病気の体的分析について 5


明主様御教え 「胃 病」 (昭和27年御執筆)

「ここで肺臓の解説をするのが順序であるが、これは最初に充分に書いたから略して、胃に移る事にしたのである。

病気の原因がほとんど薬毒である事は、今まで説いた通りであるが、特に胃に関した病気程それが顕著であって、ことごとく薬で作られるといってもいいのである。

それを今詳しくかいてみるが、誰しもたまたま食べすぎとか、食もたれとか、胸焼けがする事がよくある。

すると放っておけば治るものを、何でも薬さえ服めばいいと思い、早速胃の薬を服んでしまう。

しかし一時はよくなるから、それで済んだと思っていると、何ぞ知らんこの一服の薬が、将来命取りの因となる事さえあるのだから問題である。

つまり一服の薬が病の種を蒔く訳である。というのは暫く経つと、再び胃の具合が必ず悪くなるもので、そこでまた薬を服むという具合に、いつしかそれが癖になってしまう。

この点麻薬中毒と同様であって、終いには薬がなくてはおられない事になるが、こうなるともう駄目だ。

立派な胃薬中毒患者である。そこで医者に診て貰うとまず胃弱、消化不良、胃加答児(カタル)、胃酸過多症などと診断され、こういう物を食ってはいけないとか、この薬を服まなければいけない。

こういう養生をしなさいなどと言われるので、その通り実行するが一時はちょっとよいようでも、決して治りはしないばかりか、むしろ悪化の傾向さえたどる事になる。

痛み、嘔気、胸焼、食欲減退など種々の症状が次々発るので、仕方がないから薬を服む、と一時良くなるので、薬で治るものと思い込み、益々薬が離せなくなる。

ところが初め効いた薬が段々効かなくなるもので、それからそれへと種々な薬を変えるが、変えた時だけはちょっと良いので、それに頼っているとまた駄目になってしまうという訳で、言わば胃薬中毒患者になるのである。

そんな事をしている内、とうとう口から血を吐くようになる。

サアー大変と医師に診て貰うと、これは立派な胃潰瘍で、充分養生しないと取り返しのつかない事になりますよ、まず固形物を食べないで、絶対流動食にして安静にする事等々、万事重症患者扱いにされてしまう。

右は、最初からのありふれた経路をかいたのであるが、実はこういう人は今日すくなくないのである。

そこで初めからの事をよく考えてみると、初め胃の具合が悪かった時、放っておけば直に治ってしまったものを、

何しろ医学迷信に陥っている現代人は、薬を服まないと治らない、放っておくと段々悪くなると心配し、一刻も早く医師に罹ったり、売薬などを用いたりする。

そんな訳で全く薬によって重症胃病を作り上げてしまう訳である。

何と恐るべくしてまた愚かな話ではないか。ところがそれはこうである。

大体胃の薬というものは、もちろん消化促進剤であり、消化剤は必ず重曹が土台となっている。

衆知のごとく重曹は物を柔らかくする力があるので、煮物などによく使われるがその理屈で常に消化薬を服むとすると、食物ばかりではない、胃壁をも段々柔らかにしてしまう。

そうなった時たまたま固形物などを食うと、ブヨブヨになった胃壁の粘膜に触れるから疵がつく、その疵から血液が漏れるのである。

吐血の際鮮血色は新しい血で、破れた局所が大きい程多量に流出するのである。

ところが人により珈琲色の液体や、それに黒い粒が見える事もあるが、これは古くなって変色した血で、粒とは血の固まりである。

またよく大便に黒い血の固まりが交る事があるが、これは古い血で疵口から出た血液が胃底に溜り、固まったものが溶けて出たものである。

しかしこの珈琲色の古血を吐く場合、非常に量の多いもので、一度に一升から二升くらい、毎日のように吐く患者さえあるが、こうなっても吾々の方では割合治りいいものとしている。

しかしこの病気は医学の方では仲々治り難いとされているが、全く原因が薬であってみれば、お医者としたら具合が悪いに違いない。

何しろ薬を廃めなければ治らない病気であるからで、従ってこの病気は薬を廃めて気長にすれば、必ずと言いたい程治るもので、その方法は最初血液を少しでも見る内は流動食にし、見えなくなるに従い、漸次普通食にすればいいのである。

