浄霊と家計について


明主様御教え 「本療法と貯蓄」 (昭和18年10月5日発行)

「今日、大東亜戦争を勝ち抜く為の銃後人の御奉公として最も力を注がねばならない事は何といっても貯蓄であろう。

そうして貯蓄をするには予算生活を立てなくてはならない事も勿論である。

しかしながら、実際問題として、他のいかなる項目も努力次第で予算通りか、又はそれ以上に喰い止め得る事も敢(あえ)て不可能ではないが、

独り医療費のみはいかに努力するといえども、予算通りにゆかない事のあるのは誰もが経験する所であろう。

せっかく永い間、あらゆる苦心努力をして多少の余裕が出来喜んでいると、突如として家庭の誰かが病魔に襲われるとする。

直ちに医療を受ける。捗々(はかばか)しく治らない。やれ手術だ入院だという事になるとすると、その費額は貯蓄しただけでは間に合わない。

アベコベに借金をしなければならないというような事になる。

こういうような例は決して珍らしい事ではないのである。


右のごとき事例を考える時、今日確固たる予算生活は全く不可能であろう。

幸い半年か一年、医療費を予算以内で喰い止め得たとしても二年三年になるに及んで、十中八九までは前述のごとき予算突破の大違算に遭い、失望落胆しない時が来ないと、誰が言い得るであろう。

それは他なし、今日の日本人の体位が低下し、あまりに罹病し易いと共に、あまりに医療の効果がないというーその二つの原因である事は、まことに瞭(あきら)かな事実である。

右の意味において、本治療のいかに偉大であるかという事である。

修得者が一人でも家庭内にあり、全家族が、この日本医術による健康法と病気の原理を知るにおいて、滅多に罹病しない程の健康体となり、

たまたま罹病するといえども仕事を休まないで、容易に速かに治癒するのであるから、

一銭の医療費も要しない訳で、その利益の莫大なる事は量り知れないであろう。

しかも、常に安心を得つつ生活なし得るという事も、金銭に換え難い幸福であろう。

従って、私は断言するのである。本医術を知らないで予算生活を樹てるという事は、一種の投機的行為でしかないという事である。

故に、この意味においても、本療法こそは、今日の時局に対し、国家に裨益する所、いかに甚大であるかは、読者の想像を乞いたいのである。」 (「明日の医術 第1編」より)




明主様御教え 「病貧争絶無の世界」 (昭和10年9月15日発行)

「病貧争絶無の世界などと言えば、それは、理想であって、到底実現し得らるるものではないと世人はいうに決まっている。

しかるに、我運動は、その可能を確信して憚(はばか)らないのである。

しからば、病貧争を絶無ならしむる、その根本は、何であるかといえば、それは、何と言っても、病気の絶滅である。

まず、人が病気に罹るとする、その為の費用と職務につけない損失と、二重の負担は、病気が長びけば長びく程、いやが上にも累(かさ)んで、大抵の財産は失くなってしまう、

長年汗で貯めた貯金も費い尽し、親戚知人からは、借りるだけは借り尽し、去年まではいとも饒(ゆた)かに、平和に、楽しく暮していた家庭も、今は、見る影もない、ドン底に陥って終って、

貧と病苦に喘(あえ)いでいるという実例は世間余りにもすくなくないのである。

しかも、一人の重病者が出来た場合、その本人のみかは、その家族全体が無限責任を負わされる。

親戚知人は固より、時に依っては勤め先までさえに、大なり小なりの痛手を蒙らせるのである。

故に、病人だけが苦しむばかりか、四人も五人もの家族から、外部の者にまで打撃を与えるという結果は恐ろしい事である。

死ぬ程の病人が、二三人も続いたとしたら、まず万以上の財産家といえども、裏長屋へ引っ込むの止むを得ない境遇になるのは、数多くの実例が示している。


人々が貯蓄をするのに、二つの目的がある。

一つは、財産を造ろうとするものと、一つは病気の場合の治療費に充てる為とである。

前者は、積極的で、後者は、消極的であるが、この消極的貯蓄の方が、断然多い事は、誰でも知っている。


故に、貧乏の最大原因は、病気であると断定しても否定は出来まい、

次いで、争であるが、国と言わず、人と言わず、その最大原因は、経済上からである事も、又悉知(しっち)の事柄である。

故に、病貧争を絶無ならしむるとしたら、まず、根原である病気から解決付けてゆくのが本当の順序だ。

病気のない人間、これが先決問題である。

いかなる救いといえども、それより外にありようはずがない。

しかしてこれを実現する力こそ、観音力を措いて外に、絶対にないのである。

故に、こんな素晴しい事業は、釈迦、基督といえども、夢想だもしなかった事であって、これを信じ得る人こそは、未だ嘗(かつ)てない幸福者であると言えよう。」 (「病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何?」より)




明主様御教え 「一家心中と医療」 (昭和11年6月17日御執筆)

