結核の分析について 2


明主様御教え 「結核は絶対に感染しない」 (昭和18年10月5日発行)

「今日、結核は伝染するものとして非常に恐れられ、それが為種々の方策が講ぜられているが、その繁雑極まる事と国家及び個人の負担の莫大なる事等は実に驚くべきものがある。

故に何人といえどもその伝染を恐れ親子夫婦といえども親しく接近し語り合う事さえ医師から禁ぜられている。

家庭内において一度結核的罹病者発生するや、家族全部が戦々競々としていつ伝染するやも知れずと危倶しつつ日を送るという・・・その陰惨なる状態は見るに堪えぬものがある。

なるほど事実感染するものならばいかなる手段方法をつくすも生命には換えられないから致し方ないとするも、私の発見する所によればそれは決して感染する憂はないのである。

医学で唱える結核菌なるものは伝染するのではなく自然発生である。

それはいかなる訳かというとさきに詳しく説いた液体毒素即ち喀痰が速に排泄さるるにおいては何ら微生物は発生しないのであるが、誤れる療法によって喀痰は肺臓内に停滞し固結する。

この固結した喀痰は時日を経るに従い腐敗するのである。

いかなるものといえども一度腐敗すれば小虫又は微生物が発生するのは原則である。

たとえば木材が腐敗すれば白蟻が涌く、いか程精白した白米といえども古くなれば必ず蛆(うじ)が涌く事は人の知る所である。

この様に腐敗する所無機物から有機物が発生する。

白米に蛆が涌くのは蛆の卵が他から侵入したものではないのは勿論である。

故に結核菌といえども自然発生するのであって絶対に伝染するものではないのである。

これは今後一層科学が進歩発達するにおいて、非伝染という事を発見するに到ると私は信じている。

又、感冒についてさきに説いたごとく各局所の凝結毒素の浄化を停止する為に還元して再凝結した毒素にも結核菌が自然発生するのである。

瘰癧(るいれき)、腎臓結核その他結核性何々という疾患は右の理によるのである。


右の説を実証する為私の経験を述べてみよう。

私の家族は私ら夫婦の外に子女が六人助手その他の使用人数人合計十数人は常に居たのである。

そうして十数年の間に重症肺結核と診断された患者を常に一人か二人同棲させて治療したのである。

少くとも弐拾数人はあったであろう。

勿論一切家族と同様に扱ったので食事の時も食卓を倶(とも)にし食器等も何ら消毒を施さなかったのである。

それは治療の為と私の説の実験をする為との二つであった。

その内の数人は私の家で死去した位であるからいずれも重症の者ばかりであった。

大病院で結核と断定され治癒の見込なしと刻印を付せられたものばかりであった。

しかるに今以て誰も感染した者はない。

いずれも健康そのもののような者ばかりである。

この実験によってみても伝染しないという事は何ら疑を挿む余地はないのである。

なお私はいつでも結核菌の感染を試験して貰いたいのである。

私自身でも私の家族の誰にでも感染するよう実験してもらいたい事を望むのである。

喜んで試験台に応ずるものである。


右のごとき細菌の自然発生説に対して現代の科学者は嗤(わら)うであろう。

何となれば、彼の独逸の有名なコッホ博士と並び称せられるフランス細菌学の泰斗パスツールによる細菌発見によって、それまで一般学者によって支持せられていた自然発生説が覆えされたからである。

