予防接種について


明主様御教え 「注射療法に就て」 (昭和18年11月23日発行)

「最近、ツベルクリン注射による陰性者に対し、B・C・Gなる注射をすれば非常な好結果を挙げるといい、当局は一般的に施行する事になったという事である。

そうしてこの注射は陽性者には効果なく、陰性者に限り効果あるといい、効力期間は一ケ年としてある。

再三述べたごとく、結核は最も旺盛なる浄化作用であるから、その発病を防ぐという事は浄化停止に対し、

最も強力なる性能のものでなくてはならないから、そのようなものは他に悪影響を及ぼす事はもちろんである。

従って、このような異物を一ケ年毎に注射するにおいては、いかに体位が低下するかは想像し得らるるであろう。

さきに中野療養所技師隈部英雄氏がいうところの、虚弱者は結核に罹らないというその原理を無意識的に応用して虚弱者たらしめ、結核不発者にするという訳であるから、

広く一般的に実行するとすれば、その結果は知るべきである。

しかも当局の方針は、国民学校卒業程度が最も適当な年齢としてあるから、その前途を想う時、私は慄然たらざるを得ないのである。


またB・C・Gの注射が、陽性者には効果なく、陰性者のみに限るという事は、いかにしても納得が出来兼ねるのである。

いかなる医術といえども、真に効果あるものとすれば、発病者、非発病者のいずれに対しても同様の効果がなければならないはずである。

それについて近来予防医学という言葉があるが、これらも同様である。

何となれば、治病実績を挙げ得る医術にして初めて予防の力もある訳である。

しかるに、治病は困難であるが、予防は可能であるというような論理は成立たないではないかと思う。


そうしてB・C・G注射は、医学上の解釈によれば、B・C・Gワクチンとは、フランスのカルメット、ゲラン両氏が、

一九○四年牛型結核菌(牛に結核を起こさせるもので、人間のものとは違う)の一種に、極めて毒力の弱い菌種を発見したのに始まり、

これを人体に接種しても絶対に危険がないばかりか、未感染者に免疫性を付与する事を証明し、

それの培養ワクチン化に成功したのを、我国においても十余年前から研究され、ついに成功したというのである。

従って、この注射の価値は、それまで結核も免疫可能として死菌ワクチンまたは極少量の結核菌の接種などが試みられたが、

いずれも無効か、あるいは反って危険を生ずるので不成功に終ったのである。

しかるにB・C・G注射は極弱性の結核菌であるため、緩徐(かんじょ)的に抗毒素が作られるというので、危険がないという訳である。

ゆえに、さきに述べたごとく、種痘だけでさえ体力低下、人口低減、結核増加等の悪影響をこうむりつつあるに対し、

今またB・C・Gの注射を行うにおいては、右の悪影響に更に拍車をかけるという訳になるであろう。

またこういう事も考えなくてはならない。B・C・Gの注射液は弱性ではあるが、死菌ではなく生菌である。

ゆえに人によっては免疫力発生が生菌の繁殖力に負ける場合がないとはいえまい。

その場合もちろん結核発病者となるから危険がないとは言い切れないであろう。

聞く所によればドイツ及び日本においても、B・C・G注射を受けた後、

結核発病者が発生したという事は稀ではないという事である。

これについて昭和十八年九月一日発行朝日新聞紙上に左のごとき記事があった。


新聞記事 結核の予防

「・結核予防に努力せられている厚生省は昨年春所属の官吏や所属団体の職員をしてB・C・Gワクチンの改良研究に当らせこれに成功したとして

「免疫効果百パーセント、なんらの副作用なし」というような宣伝をしておられるが、今もなお間違いなきものと承知すべきものでしょうか。

・B・C・G注射のためその局部に潰瘍を生じ、それが長期にわたりなおらないので、

某中学校では体操や教練に参加不能の生徒が六十名も出たばかりでなく、

肺結核や肋膜炎を誘発したものもあるとの事実を、その中学校の教諭、しかも衛生係の方が言明したとのことを聞いていますが、

その後の経過はいかがですか。それとも学校当局の言明が誤りでしょうか。

・B・C・Gの注射を奨励し、集団的(学校、工場)に施行することは事実上強制になるからというので、前文相は中止を命じたとのことですが、

厚生省当局はいかなる御方針ですか。吾々医師会員はハッキリ承っておきたい。

同時に注射に関与した医師の被害者に対する責任はどうなるのでしょうか。

有毒生菌を法律上の根拠なくして人体に接種するがごときことは種痘法の精神から見ても出来ないことと思いますがいかがでしょうか。

・一部の学者間では「ツベルクリン」反応の陰性の者は結核に感染していないから

これにB・C・Gを注射すれば結核の発病を半減するとか死亡率を減ずるとかいいますが、私は科学的根拠に誤りがあると思います。

既に現実に被害者が相当数出ています。もしそれ多数を助けるために少数の犠性も止むなし、といわれるならば、

それには自ら適用すべき事柄があり人間医学の上ではかかることは法律の条文を云々するまでもなくゆるされないことと思います。

・結核予防対策は国家にとって極めて重大喫緊事(きっきんじ)です。

私達医師も全力をあげて万全を期さねばなりませんがゆえに以上申し上げた次第です。

お互いに医師として科学的立場を失わず虚心坦懐にこの問題を反省したいと思います(一東京都医師会員寄)」



「右によって判断を下す時、こういう結果となろう。

すなわち同注射によって大多数は虚弱者になり、その余の少数者は結核発病者になるという事である。


次に、セワランチンなる新薬が、近来結核に卓効ありとして一の流行を見んとしているが、

これらもB・C・Gのごとく虚弱者たらしむる以外の何物でもない事をいえば足りよう。

帰するところ、結核を真に治癒すべき方法も薬剤もいまだ無いという事を、世人は充分認識すればいいのである。

今日まで現われた結核特効薬なるものは、恐らく何百何千種にも上ったであろうが、

真に効果のあったものは一もないという事は、医家においても証明しているところである。

ゆえに私は思う。

結核の特効薬を発見せんとする研究ほど、およそ無意味なものは他にないであろう事を!」 (「結核の正体」より)




