太平洋戦争末期。
住民を巻き込んだ沖縄本島の地上戦が始まったのは70年前の4月1日。
沖縄県民の4人に1人、およそ12万人が犠牲になりました。
負傷兵の看護に当たったひめゆり学徒隊。
女学生123人が命を落としました。
それから70年。
亡くなった少女たちの同級生が先月、同期会を開きました。
黙とう。
悲惨な戦争体験を伝え続けてきた人。
アメリカ軍基地と関わりながら戦後を生き抜いてきた人。
皆、80代後半となった同級生たちの最後の同期会です。
戦争の傷痕を抱えながら歩んできたひめゆりたち。
それぞれの70年を見つめます。
70年前の4月1日アメリカ軍は沖縄本島に上陸しました。
沖縄は県民の4人に1人が犠牲になる凄惨な戦場となったのです。
後ろに見えているような暗くて深いごうには戦場で負傷した兵士たちが次々と運び込まれ動員された15歳から19歳の女子学生たちが砲弾が飛び交う中看護に当たり多くが命を失いました。
このごうではアメリカ軍に追い詰められたひめゆり学徒隊42人が亡くなっています。
アメリカ軍は沖縄を日本本土攻略の最重要拠点と位置づけまた日本軍は沖縄をアメリカの本土上陸を一日でも遅らせる防衛の拠点と位置づけ学生たちだけでなく多くの住民を戦場へと動員したのです。
こうしたことから沖縄戦を経験した多くの人々が本土を守るため住民が犠牲になった捨て石にされたという気持ちを今も抱いています。
この歴史が残した深い傷痕が沖縄が基地問題などを語るときに感じる痛みの原点となっています。
今、普天間基地の移設を巡って国と県が激しく対立していますが沖縄はアメリカ軍の専用施設の74%が集中する現実を踏まえ辺野古移設阻止を掲げています。
一方、国は粛々と移設を進める方針です。
沖縄の痛みの原点となった沖縄戦を多感な少女時代に体験し生き残った元学徒たち。
戦争の悲惨さ、平和の尊さを訴え続けてきましたが80代後半になった今その訴えが通じにくくなっていると危機感を抱いています。
戦中、本土を守る持久作戦が取られ戦後も国益のため安全保障の最前線となってきた沖縄。
歴史を生き抜いてきた元学徒たちはみずからの戦争体験心の痛みを抱えて今をどのように見つめているのか。
最後の同期会に参加したひめゆり学徒隊。
ひめゆり学徒と同級生たちを取材しました。
毎年60万人以上が訪れるひめゆり平和祈念資料館です。
ここでは元ひめゆり学徒たちが戦争体験の語り部として平和の尊さを訴え続けてきました。
一面に掲げられたひめゆり学徒隊の写真。
県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部の生徒や教師240人です。
教師などを目指し学んでいた15歳から19歳の女学生たち。
123人が命を落としました。
ひめゆり学徒隊が送り込まれたのは住民を巻き込んだ大規模戦闘の最前線でした。
医薬品や食料が不足する中学徒たちは負傷兵の看護に当たりました。
しかし最後は軍から解散を命じられ戦場に投げ出されました。
半数以上が犠牲となりました。
それから70年。
いらっしゃい。
はい、こんにちはです。
今回、同期会を開くのは当時、県立第一高等女学校4年の同級生たちです。
同期会ですね、楽しみです。
元ひめゆり学徒の渡具知美代子さんです。
当時16歳だった渡具知さん。
同級生たちと教壇に立つことを夢見ていました。
しかし、卒業式の僅か2日前突然動員されたのです。
渡具知さんたちはごうを転々としながら必死に兵士の手当てを続けました。
戦況が悪化する中渡具知さんたちは南部の海岸に追い詰められていきました。
ほかの学徒と手りゅう弾を使って自決しようとしたときアメリカ兵に見つかり捕虜になったのです。
渡具知さんは、今もある罪悪感を抱き続けています。
戦場をさまよっていたとき瀕死の子どもを抱える母親に水が欲しいと頼まれました。
しかし極限状態の中自分の水を渡せずその場を立ち去ったことを70年たった今も悔やんでいます。
80代後半となった同級生たちとの最後の同期会。
つらい体験を共にした友人と語り合いたいと考えています。
同期会に参加する人の中には戦後友人への後ろめたさを抱えたまま生きてきた人もいます。
國吉美恵子さんです。
國吉さんは、沖縄戦の直前県外に疎開したため学徒隊に動員されませんでした。
戦後は沖縄で基地にある売店などアメリカ軍関係の仕事を続けてきました。
幼いころに父親を亡くしていた國吉さんにとって生きていくための選択でした。
