精神病と狐霊について 1 (御論文・御講義)


明主様御講義 「精神病」 (昭和11年7月)

「精神病

この病気の原因は、最初は不眠症からであります。

不眠症はまず精神病の一歩手前と言ってもいいのであります。

従って、後頭部の水膿溜結を溶解すれば眠れる様になりますから、眠れさえすれば精神病は治ってゆくので、吾々の方では精神病は必ず全治するのであります。

不眠症から精神病へ進む順序を述べてみましょう。

不眠の原因である後部頸椎部の水膿溜結が脳への送血を妨げるので、脳の中枢が貧血するのであります。

その貧血へ邪霊が憑依するのが、その原因であるのと、

今一つは憑依でなく、患者自身の腹中に常に潜在して居た邪霊が、頭脳の貧血に乗じ上昇して頭脳中枢を占領するのであります。

元来人間の精霊は、平常はある程度の濃度を保っている。

その程度とは、普通人の健康状態の血液の密度と同一であります。

しかるに何らかの原因によって、血液が減少した場合、そのごとく精霊も稀薄になるので、

その霊の稀薄に乗ずれば、他の霊即ち邪霊が憑依し得らるるのであります。

一種の補給的意味ともなります。


この例として、産後に不眠症や精神病が起り易く、又、月経時にヒステリーが起り易く、

又、山に行って断食等を行う場合天狗等が憑依するのは、皆貧血に因る精霊の稀薄に乗ぜらるるのであります。

右のごとき体的原因以外、精神的衝動を受けるにおいて、いよいよ不眠症に拍車をかけられるのであります。

それは貧血が一層はなはだしくなるのでそれだけ邪霊の力が増す事になります。

邪霊が憑依するや、あらゆる事象を連続的に無制限に想わせる。

それは彼らの本能であります。

そうして邪霊の思念がついに発展して、行動にまで及ぶので、それが常軌を逸しさせる種々の狂態であります。

医学上でいう幻聴とは、霊のいう事が聞えるのであり、

幻覚というのは種々の霊が見えるのであります。

そうして邪霊というのはほとんど狐の霊で、稀には狸の霊もあり、なお稀には両方の場合もあります。

精神病者が自問自答するのは頭脳の中枢に蟠居(ばんきょ)している狐霊と外部に居る狐霊との問答であるが、この場合本人の記憶を利用する事が多いのであります。

又 空間をみつめて驚いたり泣いたり笑ったりするのは霊が見えるからであります。

要するに精神病なるものは、人間が狐霊に踊らされるのであります。

本療法によれば、半ケ年ないし二ケ年位で完全に治癒するのであります。

世間、脳梅毒が原因とされておりますが、これは極一部であって、

ほとんどが右の原因である事は、吾々の永年の経験によって証明し得らるるのであります。


一例として、前に私が使っていた職人で、それは一人者ですが、ある時相談をかけられた。

彼いわく、「自分は最近・・・人から少し気がおかしいと言われるが、自分ではそうは思わない。

どこか変な所があるんでしょうか」と言うのです。

そこで「自分で変だと思う事はないか」と訊くと

「少しはあります。それは夜遅くなって戸を締めて寝ていると(その職人は二階を借りている)往来を四、五人の人が通ると思うといろんな話をしている。

耳をすますと「今晩、あの石川(その職人の姓)を叩き殺してやろう』などと相談するのが聞えて来るので驚いて飛出す」というのです。

私は「戸を締めてから外を歩く者の言う事がはっきり聞えるというのはおかしいじゃないか」と言うと

「しかし、とてもはっきり聞えます。又よく飯など食おうとすると『その中には毒が入ってるから食うと死ぬぞ」という声が聞える。

それで恐ろしくなって飛出し、今度は蕎麦屋へ入り蕎麦を食おうとすると又そういう声が聞える。

「その蕎麦にはモルヒネが入ってるぞ』などと威(おど)され、又他の家へ行くという様な訳である」と言うのです。

そこで私は「誰がそんな事を喋舌(しゃべ)るか判るか」と言うと

「それは判りません」という。そこで「それは危い。それは狐がそんな事を言って騙すのだから決して信じてはいけない。