「近頃、流行という言葉はちと変ではあるが、一家心中という悲惨事が非常に多い事である。

昔から心中と言えば、男女の恋愛が動機であったのが、

一家心中のそれは生活苦であるという事は考えざるを得ない事である。
一家心中をしなければならないという事は、生活苦所ではない、生存苦である。

しかも、最愛な吾子までの生命を断つという事は、勿論、親のない孤児としての苦悩を避けしめようとする事と、

この娑婆において自分と同じようになるかも知れないという、

苦悩を免れしめようとする考慮からであろうが、

何としても為政者は勿論の事、一般世人においても軽々に済ませない問題である。


しからば、この原因はその根本がいずれにあるのであるかというに、そのほとんどが病苦が因をなしている事である。

稼ぎ人である親の病気、又は家族の誰かの長の病気、又は死亡等による経済的逼迫がそもそもの原因になって、

それから他のいろいろな付随的事情が纏綿(てんめん)して、ついに絶望状態にまで進むのであるというのが、その経路の大体である。

この故に、根本的にこれを救おうとするには、病気が迅速に治る、それ以外にあり様がない。

なる程近来、方面委員も相当に活動はしているが、それは何分の一にも当らない救いであって、

その大部分は漏れているばかりか、方面委員の制度さえ知らないものが、大多数である。

又仮(よし)んば方面委員の手で大部分が救われるとしても、

そういう不幸者が、無限に発生する現在の社会として、それに飽くまで応ずる事は事実不可能であると共に、

国力の損失の甚大さは堪え得るものではないであろう。

以上のごとく、その徹底的解決策としての治病の迅速という事は、現代医学の程度では、その可能の望みは絶対ない事である。

しからば、他にありやといえば、勿論、それは観音力療病術である。

いかなる病気といえども、発病後直ちに来るものは、そのほとんどが数回で全治してしまうから、実に理想的である。

この療法が一般化するにおいて、一家心中などの忌わしい問題は、絶対有り得ない社会になるであろう。

噫(ああ)、一日も早く本療法を一般化したいものである。」




明主様御教え 「或質屋の話」 (昭和24年9月10日発行)

「この間東京神田の某質屋の主人から聞いた話だが、

最近質屋は大繁盛であるそうで、新規開業も殖えつつあると言う事だ、

そうしてこの原因はと聞いてみると「病気のため」で、

今日医師に罹った場合、医療費が非常に高くしかも長びくので、

生命には代えられないからヒト工面しても続けなければならないという訳で、全く悲惨な話であるというのだ、

次は、勤めている会社の給料遅延とこの二つのためというのだ。


右二つを社会問題として観る時、由々しき大問題であると共に、

その解決こそ焦眉の急を要する、すなわち給料遅延は大した問題ではないが、

医療費問題の方は底知れない深刻さがある、

とすれば本教浄霊のいかに重大意義を有するかである、

実際上現代医学はその点忌憚(きたん)なくいえば病気を治癒する力はないのだ、

吾らが常に言うごとく、医療は一時的苦痛緩和だけの効果で、

その苦痛緩和の方法が、実は病気増悪の原因となる事など全然知らないのだから問題は重大だ。

この一大誤謬に目覚めないがために、人間はいかに病苦に災いされると共に、

その結果として貧窮の境地に落込むという二重苦だから何たる悲惨事であろうか、

何よりも前記の質屋の問題だけにみても明らかで、これは氷山の頭が見えたのと同様であろう。


以上の事実に対し、罹病の場合僅かな治療費で短期間に全治するという医術が生れなければ人間は余りに可哀相(かわいそう)だ、

しかし世人はそのような夢にも等しい医術が生れようなどとは想像だも出来ないから、

現状のままの状態で仕方がないと諦めて、相変らずの悲劇を繰返しているのが今の実情だ。


ところが、本教浄霊法こそ右の夢が具体化したものである以上、現社会のこの欠陥に対し晏如(あんじょ)し得ないのだ、

そのため本教発行の光新聞及び雑誌地上天国、種々の著書をもって目的達成に邁進しつつあるのだ。

先日ラジオの「家庭の話題」の時間に、右の質屋の主人がその事を話したが放送局は肝腎な所を削ってしまったとはおかしな話だ、

マサか放送員が医師会から賄賂を貰った訳でもあるまい、とすればいよいよ判らない。」




明主様御教え 「貧乏の原因」 (昭和24年6月30日発行)

「本教のモットーである、病貧争絶無の世界を造るというについては病気に関する事は、あらゆる角度から相当検討し解説したつもりであり、

なお今後も引続き、神示の医学として解明するはずであるから、次の問題である貧と争についてかいてみよう。

そもそも貧の原因はもちろん健康の破綻からである事は言うまでもないが、それ以外の原因にも重要なものがあるから、それをかいてみよう。


貧の原因が、病気のため働けないばかりか、多額の医療費を要する事、それも短期間ならいいが、長期にわたるとすれば、勤務先は馘(くび)になり、病気の悩みの外生活苦も加わり、二重の責苦に遭い、