次に他の胃に関した病をかいてみよう。


最も多くあるのは胃アトニー(胃酸過多症)という症状で、これは文字通り酸の多い病であるが、酸とはもちろん薬の変化した物であるから、薬を廃めれば順調に治るのである。

次は胃痛で、この酷いのが胃痙攣である。これは激しい痛みで堪えられない程である。

医療はモヒ(モルヒネ)性薬剤を用いるが、これは一時的麻痺によって、苦痛を抑えるだけであるから、日ならずしてまた発る。

という訳で癖になり易いもので、この病の原因ももちろん薬毒であるが、その経路をかいてみよう。

まず、薬を服むと一旦胃に入るや、さきに述べたごとく、薬は処理されないので、胃に停滞する。

人間は仰臥するから薬は胃を透過して下降し背部に固まる。

それが浄化によって溶け胃に還元するが、その時は最早毒素に変化しているから、胃はそれを外部へ排泄しようとする。

その刺戟が激痛であるから、胃痙攣の起った場合、何にもしないで一度我慢して、痛いのを通り越してしまえば下痢となって毒素は出てしまうので根本的に治るが、毒素が出切るまでには何回も発るが、これは致し方ない。

しかしその次発った時は、必ず前より軽く済み、次はまた軽くなりついに全治するのである。


次に胃癌であるが、これには凝似と真症とあるが、実際上凝似の方がズッと多いものである。

そうして真症の胃癌は霊的であり、宗教的になるから、ここでは凝似胃癌のみについて説明するが、

もちろんこれは薬毒が原因で、前述のごとく一旦背部に固結し、胃に還元した際、医療は排泄を止める結果再び固結する。

これは普通の固結よりも悪性である。

なぜなれば毒素に変化したものが、再び固まるからで、これがすなわち癌である。

しかしこれは薬の性質によるので、どの薬もそうであるとは言えない。

これも放任しておいても長くは掛るが必ず治るものである。」




明主様御教え 「主なる病気」 (昭和27年御執筆)

「私は、人体の重要なる三大機能の大体をかいたが、これから主なる病気について解説してみよう。」


腎臓病とその他の病

「腎臓は体内機能中、三大機能に次いでの重要なる役目をしているもので、これは医学でも唱えるごとく、一旦腎臓へ集溜されたる液中から、貴重なるホルモンを抽出すると共に、廃物液体である尿は膀胱へ送られるのである。

ところが厄介な事には、腎臓が完全に活動されるとしたら右の通りであるが、実際上幼児から少年、青年、壮年と年を重ねるに従って、漸次働きが鈍るのが通例でその原因は腎臓が萎縮するからである。

ではなぜ萎縮するかというと、腎臓が前述のごとく、必要なものと不必要なものとが分けられる場合、右の二者以外の異物が混じる場合がある。

この異物こそ言うまでもなく薬毒であって、これがどう処理されるかというと、ホルモンにも尿にもならないので、腎臓の表皮を滲透して、背部腎臓面に浸出し僅かずつ溜るのである。

それが固結し腎臓を圧迫するから、腎臓は漸次萎縮し、ホルモン産出は減少する(不感症はこの原因が多い)と共に尿の処理も鈍化し、その幾分はこれも外部へ浸出するから、薬毒に追加され、両毒合併して毒結はいよいよ増大する以上、脊柱の両側に溜り上向延長しつつ、ついに肩や頸の辺にまで及ぶのである。

