日本人と精神病について
明主様御教え 「日本人と精神病」 (昭和25年4月20日発行)
「今の世の中で、人々は口を開けば思想の悪化、犯罪の増加、政治の貧困等々を言うが、
これについて私はその原因が精神病と密接な関連のある事をかいてみよう。
まず精神病なるものの真因は何であるかというと、
これがまた破天荒ともいうべき何人も夢想だもしない理由である。
もちろん真理そのものであるから、真の精神病者でない限り何人も納得し得るはずである。
そうして精神病の真因は肉体的と憑霊現象とである。
というと唯物主義教育を受けて来た現代人にはちょっと判り難いかも知れない。
何しろ眼に見えざるものは信ずべからずという教育をサンザ叩き込まれて来た以上、
そう簡単には判りようはずのない事は吾らも充分承知の上である。
といっても真実はいくら否定しても真実である。
眼に見えないから無というなら空気も無であり、
人間の心も無という事になろう。
霊があるから在る、憑霊現象もあるから在る・・・という真実を前提としなければこの論はかけない。
ゆえに霊の実在を飽くまで否定する人は、吾々を目して迷信者とみると同様、
吾々から観れば、そういう人こそ気の毒な迷信者である。
さていよいよ本文にとり掛るが、まず精神病者は憑霊現象であるとすれば、
何故であるかというと、世間よく首が凝る、肩が凝るという人は余りに多い事実である。
恐らく日本人全部といってもいい程であろう。
私は長い間の経験によって、いかなる人でも頸肩に凝りがある、稀には無いという人もあるが、
それらは凝りはありながらあまり固り過ぎていて、その苦痛に鈍感になっているためである。
すなわち体質ともいえる。
右のごときこりが精神病の真原因といったら、その意外に吃驚(びっくり)するであろうが、
順次説明するに従ってなるほどと肯くであろう。
頸(くび)、肩のこりは頭脳に送血する血管を圧迫するので、それがため前頭部内に貧血を起す。
ところがこれが問題である。
というのは頭脳内の貧血は貧血だけではない。
実は血液なるものは霊の物質化したものであるから、
貧血は頭脳を充実している霊細胞の貧血ではない貧霊となる事である。
この貧霊こそ精神病の原因であって、憑霊は霊の稀薄部を狙って憑依する、
その霊とは何であるかというと、大部分は狐霊で、次は狸霊、稀には犬猫のごとき霊もある。
もちろんいずれも死霊で、また人霊と動物霊との共同憑依もある。
ここで人間の想念を解剖してみると、まず理性と感情とそれを行為化する意欲である。
その理由としては、前脳内の機能は理性を掌り、後脳内のそれは感情を掌る。
この証左として白色人種は前頭部が広く発達しているのは、理性の豊富を示し、
反対に黄色人種は前頭部が狭く後頭部が発達しているのは、
感情の豊富を示しているにみて明らかである。
白人が智的であり、黄人が情的であるのは誰も知るところである。
ゆえに人間は常に理性と感情とが相剋しており、理性が勝てば失敗はないが、
そのかわり冷酷となり、感情が勝てば本能のままとなるから危険を生ずる。
要は両様相調和し、偏らない事が肝腎であるにかかわらず、人間はどうも片寄りたがる。
そうして理性にしろ、感情にしろ、それを行為に表わす場合、大小に関わらず意欲が要る。
その意欲の根原こそ、腹部中央臍部内に位する霊能である。
いわゆる、行為の発生源であって、右の三者の合作が想念の三位一体である。
ところが前頭内の貧霊は、不眠症を起す、不眠の原因のほとんどは、
後頭部右側延髄付近の固結でそれが血管を圧迫するからである。
不眠は、貧霊に拍車をかけるから、得たりかしこしと動物霊は憑依する。
前頭内は人体の中枢であるため、その部を占有する事によって人間を自由自在に操り得るのである。
特に狐霊はこの人間を自由にする事に興味をもち、
しかもそれによって狐霊仲間で巾が利く事になるので、到底人間の想像もつかない訳である。
この狐霊については私の実験を本とし近く詳細書くつもりだから読者は期待されたいのである。
以上のごとく、人間の本能である感情を常に制扼(せいやく)し、過ちなからしめんとする本能こそ理性の受持ちで
人間がともかく普通常態を保ちつつあるのは、
この理性という法規の力で感情を抑えつけているからである。
