結核と精神作用について
明主様御教え 「結核と精神作用」 (昭和22年2月5日発行)
「既に説いたごとく、現代医学が結核増加の役割をしているという事は、真実とは思えない程の悲劇である。
しかるに精神的方面においても拍車的役割を演じつつある事に注意を払わなければならないのである。
元来吾々人間が他の動物と特に異なる点は、人間には精神生活がある事である。
すなわち喜怒哀楽等の感情を有し、外部からの刺戟や暗示による感受性の鋭敏なる事である。
従って精神が肉体に影響する事は予想外に甚大なる事は誰もが経験するところである。
何人といえども心配や不安に襲わるる場合、食欲の減少、顔色蒼白、沈黙、憂欝、不眠、頭脳の混惑等の症状が、多少は必ず起るものである。
そうして人により神経衰弱となる者もあり、はなはだしきは精神病者となる事もまれではないのである。
右の理によって今日結核問題を考慮する時精神作用の影響がいかに軽視し得ぬものがあるかを述べてみよう。
それは結核ならざる者が、精神作用によって真の結核となるという例である。
まずここにある家庭に結核患者が一人発生したとする。
しかるに家庭の誰もがいつかは自分に感染するかもしれないという危惧の念に駆られ、その観念が頭脳から放れない。
するうちたまたま風邪を引く、普通ならば単なる風邪として放置するか、または売薬位で治ってしまうが、この場合はもしや自分に感染したのではないかという疑念が起る・・・
その結果早速医療を受けるという訳で、医療は再三説いたごとく逆効果であり、しかも前記のごとき不安も手伝うから捗々(はかばか)しく治癒に向かわない。
また医師としても家族の一員に結核者のある事によってあるいは感染ではないかという疑念が起るという訳で、それがまた患者の神経に響くから漸次不良な状態に進んでゆく。
ついに医師も万一を慮(おもんばか)って明瞭に結核を宣告するか、そうでないまでも患者に悟れる位の事を言う。
ここにおいて患者は結核は不治という潜在観念に囚われ絶望的となり病気は倍々増悪する。
ついに不帰の客となる・・・というのが最も多い実例であろう。
嗚呼、単なる風邪で簡単に治るべきものが、誤れる医学による精神作用がついに貴重なる生命を奪うというに至っては洵に軽視出来ないものがある。
これについて二、三の例を挙げてみよう。
その一は有名な外国の例である。
仏国パリのある監獄においての実験であるが、健康な一囚人に対し、医師が健康診断の折、「お前は結核に侵されている」と言ったが、その囚人は「自分はそんな筈はない。多分医師の誤診であろう」と意に介しなかった。
暫くしてまた健康診断の後「お前の結核は幾分進んでいる」と告げたが、それでも本人は別段意にも止めなかった。
しかるに第三回目の時医師は「お前はもう立派な結核患者になった」と言った所、その時から俄然変化を起した。
それは日に日に衰弱を増し、数ケ月の後ついに死亡したというのである。
次は米国での実験であるが、これもある囚人を眼隠しをし、手指をちょっと負傷さして足許にバケツを置き、血液が少しずつ落ちるような音を水滴によって聞かせ、暫くするうち実験者が、「お前はもう大分出血をし、最早致命量に達した」と言うや、間もなく絶命したそうである。
次に動物にも結核がある。すなわち牛である。
結核に罹る牛は相当の数に上るとの事であるが、この動物は結核牛となるも、寿齢にはいささかの影響なく、健康牛と同様だそうである。
もちろん人間と異なり、精神作用が全然ないからであろう。
右の例によって鑑ても、人間の精神作用がいかに影響するかが知らるるのである。」 (「天国の福音」より)
明主様御教え 「結核と精神作用」 (昭和18年10月5日発行)
「現代医学は、肺結核を増加している事は既に説いた通りである。
これについて私は、別の観点から批判してみよう。
元来、人間は他の動物と異なる点は、精神生活がある事である。
即ち喜怒哀楽の感情に富み外部からの衝動による感受性の頗る鋭敏であると共に、精神が肉体に与える所の影響もまたはなはだしいものがある。
