岡本玄
2015年4月4日13時50分
被爆地・広島の世界遺産「原爆ドーム」。前身の建物ができてから、5日で100年を迎える。被爆体験を語れる人たちが少なくなるなか、「核兵器の非人道性」を後世に伝える役割はますます高まっている。
「気の毒で、気の毒で……。申し訳ない気持ちで生きてきました」。戦後、こうした思いで原爆ドームを見つめてきた女性がいる。三原君江さん(89)=広島市東区。ドームの前身「広島県産業奨励館」の中にあった内務省の中国四国土木出張所で、19歳の経理職員として働いていた。
1945年8月6日午前8時15分。出勤が遅れた三原さんは奨励館から約2キロの広島駅で路面電車を待っていた。すさまじい閃光(せんこう)を伴い、原爆が炸裂(さくれつ)した。爆心から160メートルほどしか離れていなかった奨励館は熱線にさらされ、館内の約30人が亡くなったとされる。
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