薬剤の短命性について


明主様御教え 「薬効短見論」 (昭和25年5月6日発行)

「よく新聞紙上などに、何々病気に卓効ある新発見の薬剤が出来たといって医学の進歩を誇称するが、これは大いに注意の要がある、

何となれば薬剤の効果はいかに顕著であっても短期間では信用出来ない、

どうしても数ケ月から二、三年くらいの間治癒状態を眺めてからでなくては安心出来ない、

厳密にいえば少なくとも十年以上の成績を見るべきで今一層厳密にいえばそれでも足りない、

本当からいえば数十年の長い実績を見てからで始めて安心出来るのである、

現に私は三十数年以前歯痛を治すべく使用した薬毒が今もって残存し若干の苦痛が残っているのに見て明らかである。


以上によって見ても、薬剤の効果なるものは一時的で直に有頂点になるのははなはだ軽率である、

言うまでもなく尊い人命を扱う目的である以上、慎重にも慎重を持すべきである、

滑稽なのは先年文化映画で見た事であるが、脚の萎えた鶏にオリザニン(今日のビタミンB1)の注射をするや、見てる前で歩き出すので、

見た人はなるほどオリザニンは脚気に利くと思うのであるが、

事実は終日を経れば元の木阿弥となるのは必定である、

右のごとく薬剤の効果なるものは一時的で、時を経て必ずその反動が起り、

しかもその薬毒は次の病源となるという事である、

この意味において新薬の著効を吹聴する事は、薬業者の金儲けの手伝い以外何物でもないという結果となるのである、

ゆえにこの点に目覚めない限り、真の医学の確立は不可能である。

真の医学とは薬剤をいささかも使用せず、人間自体の治病良能力を増進させる事でそれ以外根治的効果は得られるはずのない事を警告するのである。」




明主様御教え 「結核と特効薬」 (昭和26年8月15日発行)

「結核の薬くらい、次々と出るものはあるまい。

近年になってセファランチン、ペニシリン、ストレプトマイシン等々随分もてはやされた。

ちょうど何かの流行のようである。このようにそれからそれへと新薬が出るという事は、もちろん前に出たものより効き目がより高いからであろうが、

さきに詳説したごとく、薬の効き目とは毒の効き目で、毒が強い程よく効く訳であるから浄化停止の力も強い。

としたら症状が軽減するので、特効薬として売出されるのである。

しかしいずれはその薬毒の浄化作用が起るから、毒の強い程浄化も強く来るという次第で、

結果は一の苦痛を免れようとするその方法が、二つの苦痛の種を蒔く事になる。

それが薬学の進歩と思っているのであるから、問題は大きい。

従って有体(ありてい)に言えば、医学の誤りが病人を増し、薬剤業者を繁昌させ、新聞屋に多額の広告料を奉納するという、それ以外の何物でもない事を知るであろう。

憐れむべきは現代文化民族である。私がこの重大事を発見し得たという事は、いよいよ時期到来、暗黒界に一条の光明が射し初(そ)めたのである。

もちろん地上天国出現の間近い事の示唆でなくて何であろう。」 (「結核の革命的療法」より)




明主様御教え 「薬剤に科学性はない」 (昭和28年9月23日発行)