それはパスツールが、微生物は自然発生ではなく空気の伝播に因るものであるという理論を実験したのであった。

それは羊肉の搾(しぼ)り汁を二つのガラス瓶に入れた。

一つは口の曲れるもの一つは口の真直なるものであった。

しかるに、口の曲れる方は微生物が発生していないのに真直な方は微生物が発生していたという事実であった。

それ以来自然発生説は消滅し空気に因る発生説が信ぜられ今日に至っているのである。

しかしながらこの原理については後に霊と物質について詳しく説くつもりであるからここでは簡単に説明しておく事とする。


そもそも森羅万象の構成は、火素、水素、土素であって、空気は水素を主とし、霊気は火素を主としている。

しかしながら今日までの科学では霊気即ち火素は未発見である。

そうして空気は緯(よこ)に流動し、霊気(火気)は経(たて)に上下昇降しているのである。

そうして、有機体である微生物が自然発生する場合火素即ち熱を要するのである。

しかしこの熱はガラス又は金属のごとき硬物質にてある程度遮断さるるのである。

故にパスツールが実験の際口の曲れるガラス瓶が火素の熱を遮断したからである。

右のごとく空気即ち水素が緯に流動し、霊気即ち火素が経に昇降なしいるという事実を最も簡単に知る方法がある。

それは人間が横臥する時は寒く、起座する時は温暖になるという事によってみても明かであろう。


又十九世紀の医聖といわれるフィルヒョウ博士が細胞病理学を唱えるに及んで近代医学は新時代をかくしたといわれる。

それによれば人体は皮膚、粘膜、筋肉、骨格、毛髪等すべて無数の細胞から成立っていて、

その細胞の一つ一つが生命と生活とを有し各々の細胞の生命と生活とが集って一個の人体を構成しているので、

病気というのはつまりそれら細胞が変性しその生活が衰えた状態を指すというのが細胞病理学の大体である。

例えば肺結核においては、結核菌が肺の組織中に侵入し繁殖し毒素を出す為にその部分の細胞が変性あるいは破壊され、破壊された細胞は血液中に吸収されて全身の機能に障碍を及ぼし、発熱、盗汗その他の症状を起すというのである。

即ち結核患者の熱は結核菌が肺臓内に侵蝕して病竃(びょうそう)部を作り、この病竃部と菌自身から出す毒素の為に発熱中枢が刺戟されて発熱するというのである。


右のごとき病理説は根本的に誤謬である。

言うまでもなく細胞の生活が衰えてそれが病源であるとすれば、新陳代謝の最も旺盛である少年期から青年期に病気は発生しないで老年期になる程発病しなければならないはずではないか。


この様な余りにも事実と相反する理論が信じられてきたというのはむしろ不思議と思うのである。

又肺結核における発熱が結核菌の作用としているが、仮にそれを肯定するとして菌自身から出す毒素の為に発熱中枢が刺戟さるるというが、

一体発熱中枢とはいかなる器能であるか医学においては脳にあるとしているが、恐らく全世界のいかなる医学者といえども実証は出来得まい。

何となれば、発熱中枢などという機能は脳は固より人体いずれの部分にも全然無いからである。

以上のごとき幼稚極まる病理によっていかに研究するといえども解決の出来得ない事は当然である。

そうして私は大別して肺結核を解決する方法として二つの点を挙げてみよう。

一、ただ肺結核のみを減少すべき方法としては国民全体の体位を低下させる事である。

即ち青年をして老人のごとき体質とする事で即ち近代の白人がそれである。

二、結核の特徴である熱を発生しない人間・・・即ち有毒者でない人間・・・即ち真の意味における完全健康者を作る事。

右のいずれを撰ぶべきや、勿論後者の人間を作るという事・・・

それが真の解決であり私の創成した医術によってのみ可能である。

しかるに現在行いつつある西洋医学的方法は前者の方法である事を知らねばならないのである。」 (「明日の医術 第1編」より)




明主様御教え 「肺結核治癒の過程」 (昭和18年10月5日発行)

「まず、結核における第一期第二期の症状としては、微熱、咳嗽、喀痰、盗汗、疲労感、食欲不振等であるが、この程度の病症なれば、自然治癒によっても治るのである。

その方法としては、なるべく苦痛にならない程度の運動をするのである。

そうする事によって右のごとき症状が増進するのは勿論である。

しかしながら、それが浄化作用促進となるから、漸次病症は軽快、治癒に向うのである。

そうして食事は出来るだけ菜食が良いのである。

これについて、私の体験をかいてみよう。


私は、十五歳の時、肋膜炎を病み、医療により一年位で全快、暫らく健康であったが、また再発したのである。

しかるに今回は経過捗々(はかばか)しくなく漸次悪化し、一年余経た頃、ついに肺結核三期と断定せられた。

その時がちょうど十八歳であった。

そうして最後に診察を受けたのが故入沢達吉博士で、同博士は綿密に診察の結果、最早治癒の見込なしと断定せられたのである。

そこで私は決心した。

それはどうせ自分はこのままでは死ぬに決っているとすれば、何らか変った方法で、奇蹟的に治すより外に仕方がないと意い、それを探し求めたのである。

その頃私は画を描くのを唯一の楽しみにしていたので、古い画譜など見ていると、その時、漢方医学で使った種々の薬草を書いた本があったので、それを見ていた時ハッと気がついたのである。

