病気の体的分析について 4


明主様御教え 「結核の病原」 (昭和28年御執筆)

「今最も日本で難問題とされている結核について、徹底的に説明してみるが、結核は大体感冒から始まるとしているがこれは誤りで、実はこういう理由によるのである。

既記のごとく感冒に罹るや、液体毒素すなわち痰が一旦肺臓内に停滞する場合、医療はこれをあらゆる手段をもって排泄させないようにする。

そのため解熱し咳というポンプ作用も停止されるので、痰はそのまま肺臓内に残り固り、治ったように見えるのである。

そこで安心しているとまた風邪を引く。何しろせっかく出ようとした痰を固めた以上、再び浄化作用が起るからである。

その時医師に診て貰うと、風邪の症状の外に肺内に痰の固まりがあり、ラッセルも聴え、レントゲン写真にも溶けかかった痰が雲翳(うんえい)状に映るので、ここに結核初期と診断するのである。

これによってみても分るごとく、初めから肺に病はなかったのを、医療があらゆる手段をもって作った訳である。

それを一層詳しくかいてみるが、元来体内各局所に固結した毒素が浄化作用発生するや、一ケ所ないし数ケ所から溶けはじめた痰は、間髪を入れず肺を目掛けて浸入するのである。

そうして毒素固結個所としては、頭脳を中心に首の周り、肩、肋骨付近、背部、腹部、股等の順になっており、これによってみても結核の根本は体内全部といってもいいのである。

この発見こそ全く世界的のものといってもよかろう。


以上によって肺臓なるものは、言わば痰排泄のための取次所の役目をしているのである。

ところがこれを知らない世人は、よく胸の病などというが、これはナンセンスで全然的(まと)外れであり、全く医学が胸部疾患に作り上げたものであるのは明らかである。

そうして何といっても医学は、結核問題の焦点は結核菌とされている。

これについては医学の盲点を充分開明しなければならないが、右のごとく肺内の痰の固りが古くなって、腐敗するから菌は湧いたのである。

腐敗すれば微生虫が湧くのは物質の原則であり、しかも体温という好条件が拍車をかけるにおいてをやである。

その結果菌は益々殖え、肺胞を蚕食(さんしょく)するに至り、空洞が出来るので、それが写真に映るや医診は悪性と断ずるため、それをいわれた患者は精神的大打撃を受け、失望落胆急に悪化するのは誰も知る通りである。

以上のごとく、最初の風邪から真症結核になるまでの経過をよく検討してみると、全く誤れる医療によって作られた事は、余りに明白である。


また肺浸潤は肺の外部にあった薬毒の固りが溶けて、肺に浸入し痰になって出ようとする病気で、これも自然にしておけば出るだけ出て完全に治るものを、医療は固めて出さないようにするから、結核にまで進展するのである。

また肺門淋巴腺と肺尖加答児(カタル)は、首肩の凝りが溶けて肺の上部から浸入する、それをいったもので、これも自然なら簡単に治るのである。

また肺壊疽(えそ)は肺の内部から外部へかけての腫物であり、粟粒(ぞくりゅう)結核は肺胞に出来た湿疹であるから、放っておけば血膿が出るだけ出て必ず治るのである。

その他喀血及び血痰は濁血が出るので、結構な浄化作用であるから、医学でも喀血性は治りがいいとされている。

こうみてくると結核は治るに決ったものであって、治らないのは医療が治さないようにするのである。

この事が分ったなら結核医学は百八十度の転換とならざるを得ないであろう。

今日結核が益々増え、その対策に腐心し、莫大なる国費を支出しつつあるその無益なる努力は、到底黙視し得ないのである。


ここで菌について徹底的に説いてみるが、医学においては菌の感染を恐れ、菌さえ殺せばいいとして、全世界の学者は殺菌の研究のみに耽(ふけ)っているが、この考え方こそ抹梢的浅薄(せんぱく)極まるものである。