学徒隊に参加しなかったこと。
友人を追い詰めたアメリカ軍と関わりながら生きてきたこと。
さまざまな思いからほとんど同期会に参加してこなかった國吉さんにはこの70年引きずってきた記憶があります。
けんかしたまま別れた友人が学徒となり自決して亡くなったのです。
黙とう。
つらい記憶を胸に秘めて生きてきた学徒隊の同級生たち。
戦争体験を伝え残していく取り組みを始めたのは亡くなった友人たちの33回忌のあとのことでした。
自分たちの手で平和の尊さを訴える拠点資料館を作ることにしたのです。
ふるさとを離れた同級生たちも協力しました。
戦後、東京で暮らしてきた崎浜和子さんです。
街頭募金したりチャリティーしたり。
仕事や子育ての合間を縫って資料館建設の資金集めに奔走しました。
集まった寄付は2億円。
これまで資料館には2000万人が訪れました。
しかし、体力の衰えを理由に元学徒たちによる講話が先週で原則終了しました。
今、戦争体験を伝え残していく取り組みは転機を迎えています。
先月19日。
最後の同期会のために各地から集まった同級生たちです。
まず訪れたのは女学校があった場所です。
ここにもある。
あそこにもある。
同じ作者が。
中にあるのよね、何かがね。
向こうにも2つあります。
70年前、ひめゆり学徒隊はここから戦地に向かっていきました。
今回、同期会に参加できたのは38人。
黙とう。
別れの曲をお流ししますので…。
演奏されたのは戦時中に学校の先生が作った「別れの曲
(うた)」です。
元学徒たちは戦場でこの歌を歌い励まし合いました。
自決を試みたときに捕虜となった渡具知美代子さんもその一人でした。
戦場で亡くなった同級生に祈りをささげていました。
会が終わり、同級生たちはある場所に向かいました。
70年前追い詰められた学徒10人が命を落とした海岸です。
友人たちが逃げ惑った岩場を一歩一歩たどっていきました。
学徒隊に参加せず亡くなった友人に複雑な思いを抱き続けてきた國吉美恵子さん。
ここで自決した友人にこれまで言えなかった思いを伝えました。
住民を巻き込んだ激しい地上戦で県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦。
それから70年。
この日沖縄の海は穏やかでした。
70年前のこの4月1日という日ですけれども島袋さんはどんな状況に置かれたんですか?
3月の23日艦砲射撃が始まった日に学校も戦場へって出発しましてあの時も1週間ぐらいしたらあっ、もう勝ち戦で学校によく頑張ったぞご苦労だったとかいって戻れると思ったんです。
戦争が本当に始まったと分かったのが4月の5日ぐらいでした。
私たちもう戦争終わったと思ったらそこへもう血まみれもう泥まみれの兵士が突然各ごうに運ばれてきましたものでもう本当にがたがた震えていましたね。
それからもう毎日初め、血見ただけでもうがたがた震えて。
戦場だぞ、こんな弱虫で役に立たないとかいって衛生兵たちに怒られますとだんだん涙を流しながら泣きながらも、もうはい、はいって言ってもう本当に軍隊主義になっていって。
私たちが取材した渡具知さんがおっしゃってるんですけれども初めは非常に怖いとか恐れみたいなものがあった。
あったんです。
あったけれどもしばらくすると亡くなった方を見てもかわいそうというふうにも思えなくなったっていう。
当たり前になってしまうんです。
本当に考えられなくなりますね。
まひするっていうのかね。
これが戦場なんだよっていってよく、しっかりしてしっかりしてって怒られてるうちにもう毎日、何名の兵隊さんが死んでいっても平気になりましたね。
だから自分で自分が怖くなりますね、戦争って。
でもやっぱり一番つらかったのは解散命令のあとですね。
そのときに歩けない友達を残して私たちは出て行ったんです。
それが今でもあの暗いごうの中で誰にもみとられることもなく水が欲しくても水飲ませてくれる人もいなかっただろうとか。
もう、いろんなこと考えて今、何年たってもそれだけが生きるも死ぬも一緒みんな、このごうに残ってここで死んだほうがいいですって言ったんですけどそれはだめだって軍が許さないんですね。
この、ごうに残れる者は傷を負った者と病人だけだ。
はってでも歩け、出て行くんだ何言ってるんだっていってもう追い立てるもんですから。
この資料館っていうのは生き残った方々の思いが詰まった場所だと思うんですけれども一番、この資料館に込められた思いというのはなんですか?
