その他の療法について
明主様御教え 「病気に対する手当は有効乎」 (昭和11年御執筆)
「病気に対する手当としては、各種の方法がある。
まず、氷冷法、罨法(あんぽう)、吸入、湿布、芥子泥(からしでい)湿布等である。それらを簡単に説明してみる。
一、氷冷法は最も不可である。
高熱といえども氷冷しないに限る。
何となれば、患部を氷冷する時は、自然治癒作用は、停止されてしまうからである。
一例を挙ぐれば、中耳炎の場合、中耳炎は膿汁が排泄されようとして、中耳内に浸出し、それより外部に出でんとする。
その為の痛みと高熱であるから、この場合患部を氷冷すれば、膿は中耳に向わずして、方向転換をするのである。
それは後脳へ移行し、脳膜炎を起すのである。中耳炎だけで済むべきを、脳膜炎を併発させるという、それは氷冷するからである。
又、盲腸炎を氷冷するとする。
氷冷しなければ、高熱に依て膿溜は解溶され、便となって排泄し、治癒されるのであるが、
氷冷の為にその作用は停止されるから、治癒が非常に拗(こじ)れるのである。
それが為に手術を要する様な結果を、招来する事になるのである。
他の疾患においても、大同小異であるから略する事とするが、ただ、高熱によって頭痛の場合、水枕位は差支えないのである。
一、罨 法
あらゆる病気に対し、温めるという事は、多少の効果は必ずあるもので、従って、害はないのである。
腫物、歯痛等に応用すれば治癒を早める事は確かである。
それは、膿溜を解溶すべき、発熱に加えての人工熱であるから、自然治癒を援助する訳である。
一、吸 入
これは、治療上効果もなく、さりとて害も無いのであるが、手数を要するだけ無駄であるから、
まず応用しない方がよいであろう。
特に小児においてそうである。
一、湿 布
これは反って害があるのである。
前述のごとく、治療上温めるのはよく、冷すのは悪いのであるから、
たとえ、熱湯湿布をするとも、暖い時間より冷たい時間が多いから不可である。
且つ、薬剤を使用するにおいては、反って害があるのである。
何となれば、薬剤が皮膚から参透すればするだけ、それは膿汁のごとき、不純物と化するからである。
一、 芥子泥湿布
これは、急場の場合、多少の効果はあるものであるから、
我療法を知らない人には、応用してもよいのである。」 (「新日本医術書」より)
明主様御講義録 「各種の治病法」 (昭和11年7月)
灸 点
すべて治療という事は、病気は汚い物が溜るんですから、
水で洗うか火で焼くか、どっちかの方法であって、
灸は一時・・・火で焼く意味でありますから、相当の効果はあるのであります。
しかし勿論、体的燃焼であるから、治るとしても一定時であって限本的ではないのであります。
かつ又、灸は体の火であるから、非常に熱いという苦痛があるから、理想的ではないので、
真の治療法とは快く治ってゆかなくてはならないのであります。
序(ついで)ですから贖罪治病について説明をしてみましょう・・・
贖罪療法は、
昔から相当にあるのであります。
世界人類の罪を贖罪したのは、イエス・キリストである事は誰も知って居るところであります。
又、人の道の開祖御木徳一(とくはる)という人は、最初、金田徳光という人に遇った時、
それまで御木氏は重症な喘息だったんですが、
金田氏、いわく「貴方の喘息は私が治して上げよう」と言った。
するとその晩からさしもの喘息が治ってしまった。
すると金田氏の方はそっくり喘息を引うけ、それから一月位苦しんだというのです。
これらは勿論、立派な贖罪治病であります。
御木徳一氏はこの事に感じて、自分もその様な購罪治病をしたいという決心をしたのが開教の動機だそうであります。
贖罪治病は相当昔から行われたという事は疑う余地はないのであります。
貴方方でもそういう事がよくあるはずであります。
例えば病人を治療する場合、自分もその通り悩む事がある。
これは幾分の贖罪であります。
そうしてこの贖罪は水の働きでありますから月の系統の人であります。