というのは菌の感染は結果の問題であって、根本は菌そのものの発生原の探究である。

何となれば菌といえども突如として空中に湧いたものでもなく、どこからか飛んで来たものでもない。

湧くべき理由と湧くべき根拠地があって湧くのである。

従ってたとえ菌だけ全滅させる事が出来ても、その根拠地すなわち原地がそのままであるとしたら、無意味であるのは分り切った話である。

では菌の発生原地とは一体どこにあるかという事が問題の根本であり、それが分ると共に、原地の潰滅(かいめつ)も可能であるとしたら、ここに結核問題は解決するのである。

それらを以下詳しくかいてみよう。


これを説くに当っては、まず人間の霊に発生する曇りを知る事である。

本来霊の本質は無色透明にして、最も稀薄な一種のエーテルである。

このエーテルはその密度の高い事は、今日の顕微鏡の何百倍でも見る事を得ない程の超微粒子であって、それへ発生する曇りというのは不純水素の集合体であって、すなわち純粋水素中に異物が混合しているのである。

では右のごとき不純水素がなぜ発生するかというと、これこそ濁血の霊化したものである。

既記のごとく人間は霊主体従であると共に、霊体一致でもあるからである。

この曇りが日を経るに従い、ある程度濃度化するや、それへ一種のバクテリヤが発生する。

このバクテリヤの本質は植物性無機物であって、これがまた日を経て有機化するので、これがすなわち黴菌の幼虫であり、育って一人前になったものが顕微鏡で見得る菌である。

従ってウイルスとは幼虫から菌になるまでの中間粒子であるから、顕微鏡では見得なくとも、確かに在る事は医学でも認めている通りである。

こう分ってくると右の霊の曇りこそ、実に黴菌発生の原地である事は余りにも明らかな事実である。


以上によって、たとえ、医学によって予期のごとく菌を殺し得たとしても、肝腎な発生原地がそのままであるとしたら、後から後から無限に発生する以上、笊(ざる)に水汲むようなものである。

それは今日まで殺菌薬や殺菌法が現われても一時的で、いつか消えてしまうのもそれをよく物語っている。

では根本である菌の原地を潰滅するにはどうすればいいかというその方法を次項にかいてみよう。」




明主様御教え 「胃病と心臓病」 (昭和28年御執筆)

「前項において結核は詳しくかいたから、今度は胃病と心臓病についてかいてみよう。

それはおよそ人体中最重要機関としてはこの三つであるからで、この三つの基本的活動によって、人間のあらゆる機能は活発に運動し、健康は持続されるのである。

昔から人間を小宇宙といわれたが、全くその通りであって、すなわち心臓は太陽、肺臓は月、胃の腑(ふ)は土という訳で、言わば火水土の三位一体である。

従ってこの三機能の関係を基礎として、病理を立てたものでなければ、真の医学とは言えないのである。

そうして三機能の中でも特に重要なのは、火と水との関係であって、言うまでもなく火は経(たて)に燃え、水は緯(よこ)に流れると共に、火は水によって燃え、水は火によって流動するのである。

ちょうど夫婦関係のようなものであって、もし水がなければ、地球は一瞬にして爆破し、火がなければ一瞬にして氷結するのである。

ゆえに人体といえども火の心臓によって水の肺臓は活動し、水の肺臓によって火の心臓は活動しているのである。

また人間の想念にしても、愛は心臓が原(もと)であり、理性は肺が原であるから、事実にみてもよく分る。

愛情の炎とか「ハートマーク」(註 原文では記号表示)の熱などといわれるし、それと反対に冷静の眼、理智的判断など肺の働きをよく示している。

つまりこの両機能は陽と陰、持ちつ持たれつの関係にあり、両者それぞれの本能を発揮出来れば、人間は霊肉共に健全であるのである。


そうして次の胃であるが、これは飲食物を処理し、肉体を養う機関であるから、火と水の活動が旺(さか)んであれば、それだけ胃の活動も活発になる訳で、

大地と同様太陽の光と月の水とが充分であれば、土は活発となり、植物はよく生育するのである。

従って人体はこの三位一体的活動を促進する事こそ、健康の根本的要諦である。

この意味において右の三機能の内の一つの良否でも全体に影響する以上、医学のように肺が悪ければ肺を、心臓が、胃が悪ければ、それのみを治そうとするのは、いかに間違っているかが分るであろう。


