構音障害について
明主様御垂示 「構音障害者の前世は動物」 (昭和24年12月20日発行)
信者の質問
「赤子より幼年に至る途中において、人によりハ行、サ行、カ行など特定の発音が上手にできぬ期間がありますが、霊的にいかなる意味がありましょうか。
また東北の人がサシスセソの使い分けができぬのはいかなるわけでしょうか。」
明主様御垂示
「これは動物の転生せるもので、前世の特性が多少残っているためである。
動物は単音のみしか発音できない。
言霊は人間が一番種類多く使えるのである。
東北の人に訛(なまり)が多いのは、人種的な関係である。
東北には古代、アイヌ族が長い間住んでいた。
東北地方にはアイヌ名の地名が多いにみても分かる。
また東北人は概ね体が大きい。
というのはアイヌの先祖はコーカサス人で、古代において日本へ侵略して来たものであるからである。
すなわちソ連の系統で、歴史にみる八十梟帥(やそたける)、川上梟帥、長脛彦(ながすねひこ)などのごときはそれで、神武天皇に征せられた匪族はこのアイヌである。
彼らが圧迫された怨みの系統が現代の共産党の熱心な主導者に生まれている。
先祖のこういう霊的の関係もあって共産党は天皇に反感をもっているのであるからなかなか深いものである。」
明主様御垂示 「タ行カ行発音出来ぬ原因」 (昭和23年10月19日)
信者の質問
「タ行カ行の音が出ない者がおりますが、何の霊で御座いましょうか。」
明主様御垂示
「唖など、ある音の出ぬのがある。
動物の転生で、前の世の習性が残っているものである。
カ行タ行の音が出ぬのは(ちょっと判らぬ・・・動物に違いないが。)」
明主様御垂示 「舌の寸足らず」
信者の質問
「次のごとき症状の根本は霊的または体的のいずれで御座いましょうか。
よく舌の寸足らずと申しますが、充分人並に話の出来ぬ人・・・」
明主様御垂示
「前世に畜生道に堕ち、動物に生れ、また人間に生れたものである。舌の短い動物である。
故に人間の言語は使えぬ。こういうのも一言か二言喋れるものである。
動物の再生はどこかに残っている。
単純な事しか喋れぬ舌になっている。
浄霊である程度良くなる。」
明主様御垂示 「言語不明瞭の子 動物霊の再生」 (昭和24年8月8日)
信者の質問
「昨年十一月家内が御光を戴き、その後長女、私と三人共入信し、本年二月には光明如来様を御迎え致しました。
三歳になる次女、本年に入り二回の肺炎御浄化を戴きました。
七月二十日頃より百日咳を、七月末に更に肺炎となり、重体になりましたので、御守護御願いを致しました後は多少楽になりましたが、咳が出て食欲がありません。
今では眠るばかりです。また三歳になりますのに言葉がはっきりしないのですが、いかなる理由でありましょうか。
また土や草等をかまわず口に入れますが、それはいかがでしょうか。御伺い申し上げます。」
明主様御垂示
「動物霊の転生で、(眠るのはよい)言語のはっきりせぬのは大抵(霊的で)・・・。
丈夫になってから質問せよ。
百日咳の原因は悪露である。」
明主様御教え 「御霊光」 (昭和10年3月4日発行)
「これからいよいよこの観音会を機関とされて、観音様が観音力を揮われるという事は、実に開闢(かいびゃく)以来無い事であって、
人間では想像もつかぬ事で、これをなる程と思う所まで話すのは、実に難しい事なんで
初めて聞く人は不思議過ぎてとても本当に出来ぬ事が多いのであります。
それ故 私は加減して話しているんであって、実地有りのまんまを話すと、反って誇大妄想的に思われやしないかと思うんであります。
ですから何よりもまず一度御神体をお祭りして、拝んで下されば直ぐに判るのであります。
必ず不思議な御霊徳を受けるのであって、お祭りをしてから時日が経つに随って一家にある事すべてが良い方へ善い方へと向って行くのは実に不思議なのであります。
つまり病気が無くなり、金銭に困らなくなり、心配する様な問題等、すらすらと片付いて行くのであります。
これはどういう訳かと申しますと、大きな光に照らされるからであります。
それについて最近こういう話があります。
ある方が文字の観音様の御神体をお祭りされたんでありますが・・・
私の所へ来て、聞かれますには、先生のお書きになった「文字の墨」には何かお入れになるんですか、と云うのです。
私は、イヤとんでもない墨だけで書くんです、と答えますと
どうも奇体だ、お軸の大聖観世音と書いてある字が真白に光るんで、
私は燐(リン)でもお入れになったのかと思ったんです。
そしてジーッと拝んでおりますと、字がそのまま白い光になって、
その光った文字が脇の壁にありあり映って、大聖観世音とそのまま出るので
これは暗い為であろうと、日の当る頃太陽の光を射す様にして見ても、矢張り同じように見える。
するとこちらの壁へ写ったかと思うと又消えて、あちらの壁へ写る。
そして大きくなったり小さくなったりする。
そうかと思うとお掛軸の上の方から紫のような、雲のような、光が出て来て種々の変化をする。
つまりそれは瑞雲でありまして、その瑞雲が下の方からも湧き、あちらからもこちらからも出て来るかと思うと、