明主様御教え 「B・C・Gの注射に就て」 (昭和18年10月5日発行)

「最近政府は、B・C・Gなる注射を、一般国民学校卒業後の少年に施行するということに決したということである。

そうして同注射について、厚生省結核課、KM技師の話によれば・・・」



技師談
「わが国の結核の発病状態をみると、未感染者の発病率は、既感染者に比べて実に三倍の高率で、ツベルクリン反応陰性者は、陽性者よりも発病の危険の多いことを物語っています。

この事実からしても結核にもある種の免疫のあることが判ります。

この結核の免疫性に着眼して、以前から人工免疫として死菌ワクチン、あるいはごく少量の結核菌の接種などが試みられたのですが、

いずれもまったく無効か、却って危険を生じ成功するに至りませんでした。

B・C・Gワクチンはフランスのカルメット、ゲラン両氏が、一九○四年牛型結核菌(牛に結核を起させるもので人間のものとは違う)の一種に、

極めて毒力の弱い菌株を発見したのに始まり、これを人体に接種しても絶対に危険がないばかりか、

未感染者に免疫性を付与することを証明し、それの培養ワクチン化に成功したものです。

わが国でも十余年前より研究され、日本的検討が加えられて、今日実用化をみるに至ったわけです。

このB・C・Gワクチンは初感染者の爆発的な発病を防止するのが目的で、

既にツベルクリン反応が腸性のものには無意味なばかりか、注射した部分に副作用を起すので禁物、厳重なツベルクリン検査による陰性者だけに限らねばなりません。

B・C・Gワクチンを注射すると、大体二ケ月位で免疫力が顕われて、ツベルクリン反応は陽性に変りますが、その免疫持続期間は約一ケ年です。

注射の方法は、皮下皮内いろいろな方法がありますが、注射に因る副作用は皆無といえます。

もっとも人によっては注射部に膿瘍(のうよう)あるいは潰瘍(かいよう)を生することがありますが、これも免疫力の強さの証明で心配はありません。

わが国のように未感染者の発病率の高い国では、全く日本的性格を備えたものというべきで、

今後は新たに農村から都市へ出る青少年、あるいは集団生活に入らんとする人々には必ずこれを実施するようにしたいものです。

なおB・C・Gワクチンは、現在東京市神田区三崎町一、財団法人結核予防会健康相談所で毎日一定人員に限り診察費のほか無料で実施しています。」(技師談は以上)



「右によってみれば、同注射は既感染者には効果なく、未感染者即ち陰性者だけに限り効果があるというのである。

そうして免疫期間は約一ケ年としてある。これを本医術の見地から私は批判してみようと思うのである。

私は西洋医学の療法は、一時的効果を表わすといえども、その後に到って反って病気を増悪させるものであるといったが、同注射もそうであろうと思うのである。

そうして同注射が成功したとなし、実用化にまでなったというその理由は、

昨年九月より本年六月までの期間中において、国民学校卒業者十万人に施行した所、結核罹病者は三分の一に減少し、死亡率は十分の一に激減したとの事である。

しかしながら、僅々九ケ月間の実験によってその効果を断定し施行するという事は、あまりに早計ではないかと思うのであるが、

事態はそれ程までに結核防止の急に迫られているからであって、又やむを得ないであろう。

それは別として、私はさきに結核の原因は旺盛なる浄化作用の為であるといった。

故に九ケ月間好結果を挙げ得たという事は、同注射液の浄化作用停止の力がいかに強烈であるかという訳である。

即ち最も旺盛なる浄化作用である結核と、最も浄化作用旺盛ならんとする十六、七歳の少年が罹病減少という事実は、

同注射の体位低下の強力なる事を如実に物語っているのである。

従って、同注射後の状態を予想してみるに、体力の低下は勿論であるから、工員などの作業能率の減退は免れ得ないであろう。

そうして免疫力が一ケ年とすれば再注射を行わなければならないであろうから、

その結果はどうなるかというに、発生すべき浄化作用の抑圧を繰返すにおいて、漸次体位は低下し、青年にして老人のごとき体位となるであろう。

特に女子の妊孕率(にんようりつ)は非常な低下を来すであろう事は勿論である。

右のごとくであるにみて、一時的好結果に幻惑され、その後に到って予想し難い悪結果を来すべきは、火を睹(み)るよりも瞭(あきら)かである。

さきに説いたごとく、種痘だけでさえ日本民族の体位が今日のごとく低下したのであるから、

効果顕著とされるB・C・Gの注射を施行するにおいて、わが国民体位の前途はいかになりゆくや、憂慮に堪えないものがある。」 (「明日の医術 第1編」より)




明主様御論文 「予防接種と結核」 (昭和25年4月20日発行)