ではこれから胃と心臓について解説してみよう。

今まで説いたごとく、いかなる病気もその原因はことごとく薬毒である事はもちろんだが、その中でもこの胃病くらい薬毒が直接原因するものは外にないのである。

何しろ薬を飲むや一番先へ胃に入るからである。ゆえに全部の胃病は薬で作ったものであるのは争えない事実である。

まずこの病気の始まりは人も知る通り食中(あた)り、食過ぎ、運動不足等のため、胸焼、もたれ、胃痛、消化不良、重圧感等の苦しみが起った場合、

放っておけば自然に治るべきものを、薬迷信のため必ず何らかの胃薬を飲むので、一時はスーッとするが、暫(しばら)くして再び同様の苦しみが起る。

それは最初の浄化を薬で抑えたからで、毒はそのまま残ると共に、その時飲んだ薬毒も加わるので、起る毎に少しずつ悪くなり、期間も縮まってくる。

というように繰返す内ついに慢性となってしまい、名の付くような病気になる。

すなわち胃アトニー、慢性胃痛、胃痙攣、胃下垂、胃潰瘍、胃癌等々であるが、これを説明してみると、胃アトニーは胃酸過多症ともいい、酸が多すぎる症状で、

この原因は自然は消化を援けるため、不断に胆嚢から胆汁を胃に送っているが、薬毒という異物が消化を妨げるので、胆汁は多量に要するからである。

また慢性胃痛は一旦吸収された薬が毒化して還元し、胃壁を刺戟するからであり、胃痙攣は胃薬が胃底に溜り、ある程度を越すと急激に浄化作用が発(おこ)るからで、

これも医療は激痛緩和のため麻痺剤等を用いるので、一時は楽になるが癖になり易いものである。


次に胃下垂であるが、これも医療で作る事がよく分る。

すなわち消化のいいものを食い、消化薬を飲めば胃の活動の余地がないから、胃は弱って睡眠状態となり、弛緩するのは当然である。

従ってこの病気を治すのは訳はない。薬を全廃して普通食を普通の食べ方にすれば自然に治るのである。

これについても注意すべきは、よく噛むのをよいとしている事で、これが大変な誤りであって、よく噛む程胃は弱るに決っているから、半噛みくらいが最もよいのである。


次に胃潰瘍であるが、この原因は胃薬永続のためである。

何しろ胃薬には消化剤として必ず重曹が入っており、重曹は食物を柔らかにすると共に、胃壁までも軟らかにブヨブヨにしてしまうので、

そのため粘膜に極微な穴が穿(あ)き、そこから絶えず血液が浸出する場合と、固形物が触れ亀裂を生じ、出血する場合との両方がある。

また出血にも二通りあって、一は少しずつ胃底に溜り、黒色の粒となって、糞便に混って出る場合と、液体となって嘔吐で出る場合とがある。

嘔吐は珈琲(コーヒー)色の液で、その中に点々と血粒を見るが、珈琲色は血液が古くなったものである。

しかも驚く程多量に出て洗面器一杯くらい毎日吐く人もある。しかしこうなっても割合治りいいもので、その際の鮮血は新しい血液であるから、衰弱も相当するが、心配する程の事はない。

