・・・・」 
 それは想像したくない世界だった。 出血原を 探らなければいけないから そういうことになるのかと 考えたくない事を考えた。 すぐに打ち消した。 半年以上 血液検査上では貧血。 この状態が続くと 心臓に負担がかかり 後に静脈圧も・・・ なんか言っていたが正確には覚えていない。 とにかく 良くない事が起こっているのだろうと思った。

 検便とれず 絶対必要なら 入院させろ~!!! と思ったが 実際 検査入院(するかも)と思うと それは それで 残念なお知らせだった。

「ママ・・・ 怖い・・・」 娘がつぶやいた。 
「でも・・・ ママが一緒だったら大丈夫だね。」 娘は明るかった。
 
 家に帰り 紹介された病院のホームページを 確認すると完全介護らしかった。 それは まだ娘に秘密。 まずは外来受診で専門の先生と 話し合う。 東京にもこども病院があったのかと ちょっと新鮮な気持ちだった。 
 そして 前言撤回。 入院は やっぱり不安・・・ 検査すれば知りたくない現実が きっと また一つ 明らかになってしまうのだろうと ナーバスになる。 発達検査を受けて 知的障害を認める・認めない 知的障害児にする・しない・・・ みたいに・・・ね。

 娘が生まれてから8年間 ありがとうございました。 先生に出会えたから 今の私達があります。 先生のつぶやきに冷や汗もかき 病院全体が振り回され右往左往するのを 当時は不安な思いを抱えつつ 今では笑い話として思い出になりました。
 病院とストレス貯めずに付き合うのは無理。 でも誰かの経験談が 前を向いて歩く活力になり 今日までやってこれました。 皆同じ。 みんなやってる。 それは事実でもあり 親としてプレッシャーでもありました。
 出来なかった時 何が起こるのか・・・ それは 想像したくない世界です。 

 でも今では この病院に搬送してくれた市立病院にも お礼を 言いたい気持ちです。 今という時間を 生きる大切さを 教えてくれてありがとうございました。 そして担当する主治医は 変わりますが これからも宜しくお願いします。

2015年3月17日 (火)

24時間監視は無理 

 貧血の数値が鉄剤飲んでも改善されないので 再びヒトヘモグロビン検査をすることになった娘。 次の外来に合わせて これくらいまでに便を持ってきてくださいと指示された。 娘に排便は毎日出ているか口頭確認して 順調だと思っていた・・・ その日が来るまでは。
 
 まず採取しようと気合を入れれば入れるほど 出ない。 お腹は痛いと自己申請はする。 じゃあeye とプレッシャーを かけているつもりは無いが キット片手にスタンバイしていれば・・・ 出ると思っていたものも引っ込むらしい。 そうこれを別名プレッシャーという。 結果 家では出ないけど 学校では出たよという 悲しい報告を 受ける。  つまり採取不可能。
 取りたいと思っていた日に取れなかったが 最初は私の心の中に余裕があった。 

・・・ 最悪 学校休ませて出るまで気長に待っていればいいさ ・・・

 兄がインフルエンザで自宅隔離である。 その同じ空間(部屋は別)に 丸1日かけて気長に待つわけにはいかない。 なら学校行ってもらった方が 感染するよりましである。 無脾ではあるけど これだけ大きくなればインフルエンザウィルスから肺炎・肺血症・脳炎や脳障害が起こる確率は低いだろう。 けど健康な子供より確率は高い。 だから危険は回避するに限る ・・・ ということで 便採取のために学校を お休みさせる選択肢は消えた。 
 小学生の娘に 8歳の娘に来る日も 来る日も確認と懇願の日々。
 「う○ち 出た?」 「今日は?」 「まだ?」 「・・・ お願いだから ・・・でない?」 
結果 学校で リラックスできる場所で多分してるだろうと 予測できる(夕食など食べっぷりが良く)行動をとりながら 口では 「でない。 全然でない・・・」 と報告。
 ある日 質問を 変えてみた。
「う○ち 毎日出てる?」 「あっ・・・・ うん。」

