手術について 1


明主様御教え 「手 術」 (昭和11年御執筆)

「西洋医学中において、最も効果ありとする外科手術について詳説してみよう。

専門家も一般世人も、手術に依る療法は、病根を芟除(さんじょ)するが故に、

その効果は適確であると思っておるのであるが、これは決して完全ではない。

実に拙劣極まる療法であって、人体器能をメスを以て自由に切開し、患者に苦痛を与え、

しかも予後 障害にも等しい痕跡を留め、なおかつ危険さえ伴うというに到っては、

まことに以て野蛮極まる方法であって、

これを進歩せるごとく思うとは、まことに憐むべきである。

しかし現在これ以上の治療法が発見されないとすれば、また止むを得ないが、

何ぞ知らん、我観音力療法は、手術すべき症状も、短時日に容易に全治し、

しかも、手術による治癒は、往々失敗の憂と再発の危険あるも、

観音力療法による全治は真の全治であって、再発の憂は決して無いのである。


一例を挙ぐれば、盲腸炎であるが、この病に対して医師は、二十四時間以内に手術をせざれば危険なりとして、手術するのであるが、

これはそれ以上の良法の無い為、まことに止むを得ないのであるが、

この病の手術後、往々結果の良好でない事がある。

それは、傷口の容易に治癒せざる事二、三ケ月以上を要する者、稀には二、三年を経るも、

なお絶えず傷口から膿の参出する者さえあり、

又、一旦治癒するもその隣接部に化膿塊を生じ、

発熱痛苦を伴う事盲腸炎と同一の症状を呈するので、

この場合医師は、再手術を奨めるのであるが、

実際上再三の手術が患者の疲労を増し、遂に生命に係わるまでの危険さえあるのである。

しかも、かくのごとき不結果なる治療に対して、

数ケ月又は、数年の時日と、数百金ないし数千金に及ぶ多額の費用を要するにおいて、余りに無力なる西洋医学と思うのである。

それに引代え、我観音力療法によれば、一回ないし三回にて全治し、

しかも再発の憂なく、費用のごときは、拾円以内にて足りるという、実に比較にならぬ程の違いさである。


次に、腎盂炎に対する手術も、盲腸炎と大同小異であるから略すが、

彼の医学上最も治癒困難とされる各種の癌腫も、手術療法においては、結果不良が多いのであるが、

観音力療法によれば、すべての癌腫の治病率が、九十パーセンテージの実績を挙げているのである。

子宮癌のごときは、二、三回ないし六、七回の施術によって癌腫は解溶し、

下痢となって排泄し、何ら痕跡を止めない程に全治するのである。

その他、扁桃腺炎、中耳炎、淋巴腺炎は二、三回ないし五、六回、

痔瘻、横痃(よこね)等も、一週間ないし三週間にて、重症も全治するのである。

瘍疔及びこれに類する腫物に対しての手術は最も不可にして、

これらは自然療法が最も安全確実である。

忌憚なく言えば、これらの病にて生命を失うに到る原因は、

大方手術の為といっても過言ではないので、これは医家も気付かねばならないはずである。

何となれば、一切の腫物は血液中に在る毒素が、自然浄化作用の為膿化し、

その膿が体外に排泄さるる現象であるから、

自然に放置すれば、熟するだけ熟して、

最後に破れた皮膚面から全部排膿されて、痕跡も無く治癒するのであるにも不拘(かかわらず)、

医師は未だ熟せざるに切開をするを以て、充分患部に膿が集溜していないから、

幾日も排膿の工作を続けなければならないのである。

自然療法においては、排膿期は、患部の内面は、既に新しい肉が形成されているから、

排膿するや速かに、常態に治癒するのである。

故に手術するよりも、自然療法の方が、短時日に全治するのである。

この見易き事実さえ不明なる西洋医学は、まことに不可解とさえ思うのである。

しかもこの際、唯一の方法としている氷冷法は、非常な誤りである。

何となれば、氷冷法を行うや、患部への膿の集溜は停止されるから治癒は妨害され、

それが為に全治は非常に遅延するのである。」 (「新日本医術書」より)