「この論文は、現在政府が絶対的信念の下に行われている医学的方策を非難するという意味になるのでかきたくはないが、

余りの迷蒙に看過する事が出来ないから書いたのであるから先入観念に捉われる事なく一の学説として参考とされん事である、

これを信ずると否とは観る人の自由であるからである。


今日伝染病と称するもの、例えば天然痘、麻疹、百日咳、ジフテリヤ、チフスを初め、数多い種類があるが、

それら防止手段として予防接種を行うが、なるほどこれによって一時的発病を喰止め得ても発病を絶対阻止する事は不可能である。

吾らの持論である病気とは何人も必ず保有している体内毒素の排除作用であるから、

病気こそ体内を清浄化する天与の健康増進法であるに対し、

医学はこれを逆に解釈し、その浄化活動を停止するを可とする。

それが予防接種である。

元来伝染病なるものは旺盛なる浄化作用であるから年少者に多いのである。

何となれば発育盛りの小児は新陳代謝が旺盛であるから発育の障害物である毒素排泄の浄化活動が起りやすいのは当然で、実に天の恵といわなくてはならない。

しかるに何ぞや医学はこの結構な浄化活動を弱らせようとする。

それには薬剤その他の異物を体内に注入して衰弱させるのである。

これによって弱体化した児童は御誂え通り浄化作用すなわち病気が起り得なくなるから医学は効を奏したと誤認し、

今日のごとき予防接種を旺(さか)んに行うようになったので、その誤謬たるや評すべき言葉はないのである。

従ってせっかく排除さるべき毒素をそのままに保存するばかりか、新しく薬毒を追加するので、毒素はいよいよ増量するが、

弱体化した児童は強力な浄化が起り得ないため、精々感冒くらいが頻繁に起るのである。

ところがこれだけならいいとしても、実はこれが恐るべき結核の原因となる事である。


ここで一言いうが、感冒とは微弱な浄化ではあるが、ともかく喀痰、鼻汁、発汗等によって体内毒素は緩慢ながら排泄されるが、

医学は逆に解釈し、停止手段を行うその結果結核に転化する事は、結核の項目に説いた通りである。

以上のごとくであるから、今日、盛んに行われている予防接種こそ全く結核の種蒔きという訳になるから、

これに目覚めない限り結核は減るどころか、益々蔓延するのである。


しかるに、本教浄霊による時、その治癒の速かなる驚く程であると共に、ほとんど生命に危険を及ぼす事は滅多にないので

その効果の的確迅速なる事は、たとえていえば、赤痢は一回二、三十分の浄霊二、三回で全治するから、半日で完全に治癒する訳である。

チフスにしても一日ないし三日間で全治する。

疫痢、猩紅熱(しょうこうねつ)等も同様である。ジフテリヤは注射を受けないとすれば一、二回で全治する。

百日咳は一、二週間とみればいい。これをみた人は恐らく信じられまいが、事実であるから致し方ない。

この事実はおかげ話を見れば想像がつくであろう。

ゆえに浄霊が一般に行われるようになったら伝染病は何分の一に減少するであろう。


以上のごとき画期的神医学は病理も治療の方法も、既に完成している事でこれを知らない人達は迷信と断じ、一顧だも与えないのであるから、

その人達こそ吾らから見れば恐るべき迷信に掛っているといえよう。

ああ、右の啓蒙こそ実に難事である。何となれば非迷信を迷信と思い込んでいる、その根強さであるからである。」 (「自観叢書10編 神示の健康法」より)




明主様御講義 「薬剤中毒」 (昭和10年御執筆)

「(一部のみ引用) 次に、面白いのは、多く足部であるが、豆粒大もしくは、梅干大の腫物が、能く出来るのを見るであろう。

これは未だ誰も気が付かないが、実は、各種の予防注射が原因であるのである。

それは、注射薬が、一旦、血液へ混入するや、時日の経るに従い、血液自体の、不断の浄化作用によって、血液中の不純物は局部的に集中せらるるのである。

そして、なお益々(ますます)、浄化せらるるにおいて、遂に膿汁と化するのである。

その膿汁が外に出でんとする、それが、前述の腫物の発生になるのである。

故にこの場合は、自然に放置しておけば、膿汁は皮膚を破って排出され、自然に治癒するのであるが、

この理を知らざる故に、驚いて医療を受ける、医師も気が付かないから切開をする、

その時、無痛等の注射をするに依って、その注射薬が又、いずれは再び、膿汁となるから腫物が出来る、再び切ると言う様な事を繰返すのである。

しかるに、不幸なる患者は、医師の誤診の犠牲となり、最後に医師は再々の腫物に依って梅毒の疑を起し、駆梅療法を行うのである。

例の六百六号や、水銀療法等で、それら薬物が又、時日を経るに従い、膿汁に変化する。

こういう膿汁又は汚血は、普通肩胛部、頸部に集注する性質がある。常に肩が凝り、首筋が凝り、頭痛がするという人は、そういう原因から来たのが多いのである。

こういう患者が、偶々(たまたま)心配や過激に頭脳使用するにおいて、精神朦朧(もうろう)となったり、頭痛眩暈(めまい)等を起すのである。

そうなると、医師の診断は、往々、脳梅毒と誤診するのである。

脳梅毒と宣告された患者は、発狂の前提と思い、恐怖心を起し、職業を抛(なげう)ち、廃人のごとき生活を送るものさえあるのである。

嗚呼(ああ)、諸君、これは架空の話や小説ではない。実際である。

私が、観音力に依って知り得た、多数患者の病気の本源である。

即ち、始め単なる一本の予防注射が、遂に、廃人同様の脳梅毒患者にまでされてしまうのである。

何と悲惨なる事ではないか。

かく、私が述べる事は、余りにも不思議と思うであろう。

しかし、事実であるにおいて致し方がないのである。

これらの真実を社会に覚醒さする運動こそ、人類救済の、根本的、緊要事であり、政治経済以上の大問題である。」 (「日本医術講義録 第1篇」より)




明主様御教え 「既存療法」 (昭和18年10月5日発行)

「(一部のみ引用) 次に私は、医家は固より、世人に一大警告をしなければならない事がある。

それは予防注射の薬毒による腫物である。

近来、足部特に膝下の部に大小の腫物が出来る人が多い事は人の知る所であろう。

これは、予防注射の薬毒が時日を経て足部に集溜し、浄化作用によって排除されんとする為である。

これらは放任しておけば短期間に治癒するのであるが、

それに気が付かない為、薬剤を使用するので、それによって相当長期間に渉るのである。

そうして不幸な人は、医療によって薬毒を追増される為、

悪化して終に足部を切断さるるようになる事も、稀にはあるのである。

又、注射液によっては、ひょう疽及び脱疽の原因となる事もあるから注意すべきである。

そうして、これらも手術によって大小の障害となるのは勿論である。」  ((「明日の医術 第2編」より)