それは何であるかというと私は今日まで、動物性栄養食を盛んに摂っていた。

勿論、牛鳥肉等は固より、粥までも牛乳で煮て食うという訳で、特にその頃の医家は、栄養といえば動物性の物に限ると唱えたのであったから、私もそのまま実行した訳である。

しかるに、右の本をみて思った事は、野菜にも薬や栄養があるという事である。

そう考えると、昔の戦国時代などはほとんど菜食であったらしいが、史実に覧るような英雄豪傑が雲のごとく輩出したのであるから、これは菜食もいいかも知れない。

特に日本人はそうあるべきであると思ったので、断然実行すべく意を決したのである。

しかしながら、慎重を期し、試験的に一日だけ菜食を試みたところ非常に具合が良いので、二日三日と続けるうち益々よくここにおいて西洋医学の誤りを知り、一週間目位には薬剤も放棄したのである。

その様にして一ケ月位経たところ、病気はほとんど全快し、遂に、菜食を三ケ月続けたのであった。

その結果、罹病以前より健康になったので、その後他の病気には罹ったが、結核的症状だけはないにみて全く全快した事は明かであり、

四十余年経た六十余歳の今日矍鑠(かくしゃく)として壮者を凌ぐ健康に見ても、結核は完全に治癒すべきものである事を知るであろう。

右の事実は結核患者に対し、参考となると思うのである。

そうして、右は自然治癒による過程であるが、本療法を施術するにおいて、その何分の一に短縮せらるるかはいうまでもないのである。


次に、第三期以上の結核に対し、解説してみよう。

結核治癒の過程において、他の疾患に見るを得ない特異性がある事である。

それは第三期以上の患者に限るといっていいので、それについて私は説明してみよう。

まず、三期以後の結核患者が本治療を受けるや、非常なる好結果を顕わし、短時日にしてすべての病的症状は軽快し、全快期の幾(ちか)きを想わしめ歓喜していると、急に高熱、咳嗽、喀痰、食欲不振等の症状が次々発生するので驚くのである。

そうしてこの再発的症状は頗る執拗ではあるが、治療により病毒が排泄し、症状が軽減するに拘わらず、衰弱の為斃(たお)れるという例がよくあるのである。


右はいかなる訳かというと、結核患者が、最初発生した浄化作用を医療によって抑圧するので、浄化力は漸次微弱となるから、一時は快方に向うごとく見ゆるのであるが、

真の治癒ではないから、遂には一進一退の経過を持続しつつ、いつ快方に向うや見当がつかなくなるというようになるが、多くはそのころ本療法を受けるのである。


その場合、最初の浄化作用以後追増した毒素を溶解するので、一時的効果が顕われるので、

従って、患者は食欲増進し、徐々ながら運動も行うから、漸次浄化力が再現し最初の浄化作用発生時と同様の状態となるのである。

しかるに、最初の浄化作用発生時のごとき健康状態であれば、浄化作用終了まで体力が充分持続なし得る為全快するのであるが、

長時日の誤療によって衰弱したのであるから、一時軽快したといえども、旺盛なる浄化作用に堪え得られずして、衰弱死に到るのである。

故に、三期以上の結核患者を治療する場合右のごとき悪結果を来さない為にはどうすればよいかという事を書いてみよう。

まず、一旦軽快して再浄化が起った場合、それは例外なく左の症状を呈するものである。

それは、左右いずれかの延髄部が特に腫脹しており、そこに高熱の発生がある。

そうして右が腫脹していれば右の腎臓部に大固結があり、左が腫脹していれば左の腎臓部に大固結があるものである。

従って、延髄部が両方相平均している人は稀である。

勿論、一方の腎臓部に固結がある場合、他の腎臓部も若干は必ずあるものである。

又腎臓部に固結があれば、化膿性腹膜炎が必ずあるものであって特に結核患者は著るしいのである。

それが又食欲不振の原因でもある。

故に、再浄化発生の場合、まず第一に腎臓部の固結が溶解縮小しただけは、延髄部と腹膜部の毒結は、非常に溶解し易くなるのである。

そうして右のごとく腎臓部を第一とし、延髄部、腹膜部を次とし、胃部、肝臓部等の治療を行うのであって、場合により一日数回位行うもよくそうする事によって極めて好結果を挙げ、順調なる治癒過程をとるようになるから、三期といえども全治するのである。