今度そういう声が聞えたら・・・必ず狐だと思え「狐が又騙すのだな」と思えばいい」と教えたのであります。

その結果、彼の警戒心が湧起して来たので、段々と快くなり、ついに全治したのであります。

これは私の話だけで治った実例で、未だ軽症の内だから宜かったのであります。

そうして狐は「本体」を暴露されると、騙す興味が無くなるのであります。

よく狂人が、誰も居ないのに喋舌ったり、何もないのに吃驚(びっくり)して逃げる事などがありますが、

それはその人の霊を占領し、他の狐霊と呼応して騙すのであります。


人間の霊を段々占領すると、顔までが狐のようになって来る事もあります。

人間を巧く騙す程、狐の社会では名誉になるのであります。

狐には、稲荷と野狐(やこ)との二種あって、稲荷は祀られた狐であり、野狐はいわばルンペンであります。

この野狐は絶えず祀られたくて策動しているのであります。


日蓮宗の行者は、行を積むと狐が見える様になり、狐と交通する事が出来る。

そうして野狐を招んでは、あの病気をお前が治したら稲荷に祀ってやると言うと、

狐は祀ってもらいたさに一生懸命に治すのですから、病気が治ると必ず祀らされるのであります。

野狐でも稲荷でも非常に沢山居て騙すのが巧(うま)い程出世をするんであります。

狐にも種々名前がある。

日蓮宗の行者などはよく名前を付けます。


眷族というものも沢山居る。

穴守(あなもり)稲荷などは何万と居る。

これは多く花柳界を専門にやっております。

旦那を招ぶとか色男を招ぶなど巧いものであります。

狐の偉い奴程騙すのが巧妙であります。


東京では穴守と王子、関西では伏見などでありますが、

穴守の方は花柳界へ、王子の方は一般的の方面に活動して居ります。

豊川あたりの狐は生活に困らないので、割合悪い事は少い。

豊川の狐は金儲けが専門であるから、豊川稲荷の信者は、金は儲かるが・・・病気や外の不幸が多いのは事実であります。


又 南無妙法蓮華経を聞く程神通力が増すのだと、狐からよく聞いた事がありますが、

御題目を唱えると狐が沢山集って来るのは事実であります。

それらの為に、日蓮宗にはどうしても狐憑きが多く犯人が多いのであります。


又 狸は始末がわるく治りがわるい。

これは一見して違うので、狸の方はとぼけた滑稽味があり、超越している所があり、非常に笑いたがるのであります。


狐は人間の頭脳を占領して踊らし面白がっているだけであります。

又 人間の生命を奪る事が好きで、実に簡単に自殺させる。

そして、一人でも余計に殺せば名誉になり、仲間から偉いとされるのであります。

人間一人殺す位は訳ない事で、汽車往生や三原山へ飛込ませたりするのも多くはそれであります。


又 人間の思って居る事を容易に知るので、行者などがよく物を言いあてますが、あれは行者に使われてる狐が先方へ憑るのです。

すると狐は速くにその人の気持や記憶が判るのです。

それを今度は行者に憑って知らせる。行者はその通り言うからあたるという訳なんであります。

ですから過去は判るけれども未来は全然判らぬ。

行者など随分物を当てるくせに下らない生活をしているのは、未来が判らぬからであります。


よく手を上げたり、首を振ったり、異常な恰好するのはほとんど狐霊又は鳥霊の憑依であります。

そして「吾こそは八幡大菩薩だ」の、「何々大明神」とか、

ふるったのになると「天之御中主大神」だの「天照大神」など言いますが、

あれらは皆、狐、天狗等が好い加減な事を言って騙すのであります。

本人は自分で自分を買被り、自分が天照大神だの、天之御中主大神だのと思込んでしまうので実に危険であるから、神憑りは行らない方がいいのであります。


五、六年前私は某精神病院へ行った事がありますが、

そこの医師の話に「病院では全然治らぬ。一旦は治った様でも、家へ帰るとまた起るのです」との事でした。

本療法は霊的療法でありますから、段々狐霊が畏縮する。

そうして狐霊は平常腹部の中央に小さくなって居ります。