明主様御教え 「手術は野蛮?」 (昭和27年2月13日発行)

「近来手術が大いに流行し、アメリカの医学者などは、手術を進歩させる事こそ、医学の最高条件とさえ唱えているが、

無論日本にも同じように思っている医家もあるであろう。

ところがこれを私からみると、大いに間違っているので、その事をかいてみるが、

本来病気とは私が常にいうごとく、ある局部へ毒素が溜結し、それが排除される苦痛をいうのであるが、

それに対し医学の考え方は、手術によって現在あるだけの毒素さえ除ればそれで治るという浅薄な考え方である。

なるほどそれだけの毒素ならいいが、多くの場合後続部隊があって、一時は無くなっても、次々溜結してくるので

一旦手術で治っても、また悪くなり、再手術、再三手術をしなければならない事が、よくあるにみて明らかである。


例えば盲腸炎で虫様突起を除去するから、なるほど盲腸炎にはならないが、

後続毒素は腹膜や腎臓の方へ溜結する事になり、第二、第三の病原を作るのである。

また腎臓病で右か左か一方の腎臓を摘出しても、それだけで治り切りになる事は滅多にない。

大抵は残った方にまた起るというような事になる。

次に最も多い胃癌の手術にしても、完全に除去される事は少ないそうで、ほとんどはいくらか残り、それが拡がって再発し易いとされている。

右のような訳で幸い手術で成功しても、元通りの健康体に復する事はほとんどない。

盲腸手術後腹力がなくなったり、腎臓摘出後ヒョロヒョロになったり、胃癌の手術後満足に食事が摂れず、柔らかい物を何回にも分けるなどの苦痛もある。

というようにいわば内部的障害者になるので、真の医術の方法とはいえないであろう。

しかもいつも私のいう通り、手術とはメスを揮って人体を切り刻むのだから、野蛮極まるやり方である。

ところが本教の浄霊法たるや、溜結せる毒薬だけを排除し、元通りに治るのであるから、これこそ最も進歩した文化的医学といえよう。」




明主様御教え 「文化的野蛮性」 (昭和27年7月25日発行)

「本教は知らるるごとく、病貧争絶無の世界建設をモットーとしているのであるが、

深く考えてみると、右の三大災厄の根本は、何といっても人間の野蛮性がまだ残っているからである。

従ってこの点に目覚めこれを払拭してこそ真の文明世界が生まれるのである。


では一体その野蛮性とは何かというと、全然気の付かないところに伏在している大きなものがある。

その第一は医療であるが、不思議な事にはこれに気が付かないばかりかむしろそれを進歩の結果とさえしている事で、恐らくこれくらい酷い間違いはないであろう。

今仮に病気に罹るやまず服薬、注射、手術、光線療法等々の外、色々な物理療法をも行うのであるが、これを冷静に検討してみる時、一つとして野蛮ならざるはない。

まず第一の薬剤であるが、これは鉱物、植物、動物の臓器等から、種々の操作を経て抽出したものであって、実をいうとこれらは治病とは何ら関係はないのである。

何となればもし薬剤で病気が治るものとしたら、これ程進歩した薬剤であるとしたら、病人は年々減ってゆかねばならないはずである。

ところが今もって医師や薬屋の失業者、病院の経営難等はほとんど聞かないばかりか、

反って結核患者は巷(ちまた)に氾濫し、ベッド不足の声は常に聞くところであり、

入院を申込んでも半年から一年以上も待たなければ入れないという始末であるし、

また各種伝染病にしても年々増えるばかりで、悲鳴を上げているのも衆知の通りである。

右の事実にみても、薬剤無効果を遺憾なく物語っているではないか。

いつもいう通り薬は一時的苦痛緩和手段であって、決して、治病効果などいささかもなく、彼の麻薬と同様、薬中毒者が増えるだけである。


薬の方はこのくらいにしておいて、次の手術であるが、これももちろん真の医療ではない。

何となれば医療とは病だけを治す方法であって、臓器や筋肉を傷害し、除去する方法ではないにかかわらず、医療は治し得ないから非常手段によって治そうとする窮余の方法でしかないのである。

