病気の体的分析について 9 (昭和14年御講義)
明主様御講義 「肺 病 (一)」 (昭和14年)
「結核に就ては、前篇にも述べたが、なお一層詳しく述べてみよう。
現今、肺結核は激増したというが、実はそれは謬(あやま)りである。
まず、肺結核の初期から述べてみる。
これは感冒の時に述べたごとく、感冒の浄化作用、何回もの停止によって溜結せる毒素が青年期の活力旺盛時代に入り、防止不可能になって解熱法も効果ないという状態である。
この時はほとんどが肩部(特に左肩)頸部の下辺に溜結せる毒素の浄化作用としての微熱である。
この時、医家の診断は、大抵肺尖(はいせん)加答児(カタル)又は肺門淋巴(リンパ)腺という。
療法として絶対安静、栄養食、注射、服薬、頭冷、湿布等であるが、これらはいずれも浄化作用停止法であって、
安静は胃腸を弱らせ、服薬、注射、頭冷、湿布等はいずれも漸進的衰弱をなさしめるので熱は下降し、熱が下降するから毒血が溶解しないから喀痰は減少する。
喀痰が減少するから、そのポンプ作用である咳嗽(せき)が減少する。一見病気が軽快に向うようにみえる。
その際患者が安静を破って運動すると発熱する。それは運動によって活力が出るから、浄化作用がおこるからである。
医療はいかにこれを固めんとするかはよく判るのである。かような状態で幾月も幾年も持続する内、追加物たる薬毒の浄化作用が起るのであるが、この薬物浄化は高熱を伴うものである。
長い安静によって相当衰弱せる患者が高熱に遇っては、その衰弱は非常な速度を増し、終(つい)に死に到らしむるのである。
この末期において、薬毒集溜個所は全身に及び、特に肋骨、胃腸、腹膜部、咽喉部、腎臓部、頭部、股間淋巴腺等である。」 (「医学試稿」より)
明主様御講義 「肺 病(二)」 (昭和14年)
「肺浸潤に付て説明をする。この病気は肋骨及び肋間に溜結したる毒素の浄化作用である。
その際必ず微熱がある。それによって溶解した毒素が肺へ浸潤し、喀痰となって排泄されるのであるから、必ず治癒すべきものであって、それは何等の療法をせず放置しておけば自然治癒するのである。
しかるに医療は湿布をしたり、薬剤を使用する。元来、人体は皮膚からも毛細管を通じて呼吸しているのである。
湿布はこの呼吸を止めるのである。
呼吸が止まるからその部の新陳代謝が弱る。
新陳代謝が弱るから浄化作用が停止する。
浄化作用が停止するから解熱する。
解熱するから毒素の溶解作用が停止して固まる。
即ち、浄化作用発生以前に還元するのである。
故に、予後運動などして活力旺盛になれば再発するのである。
そこで医家は激しい運動を戒しめ、過労を恐れるという訳である。
肺壊疽(えそ)に就て説明する。
これは肺の近接部又は、肺の内部に腫物が出来るので、症状は発熱、膿のごとき喀痰又は血痰、痛苦、呼吸逼迫(ひっぱく)等が重である。
これも自然治癒によって腫物の膿又は毒血、漸次排泄されて完全に治癒するものである。
この際医療はあらゆる浄化作用停止を行ふ為に、多くは慢性となり、衰弱死に到るのである。
粟粒(ぞくりゅう)結核、これは肺胞に粟(あわ)のごとく微細な毒血が生ずるのである。
この原因はあらゆる喀痰は、肺臓を通過して気管から排泄するのであるが、喀痰によって毒素の強弱がある。
故に、強毒が肺胞に触れて、右のごとき症状を発生するのである。
ちょうどある種の膿が皮膚に付着すると、粟粒状の腫物を生ずると同一の理である。
肺臓癌は、最も恐るべき症状であって、しかし極稀ではある。
この病気の多くは、肺臓そのものに癌が発生したのではなく、他部に発生した癌が漸次移行して、肺臓を犯すというのが普通である。
まずこれは不治とみてよろしいのである。」 (「医学試稿」より)
明主様御講義 「肺 炎」 (昭和14年)
「近来、肺炎は非常に殖えた病気の一つである。
これは、非常に旺盛なる浄化作用であるから、虚弱者には少く、健康者に最も多いのである。
この病気の原因は、感冒浄化作用停止によって累積溜結せる毒素が、急激に烈しい浄化作用が発るので、この毒素の大部分は肋骨及び肋間に溜結せるものである。
この浄化作用によって一時の浄化作用の高熱によって一時に溶解せる膿が、肺臓内へ浸潤し肺の下部(乳頭部より以下)に溜積するのである。
しかるに、その溜積せる膿汁を排泄するに容易ならしむる為、高熱はなお肺臓内において膿解作用が行われるのである。