前途不安の暗雲に閉され、進退きわまり、その苦悩たるや実に地獄のドン底ともいえるのである、

かような境遇にある不幸な人々は世間到るところに充ち満ちているのである、

そういう多くの不幸者が、本教を知ってたちまち地獄から脱出し、前途に光明を認め、歓喜の生活が開始されると言う実例は、おかげばなし中に、無数にみられるのである。

これだけで貧の大半は、解決出来るのであるが、なお進んで今一つの重要事をかき、絶対的貧の解決の秘訣を知らしめるべく、私の体験をかいてみよう、

私は若い頃無信仰でありながら、社会改善の志望やみ難く、それには新聞事業程効果なるものないと思い、調査したところ、当時百万円くらいを要するとのことであった、

私は貧乏人の伜(せがれ)で、親から貰った僅かばかりの金で世帯を持ち、九尺間口の小間物小売業を創めたところ、大分成績がよいので、

一年余りで問屋を創め、十年くらいで業界から成功者と言われるようになり、資産も、当時の金で(大正八年頃)十五万円程をかち得た、

そこで新聞事業の資金を早く獲得しようと大いに焦って手を拡げすぎたため遂に大失敗をし、逆にマイナスになってしまった、

その結果最早新聞事業どころではないと諦め、苦しい時の神頼みで宗教にはしり波瀾重畳の経路をたどりつつ多額の借金に苦しめられる事約二十年程であった、

しかし今考えてみれば、これが私の難行苦行であったのだ、世の常の宗教家といえば山に入り滝を浴び断食をするというような訳だが、

私はそれよりも一層の難行であり苦行であると思った、もちろん貧乏のドン底に喘いだ事も一再ではなかった、その時覚り得た貧乏哲学をこれからかくのである。


およそ貧乏の原因は、病気以外は借金である、人間借金をしなければ決して貧乏にはならないという結論を得た、

というのは借金をすれば返済の期日が必ず来るとすれば、払う金は確定的だ、ところが入る金は決った日が来ても大抵は延びるものだ、そこで喰違う、

また借金は皆済するまでは一日の休みもなく利子がつく、ゆえに算盤では儲かるようにみえても、利子を差引くと、案外儲からないことになる、

また借金は絶えず精神的に脅かされ、心に安心がないから良い考えが浮ばない、智慧が鈍るという訳である。


以上のごとくであるから、世間多くの失敗者や、貧乏に落ちる人のほとんどは借金が原因といってもいい、

この意味を悟った私は常に人に向かって言うことは

十万円の資本があるとすれば、まず三分の一、三万円で商売をしろというのである、

このような行き方は、最初は小さいようではあるが、実は時が経つと案外大きくなるものである、

というのは三万円なら少々失敗があってもこの次は失敗の経験で知識を得ているから、

別の方法で、また三万円で創める、これで大抵は成功の緒に着くものである、

万一それでも失敗したら、最後の三万円でやれば、今度は必ず成功するのである、

ところが世の中で大抵の人は十万円の資金をもつと資金一杯で創めるが、中には反って五万円の借金を足して十五万円で創めるという訳で、実に冒険である、

ゆえに失敗したら最後、再び起つ能わざる致命傷を蒙るのは当然である、

ところが私のいうやり方だと資金に余裕があるから非常に安いものとか、確実な金儲があればすぐに乗り出す事が出来るから、案外ボロイ利益を得る、

それに引換え、資金が手一杯だと支払にまごつくような事もあり、延ばすような事もあり得るから信用が低下する、

ところが余裕があると、いつも支払は確実だから信用が厚い、という訳で種々な利益がある、この事について私は大きい例をかいてみよう。


日本が今日のごとき敗戦国となったその最大の原因は借金政策である、これに気のつく人は余りないようであるが、これは大いに関心を持たなければならない、

今次の大戦前までは日本の貿易は年々輸入超過であって、借金は年々殖えるばかりで、ついには借金のための借金をするようになってしまった、

その借金でどんどん軍備を拡張し、領土を拡げ益々侵略の手を伸したのである、

もちろん国外の借金ばかりではなく、国内の借金、すなわち公債政策も極度に拡張した、今赤字で困っている国鉄もその遺物であったという訳で、

もしも日本がこの借金政策を行わないとしたら、侵略の野心家もあるいは出なかったかも知れない、

そればかりではない、年々貿易は出超となり、富裕な国になったに違いない、

その結果平和的文化は大いに発展し、国民の道義は昂揚し世界で羨まれるような幸福な国家となったであろう事はもちろんである、

このような富裕国とすれば、食糧の不足は必要だけ楽に輸入されると共に、

日本人の平和的である事の安心感を各国に与える結果、広茫(こうぼう)の土地の所有国は挙(こぞ)って日本移民を歓迎するであろうから、産児制限の必要などはあり得べくもないということになろう。

国家でさえ、借金政略の結果は以上のごとくであるとすれば、個人といえども何ら変るところはないのである。

貧の解決法は以上によって理解され得るであろう。」