少なく共文化的ではなく野蛮以外の何物でもない。

しかもこれを医学の進歩とさえ思うのであるから驚くべき錯誤である。

いつもいうごとく手術とは貴重なる人体の一部を毀損し障害者にするのであるから、もちろん一生涯一人前の人間としての役目を果す事は出来ない。

また次の光線療法や物理療法にしても、大同小異であるから略すが、要するに現代医学の進歩とは、巧妙に文化の衣を着せた野蛮的行為でなくて何であろう。


次に貧乏についてもかいてみるが、この原因のほとんどは病気のためであるから、いわば野蛮行為からの派生的産物と言ってよかろう。

そうしてこの貧乏を解決しようとして、社会共産主義などが生まれたのであるが、

これらも主義を貫かんとして、盲目的に平和の手段によらず、暴力や破壊手段を用いるのであるから、

よしんば理屈はどんなに立派であっても、一種の野蛮行為でしかない事は今更言うまでもない。

そうして今日貧乏から生まれる多くの不幸者を救おうとして、赤十字や社会補償、保険制度、救貧事業等、幾多の方策を行っているが、

これらも幾らかの役には立つが、根本に触れていない以上その効果たるや知れたものである。

という訳で社会不安はいつになっても解決の曙光さえ見えないのである。


最後に言いたい事は、今日世界中一人の漏れなく、不安に脅えている問題は何といっても戦争であろう。

しかも昔と違い今日は何事も世界的大規模になっている以上、戦争といっても一国と一国の争いではなく、もし始まったとしたら世界は二つに分れ、敵か味方かのどちらかに追い込まれ、中立的態度はもちろん不可能であるから、

ここに大殺陣(だいさつじん)の場面となり、空前の野蛮時代が出現するであろう。

以上のごとくとの方面から観ても現代は標題のごとく、文化的野蛮時代といってもあえて過言ではあるまい。」




明主様御教え 「暴力は野蛮時代の遺物なり」 (昭和27年1月16日発行)

「これほど進歩した文明世界であっても、暴力なるものは、依然としてあらゆる方面に猛威を逞(たくま)しゅうしている。

その中で最大なるものとしてはもちろん戦争であるが、次は何と言っても暴力による革命であろう。

しかし昔の革命には暴力が付物となっていたが、これは今日のように文化が発達していなかったからで、

それは権力者の横暴による虐政によって人権は無視され、生命までも脅かされる危険があるので、

これを打破し自由なる社会を作るには、当時としては暴力以外に手段がなかったから、止むなく人民は武器を執ったのであるが、しかし今日の時代は全然違っている。

よしんば今日革命を決行しようとしても、ソ連を除いたほとんどの国家は、民主主義になっており、言論の自由も許されている以上

何ら暴力の必要はないから、合法的手段によって輿論を喚起し、平和裡に充分目的を達し得るので、この点全く文明の賜物というべきである。

ところが今もって現在の世界には、暴力を捨て切れない国家も民族も、階級も個人も相当あるのだから厄介だ。

私がいつもいうごとく、現在はまだ半文明、半野蛮の域を脱していないと言うのもその意味である。

こうみてくるとその野蛮性を一日も早く払拭する事こそ、吾ら宗教人に課せられたる使命でなくてはならない。


ところがその野蛮性の一種にいまだ何人も気が付かないところに重大なものが伏在している事である。

それは医学における外科的療法である。

それは今仮に人体のどこかに病気が発生し、内科やその他の方法で治らないとすると、ここに外科的手段による事を可とする、すなわち患部を切り除ってしまうのである。

しかもそれを進歩した医術と思っているのであるから、軽視出来ない問題である。見よその方法たるや肉を切り、血を出し骨を削り、臓器までも摘出するのであるから、

その苦痛たるや名状すべからざる物があり、その無惨なる到底見るに堪えないので近親者にさえ見る事を許さない程である。

この点にも吾々は野蛮性がまだ残っていることを痛感するのである。

なるほどこのようにしなければ病気は治らないとしたら、また止むを得ないとも言えるが、そのような事をせずとも何らの苦痛なく、完全に病気を治し得る方法があるとしたら、恐らくこれ程人類にとって大なる恩恵はないであろう。

