病気の体的分析について 7 (アメリカを救う)
明主様御教え 「癌」 (昭和28年1月1日発行)
「この病気は肉食病といってもいいくらいのもので、これを根本的に説明してみると、
最初造物主は人間を造った時、その食物としては穀類、野菜、獣鳥肉、魚肉等それぞれ人体に適合した物を造られ、それを食う事によって、健康で生を営み得るようにされたのである。
もちろん住んでいる風土、気候や、人種別にも適応するようになっているのはもちろんで、それが自然である。
従って米国における大いなる沃野(よくや)と、そこに生産する穀類、野菜、獣鳥肉等が豊富であるのも植物性と動物性食物を適当に食えという訳である。
また日本は陸地が狭く、海に取り巻かれているのは、魚肉を多く食えというのである。
ところがそのような自然の実体を、科学という魔法使が打ち壊してしまい、人体を単なる物質扱いにした結果形而下(けいじか)的には進歩発達はしたが、
形而上(けいじじょう)の存在である人間の生命までも形而下に引き下し、栄養学などという飛んでもない学問を作り、皮相なる分析上から獣肉を推奨したのであるから、今日のごとく肉食過多に陥ったのである。
ところが元来獣肉には一種の毒素が含まれており、この毒素が漸次集積し固結したものが真症癌であるから、
自然はこの肉毒中和の必要からも野菜があるので、穀類は別とし副食物としては相当量野菜を交ぜなくてはならないのである。
そうすれば決して癌は発生しない。
としたら米国などは肉と野菜と半々くらいがちょうどいい訳である。
何よりも菜食多量の民族には癌はないはずである。
近来日本においても癌はあるにはあるが、米国とは比較にならない程少数であるのは、全く日本は生活が低く、肉食が少ないからである。
次に注意したい事は、単に癌といっても真症と擬似との別がある。
すなわち右にかいたのは真症であるが、実は擬似の方がズッと多く、この点日本も米国も大差ないであろう。
この擬似癌の原因は、無論悪性な薬毒の一種であるから、薬を廃止する事によって無くなるのはもちろん、
罹病の場合薬を廃め菜食を多くすれば長くは掛かるが少しずつ治ってゆくから、左程心配はない訳である。 」 (「アメリカを救う」より)
明主様御教え 「結 核」 (昭和28年1月1日発行)
「この病気も全く医学が作るものであって、さきにもかいたごとく、薬毒が体内各局部に集溜固結し、その浄化作用として感冒が起り、熱によって溶解した液体毒素は、痰となって肺臓を通って出ようとする。
という訳で肺とは喀痰排泄のための通過路の駅ともいうべきものであるから、痰は一旦肺臓内に滞まり、咳というポンプ作用によって咽喉(のど)を通って出るので、咳と痰が出れば出る程よく浄化される訳である。
ところがそれを逆解した医学は、咳と痰を極力停めようとするのであるから、実に驚くべき錯誤である。
この結果痰は肺臓内に滞溜したまま、日を経るに従い漸次固まってしまい、暫くすると再び浄化が起り風邪を引く、その時医師に診て貰うと、発熱と肺臓内にある痰の固結、咳や吐痰、喘音等によって結核初期と断定する。
なおまた前の時軽微な肋膜炎もあったので、その固まりが溶けて肺から出ようとする。
これを肺浸潤と言い、首肩の凝りが溶解し、肺の上部から浸入するのを肺門淋巴(リンパ)腺、または肺尖加答児(カタル)というのである。
右のごとき順序を見れば、結核は全く誤れる医療によって作られるものである事がよく分るであろう。
これを一言にしていえば、自然浄化によって体内の汚物が出ようとするのを、医療は出さないようにする。
もちろん服薬も注射も安静も何もかもことごとく固め手段であるから、医学の進歩とは毒素固め方法の進歩でしかない事は余りにも明らかである。
そうして結核菌であるが、これも医学でいうごとく伝染するものではなく自然発生である。
というのは肺臓内に固めた痰は、時日を経るに従い腐敗する。
腐敗すれば微生虫が湧くのは物質の原則であり、しかも体温という好条件が拍車をかけるにおいてをやである。
以上のごとく結核は医療が作るとしたら、この事が分らない限り、増えるとも減るはずのないのは断言して憚(はばか)らないのである。
何よりも事実がよく示している。
最近米国でも日本でも、結核の死亡率が大いに減ったと言いながら、患者の数は一向減らないという矛盾である。
これは全く毒を強めた新薬や手術等による浄化停止法が進歩したためで、なるほど一時的生命は取止め得たとしても、全治ではないから、