「これはチョット聞くと変に思うであろうが、事実によって考えればよく分るハズである。

というのは新薬を作る場合、科学的に正確な論拠がある訳ではなく、

ただこの病気ならこの症状なら多分効くだろうくらいの推測の下に、

まず最初二十日鼠、モルモット、猿などに試みてみる。

その結果効き目がありそうだと思うと、今度は人間に試験してみる。

それも長期間ならいいが、それでは暇がかかるので、数週間ないし数カ月の成績によって、可否を決めるのがほとんどであろう。

それで良ければ早速人間に応用してみて、これならまず大丈夫と思うと、始めて発表するというのが大体の順序であろう。

そこでいよいよ発表するとなると、大新聞などデカデカと報道するので、

一般人はなるほど医薬は進歩したものだと感心し有難がるのだから、まことに単純なものである。


ところが事実をみると、薬なるものはたとえ数力月くらいは効果があっても、それから先が問題である。

というのは無論薬剤中毒が現われるから、せっかくの効果は零(ゼロ)となってしまうのがほとんどで、

まず長くて数年くらいで駄目になるのは、今までの幾多の例に徴しても分る通りである。

何しろ新薬が次々出ては消えてしまうのが何よりの証拠である。

従って現在一般から歓迎されている結核特効薬のどれでも、まず数年の寿命と思えば間違いあるまい。

これにみても薬で病気が治ると思うのは錯覚で、薬屋の懐を肥すだけであるから、これに目覚めない限り、医薬の進歩などいい加減なものといえよう。

衆知の通り近頃の新薬ときたら、ちょうど何かの流行品のようで、一時パッとして大騒ぎされるがしばらく経つと駄目になるのを見てもわかるであろう。」




明主様御教え 「医学の発見に就て」

「最近中村医博が死人の眼球を利用し角膜移植によって、盲眼を治癒し成功したという報告があり、それをよく聞かれるからここに解答するのである。

白内障等にて水晶体が曇った場合、程度艶消硝子(つやけしガラス)のようなものであるから、透明硝子を入れ替えれば一時見えるのが当然である。

しかし時日が経つに従ってまた元通り見えなくなるのである。

何となれば白内障の原因は前頭内にある毒素が、浄化作用によって眼球から排除されようとして集溜するものであるから、

一時消失してもいつか元通りに再び集溜するのである。

それは原因である頭脳内の毒素が皆無にならない限り、そうなるのは当然で、しかも頭脳内の毒素は案外に多量であるものであるからである。

従って根本的に治癒するには現在眼球に集溜せる毒素と、前頭内に残存せる毒素との両方を排泄されなければならないのである。


今日まで医学における新療法または新案は例外なく一時的効果であって、決して永久的効果はただ一つもないのである。

例えば手術にしても一時治癒したように見えても事実は再発するか、または他の病源が新たに作られるかどちらかで、決して発病以前の状態にまで全治させる事は不可能である。

これは医家も充分知っているはずである。

これを二、三の例を挙げてみるが、彼の扁桃腺除去によって扁桃腺は起らないとしても、

淋巴腺や耳下腺炎が起りやすくなり、頭脳にも影響してその活動力が鈍化し、根気が薄くなり、集中力が薄弱になるのは、吾々が常に経験するところである。

また盲腸炎手術の結果は腹膜炎、肝臓障碍、萎縮腎等を起しやすく腹力が弱まり労働力が減退し精力が衰える事はこれまた常に見る所である。

また腎臓病の療法として、一方の腎臓を剔出(てきしゅつ)除去する結果、残りの腎臓は二重の負担がかかるから障碍が起りやすく全身的にも精力の減退は著しく、まず一人前の人間としての生活力はなくなるのである。

その他胃癌直腸癌の手術など、成功して廃人同様となり生命も数年を保つに過ぎないのである。

しかしながらこれらの手術について医学がいつも言う事は、数ケ月しか保てない生命を手術によって数年延びるとすれば差引き有利ではないかというのであるが、

これがまた大変な間違いで、吾らの経験上数年保つ寿命を手術のために数ケ月に短縮される方がずっと多いのが事実である。

これに目覚めない医学にいつも長大息(ちょうたいそく)するのである。


次に薬剤についていうが彼の肺結核の特効薬としての薬剤であるが、昔はクレオソート剤を唯一のものとして盛んに用いられたもので、

これは防腐剤で肺臓の腐敗を防止するというのであるから、いささか滑稽で今日は電柱等の防腐剤として用いられている。

近年に至りセファランチンが一時推奨(すいしょう)されたが、ペニシリンが出てこの方法が流行の勢を示したが、

最近はストレプトマイシンが代って流行するかと思えば、昨今それ以上の特効薬が出来たという事である。

これらによって見ても判る通り、新薬を試験するや、一時的効果に幻惑され、有頂点となって発表し宣伝するのであるが、

もちろん一時的で持続的効果がない事が判り、たちまち放棄せられ、次から次を求めるというのが真相である。

故に今後何十何百の特効薬が出ても、全部無効果である事を吾らは断言して憚(はばか)らないのである。」