あちらへ行ったりこちらへ行ったりして、ちょうどネオンサインのようで、
とても綺麗でいつまで見ていても飽きないと言うのです。
それについて私も詳しく説明して上げたので、やっと判られた様な訳であります。
そのお宅に一寸面白い話がありますから、お話します。
その御婦人はどうして観音様をお祭りしたかと思うと、その家に十位の男の子があるんであります。
しかし生れ付に言葉がはっきりしない。
全然口が利けないのじゃなくて、ただはっきりしないのであります。
アイウエオだけがハッキリ言えぬだけで、後ははっきり言えるのであります。
チョイチョイお出でになるうちに、ちょうど半分位良くなった時に、観音様をお祭りしたんであります。
その子供は、最初頭に瘤(こぶ)があるから、それをとかしました。
それがあらかた解けると最初来られた時には、ボーッとしていたんでありますが、
非常にはっきりして来て瘤が除れる頃は眼付も大変よくなり頭もとても良くなって従って、
学校の成績も驚く程良くなって来たんであります。
段々査べてみると犬の霊がたたっている事が判ったんであります。
それはその子のお父さんが犬を殺した事があるのです。
アイウエオの音だけはっきり言えないと言う事は犬である事を証拠立てているのであります。
大抵の動物は七十五音の内どれか一種を発する事が出来るのです。
犬は、ワヰウヱヲの音で、ワンワンと鳴き、ウーウーと唸り、
足等踏まれたり、轢(ひ)かれたりした時はヰーヰーと
うめき遠吠えする時は、ヲーヲーと鳴くのは、皆さんも御存じの通りであります。
その他猿はカキクケコ、鼠はタチツテト、牛はマミムメモ、馬はハヒフヘホと言う様に
各動物は一種の音声を特徴として神から与えられているのであります。
犬が祟って、憑っている為に人間の舌や発声機関を使うのは適しないから、その声だけがはっきりしないんで、
又その頭の瘤は犬が殴られた所なのでそれが致命傷になったのであります。
それが判ったから早速その犬を私は祀ってやった所、病気もどんどん良くなって昨今はほとんど快くなったんであります。
そのお母さんが光を拝まれたのであります。
こういうお光は、大抵な方は拝まれます。
その光が種々あって色は金色紫色紅色等が多く、その中でも白金色が一番多いのであります。
その訳は「神体」を書く場合、「観音光」が私の手と筆を通して文字の中へ入って行くんであります。
それが為に文字やお像から絶えず光を放射するんであります。
その光に依って一家の罪障が除れるんであります。
罪障とは、罪の障(さわ)りと書くんで、この障りが解消して行くんであります。
一軒の家に不倖せがあるのは、罪が障っているからなんで、罪障の多い家程、それが一つの層になっていて
いつもお話をする、霊界、その家の霊界を暗くしているんで、
罪の多い程、その家の霊界は暗いんであって、暗黒の濃い程悪魔が災害を与えようとして、跳躍し易いのであります。
悪魔は人間に隙さえあれば、災害を与え苦しませようと、絶えず、狙っているもので、
人間に病貧争の悩み苦しみを与えるのは彼らの天賦的本能とも言うべきなんであります。
故に暗い家程 悪魔の力が強いという事は当然な事であります。
暗黒の度の強い家と言う事は、一家に罪障が多いと言う事であって、
罪障はすべて曇りになり、その曇りが暗黒を造るんでありますから
それと反対に正しい信仰をし、善を施し、徳を積めば、それが光となって曇りを減らして行くのであります。
こういう説明は信仰的でなくむしろ科学的であると思います。
それで観音様のお光は何んであるかと言うと、太陽と月の両方の光を一つにした光なのでありまして、強さは太陽の光と同一でありますが、
太陽のごとく、まぶしくなくギラギラ光らないのであります。
又 観音様のお光は金色と紫の光をよく拝む事がありますが、金色は表の光で紫は裏の光であります。
詰り金色は日の光で紫は月の光であります。
千手観音様の霊写真に私の腹の横から出ている光がその光であって、
写真を御覧になった方は非常に強い光であるという事は想像が出来る事と思います。」(仁斎)
明主様御垂示 「埋葬遅延による構音障害、発熱」 (昭和23年11月15日)
埋葬を懈怠すると死人は霊界に行けない
信者の質問
「本年七月十三日、大光明を御祭りして以来、御浄化を戴いておりますが、
今月十三日朝九時頃、突然私の右頬に冷たい手がふれるような気が致しましたら、
急に舌がもつれて発音がわからなくなり、右肩と右頬が非常に痛み出し、また両手両足も重く熱っぽくて、水以外は何も欲しくありません。
昭和十九年九月十三日に子供を亡くして、その骨を埋めずにありますが、これと関係がありますか。御伺い致します。」
明主様御垂示
「骨を埋めないと霊は非常に嫌がる。早速埋めなくてはいけない。そのためではないかと思う。
骨を埋めないと、霊は霊界で行く所へ行けない。
自分の死骸なども片づいていないとそれに引っ張られる。
骨などいくらか霊線が残っている。
骨とっておく人があるが大抵病気になる。
風葬など間違っている。間違った事して始末すると、その罪を霊界で着て苦しむ訳である。」