肩や首が凝るのはこれであって、面白い事にはこの両毒結を判別する事が出来る。

すなわち患部を押せば薬毒の方は固くて痛み、頑固性であるが、尿毒の方はやや柔軟でほとんど痛みがない。

そうして毒素はついに頭脳内にまで進入するので、その結果浄化が起るそれが頭重、頭痛はもちろん、脳膜炎、日本脳炎、脳脊髄膜炎、脳溢血等、すべての脳疾患である。

この頭脳内の毒素の有無を知るのははなはだ簡単で、頭脳に手を触れてみれば直ぐ判る。

すなわち少しでも温味があれば毒素のある証拠で、温い程毒素が多い訳だが、現代人で無熱の人は恐らく一人もあるまい。

そして前頭部に固結した毒素の、急激強烈な浄化が脳膜炎であり、この病気が児童に多いのは、浄化力が旺盛であるからである。

すなわちこの病気は高熱と共に、前頭部の激痛と目が開けられないのが特異性で、これは眩しいのと眩暈(めまい)とのためである。

しかしこれも放置しておけば、毒結は溶解し涙、鼻汁等になって排泄され、完全に治るのである。

しかも予後病気以前よりも頭脳明晰となり、児童などは学業の成績も優良となるので、これは医師も一般人も意外に思うのである。

ところが医療は、氷冷等で固めるため、一旦無熱となり、治ったようでもその固結が機能の活動を阻害し、痴呆症や、その他種々の障害者的症状を表わすのである。


その他として、彼の日本脳炎であるが、これは統計によるも五歳から十歳くらいまでが、最も多いとされている。

これによっても判るごとく、夏日炎天下に帽子も被らないで遊ぶ場合、脳は強烈な日光の直射を受けるから、その刺戟によって背部、肩等にある毒素が頭脳に向かって集中を開始する。

その際一旦延髄付近に集溜するので、その部に手を触るれば棒状の固結を見るが、それが高熱によって溶解、後頭内に侵入するや、非常に睡くなるのである。

ところが医療は氷冷で固めるから、予後脳膜炎と等しく、種々な不具的症状を残すのである。

しかしこの病気も放置しておけば、後脳内に入った毒素は、頭脳を通過して目及び鼻口から、血膿となってさかんに排泄され、出るだけ出ればそれで完全に治ってしまうのである。

まず全治まで一週間とみればいい。しかも予後脳膜炎と同様、児童などは非常に学校の成績が良くなるのみならず、初めから生命の危険などは絶対にないにかかわらず、死ぬというのは全く氷冷等の、誤れる逆療法を行うからである。

そうして日本脳炎は夏期羅病するに対し、冬期に起るのが脳脊髄膜炎である。

これは日本脳炎と同様、延髄付近に毒素が棒状に固結するが、これは夏と異い日光に晒されていないから、中途で止まるという訳である。

この病気の特異性は右のごとき棒状のため、首は前後に動かず、ちょうど丸太棒のような形で良く判るのであるが、この経過も日本脳炎と同様であるから略す事とする。


次に脳疾患の外の種々の症状を詳しく書いてみよう。

前述のごとく萎縮腎のため、頭部に向かって進行する毒素は、延髄付近にも固結するので、眼球に送血する血管が圧迫され、眼は貧血を発す事になる。

つまり眼の栄養不足で、そのため視力が弱り、遠方まで見得る力が足りない。これが近視眼の原因である。

何よりも右の固結を溶解するに従って、近視眼は全治するに見て明らかである。

乱視も同様の原因であるが、ただ乱視の方は、浄化のため人により固結状態が絶えず動揺し、血管を不規則に圧迫するため、視力も動揺するからである。

また底翳(そこひ)は眼底に毒素が溜結し、視神経を遮断するから見えないのである。

白内障、緑内障は、眼球そのものに毒素が固結するので、これも放置しておけば自然に溶解し全治するが、医療は点眼薬や眼球注射等を行うから、この薬毒のため毒素は固まってしまい、治るべき眼病も治らない結果になるのである。

そうしてすべての眼病は、頭脳に集溜した毒素が、出口を求めて眼球から排泄されようとし、一旦眼球に集中し、再び溶けて膿、目脂(めやに)、涙等となって出るのであるから、放任しておけば長くは掛るが、必ず治るものである。

またトラホームは頭脳の毒素が眼瞼(まぶた)の裏の粘膜から排泄されようとし、発疹となって排膿されるので、これも自然に簡単に治るものである。


次に鼻に関する病であるが、鼻茸(はなたけ)、肥厚性鼻炎、鼻加答児(カタル)等は、いずれも頭脳の毒素が一旦鼻の両側、鼻の奥、鼻口等に集溜し、排泄されるのであるから、