明主様御教え 「伝染病と黴菌」 (昭和22年2月5日発行)

「(一部のみ引用) 以上の意味によって病菌なるものは人間中の濁血保有者に対し、

速かなる浄血者たらしめんがための掃除夫ともいうべきものである。

このような有用微生物を、医学は強力なる逆理的浄化停止を行う以上、死を招く結果となるのである。

それのみではない。医学は免疫と称して種々の伝染病の予防注射を行うが、

これがまた人間の浄化力を弱らせ体力低下の因となるのである。

ここで注意すべき事がある。

近来、膝下に小腫物の発生するものが多いが、

これは、予防注射の薬毒が下降し溜結し排除されんとするためで、

放任しておけば自然治癒するからなんら心配する必要はない。」 (「天国の福音」より。全文は「黴 菌 3」のページ)




明主様御講話 「予防接種で子供が弱る」 (昭和10年11月1日)

「非常に人間の身体が弱くなって、病気に罹りやすくなっている。

つくづく思うのは、近ごろだいぶブルジョア階級の、調べてみるとより以上に、子供などフワフワしている。

現にいまここへ治療に来るある金持ちの子など、やがて二つになるんですが、

いまもってお粥と柔らかいお菜で、お菜は全部裏漉しして食い、お香物など一遍も食べない。

それで屁を放っても下痢をするくらいです。始終胃腸が悪く、風邪を引きやすい。

医者にかかっていたんですが、ここヘ来てだんだん日本式健康法をしたところ、しだいに丈夫になってきた。

父母は天津にいるんで、天津で医者にこの子はここへ置いては生命が持たない。

日本へ行かさなければいけないというので、母さんだけで日本へ連れて帰った。

それでいまお婆さんが育てているんで、ここへ最初来たときは飯を食わせぬと言っていたんで、

飯を少しずつ食わせねばいけないというと、それを早呑み込みして・・・。

今日は一かけ食わせ、なんともなければ明日は一かけというふうにするようにといったのを、最初から食わした。

また、お菜は裏漉しをやめて歯で噛むように奨めたのです。

実に今日の医学の衛生は、いかに人類を弱らせるか論議の余地はないのです。


そういうわけですから、そのたびに上流に生まれた者は不幸せだと思う。

みんなヒョロヒョロしている。

今日、町を歩いて、小学校へ行く子をみると、青瓢箪のようなハンセン病の系統のような眉の薄い子供が実に多い。

それはなにかと言うとチフスの予防注射とか、疫痢の予防注射とか、牛乳や肝油などを呑ますために弱るんで、学理上だけで実際上のことは知らない。

実に子供はかわいそうであります。

そういう間違ったことを、これから観音運動によって救うのですから、なかなか大事業であります。」




明主様御垂示 「副作用の起こらない予防接種は毒性が強い」 (昭和28年3月1日)

明主様御垂示
「私は、秩父宮様に限らず、人間というのは丈夫なものだと思ってます。

これだけの毒をのんでいて、なお生きて働いているのですからこんなに丈夫なものはありません。

むしろ馬や豚のほうが弱いです。今度も豚コレラということでその予防注射をしたら、四十五頭が死に、六百七十五頭が発病し、さらに続発が予想される、というのですが、

それは予防注射のために死んだのですが、人間ならそうは死にません。

そのくらい人間は丈夫に神様はつくってあるのです。

だからそういう家畜よりも、寿命にしても人間のほうがずっと長生きします。

それは馬や牛の寿命でもとても人間ほどは長生きしません。

それで浄霊したりしてみると、みんな実に毒があることが分かります。

体の肉や血よりも毒のほうが多いくらいです。

それでいて生きているのですから大したものです。」


信者の発言
「特に最近は御浄化が強くなりましたが、自分の体は他の人より良いと思っておりましたが、あっちからもこっちからも出てまいりまして驚きます」

明主様御垂示
「そうなのです。疥癬を何べんもやったとか、下痢とかオデキをやって、自分はあらかた毒がなくなったと思いますが、とんでもないことで、

それはほんの何分の一というわけで、まだいくらでもあるのです。ほとんど無限なくらいです。」


信者の発言
「数年ならずして浄化が非常に旺盛になりますことと思いますが、そのときの世の様というのはたいへんなものと思われます」

明主様御垂示
「それはたいへんなものです。

おまけにアメリカなどは実に薬をのむのです。

それでパンなどにもビタミンAとかBというのを入れて売っているのです。

それから水は水で晒粉を入れますが、それを良いと思っているのですからしようがありません。

だからこの浄化が起こったらたいへんなものです。

そこでアメリカなどでできる薬はだんだん毒を強めているのです。」


信者の発言
「大阪の伝染病院にて、一月から二月中旬にかけてのジフテリヤの患者は昨年の四倍だそうでございます。

それで重症患者になると、カルテを書いている最中に呼吸困難になり大騒ぎをするそうでございます。

この重症患者を調べてみますと、ジフテリヤの予防注射をした者ばかりだというので、どうしてかと聞いたところが、

従来予防注射は後で副作用があり、京都でたくさん死んだことがありますが結局原因不明になっております。

そこで最近アメリカから新しい処方をもらってやったために、副作用はないかわりに、すぐに再発するとか、予防注射をした者が重く、しない者が軽いということになって、なぜだろうということになっておりますそうでございます」