いかなる人といえども心配や不安のある時の食欲の減少や、顔色憔悴(しょうすい)、沈黙、憂欝、不眠、頭痛等、種々の現象が起る事は誰もが知る所である。
故にこれら精神的苦悩が永続するにおいて、神経衰弱ともなり、はなはだしきは精神病者となる事さえもあるのである。
右の理によって、今日結核の問題を考慮する時、精神作用の影響こそ、看過出来ないものがあるから私は詳説してみよう。
それは、結核ならざるものが、精神作用によって真の結核となるという事である。
一例を挙げればここに、ある家庭に結核患者が一人発生したとする。
しかるに、家庭の誰もは、いつか自分に感染するかも知れないという不安が起り、断えずそれが頭脳にこびりついて離れない。
するとたまたま風邪を引く、普通ならば単なる風邪として簡単に治るべきものがこの場合は、もしかすると、いよいよ自分に結核が感染したのではないかと想うのは当然であろう。
従って、この場合は特に速かに医師の診断を受ける。
医師もまたいつか家族の者に感染しはしないかと思っているので、特に用心深く慎重に扱うので、患者はさてはと思い不安が生ずるから、捗々しく治らない。
それが為元気は喪失し、食欲も不振となるから、憔悴、羸痩(るいそう)、不眠等の症状が次々表われてくる。
それらは肺患的症状であるという事を、平素から見たり聞いたりしているので益々悪化する。
遂に医師も首を傾げるようになる。
それによって患者の不安はいよいよ募り、漸次、結核患者となるのである。
又、自分は肺結核になったという観念は直ちに不治である事を連想し、死という最後の場面が瞼に浮びついに本格的肺患となるのである。
嗚呼! 最初単なる風邪であったものが、観念の力によって、ついに死へまでも推進んでゆくのである。
これによってみても、実に、精神作用の及ぼす影響のいかに大きいかという事が判るのである。
実際右のような経路による肺患者は案外多いであろうと私は想うのである。
故に絶対に感染しない結核を感染するとなし、必治であるべき肺患を不治となすという事は、皮肉かは知れないが神経戦術的である。
又、獣類の中、特に牛は結核に罹るそうである。
しかるに、健康牛も結核牛も寿齢は異ならないそうであるから、全く結核の影響は受けない事になるのである。
これによってみても人間における精神作用の、いかに怖るべきかという事が知らるるのである。」 (「明日の医術 第1編」より)
明主様御教え 「不可解な事実」 (昭和18年11月23日発行)
「ここに私は不可解極まる事を世人に告げたいのである。
それは何であるかというと、医学においての研究の結果として、一般人の九十パーセント以上が、一旦結核に犯されながら知らぬ間に治癒した痕跡が、解剖によって明らかにされたという事で、これは余程以前から確認せられている事実である。
従ってこれが真実とすれば、たとえ結核に犯されても、九十パーセント以上は自然良能によって治癒せらるる訳である。
しかるに、医学は右の事実を知りながら、今日その反対の方法を行っている。
それは周知のごとく早期診断の名の下に、現在なんらの病的自覚症状がなく、元気に労務に従事しつつある者に対し、各種の機械的診査を行い、潜伏結核を発見しようと努力している事である。
否発見どころではない。強いて結核患者たらしめようとするかとさえ疑わるる程の厳密なる手段をとっている。
この結果ツベルクリン注射、血沈の速度、レントゲン写真の雲翳(うんえい)等によって結核またはその容疑者として突然労務停止または隔離を申し渡される者がおびただしい数に上っているのである。
従ってそれまで自分は健康でなんら異状はないと自信していたものが、突如結核初期を申し渡され、強制的に安静や隔離をいわれるから、驚きと共に精神的に一大衝撃を受けるのである。
しかも安静や薬毒による衰弱療法を行われるにおいて急速に悪化し、例外なく結核症状を現わし始めるのである。
元来、人間においての精神作用が健康に及ぼす影響のいかに大きいものであるかは、余りにも明らかである。
何人といえども何か心配事のある場合、食欲減退、顔色憔悴、不眠、憂欝等の症状は免れ得ないであろう。それについてこういう話がある。