これも自然に治癒すべきを、医学は種々の逆方を施す結果、治らない事になるのである。

また中耳炎は耳下腺及び淋巴腺の毒結が高熱により溶解穿骨(せんこつ)し、一旦中耳に入り、鼓膜を破って排泄されるそれらの痛みであるから、これらも二、三日そのままにしておけば、順調に治癒されるのである。


次に扁桃腺炎であるが、これも淋巴腺付近の毒素が、日を重ねるに従い、扁桃腺に固結し高熱によって溶解、粘膜を破って排泄されるという極く簡単な浄化作用で結構なるものであるが、

医学はルゴール等の塗布薬を用い、浄化を妨害するので拗(こじ)れると共に、ついに膨大し手術の止むなきに至るのである。

ゆえに読者諸君は試みに、今度扁桃腺の発った場合、何もせずに放っておいてみられたい。

すると短時日で順調によく治ってしまうばかりか、起る毎に段々軽くなり、ついに全治するのである。

これは私が慢性扁桃腺炎を治した経験と、多数の人に教えた結果、例外なく根治したに見ても確実である。


ここで面白い事がある。それは多い病気とは言えないが、割合厄介なものに歯槽膿漏があるが、

これも淋巴腺付近の毒素が、歯茎(はぐき)を目掛けて集溜し、血膿となって排泄されようとする一種の浄化であるから、私はこんな汚いものはないというのである。

それは元々尿の古くなったものが、口中から出る訳だからである。

これを治すのは訳はない、歯茎を固いブラシで摩擦すれば、血膿が出るだけ出てそれで治ってしまうものである。


右によっても分るごとく、最初に述べた感冒の原因である肩から上に固結する毒素は、すべて腎臓が元である事は明らかである。

としたら寒冒も結核も肺炎もほとんどの病気は腎臓萎縮が原因である事が判ったであろう。

ところがそればかりではない。肋膜炎も、腹膜炎も関節リュウマチも神経痛も婦人病ももちろんそうであり、カリエスも、肝臓病も、黄疸も、糖尿病も、胆嚢、腎臓、膀胱内の結石も、喘息も、中風も、小児麻痺も、精神病もそうである。

としたら実に腎臓萎縮を起さないようにする事こそ、健康の第一条件である。

以上の病気は順次説く事にするからそれを読めばなおよく判るであろう。

この理によって、腎臓を完全に働かせる事が肝腎で、それには腎臓萎縮の原因である固結を、溶解除去すると共に、作らないようにする事である。

ところが現在のいかなる療法によっても不可能であるが、独り本教浄霊によれば可能であるから、この一事によっても病なき世界は期待して誤りないのである。」




明主様御教え 「肋膜炎と腹膜炎」 (昭和27年御執筆)

「肋膜炎は、医学でも言われるごとく、肺を包んでいる膜と膜との間に水が溜るので、これが湿性肋膜炎と言い、膿が溜るのを化膿性肋膜炎と言い、何も溜らないのに腹と幕との間に間隙を生じ、触れ合って痛むのを乾性肋膜炎と言うのである。

湿性の原因は、もちろん胸を強打したり、器械体操のごとき手を挙げて、力を入れる等が原因となって発(おこ)るのであるが、何の原因もなく偶然発る事もある。

この病気である膜と膜との間隙に溜る水とはもちろん尿であって、医療は穿孔して水を除るが、この方法は割合奏効する事もある。

しかしこれも癖になり、慢性となり易いが、そうなると水が膿化し化膿性肋膜炎に転化する。

また初めから膿の溜るものもあるが、何れにせよ慢性になり易く、大抵は穿孔してその穴から毎日排膿させるのである。

しかしこうなると仲々治り難く、重傷となりほとんど死は免れないが、この化膿性は薬毒多有者が多い事はもちろんである。

湿性は最初高熱と胸の痛みで、深い呼吸をする程余計痛むが、反って水が多く溜ると無痛となるもので、これは膜の触れ合いがなくなるからである。

また尿の出も悪くなるのはもちろんで、この病気の特異性は、眠い事と盗汗(ねあせ)であるが、

この盗汗は非常によいので、これは溜った水が皮膚を透して出るのであるから、放任しておけば出るだけ出て治るものである。

これを知らない医療は盗汗を悪いとして停めようとするから治らなくなるので、いかに誤っているかが判るであろう。

また化膿性は膿が肺に浸潤して痰となって出るのであるから、これも自然にしておけばいいのである。

乾性肋膜炎は滅多にない病気で医診は肋間神経痛とよく間違えるようであるが、これも簡単に治るものである。

よく肋膜炎から肺結核になる人も多いが、これは肋膜の水や膿が肺へ浸潤し、安静その他の誤った手当のため、肺の中で固まってしまうそのためであるから、最初から何ら手当もせず放任しておけば結核にはならないのである。