・・・ やっぱり 家 以外で してるんじゃん!!! ・・・

だんだんイライラしていた ある日の市立病院で 半年に1回の脳波の検査。 最後のてんかん発作確認からそろそろ3年経過する。 あやしい波形よ消えてくれ・・・ 心の中で願いながら 
「一人で検査の部屋へ行けるから ママお外で待ってていいからね」 という娘の言葉に成長を 喜びつつ・・・ いつもの検査技師さんと違う方が 娘に尋ねる。
「おトイレは?」
「あっ・・・ 行ってこようかな・・・」
「一人で行ける?」 
「大丈夫。 分かってるから・・・chick
 これまた 物覚えの悪い娘が めったに来ない(月1ペース)病院のトイレの場所まで覚えているなんて・・・ と感動して一人で帰ってくるか待っていた。 ・・・ 長い ・・・
 最初は道に迷ったかと 思いきや スッキリした顔で帰って来た娘を見て思った。

 ・・・ 本日も 採取 失敗 ・・・

 あまりにも溜息ばかり出る私を見かねた夫が 来週早々にある心臓の病院外来を 自分が連れて行くと 言いだした。 
「そ~ぉ。 じゃあ・・・ お願いします。」 coldsweats01 憂うつが一個減った。

 金曜日の朝 娘が何か言いだした。
「出るかも・・・」 shine 見事採取OK shine 肩の荷が下りた感じがした。 この日は私がメンタルの病院へ行く日。 とっても元気になったインフルエンザ君を 残して心の薬を取りに行く。 息子のインフルエンザ中の目標は ネットの無料放送のコナンを全部見るだった。 でも実際は 一日で飽きて自主勉強を始めた。 勉強しろと言わなければ それなりにやるものだと思った。 
 夫が仕事に行く途中 検査キットを病院へ渡す。 
「じゃあ・・・ 外来は 君が連れて行くよね」 と確認される。

 ・・・ 仰せの通りにいたします ・・・ 

 この一週間 病院ばかり行っていた。 改めて足のついている動物を 観察する難しさを実感。 親なら・・・ 母親なら 子供のこと分かって当然と世間の皆様は思うでしょうが 人生始まったばかりの未熟者とのコミュニケーションは 難解である。 しかも 最近軽くウソをつくようになりました。 
 成長と共に 口うるさい親を ・・・ ウザイ ・・・ と感じるのが普通。 でも今回だけは 久しぶりに 絶対必要なら入院させろ! って思いました。 あれだけ病院から離れた生活をおくりたいと思っていたのに 人間って自分勝手な生き物ですね。

 ちなみに 今回もどうやらインフルエンザは息子だけで治まり 娘への感染は回避できた模様。 こまめな換気と加湿器たきまくり& 食事の場所・風呂の順番に気を配って乗り切った一週間。 つまらないことだけど達成感に浸ってますscissors


 

2015年3月12日 (木)

残念な週末

shine 仕事を始めて2週間。 親と二人っきりで働くのと違い 外で働くのは気分が言い。 お客様から叱られることも多々あるが ありがとうと言ってもらえることの方が10倍多い。 ありがとうという言葉は 活力の源になる。 失敗は責められて当たり前なのだ。 でも 「大丈夫ですよ」 「気にしないで下さい」 と言ってくれると 改めて人間は許されてこそ成長する生き物なのだと自覚する。 
 母と二人っきりで働くということは 片方がやらない事を 片方が必ずやるということで 家族だと 「ありがとう」 や 「お願いします」 などの当たり前の言葉が出なくなる。 やって当然になる。 逆に 言わなきゃやらない・出来ないは イライラの原因になる。 すると来客中に 聞えよがしの悪口という手段になる。 かつて 嫁(婦人会) vs 姑(老人会) で地元のコミュニティで悪口大会が栄え 他所の家族経由で お互いの悪口暴露され知らんぷりする姿を見て育った私は 聞えよがしの悪口 = 改善命令 と受け取る = プレッシャーに感じストレスを 抱える = 話し合うと他人のせいにして 「気にするな」 で収める母親。 他人の顔色ばかりを 窺う私の性格に問題があると よく母は言っていたけど 近所のおばさんが縁側に座り込んで茶飲み話していた内容を 立ち聞きさせ 報告させていた母親が 私のこの性格を作り上げたのでは ないだろうか。 
 とにかく空気を読むのは 得意である。 でも知恵熱が出た。 しかも週末sweat02