この際、肺の下辺部又はその背部に手を触るれば、火のごとく高熱を感ずるにみて瞭かである。
その際喘音(ぜんおん)が特徴であるが、それは肺臓内に滞溜する喀痰が呼吸の為に動揺する響きである。
そうして、高熱によって溶解せる喀痰は咳によって排泄し治癒するのである。
しかるに、その際医療は、湿布、氷冷、服薬、注射等を行う為に滞溜せる喀痰は、肺臓内に凝結するのである。
この凝結作用によって呼吸困難が起るのである。
何となれば、元来肺臓は必要なる一定量の空気を吸収すべきものなるに、滞溜喀痰の容積だけは肺の量が縮少される訳であるからである。
例えば、十吸うべき空気量を三だけ減少されるから七だけしか吸収出来ない。
従って、呼吸の回数を多くしなければ、必要の空気量が得られないのである。
それが呼吸困難の原因である。
であるから、この呼吸困難が持続する為、心臓が衰弱する為死に到るのである。」 (「医学試稿」より)
明主様御講義 「肋膜炎」 (昭和14年)
「肋膜炎には湿性と化膿性と乾性との三種ある事になっている。まず湿性から述べよう。
これは肺臓と肋骨との間に膜があり、即ち肺膜と胸膜との間に水が溜るのである。
原因は胸部打撲等の為、膜が剥落(はくらく)する。
又は、非常に腕に力を入れる為、又は、自然に発病するのである。
医学上にては打診の音と感じで判る事になっている。
しかし肉眼でも胸部、脇腹、背部の左右いずれか腫れがある。
又は、触指すれば、患部に熱があるのでも判る。
医学では機械で、簡単に水を除って多くは治るが、湿布その他の手当によって反って浄化を妨げ、溜水が漸次濃度を増し、終(つい)に化膿性になる場合もある。
この際最も悪いのは利尿剤である。最初は尿量を増し溜水も減少するので軽快に向うが、ある時期に至ると逆作用を起し、尿量減少して悪化する。
この病気は盗汗(ねあせ)が特徴であるが、これは非常にいいので、盗汗によって病気は治癒するのである。
化膿性肋膜は、前述の膜の間に水でなく、最初から膿が溜るのである。医療では穿孔して、そこから膿を毎日排除するが、なかなか治癒し難いようである。
乾性肋膜は、極稀にある病気であるが、医師の診断で、乾性肋膜と名付けらるるはほとんど誤診であって、実は肋間神経痛が大部分である。
これは胸部の痛み、咳嗽(せき)、発熱等の症状で、医療は湿布、注射、服薬等で浄化を停止するから、一時は治癒したようでも再三再発するものである。」 (「医学試稿」より)
明主様御講義 「胃 病」 (昭和14年)
「一口に胃病といえば、なかなか種類は多いのである。一々に就て説明する。
(一)消化不良
胃病の最初は、大抵消化不良である。原因は食事の分量を定め、食事の時間を規則正しくするからである。
何となれば、時間や量を定めると、以前のが消化しないで、停滞してる上に食物を入れるから、古い方が醗酵し、その毒素の為である。
あらゆる食物は消化の早い物と遅い物とがある。又、人間の動作においても、運動をする時としない時とがあるから、三時間で消化してしまう事もあるし、五時間経っても消化しない事もある。
従って、次に食事の時に量及び時間(勤務者は時間は不可能故量にて調節)にて調節するのが本当である。
世間往々量と時間を規則正しくせよという事は、いかに間違っているか判るであろう。
胸焼・・・これは胃の付近にある毒素に対する浄化作用の微熱である。
胃アトニー、一名胃酸過多症といい、これは胃酸が多過ぎるのであるが、この原因は薬剤中毒で、服用した薬物が一旦吸収され、再び酸となって胃中に還元するのである。
(二)胃潰瘍
この病気は消化薬連続服用によるのであって、消化薬は食物を柔軟にすると共に、胃壁も柔軟にするのである。
その結果固形食物は胃壁に触れると亀裂し、そこから出血するのである。
従って、出血のある際は、必ず流動物でなければならないのである。
(三)胃下垂
原因は胃部より腸部へかけて然毒、又は尿毒が溜結するので、それに圧迫され胃袋が長くなるのである。
そうして、なお消化薬及び消化のいい食物を摂る為、胃の活動を弱らせるから胃が弛緩し、一層下垂の度を増すのである。
(四)胃 癌
これは真症の癌は極稀であって、三毒の中、一ないし三種の毒素が、胃の外部に溜結するのと、胃の潰瘍又は胃の極微小の腫物等による出血の溜結等が大部分であって、これらは完全に治癒するのである。