次に腹膜炎(別名腹水病)は、肋膜と同様腹膜と今一つの膜との間に水が溜って、すこぶる膨大になるものである。

ところが医療は穿孔排水方法を採るが、これが非常に悪く排水すると一旦はよくなるが、必ず再び水が溜る。

するとまた除る、また溜るというように癖になるが、困った事には溜る期間が段々短縮され、量もその度毎に増えて行くので、何回にも及ぶと益々膨大、臨月の腹よりも大きくなるもので、こうなるとまず助かる見込みはないのである。

この原因は萎縮腎であるから、萎縮腎を治さない限り全治しないのはもちろんである。


また化膿性腹膜は、薬毒が膿となって臍を中心に、その周囲に溜結するのであるから、腹水のごとき膨満はなく、反って普通より腹部は低いくらいである。

これは押すと固いところが所々にあって、圧痛があるからよく分る。

しかし慢性は軽微の痛みと下痢であって、非常に長くかかり、治るのに数年掛る者もある。

ところが医療は薬で治そうとして服薬をさせるから、実は毒素を追加する事になるので、治るものでも治らない事になってしまう。

そうして恐ろしいのは彼の急性腹膜炎である。

この病気は急激に高熱と共に激痛が伴い、ほとんど我慢が出来ない程で、患者は海老(えび)のごとく身を縮めて唸るばかりである。

医療は切開手術を行うが、これは成績がはなはだ悪く、近頃は余り行わないようである。

これも本療法によれば一週間ないし二週間以内で完全に治癒するのである。

これは旺盛な浄化であるから青年期に多いのはもちろんである。

そうしてこの化膿性腹膜という病気は、人により重い軽いはあるが、全然ない人はまずないといってよかろう。

ここで注意すべきは、よく禅や腹式呼吸、その他の意味で腹に力を入れる人は、そこに毒素が溜結し、腹膜炎が発り易いから注意すべきである。」




明主様御教え 「喘 息」 (昭和27年御執筆)

「喘息に関しては、医学では全然判っていないのである。

というのは医学における喘息の説明は、ほとんど問題になっていないからである。

ヤレ、アレルギー疾患だとか、迷走神経の緊張だとか、神経過敏性とか、そうかと思えば食物とか、土地とか、中には部屋の構造、壁の色まで関係があるというのだから、むしろ滑稽でさえある。従ってなるべく詳しく説明してみよう。

医学でもいうごとく、喘息は大体二種ある。

気管支性と心臓性(近来こちらはアレルギー性ともいう)とである。

まず心臓性からかいてみるが、これは最初横隔膜の外部に、薬毒が固結するのである。

それに浄化が起るや微熱によって溶解、液体状となり、肺へ浸潤して喀痰となって出ようとするが、

この場合横隔膜部は肺臓から距離があるので、液体の方から浸潤する事が出来ないためと、肋間に毒結がある場合浄化によって液体となったが、

人により肺膜の厚い場合容易に浸潤し難いので、肺の方から最大限に拡がり吸引しようとする。

そのように大体右の二つの原因であるという訳は、肺はそのような猛烈な運動のため、肝腎な空気を吸う力が減殺されて、窒息状態となるのである。

何よりもその際肺に侵入した毒液が、咳と共に痰になって出ると、発作は一時楽になるという事や、また肺炎に罹ると一時快くなると言われるが、これは高熱のため固結が溶解され、痰になって出るからである。