つまり水の性ですから汚れ物を洗う訳で、その洗う為の塵や垢を引受ける、それが贖罪なのであります。
本療法は、霊的の火で焼いて水で洗う、ツマリ両方の働きを一人で行るので
一旦火で焼くからして残るのは極僅かな灰であります。
水で洗っても、術者の引受ける量が極少いので、
多数の病人の治療をしても、割合楽なのであります。
鍼(はり)は、
矢張り浄化作用を一時止めるので、薬剤による毒素療法と同じ意味なのであります。
血管の太い所へ鍼を打つとその部の筋が脹れる。
その為血液の流動が妨げられるから浄化作用が停止する。
それで一時的苦痛は緩和されるという訳でありますが、
その腫れが引くと、再び元通りになって悩むのであります。
次に注射は、
毒素を血管の中へ入れて浄化作用を弱らす一種の逆療法であります。
手術は、
悪い所を除るのでありますが、結果の良い事もあり悪い事もあって、確定治療にまでは至っていないのであります。
しかし、宗教的に言うと、神から授けられた肉体に一寸でも傷を付けることは罪を構成するので、肉体は神からの預り物であるから、
大切の上にも大切にしなくてはならぬというのであります。
灸だの手術だのは、一生涯一種の障害者になる事になる。
何程美人の玉の膚でも灸の痕が着いたらもうお終いで、植木屋が折角咲かした花弁に線香で焼痕を作る、
それと同じで造物主に対し、大いなる冒涜でさえあると思うのであります。
手術をした人などは、実に二目と見られないのがありますが、
治療上・・・止むを得ないとも言えますが、手術すべき症状も手術せずに治癒するとしたら、こんな結構な事はない訳であります。
ここに本療法の絶大な価値があるのであります。
又、酸素吸入というものがありますが、これも疑問があります。
最近仏国の某飛行家の発表するところによれば飛行機に乗って
一万尺以上の高空を三十分以上飛行すると大抵の風邪は治るというのです。
これはまことに面白い発見と思うのです。
学理上上空へ行く程酸素は稀薄になる訳ですから、
酸素が多い方が良いのか、少い方が良いのか訳が判らなくなるのです。
元来、空気の構成は、酸素、水素、窒素等としてありますが、
いずれにせよそれらの原素はちょうど人間の呼吸に適した様に配合されてあるに違いない。
それはちょうど、砂糖と醤油鰹節など混ぜてちょうど好い味にして食せる様なもので、
砂糖だけ、又は、醤油だけの一種では仕様がない。
酸素吸入はちょうどその一種だけという行り方ではないかと思うのであります。
次に、氷冷ですが、
これは一時発熱を下げたり、苦痛を緩和しますから効果がある様に思われますが、
実際から言うと全然浄化作用を停止さすもので、それだけ治癒は後れるのであります。
昨年の夏、嗜眠性脳炎で死ぬ人が多かったのは、あれは氷冷の為であると私は想ったのであります。
盲腸炎なども冷す為に膿が固まる。
固まるから切らねばならぬ事になるという訳で、氷冷しない方がより速に治るのであります。
最近西洋の某学者の唱え出した説に、日光中には、人体に非常に良い紫外線などがある代りに又非常に悪影響を及ぼす何ものかがある、と言うのです。
日光浴
大体人間は日光に晒さるべき動物ではない。
日光に終日照らされるのは余りに強過ぎる訳であります。
しかし、働いて汗を掻きながら照らされるのは極良いので、
何もしないで長時間日光に照らされるのは悪いのであります。
夜露に当るのは毒だといっていますが、私は夜露に当るのは非常に良いと思うので、
病人に夜露に当る様に言うのであります。
それは月の霊気も肝要だからであります。
又 地霊も非常に良いのであります。
地息に触れるという事を昔からいいますが、「土の霊気」も人体に必要なのであります。
従って家の中での運動よりも戸外の方がずっといい。
それは地の霊気に触れるからであり、この意味において土弄(いじ)りなどは非常に良いのであります。