ところがこの理想的医学が本教の浄霊療法であるとしたら、右のごとく吾々にして初めて言い得るのである。


言うまでもなく我浄霊療法は、何ら物質を用いず、患部に全然触れる事なくして、完全に病気が治癒されるのであって、苦痛もなく障害者にもならず、元通りの健康体になり、再発の憂いもないとしたら、これ程素晴しい理想的療法はあるまい。

これこそ全く文化的医学と言わずして何ぞやと言いたいのである。

従っていずれは世界の医学はこの療法一つになるのは、断言してはばからないのである。


以上のごとく何人も今日まで気が付かない、医学の野蛮性を暴露したのであるが、吾々は世界にある一切の野蛮性を消滅せんとするのが神意である。

としたらこれもまた止むを得ないのである。全世界の医学者よ、この論文を読んで深く考えて貰いたいのである。」




明主様御教え 「西洋医学の野蛮性」 (昭和11年5月10日御執筆)

「西洋医学は実に野蛮極まるものであると私は思うのである。

何となれば治療の場合、患者に対し非常なる苦痛を与えるのである。

勿論それは故意からではない、治療上止むを得ない善意からである事はよく判ってはいるが、その事実を検討するにおいて、確かに野蛮の一言に尽きるのである。

近来、外科医術は進歩したとの誇りを吾々はよく聞かされる。

しかし、その度毎に失笑を禁じ得ないのである。

何となれば、メスを以て肉を切り、筋を断ち、血を流し、患者に苦痛を与え、多額の費用と相当の日数を要させるのである。

しかも、偶々(たまたま)好結果を得たとしても、一生涯不具にも等しい瘡痕をありありと残すと共に、他の疾患を起し易くなるのである。

しかも、反対に不幸な結果を見る事さえすくなくない事は、誰もがよく知る通りである。

それは手術前に万一の場合を顧慮して、異議を言わないという証書をとるにみても明かであろう。


しかしながら医家はいうであろう。

重患の場合手術をしなければ生命に関するので、第二善の方法として止むを得ないのであると。

それも吾々は諒知している。勿論それも妥当である事は間違いないが、ただ吾人の言わんとする所は、医学の進歩とは、

一、治療上絶対に苦痛を与えない事。

二、欠損的瘡痕を残さない事。

三、万一と称する不結果の無い事。

これである。この三つの一つでも解決が出来たら、それは確かに医学の進歩と言ってもよいのである。

しかるに、今日言うところの医学上の進歩とは何か、それは切開の方法が巧妙になったとか、麻酔法が進歩したというような事であるが、

それらは実に末梢的であって、根本的に何ら触れて居ない事は、前述の説明のごとくである。

かくのごとき末梢的進歩に、当事者と世人も幻惑され陶酔しつつ真の進歩の意味を知らない、文化人なるものもまた哀れむべしと言うべきである。

これを正しく批判するにおいて、科学を基本とする西洋医学での研究は、その努力に対する成果の余りに微々たる事である。


しからば、それはどうすればいいかと言えば、まず一旦現代医学の研究を揚棄する事である。

そうして、その根本的誤謬と新しい出発点の発見である。

そうして、そこからの再出発でなくてはならない。

そうでない限り、依然として現在のごとき末梢的進歩に自己陶酔している限り、人類が病苦からの解放は、絶対不可能である事を断言して、この文を終る事とする。」




明主様御教え 「西洋医学の野蛮性」 (昭和18年10月5日発行)