ところがこの病気も服薬を廃(や)めて、血の出る間だけ流動食にし、血が減るに従い粥から普通食に移るようにすれば必ず治るのである。

ここで注意すべきは、潰瘍の場合流動食、安静、止血剤等で一時固めるので、この固りが癌に見られ易く、こうなった人は胃の周囲に薬毒が充満しており、

これが濁血、膿、ヌラ等になって、絶えず胃に還元し嘔吐するのである。

もちろん胃の容積も減るから食欲不振となり、衰弱斃(たお)れるのがほとんどである。

また癌の場合肉食多量の人は、肉の毒も加わって経過も不良であり、肉食人種に胃癌の多いのもそのためであるから、これを治すには肉食を廃め、菜食を主にすればいい。

ここで消化不振または嘔吐感について注意したい事がある。

それは彼(か)の幽門狭窄(ゆうもんきょうさく)症であって幽門なる機能は胃で消化された食物が腸へ下降する通路になっており、

この周囲に薬毒の固結が出来ると、圧縮されて狭くなり、通り難いから逆流する事になるので、これも服薬を廃めれば自然に治るのはもちろんである。


次は心臓病であるが、この原因は至極簡単である。

すなわち心臓近接部に毒素溜結し、圧迫のため脈搏不正、心悸昂進(しんきこうしん)と共に、肺も圧迫されるから呼吸逼迫(ひっぱく)する。

これが普通の弁膜症であるが、この重いのが彼の狭心症であって、これは心臓の周囲全体に毒素溜結し、全体的に固るべく収縮するので、心臓は強圧のため、激烈な痛みと非常な呼吸困難を来すので、生命も危うくなるのである。

これらも浄霊によれば割合簡単に治るが、右は普通の狭心症であって、これと似て非なるものに心臓神経衰弱というのがある。

これは突発的で命も危いかと思う程の苦痛が、数分ないし数十分でケロリとしてしまう。

これは心臓病で死んだ霊の憑依であるから、これは霊的病の項目に譲る事とする。」




明主様御教え 「脳疾患・主なる病気 (一)」 (昭和28年御執筆)

「これから主なる病気についてかいてみるが、近頃よく云われるのは、若い者は肺病、年取った者は脳溢血と相場が決っているようだが、全くその通りであって、結核の方はかいたから、今度は脳溢血について詳しくかいてみよう。

そもそもこの病気は男女共壮年から老年にかけてのもので、人も知るごとく発病するや頭脳朦朧(もうろう)、呂律(ろれつ)が廻らず、重いのになると目まで冒されるが、この病気は半身不随に決っているのである。

これにも非常に重い軽いがあって、重いのになると手や指の節々まで硬直して自由が利かなくなり、足も歩けず、足首がブランとして着けなくなる。

そうしてまずこの病気の原因であるが、これは右か左の淋巴(リンパ)腺部に相当若い頃から固結(濁血の固まり)が出来、ある程度に達するや、突如として浄化発生し、これが溶けて頭脳に向って溢血する。

溢血するやたちまち反対側の方へ流下し、手足の関節部に固るので、その速さは数秒くらいであるから、アッという間もなく、実に恐ろしい病気である。

その際濁血は脳内にも残り、それが脳内障碍を起すのである。

この病気も発病後何ら手当もせず、自然に放っておけば、緩慢なる自然浄化によって十中八、九は全快するが、それを知らないため、慌てて医療を始め種々の手当を施すので、そのため不治となったり、生命を失う事になるのである。

言うまでもなくあらゆる療法は固め方法であり、暫くの間は小康を得られるが、いずれは必ず再発するのは衆知の通りである。

それに引換え浄霊は溶かす方法であるから、早ければ一、二週間くらい、遅くも二、三ケ月くらいで快くなるが、医療を受けた場合は、二回目は数ケ月、三回目は数年くらいで治るのである。

しかし今までは浄霊を知る人は少ないから、色々な固め療法を施す結果、浄霊でもそれだけ時日がかかるので、つまり固った度合によって治るのに遅い速いがある訳である。

そうしてこの病気は重症になると一回目で死ぬ人も往々あるが、軽症は一旦小康を得ても暫くしてから二回、三回と起る事になるのがほとんどで、そうなったらまず助からないと思っていい。