死にもせず働く事も出来ないという宙ブラ人間が益々増えると共に、発病者の数も依然たるものであるから、
ベッドが足りないといって悲鳴を挙げている現状は、米国はとにかく日本はよくそれを物語っている。
ここで結核菌についても徹底的にかいてみるが、近来結核医学は大いに進歩したとされているが、吾々から見れば進歩どころか、門口にも入っていない事実である。
というのは医学は菌のみに囚われ、菌さえ殺せば結核は解決出来るものと誤信している事である。
しかし菌といえどもまさか偶然空中に発生したものでもなくまた人間の体内に理由なく湧いたものでもないのはもちろんで、その発生源が必ずどこかにあらねばならないはずである。
それがいよいよ私によって発見されたので、以下詳しくかいてみるが、それについて前もって知っておかねばならない事は、人体なるものの構成であって、科学は人体を単なる物質とみなしているが、これが大変な誤りである。
何となればもしそうだとすれば、人間の生死はどう説明していいか分らない事になる。
ここで肝腎な事は人間の精神すなわち心である。
これは目には見えないが科学といえども否定は出来ないであろう。
というのは人間には肉体の外に、肉体と同様な形をしている霊という無に等しき個体が、厳然と存在しているからである。
というように霊と体とは密着不離の関係にあり、死とは霊が脱出し、体の活動が休止する事である。
そうして心は一秒の休みもなく動いており、人間が何らかの意欲が起るや、間髪を容れず体に移って行動となるので、体が勝手に動くのではない。
としたら人間の本体は心、すなわち霊にあり、霊こそ支配者であり、体は隷属者であるから霊主体従である。
この理によって病といえども最初霊に発生し、体に移写するので、これが真理である。
従って根本は霊を健康にする事である。
これを一層詳しく説いてみると、元来霊なるものの本質は無色透明体であって、最初この透明体に曇りが発生する。
これが病原であって、科学的にいえば、本来霊の物質化が血液であり、血液の非物質化が霊であるから、霊の曇りが体に映るとその部の血は濁り、濁血が霊に映ればその部が曇る。
というように霊体一致ともいえる。
では霊の曇りの原因は何かというと、宗教的にいえば罪穢の堆積であり、物質的にいえば薬毒の溜積である。
そこで一体曇りの本質とは何かというと、これこそ不純水素であって、日を経るに従い漸次濃度を増すと共に縮小する。
するとこれにバクテリアが発生する。
このバクテリアは、いわば植物性無機質ともいうべきものであるが、時と共に漸次有機質に変化し動物性となる。
これが菌の卵子であって、この卵子が育って個体すなわち一人前になったものが、顕微鏡で見得る黴菌であるから、
ウイルスとは右のごとく菌の卵子から親になろうとする中間粒子で、顕微鏡には映らないが確かに在るのは、医学でも認めている通りである。
これを最も分り易いたとえとして、彼の塵溜に湧く蛆である。
医学は蛆だけを殺そうとして、塵の方に気が付かないと同じである。
以上の理によって、結核を全滅させるには菌の発生源である霊の曇りを解消する以外絶対ないのである。
ところが現代医学の研究はそこまで達していないため、結果である菌のみを対象とし、研究しているので、もっと根本に触れない以上、何程努力しても徒労以外の何物でもないのである。
もっとも現在の顕微鏡ではウイルス以上の微粒子を視る事は不可能であるからでもあろう。
ところが幸いなるかな、私によってその根源が発見された以上、最早結核問題は解決されたのである。
では霊の曇りはいかにすれば解消出来るかというと、これを説くに当っては、その前に曇りの実質をかかねばならない。
前記のごとく不純水素というのは水素中に不純分子が含有されており、もちろん顕微鏡でも見得ない程の超微粒子であって、この微粒子を消滅させるのが浄霊法である。
これによれば右の毒微粒子のみが焼尽され、純粋水素は残り病原は全く解消されるのである。
そうしてこの施術こそ人間の掌から放射される不可視光線であって、この光線の本質は火素といって火の霊である。
すなわち火の体は熱であるが、火の霊は熱くはないが、体以上の素晴しい強力さである。
これについて以前から科学では水素を言うが、火素を言わないのは不思議である。
では右の火素がなぜ掌から放射されるかというと、この説明についてはどうしても宗教的でなくてはならないから、読者はその積りで読んで貰いたい。
