鍼灸療法について


明主様御教え 「鍼灸療法」 (昭和18年10月5日発行)

「近来、一時すたれたかにみえた灸療法が復活し、相当の流行を見るに至った事は周知の事実である。

これは全く西洋医学の無力に起因する事は勿論であるが、これについて私は説明してみよう。


これは病原である毒素溜結に対し、皮膚の火傷によって毒素を誘導するのである。

ちょうど、火傷の際、そこに膿が集溜するのと同一の理であって、

大きな火傷はその苦痛と、治癒してから醜痕(しゅうこん)が残るので、

分散的に小火傷を数多くさせる訳であるから、

毒素もその小火傷へ分散的に集溜するので、一時的軽快するのである。

故に、時日を経るに従い、再び毒素は還元するから、

灸は据え初めたら毎月又は一年に何回というように持続しなければならないというのは、右の理に由るからである。

しかし、薬剤と異い、中毒は残らないから健康には差しつかえないが、

施術の際の苦痛は勿論、ここに見逃す事の出来ない事は、皮膚に醜痕を残す事である。

元来人間は、造物主の最傑作品で、美の極致であるといってもいいのである。

特に女性のごときは、その皮膚の美を讃え、日本においては玉の膚ともいい、

泰西においては女性の裸体が最高の美とされているのである。

それに対して、人為的に火傷の痕をつくるという事は、

皮膚の障害者となる事であって、神に対し、冒涜の罪は免れまいと思うのである。


次に鍼療法なるものは、血管を傷つけ、内出血をさせ、

その凝血によって、一時的浄化作用停止を行うものであるから、根治療法ではないのである。」 (「明日の医術 第1編」より)




明主様御教え 「灸治法」 (昭和11年御執筆)

「灸治法には、古来からある艾(もぐさ)灸と、近来相当行われている温灸との二種であるが、

これらは、薬剤療法よりは確かに効果はあるのであるが、

これも体的が主であるから、完全療法ではなく、一時的の場合が多いのである。

且つ人間は造化神が造ったものの中でも、最優秀品である。

その皮膚の色沢、滑らかな肌、隆起曲線の美しさに見るも、到底、他の動物とは比較にならないのである。

特に、婦人の玉の肌と曲線美に到っては、美の極致であるとも言ってよい。

彼の西洋画家が、裸婦を以て美の極致とするのは、全くその通りである。

故に、人間としては神から与えられたる所の皮膚は、弥(いや)が上にも美しく丹精を施すのが、神に対する報恩であり、至情でなくてはならない。

そうしてこの美を、一年でも一月でも長く保持すべく、心掛くるのが本当である。


しかるに何ぞや、灸のごときものを据える結果、点々として火傷である醜き痕跡止め、

一生涯一種の不具者になると言ってもよいのである。

かくのごとく、神の芸術品に対しての冒涜の罪は、必ずや何らかの刑罰を受けなければならないのは当然であるから、

たとえ、治病の効果は相当ありとするも、それ以上の苦悩の因を作るのであるから、到底賛成し難いのである。」 (「新日本医術書」より)




明主様御垂示 「お灸は神への冒涜」 (昭和24年5月23日)

信者の質問
「刺青を好む人がありますが、これは霊的に意味がありましょうか。

また、刺青をするのは神への冒涜と存じますがいかがでございましょうか。」


明主様御垂示
「無論、冒涜になりますね。

霊的な意味はありませんよ。

こんなことをするのは未だ野蛮性が残っているんですね。

北海道のアイヌだとか台湾の生蕃だとかは顔へ刺青してますが、あれはいっそう野蛮ですよ。・・・

お灸だって神に対する冒涜ですよ、きれいな皮膚に火傷の跡をつけるんですからね、はなはだしい冒涜ですよ。」