しかし、真症の癌はまず不治とみていいのである。」 (「医学試稿」より)
明主様御講義 「腸 病」 (昭和14年)
(一)腹膜炎
「これも肋膜炎と同じく、湿性と化膿性とがある(乾性はない)。
湿性は水が溜るのである。非常に膨脹して臨月又は臨月以上に大きくなるのがある。
原因は腎臓の萎縮の為、余剰尿が滞溜する為と、膀胱から尿が尿道へ通過せんとする時、尿道口に膿結又は尿結が塞ぐ場合があり、その為尿の排泄量減少する為である。
医療は利尿剤を使用するが、これは最初は非常に効果がある事があり、ほとんど九分迄治癒の状態が、俄然悪化する事がよくある。
それは利尿剤に対する逆作用が起る為である。
又穿孔して水を除るが、これも直に溜るのである。
その場合前よりも必ず幾分多く溜るのである。
故に回を重ねるに従って漸次膨満の度を増し、驚くべき大きさになるものである。
こうなったのは、もう生命は覚束(おぼつか)ないのである。
化膿性は、湿性程膨満しない。往々気の付かない位のもあって、症状は腹部を圧すると、処々に固結ありて、痛みもあり、時々痛苦、下痢及び腹の張り、食欲不振、嘔吐感、咳嗽等である。
一番困るのは、急性腹膜の原因となるのである。
即ち、急激の浄化作用が起る時、非常な痛苦と高熱を伴うもので、よく盲腸炎を併発するのである。
但し、急性腹膜は青年期に多いので、老人にはほとんどないといってもいいのである。
これは青年期は、浄化作用旺盛な故である事は勿論である。
(二)盲腸炎
この病気は、近来非常に多いのであるが、症状は、胸部より右下一寸か一寸五分位の辺が非常に痛い。
高熱を発するのである。
原因は三毒の不断の浄化作用による溜結であって、それの急激な浄化作用である。
医学で唱える食物の為ではない。
何となれば、盲腸炎発病前、盲腸部を圧すれば、かなり痛みを感ずるものである。
そしてこの病気は何等手当を施さず、ただ安静にしていさえすれば必ず治癒するので、普通激痛は一日位、二、三日過ぎれば痛みはほとんど軽減し、一、二回の下痢があって完全に治癒するのである。
切開手術の必要などないのである。
よく医家は化膿を恐れるが、何ぞ知らん化膿すれば、半分治癒したのである。
何となれば、膿結は高熱によって溶解した事を化膿というのであるが、実はその溶解膿は、間もなく下痢になるのである。
元来、盲腸は扁桃腺と同じように毒素の集溜部であって、それから便で排泄されるのであるから、大いに必要なものである。
故に、この盲腸即ち虫様突起を除去する時は、膿の集溜場がなくなるから、毒素は腹膜あるいは肝臓部等各所に集溜するから、盲腸部より排出し難い場所に溜る事となる。
又、氷冷して浄化を停止させると、一旦治癒したように苦痛は無くなるが、程経て浄化作用即ち再発・・・という事になる。
医学では盲腸は不必要なものであるから除去した方がいいという。
がこれは、驚くべき人間の僭上沙汰である。
何となれば、そんな不必要なものを作っておいたという造物主は実に間抜であって、二十世紀の医学者より愚かであるという理屈になるではないか。
(三)チフス
これは勿論伝染する。
症状は腸部の発熱、頭痛、食欲減少等である。
原因は黴菌が腸壁に繁殖穿孔するという。
それは本当であると思う。
これは、発熱中、流動物で栄養を摂り、安静にしていれば必ず治癒するのである。
(四)赤 痢
症状は発熱、血便、これは浄化作用による毒血排泄であるから、自然治癒によって完全に治癒する。
(五)虎列剌(コレラ)
これも大浄化作用による嘔吐下痢であるが、この病気は浄化作用が激烈の為に、普通の人体は堪えられずに死に到るのである。
以上のチフス、赤痢、コレラ、この三種は伝染病であるから、現行法規の下においては、必ず一刻も速く医師の処置に任せなくてはならないのである。
(六)腸癌及び肉腫
この病気は真症は不治であるが、疑似的のものも多いので、これは治る事が多いのである。
(七)慢性下痢
これは毎日一回ないし二、三回位下痢し、実に執拗なるものである。
数年続くものさえある。痛むのと痛まないものとがある。
原因は化膿性腹膜の浄化作用であって、衰弱の為浄化作用が旺盛でない為、少しずつ下痢となって出るのである。
薬剤等にて下痢を止める時には、それだけ長びくのであるから、自然に放置しておけば必ず治癒するものである。
(八)腸 炎
これは化膿性腹膜の浄化作用であるから、自然治癒で治るのである。」 (「医学試稿」より)