よく治療していると臍の辺にムクムクして脈打つものがありますが、それが狐霊であります。

蛇の霊は、長くなったり短くなったりして移動するのが特徴であります。


又、ヒステリーは、精神に衝撃を受けた瞬間精霊が畏縮する。

その間隙に乗じて腹部に潜居していた狐霊が俄然上昇し、頭脳を占有して人間を踊らすのであります。

その場合・・・玉の様なものが腹から昇ってゆくのを意識する婦人がよくありますが、それであります。

頭脳は人間全体の縮図のようなものですから、頭脳の中心を占領すれば身体全部を支配出来るのであります。

暫くして、本人が平静に還るに従って狐霊は再び元の腹部へ戻るので、意識がはっきりしてくるのであります。

前述の様な訳でありますから、精神病とは連続的ヒステリーであり、

ヒステリーとは、一時的精神病とも言えるのであります。

女ばかりではなく、男で狐が憑いてる人があります。

そういう人は顔も狐に似ておるものです。

治療をすれば、血が頭へ充実して来るから霊力が増進し、反対に狐霊は畏縮するので、

眠れるようになり、意識がはっきりしてくるという順序であります。

狐霊を解剖してみると種々あって、稲荷と野狐と言っても、その中に人間が狐になったのと本来の狐と両方あります。

人間の霊が畜生道に墜ち、狐になってる場合も相当あります。

しかし、人間に憑依する場合、その人の霊統に因縁が必ずあるもので、全然無関係では憑依出来ないものであります。


四、五年前扱ったお婆さんですが、狐が二、三十匹憑いておって、身体の各所に豆粒大になって隠れているのです。

私が指から霊を入れると、「ア、痛い痛い、そう押しちゃ堪らねえ」と言うから、

婆さんに「そんなに痛かったか」と訊くと「別に何ともない。アレは狐が言うんです」と言うのです。

狐の匿れ場所のような所を押すと「ア、メッカッタメッカッタ、とうとうメッカッタ、残念々々」という。

「貴様、怪しからん奴だ」と霊を入れると「アッ苦しい、助けてくれー、助けてくれー、もう出ますから勘弁してくれ」と叫ぶのです。

ある日の夕方の事でした。

その婆さんが言うには「先生弱りました、今朝 この婆ア太え奴だから今日は小便を止めてやる」と言われたところ、とうとう今以て小便が出ない」と言うのです。

そこで膀胱の辺を霊圧してやると「降参々々」と言って、直に小便が出た事がありました。」 (「岡田先生療病術講義録 上巻 5」より)




明主様御論文 「精神病・病気と霊 二」 (昭和18年10月23日発行)

「精神病は全然霊的病気である。しかしながら、発病の動機は、肉体的病気の誘引による事が多いのである。

それは、精神病の最初の発生は、例外なく不眠が持続するにあるという事である。

不眠の原因は、さきに説いたごとく、右側延髄付近に溜結せる毒素が第一原因であって、第二原因としては、精神的苦悩即ち心配事である。

元来精神病に罹る位のものは、常に小心翼々として常識では考えられない程、いささかの事にも心配をするという類の人であって、いわゆる消極的善人が多いのである。

その結果として脳の霊素言い換えれば肉体的細胞のごとき、いわば霊的細胞である、それが脳の疲労によって稀簿になるので、それに乗じて動物霊が憑依するのであるが、

そのほとんどは狐霊であって、稀には狸霊もある。

昔から狐憑きというのは、今日の精神病を指して言ったのであろう。


精神病者は、医学でも唱うる幻聴、幻覚なる症状があって、前者は人の居らぬのに話が聴えるので、

精神病者が常に何者かと問答するがごとき状態は、狐霊と問答をしているのである。

又後者は空間を見詰め、喜怒哀楽の表情をするが、これは霊が見えるからである。

又狐霊が人語を操る場合、種々の人の声を真似る事もあって、実に巧妙なものである。

そうして多くは脅迫的な事が多く、たとえていえば今ここに居ると誰かが殺しに来るとか、あるいは地震火事等が起るから急いで逃げろという具合で、患者は驚いて飛出すのである。