右のごとく、腎臓を主とする治療によって結核は完全に治癒するのであるから、もし意のごとき好結果の表われない場合、それは腎臓部の毒素溶解が不充分であるから一層、腎臓部の治療を徹底さすにおいて、初めて予期の成果が顕われるのである。」 (「明日の医術 第1編」より)




明主様御教え 「学説と現実」 (昭和18年10月5日発行)

「昭和十八年三月十一日の朝日新聞、強兵健民欄に左の記事が掲載されていた。」


新聞記事
「「医学と体育の問題」・・・強兵健民を目指してわが体育はあらゆる角度から再検討されているが、体育問題を掘り下げれば下げる程医学との深い結びつけの必要さが痛感される。

ここにおいて体育、医学の両者は漸く相携えてわが国の真の体育体系の確立のために邁進せんとしているが以下この両者の意見を聴こう。


健康と結核の関係 東京市中野療養所技師 KH氏

「大東亜決戦下人的資源の確保増強の必要性が痛感さるゝに及んで、従来の競技を主とした体育にたいして種々の角度から批判検討が加えられつゝある。

純体育方面の検討は、これを体育専門家に任せることゝして、われわれ医学に携わる者特に結核専門医の立場からこの問題を考察してみると、ゆるがせにする事の出来ない多くの問題が伏在していることを痛感する。

その最大の問題は結核と体育の問題である。

実際問題として従来青少年の体育に関して一番障碍となっていたものは結核である。

従来スポーツの選手がいかに多く肋膜炎や結核でたおれたことであろう。

しかもこれら選手は優秀な肉体の所有者であり、かかる者こそ強健なる子孫を多く残すことが民族的にみて最も望ましいことなのである。

第二はこれとは全く対蹠(たいしょ)的な、いわゆる虚弱者虚弱児童の問題である。

今までこの問題にたいして一体どこに重点をおいて考えていたか。

暗黙の中に結核にたいして漠然と関係づけて考えていた点がありはしなかったか。

しかるに皮肉にも、いわゆるこれら虚弱者、虚弱児童の中にはほとんど結核患者はいないということを医学は証明している。

従来の虚弱なる概念から、結核は全く棄て去られなければならない。

虚弱と結核の間には何らの関係もないのである。かゝる者こそ科学的に合理的に鍛錬しなければならないのであるが、この分野は医者の方面からも体育家の方面からも一番等閑に付せられていた未開拓のものである。

一方において優秀な肉体の所有者が結核にたおれ、他方においては合理的鍛錬を必要とする人々が体育に見放されていたという矛盾は結核を、各人の見かけ、健康感によって判断していたということに由来する。

すなわち結核に関する限り一切の見かけは全然あてにならないのみならず、病勢がよほど進行しない限り、自覚的にも外観的にも症状は出ないものである。

結核にかゝらない体格体質はないのは勿論、結核は鍛錬によっては決して防止出来るものではない。

結核に関する限り、一切の解決が正当な科学的方法によってのみ可能である。

錬成に耐え得る人間を選定するのが医者であり、体育家はこれを合理的により強く鍛錬する。

こゝに今後医学者と体育家が密接に協力すべき広大な分野が存する。

体育によって一人の皇国民も喪(うしな)ってはならないし、一人の虚弱者もあってはならない。

これがまた今後の医者と体育家の理想である。」(新聞記事は以上)



「私は、右の記事が事実であるとすれば、実に驚くべき問題を提供したと思うのである。

それはいかなる点が重大であるかというと、いうまでもなく、現在わが国民の青少年層の大部分が健康体であれば結核容疑者であり、虚弱者であれば結核免疫者であるというー二つの型であるということである。


