注射について 1


明主様御教え 「注 射」 (昭和11年御執筆)

「注射は、最近頗(すこぶ)るその種類が増加して来ている。

それらを私の知り得る範囲において述べる事とする。

苦痛軽減の目的による注射、例えば胃痙攣、腸痙攣のごときは、

一時的痛苦は確かに消滅するのであるが、

それは痛苦の原因たる疾患を治癒するに非ずして、

痛苦を感受するところの神経を、薬剤によって一時的麻痺さすので、

その麻痺状態中に、本尊たる疾患は、自然治癒をされるのである。

故に、病根を祓除(ふつじょ)するのでないから、一旦治癒の状態を呈するも、

一定時を過ぐれば再発するのは勿論の事である。


次に喘息の注射は、注射するや咳嗽、喘音は速かに停止して、

健康時と異る所無きまでに、全く治癒されたかと思う程であるが、

半日ないし二、三日位経るや、再び発作状態となるのである。

薬剤効果の特性として、三日より二日、二日より一日という具合に、

漸次、効果時が短縮され、ついに全く、薬剤中毒患者になってしまうのであって、

本来の喘息は、依然として存続するのみか、反って多少ずつ、悪化に向うものである。

何となれば、喘息の病原は、横隔膜の下部に水膿溜結し、

その自然排除現象としての喘音、咳嗽であるから、

注射によって咳嗽を留むるにおいて、その期間だけは、水膿排除作用が停止する事によって、それだけ病気は悪化する道理である。


又、衰弱を恢復し、体力を旺盛ならしむる為、カルシュウム注射を行うのであるが、

これは確かに一時は食欲を進め、体重を増し、ほとんど健康増進せるごとくに見ゆるも、それは全く人為作用であるから、

一時的であって、注射を止めると共に、再び衰弱時に還元するのみか、

反って反動作用の加わるが為に、より衰弱の度を増すのが実際である。

加之(しかのみならず)、この薬剤は、およそ一年以上四、五年を経れば、

蕁麻疹のごとき、頗る掻痒(そうよう)を感じる発疹が、全身又は部分的に発生するのである。

これは全くカルシュウム中毒であるに係らず、

医科大学を始め、医学の大家といえども、これに気が付かないと言うのは、実に不可思議というべきである。

この症状に対し、塗布薬、注射、服薬、食餌療法等を応用すれども、

その病原と齟齬するが故に、更に効果なく、患者は二ケ月三ケ月、半年一年に及び、

医師病院を転々して、多額の治療費を使用し、なお治癒されないという。

まことに気の毒な患者をすくなからず見受くるのである。

私が治癒した三十歳位の婦人で、このカルシュウム中毒の発疹が顔面に出で、

四、五年もに及んで、あらゆる方法によるも治癒しないので、

若き婦人としては、外出も滅多に出来ず煩悶を続けていたという。

実に同情すべき事であった。

この患者は三回の施術によって全治し、今も非常に感謝している。


中風又は、神経痛のごとき疾患にする注射は、その効果は全く今の所疑問である。

それらの疾患は、注射によって全治せるものを、私は未だ見た事がない。

反って、注射に困る薬剤中毒の為、本来の病気以外、

追加されたる負担による痛苦の増加を来した気の毒な患者は、無数に見るのである。

これら注射中毒患者は、注射の回数の多い程、痛苦が激しく、治癒は困難なのである。

故に私は、注射の有無と回数によって、治癒日数を予定するのである。

無論、注射の多い程治療日数を要するのである。

今までに取扱った患者の中、二ケ月半に七百本の注射を受けたのが、最多であったのである。


又、脚気の注射であるが、これもそれに依て全治したという例を聞いた事が無い。

そうして、理論上から言って、薬剤注射を以て治癒するはずは決して無いのである。

何となれば、脚気の病原としては、一種の毒素が極浅い皮下一面に滞延するのであるから、

この毒素を解消せしむるより外は無いのである。

しかるに、この毒素は全く医家の言うがごとく、白米中毒である。

白米中毒の原因は、糠を絶無ならしめたのが原因であるから、

糠を服用すれば、最も簡単にして費用を要せず、全治するのであるから、

何を好んで薬剤や注射のごとき、苦痛と手数と費用を要するの必要ありやである。

しかし我療法によれば、普通は二、三回重症にても十回以内にて全癒するのである。

これについて大いに注意すべき事柄がある。

それは、多くの医家は、白米中毒の脚気と、腎臓萎縮の為の尿毒によっての類似脚気とを混同しているという、診断の不正確が多い事である。

これは全然別箇の病症であって、この差別の不知な為に、恐るべき結果をさえ来す例が屡々(しばしば)あるのである。


その一例として左記のごとき患者があった。

某高貴な婦人、年齢四拾歳位、二、三年間歩行不能、

しかし匍匐(ほふく)して入浴をなし、坐して食事を摂り得る位の事は出来得たが、

たまたま、日本有数の大病院の主任博士の診療を受けたるに、

脚気との診断にて、六十回の注射をすれば全治するといい、

注射四十回に及ぶ頃、全く起居不能に陥り、寝返りさえ打てず、