右の理が間違っていない事は、何よりもまず心臓性喘息患者の、横隔膜部を指で探れば、必ず固結を見る事である。


次に、気管支性喘息であるが、これは肋骨付近に固結している毒結が、浄化によって少しずつ溶けるので、

それをヤハリ肺の方から吸引しようとして肺臓は猛烈なポンプ作用を起す、それが咳であるから、これによって痰が排泄され、一時快くなるのである。

しかし痰の量が多く出れば出る程、短期間に治るのであるが、

それを知らない医学は、極力固め療法を行うので、少しづつしか痰が出ないばかりか、薬毒も追加されるのと相まって、治り難くなり、慢性となるのであるから、

丸で笊(ざる)へ水を汲んでいるようなもので、人により何十年も苦しんで治らない者はそういう訳である。

これを考えたなら患者も医師も、実に気の毒の一語に尽きるが、何とか分らしたいと常に思っているのである。」




明主様御教え 「肝臓、胆嚢、膀胱の結石」 (昭和27年御執筆)

「医診でよく言われる肝臓病というのは、実は誤りで、肝臓そのものには異常がないので、ただ肝臓の外部に薬毒が固結しておるのを間違えたものである。

しかしもちろんその毒結が肝臓を圧迫しているので、苦痛であるのみか、これが黄疸の原因ともなるから、始末が悪いのである。

もちろん右のごとく毒結によって、肝臓を圧迫する以上、肝臓の裏にある胆嚢も圧迫されるから、胆嚢の中にある胆汁が滲出し全身に廻る。

それが黄疸である。ところが黄疸は皮膚の変色ばかりの病ではなく、胃の活動をも阻害させる。

というのは胆汁は胃の消化を助けるため、絶えず輸胆管を通じて、胃に送流しているにかかわらず、右によって胆汁の供給が減るからである。

ゆえにこの病気を本当に治すには、原因である肝臓外部の毒結を溶解し、排除させるより外に方法はないが、医療ではそれが不可能であるから、一時的緩和法によって、小康を得るより手段はないのである。

ここで、結石についてかいてみるが、最も多いのは胆嚢結石であって、これは胆嚢の中へ石が出来るので、その石が胆汁と共に胃に向かって流入せんとする際、輸胆管通過が困難なのでそれが堪えられない激痛となるのである。

従って医師も特に治療困難な病気としている。

近来細い針金様の機械を作り、咽喉から胃を通して、捕捉し出すという事を聞いているが余り効果はないようである。

ところが石の小さい場合、通過下降し、腎臓にまで流入するので、腎臓内の尿素が付着し、段々大きくなってゆき、ここに腎臓結石となるのである。

そうして困る事には、結石は腎臓活動のため、腎臓壁に触れて疵が出来る。

そこへ尿が沁みるから痛みと共に出血するので、これを医診は腎臓結核というのである。

しかも結石は漸次育ってゆき、余り大きくなると致命的となり、医療は手術によって片一方の病腎を剔出(てきしゅつ)するのであるが、

その時分は非常に固い石となっており、これを細工して指環やカフスボタン等に作られたものを見た事があるが、すこぶる光沢があって宝石に見紛うばかりである。

また小さい内膀胱に流入し、腎臓におけると同様育ってゆく、これが膀胱結石である。

ところが最も困る事には、その石が膀胱の入口へ痞(つか)える事がある。

それをうまく通過しても今度は尿道口に痞える。

両方とも尿の排泄を止めるから、尿は漸次下腹部に溜り腫れるので、医師はブージーを挿入するが、これも尿道口だけの閉塞なら奏効するが、膀胱口の方は仲々困難なので、ついに生命に関わる事となるのである。


ここで、最初の胆嚢結石の原因を書いてみるが、これはさきに述べたごとく、腎臓から滲出する薬毒が、漸次上部に移行する際、胆嚢の裏面から胆嚢内へ滲透するので、その毒素と胆汁と化合して石となるのである。

従って、これを治すには根本である背面腎臓部の毒結を溶解し、腎臓を活発にさせ、余剰尿を作らないようにする事で、それより外に方法はないのである。

従って本浄霊法によれば、割合簡単に石は分解され、砂のごとくなって、尿と共に排泄されるので、短期間に全治するのである。」




明主様御教え 「神経痛とリョウマチス」 (昭和27年御執筆)