それはフランスにおいての実験であるが、監獄において、なんら健康に異状なき一囚人を健康診断の結果、潜伏結核があると申し渡したところ、本人は医師の誤診でありとなし、なんら意に介しなかった。
暫くして二回目の健康診断の時潜伏結核が幾分進行せりと申し渡したところ、彼はなお信じなかった。
ついで三回目の診断の後同様の事を言われたので、さすがの彼もついに三度までも言う所を見れば、誤診ではなく、実際結核に犯されているに違いないと思うや、
たちまちにして衰弱し始め、漸次結核的症状となり、ついに生命を落したというのであるが、これらの例によってみても、精神作用のいかに恐るべきかを知るであろう。
次に今一つの例であるが、これは医博小川勇氏著「科学と信仰」中にある一文で一患者の手記である。
某患者の手記
「私が日赤病院へ肺壊疽(えそ)で入院当時の体験談を御話します。
この病気も軽重はありましょうが、私のは最も重患でした。
頃は大正十二年九月九日と覚えています。
肺壊疽で入院、十三年三月十九日退院と覚えていますが全治して退院したのではないのです。
入院中は院内自炊でやや堅い目の「オジヤ」ねぎ、野菜の色々を交ぜた味噌の「オジヤ」を食事とし、間食に食パン一個を毎日喰べました。
なぜ食パンを喰べたかと申しますと「オジヤ」だけではどうも便通がよくないのでパンを喰べてみたら実に加減のよい便通が出るので(寝臥したまま大便するからです)
毎日一個ずつ喰べていましたが病勢は昂進するのみ、恢復の見込みたたず同時に経済に行詰り、病院にいたくもいられなくなった。
さりとて自宅へ帰りても医術の施しようがない。
私の病気の手当のみでなく一家一族が生活難に苦しむ状態でした。
米屋、八百屋、魚屋の支払不納のため停止となった。
金は借りられるだけ借り、もういずれからも借りる手筈もつかず、どうする事も出来ないから致し方無く自分は死を神に誓って一刻も早くこの世を去らして下さいと一心不乱に祈ったと同時に退院を申込んだ。
すると院長のいわく「あなたはそんな無茶な事をいわれてもいけません。今退院する時ではない。無理に退院せんとして動かせばこの寝台から担架へ移すその時直ちに死んでしまうぞ」と申された。
そこで私は院長に申しました。
「先生、私は直ちに死ぬ事を希望しています。
今の今としてはすべて行詰り最早どうする事も出来ません。
決して御医者さんがわるいとも病院が悪いとも思いません。
いずれにしても助からぬ命とあきらめた以上一日先へ生き長らえばそれだけ苦痛を忍ばねばなりません。
一刻も早くこの世を去る事が私も楽になり残る家族も何とかなります。
それで十分ですから御願は叶いませんか」と聞きました。
院長いわく「ヨロシイ引受けました」と申されて私は有がとうそれで安心ですと御礼を申して直ちに退院準備、
そして私は合掌して目をつぶりただただ一途に死を神に祈りつついつの間にか自宅へ移ったが神は私の願をきき入れられず、
不幸にして自宅へ行っても死に至らずためにその当時在職中の先生が、病院から往診してくれました。
ところで決心ほど偉大なものはない。
決心したら苦痛が一切合切無くなった。同時に熱が一度急に下った。
死の決心ですから心に持つものは何一つない。
前後左右なし欲得なし同時に苦も楽もない。
その楽さ加減は口で語れません。何とも語りようのない楽さかげんでした。
さりとて覚えがないわけでもないのです。
まずいわば神様の懐中へ抱かれたような気持がしたのです。
それからまあ退院後四、五日も経った頃食欲がつきまして、何か喰べたいという気持が出ましてその時まだ死なんといるわい。
はてなどうしたのだろうと思ったが以前のような病苦は一切ない。
同時にたんせきも余程少なくなった。喰べるものもうまい。
熱は日々下る。退院後一ケ月も経った頃には半身起きる事が出来た。
二ケ月目には便所へはいまわって行く事が出来た。
三ケ月目には乳母車へ乗せて貰って町の状景を見に行くまでになった。
こうした順序でずうっとよくなった。
こうして一旦身心共に神に捧げた命、よくなったとて最早私的生涯はこれ限りさらりと去って、余生幾ばく生きるかは知らんが、