 その週の頭に 子供達が次々と東京ヴェルディの開幕戦のチラシを 持って帰って来た。 
「なんかね~。 サッカーやるんだってchick
「知ってる。 そのチラシお兄ちゃんも持って帰って見せてくれたから。」
 学校から配られるプリントは 家庭数(年下の子だけ配布)も多い。 それこそこういうチラシこそ 家庭数で充分だと思うが これを見た子供一人一人に ・・・サッカー行きたいなぁ・・・ と言わせる作戦か 必ず児童数配られる。 そして親も子供の無邪気なおねだりに弱い。
「なんかねぇ・・・ タダで見れるらしいよぉchick
「そう。 小学生は 無料って書いてあるけど 大人は有料なの。 特別料金になってるけど・・・」 
「へぇ~。 そうなんだぁ。 行きたいchick 行きたいchick 行きたいchick」 

 姫君のおしの強さもあり チラシの裏の特別ご優待申込み書に そのまま記入し FAXする。 ついでにチラシ限定イベントの選手とのハイタッチ&ピッチ見学ツアーに申し込んだら 当選したshine 私が楽しみになったら 発熱した。 月曜日から仕事なので 念のため子守を父親に頼み 子供達二人に手を振った。
「別に行かなくてもいいんだろう」 
 そう言いながら 夫がお金頂戴と手をヒラヒラさせた。 財布からご苦労様と諭吉さまを一枚渡す。
「ホームページ調べたら 仮面ライダーとコラボイベントがあるの。 映画の番宣みたいで・・・ 行きたかった。」 
 最後は恥ずかしくって声が小さくなったが 父親が好きだったデパートの屋上の仮面ライダーショーを思い出し ちょっと懐かしくなった。 息子は仮面ライダーよりスーパー戦隊の方が好きなので 後楽園にはショーを見に通ったが 仮面ライダーは映画も見たことがなかった。 
 夫は くすっと笑ってから出発した。 

 久しぶりに一人の週末を過ごし やり始めたのは洗濯。 医者に風邪薬をもらった時に 
「病気の時は 動かない。 動くと誰もやってくれないよ。」 と家族を知り尽くしたホームドクターに言われた。 家族が出発すると 不思議と熱も37℃台に下がり そこまで下がると動けるようになり 動けるようになると 洗い物がたまった流し台・散らかし放題の部屋・溜まった洗濯物が目に付いた。 全部やる気にはならなかったので 洗濯だけした。 

 スタジアムは結構寒かったらしく 息子がベンチコートを着て帰って来た。 
「1万7千円が 7千円なんて お得だろう♪」 
 シーズンが終わると 冬物が安くなる。 丁度 息子が欲しいと言っていたので 良かったと思った。
「ポテト 1個だけしか 買わなかったよ~chick」 
 兄のコートと対照的に 娘が自己PRを 始めた。 いや今日の出来事を 語ったといういのが 正しいのか。 でもその手には 山のようにヴェルディ選手のカードを 抱えていた。 

 ・・・ それは 買ってもらったんじゃ ないんですかぁ 姫君様 ・・・

 笑顔で 「そうなんだぁ」 と聞き流した。 「じゃあ お腹すいたでしょう」 と言葉を続けると 「大丈夫だよ。 寝てたから ・・・ あとゲームしてたから 気にしないでchick

 夫に目で合図する。 ・・・ なんでサッカー観戦に DS持って行ったんですか? ・・・・ と。 
 夫 即座に反応する。
「おい。 DSは お母さんが持って行きなさいって 手渡されたって言ったよなぁ」 
 夫 みごとに 娘にだまされました。 そして 娘 無言で目を 伏せる。 これは肯定と受け取るが 下を向いて心の中でscissorsVサイン出しているのが 見え見えだった。 どうやら寒くて耐えられなくて うるさくて DSで黙らせたパターンだった。 