「単に神経痛といっても色々あるが、それはもちろん場所によるのである。

しかし普通は手や足や肋間等でリョウマチスを併発する場合も多く、

要するにこの病気は、外部的神経が痛むだけで、内臓は何ともないのである。

ただ特殊のものとしては骨髄炎の痛みで、これは薬毒が骨に固着したそれの浄化である。

また肋間神経痛というものもこの名称は少々的外れである。

というのは医学でいう肋間神経痛は、本当は肋骨神経痛である。

なぜなれば原因は肋骨に薬毒が固着し、それが浄化によって溶け始め、痰となって肺に侵入しようとする場合、神経を刺戟し痛むのである。

この病気は激しく発(おこ)る場合、非常に痛み、呼吸すら困難になる事がある。

しかしこれはまた非常に治りいいのである。

また神経痛の中には、淋病が原因で発る事もある。

これは大抵腕の関節に多いが、割合順調に治るものである。

そうして一般の神経痛は注射等の薬毒が原因で、痛みを我慢して自然にしておけば必ず治るものであるが、

そうすれば毒素は漸次一ヶ所に集溜し、紅く腫れて自然に穴が開き、そこから排膿して治るものである。

ここで医学でも気がつかないものに、パピナール注射の中毒がある。

全身的に皮膚が痛む症状で、これも自然にして置けば簡単に治るものであるが、

医学は反って種々の注射などするから反って治り難くなるのである。


次はリョウマチスであるが、これは人も知るごとく、手、足、指等の関節が紅く腫れ上り、非常に痛むもので、

原因はもちろん薬毒が関節へ集溜し、腫物となって排泄されようとする。

その痛みで患者は堪え難く悲鳴を挙げるくらいである。

ところが医療は患部を絶対動かぬよう固める手段を採るので、固まってしまえば痛みはなくなるが、

その代わり関節は動かなく、棒のようになってしまい一種の障害者となり、一生涯跛行となるのであるから、恐ろしい病気の一種である。

この点などにみても、医学は病気を治すのではなく、苦痛だけを治して障害者にする訳である。

ところが我浄霊法によれば、いとも簡単に短時日で全治させ得るのであるが、困る事には氷冷、塗布薬、注射等をした者はそれだけ長くかかるので、

ツマリ散々金を費った揚句 障害者とされるのだから、厄介な世の中である。

従って最初から何ら手当もせず浄霊法のみ施せば、一週間以内に完全に治るのである。」




明主様御教え 「上半身の病気と中風」 (昭和27年御執筆)

「上半身の病気については大体かいたが、いまだ書き残したものがあるから、これからかいてみるが、

まず今日最も恐れられている病気としては中風であろうから、それを最初に説く事とする。

今日、若い者は結核、老人は中風というように、相場が決まっているが、全くその通りで、誰しも老年になるに従って、最も関心を持つものは中風であろう。

中風はもちろん脳溢血からであるが、この病も医学では全然判っていないばかりか、判ってもどうする事も出来ないのであるから厄介である。

まず脳溢血からかいてみるが、脳溢血の原因は、頸の固結であって、特に左右いずれかの延髄部に長年月を経て毒血が固まるのである。

従って脳溢血の素質を知るのは雑作もない。右の部を指で探れば固結の有無が判る。

それは右か左かどちらかが、必ず大きく隆起しており、押すと軽い痛みがある。

ところがそこに一度浄化作用が発るや、固結は溶解され、血管を破って頭脳内に溢血するのである。

溢血するやたちまち脳を通過して、反対側の方へ流下し、手及び足の先にまで下降し、速やかに固まってしまい、半身不随すなわち手も足もブラブラになってしまうのである。

重いのは腕も手も引っ張られるようになり、内側へ肱は曲り、指まで曲ったままで容易に動かなくなる。

そうして拇指が一番強く曲り、四本の指で拇指を押える形になる。ところが面白い事には、足の方は反対に曲らないで、伸びたまま足首などダラリとなってしまう。

それだけならいいが、重傷になると舌が吊って、呂律(ろれつ)が廻らなくなり、頭もボンヤリして痴呆症同様となり、目までドロンとして、悪い方の側の眼力は弱化し、見えなくなる者さえあるというのが主なる症状で、全く生ける屍となるのである。

