病気の体的分析について 3 (日本医学の建設より)


「純日本医学の建設 (一)」 (昭和10年3月4日発行)


明主様御教え 「緒 言」

「今日まで千数百年以来、我国において行われ来りたる医学そのものは、実にみな外国医学にして、即ち人も知る西洋及び漢法医学なり。

しかるに両医術共、長年月に渉り、あらゆる研究実験を以てしても、その進歩の遅々たる、到底人類が安心して身を托するに足らず。

病気の不安より解放さるるの日は、なお前途遼遠(りょうえん)の感無くんば非ず。

人あるいはいわん、輓近(ばんきん)医学は非常なる進歩をなせしと。されど学理のみに偏して治療方面は更に進歩の跡無きに非ずや。

溢るるばかりの病者と病院の満員なるに見ても、証して余りありというべきなり。

しこうして人生の幸福はいかなる条件完備するとも、まず健康にして完(まった)かざれば何ら価値無きは論をまたず。

バイブルにいわく、「爾(なんじ)世界を得るとも、生命を失わば奈何(いかん)せんや」と。

宜(むべ)なる哉。この言や実に永劫の真理なり。

しかるに余は観世音菩薩の功力(くりき)と、長年月の研究と相まって、あらゆる病源とその療法を識り得たり。

識るに及んで現在の洋漢いずれの医学も、根本において大いなる誤謬あるを発見して驚愕せり。

この誤謬を革正するに非(あら)ずんば、今後何百年を費すとも真の医学は確立さるる道理なし。

これにおいて余は純日本医学建設の名において、この空前なる大創見を順次発表せんとす。大方の専門家諸彦(しょげん)虚心宜しく余の真意を汲まれ、熟読、実験、参考に供せられ、真の医学を完成せられ、人類の不幸を殲滅(せんめつ)せられん事を冀(こいねが)いてやまざるものなり。

その前提としてこの発見の動機と、観世音菩薩との関係等に渉り、ここに述べ置かんとす。」



明主様御教え 「現代医薬の建直し」 (昭和10年3月4日発行)

「余は本年五拾四歳になるが、四拾歳頃までは実に病弱そのものにして、健康の日数よりも病弱の日数の方多数なりしなり。

例を挙ぐれば、拾五歳以上四拾歳までの二十五ケ年間に、眼病二年、猛烈なる脳貧血半ケ年、肋膜炎二回にて一ケ年余り、

肺結核一ケ年(当時入沢達吉博士より死の宣告を受けたり)扁桃腺炎十数回、類例なき歯痛四本持続的に一ケ年以上、淋疾三回、出血性痔核二ケ年、脚気三ケ月、肺炎一回、

腸窒扶斯(チフス)(当時岡田博士より死の宣告を受けたり)盲腸炎二回、腎臓炎一回、腰部神経痛三月、右足神経痛半ケ年、胃弱一ケ年、大腸加答児(カタル)無数等にして、

いかに病弱なりしかを想像され得べし。これら病患を、その都度医療に依って治療を施せしも、ほとんど医薬に依って治癒したりと思いし事はまことに僅少にして、

その多くは食餌療法、自然療法、灸治、信仰、禁厭(まじない)等にて治療し得たるなり。

随ってついにはこの貴重なる生命を、現代医学に托するは、頗(すこぶ)る不安なるを感ずると共に、大なる欠陥あるを認識し、

この上は独自の研究に依って健康問題を解決せざるべからずと、爾来拾数年、医薬以外のあらゆる療法を試み、自己の身体を供して実験せしなり。

しかるに今より拾余年前信仰生活に入り、八年前、観世音菩薩の神懸(かんがかり)ありて種々の霊示を与えられ、

それに依って健康法の真髄と医薬の欠陥を覚り得て、全く暗黒より白昼に出でしがごとく明々となれり。

爾来身体は絶対的頑健に改造され、更に進んで神霊的療法の霊力を享け、今日までに千数百人に施したるところ、その効果の顕著なる、人類史上全く空前なる成績を挙げつつあり。

これにおいて観世音菩薩の本願たる、救世済民の一方面としてまず医学の根本的革正を期し、この文を草するゆえんなり。」 (「純日本医学の建設(一)」より)



明主様御教え 「臨床診断の欠陥」 (昭和10年3月4日発行)