明主様御垂示
「それはあべこべの考えですから分からないわけです。

副作用が起こったということは浄化が起こったのです。

それはいくらか出やすくしてあったのです。

それが起こらなくなったということは、一層固まるようにしたので、それは毒が強いからです。

ですからその浄化が起こったらたちまち駄目になるというわけです。

つまり毒を強めただけです。

本当のことは何でもなく分かるのですが、逆の頭だから分からないのです。」


信者の発言
「まるでこちらの代弁をしているようなことが随分出ております」

明主様御垂示
「そうです。それでそれをごまかすために、ヤレ心臓の手術が成功したとかデカデカと書いてますが、

それは邪神が医学を信じさせようというために出しているのです。

この前も子供の白血病をなおすために輸血をしましたが、それはやり損なって死にました。」


信者の発言
「その輸血料が十万円だそうでございます」

明主様御垂示
「もったいない話です。しかし実に馬鹿ばかり揃ってしまったので、神様のお手数ばかりかけてます。」




明主様御垂示 「予防注射が原因の神経麻痺」 (昭和26年8月21日)

信者の質問
「昭和二十三年入信の当年六十二歳の私の父、去る七月十三日飲酒就寝いたし二時間ほどで目が覚めましたが、左手首がききません。

痛みはなく肱から指先へ軽い痺れがあり、手首を上下に動かすことができず、物をにぎれば軽くにぎることができます。

御浄霊はその日より毎日させていただいておりますが変化がございません。

二十八年前自転車より落ち肩の骨を折ったことがございますが、その時は薬は用いませんでした。

肱と肩に固結があり圧すると痛みがあります。

入信前予防注射数本うったことがあります。

どこを根本に御浄霊させていただきましたらよろしゅうございましょうか。御教えのほどお願い申し上げます。」


明主様御垂示
「これは自転車から落ちて骨を折ったためではないですね。

それが今ごろ痛むわけはない。予防注射ですね。

そのためですから、押して痛い所、そこに薬が固まっているからそこを浄霊すればいい。

これはなんでもありません。きっと治ります。

力を入れちゃいけません。

力さえ入れなければドンドン治ります

すべて、手や足の痛みなんかは注射と考えてみればいいです。

前に注射をしたとか言うのはね。

他にそんなことがあるわけはないですからね。」




明主様御垂示 「種痘の着不着」

信者の質問
「種痘を植えてもつかぬ人がありますが、どういう理に基くものでしょうか。また、その健否はどうでしょうか。」


明主様御垂示
「天然痘がなくてつかぬのでなく、天然痘の毒がどこか固まってるためつかぬ。

何年経っても何度植えてもつかぬのは本当にない。

何年か経ってつくのは、一個所に固まっているものである。」




明主様御教え 「ワクチン禍の実例」 (昭和24年10月15日発行)

「去る九月二十一日毎日新聞投書欄に「ワクチン禍」と題した左のごとき記事があった。」


新聞記事
「宮城県栗原郡岩ケ崎町の百日咳ワクチン禍事件の被害患者父兄一同から世のみなさんに訴えます、

昨年十一月町から百日咳の予防接種を施行する通達がありました、子の幸福を願う親たちはその通達を忠実に守ったのです、

ところがこれをうけた発育盛りの幼児のうち六十四名もに結核菌が注射されていようとは神ならぬ身のだれが考え得たでしょう。

最初は注射個所が化膿して来たが、親達は「その中に・・・」と軽く考えておりましたが、

今年の一月末になってこれが恐るべき結核だということが判り肌にあわが生じたのです。

幸に総司令部の同情と各関係機関の好意で三月初め患者全員入院加療ということになりましたが、そのうち一名の貴い犠牲者を出すに到りました、

親達の不安は極度に達し、一家に笑い声の消えた暗い明け暮れでした。

八月二日比較的重症者三名を残して全部自宅療養となりました、しかし退院した者の半分は地元医師で腋下淋巴腺結核の外科施療を受けております。

今後の療養は一に親の深い慈愛と十二分な栄養摂取による経済的苦痛の伴う闘病生活が要求され、私達はまたまた大きい壁に突き当っています。

幸い今日まで若干の補助があったというものの長期療養に家庭経済は全滅の状態にあります。


私どもはこの苦悩を町に県に、政府に訴え続け叫び続けて救済を嘆願して参りました、

しかしいずれも「近い将来に原因が究明され、責任の所在が明らかにならなければ手が打てない」というのみです、

責任の所在を明らかにすることはもちろんですが、

予防接種が原因であることは動かせない事実です、

してみれば、かかる不幸な目にあった者の救済は人道上まことに大きな問題ではないでしょうか、厚生大臣の御意見が伺えれば幸せです。」 (宮城県百日咳ワクチン禍乳幼児父兄代表 森 良男)


「右は接種の場合

(一)注射器の消毒不完全のためか(二)薬剤そのもののためか(三)薬剤に結核菌の混入せるためかこの三つの疑点以外考えようがあるまい、

とはいっても(一)の注射器消毒不完全とは思われない、まさか二人か三人ならとにかく、六十四人もの多数が消毒不完全なため結核菌侵入とは受取れない

(二)の薬剤そのもののためのはずはない、というのは、いかなる薬剤でも薬毒のために結核と同様の症状が表われる訳はない

(三)の薬剤中に結核菌が多数生存し得るはずは絶対あり得まい、

とすれば、いかなる原因か、全然判りようはずはない、

とすれば実に不安極まるものである、何となれば真原因が判明すれば、今後その対策を樹て得られるが、

そうでないとすれば危険なしとは言えない、大事なわが子に接種を受けさせるものは恐らくなくなるだろう、

ゆえにまずこの接種は一時とりやめ、新規蒔直しに研究をやり直さねばならない、絶対危険のない保証が出来るまでに完成した暁、予防接種を行うべきが妥当ではないかと思うのである、

そうしてよく種々の注射によって、集団的に被害を受ける事実は常に見聞きするところであるが、

これらを恐れて注射を拒否する場合、その係りの役人は強制的に注射を施行せしめる事実もよく聞くところである。

以上によってみても、今後予防接種に対しては、研究の上にも研究を重ね、注射禍による一人の犠牲者もなきよう、万全の策を建てられん事を吾らは希望するのである。」




明主様御教え 「BCG問題」 (昭和26年11月14日発行)