次に、今一つここに見逃すことの出来ない重要問題がある。

それは何であるか・・・というと、今日までの学説においては、結核発病者は、生来の虚弱者即ち腺病質的児童か又は一時的何らかの原因によって抵抗力薄弱となったゝめ、

その隙に乗じてかねて潜入していた結核菌が、爆発的に猛威を逞しくし始め発病するというので、これはすでに医学の定説にまでなっている事実である。

しかるに、右の隈部氏の指示したごとくであるとすれば、今日までの医学の説は全く覆えらざるを得ない事になり、体育と医学を結びつける・・・などということは、到底言うべくして行われ難いであろう。

しかし、万一結び得るとして、虚弱者が幸にも体育に堪え得る程度の健康になったとしたらそれは畢竟(ひっきょう)、結核容疑者の仲間入りをするという事になるから、いずれが是か非か、判断に迷わざるを得ないという訳になろう。

再三述べたごとく、結核は旺盛なる浄化作用であるという私の理論を、右の新聞記事がよく裏書している事を知るであろう。


次に、右の記事中にある「結核は鍛錬によっては決して防止出来るものではない」・・・という一事は何を示唆しているであろうか。

今日体育に携わるものゝ大いに考慮しなければならない重要事であろう。

同、スポーツの選手がいかに多く肋膜炎や結核でたおれるという一事も、その原因を突止めなくてはならない。

これは私の考察によれば、一種類の競技を持続する場合、さきに説いたごとく、その神経集中個所に毒素固結を生ずる。

それがたまたま浄化作用により、発熱、咳嗽、喀痰等の症状発生し、医診は結核と断定し、誤れる療法によって、ついに生命を落す事になるのである。

又肋膜炎は胸部の打撲、又は腕力、強烈なる腕の使用によることが原因である。」 (「明日の医術 第1編」より)




明主様御教え 「人的資源と現代医学」 (昭和18年10月5日発行)

「今日の重大時局における我日本の最大目標としては、言うまでもなく、大東亜共栄圏の完遂である。

しかも、これを達成する最大要素としては、何といっても人的資源の問題であろう。

当局が、産めよふやせよと、あらゆる方策を施行しつつあることもそれが為である。

しかしながら、一歩退いて考える時、こういう訳になろう。


即ち今生れた赤児は、少くとも向後二十年を経なければ、実際の役には立たないのである。

この意味において、現在切実に要求する人的資源は、どうしても青壮年期の現にその職域に奉公しているものでなくてはならない。

最近政府が実行した国民登録者の年齢が、男子において十六歳以上四拾歳まで、女子において十九歳以上二拾五歳までとしたのは宜(むべ)なりというべきである。

最近聞く所によれば、蘇聯(ソ連)は、同国の成年者の寿齢を十ケ年延長すべく、その方法を二万五千留(ルーブル)の懸賞金を課し募集しているそうである。

蘇聯がなぜ右のごとき方法を発案したかについては理由があるのである。


それは近代国家として割合短期間に、世界の最大強国となった彼の米国の発展素因を研究した所、その最も重なる原因としては、同国が世界各国からの移植民を吸収した事に因るというのである。

勿論、移民には赤ン坊は滅多にない。そのほとんどが成年者である。

ここで考えなくてはならない事は、まず赤児から十五、六歳までは、国家に対する時、それは物資及び労力の消耗者である事であって、十五、六歳を越ゆるに及んで初めて生産者側に立つのである。

従って移民なるものの消耗時代はそれぞれの本国の負担となっており、成年者即ち一人前の生産者となるに及んで移民となるので、

米国が今日の大を成すまでの人的資源としては、消耗者は少なくて生産者が大多数であったというその事が発展の一大原因であった事を蘇聯は知ったのである。

これを知った蘇聯は、生産部面の人的資源である成年者を増加する事こそ、この際の重要事であるという理由から寿齢の延長という事に気がついたのであろう。

しかも平和時代よりも何倍の喫緊性を要する戦争時代においておやであるからである。

しかしながら右の理由は当然今日の吾日本にも当嵌まる事は言うまでもないであろう。

この意味において、最も急速に人的資源を増強するというには、罹病者を無くするということほど、絶対的効果のある方法は、他にないであろう。

しかるに、今日社会各層を見るがいい。

およそ罹病者の多い事実は、恐らく空前ともいうべきで、日本人中、真に完全なる健康体は何人あるであろうか。

想像するさえ不安の極みである。

それは、さきに示した各種の統計によっても、読者は充分肯き得たであろう。


今日の医学が、病人を作る医学であり、医療によって軽病者も重病者となり、ついに死にまで到らしむるという事は充分説明した通りである。

しかも医療は、最も増加の趨勢にある結核患者に対し、絶対安静を奨めるが、それらの方法によって完全に治癒するならば、ある期間の職業放擲(ほうてき)もやむを得ないとするも、そのほとんどが長期間安静の結果、ついに生命を失くするというに至っては、実に国家の損失は鮮少ではあるまい。