「今日までの臨床診断法としては、重に聴診器と、打診と脈診と、舌又は眼を検する位なれども、余が実験上、指頭に依って、診断の大いに効果ある事を識れり。

実際において医師諸君が発見し得ざりし病源を発見して治癒せし事、今日までに幾許(いくばく)なるを知らず。

故に余はこの指頭診断を医家に向って、是非とも推奨せんとするものなり。特に脳神経衰弱、脳充血、眩暈(めまい)、眼病、扁桃腺、淋巴(リンパ)腺、耳鼻咽喉、吃音、発音不能、肺の諸疾患、胃病、腎臓病、中風、各癌腫、腹膜炎、喘息、卵巣等の患部原因、いずれも指頭に依って掌を指すがごとく、適確なる診断を得らるべし。

さればこの指頭診断法その他について、諸病に渉り逐次余が実験を発表すべし。」 (「純日本医学の建設(一)」より)



明主様御教え 「肺結核」 (昭和10年3月4日発行)

「まず患者の肩胛部及び頸部を指頭にて順次探るべし。

その際必ず大小のグリグリを発見すべし。その際左右いずれかが多数又は大なるべし。その多大なる方の肺が病に罹りいるなり。

又肩胸の辺りに掌を当つれば、その熱気の度合に依って患部がいずれにあるか及び軽重を識り得べし。

又掌を胸部に宛(あ)てて深呼吸をさすれば、喘音を感ずるも、こは聴診器の診断と同一なり。

又咽喉に喘音のある時、右側の場合に右肺を犯され、左側の場合は左肺を犯され、喘音大ならば、喀痰の量肺内に多く溜積され、喘音小なれば喀痰量小なる訳なり。

次に声帯異常(皺枯声・しわがれごえ)及び、食物飲下時に痛みを感ずるは、多くは末期に際し、濃毒素を含む喀啖が喉道を通過する際、その毒素に依って粘膜を破壊、もしくは腫脹さるる為なり。

次に肺結核特有の食欲不振の原因は、これ又案外の方面にある事を知るべし。

この食欲不振の真因は、未だ医学上においては発見されざるならんも、余は無数の実験によってついにこの原因を識る事を得たり。

即ちこの原因は胃部心窩部より臍の付近までを指頭にて軽く圧し見よ。

さすれば強靭(きょうじん)にして弾力性ある、膿の凝結せるごときものを発見すべし。

そは余の推定によれば喀啖の堆溜凝結せるものにて、余はこれを仮に水膿(すいのう)と名付く。

この水膿の凝結が絶えず胃部を圧迫しつつある故に、胃の運動を妨(さまた)ぐる事はなはだしく、これが消化不良の原因となるなり。

この場合余はその水膿凝結を指頭より放射する霊光に依って溶解消滅さするが、する度合に応じて、食欲は漸次進みゆくなり。

これを以て結核患者の原因と目すべき部位は実は肺臓に非ずして、第一、肩胛部、頸部のグリグリ、第二、胃部の水膿の圧迫にして、医家が患部と目せる肺臓の個所は、その結果の現出部なるを知るべし。

故に余はこの二点に意を注ぎ、この二点を霊光療法を以て溶解消滅さするにおいて、漸次快方に向い、第三期の患者にして全治せしめたる者多数あり。

しかし霊光療法は、遺憾ながら、全世界中余一人のみの業なるべきを以て、この点いかんともなし難く、

故に今後の医療としては、右二ケ所の水膿凝結をいかに排除すべきや、この研究が残されたる問題というべく、

この排除法さえ解決すれば、さしも難治とされいたる肺結核をして、容易に全治され得る事を確言して憚(はばか)らざるなり。 (岡田仁斎)」 (「純日本医学の建設(一)」より)




「日本医学の建設 (二)」 (昭和10年5月21日発行)

明主様御教え 「胃 病」

「一概に胃病と言うても、その種類としては消化不良、胃痛、胃拡張、胃酸過多、胃下垂、胃潰瘍、胃癌等であり、

その原因も種々であるが、大部分の患者について、最初の症状と原因を述べて試よう。

まず初め、胃の外部即ち心窩(しんか)部に、水膿(余が命名)が溜積せられ、その溜積が時日を経るに従い、自然に硬化し、それに胃が圧迫さるるのである。

圧迫された胃は漸次縮小をなし、胃の抱擁力が阻害さるる結果、食物の量が減少するのは当然の事である。

又、それが為、胃の運動も少からず、妨げらるるを以て、少量の飲食にても満腹をしたり、少時間にて空腹になり、あるいは、消化不良を来すのである。

この時の療法としては、その水膿溜結を解消排除すれば、胃は圧迫より脱(のが)れるから、胃の容積も還元し、全治するのであるが、

現在にては、その水膿を除去する方法が、未だ発見されないから、止むを得ず、消極的に、胃の方へ向って、消化薬の力を借り、消化を助くる方法を執(と)るのである。

故にこの初期の際は、胃その物は何ら異状がなく、敵は、胃を圧迫する水膿溜結その物であるのである。


次に、胃痛の原因としては、右水膿溜結は多くの場合、心窩部の上部辺に又は縦の棒状に硬結(こうけつ)する性質を有するのであって、患者が満腹する時、胃の膨張に依って、右硬化物を、自然圧迫する。