従って、この法規の力を失うとすれば、感情は自由奔放脱線状態となる。それが精神病である。
右のごとく法規の力が前頭内に光っているとすればそれを識っている憑霊は、そこを占有することが出来ないが、
一旦霊が希薄になった場合邪霊は得たりかしこしと憑依する。
稀薄といっても厚薄の差別があり、その差別通りに活動する。
例えば、前頭部の霊の充実が十とすれば、憑霊する事は全然出来ない。
九となれば一だけ憑依出来る。二となり三となり四となり五となり六となった場合憑霊は六の力を発揮し得るから、
四の理性の力では六の感情の力に負けるから、自由に人間を支配し得るのである。
最初に述べたごとく、凝りのため血管が圧迫され貧霊する。
その割合だけ憑霊が活動し得るとすれば現代人に凝りのないものはないから、
霊の充実が十ある人など一人もないと言っていい。
社会で尊敬されるような人でも、二ないし三くらいの欠陥はある。
あんな偉い人がアンな間違いをするとか、あれくらいの事がなぜ判らなかったとか、
どうして失敗したのかなどといわれるのは右の二、三の欠陥あるためである。
しかしながらこの欠陥は一定不変ではない、常に動揺している。
非常に立派な行為をする時は二くらいの欠陥の時であるが、何らかの動機にふれて邪念が起り、
罪を犯す場合は四くらいかそれ以上の状態になった時である。
これは世間によくある事だが、大抵は罪を犯してから後悔するがその時は二くらいに還った時である。
よく魔がさすというのはこの事をいうのである。
ところが一般人はまず平常三ないし四くらいであって、
動機次第でいつ五の線を突破するか判らない。
この場合思いもよらぬ罪悪を犯すのである。
この例としてヒステリーであるが、この原因はほとんど狐霊で、その際前頭内に蟠居(ばんきょ)する。
この原因は嫉妬、怒りのため五の線が破れる。
そうなると心にもない滅茶苦茶な事をいい、狂態を演ずるが長くは続かない。
というのは五の線が再びそれ以下に還元されるからである。
従って人間は三の線を確保すべきで、それ以上では危険である。
今日犯罪者が多いというのは右の理を知ればよく判る。
憑霊とはもちろん獣霊である以上五の線を突破すれば形は人間でも、
心は獣類と何ら異ならない事になるから、獣的行為を平気でするのである。
この点人間と獣類との差別の著るしい事は人間には愛があるが、
獣類によっては親子夫婦の愛はあるが、隣人愛は極めて薄い。
反って鳥類虫類の方がある。
しかし大抵の獣類は夫婦、親子の愛すらないので、
人間が獣性を発揮するや到底考えられない程の残虐性を表わすのである。
以上述べたごとく、十の霊保持者がないとすれば、それ以外は憑霊に多少なりとも犯される訳で、それだけ精神病者と言い得るのである。
したがって忌憚なくいえば日本人全部が多少の精神病者であると言えよう。
これについて私の経験をかいてみるが、
私は毎日数人ないし数十人の人に遇い種々の談話を交換するが、
いささかも破綻のない人は一人もないといっていい。
いかなる人といえどもいくらかは必ず変なところがある。
世間から重くみられている人でも、普通では気のつかないくらいの欠陥はあるに鑑て、
軽度の精神病者はまず全般的といえるのである。
今一つは言語ばかりではない。行為の点も同様である。
もちろん行住座臥誰でも出鱈目ならぬはほとんどない。
道法礼節など全然関心をもたない。
大抵の人は部屋へ入りお辞儀をする場合でもほとんど間違っている。
壁へ向かってするもの、障子や襖へ向かうもの等、実に千差万別である。
また馬鹿丁寧な人があるかと思えば簡単すぎる人もあり、これらことごとくは軽度な精神病者であろう。
最後に当って根本的解決方法をかいてみるが、それには頭脳への送血妨害であるこりの解消である。
こりを解消するにはもちろん本教浄霊による以外、世界広しといえども他にない事はここに断言する。
ゆえに本教信者は普通二か三で、三の線から逸脱する者はまずあるまい。
何よりも本教信者の品性をみればよく判る。
以上の意味によって、今日の社会悪防止に、本教がいかに大なる功績を挙げつつあるかである。
またこりの本質は何であるかというと、言うまでもなく薬毒である。」
明主様御講話 「薬毒原因の精神的病気」 (昭和27年7月15日)