 ・・・ サッカースタジアム行ったら サッカー見なさい。 DSで耐えられる寒さなら 命に別状なし ・・・

 娘のメインイベントは 選手との触れ合いだったらしい。 息子は試合を堪能したらしい。 大興奮で 帰って来た。 そして私は静かに聞き役に回った。
 そんな息子も 夜には調子が悪くなった。 スタジアムは寒かったと言っていたので 風邪を引かせたかと心配した。 夫の話では 自分の分のひざ掛けも 妹に譲ったそうだ。 週末遊んで 月曜日学校に行けないパターンを 作ってしまったかと思った。 翌朝 息子は 発熱した。 38.5℃。 娘に連絡帳を 託した。
 熱なら 仕方ない・・・ とあきらめ 私は仕事。 夫は 息子を病院へ 連れて行った。 1時間程して 店に夫がやってきて コーヒーを購入しながら つぶやいた。

「インフルエンザだって。 14日から学校行っても良いって。」 
 苦笑いだった。 14日は土曜日である。 ということは 今週はず~と息子は家にいる。 しかも 妹は無脾症。 妹が生まれてから3度目の インフルエンザが我が家に上陸した。 今回も 娘に移さずにやり過ごせるか・・・ 母親の腕がなる。 

 母親にとっての残念な知らせは 息子が月曜日にインフルエンザになることである。 今週は やることが多い。 そういう時に限って 子供は病気になる。 これは母親の掟。
 
  
  

2015年3月10日 (火)

お子様パラダイス

 お仕事が見つかった。 近所に新規オープンするコンビニである。 レジ打ちなんて 18歳の頃にファーストフードにアルバイトで働いた頃以来である。 しかも今回は・・・ バーコードを利用する。 時代の流れを感じた。 いや ファーストフードとコンビニは 全然違う。 それが楽しみ。
 面接から1週間。 「全員を 面接して2~3日後には連絡しますね」 そう言われて鳴らない携帯電話を 持ち歩いた。 
「落ちたんだよ。 現実を 見つめな」 夫に言われて溜息一つ。 
 電話で断られたり 面接行って落ちたり ・・・ 次は どこに しようかな ・・・
 駅前のレストラン街のバイト・パート募集の広告を見て 考えていた。 どこで働きたいか・・・ 何処なら雇ってくれるのか・・・ 自分の年齢と経歴・学歴を 久しぶりに見つめ直した。 年齢と小じわが邪魔をして 写真で勝負・・・ という自信はない。 娘の事情もあるので 万一の事態(絶対ないけど!)も頭の片隅で考える。 比較的休みを取りやすく・・・ コンビニ落ちたのショックである。

 と思いきや・・・ この日からレジ打ち訓練開始と聞いていた日に 電話がきた。 
「全員の面接が終わり 選考に受かったので 働いてもらえますか?」 shine
 40過ぎて奇跡の就活終了。 しかも徒歩5分。 学校まで5分。 ラッキーshine

 そしてレジ打ち研修一日で終了。 オープン前のお店なので やってみなければ分からないとオーナーは言う。 実践を積むのみ。 連日ポスティングは 17000歩・20000歩と歩けば歩くほど ダイエットや 体脂肪燃焼をイメージしてやる気スイッチscissorsが入った40代。 そして制服を着たその姿は いろんな人に見られていた。 
 帰宅時間の息子の友達に すれ違いざまに聞かれる。
 「バイト?」 「バイトgood」 *注意* 主婦の場合はパートとも言う。 

 そんなある日の出来事である。 私の頭の中では 兄-カギ渡すからランドセル置いて好きにしなさい 妹-放課後教室へ行って下さい ・・ ・の予定が 兄が(一人で寂しいのか)反対して 妹引き取って自宅学習すると言い張ったので まかせてみた。 案の定 撃沈した。 