しかも長期間安静患者を看護するに要する人員や、それに使用する薬剤機械等を製造する人員、資材等精細に計算する時、実に想像以上の莫大な数字に騰(のぼ)るであろう。

今一つ厄介な事がある。それは早期診断の一事である。

さきに説いたごとく初期の結核患者は放置しておけばそのほとんどは自然治癒するのである。

しかるに早期診断によって初期的症状が発見せられるや、強制的に医療を施されねばならず、隔離もされなければならないのである。

しかも結核症を暗示又は宣言せられるので、患者はまず不治的絶望観念によって、精神的に大打撃を受ける。

それがまず元気を喪失させ、食欲を減退させるから、急速に衰弱するのである。

加うるに、薬毒その他の病気増進方法を施すにおいて、霊肉共に重症に向うのは判り切った話である。


以上のごとき事実は、今日当事者は素より、何人といえども常に見聞する所であろう。

私は、いささかの誇張もなく現実を述べたつもりであるから、医家は勿論、患者諸君においても、この一文を読む時、思い半(なかば)に過ぎると思うのである。

右のごとき事実によって、私は人的資源を阻止する最大なる原因は、医学そのものである事を断言するのである。

これに目覚めない限り病者はいよいよ漸増し、政府がいかに懸命になって対策を講じようとも、遺憾ながら人的資源の不足は解決され得ないであろう。

しかも医学に依存する以上、焦慮すればする程、逆効果がはなはだしくなるからその前途は実に寒心の外ないのである。

嗚呼! この重大事をいかにして一日も早く、我国民に知らしめ得べきやと私は日夜痛心しているのである。

そうして政府は、人的資源の不足を補う為中小商工業の整理統合を行い、人的資源を泛(うか)び上らせては、それを重要産業に振向けている。

しかるに一方においては、体力管理や早期診断によって、重に結核の初期を発見しては、それらを静養又は隔離する方法をとっている故に、

右の結果はどうなるかというと、一方人的資源を浮び上らせると、それを一方では消滅させるという、ちょうど、笊(ざる)へ水を汲んでいるようなやり方である。

なおかつ、従来軽労働であったものを、工場労務者のごとき、激しい労働に転向させる以上猛烈なる浄化作用が起るのは必然であるから微熱、咳嗽、疲労感等、結核的症状が発生するので、いよいよ人的資源は不足するのは当然である。

しかるに、整理統合によって浮び上らせる資源には限度があるから、いずれは人的資源の一大不足に悩まされる時期が来ないと誰が言い得るであろう。

そうして、私の創成したこの医術を政府が採用し、これを国家全体に施行するとすれば、その結果はどうなるであろうかを、私は想像して書いてみよう。


それはまず病者は日に月に漸減してゆく。

ほとんどの病者は仕事に従事しながら治癒してゆく。

特に肺結核は激減し、感染の恐怖からも解放せられるであろう。

伝染病も漸減するは勿論、伝染病で死亡する者は極僅少となるであろう。

従って、伝染病菌の恐怖からも解放されるであろう。

何となれば病菌が侵入しても発病しないという健康体になるからである。

そうして大抵の病気は一週間以内で治癒するのであるから、人間は病気の不安から全く解放されるであろう。

栄養食の必要もなくなり、故(いたず)らなる健康法の必要もなくなるであろう。

人間の寿齢は年々延長するであろう。そうして健全なる肉体には、健全なる精神が宿るという事が真理であるとすれば、国民の思想は、肉体の健康に比例して健全になるであろう事は勿論である。

そうして不幸の最大原因が病気であるとすれば、不幸も貧乏も争いも著減(ちょげん)する事は言うまでもないであろう。」 (「明日の医術 第1編」より)