それが痛みを感ずるのである。

又、右硬結は、不純物であるからその部に軽微の発熱をなし、これが、胃に感じて胸焼けとなるのである。

この場合、胃薬を服用すれば一時、快癒するから、患者は、知らず識らずこの苦痛を脱れたいが為、胃薬連続の癖(へき)となり、ついに胃薬中毒患者となるのである。


次にこの硬化物が、時日の経過と患者の体質に依って悪性に変じ、化膿状となり、漸次胃の内壁にまで、侵入するに至って始めて胃癌となるのである。

しかして、診断の場合、この水膿溜積物は胃を中心に、付近を指頭にて軽く押しつつ探せば容易に発見し得らるるのである。

軽度のものは一種の護謨(ゴム)性弾力あり、濃度のものは固くしてプリプリを感ずる。

又肉眼にて見る時、患部は特に隆起膨脹なしおり、中には、全面板のごとく硬化せるものもあり、そして心窩部を中心に左右いずれにも見るが、多くは左の横隔膜辺に濃度の溜積を見るのが普通である。

かくのごとき症状の場合、無差別的に消化薬を能く用いるのであるが、実は一時的の効果のみで反って病気を重からしむる結果になるのである。

何となれば水膿圧迫によって疲労せる胃は消化薬服用に依り、食物の消化が容易となるから胃自身が活動する必要がないので胃の活力は、漸次衰退してゆくのである。

ちょうど、楽をしてる人の四肢が弱く、労働する人が頑健である様な道理である。

のみならずこの場合、消化のよき食物を摂取する事は胃の衰退に拍車を掛けるようなもので益々胃は弱化衰退してゆくのである。

近来、医家において消化薬を極力制限する傾向を見るのはまことに喜ばしい事である。

前述のごとく、消化薬達続服用と、消化良き食物摂取の結果、胃は睡眠状態に陥り、ついに弛緩する事となる、これを胃下垂というのである。


次に、今一層恐るべきは、消化薬の連続作用による胃壁の破壊である。

元来、消化薬はその食物を消化良く、柔軟化するばかりでなく知らず識らずの裡(うち)に胃壁も共に柔軟化されてゆくものである。

その軟化された胃壁に偶々(たまたま)固形食物が接触すれば、その個所が破壊される。

それが、胃の激痛となり、又出血もするのである。これが胃潰瘍である。

又こういう事もある。それは、最も緩慢に胃壁が柔軟化され、極小破壊又は胃壁を血液が滲出する事がある。

そういうのは激痛と出血がないから胃潰瘍とは気が付かずに、時日を経てゆく、そういう血液の溜積が古血となって便通に交り、又は嘔吐の中に見る事によって始めて胃潰瘍を知る事が能くあるのである。

故に真の療法としては、積極的に胃の強力化を図らなければならない。

その理から推すとどうしても消化薬は不合理であるから出来得るだけ避けて食物においても可及的普通食を摂らせるのである。

そうすると、胃の抵抗を強め活動を促すから、水膿溜積を反対に、胃自身の力によって積極的に外部へ向って圧迫し、排除する事になる。


往年、食物医者の石塚某氏が流動食同様の物を摂取し居る患者に対し、直に沢庵と塩鮭の茶漬を奨め意外なる、効顕を奏した事を聞いた事が度々あったのはこの理に合っているからである。

随って、胃の初期患者には、積極的胃の強健法を、奨めなければならないのである。

それには第一出来得る限りの運動と場合に依り一回又は一日位の絶食も良し、食餌に日本食が最も適当であって、就中(なかんずく)、菜の類の香の物で茶漬等が非常に効顕ある事は、余が実験上保証したいのである。

もっとも香の物は、酸味の多い古漬が最もよく、まず一日の中一食位の、香の物、鮭、干物等の茶漬を食うのが、初期患者に最も良いのである。

水膿溜積を溶解するに、医療電気を応用するのは相当効果がある様である。 (仁斎)」




「日本医学の建設 (三)」 (昭和10年7月25日発行)