 何が いけなかったのかと言えば その日はお店で揚げ物の作り方講習会 & 試食会で食べ残したものを 30分休憩のすき間を見て 自宅に持ち帰り ママがいなくてお腹を空かせては可哀想と 「食べてもいいよ♡ ママ」 とメッセージを残したのが 始まりだった。
 まず 子供達の 「いい子にしてるよ~」 は絶対信じてはいけませんである。 基本的に我が家のお子様たちは いい子なのだが・・・ 自主的に宿題して 大人しくママの帰りを 待っているはずなどなかった。 
 ポスティングの帰り道 小学校下の交差点のはす向かいで 「後で会いにいくからね~paper」 と手を振る兄と妹 & お友達? がいた。 
「仕事中だから来なくていいからね~coldsweats01 」 ここに流れているのは天の川かと思うくらいの声でのやりとり・・・ 出来ちゃう田舎&車の流れである。 この時二人は から揚げやコロッケ等があなた達の帰りを待っている事を知らない。 
 母親は次のポスティングに出かける。 戻って来ると家にいるはずの子供達が・・・ いい子に宿題しているはずの子供達が・・・ 仲良くお出掛けしてオープン前の店に堂々と(申し訳なさそうにだったら可愛げもあるのだが)入って行く姿を 店の前の交差点の向こう側(天の川の対岸)から見えたeye

 ・・・ ありえない ・・・ 

 あれほど ママのお店じゃないからね。 お祖母ちゃんの家で働く(自営業)とはちがうのだと言い聞かせたのに この有り様である。 赤信号がもどかしかった。 青になった瞬間 ダッシュ! 
「何しに来たの?」 
「ママに会いに来たの~heart04」 
「宿題は・・・・ どうしたの?」 
「飛んでった~chick」 「やるはずないじゃん!」 
 想定内の回答だったtyphoon 笑顔が絶えない二人に もうすぐ仕事が終わる旨を伝えると 走って逃げて公園に消えて行った = 一緒に帰って宿題する選択肢はないらしい。 想定内であるsweat02
 お店のオーナーやマネージャーからは 笑顔で 「ちゃんと自分の名字を名乗り 母はいますかって用件言えたから・・・ しっかりしたお子さんじゃない」 と褒められ(?) 子どもが尋ねてきたことは責められなかった。 あったかいお店だと感じた。

 子どもより一足先に帰宅した私。 自宅にカギがかかっていて一安心だった。 そしてテーブルの上の食糧が全て消えていたsweat02 ママの試食分 ありませんでした。 

 ・・・ あれ。 結構大量にあって 夕飯のおかずにもなりそうな勢いだったのに ・・・

 ゴミ箱チェックして 袋詰めの練習したゴミが無かったので 家から持ち出して ピクニック(公園で友達と仲良くおやつ) だったことが伺えた。 これはさすがに 想定外だったsweat02 

 ・・・ まさか 店に 顔を見せたのは おかわり頂戴 だったのかsweat01 ・・・ 

 ふと私の脳裏を よぎったのは2-3歳の息子の姿だった。 「ママ大好き~」 そういう時は たいていお腹が空いている時だった。
 あれから随分時間が経過した。 もう小4である。 「ちょうだい」 が言えず笑顔でママに会いに来たと言ったあの言動は 懐かしい記憶を 蘇えらせた。
 病院で経管栄養が取れたばかりで 何も食べれない娘(もうすぐ2歳)の食事(幼児食・細かく刻み)に 心配してくれた看護婦さんがプリンやゼリー・ヨーグルトを 追加オーダーしてくれた。 心臓の専門病院だったので 嚥下訓練専門の病院ではない。 病院にもそういう種類があることを 当時の私は知らなかった。 とにかく皆で無い知恵を寄せ合い 娘の食べれそうなものを 模索していた時期だった。 結果は惨敗で ミルクしか飲まなかった。
 小児病棟のガラス越しに映った 息子の姿はいつも最上級の笑顔だった。 ガラスの扉を開けると 「ママ♡ 大好き」 と飛びついてきてくれた。 母親として幸せを感じた瞬間だった。 そしてしばらくして可愛い息子が 私の耳元でささやく。
「ママ・・・ 今日 妹はプリン食べた? ゼリーとかある?」 目的はいつもこっちだった。

 ・・・ あやしい ・・・ そして分かりやすい。

 家に帰ってきた 子供達に言った言葉は 「あれはママが 今度働くお店で ママのお店じゃないからね」 と何度も言い聞かせた。  母の言葉が どこまで子供達に届いているのかは不明。 だけど 信用できない事は 再確認できた。 それが 収穫である。