「昭和十七年六月三十日付の手紙が、大阪市で開業している私の弟子(婦人)から来たのであった。その手紙の原文のまま左に書いてみる。」


手紙原文
「前略、一つ面白いニュースを申上げます。近日京都より軍医が治療の見学に来るという話が出来ております。

それはちょうど一ケ月前、二十七歳の兵隊さんが京都より参りました。

戦傷兵です。戦車が折り重なり十四、五人即死、その時脊髄を打たれて九死に一生を得て赤十字病院へ入院し、今後一ケ年間絶対安静を言渡された者です。

首の付根より脊髄へかけちょうど掌一杯だけ位熱がありました。

それと左手指三本に力が入らず手拭もしぼれないのです。

それだけですのに脊髄炎になったかどうかを試験するのに、脊髄の最下端より漿液(しょうえき)をとり試験されたのです。

その時の痛みと苦しみは大変なもので、頭の中で戦車がガラガラガラッと転廻するようなスサマじい音がして痛いの痛いの余りの苦しさによして下さいと言ったら、

軍医に言下に死ぬぞと叱りつけられ、実に苦しい思いをしました。

だのに試験の結果は何ともないとの事。次に今度は所もあろうに頭蓋骨に錐(きり)で穴を開けて再び漿液をとり試験するというたのが、私方に来る三日前です。

生きた心地もなく私方に参りました。

当人の父親は戦地にあり大佐です。治療一回にして半分熱はなくなり、三日目に完全に熱は解消しました。

頭の痛みも消えて左手全部小さくなっていて爪さえが伸びなくなっていたのが伸びてきて、以前のごとく右手と同様に力も出るようになりました。

一週間でほとんど苦痛は消えました。一ケ月目には元の勤務に立直る事が出来ました。

再び人間として兵隊の勤務は出来ない為、兵役免除となりましたので、元の務をしたいと申しております。

一ケ年絶対安静の重患が、京都から西宮まで通うて、そして元々通りの体となり、勤務が出来るなんて、ただただ不思議でならんと申しております。

これを軍医に話しましたのです。軍医が申しますに「知らんぞ、責任は持たんぞ」と、

「しかし不思議な事があるものだな、ほんとに良くなっている。

何ともないがどうも変テコだ、僅か一ケ月位で治ると病気じゃなかったはずだが、とにかく一度連れて行ってくれ、話を聞かせてもらいたい。承諾を得てきてくれ」との事でした。

私の考えでは、内出血し、それに発熱したものと思います。それを大層な事をして苦しめたものです。」(手紙は以上)


「右のごとき実例は無数にあるのであるが、これを採りあげたという事は、国家の為生命を賭して第一線に活躍した尊い勇士が、その余りにも惨(むごたら)しい苦痛を与えられ、しかもその苦痛が無益であり、今や頭脳にまで穿孔されようとしたという事実に胸を打たれたからである。

かくのごとき大苦痛を与えてまで査べるという事は、軍医は決して悪意はないのであるが、全く西洋医学における診断が幼稚であるためと残虐性のためである事が、あまりにも明白である。

そうして軍医は、脊髄及び脳にまで穿孔して診査しようとしたのであるが、私の弟子なら一分間の診断で脊髄炎の有無は判るのである。

しかも、脊髄炎でなかった事は、局所だけの治療で簡単に全治したのにみても明かである。

しかるに、治癒までに一ケ年を要し、絶対安静でなくてはならないというのであるが一ケ年後、果して治癒するや否や頗る疑問であろう。

この事実を検討してみる時、医学における診断の低劣と野蛮的である事は否めないと共に

右のごとき災禍を蒙りながら、泣寝入に終らざるを得ない不幸なる人々が、いかに多いかを想像する時、私は天を仰いで長大息をするのみである。」 (「明日の医術 第2編」より)




明主様御教え 「腫物とその切開に就て・病患と医学の誤謬二十」 (昭和18年10月5日発行)