「美術館やいろんなことで「文明の創造」を書き始めていたのが遅れたので、早くこしらえてしまおうと思ってまた書き始めたのです。根本的のことを書いたのです。
つまり今までは本当の文明ではない。本当の文明というのはこういうものだということを書くのです。
根本というのはつまり悪です。その悪をなくする。他のいろんな文化はすばらしいものです。
ところがそれを悪に利用するからいけないのです。これを善に利用すればたいしたものです。
原子爆弾でも、あれを人殺しに使うから恐ろしいものなのです。
あれを動力やなにかの原(もと)に使えば結構なものです。原子爆弾を動力に使えば、石炭だとか油はなくてすむのです。
なにしろ豆粒くらいのもので自動車や飛行機を動かせるのです。
つまり、悪をなくすればそれだけで地上天国はできるのです。
今みんな困っているのは、人間の悪のために困っているのです。
だからその一番怖いのは戦争、病気。それから今の共産党の運動も、それから泥棒だとか、変なようなことで人殺しをするというようなことの因は、みんな悪です。
で、悪でも、直接・・・火炎瓶を投げたり、まあ、破壊運動をするのは、これは分かりきった悪です。
また泥棒したりいろんなことの悪は分かっているのですが、そういうことよりも、悪を善と思ってそうして悪を行なうこと、これが一番恐ろしい。
やる方は善と思って一生懸命やるのですから・・・。
そのうちの親玉が、いつも言う通り医学です。
「医は仁術なり」といって、非常に良い仁術と思っているのです。
医学によって病気を作り、それを悪化させて生命まで奪ってしまうのです。
これほど恐ろしい悪はない。これほど深刻な悪はない。
この悪を人間から除けば悪はなくなってくるのです。
いろんな誤った思想だとか、破壊的なこととか・・・みんな病気です。精神的病気です。
いつか、日本人は全部精神病だと説きましたが、つまり精神病にも種類があるのです。
精神病らしいのは分かるから病院に入れるとかするが、精神病らしくないのが一番怖いのです。
で、病気の因というと、今度「栄光」に出しましたが、薬なのです。薬で血を濁すのです。
濁すと、濁った血が頭に行く。だから頭が悪くなる。頭が悪くなると、物事の判断力が正確でなくなる。どうも、実に判断が間違うのです。
だから、今一番のなには・・・例えてみれば、政治家とか代議士とかいうと、ふつうの人よりか偉い人となってますが、
確かに偉くなくてはあれだけの出世ができないのですが、
その偉い人が、なにかの時に・・・会議だとか協議する時、つまらない問題で毎日毎日相談し議論し合っている。
まあ、われわれからみると五分くらいで分かることを幾日も何回もやっている。
ですから議会が延期延期で延びるのです。今度の延期は四回か五回でした・・・。
というのは判断力が悪いのです。どんな問題でも結論は一つです。
一番良いやり方というのは、一つしかないのです。それが、頭が悪いために見つからないのです。というのは因は薬毒です。
ですから、この間も言った通り「上面利巧の芯馬鹿」だというのは、そういうわけです。
だからどうしても薬というものを全廃する・・・なくなれば、頭はずっと良くなります。
頭は良くなるし、伝染病というのがなくなります。
あの黴菌というのは薬毒から湧くのです。
黴菌でも、良い黴菌もあるし悪い黴菌もあります。
良い黴菌というのは必要ですが、悪い黴菌というのは薬毒から湧くのです。それを知らない。発見できない。
そういうわけだから、とにかく少なくとも、もう少し人間の頭を良くしなければならない。
教育も肝腎ですが、教育はどっちかというと上面を利巧にすることです。まあ物識りになることです。
ですから、物識りになれば判断力は良くなるわけですが、ところが芯の方が頭の活動力が悪いから、肝腎な物事の判断をするそういった頭脳が働かないわけです。
要するに頭脳の中心が働かないでまわりだけが働いてしまう。
ところが薬というものをまた馬鹿に信じているのです。
新聞にも出てますが、今度できたヒドラジドなんか、たいしたもののように思ってのみたがってますが、わざわざ悪くする・・・肺病を治さないものです。
薬というのは全部麻薬です。一時良くするのです。
ちょうど頭の悪い人が麻薬を注射すると、頭がはっきりしてくる。