「昨今BCG問題が喧しくなって来て、言論機関も盛んに論議されており、医家の間でも賛否両論に分れていて、仲々決着はつかないようである。

そうしてこの問題の起りというのは、先頃米国ミネソタ大学の教授マイヤース博士が、BCGの有害無益論を、八月十八日発行の米国医学協会雑誌に掲載されてあったところ、

折も折日本においても武見太郎博士が文芸春秋四月号に、結核撲滅対策を撲滅せよとの題下に、BCGの効果に疑問ありとし、法によって強制するのは不可なりという意見を発表したので、

それらに刺激されてか、最近に至って橋本厚相が、同薬の効果はいまだ不確実な点あり、充分確定するまで接種は見合した方がいいとの主旨を発表した事から、俄然波紋を捲き起し、政治問題なども絡んで、面倒臭くなったようである。

これについて私としての見地から、いささか批判を加えてみるが、


これは事改めていう程の事もないが、BCGに限らずどんな薬でも効果は一時的で、時が経てば必ず薬害が表われる。

というのは私の持論であって、今度の問題などもそれである。もちろん吾々にはよく分っているが、科学者としたら実に不可解千万と思うであろう。

というのはこの薬は、昨今使用しはじめたものではない。

すでに二、三十年も前からさかんに使用されて来たにかかわらず、今までは別段何事もなかったにかかわらず、思いもかけぬ今度のような事が起ったので、本来なれば何よりもこの原因を究明しなければならないが、それも無理であろう。

なぜなれば、この原因は科学の分野には属していないからであって、その証拠には今もって決定しないため、今度の問題が起ったのである。

というのは真の原因は霊的であるから科学的智識では分りようがないので、今ここにかくところの私の説明を見たところで、科学者から見ればまず一種の珍説か、迷信的ドグマにしか思えないであろう。

ところが吾々から見ればこの人達こそ、立派な科学迷信に陥っているからである。


さてこれから真の原因を明らかにしてみるが、それはこうである。

私は以前かいた事もあるが、長い間の夜の世界がいよいよ昼の世界に転換する事となったので、霊界においては太陽の精である火素が増え、浄化力は日一日と旺盛になって来たので、

以前は薬で固め得たものも、今日では固まりえなくなったためで、それが今度の問題の原因である。

そのような訳で今後時日を経るにつれて、段々固まらなくなり、いずれは医師自身がすべての医薬に疑問を起す事となり、結局薬害の恐るべき事がハッキリ分って、ついには医学の再出発という事になるであろうし、

ここで初めて眼を他の面に向ける事となる結果、本教の浄霊療法こそ真の医学としての真価が判り、医学の大革正となりやがては世界医学界に一大センセーションを捲き起すのは、時の問題でしかあるまい。

従って今度の問題も、その時機の接近の示唆でなくて何であろう。」




明主様御教え 「再びB・C・G問題について」 (昭和26年12月19日発行)

「目下各方面から喧(やかま)しく言われているBCG問題に対し、去る十一月十九日発行の、時事新報紙上に左記のごとき記事が載っていた。

それは読めば判るが、ある農村でBCG接種による恐るべき被害に懲りて、接種を止めて欲しいという訴えであるが、このような例は時々聞くのである。

ところが最近の医学界の傾向は、どうやら無害として引続き施行するを可とする意見に傾いたようだが、吾々からみれば実に不可解と思うのである。

というのは彼らは有害な報告があっても目を蔽(おお)うて、見ないようにしているかとさえ思えるからである。

そうして同薬が効果ありとする理由といえば、接種を行った地域は行わないところよりも、発病率が非常に少ないという統計からである。

ところが医学はこの表面に現われただけの事実を見て決めてしまうところに誤りがあるので、

もちろん医学では根本が解っていないから仕方がないが、吾々にはよく判っているからここにかいてみるが、

いつもいう通り結核発病とは浄化発生であるから、これによって根本的に治るので結構であるのを、医学は逆に解し、

その浄化を停めようとしてBCGを使うのであるから、発病者が減るのは当然である。

しかし一時抑えである以上、一旦は減っても年々継続するにおいては、自然抗毒作用が発生し、漸次効果が薄れてゆき、

しかもBCGの薬毒の浄化も加わるからいずれは非常に悪質な、結核患者激増時代が来るのは、火を睹(み)るよりも瞭(あきら)かである、

としたらこれを考えただけでも、肌に粟を生ずるであろう。

嗚呼(ああ)医学の盲点や実に救うべからざるものがある。」



新聞記事
「B・C・Gの注射異変

BCGの注射が問題化しているようだが、私共の地方、秋田県由利郡松ケ崎村付近ではBCGときくと、命取りよりひどいように恐れている。

昭和二十三年の七月二十八日に村の松ケ崎と神沢の両村で、三~十歳の三十六名に、ジフテリアの予防注射を行ったところ、

注射した後に数日を経て物凄いような吹出物が現われて来た。

それがこわれると天然痘のような症状化し、県衛生部や県立病院で調査すると、注射液の中にはBCGの混っている事が判明したが、

どうして混ったのか当の医師も調査に協力したが、原因は不明のまま現在に至っている。

同時に児童たちはBCG潰瘍患者という病名で、苦痛と闘う日々を送っている。

不測の受難者たる幼児たちの中で、注射量の多かったものは、腕に六、七箇所も手術を要するような重症患者となった。

その多くは女の子で、親達は傷一箇所当り二万円の弁償を県に要求すると、

県は患者を国立療養所や県立病院に収容、施術する事の話合いで落着したが、潰瘍は後から後からと出て見るも無惨である。

事件が発生してから既に四年である。可哀相な幼児も、今では小学校に通っているが、

普通の学童に比べると、身長三-四糎、体重も三-四キロは少ない発育振りである。

BCGの注射とは、こういう悲惨な結果をも生む事があるものだろうか・・・、ではない、現実にある。」 (秋田県 吉内良平 勤労者)