 息子を保育園に入れていた関係と 小学校低学年の子供の交友関係で 母子家庭・父子家庭・共働き家庭の子と付き合いがあった。 子どもが言う言動と行動が だいぶ予測できるようになった私。 親子の約束を 必ず子供が守れるかというとそうでもない。  学校の先生や 親がダメと言ったところで 100%キチントできるかというと そうでもない。 それが低学年ということなのだ。 じゃあ 出来ないその子が悪い子なのか とか その子の親はしつけが出来ない(育児放棄)なのかというと そうとも言い切れない。 でもそれは 実際子供を育てて見ないと 理解出来ない世界である。

 私もこれから(一応) 働く親の一員になる。 雇用形態は パート(バイト)だけどね。

 
 

 

2015年3月 8日 (日)

小2最後の保護者会

 2年生最後の保護者会があった。 保護者会の前の5時限目が授業参観になっていて発表会があった。 歌に合奏・将来じぶんがどのような人間になりたいか 元気に答えてくれる。
 生活科の課題 私の成長記録(赤ちゃん時代の話を親に聞き・メモして・写真を使ってコメントつけて) を壁に張り出してあった。 3歳までたいして成長してないので 0歳・1歳・2歳・3歳の順番が めちゃくちゃだったsweat01 写真の裏に年齢と状況(病院にて とか 従兄と一緒・・顔の黒さ(低酸素状態)がポイント・・) など さりげなく先生がフォローできるようにコメント入れるが失敗の模様。
 娘は 写真の裏を 確認するタイプではなかったchick とにかく写真は写真・コメントはコメントで 列車の様に長細い紙に前方部分に写真(年齢の順番無視)だけをまとめて貼り 後方部分にコメントのみ(吹き出しの様にしたかった模様だが 切り刻み過ぎて文章になって無い状態)を 確認。 娘の出来ない具合を 再確認して溜息wobbly 笑顔の娘に笑顔で返す。

 このクラスのお友達とは2年間一緒だった。 発表会で自分の未来を語る一人一人の表情が生き生きしていて 入学式から欠かさず通った学校公開で見つめた彼らの顔つきが皆 大人っぽく お兄さん・お姉さんぽくなっていた。 

 ・・・ いつの間に こんなに しっかりしたのだろうか ・・・ 

 学校とは不思議なところである。 年長の時に受けた発達検査で 足ブラブラで多動の診断出せますと 役所が紹介してくれた専門医が残した言葉を胸に 入学式後の教室で落ち着きのない姿の子供達を見て ・・・ うちの子だけが多動なのか ・・・ という疑惑の目線で教室を見渡した私。 2年という月日が流れたが その波に乗れず あどけない顔の娘一人を 見付けた。 人より成長が遅いと言うことは 恥ずかしいことなのか。 それが彼女の生きる術であっても・・・ そんなことばかり考えていた2年間だった。 

 保護者会では3年生のクラス替えと始業式の日の集合時間 春休みの過ごし方や事故に注意して下さいと 何度も聞いたような話をプリント一枚見ながら聞いていた。 担任が保護者に一言づつ求めたので 私から語った。

「この一年間 娘が大変お世話になりました。 クラスのお友達は 皆 優しくて 娘も学校が大好きでしたが 3学期は体調も悪く あまり登校出来ませんでした。 3年生からは支援学級に籍を移します。 それでも交流等で 何処かのクラスにおじゃますることもあるでしょうが このクラスのお友達が娘を一番理解している理解者です。 これからも宜しくお願いします。」

 支援級に移籍することはいずれバレルことである。 今隠すより クラス替えで心臓障害のある娘を 理解しないお友達と交流することが怖い。 支援級=(知的)障害児クラスと思っている人々も少なくないだろう。 なら親が頭を下げて 娘の為にこのクラスの中の一人でいいから 親のいない小学校で娘の味方になってくれる人を作り上げた方が 得策だろうと思った。 勉強が出来ないのは事実である。 他人は娘を 知的障害児と思うかもしれない。 それはそれで 今となっては どうでも良くなっていた。