ところが医学では一回目の発病後少し快くなると、二回目の発病を恐れて極力身体を動かさないようにし、食餌も非常に減らすが、これは弱らすためであって、弱る程浄化が起らないからである。

そのようにしてどうやら命だけ繋いでいる人も世間には随分あるようで、これなども医学の無力を表白している以外の何物でもないのである。


右は普通の脳溢血であるが、稀には逆中風というのがある(これは私が付けた病名である)。

それは脳に向かって溢血しないで、逆に下降するため、脳には異状はないが、片方の手足が不随となる症状である。

しかしこれは割合治りいいものであるが、医師はこの病原は全然分らないとみえて、不得要領の説明でお茶を濁しているようである。

しかしこれなども放っておけば、割合順調に治るものである。


次に脳膜炎であるが、これは子供に多い病気で、症状は高熱と前頭部の激痛と、眩(まぶし)くて目が開けられないのが特徴であって、この事を知っていれば素人でも診断はつくはずである。

もちろん浄霊によれば一週間くらいで全治すると共に、よくいわれる予後白痴、障害者などには絶対ならないばかりか、むしろ病気前より頭がよくなり、児童など学校の成績も丸で異(ちが)ってくる。

この理由は医療は毒素を固めるため脳の活動を阻害するが、浄霊は溶かして出してしまうからである。

また脳溢血に似たものに脳卒中というのがある。これは突発的であって、発病するや数秒または数分で死ぬという最も恐るべき病気で、昔ハヤウチカタルといったのがこれである。

原因は首の周囲の凝りすなわち固結毒素がある程度を越えると血管が強圧され、送血が急に停まり、アッという間にあの世往となるのである。

従ってその固結を溶かしてしまえば安心だが、それが不可能であるため恐ろしがられたのである。

ところが幸いなるかな、この浄霊法が現われた以上、最早簡単に予防出来る事になったのである。


次に近来流行の日本脳炎であるが、これは五歳以上十歳くらいまでの子供に多い病気で、医学では蚊の媒介が原因としているが、これは間違いであって、

本当は夏日炎天下に頭を晒(さら)すため、その刺戟によって首、肩、背部一面にある毒素は、たちまち頭脳目掛けて集注する。

その際延髄部を見れば、棒のごとき固結があるからよく分る。ゆえに浄霊の場合これを溶かすのを専一とするが、後から後から集注して来るので、随分根気よくやらねばならないが、普通数時間ないし十数時間で、大抵は好転し始めるものである。

その際溶けた液体毒素は頭脳を突き抜け、目や鼻から多量の血膿となって出るが、これも出るだけ出れば全治するのであるから、割合簡単で、今までの経験上命に関わる事などほとんどないのである。

これも脳膜炎と同様、予後は頭脳明晰となり、障害者には決してならないから安心して可なりである。

またこれに似た病気に脳脊髄膜炎がある。これも発病するや延髄部に棒状な固りが出来、首の運動が不能となって、作りつけの人形のようになるからよく分る。

つまりこの病気は日本脳炎の手前と思えばいい。これも浄霊によれば簡単に治るが、医療では固める結果反って重症となり、生命の危険にまで及ぶのである。


右の外慢性頭痛、頭重、眩暈(めまい)、朦朧(もうろう)感、圧迫感等の症状もあるが、これにも二種ある。

脳貧血とその反対である頭脳の微熱であって、これは触れば前者は冷たく、後者は熱いから直ぐ分るし、どちらも嘔吐感を伴う事がよくある。

もちろん原因は首の周りの固りが、脳の血管を圧迫するのが脳貧血であり、浄化熱が別の方である。

このように浄化にも固るのと溶けるのとの両方あるから、これは充分知っておく必要がある。

そうして今日多い神経衰弱も右のどちらかであって、これも放っておけば徐々として治るが、薬その他の方法で固めようとするから、

逆効果となって病気は益々昂進し、堪えられぬ苦痛のため、社会的に惜しい人でも自殺をする人が往々あるので、これらの人々は医療の被害者といってもいいのである。」




明主様御教え 「眼、耳、鼻、口・主なる病気 (二)」 (昭和28年御執筆)