精神病者が突如として外出したり又は人を撲(なぐ)ったり、殺人罪を犯すごときは、狐霊に脅迫され、飜弄されるからである。

勿論幻覚においても、異様なものを見せられたり、又は知人が招いたりするのが見えるので、驚愕(きょうがく)したり、逃げたり、飛出したりするのである。

その場合、狐霊は大抵数匹が交代で憑依したり、一匹が憑依し、他の数匹が外部から呼応し飜弄したり実に人間を自由自在に操る事は巧妙で、それらを狐霊は最大の愉悦とし、誇りとするのである。


そうして、何故人間に狐霊が憑依するやというに、それは不眠と心配によって脳の霊細胞が稀薄になる為である。

たとえていえば、脳の霊細胞が充実していて十の場合、絶対に憑依は出来ないものであるが、九となれば一だけ憑依出来得るのであって、一ないし五までは精神病とはならない。

ただ時々一寸変な所がある位である。

しかし、稀薄の度を増し、狐霊が六だけ占有するようになれば、最早完全な精神病である。

何となれば、四が原細胞・・・即ち人間細胞であり、六が狐霊であるから、狐霊が勝って人間が負けるからである。

故に精神病治癒の場合、狐霊が五以下になれば人間の意識が回復し始めるのである。

それが四となり三となり、二となり一となって初めて全治するのである。

そうしてその治癒経路は、最初狐霊が脳から撤退するので、次で、胸部、腹部と漸次下降し、ついに臀部から肛門部に到って離脱するのである。

これらの話は読者は不可思議に思うであろうが、実験上まことに明かな事実である。

そうして狐霊の特異性としては、常に喋舌り続けているもので、一刻の沈黙時とてもないのである。

私が以前、私の家に起居させ扱った若い婦人の患者であったが、意識を取戻した時、狐霊の喋舌り続ける状を、時々私は聞くのである。

「今何を云っているか」・・・と質(き)くと「斯々(かくかく)の事を言っています」・・・というようにであるが、狐霊の言う事は実に馬鹿馬鹿しい事ばかりである。


一例を挙げればこういう事があった。

その患者が快方に向い、狐霊が腹部に居る頃である。ある日映画を見せるべく映画館に入ったのである。

その時、今何を言っているかを質くと「映画なんか詰らねえや、音楽は聴えるけれども、何にも見えやしねえ」というので、私は噴出(ふきだ)したのである。

なるほど、彼は腹部に居ては見えないはずである。右のごとく、すべて狐霊のいう口調は野卑である。

この患者は、全快後五、六年間は幾分異う事が時々あったが、その後は何らの異常もなく二十数年を経た今日、普通人と少しも変らないのである。

そうして狐霊が喋舌る場合、身体の一局部にいても、患者自身にはよく判るのである。


今一つの例を挙げてみよう。これは石川某という彫刻師であったが、これは精神病になりかけの症状であって、

この男が飯を食おうとすると、耳元で「その飯には毒が入っているから食うと死ぬぞ」といわれるので、

驚いて家を飛出し、蕎麦屋へ入って蕎麦を食おうとすると又耳許で同様の事をいう。

又愕(おどろ)いて寿司屋へ入ると又言われるという。

そういうような事の外に、夜寝ようとすると、往来を二、三人の人が通り、それらが「石川は怪しからん奴だから、今夜殺して了う」・・・という声が聞えるので、恐ろしくて眠れない・・・と言うのである。

これに対し私は「それはみんな狐霊がからかって面白がるのであるから、人の居ないのに話声が聞えた時は、狐霊がいうのだと思い、決してそれを信じないようにせよ」と懇々言ったので、それによって彼は飜然と目覚め全快したのである。


又、こういうのがあった。それは二十五六歳の自動車の運転手であったが、この男の発病時の特異症状としては、屋根へ上り、駈け廻っては瓦をめくり往来の人に打(ぶ)っつけるのである。

それが治療によって意識が恢復した頃右の屋根へ昇っての瓦投げの事を訊(たず)ねたところ、

彼がいうには、屋根へ昇る時も、屋根を駈ける時も、足の裏が吸着して、少しも危険を感ぜず、いかなる人間の昇れないような所も不思議に吸着作用によって昇れるとの事であった。