「腫物には、瘍(よう)疔(ちょう)やその他結核性等種々あるが、大体は同一と見なしてよいのである。

それは腫物のすべては浄化作用によって、体内の不純物が毒血や膿汁となって一旦皮下に集溜し、腫脹し、皮膚を破って排泄せらるるのであるから、

全く生理的自然作用というべきものである以上、放任しておけば、順調に治癒するのである。

しかしながら、右の過程は多くは激痛を伴うものであるから、患者は何らかの方法を施さねば居られないのである。

本療法によれば二、三回の施術によって、いかなる痛苦といえども解消するので、患者は驚きと喜びを禁じ得ないのである。

故に、相当大きな腫物であって盛んに膿汁を排泄するに拘(かか)わらず、いささかの痛苦もないので、不思議に思うのである。


そうしてここに注意すべきは、腫物に対し切開手術を行う事の不可である、

それはせっかく集溜しつつあった膿汁はたちまち集溜運動を休めるのである。

切開でなくも針で皮膚を破っただけでも集溜は停止さるるのである。

故に、その結果として全部の膿汁が排泄されず残存のまま一旦治癒するとしても、遠からざる内に、その付近に再び腫物が出来るのである。

これは幾多の経験によって鉄則といってもいいのである。

故に腫物の場合、飽くまで自然的に、いささかのメスや鍼も用いぬよう注意すべきであって、

勿論冷す事も温める事も、膏薬を使用する事も不可である。

世間よく、腫物を散らすというが、これは、誤りであって散るのではなく押込めるのである。

せっかく外部へ排泄されんとした毒血を還元させる訳であるから、病気治癒ではなく、その反対である事を知るべきである。」 (「明日の医術 第2編」より)




明主様御教え 「沢村田之助他」 (昭和25年2月20日発行)

「先日田之助の映画を見て気が付いたのであるが同丈(じょう)が脱疽のため両脚を切断し、ひょう疽(そ)のため、両手の指を切断し、

ほとんど生きた達磨のような人間になって、なお舞台に出たという悲壮な話はあまりにも有名であるが、

この手術をした医師は、これも有名な和蘭(オランダ)の名医へボン氏であった事は誰知らぬものもない。

従ってヘボン氏は、日本における外科手術の鼻祖として今なお仰がれている。

そうして田之助の手術は明治四年であったから、その時が日本における手術の始まりという訳である。


ところが、ほとんど例がないといってもいい程の田之助の身体である。

最初右足を切断し治ったと思うと、間もなく左の足が悪くなったのでまた切断した。

それのみではない、手の指まで全部がひょう疽となり切断したというのであるから、その悲惨事は尋常事ではない。

何かよほどの原因がなくてはならないと、誰しも思わずにはおられない。

ところが時人はこういう想像説を唱えた。

それは田之助は稀にみる美貌であったから、多くの女の罪を作った。

その怨霊の祟りであろうという事になった。なるほど一応は、誰しも納得するであろうが、

実をいうと、そういう事も多少はあるであろうが、真相は誰も気付かないところにあったのである。それを書いてみよう。


初め、右足に脱疽が出来るや、放任しておけば自然治癒で済んだのである。

何となれば、脱疽の原因は悪質の膿の排除作用であるからで、

そのままにしておけば、漸次集溜の量を増し、最後に厖大な腫物となって紅潮を呈し、柔軟化し小さな孔が開き、毒血と膿がすこぶる多量に排泄され、元通り痕跡をみない程に全治されるのである。