 私がカミングアウトしたことで 親が子供にしゃべるかも知れない。 クラスで噂になるかも知れない。 でも・・・ 親と子供達と そして娘がどう出るのか(それが原因で学校に行けなくなるのか・・・ *注意* 娘はそういうタイプではないのでカミングアウトしました) 残りの10日間余り見てみたいと思った。
 


  

2015年3月 4日 (水)

なわとび大会

 娘の体調もだいぶよくなりました。 本人も気を付け 夕方に一眠り 宿題はやらず休み時間にノルマをこなす・・・ そんなハードな(?)小学校生活を 送っています。 でも相変わらず体育お休み。 現在は動くと咳が止まらず 嘔吐・・・ まではいかず (でも食後は あやしい) ビミョーな回復期。 
 娘に 「今日の体育できそう? 無理しなくていいよ」 と言えば 「大丈夫。 絶対無理しないで 先生に 今日は・・・(上目づかいにしおらしい表情)で なんとかなるから ・・・」 と子供の口から そんな話を聞いてしまえば その勘違いを 正してやろうと思うのが母親。
 彼女自身 市内最初の心臓病の障害者手帳を持ちながら普通学級に行った児童であることは もちろん自覚なしである。 それは彼女をサポートする大人の事情である。 でもその一部を 面接とかで聞かなくて良い話を聞いてしまった娘。 彼女自身 自分の立ち位置を 今一つ理解していない。
 担任と家庭でのやりとりの過程で こちらから体育は無理させないで下さいとお願いしているのだ。 学校側の基本ルールを 万が一(心停止)に備えて 親ではなく 本人が苦しいといえば無理させないで下さいとお願いしてあったからである。 その過程を 子供は知らない。 周囲の人間も知らないのは 個人情報守秘義務があるからである。
 当初 校長は出来る運動を 例えば なわとび何回までとか リストアップして書いたものを 診断書にして提出することを 要求した。 そんなの医者でも分かるはず無い。 分かるはず無いと 教育者は理解していない。 健康な子だって 母親なら何回なわとび飛べるのか分かるはずである・・・ なんて言われても困るだろう。 預言者じゃないんだから 振る前のサイコロの数は言えない。 何メートル走れるのか 何メートル走らせれば心停止するのかなんて 実験してみなきゃわからない。 その実験台になりますと 手を上げる気も 毛頭ない。 体力なんて個人差なのだ。 フォンタン後の症例も 個人差がある。 絶対と保障された未来が欲しいと思っても 絶対安全な未来は来ない。 可愛い子供に 小学校という子供社会を 旅させているだけなのだ。 ある意味 冒険である。
 日々 冒険である。 でも それは子育て初心者全員がたどる道で 子供目線に戻り 忘れていた気持ちを取り戻し 遠い記憶をさぐり 親がしてくれたこと・してくれなかったことを 思い出す。 当時の気持ちも・・・。 

 娘は 自分が孫悟空のくせに お釈迦様の手のひらで 遊んでいる事を知らず お釈迦様が自分の家来になった気持ちになっている 天狗様である。 だからあきれてしまうのだ 謙虚な気持ちになりまさいと 指導したくなってしまう母である。 出来ない事は自慢ではない。 人と違うのは仕方ないが 仕方ないと思ってくれない人もいることを 教えないといけない。 だから謙虚さが必要なのだ。 上目使いで苦しげな表情を 一瞬で作り上げる病弱児である。 彼女なりに人間社会に適応し始めたが ・・・・・・な感じが残る母である。 
 そんな娘が 想定外の発言をした。

「ママ~。 今 なわとび月間で 休み時間もなわとび頑張るルールだからね・・・ 私 頑張ってるの~chick 」
 ナチュラルな娘に ナチュラルな質問を 返した母。
「何を?」 
「だから~。 なわとび!」 

「 ・・・・・・? chick
 動くと吐くという理由で 体育見学しているのに 休み時間になわとびしているのか・・・・? 出来るのか? 何回飛んでいるんだろう? 飛んでも吐かないのか? じゃあ・・・ なんで 体育見学しているんだ お嬢様!!! 