これによってみれば、人間の足ではなく、狐霊の蹠(あしうら)の作用となるのであろう。

故に動物がいかなる所も昇り得るのは、蹠の裏が吸着するのであって、それは物体に足を触れる瞬間に空気を吸収し足の裏が真空になるから密着する事が知らるるのである。


次に、当時十七歳の女学生の精神病を扱った事があるが、これは非常に暴れる性で、ある時は裸体となって乱暴する事もある。

その際三人位の男子でなくては制えつけ得ない程力があり、又非常に威張りたがり、常に母親などを叱りつけるのである。

しかるにこの原因は、左のごときものである事が判ったのである。

右の娘の父は数年前歿(ぼつ)し、現在は母親によって養育されていた。

しかるに、その母親が数ケ月前、その当時盛んであったある宗教の熱烈な信者となって、その宗教に祖霊を祀り替えたのである。

従って、仏壇も位牌も処分してしまったのであった。それが為右の父の死霊が立腹したのが動機となったのである。

そればかりならいいが、その家は、元仙台市に祖先以来住んでいて、その邸内に旧(ふる)い稲荷があった。

それが東京へ引移るについて、その邸宅を売却し、稲荷はそのままにしたので、買主は稲荷の祠(ほこら)を処分してしまった為、

その狐霊は立腹して、出京した父である主人公に憑依したので、父親は精神病に罹り死亡したのであった。

従って、父親の霊と稲荷の霊とが娘に憑依した訳であったが、それは私の治療によって全快し、数年を経た今日結婚して母となり何ら普通人と異ならないのである。

右によってみても知らるるごとく、古くからある稲荷を処分した原因による精神病は非常に多いのである。

故に、精神病者のある家の既往を査(しら)べるにおいて、右の原因が少なからずある事を知るであろう。


今一つ面白い例をかいてみよう。これは二十幾歳の青年であったが、大方快癒したので、私の家で使用する事になった。

いつも庭の仕事をやらしていたが、私が命令する事を狐霊が邪魔するのである。

たとえていえば、ある場所の草を全部苅れ・・・と命令し、暫くして行ってみると、一部だけが残っているのである。

私は「なぜ全部苅らないか」というと、「先生がそこだけ残せと言われました。」という。

私は「そんなはずはない。お前はその時、私の姿が見えたのか」・・・と訊(き)くと、「見えないで、声だけ聞えました」・・・と言うのである。

私は「それは狐が、私の声色(こわいろ)を使ってからかうのだから注意せよ」・・・と言うのであるが、直ちに忘れては右のような事がしばしばあったのである。


そうして、本療法によれば、精神病はことごとく治癒するのである。

その方法は、延髄付近の毒素溜結を溶解すれば、頭脳に血液が充実するのである。

霊細胞とは血液の霊化であるから血液が充実すれば、それだけ霊細胞が濃度になるのである。

従って、狐霊は畏縮し、移動する事になり、根本的に治癒するのである。

勿論右の毒素溜結の根源は、腎臓萎縮によるのであるから、腎臓も充分施術しなければならないのである。

又狐霊の憑依する局所は、前頭部の中央深部であるが、稀には後頭部の左右いずれかの場合もある。


ここに注意すべき事がある。それは普通人にして幾分頭脳の変な人がある。

この種の人は、日本人中恐らく八九十パーセントはあるであろう。

しかも、社会の指導階級例えば政治家、宗教家、教育家、事業家、芸術家、名士等にも多数あるのであるから驚くべきである。

それはいかなる訳かというと、前述のごとき脳の霊細胞が稀薄になった場合、四以下を憑依霊に専有されるからである。

故に、その憑依霊の意志の発動により異状を呈するのである。


そうして霊はさきにも説いたごとく伸縮自在であり、又脳の方の霊細胞も、絶えず濃淡があるので、その濃淡に伴って憑依霊が伸縮するのであるから、

いかなる人といえども、真面目にして立派な行動の時もあるかと思えば、この人がと思うような行為のある事もあるというのは右の理によるのである。

これらについて、例を挙げて説いてみよう。

まず政治家などが、近頃あまり聞かないが、以前はよく財閥と結託したり、黄白(こうはく)によって政策を枉(ま)げ、賄賂によって動く等の行為は、勿論憑依霊がそういう不正をさせるのである。