要するに、太陽と月と土の霊気によって、万物は生成化育さるるのでありますから、
もし日光浴をすれば、月光浴もしなくてはならない。
地霊にも触れなくてはならないのであります。
近来、ビルディング病というのがありますが、あれは地霊に遠ざかる為と思うのであります。
湿 布
次に又、人間は皮膚面からも呼吸しているものであって、
湿布をするとこれを妨げる関係上、新陳代謝を妨害する事になり、
浄化作用を弱らせる事になるのであります。
塗布薬
これは薬が皮膚から参透し、血液を濁し、浄化作用を弱めるから、
一時苦痛は緩和されるが、治癒は後れる事になるのであります。」 (「岡田先生療病術講義録 上巻 3」より)
明主様御講義 「灸、電気、鍼、按摩、手術」 (昭和10年御執筆)
「灸治法は、確かに相当の効果はあるものであるが、それ以上に不可なる理由が在るのである。
それは、人間の肉体は、神の最高芸術品であるから、その曲線、皮膚等の美は、飽くまで保たす様努めるのが本当であって、
いよいよその若さを保たすべく、いささかも、汚さざる様になすべきが本当であって、
これが、造物主に対し奉り、報恩感謝であり、大神心を安んじ奉る、人間の心構えであらねばならぬ。
それに何ぞや、婦人等の艶麗珠のごとき、雪の膚に見るも惨(むごた)らしき、焼処の極印を、大中小羅列するに至っては、沙汰の限りである。
たとえて言えば、園芸家が、美しく花を咲かしたとする。その艶(あで)やかな花弁面へ線香を以て、焼穴を作ったのと変りはない。
その園芸家はいかに嘆くであろう。
これを思えば、灸治のいかに、間違って居るかが肯(うなず)かれるであろう。
故に、灸治に依って、病気治癒の目的は達せられたとしても、神へ対し奉り、冒涜の罪は免るる能わず、
いつかは必ず、その罪の清算に依って、相応の苦しみは脱れる事は出来ないのである。
電気療法も一時的、相当の効果はあるが、病気を根治する事は出来得ないのである。
これは多く説明する必要はない。霊から治す力がないからであって、体的に一時は良くするのであって、
偶々(たまたま)、その病気が治癒する様に見ゆるも、必ず他に、悪結果を及ぼすものである。
鍼療は、灸と同じく、神よりの賜り物へ、傷を付ける業であるから不可なのは言うまでもない事で、
又その効果も体的療法であるから一時的であって、根本治療にはならないから不可である。
按摩は、これだけは確かに保存すべきものである。
何となれば、人間は、就中(なかんずく)、都会人は、腕と脚の運動が平均しないものである。
いかなる人といえども、腕を使用するより、脚を使用する方がずっと多いのであるから、
腰部より脚部にかけては、良く血液が循環するのであるが、
腕より肩にかけては、自然血液の循環が、非常に悪いのは当然である。
それが為、欝血(うっけつ)して、肩や首筋が凝る結果になるから、これを補うべく、按摩の必要があるのである。
故に、平常出来るだけ、腕の運動をする方がいいのである。」 (「日本医術講義録 第1篇」より)
明主様御教え 「酸素吸入の誤謬」 (昭和11年御執筆)
「重態の病人に対し、酸素吸入を応用する事が流行しているが、
これが非常な誤りであって、反って病気には良くないのである。
何となれば、人間が二六時中、呼吸して生きている天与の空気は、
酸素や窒素、水素等完全に調和密合されたる完全無欠なものである。
従って、特に酸素ばかり吸収するという事は、常識から考えても、その誤謬である事が、まことに瞭(あき)らかである。
もし、健康体の人間が酸素吸入をしたなら、僅かに健康に異常を来すであろう。
況んや、病人においておやである。
これについて、最近、非常に面白い発見があった。
それは風邪を治療するのに、飛行機に乗ると好結果があるというのである。
最近、倫敦(ロンドン)の医師、ピーボールトン博士とエフェーノット博士によって称えられている。
それは、一万フィートの高空を、約三十分間飛行すると、
初期の風邪なら忽ち治ってしまうという事である。