以上は神より与えられた命、これからは公的生涯となって一切合初世のため人のために、余生を捧げるという決心に心境が一変したのです」 (手記は以上)
右二例によってみても、精神が病患に及ぼす影響のいかに著るしいかという事でこの意味において、潜伏結核のある事を本人に知らせない事ほど、結核減少に有効なる処置はない訳である。
故に、早期診断によって潜伏結核を発見し結核患者扱いをするという事のいかに誤謬であるかは、論議の余地はあるまい。
しかるに、今日多額の国帑(こくど)と労力を費やしながら、結核の増加すべき結果となる方法を行っているとすれば、まことに由々しき大問題である。
しかしながら今日のごとき早期診断方法を施行し、結核を発見すると共に、実際短期間に治癒し、健康快復さるるならばまた可なりとするも、事実はそのような事はなく、
長期間の療病生活によって漸次衰弱者となり、ついに生命を失うというのが、大多数のたどるべき運命であるから、個人の不幸は元より国家的損失のいかに莫大なるものがあるかは、想像に難からないであろう。
そうしてたまたま治癒したと称するものもあるが、それは真の治癒ではなく擬治癒であるから、普通の労務はまず困難で、軽労働が精一杯であろう。
そうしてここに見逃す事の出来ない事は、一度結核に罹った者は、治癒後といえども社会から忌避され、容易に職業に携われないという点で、これは全く感染を恐れるからであろう。
以上説いたごとき意味によって考うる時、健康診断特に早期診断なるものは、実際行うべきが国家の利益であるか、行わざるべきが国家の利益であるかは自ら明らかであろう。
私はこのあまりにも明らかなる事実が、今日公然と行われ、何人の眼にも怪しまれないという事は不思議に堪えないのである。
私は断乎(だんこ)として言いたいのである。
右のごとき私の説に目覚めず、飽くまで注射と早期診断を持続するにおいて、結核増加の趨勢は止まる所を知らず、その結果として生産力低下を来す事は、火をみるよりも明らかである。
クレムリンの王者スターリンはかつて言ったそうである。
「日本と戦争をする必要はない。何となればいずれは日本は結核によって滅亡する時が来るからである」と
嗚呼、日本危しと言わざるを得ないのである。」 (「結核の正体」より)
明主様御教え 「結核と精神面」 (昭和26年8月15日発行)
「結核について、割合関心を持たれていないものに精神面がある。
ところが事実これ程重要なものはない。
誰も知るごとく一度結核の宣告を受けるや、いかなる者でも精神的に一大衝撃を受け、前途の希望を失い、世の中が真っ暗になってしまう。
言わば執行日を定めない死刑の宣告を受けたようなものである。
ところがおかしな事にはそれを防ごうとするためか、近来結核は養生次第、手当次第で必ず治るという説を、当局も医師もさかんに宣伝しているが、これをまともに受取るものはほとんどあるまい。
なぜなれば実際療養所などに入れられた者で、本当に治って退院する者は幾人もあるまいからである。
しかしたまには全治退院する者もないではないが、大部分は退院後再発して再び病院の御厄介になるか、自宅療法かで結局死んでしまうのである。
だから何程治ると宣伝しても信じないのは当然であろう。
そのような訳で、結核と聞いただけで、たちまち失望落胆、食欲は不振となり、元気は喪失する。
いずれは死ぬという予感がコビリついて離れない。実に哀れなものである。
私も十七、八才の頃当時有名な入沢博士から結核と断定された事があるので、その心境はよく判る。
そういう次第で結核と宣告するのもよくないが、そうかと言って現在の結核療法では、安静やその他の特殊療法の関係上知らさない訳にもゆかないので、ジレンマに陥るのである。
そうして近来ツベルクリン注射や、レントゲン写真などによって、健康診断を行う事を万全の策としているが、これは果してよいか悪いかも疑問である。
私はやらない方がいいと思う。なぜなれば現在何らの自覚症状がなく、健康と信じていた者が、一度潜伏結核があると聞かされるや、晴天の霹靂(へきれき)のごとき精神的ショックを受けると共に、