又、宗教家、教育家等のごとき、社会の規範となるべき身であるに拘わらず、金銭や婦人の為に過(あやまち)を犯したり、

又事業家等が買収や贈賄や投機的行為をしたり、又名士といわるる人にして、表裏反覆のある事や、芸術家等がわがまま奇矯なる行動をなす等、いずれも憑依霊の作用に外ならないのである。

又青少年等の不良の原因も、学校を嫌ったり、性質劣弱児童等の原因も、ことごとく憑依霊の作用である。

一時華(はなや)かなりし共産党なるものも、実は、猶太(ユダヤ)の鬼の霊が一人一人に憑依したのが原因である。

故にその頃、共産主義者には肺病が多いといわれたが、それらは病気によって貧血し、脳の霊細胞が稀薄になった為、憑依した事は勿論である。


右のごとくに鑑みて、人間が過ちを犯し、不正不義の行為のある事はすべて憑依霊に因る事を知るべきである。

従って、完全頭脳の人間においては、その思想も行動も破綻がなく、いわゆる心身共に健全なる人という訳である。

しかし、かようの人は、現代社会においては、暁の星のごときものであろう。

この意味において、右のごとき健全人が増加するに従い、健全国家となる事は勿論である。

そうして、人間の頭脳に血液を充実させ、憑依霊を完全に防止する方法としては、本療法以外にはないであろう。」 (「明日の医術 第3編」より)




明主様御教え 「精神病」 (昭和28年1月1日発行)

「この病気の原因は不眠症からであって、不眠が長く続くと危険である。

まず不眠の原因からかいてみるが、これは前頭部の脳貧血のためであって、初め延髄部に薬毒が固結し、頭部に送血される血管を圧迫するからで、患者の延髄部を見れば必ず固結があるからよく分る。

何よりも眠れるようになれば、精神病は必ず治癒に向かうものである。

そうしてこの病気は物質的と精神的との両原因があって、前者は右の通りであるが、後者は霊的、宗教的であるから、そのつもりで読んで貰いたい。

これは長い間多くの患者を扱った経験によっても、いささかの誤はないのである。


さきにかいたごとく、人間は見えざる霊と見ゆる体との結合によって成立っており、前頭部が貧血するとその部分へ霊が憑り易くなる。

そうして霊の物質化が血液であり、血液の霊化が霊であるから、血液が充実していれば、霊も充実しているから霊は憑れないが、貧血すると憑れる事になる。

例えば血液の完全充実を十とすれば、貧血して九となれば一だけ憑れるし、二となり三となればその量だけ憑れると共に、それだけ活動力も増すのである。

それが四となり五となるまではまず無事だが、五を越えると危険区域に入る。

すなわち憑霊は支配的となるから、人間をほしいままに操る事が出来るので、こうなったのが精神病である。


そうして霊とはもちろん動物霊で、日本では狐、狸、天狗、蛇、犬、猫、牛、馬、鳥類その他であるが、

米国でのそれは私はまだ研究はしていないが、大差はないと思う。

特に日本の精神病は狐霊が最も多く、狸霊がその次くらいである。


ここで注意すべきは頭脳の貧血状態は決して一定せず、一日の中、否一分間の中でも絶えず動揺増減している。

しかし普通人は平常二から三くらいであるが、非常に精神的衝撃を受けた場合、咄嗟(とっさ)に五を越す事がある。

そのため常軌を逸し、普段アレ程温和しい人がどうしてアンナ事をしたのか、という事があるがそれである。

女性のヒステリーもこの部類である。

また社会から尊敬を受けている人は、一から二くらいが常態であるが、

こういう人でもたまたま思わぬ失言をしたり、失態を演ずる事もあるが、それは何らかの動機によって、一瞬三を越すからである。

右によってみても、脱線をしたり犯罪を冒したりするのは、五を越え憑霊の意のままになり、動物的行為をするのである。

よく犯行後「自分はどうしてアノ時、アンナ気持になったのか」といって後悔する人があるが、それである。

もちろん自殺者も殺人も同様であるから、人間頭脳の貧血程恐ろしいものはないのである。

近来米国に精神病が多いのは、全く薬毒の固結が脳の血管を圧迫するからで、薬さえ廃止すればこの病気の無くなるのは当然である。」 (「アメリカを救う」より)