何となれば現代科学は霊を無視し、物質のみを認めている以上、容易に信じられないからである。
このように科学は体のみの進歩で、言わば跛行的(はこうてき)○○的進歩であるから、真の病理も治療法も発見出来ないのは当然である。
この意味において私は医学は機械的であるが、科学的ではないと常に言っている。
その証拠には病気の場合、患者が医師に向かって病原を訊いても、曖昧極まる一時のがれの答えしか出来ないのは医師も経験するところであろう。
それに引替え吾々の方ではどんなに深く訊かれても、立派に科学的理論をもって堂々答えるから、いかなる患者も納得し安心するのである。
話は戻るが右の浄化力こそ、神エホバが火素の本源ともいうベき霊光の玉を私に与えられたのであって
(これは腹部の中央に直径六糎(センチメートル)くらいで肉眼で見る人もある)
この玉から無限に光波が放射され、その伝達方法として二分の一メートルくらいの紙片に、墨と筆で光の文字を書いたものを畳んで懐へ入れさせる。
すると私から出る光波は、霊線を通じて施術者に伝わり、その人の掌から放射される。これが浄霊法である。
ちょうどラジオの放送局と、アンテナと受信機のようなもので、実例報告中(省略)にある御守というのがこれである。
ではなぜ神はそういう方法を私に授けられたかというと、これこそ彼のキリストが「天国は近づけり」と予言されたところの、紀元的時機が来たからである。
その根本としては第一に人類から病を追放する事で、神は病気滅消の方法を私に教え給うたのである。
右は結核菌とその他についての説明であるが、次に伝染病菌についてもいささかかいてみよう。」 (「アメリカを救う」より)
明主様御教え 「伝染病」 (昭和28年1月1日発行)
「伝染病は近来米国では非常に減ったとされているが、日本では今もって相当猖獗(しょうけつ)している現状で、これもついでだからかいてみるが、まず伝染病菌である。
これについては何人も夢想だも出来なかった程の私の新発見であって、恐らく容易に信じられないであろう。
しかし再三かいたごとく、薬毒によって濁った血液に対しては、必ず浄化が発生する。
これが自然の摂理である。という訳で伝染病に対しても、神は巧妙な方法を造られた。
それは人間中最もはなはだしい濁血者の血液中に、最初微生虫が発生する。すなわち伝染病菌である。
この菌が次の濁血者の血液中に、何らかの物質を介して伝染する。
つまり菌が血管中に食い入るのである。
そうして血液中にある濁りの微粒子を蚕食(さんしょく)しつつ殖えていく。
というのは血液中の濁りは菌の食物となるからで、それを食尽せば浄血となって治るのである。
従って伝染病菌なるものは、全く人間の血を浄める役目として神が造られたもので、言わば血液の掃除夫である。
それを運ぶのが彼の蝿であるから、この虫も人間にとっては大きな役目をしている訳で、余り憎めないのである。
右の理によって、伝染病を人類から絶滅するとしたら、濁血者を作らない事で、これが根本である。
しかしそれは急速には不可能であるから、現在としてはまず伝染病発生の場合、患者を安静にし、自然のままにして置けばほとんどは治癒するものであるから、左程恐怖するには当らない。
ゆえに軽症者は右の理を心得て適当に扱えばいいし、重症者は本教の浄霊を受ければ一人の間違もなく全治するから、これ程安心な方法はあるまい。
それは伝染病程猛烈な浄化作用はないからで、浄霊によれば実によく治る。
そうして現在日本では赤痢、チフス、日本脳炎が主なるもので、医療は浄化を妨げるから成績は悪いが、右なおさらのごとく自然療法なれば、十中八、九は全治間違いないと共に、浄霊によればなおさらよく治る次第である。
何よりも本教信者で伝染病に罹る者も偶にはあるが、今日まで一人の不幸者も出ないにみて明らかである。
しかも赤痢などは予後非常に頭脳が良くなり、頭痛、頭重などの持病はほとんど消えてしまうのである。
その訳はこの病気は頭脳の毒血が下痢になって出るものであり、また日本脳炎の原因は背部から肩へかけての固結毒素が浄化で溶け、後頭部から前頭部へ抜け、目や鼻から多量の膿血となって排泄され治るのであるから、
予後は病気前より頭脳明晰となり、学童などは成績一変するくらいで、恐れられている障害者などには絶対ならないのである。
またチフスは大抵二、三回の浄霊で全治するから説明の要はあるまい。」 (「アメリカを救う」より)