「眼病もはなはだ多いものであるが、大抵の眼病は放っておいても治るものを、薬を入れるから治らなくなるのである。

というのは眼の薬程毒素を固めるものはないからで、盲目などもほとんどそうであって、一生涯不治とされるのも薬のためで、全く恐るべきものである。

特に盲目であるが、この原因は最初眼球の裏面に血膿が集溜したのが底翳(そこひ)であり、外側のそれが白内障または角膜炎であるが、これも自然に委せれば僅かずつ眼脂(めやに)や涙が出て治るのである。

また目星(めぼし)は眼に出来た小さな出来物と思えばいいし、流行眼(はやりめ)で目が赤くなるのは浄化による毒素排泄のためである。

また小児などで目が開けられない程腫れ、膿汁が旺(さか)んに出るのは非常に結構で、放っておいて出るだけ出てしまえば治るのである。

ところがその際冷したり、温めたりするのは最も悪く、そのため長引いたり悪くなったりするのである。

ここで特に注意したい事は点眼薬である。これこそ固める力が強く、吾々の経験上発病後直ちに浄霊すれば簡単に治るが、一滴でも点眼薬を入れたらズット治り難くなるのでよく分る。

また硼酸(ほうさん)で目を洗うが、これも悪いので、硼酸の薬毒でその時は少しいいが、度々やっていると中毒となって目がハッキリしなくなり、クシャクシャするようになるのである。

考えてもみるがいい、瞼(まぶた)の裏の粘膜という柔い布と、涙という上等な液で自然に洗われるのであるから理想的である。

それに何ぞや愚な人間は余計な手数をかけて悪くするのであるから、常識で考えても分るはずである。

それから悲しくもないのに涙が出る人があるが、これは点眼薬中毒であるから、顧りみればアノ時の点眼薬だなとすぐ分る。

次にトラホームであるが、これは眼瞼(まぶた)の裏にブツブツが出来るが、これは脳にある毒素排除による湿疹であるから、放っておけば完全に治るものを、

無知なるがため手術するので、これが癖となって度々手術をするので漸次悪化し、失明同様となる者さえあるのである。

以上のごとくことごとくの眼病は、頭脳内の毒素排泄のため、一旦眼球やその付近に集合するのが原因であるから、この理が分れば少しも恐れる事はないのである。

従ってこれが一般に分ったなら、眼病盲目は今より何分の一に減るであろう。


次に近眼であるが、これは延髄部に固結が出来、血管を圧迫するため、眼の栄養不足となり、遠方を視る力が足りないのが原因であるから、固結さえ溶かせば容易に全治する。

また乱視の原因も同様であるが、ただ近眼と異(ちが)うところは毒素の性質上固定的でなく、動揺性であるからである。


次に耳の病であるが、最も多いのが中耳炎であろう。

これは淋巴腺付近に固結せる毒素が浄化で溶け、耳から出ようとするためで、激痛は骨に穴の穿(あ)くためであるから、これも放っておけば穴が開き、排膿して治ると共に、人も自然に塞(ふさ)がるのである。

また鼻の病は鼻茸(はなたけ)、肥厚性鼻炎、鼻カタル等色々あるが、これも頭脳内の毒素が溶解流下して、鼻の付近に溜るのが原因で、これも自然にしておけば必ず治る。

鼻について注意したい事は、コカインの吸入を頻繁にする人がよくあるが、この中毒で死ぬ事があるから、そういう人は断然廃(や)めるべきである。

また口腔内の病気であるが、最も多いのは歯槽膿漏であろうが、これは首肩辺に固結した毒素が、少しずつ溶けて歯茎から出ようとするためで、放っておけば長くは掛るが自然に治るのである。