やっぱり私、知らないことは恐ろしいことだと、この戦争が終わってから思いました。
あのころはいつも負けていても勝ってる、勝ってるとか。
他国で戦争してたときはなんにも感じなかったんですね。
ただ勝ってる、勝ってる。
だけど目の前で友達を亡くして助けてあげられなかったあのたくさんの兵隊さんを置き去りにして。
みんなそこの、ごうで死んでるわけですから。
戦争ほど恐ろしいもの、戦争ほどことばで表現できないくらい憎いもんです。
戦争を起こした人は許せないっていう気持ちがあります。
戦争を知ってしまった私たちはだから、絶対に戦争はどんなことがあっても戦争はだめだっていうこと。
私の思いはこんなにたくさんの友達亡くなってもう二度と戻ってこない友達家族もそうですけど戦争は人災なんです。
必ず人が起こすんです。
だから止められます。
戦争は止めることできるんです人間が起こすから。
だから、準備が始まったら止められないよって言います。
危機感を感じてらっしゃる一つの要因となっているのがこの資料館に来られた方々が書き残しているコメントを読んでいて。
感想文がね、やっぱり戦争はしかたがないとかじゃあ、攻めてこられたらどうするのかとかそういう本当に戦争を知らない方のご意見です。
遠い所からなんか少しずつ戦争への足音聞こえるような気がして体験したからそう思うんでしょうかね。
だから今なら止められると思って声を大にして、若い皆さんに戦争はだめですって言ってくださいって。
人間が犯す最大の過ちだからねこれは始まったら止められないから、今だよって。
島袋さんや皆さんが体験したせい惨な体験、その痛みの原点とずっと沖縄が負ってきた安全保障のいわば要という役割歴史から、ずっと連続して見たときに何が一番、沖縄の人々の心に刺さってるのかな、今。
20万近くの命が失われているのにまだ基地もあるさらに基地も作るって。
そういう、なんでこの沖縄っていうなんか宿命っていうんですかね。
だから、そこで生まれた私たちそこで育って戦争を体験した私たちがやっぱり最後の最後まで声を大にして戦争の恐ろしさ命の大事なことを伝えなければいけないと頑張ってはいるんですけどなかなかうまくもう戦争を知らない人が多くなりましたのでそれが伝わりにくくなっています。
この4、5年前からそういう気持ちでおりますね。
50年、60年まではもう絶対戦争はないって思ってますけどあれ?また戦争の準備が始まるんじゃないかねっていう不安がありますので。
今、一番大事な時だと思っています。
みんな、少しでも沖縄の苦しみか今ある沖縄を少しでも分かってほしいと思っていますね。
2015/04/03(金) 01:00〜01:26
NHK総合1・神戸
クローズアップ現代「最後の同期会 沖縄戦・“ひめゆり”たちの70年」[字][再]
10万人の住民が犠牲になったとも言われる沖縄戦。その象徴と言われてきた「ひめゆり学徒隊」の同期会が行われる。今、85歳を超えた「ひめゆり」たちは何を思うのか。
詳細情報
番組内容
【ゲスト】ひめゆり平和祈念資料館館長…島袋淑子,【キャスター】国谷裕子
出演者
【ゲスト】ひめゆり平和祈念資料館館長…島袋淑子,【キャスター】国谷裕子
ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
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