だから小説を書くにしても、あれがはやっている。急ぎの原稿を書くのに、あれをやると馬鹿に良く書ける。それで中毒になる。
それは麻薬だけではない。一切の薬がそうです。
食欲がないので、薬を服むと一時増えたりして良いように思えるのです。
だから次々に服んで、結局それが癖になってだんだん中毒症状になる。
しかし、すぐに大いに効くのは麻薬として取り締まっているが、緩慢に効くのは分からない。発見できない。
だから急速に効くのは麻薬として排斥するが、緩慢に効くのは良いとして奨励するのですから、この無智なやり方、頭の悪さです。またそれに慣れきっているのです。
それを教えよう、解らせようと思って、われわれは骨を折っているのです。
そういった麻薬を、麻薬でないと思っている迷信です。それを言うと、こっちの方を迷信という。
そのくらい頭が悪いのです。だから現代人と言えば、少なくとも脳病です。」
明主様御講話 「みんな話す内容が変」 (昭和27年10月1日)
「今ラジオで選挙の様子を聞いていたのですが、たいてい有名な人で古い人というのは、もちろん当選率が高いようです。
岩手県から出たTIという人は、有名で古い人ですが、私はあの人を二度か三度でしたが、浄霊したことがあります。
それが七万いくらか集めて、最高点で断然群を抜いています。
ところがまた面白いのは、TYは落選したのです。
むしろ有名なのはTYさんのほうが有名かもしれません。
で、TYさんも一家皆信仰に入っているのです。
先に日本浄化療法の時分ですが、前に一家中教修を受けたのです。
ところが観音教団になってからパッと来なくなったのです。
それからおかしいと思って、近頃聞いた話ですがある人が聞いたところが、
「いや宗教になったから止したんだよ。あれは良いのだが・・・僕も家中で行ったのだが、
宗教になったから、もう止したんだ」と、こういう話なのです。
これがおかしいのです。
つまり察するに、それは自分が政界や何かに乗り出して活躍するには、
新宗教というものが障りになるという意味だろうと思うのです。
そこで私はどうも感心しないと思ってました。
もしメシヤ教が悪いものならそれは隠す必要もありますが、
自分が良いと思ったら、新宗教でも旧教でも、ちゃんとやるのが本当です。
そういう心なら立派に当選したのです。
あの人は最初熱海の時分に来て、一時間以上話したことがありますが、
そのときこれはもういかんと思ったのです。
それはあの人の話の間に一言私は駄目だと思ったことは、
「僕はどうも世の中が嫌になってしまった」
それは軍部のためでしょうが、
「世の中が嫌になってしまったので、月の世界に行って昼寝でもしたい」と言ったのです。
その一言で私はいかんと思った。
昼寝はいくらしても良いが、月の世界ということは脱線もはなはだしすぎるのです。
頭がぜんぜん取り違えていると思った。
終戦後アメリカなんかに行って活躍してましたが、私はあんまり期待してなかった。
そういうふうに見ると、人間の人物を見るのに、言うことにちょっと変なことがあると、
もうその人の値打ちというものは分かります。
ですから、どの程度に偉いか偉くないかは、話をして、・・・
私は今までみんなと話したり聞いたりしても、十の話の内で半分合っているという人は少ないのです。
上等の人で一つか二つこれはおかしいと思うことがある。
それから男にはないが、女にはよくあるが、極上等で三分の一はおかしい。
酷いのになると半分くらいあります。
それを見るには、自分が十でなくては分からないのです。
自分がお仲間ではそれを発見するという能力はありません。
ですからそういう発見をするという能力は、
要するに批判的な能力というものがなくてはならない。
ですから偉い人の言うことや書いたものを見ても、
これは十が十ピタッとくるというのはありません。
比較的合っているのは、まず吉田首相の言うことです。
ですからその点において吉田首相は政治家では日本で一番だと普段から言ってます。
言うことはまず合ってます。
することにちょっと合わない点があるのですが、しかし他が良いから、それをカバーしてます。
ちょいちょい解散を出し抜けにやったり、
この間も河野と石橋の二人を追い出したが、あれなんかもちょっと変だと思います。