明主様御教え 「B・C・Gは無害か有害か」 (昭和26年11月14日発行)

「BCG問題発生の原因は、本紙の論評欄にかいたから、一読分ったであろうが、幸いにも最近最も適切な体験記録が来たので、左に掲げるが、これを読めば一層ハッキリするであろう。」


体験談 B・C・Gの猛毒を浄化して戴く

山形県 みのり中教会 SM(12・女性)

「私達は今から十年程前から、この有難いメシヤ教に入信させて頂いております。

その当時は御治療と言っていたそうです。母は熱心な信者で、私達三人の兄弟のいかなる大きな御浄化の時も神様におすがりして御浄霊で救われて来たので、いつも感謝致しております。

私も十歳の時、御先祖様や母(父は無し)の努力によって御教修を受けさせて戴きました。

その為か疎開してあちらこちらの学校へ行きましたが皆様に可愛がられました。勉強も面白くさせて頂いております。

御浄化の度々に困ります事は、先生や役員に一々届出をすること、注射をする時も度々理由を話すのが面倒な為、

悪いと知りながらツベルクリン反応が出ないと言われ、猛毒なB・C・Gを二本もさしてしまいました。

何と恐ろしいではありませんか、一週間もすると手先が腫れくずれ、足は膝より下が熱を持ち、深い深い火傷のただれた様になり、顔にもむくみが出て、身体が非常に切なく、学校に行くのも困難になりました。


母は非常に悲しみながら毎日神様にお詫びをして白湯にて洗い、御浄霊をして下さいました。

ちょうどその当時内藤先生がおいでになり、御浄霊をして下さいました。

先生も「今度は長びくだろう」といろいろ申されました。

今更何とも神様にも先生にも申訳なく、母は勇気を出して受持の先生にどうどうと私の容態を話しましたところ、

先生は「そんな筈はない」と言いながら一緒にお医者さんのところへ行ってくれましたが、

その頃は先生に御浄霊を頂いていましたのでその当時を話しますと、お医者様は暫く考えておられましたが、

注射の為にそんな事になるという事が納得出来ず、専門の外科医に又先生と行きましたが、やはり注射のためと又も判断がつかず、

外科の医者は「私の方から見れば慢性○○皮膚病だ」との事ですが、

「それにしては余りに治りが早過る」という事で、先ず確定した事は分らずに帰って来ました。

その後先生と医者との相談で、私の身体には注射は合わないからしなくてもよい事になりました。


その時思わず胸のお守様をしっかりおさえて「神様有難うございます。御蔭様でございました」と御礼申し上げました。

この事は五月中の事ですが、傷が深いのでこの夏はスカート等もはかずに過さねばならないと思っていましたのに、

先生の御浄霊を頂いてからどんどん良くなって、今ではあと形もなくきれいになって居ります。

何と有難い事でしょう。神様は私達の間違いもおとがめなく前よりも美しくして下さいました。

愚かな私達親子は心から感謝し、一人でもこの尊いお救いと薬の恐ろしさを世の人々にお伝えしたいと努力しております。

今更ながら医学の間違いを体験をもって多くの人々にお知らせ致します。

神様有難うございました。なお今後も御守護の程をお願い致します。」




明主様御教え 「予防注射」 (昭和27年1月16日発行)

「私は左記の布衣生君の文を読んで思い出したのは、今から数年前栃木県川治温泉から四里奥に湯西川村という平家村があった。

戸数六十戸、人口約九百でもちろん無医村という事である。この村についてはいつかもかいた事があるが、

全然菜食村で、鶏一羽すらいないという徹底振りだ、訊いてみると病人はほとんどなく、

現在酒の飲みすぎで、ヨイヨイになった爺さんが一人あるだけだそうで、またこういう面白い話がある。

それは年に一回、県からチフスの予防注射に、医師が出張して来るのだが、村民は恐れて逃げてしまうのだそうで、

よく訊いてみると、注射をされると三日くらい熱が出て仕事も出来ないという事である。

しかもチフスなど昔から一人も出た事がないというのだから、医師もこの村へ来るのは実に嫌だとコボしているとの話だ、

それなら来なくてもよさそうなものだが、そこが御役所式で、規則通りやらなければならないという訳で、

私も余りの官僚的に唖然(あぜん)とした事があったので、今でも憶えている。」



体験談 神は子供を慈しみ給う (二)

神成中教会 EM

「「やられちゃった。やられちゃった。早く浄霊してくれよ」上着の袖を捲くったまま、次男坊がおどけた調子で叫んでいる。

この坊主が、浄霊してくれ、と言う時は、その言い方で腹痛か、怪我かが解るのだ。

小さな声で、浄霊してくれよ、と言ったときは、転んで膝小僧を擦りむいたときだし、シクシク泣きながら、浄霊、と、帰ってきた時は、足に踏抜きをしたり、野球で突き指をしたときで、蛔虫のために腹が痛かったり、頭が痛むときは、きまって、アアイテエ、アアイテエと、頭か腹を押えている。

こうした、子供の癖を知っている私は、今のように、元気な声で浄霊、と叫ぶような時は、大した事はない、と少しも驚ろかない。

「学校で注射されちゃったんだよ」と言う子供の言葉にギクリとした。

「ホーソーか」「ううん、ツベルクリンだ。逃げちまおう、と思ったんだけど、皆んなやらなければいけないって、先生が言うからやったんだよ」

私や妻が、ふだん、薬毒の恐るべき事を、未信者の人たちに話をするのを、聞いている子供たちは、怪我をした時も、浄化の時も、「薬を」とは、決して言った事はない。

学校で便の検査をして、虫がいる、と言われても、他の子供のように、虫下しの薬を貰らって来ないで「先生が、「虫がいる」と言ったよ。すぐ浄霊しておくれ」という位、薬と、注射の害は徹底して知っている。