それからの安静も手伝い、メキメキ衰弱し、数か月後には吃驚(びっくり)する程憔悴(しょうすい)してしまう。
以前剣道四段という筋骨隆々たる猛者(もさ)が、健康診断の結果潜伏結核があると言い渡され、しかも安静と来たので、フウフウ言って臥床している状(さま)は、馬鹿馬鹿しくて見ていられない程だった。
何しろ少しも自覚症状がないのでじっと寝ている辛さは察して呉れと言うのである。
ところが半年くらい経た頃は、頬はゲッソリ落ち、顔色蒼白、一見結核面(づら)となってしまった。
それから翌年死んだという事を聞いたが、これなどは実に問題であろう。
もちろん健康診断など受けなかったら、まだまだピンピンしていたに違いないと思って、私は心が暗くなったのである。
右のような例は今日随分多いであろう。
ところがこれについて面白いのは、医学の統計によれば、百人中九十人くらいは一度結核に罹って治った痕跡があるというのである。
この事も解剖によって判ったという話で、医家は知っているはずである。
してみればむしろ健康診断など行わない方が、結核患者はどのくらい減るか判らないとさえ私は常に思っている。
しかし医家はいうであろう。
結核は伝染しない病気ならとにかく、伝染病だから結核の種をもっている以上、はなはだ危険だから、それを防ぐために早く発見しなければならないし、
また早期発見が治療上効果があるからと言うであろうが、後者については詳しく説いたから略すが、前者の伝染についてかいてみるが、これがまた大変な誤りで、結核菌は絶対感染しないことを保証する。
私がこれを唱えると当局はよく目を光らせるが、これは結核の根本がまだ判っていないからである。
以前こういう事があった、戦時中私は海軍省から頼まれて、飛行隊に結核患者が多いから解決して貰いたいと申し込んで来たので、
まず部下を霞ヶ浦の航空隊へ差遣した。そこで結核は感染しないと言ったところ、これを聞いた軍医はカンカンに怒って、そんなものを軍へ入れたら、今に軍全体に結核が蔓延すると言って、たちまち御払箱になってしまった事がある。
私がこういう説を唱えるのは、絶対的確信があるからである。
何よりも私の信者数万中に結核感染者など、何年経っても一人も出ないという事実と、今一つは実験のため、以前私の家庭には結核患者の一人や二人は、いつも必ず宿泊させていた。
その頃私の子供男女合せて五、六歳から二十歳くらいまで六人おり、十数年続けてみたが一人も感染するどころか、今もって六人共に希に見る健康体である。
もちろんその間結核患者と起居を共にし、消毒その他の方法も全然行わず、普通人と同様に扱ったのである。
今一つの例を挙げてみるが、数年前これは四十歳くらいの未亡人、夫の死後結核のため、親戚知人も感染を恐れて寄せつけないので、進退きわまっているのを知った私は、可哀想と思い引取って、今も私の家で働かせているが、
もちろん一人の感染者がないばかりか、この頃はほとんど普通人と同様の健康体になってよく働いている。
もっともたとえ感染しても簡単に治るから、私の家庭にいる者は、何ら結核などに関心を持たないのである。
以上のごとくであるから、吾々の方では結核は伝染しないものと安心しているので、この点だけでも一般人に比べて、いかに幸福であるかが判るであろう。
ところが世の中ではこの感染を恐れるため、到るところ悲劇を生み、常に戦々兢々としている。
夫婦、親子、兄弟でも近寄って話も出来ず、食器も寝具も別扱いで、除け者同様である。
しかし医学を信ずるとしたら、そうするのが本当であろう。
以前こういう面白い事があった。某農村の事であるがある農家に十六、七の娘がいた。
彼女は結核と宣告されたので、一軒の離れ家を作って貰い、一人ボッチで住んでいたが、その離れ家は往来に面しているため、その前を通る村人等は、口を覆うて駈足で通るという事で、私は本人から直接聞いて大笑いした事がある。
なるほど空気伝染といわれれば、それも無理はないが、実に悲喜劇である。
だから私の部下や信者は数十万あるから、その中の一万でも二万でも纏(まと)めて、一度に試験してみたら面白いと思うのである。」 (「結核の革命的療法」より)