明主様御教え 「脳疾患」

「脳病には、大体数種あるが、まず、脳貧血から説明する。

脳貧血とはその名のごとく、脳の貧血であっていかなる原因かというに、元来、人間の血液は、心臓に依って浄化される事は、今日までの医学上の解釈であるが、

実は、心臓ばかりで浄化するのではない、血液自体が循環運動をする、その運動そのものによっても自然浄化をするのである。

浄化の結果は、循環の速度を増すのであって、それが健康を増す事は、医学で説明の通りである。

しかるに、血液浄化に因ってその不純物が、自然滞溜する場所があるのである。

その場所は主に頸部の周囲及び肩胛部なのである。

頸部一帯特に、延髄に、汚血滞溜する時は、身体より頭脳に送るべき血液通路である血管が圧迫さるるを以て、頭脳が要すべき、血液の量を送る能わず、

従って血液に不足を来すのである。

これが即ち、脳貧血であって、症状としては頭痛及び、頭脳の圧迫感、眩暈(めまい)、耳鳴り、蓄膿症、眼の翳(かす)み等の外、反射作用による胃の不快と嘔吐感、陰欝、世に、神経衰弱と称する症状である。

大体以上のごとくであるが、これは、余が浄血療法に依る時は容易に快癒するのであって、その治療日数も、普通は一週間位、重症にて二三週間もあれば、確実に全癒するのである。

長年の神経衰弱が二面の治療にて、全癒せし事も屡々(しばしば)ある。」



明主様御教え 「脳溢血及び脳充血」 (昭和10年7月25日発行)

「この病気は、近年益々増加の傾向があって、高血圧の人などは、非常に恐怖を抱いて居るが、これは少しも驚くに足りない。

余のところへ来れば、雑作なく治癒して、絶対脳溢血は起らない事を保証出来るのである。

この病気がなぜ多くなったかと言うと、現代日本人は、肉食を多く採り、無暗に薬剤を服用するから、血液は混濁する計りである。

その上、頭脳を過度に使用するから、ちょうど脳溢血を製造して居るようなものである。

前述のごとく、この病気は、血液混濁が原因であって、動脈硬化と同じ訳である。

血液中の混濁は、不断の浄化作用に依り、その残渣(ざんさ)とも言うべき毒血は、主に後頸部、延髄付近に集中溜結するものである。

そして、これは必ず、右か左か一方に限られており、診断の場合、左右いずれかを指圧すれば、はっきり分るのである。

しかるに、この毒血の溜結が益々増量して、ある程度を超ゆる時、毛細管を破って、小脳部へ溢出するのである。

これを称して脳溢血というのである。そしてこの溢血が多量による悪性を脳充血というのである。

この病気の特長として、一時、人事不省に陥り、軽症は一昼夜位、重症に到っては二週間位を、そのまま持続するのである。

幸いに覚醒するや必ず、左右いずれかの腕、及び脚部麻痺してブラブラとなり、一時は、全然、知覚を失うもので、特に重症においては、覚醒するや舌の自由を失い、言語不能となるのである。

又病気発生の場合、鼻血、涎(よだれ)、嘔吐等を伴うものである。


この病気は、前兆としては、血圧の昂騰(こうとう)、頸部及び肩の凝り、手足の一部的麻痺、言語の不明晰等で、かくのごとき症状のある場合、余の療法を施せば、普通二三回ないし五六回にて全く治癒するのである。

不幸にして、発病するとても、直に浄血療法を施せば、一週間ないし二週間位にて、大体快癒し、言語は、大略(たいりゃく)平常のごとく、腕は自由となり、歩行も可能となるのである。

しかし、何分一時ながらも、麻痺したる後なるを以て、全く平常通りになるには、一箇月位を要するのである。

しかるに一般世人は、医療に依って回復せんとするのは止むを得ないが、医療によっての治癒は、なかなか困難で、医学的には療法がないとさえされている。

しかし、症状に依っては二三年にして自然に治癒するものもあるが、悪性のものは十数年に渉っても離床する能わずして、ついに死に到る者もあって、この病気位、人により、重軽のはなはだしいのはないのである。

従って、治癒の時日を予定する事の困難なのは勿論である。

中には悪性でなくも、誤れる療法を持続せられし為の障害によって早く治るべき症状も、長日月を費さねばならなくなった患者も、すくなくはないのである。

そして、痛みのある症状ほど治癒し易いのは、経験によって瞭(あきら)かなところである。 (岡田仁斎)」 (「日本医学の建設(三)」より)