その説明としては、酸素が稀薄なので、身体組織は酸素を得ようとして、活動を開始するからであると言うのである。
故に、この理から推せば、酸素吸入は、反って反対である事を識るのである。
であるから、酸素吸入は、反って害があるという学説が、いずれは唱導されないとも限らない。
その結果ついに自然空気を吸うのが一番良いという事になるのは、火を睹(み)るよりも瞭らかである。」 (「新日本医術書」より)
明主様御垂示 「酸素吸入、毒発生の母体」
信者の質問
「呼吸困難に陥っている重病患者に酸素吸入をすると呼吸が楽になるが、酸素が呼吸に及ぼす影響について・・・」
明主様御垂示
「酸素吸入すると、酸素は乾かすものであるから、それだけ楽にはなるが、非常にわるい。
医学的はどこまでも一時的で、必ず反動がある。
毒は水素に湧き、苦痛は皆水素である。」
明主様御垂示 「話し・笑い・言霊による治病法」 (昭和24年4月28日)
信者の質問
「ただ今筑後地方では、話で人の病気が治ると云うので、町や村の学校に人を集めて盛んにやっているそうであります。
その先生と云うのは、姓名は判りませんが、二十年位修行し、ただ今は佐賀県の方に道場があり、大変な人が集まり、
唖、聾、盲、その他の病者が嘘のようにその場で治ると云う話ですが、いかなる事でありましょう。」
明主様御垂示
「これは宣伝である。絶対に嘘である。アメリカでも大分流行った事がある。
それは例えば、肺病なら、自分で「自分の肺病は治った」と云うのである。それで相当に治ったものだ。
また、言霊で「腹の痛み去れ」というと除れる。
しかしこれは本当に治ったのではない。一時的である。
また、医者で、ある時間話しをして、医学を第二にする法がある。これも相当効果がある。
昔、「笑わせて」憂鬱病など治す方法もあった。
しかし病気は浄化であって、根本的に除らねば駄目で、他の方法は皆一時的である。」
明主様御垂示 「ウスヰ式治療法も固め療法」 (昭和23年4月8日)
信者の質問
「水の霊統も固めに属するのでしょうか。」
明主様御垂示
「固めです。自分の力で治療するのは固めです。
ウスヰ式治療法なんかも固めです。
あれは重病人は入院させてましたが結局御自分も入院して死んでしまった。
元、海軍の軍人の間にだいぶさかんだったですね。」
明主様御垂示 「薄井式も固め療法」 (昭和24年12月20日発行)
信者の質問
「先日のトリビューン紙に苫米地(とまべち)氏が「私の霊療法は固めるのだ」と申されておりますが、同氏の霊は水系統のためでしょうか。」
明主様御垂示
「「固める」ってのは私がそう言ったんですよ。(笑声)・・・
ああいう人はおまけをつけますからね。
あの新聞には、私の言ったことをあれが言ってるように書いてありますよ。(笑声)・・・
昔のは固めるんで、海軍の軍人の間に一時はやった薄井式療法なんかも固めるんです。
だからあっちでは「病気が重くなったら入院しろ」って言うんですよ。
第一、どうして病気に効くのかその原理が判らないって言うんですからねえ。(笑声)
だから、御本人が病気になったときしまいに入院して死んでしまったんですよ。
苫米地さんもあれをやったんですが、ところが十人くらいやってそのうち二、三人治ると、その治った人の話しをするからたいへんいいようだが、本当はたいしたことはないんですよ。」
明主様御垂示 「腕輪により肩凝らずという」 (昭和24年11月26日)
信者の質問
「左の事につきお伺い致します。知人に、左手首に金色の腕輪(砲金製かと思いますが)をはめ、また右足首にも同様な輪をはめております。
そのため左手首から空中電波か何かをキャッチ致し、右の足首にアースし、双肩が凝らなくなると云うのです。いかなる理由でしょうか。」
明主様御垂示
「肩が凝らなくなる方が悪い。
大いに張らした方がよい。
その浄化で毒が減る。
肩へ集るのが他へゆくと、外の病気になる。
空中電波で毒が減る訳はない。」