 ・・・ ありえない ・・・

 絶句した。 間を置いて 娘に聞いてみた。

 
「なわとび ・・・ 飛んでも 苦しくないの?」 
「平気だよ。」

 どうやら自分のペースなら 大丈夫みたいだ。 ← 注意:母親は休み時間になわとび飛んでいる現場を押えてはいません。 カスタネットみたいに 息継しながら飛ぶのを 飛べないブタが頑張る感じを 出来たと言っているかもしれませんsweat02
 絶対 普通の子が ピョンピョン飛んでいるようには 出来ないだろう。 かつて幼稚園で 体操クラブに入っていた。 幼体連のスポーツクラブで 娘のペースで逆上がりやブリッジ(皆はその姿勢で歩いていますが 娘はブリッジだけで顔が赤くなりますがすぐ直ります) や跳び箱3段(友達は7段)で マイペースに出来たを重ねていました。 あの時もお友達は 20-100回普通に飛んでいたが 娘は跳ねるタイミングと縄のまわし方のタイミングが合わず つっかえながら10回で息切れしていた。 今も同じだろうと予測した。
 

「吐かない?」 
「吐いてない」

 20分休みなら 朝食は消化したかも知れない。 昼休みは・・・・ 危ないsweat01 結果オーライなだけだろう。

「ねぇ。 体育休んで なわとび飛んでるの 誰からも指摘されないの?」
「う~ん。 飛べるんだぁって 皆 褒めてくれるよ。」 

 皆 不思議がっているの間違いじゃぁ ないんですか。

「なんで・・・ なわとび 学校にあるんですか?」 
「ああ・・・ 自分で時間割して 持って行ったから大丈夫だよscissors

 じゃあ・・・ 時間割 毎日自分でして下さい!!! って言うか 時間割してるなら体育着持って行くように!!!

「本当に 飛べてるの?」 
「できるんだよ~ぉ ママscissors」 鼻の下を伸ばして 自慢している。 「もうすぐ 発表会だからね!」 

 3月の土曜日に なわとび大会がある。 見に来てくれるものと思い 頑張っているそうだchick なんで頑張れるのか 私にも分からない お友達が頑張るから やる気スイッチが入ったのだろうか。 苦しくないのか? なら体育着着替えて 準備運動だけ参加するとか 出来ないのか? 呆れ果てて疑問を 口にした。

「・・・ ム~リ~ィ ・・・」 ← 妖怪ウォッチ風に読んでください。 ムカつきます。
「実は 体育着着替えたくないだけとか 言わないでねsweat02
「・・・ ム~リ~ィ ・・・・」 ← 本当に ムカつきます。

 そして現在も 自己申請の体育見学は続いている。 連絡帳に 保健室で寝かせてくれとは 厚かましくて書かなくなった。 世の中 知らないのは親ばかり・・・ という言葉が 頭を よぎった。

 皆笑ってしまうだろうけど 病弱児であることは 本当なの。 ただその本質は不明。
 それが・・・ 一例目???? ← 穴があったら入りたい心境ですsweat01 

 そして確か 学校生活管理表のD判定は なわとび禁止のはずである。 よく読めば書いてあったと思った。 医師からはマラソン・潜水水泳のみ口頭で注意された。 体育見学だから 指導として教師が無理させているわけではない。 子供の自主性 = 友達と過ごすことで切磋琢磨していると言うのだろう。 まだ何か起こったわけでもないし 適度な運動はさせるべきである。
 学校から渡されるプリントを その辺に山積みしている母親が言うセリフではないのでしょうが 学校も提出書類はファイルの中にとじてしまっているのだろう。 口うるさく言えば当初の校長の言葉通り これから同じ問題を抱える子供達が 校長からの就学拒否を受けるかもしれない。 
 自分の経験を礎に 心停止なんて そう簡単に起こらないと信じたい。 点滴一本で ここまで回復したのだ。 学校に楽しく通う娘を 親として応援したい。

 3月某日 なわとび大会をこの目で見て 娘の様子を さぐろうと思う。
 

  

 

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