ところで、医学の最も誤っている点は発病するや何よりも急いで頭脳を氷冷するが、これが最も悪いのである。

医学ではこれによって、溢血の原因である血管を、速く収縮させようとするのであるが、これが大変な間違いで、本来溢血は毒血が出るだけ出ればたちまち止血するもので、そうなるには数分間くらいである。

従って止血させる必要などないばかりか、反って氷冷のため、溢血後まだ残留している頭脳内の毒血を、より固めてしまう事になるから、頭脳内機能の活動は停止される以上、より痴呆症的になるのである。

それを知らない医療は、氷冷を何日も続けるのであるから、その結果はどうなるかというと、頭脳を冷やし過ぎるため、凍結状態となってしまうのである。

考えてみるがいい。人体中最も重要な機能を氷結させるとしたら生きている事は到底出来ないに決まっている。

このため生命を失う者の数は実に多いのである。全く角(つの)を矯(た)めて牛を殺すの類(たぐ)いで、これこそ病気のための死ではなく、病気を治すための死であるので、何と恐るべき迷蒙ではなかろうか。

これは私の長い間の多数の経験によっても明らかな事実であって、脳溢血だけで死ぬ者は滅多にないのである。


ここで脳溢血に付随する種々な点を書いてみるが、医学ではよく転ぶと脳溢血が起り易いとされているが、これは逆であって、脳溢血が発るから転ぶのである。

つまり転ぶのが先ではなく、脳溢血が先なのである。

よく転んだり、梯子段から落ちたりするのは溢血のための眩暈(めまい)である。

そうして最初の脳溢血が幸いにも、一時小康を得て歩けるようになっても、医師は転ぶのを非常に警戒するのは、右の理を知らないからである。

また医学においては頭重や一部の麻痺、眼底出血、耳鳴等があると溢血の前兆として予防法を行うが、右の症状は医学のいう通りであるが、その予防法は滑稽である。

それは身体を弱らせようとし、減食、運動制限等を行わせるが、これは弱らして浄化を発させないようにする手段である。

また再発を予防する手段も同様であるが、これらも発病を少し延ばすだけで、いずれは必ず発病するし再発も免れないのである。

また近来瀉血(しゃけつ)療法といって、発病直後にそれを行うのを可としているが、これも見当違いで、

最早溢血の毒血はそれぞれの局所に固まっているのであるから、瀉血は何ら関係ないところから出血させるので、

そのため貧血して、大抵は数分後死ぬので、この例は近頃よく聞くのである。


今一つ注意したい事は、高血圧が脳溢血の原因とよく言われるが、これもはなはだしい錯誤で間接には多少の関係はあるが、直接には全然ないのである。

その訳を実地についてかいてみるが、以前私が扱った患者に、六十才くらいで、当時講談社の筆耕書を三十年も続けていたという人があった。

この人の言うのは、自分は六年前血圧を計ったところ、何と三百あったので、医者も自分も驚いたが、血圧計の極点が三百であるから、実はもっとあるのかも知れないと思ったくらいである。

そのため医師から充分に安静せよと言われたが、自分は勤めをやめると飯が食えないし、自覚症状もないから、毎日この通り休まず勤めているが、別に変った事はない、

というので私も驚いたが、よく見ると左右特に右側が酷く、顎の下に鶏卵大に盛上っているゴリゴリがあったので、ハハアーこれだなと思った。

というのはこの筋は腕へ繋がっているので、血圧計に表われた訳であるが、本当の脳溢血の原因である固結は、最初にかいたごとく、延髄部の毒血であるから右は見当違いである。

ところが中風といっても、こういう別な症状もあるから知っておくべきである。

それは左右いずれかの頸部淋巴腺に固結がある場合、これが浄化によって溶解するや、頭脳の方とは反対にその側の下方へ流下し、中風と同様の症状となるのであるが、

これは脳には関係のない事と、割合軽症なため、医師も首を捻るが、これも医療では治らないと共に、逆療法を行う結果、反って悪化し、まず廃人か死かは免れない事になる。この症状を吾々の方では逆中風と言っている。」