しかるに、充分化膿しないうちに手術したからでこの場合ちょっと針で穴を開けただけでも、膿の集溜は停止されるのである。

これは造化の不思議で、私は数多く経験したのである。

従って右脚も左脚も切断したため、膿はやむを得ず、手の指に排泄口を求める事となったのである。

ゆえにもし田之助が生きていたとしたら、また他の部に化膿する事は必然である。

右の理によってみる時、もしヘボン博士が在日していないとすれば、田之助は右脚だけで全治し非凡の伎芸を遣した訳であった。

この一事にみても医学の誤謬のいかに恐るべきかを知るのである。


私が以前扱った患者の中に、こういう例があった。

四十歳くらいの人妻、予防注射の薬毒が漸次下降して、足首から排泄しようとし、腫物が出来た。

これらも放任しておけば簡単に治癒したにかかわらず医療は手術し、消毒薬を塗布した。

すると消毒薬が強烈だとみえて傷口から滲透するや、腫物は以前に増して拡大し、痛苦も漸次強烈となり、遂に足首から上方に向かって拡がってゆくのである。

医師は驚いて上方に腐り込むのだから、膝の下部から切断しなければならないと言われた。

その時私の所へ来たので、膝を切らずに数年かかったが、治癒したのである。

これに似た話が相当世間にはあるが、最も不運なのは、最初足指のひょう疽を手術によって一旦治癒するや、

次々他の指に出来切断し、数本の指が欠除したり中には足首に出来、

それを切るや今度は膝から上部に出来るので、股の付根から切断する事になる。

このようになった人は、大抵死は免れないのである。

次にこういう患者があった。五十歳くらいの男子、最初上に腫物が出来た。

それを散らそうとし、強烈な薬剤を塗布したため、その薬剤が皮膚から浸透し漸次拡大し、数年間に全身に拡がってしまった。

色は暗紅色で、最もひどいところは紫色を呈し、その醜怪なる見るに堪えない程で、患者は苦悶の連続で睡眠も碌々(ろくろく)とれないのである。

私は一見、膚(はだえ)に粟(あわ)を生じたので手の施しようもなく、断ったがそれから数ケ月後死んだという話である。


次に、こういう珍しいのもあった。

四十歳くらいの人妻、右眼と眉の間に腫物が出来た。

それも放任しておけば自然に治るのだが、医療はレントゲン放射療法をした。

その結果強く固まったので、集溜毒素は腫物の裏面深部に漸次量を増すと共に、下部の方へ腫れ出し、遂には驚くべき程の大塊となった。

しかも、眼球は上方から圧迫されるため、眼の位置は下降し、ちょうど前頬の中央部に三日月形になったのである。

常に白布で隠していたが、私は最初白布をとるや、愕然とした。

どうみても妖怪としか思えないからである。

これは全く充分腫らして、自然に排膿させれば完全に治癒すべきを知らない医学は、レントゲンで外表を固結させ、腫脹を停止せしめたのが原因である。


右は数例に過ぎないが、まだまだ数え切れない程経験したのであるが、そのことごとくは医学の誤謬によるので、実に恐るべき事といわねばならない。

この文をみた医家はなるほどと肯き得るはずであると共に覚醒する賢明なる人もある事を信じ、書いたのである。」




明主様御教え 「浄霊の真実性と「おかげ」の批判」 (昭和25年2月4日発行)

「(事例は省略) 前者は、最初背中に出来た腫物を何にもせず放置しておけば順調に化膿し膨大し、自然に孔が開いて膿血を出し完全に治癒すべきにかかわらず、

手術したための法則である化膿不充分の結果再び足部に腫物が出来た訳で幸にも浄霊によって治ったからよいが、

もし右の足部の場合手術したならまた別の所へ出来たかも知れないのである。

後者は、最初腫物の出来た時先の子供の切開、死に至らしめた失敗があるので、本教に縋るようになったのが倖せであった、

しかも浄霊三日目沢山の膿が出て跡形もなく治った事は全く手術を躊躇(ちゅうちょ)していたため、充分化膿したからで、浄霊するや間もなく排膿した訳である。


これによってみてもいかに腫物は手術が悪いかが判るであろう、

ところが世人は腫物は切開する方が早く治るように思うのが大間違いで、

自然放置なれば早く治り、再発や痕跡も残らないのである、全くその愚や及ぶべからずである。


次の火傷の場合も浄霊一方で治り前よりも綺麗になったという事は、火傷によって顔面部の毒素が排泄したからで、血が綺麗になったためである、

ところがそれを知らないために薬をつける、すると薬毒が滲み込んで醜い顔となり、それが何年も続くのであるから困ったものである。」