よく口が荒れたり、粘膜に湿疹が出来たり、舌に腫物が出来たりするのは、いずれも飲み薬が粘膜から滲み、毒化して排泄するためであるから、これも出るだけ出れば必ず治るのである。


次に婦人の乳癌もよくあるが、このほとんどは腫物であって、初めは深部に出来るが、これも放っておけば漸次外部に腫れ出し、大きくなって穴が開き、排膿されて治るのである。


次に肺、心臓、胃以外の主なる内科的疾患としては、肝臓病と胆石病が多いものであるが、

これは初め薬毒が肝臓部に固結し、肝臓が圧迫されるにつれて、その奥にある胆嚢も圧迫されるので、胆汁が溢出して起るのが黄疸である。


また胆石病についてもかいてみるが、この病気は腎臓から浸出した尿毒が上昇し、右側背部から胆嚢に浸入する。すると胆汁と右の毒素が化合して結石が出来る。

これが胆石病であって、その石が輸胆管を通過する際激痛が起るが、この痛みは医学ではどうにもならず、止むなく一時的応急手段より外にないのである。

しかもその石が腎臓へ流下したのが腎臓結石である。

なお困る事には結石に尿素が付着し漸次大きくなり、腎臓壁に触れるので、痛むと共に出血する事もある。

そうしてこの結石が膀胱(ぼうこう)に入ると膀胱結石となる。

ところがこの結石が膀胱の出口または入口につかえると尿が閉止し、下腹部が膨満する病気となり、非常に苦しんだ揚句(あげく)大抵は死ぬのである。

しかし浄霊によれば結石は破砕され、砂のごとくなって排泄し容易に全治するのである。


次は糖尿病であるが、これは膵臓の周囲に薬毒が固結圧迫するため、糖分の処理が不能となる、これが原因であって、これも浄霊で簡単に治るのである。

この病気に対して医師は食物を制限するが、これなども何ら意味はないばかりか、衰弱のため反って病気は悪化するくらいである。

次に腹膜炎であるが、これは腎臓の周囲に出来た固結毒素圧迫のため、尿の処理が不活発となり、その余剰尿が腹膜に溜るのである。

これも急性は膨満(ぼうまん)するが、慢性は極く僅かずつ溜って固結し、急激に浄化が起る場合、高熱、激痛が伴うので、医診は急性腹膜炎として大病とするが、両方共浄霊によれば割合簡単に治るのである。


次に最も多いものに便秘症があるが、この原因のほとんどは下剤中毒である。

というのは下剤を飲む以上便通機能が退化するから繰返す事になり、ついに慢性便秘症になるので、これも自然にしていれば必ず治るのである。

ところが医師は便秘を恐れるが、これは全然誤りで、私の経験によるも放っておいて一ケ月目くらいから出るようになり、何の障(さわ)りもなかった人もあり、半年なかった人もあったが、何の事もなかったにみても、便秘は何でもないのである。

この反対の慢性下痢の人もあるが、これも毒の排泄であるから結構で、出るだけ出れば治ると共に健康は増すのである。

以前約三年私の言う通りに放っておいたところ、全治して非常に健康になった人もあった。


次に腹に虫の湧く病気で、彼の蛔虫、十二指腸虫、真田虫(さなだむし)、蟯虫等があるが、

これらも薬毒が溜って膿化し腐敗し、虫が湧く場合と、伝染による場合とがある。

いずれにしても考えて見て貰いたい事は、人間のからだの中に虫が湧くなどは実に恥辱である。

これでは塵溜か糞溜と何ら択ぶところはないからである。

ゆえに虫など湧かなく清潔な身体であってこそ、万物の霊長といって威張れるのである。」