呪いによる病気について


明主様御垂示 「呪いの釘で失明」 (昭和24年9月11日)

信者の質問
「六十八歳の老母、昨年三月、自宅所有の山の近隣でも一番大きい松の木(周囲四、五尺)に釘が何十本となく打たれてあるのを近所の人が発見しましたので、

その人と一緒に行き釘を引抜きました所、小さいのは二寸位、大きいのは四寸位のものが二百二十本ありました。

帰宅一、二時間後、左の眼が急に痛くなり、早速医者にかかりました所、眼球を突いた病状との診断を受けました。

十日位は痛みもとれず、それ限り明盲となりました。

なお、釘は頭がありませんでした。

本人は人から怨まれるような事はした事がありませんが、どうすればよろしいので御座いましょうか。御教えの程御願い申し上げます。」


明主様御垂示
「いわゆる牛の刻詣りなどのごとく祈りをやったので、釘を打った人が怨み死にした。

その霊が釘に憑いたので、釘に執着があり、抜かれるのを怒った。

釘の霊で霊が眼を突いたものである。

長いが治るには治る。」




明主様御垂示 「呪いの神酒錫による神経痛」 (昭和25年2月11日)

信者の質問
「島根県のOK(三十五歳・女性)と申す信者で御座いますが、

約一ケ年以上神経痛で臥床中で御座いましたが、この度教修中に御浄霊により憑霊現象を現わしました。

その霊は隣家の主人の生霊と称し、約十七年前、OKさんの家に土地の問題で恨みを持ち、

一月三日津和野町稲荷神社に籠り一週間の間OKさんの家が滅亡するよう、九人の命を取って来れるようにと願をかけ、

九個のミキスズ(錫の御神酒の壺)を受け、同年一月十三日帰宅、自分の家の四隅の柱、床柱、前後の入口、大黒柱の根本と八個を埋め、

残る一個はその夜十二時にOKさんの家の床下にもぐり込み、床柱の下に埋めました。

そして今迄に七人の命を取り、八人目がキヌさんであると申します。

七人関係者が死んでおりますそうで御座います。そこでその不心得と罪を諭し、

その夜OKさんの家の床下を掘って見ますと、果してそのミキスズが出て参りましたので、取り敢えず集会所の御神前に安置致しました。

すると今度憑って来た霊はその人の妻だと称し、夫に恥をかかし夫の呪いをきかなくして口惜しい。

今度はわしが呪ってやる。命を取らいでおくものか。自分にはイヌガミの霊が憑いている。

それが家の行李の中にいて自分を操っている。

それの命令だから仕方がない。

自分は十八歳の時から何回も嫁に行き男と関係したが、その度にイヌガミの命令でその男の命を取った。

その男の名前は、NY(三十八歳)、NK(二十八歳)、MK(十八歳)、HT(四十八歳)等で、皆名前の下に一がついている合計九名の命を取ったと申しました。

教修最後の日にはキヌさんが御光を受けると自分が苦しい、御光を授ける前に私のイヌガミを取ってくれ、

そうしたら自分は離れると申し、OKさんの受教を妨げておりましたが、

御浄霊により霊は離れ、OKさんは喜んで御光を戴きました。

神経痛も癒えたようで御座居ます。なお憑霊中人間の生霊だと云いながら、二階から階段、玄関、土間等を這い廻りました。

このミキスズはどう処分致しましたらよいもので御座いましょうか。

密封してありますので中は判りませんが、酒と外に何か固形物が入っているようで御座います。

なお右憑霊の夫婦はこの事件については何も知りませんが、御道の事を聞いて入信を希望致しております由で、もし入信致しますと、

その八個の分について調べました上、実在ならばどう処分致すべきで御座いましょうか。御伺い申し上げます。」


明主様御垂示
「処分の要はない。

人の踏まない所へ埋めればよい。

霊が離れるか改心すればそれでよい。」




明主様御垂示 「呪いの生霊による肺の病気」 (昭和24年10月16日)

信者の質問
「本月十四日知人が私宅に参り、話によりますとそこの嫁は霊友会の熱心な信者で、毎日お経をあげております。

半月程以前より義弟(主人の弟)が急に悪寒を覚え、胸が苦しくなり一日に二、三回程苦しみ、十日程で死亡致しました。

死ぬ少し前より、嫁が御経をあげると苦しいから止めてくれと申しておりました。

医師は死亡は胸の病気が原因と申しておりましたそうです。

その後間もなく姑も同様に苦しくなりましたので不思議に思い占者にみて貰うと

「嫁が三十日以内に姑の命が取れるように祈っており、祈り始めてより三日目だ」と言われ、

占者に苦痛を取ってくれと頼んだところ「生霊故駄目だ」と言われ、私のところへ相談に参りました。

このような事は事実でしょうか。

また事実としたらいかようにしたら宜敷いでしょうか。

因みにその家は姑と義弟と嫁の間が不仲のようです。」


明主様御垂示
「お経をあげると霊は苦しい。

霊界が違って来たから、お経は絶対あげぬ方がよい。

霊友会など、特にそういう事がある。

日蓮宗など、怨みや執着が反っていいとしてあるから、こういう事はあり得る。

しかし浄霊すれば何でもない。

祈り怨むなどは先方が間違っている。

光明如来様をお祭りすれば何でもない。」




明主様御垂示 「ムジナを利用した呪詛により発狂した事例」 (昭和24年12月)

信者の質問
「ある婦人の信者、その人の住んでいる村の鎮守の森にむじながおり、

以前その婦人が隣人に対してあることから怨みを懐き、その人をそのむじなにかけて呪ったところその人は狂い死にしたそうです。

このような場合呪った人と呪われて狂い死にした人との現界霊界の苦しみの因縁はどうなりましょうか。」


明主様御垂示
「これはどっちも悪いですね。

しかし、どっちかって言えば呪われて死んだ人のほうがむしろいいですね。

呪ったほうがずっと悪いですよ。

これは因果応報でそうなるからしかたがないんです。

だから人を呪うって言うのは自分を呪ってるのと同じなんですよ。

人を呪うことによって大きな苦しみを作るんですからね。


しかし、呪われて死ぬほうにもそれだけの罪があるんですよ。

だから「呪ったほうだけいけなくて、死んだほうには罪がない」なんてことは決してないんです。

つまり、呪われて死ぬだけの資格があるんですね。

この信仰に入り神様からの御守護をいただいてれば、いくら呪われたってなんともありませんよ。

そりゃあ、いくらかはありますよ、いくらかはね。

この信仰に入ったってやはり曇りはありますからね。

しかし、苦しみで浄化されるからそれでいいんですよ。」