このことはわざわざ平地に波乱を起こすようなものです。
あれは鳩山を支持するためによほどやり過ぎがあったのでしょうが、
そういうのは機会を見てやれば良いですが、機会が悪い。
自分がこうと思ったらどんなことがあっても、
それをやるとかそれを突っ張るとかするが、それが欠点です。
しかし他が非常に良いから大したことはないが・・・。
それから福永問題も変です。
そんな具合で吉田首相の政治的意見としてはアメリカの政治家には負けないです。
レベルは同じ程度にいってます。
あるいはアメリカの政治家より上のところがあるかも知れません。」
明主様御講話 「戦争製造者は一種の精神病」 (昭和27年10月20日)
「ところでそういった芸術や美術というものも結構ですが、なによりもかによりも、分かりきったことですが、まず人間の健康が第一です。
そこで人類から病気を除き、健康人間ばかりの世界にするというのが根本ですから、それを根本にしながら芸術の世界を作っていくわけです。
今第三次戦争というのを恐れていますが、これは今膏薬張り的に各国が軍備を充実するという一時凌ぎしかできないのです。
実は根本的に戦争のない世界、戦をするという人を抑えつけるというのでなくて、戦をしようという人をなくすというのが根本です。
それには健康人間を作るのです。
つまり戦争したいとか、あるいは自分一人が偉くなって、自分の国が立派になって、他の国は儀牲にしてもしかたがないというのは、精神が病気です。
健康人間ではないのです。健康人間というのは霊体両方が健康になるのです。
ところがそういった慈悲も情もないという人間は、精神が不健康です。精神が病です。ですから精神病人です。
ただ、精神病院にいるような精神病とは違って、もっと立派な精神病なのです。
そういう人が間違った思想をもって、社会をぶち壊したり、大勢の人に不安を与えたりすることを好んでやる。
それを好むというのは、人間性ではなく獣性です。
仲間同士で喰い合いして、自分が少しでもよいものを喰う考えしかないのです。
ところが今他民族を虐げても、大勢に不安を与えても、自分だけが良ければという考えは獣と同じことですから、人間性というのは、よほど萎靡しているわけです。
麻痺しているわけです。というのは、やはり精神病です。
ですから精神病の人類を健康にするということが根本です。
私は今「アメリカを救う」という本を書いてますが、もう大体できあがって印刷にかかることになっております。
アメリカの人に一人でも多く見せるためには、やはりどうしても翻訳しなければならないので、今訳しています。
そうして英文の本も作ることになっております。
日本文の方は来月か再来月あたりに新聞広告をなるべくよけいするようにして、日本人が肝腎ですから、日本人にも分からせたいと思っております。
「アメリカを救う」という本を出すと、アメリカの人たちは、日本の奴やっと講和になって敗戦後ヒョロヒョロしていて、講和になる早々アメリカを救うなんて生意気千万だと思うでしょう。
アメリカで日本を救うという本が出るならば、なるほどと思いますが、ヒョロヒョロしている日本が、アメリカを救うなんていうのはとんでもない奴だ、生意気千万だ、と思うかもしれません。
しかしかえってそうする方が興味を引きますから、向こうにも売れるし、読ませるということになると思います。
大統領始め、有識者、医学関係者には只で配るつもりです。
そうするわけは、とにかくこちらの信者がアメリカですっかり調べたところ、病人があまりに多くて、しかも年々非常な勢いで増えつつあるのです。
ここでアメリカの人が気づかないとしたら、アメリカの人は平和を維持するということはできなくなる懸念が大いにあるのです。
世界人類を救うとしたら、アメリカを救うということが一番効果的です。
なにしろ今アメリカの文化が世界をリードしているからです。アメリカが分かれば世界はみんな分かります。
特に日本人が一番分かるでしょう。なんでもアメリカのまねをするのですから、日本を救うというのは、かえってアメリカを救うことが必要だと思っております。
つまり日本人の舶来崇拝病というのは、今もってなかなか根強いのです。
だから日本としては舶来病を救わなければならないのです。」