ほとんど寝床に、膠着(こうちゃく)せるごとくになってしまったので、

患者は驚いて注射の継続を拒否したのである。

そうしてその状態は、更に恢復せず、その時より約一ケ年位経た頃、

私は聘(へい)されてその状態を見、経過を聞いて驚いたのであった。

これは尿毒性類似脚気を、白米中毒の脚気と誤診したが為であった。

右の起居不能は注射の中毒に因る事は、一点疑えないところである。

故に、この患者を治癒するには、その注射薬剤を除去するより方法は無いが、短期間には奏効不可能であるので、

どうしても、肉体の新陳代謝による自然消滅を待つより外は無いので、

その旨を患者に詳言して、一時手を引いたのである。

かくのごときは、実に同情すべき不幸であると共に、

医学の不明か、診断の不正確か、いずれかであろうが、

注射療法のいかに恐るべきかを痛感したのである。


小児百日咳に対し、よく注射療法をするが、これらも非常な誤りである。

何となれば、元来百日咳の病原は、人間は生れながらにして、一種の毒素を持っている。

その毒素を排除しなければ、発育と健康へ対して、障礙(しょうがい)となるから、

その毒素を排除する工作、それが百日咳なのである。

従って、その毒素排除に要する日数が百日掛るという訳である。

これは、咳嗽と共に白色の泡のごとき液体を排除する。

それが毒素である。

これが多量の時は、嘔吐によって排泄するのである。

故に、咳嗽そのものによって、毒素を排除するのであるから、

この場合咳嗽こそは、最も必要であるにも不拘(かかわらず)、

医家はこの咳嗽を軽減させようと努力する。

故にもし咳嗽が軽減さるればされただけは、毒素排除量が減少されるから、治癒は遅延するのである。

自然に放置すれば、およそ百日で治癒すべきに、医療を受くる結果、

非常に長時日を要し、半ケ年にも一ケ年にも及ぶ者さえあるのは、全くこれが為である。

又、この誤療の為予後何ケ月も、時によっては何年もの慢性咳嗽患者、

又は肺患者になる事実さえ往々見るのである。

これによってみるも、医学の未完成による注射の弊害こそは、実に恐るべきものである。


小児疫痢の注射に対しても、私は賛成出来ないのである。

なぜなれば、注射によって生命を取止むるよりも、生命を失った方の実例が、余りに多い事を知っているからである。

生後数ケ月の嬰児に対し数十本の注射をして、死に到らしめた例は、度々見るのである。

その他、ジフテリヤ、肺炎、丹毒(たんどく)、瘍疔(ようちょう)等の注射も、好結果の実例はあまり聞かないのである。

ただ、痔疾と梅毒の注射は、ある程度の効果は認め得るのであるが、

その効果といえども、我療法に比すれば何分の一にも及ばないという事を言い得るのである。

その他未だ各種の注射療法があるであろうが、

大体大同小異であるから、右によって想像されたいのである。

これを要するに、注射の功罪は、一時的は効果あれども、最後は反って病勢を悪化する懼(おそ)れあるのが実際であるから、

根本的治療から言えば、注射を行わない方が良いのである。」 (「新日本医術書」より)




明主様御教え 「病気を悪化させる医療」 (昭和11年4月22日御執筆)

「現代医療は、病気治癒でなくて病気遅延であり、病勢を悪化さすのであるという事は前述の通りである。

その点について、今一層徹底的に説いてみよう。


人がまず病気に罹るとする。そこで、医者にかかる。

この場合医療は発熱に対しては解熱療法をし、咳嗽は止めようとし、腫物は散らそうとし、

痛みには薬剤を塗布し、患部へは湿布又は氷冷法等を行うのである。

これらはいずれも苦痛緩和の方法ではあるが、実は病気治癒の妨害である。

浄化作用であるべき病気現象を軽減せんとするのは、取不直(とりもなおさず)治癒の妨害をする訳である。

それ所ではない。もう一層大いなる誤りがある。

それは、病気に対する抵抗力を強めようとして、滋養物と唱え、獣性食餌を摂らせようとするが、

これは血液を溷濁(こんだく)させるので、即ち毒血増加法である。

毒血は殺菌力弱く抗病力が薄弱であるから、結果としては病気を悪化させる事になるのである。


又、薬剤の注射及服用は、これまた非常に血液を溷濁させるのである。

特に、注射においてはいかなる注射といえども、血液に入る時、血液から言えば、不純物の侵入であるから、

不純物侵入に遇った血液は、その血液本来の使命である浄化力が弱まるのは当然である。

浄化力が弱まる結果、病気現象が一時引込むので、宛(さなが)ら治癒されるように見えるのである。

これは後段、毒素療法の項に詳説してあるから、ここでは略する事とするが、

ともあれ、前述のごとく、獣肉営養及び薬剤による血液溷濁が病気悪化に拍車をかけるのであるから、

今日一朝罹病するや、その治癒の遅々たる事、余病の発生する等、悉(ことごとく)この理によるのである。

実に恐るべきは誤れる医術と、それに因る無智な療法である。」 (「新日本医術書」より)