だからこそ、注射、と聞いて逃げよう、と考えたのだろう。

子供のいいわけを聞きながら、赤く、少しはれている、その個所を浄霊した。

「この次は、B・C・Gか、あれだけは止めて貰い度いな。どうしてあれを強制するのか、これなんかも、憲法で保証されている、基本的人権を揉欄するようなもんだ」
 
傍で、縫物をしている妻に言った。

「洋服屋の金子さんは、上の男の子が、中学校で、B・C・Gを接種されてから肺病になった、と言って、B・C・Gだけは、あとの子供さん達にさせないそうですよ」

「家の子供たちにも、注射とB・C・Gはしてくれるな、と、学校へ頼んでみるか」

「そうですねえ、弊害もある事を知っていながら、どうして強制するんでしょう。お役所のやり方には、何んだか頷けないものがありますね」

珍らしく、妻も、子供ゆえに、いきまいていた。

この頃の学校の子供たちは、予防医学の立場から、と言って、百日咳、ジフテリヤ、チフス、種痘等、無暗に注射攻めにされている。

薬毒の恐ろしさを知る私たちは、それ等の注射があるたびに、顔を覆い度い思いである。

だから、といって、薬毒を知らず、善意でしている、相手の立場に無理解ではないが、強制、となれば、問題はまた別である。


自分たち一家が、救世教徒である為めに、学校へ、公然と注射反対の態度を表明し、それと戦う事になれば、事あれかし、と待ち受ける、商業新聞の、悪意に満ちた宣伝材料に使われる。

それは、結局、救世教全体へ迷惑を掛けることになる、と、考えて、今までも予防注射は受けさせてきたのだった。

馬齢を加えた、私たち夫婦は止むを得ないとしても、折角、無医薬で健康に育てた子供達の身体には、一滴の薬も入れたくない。

これは、薬毒の恐ろしさを、身をもって体験している、救世教信者の血の叫びであろう。

高等学校へ行っている長男は、注射のすぐあとで、その個所を口で吸い、そして自分で浄霊してくるが、小さい子供にはそれが出来ないので、家へ帰ってから、私か、妻かがそれをやってきたのであった。

「一年の時は、ツ反応が、陽性と出たので、B・C・Gはやらずに済んだが、今度はどうだろう」「多分、大丈夫でしよう」

縫い物の手を休めず、そう答える妻に、その知識があろう筈もなく、もとより、希望的観測から一歩も出ていない事は解っていながら、「そうであってくれればいいが」と、今日の、ツ反応の結果を案じるのであった。


それから、暫く経ったある日、今年、一年に上る三男に、ツベルクリン反応の検査があるから、連れて来い、と学務課の通知があった。

「こんな、小さな子を、どうして痛い思いをさせるのか、学校へ行って話して来ます」

そう、勢い込んで行った妻が帰って来たが、結果の悪かった事は、その顔色で察しられた。

「学校で何んと言った」「あちらからの命令だから、私たちには、どうにもならないって、てんで取り合ってくれません。ツベルクリンだけは仕方がないからさせて、あとは、神様にお願いしましょう」

妻のその言葉には、思い詰めた母親の必死の響きが籠もっていた。

心配していた、ツベルクリン反応の結果が解った。

学校医は、「お気の毒ですが、この子は小児結核です。今年の入学を延期して、充分療養して、来年、改めて入学させた方がいいですね」と冷めたく言った。

「小児結核」。校医の診断を聞いた、私たち夫婦の驚きは大きかった。

肺病・・・死。不吉な翳が、さっと脳裡をかすめた。肺病。

もしそうであっても、薬の入っていない身体だから、浄霊で必ず治す事が出来る。

治す力を、私たちは神から許されているのだ。

この絶対の自信に考えが辿りつくまでには、長い時間がかかった。

夢想だにもしない小児結核と、唐突に医師に診断された為に、私たちの気持は転倒し、冷静さを失ったのであった。

「それにしてはおかしいね。今までに、幾人もの肺病の人を見、浄霊で救ってもきたが、この子に、肺病らしい症状が、何処にあるだろう。

近所の同い年の子供に比べて体重は多いし、食欲は見事だし、咳も出なければ、寝汗もかかない。肺らしい形跡は、一つもないが」

そう、いいながら、不安そうに両親の話を聞いている子供の、頭、頸、延髄に手をあてて見た。

今までの経験で解っているように、この子に何等、そうした病気のない事を、再確認しただけの事であった。

校医は、都の保健所を指定し、そこで、血沈と、レントゲンの検査をしてくるように、と教えた。

保健所へ行くと、私たちと同じように、心配そうに、子供を連れた親たちが、幾人も順番を待っていた。

血沈の検査は、同い年の子供に比べてやや多いが、レントゲンに写った両肺とも、何の異常も認められない。

「大丈夫です。この分なら今年から、学校へ上げてもいいでしょう」

若い、保健所の医師の言葉に、張り詰めた心が、ホッと、ゆるんだ。


「アア、解った。これは神様の御慈悲」

帰りの電車の中で、妻は、私の耳に口を寄せて言った。

「毎日、B・C・Gをうたずに済みますように、神様にお願いしていたので、こんな、とんでもない診断が出たのよ。

今、小児結核ならB・C・Gを接種するまでもない事だし、本物の結核なら、今年は学校へ上れないし、神様のお力は実に、深謀遠慮ね」と感嘆した。

「深謀遠慮は良かったね」揺れる電車の吊皮に掴まりながら、改めて神様の御慈悲に胸がつまり、

「良かったなあ。学校へ上れるよ」と、子供の頭をなぜたのであった。」 (昭和二十七年一月八日)