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【ばたおとだめお】第12回 左翼の振る舞い [ばたおとだめお]


私なりのメモ
昨年夏に話題になった、アルピニストの野口健氏がツイッターで紹介した、韓国を訪れた際に受けたという「日本人差別」のエピソードについて、わたし(hnhk=だめお)とばたおさんで議論
 野口健、韓国のタクシーで受けた「日本人差別」を告白 「日本人旅行者が減るのも無理はない」
 韓国での「日本人差別」10年ほど前だった 「あの時そうなら、もっと酷いのでは」 アルピニストの野口健さんに聞く

日本が戦前戦後通じて韓国・朝鮮・中国に対して行ってきた侵略(軍事的経済的)や敵対、そしてきわめて不十分な戦後補償等に鑑みれば、これらの国に暮らす人たちが反感を持っても当然。
日本国中焼け野原にされ民間人を大量虐殺されても、アメリカの戦争犯罪を不問に付し、沖縄を提供し続けることに何ら抵抗を感じないメンタリティーを持っている人達には理解不能だと思うが…

ネトウヨは日本にも韓国・中国にもいるが、加害国のネトウヨと被害国のネトウヨでは置かれている立場が違う。非対称であることに留意。被害国のそれは、従属的立場からの脱却を目指すナショナリズムの側面も持つ。

今回の野口氏の発言についてヘイトスピーチ反対の立場の人から非難があるという。
批判の切り口としては、野口氏のツイートの内容は真実だが、現状の政治的文脈では取り上げないほうが良いというもの、又は内容自体が虚偽であるとする二種類があるようだ。ただ、後者に関しては、被害者の完全無誤謬性を強調したいがために、真実から目をそらしている可能性があるだろう。

貧乏なネトウヨに対する一部左翼の嘲笑について
ネトウヨを打ち負かすために、世間一般の貧乏人に対する差別感情に乗っかった言論である可能性が高い。
一方で金持ちのネトウヨに対しては、別の基準(格差の元凶等)で批判することも考えられる。
個人の思想・行動ではなく、人種・出身・貧富等の個人の属性でもって批判するやり方は、まさしくネトウヨと同手法

第三者に対する説得的言論について
差別問題に関しては、差別主義者と反差別主義者間の論争の勝敗よりも、既存の差別感に依拠した主張の方が、第三者には説得的なのか?

共産党と社民党は、政策は良質なのに、なぜ支持が伸びないのか?
ズバリ、両党のマジ度が低いのを大衆に見透かされているから
戦後直後の共産党が支持を集めたのは、戦前の非合法活動の"実績"によってマジ度高と思われたからではないか?

では、現在はどのようにマジ度を証明できるのか?
例えば、格差是正を喧伝するのなら、議員歳費のうち自分の取り分は200万円で、超過分は全てカンパするとか。
お金に関連して言えば、共産党が政党助成金を受け取っていないのは、マジ度を感じる。
小渕優子氏を当選させるような封建農民には評価されないだろうが…

曽野綾子氏は、女性差別や対米従属等同意できない点も多いが、考え抜かれた思想であることは疑いない。それに比して、左翼やリベラルの一部は、何も考えていない連中もいる。

思想的葛藤もなく左翼やリベラルになった人よりも、思想に立脚し首尾一貫した言動の保守の方が信用できるし、特定課題では組めるのでは。

左翼の復権にはマジ度の強化が不可欠。例えば、自らの誤りを批判に真摯な態度で望む等
共産党に関して言えば、戦後補償や在日朝鮮人問題、原発問題に敵対したり無視してきた誤りを認めないといけない。
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アジェンダ第47号(2014年冬号) [アジェンダ]

jour47.jpg
アジェンダ第47号の特集は「問われる日本の戦争・戦後責任~戦後70年を迎えて~」
 
私がまだ大学生だった1995年は戦後50年にあたっていた。この時期、日本がテコ入れしてきたアジア各国の開発独裁・軍事独裁が崩壊したこともあり、それまで抑え込まれていた戦後補償を要求する声が顕在化した。
 
私が所属していた某サークルでは、在学生約二千名に戦後補償に関する意識調査を行ったところ、戦後補償を行うべきとする意見が9割を超えた。
 
世論一般では、ここまでの支持はなかったであろうが、戦後補償実施の意見は過半を占めていたように思われる。
しかし、その一方で右翼の強力な巻き返しが始まった。
また、失われた20年と韓国のキャッチアップ、さらに中国にGDPで抜き去られるなどした結果、戦後補償どころか嫌韓・嫌中勢力が一定の支持を得るに至った。
 
戦後補償・歴史認識問題は、日本及びアジア各国の為政者にヘゲモニーを取られては一向に解決しない。
彼等は、この問題をナショナリズムを扇動する手段程度にしか考えていない。
 
個々人がこの問題を自らの課題と捉え、その思考の果てに解決策を見い出す他ない。
 
以下コンテンツ(緑文字が雑誌コンテンツ、灰色文字は内容紹介及び私の一言感想等)。



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【ばたおとだめお】第10回・後編 努力をめぐって――能力主義と結果の平等 [ばたおとだめお]


※いつもカオスですが、今回もばたおさんとの禅問答が続きます。何でしたら最後の15分ぐらい聞くだけでも十分かと。

私なりのメモ

能力主義者は、万人が努力すれば必ず能力(スキル)を身につけられると信じている。
また、能力がある者こそが評価されるべきであり、その能力を発揮して得られたものは全て総取りすべきとする。
ゆえに、能力がない者は、己の怠惰のせいだとする。

能力主義者は、能力以外の評価基準(身分制・人種・性別・民族等によるもの)を否定する一方で、相続財産や遺伝的要因その他については考慮しないか無知である。

この努力・能力を至上のものとする考えは、相続・生産手段の私的所有が認めらている資本主義社会においては、許容しがたい格差を生む。
さらに、相続・能力を発揮しやすい環境・優秀な遺伝子を子に供与することによって、富裕層を固定化する機能も発揮している。

かつての身分制は、不平等だということで、能力主義的な考え方を持つ勢力によって打倒された。
しかし、能力主義は実質的な身分制を形成しつつある(格差の固定化として一般的にも認識されている)。

付け加えると、日本においては、この格差をいくぶん緩和する装置であるノブレス・オブリージュの精神も希薄である。

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