病気の体的分析について 2 (天国の福音より)
明主様御教え 「リョウマチス」 (昭和22年2月5日発行)
「この病気は急性と慢性とあり、いずれも腕、手指、膝等の関節部に毒素集溜し、紅く腫脹し、高熱と共に痛苦はなはだしいのである。
医療はこの場合ギブスをもって、患部を動かぬよう物に触れぬようにして固めるのを唯一の方法としている。
これによって普通二、三ケ月にして固まるが、固まるに従い痛苦は消失すると共に、関節は棒のごとく屈伸不能となり障害者となるのである。
固まるや医療はマッサージ等を施すがあまり効果はなく気休め程度に過ぎない。
本施術によれば急性時なれば数回にて容易に全治するはもちろん、固めたる慢性にあっても長時日を要すれば全治するのである。
医療はたまたま手術を行うが、被手術者は本医術によるも全治は困難である。」 (「天国の福音」より)
明主様御教え 「癌 病」 (昭和22年2月5日発行)
「癌は既説した胃癌の外食道、咽喉、子宮、乳、肝臓、肺臓、腸、舌、肛門、頬、顎等、癌の種類はすこぶる多く、また癌そのものも種類があり、医学においても今日まで数種の発見がある。
また癌に酷似せるものに肉腫があるが、これは癌よりも治癒しやすいのである。
しかしながら癌も肉腫も擬似が相当あり、これは簡単に治癒するが、真症癌といえども衰弱はなはだしからざる限り、本医術によれば大抵は全治するのである。
医学上ラジウム療法を推奨するが、これは無効である事は既記の通りである。
ただ擬似癌の場合、一時的症状緩和する。
それを効果ありと錯覚したのであると思うのである。」 (「天国の福音」より)
明主様御教え 「痔疾患」 (昭和22年2月5日発行)
「この病気は日本人特有のものであろう。
種類も脱肛、内痔核、外痔核、出血、掻痒症、痔瘻(じろう)等がある。
いずれも浄化による膿及び毒血が肛門部から排泄されようとするためである。
本医術によればいずれも容易に全治するが、ただ痔瘻のみは他の痔と異なる。
それは激痛と多量の膿が排泄されるからで、もちろん治癒に長時日を要する。
医家は初発時穿孔排膿を行うが、このためさきに喉頭結核において説いたごとく、隣接部に再腫脹する。
また手術という具合に漸次痩孔(ろうこう)を増し、ついには蜂の巣のごとくなるものである。
この理によって初発時放任しておけば自然穿孔し、保有するだけの排膿によって全治するが、本施術によればいかなる重症といえども短期間に全治する。
世間よく痔瘻は治ると肺病になるというが、これは手術等によって排膿を停止する場合、膿は肺に向かって侵入喀痰となって排泄される・・・そのためであるから、痔瘻によって肛門から排泄される方が安全で、苦痛も少ない訳である。
痔瘻の膿は脊髄カリエスと同一原因で、脊柱部を通じて流下するものである。
ここに心得おくべき事は、痔出血は非常に良いのである。
何となれば、これによって頭脳頚部肩等の凝りの原因である・・・毒血が減少されるからである。
また痔瘻による膿の排泄も同様の効果があるをもって、世人の恐るる痔瘻も出血も実に天の恩恵ともいうべきである。」 (「天国の福音」より)
明主様御教え 「脚気とバセドー氏病」 (昭和22年2月5日発行)
「脚気も日本人特有の病気で、原因は医学で唱うるごとく、白米中毒である事は間違いない。
故に療法としては糠を、食後茶を飲む時、普通匙に一杯位服用すれば、大抵は一週間位にて全治する。
また副食物を多く摂る事も効果がある。
昔から脚気は坊ちゃんやお嬢さんにはないが、小僧や下女に多いという事実が証拠立てている。
しかしながら注意すべき事は、医診における脚気はそのほとんどが誤診である。
それは医診は脚気の麻痺または歩行に支障ある時、すべて脚気と断定する事である。
しかるに真症脚気の特徴としては膝下前面内側、俗に向う脛の反対側と掌の拇指の付根及び下唇の三個所の麻痺である事を知っておくべきである。
誤診による擬似脚気は、原因は腎臓の余剰尿及び注射の薬毒等である。
本施術によれば真症脚気は二、三回、擬似脚気も数回にて全治するのである。
バセドー氏病は、医学上 甲状腺の疾病とされている。
すなわち咽喉前面外部が腫脹するのであるが、軽症は軽微な咳嗽とその部の不快感位で、人により気の付かない場合もある。
重症は強烈なる咳嗽、吐痰または白色の小粒物や泡沫等の液を排泄する。
この病気の特徴としては眼球の飛出す事である。
末期に到るに従い、心臓障碍を起し、脈拍不整、呼吸困難、食欲減退等に陥り、衰弱死に到るのであって本医術によればよく全治する。
またこの病気は婦人に多きため、妊娠の場合、医家は危険ありとなし、人工流産を行うが、私の経験によれば危険等は更になく、正常に出産するのである。」 (「天国の福音」より)
明主様御教え 「花柳病」 (昭和22年2月5日発行)
「花柳病は、医学上硬性下疳すなわち梅毒及び軟性下疳と淋病の三種とされている。
もっとも医学は近来今一種発見され第四種ありとしているが、ここでは三種だけの説明で足りると思う。
硬性下疳は医学上スピロヘータなる黴菌によって、不潔な行為から感染するとされている。
そうして現在進歩したと称する駆黴療法は六百六号の注射及び水銀注射、または水銀軟膏塗擦(とさつ)、沃度(ヨード)剤服用等をおもなるものとしている。
しかるに既説のごとく六百六号の害毒は、黴毒そのものよりも数倍悪影響を与えるのみならず、効果の一時的である事は医学も認めている通りである。
また水銀療法による薬毒及び沃度剤の薬毒も、長年月後種々の形となって表われ、生命を失う程の重症の原因となる場合もすくなくないが、これらは進歩せりという医学が、今日まで全然発見され得ないという事は不思議である。
医学上諸病の原因として遺伝黴毒を唱えるが、私は反対で黴毒は決して遺伝しない事である。
将来医学においても私の説を肯定する時が来るであろう事を信ずる。
また本医術によれば、黴毒は驚くほど容易に根治するのである。
特に知っておくべき事は黴毒に限り苦痛のない事で、もし痛みまたは痒み等ある場合、その苦痛だけの原因は梅毒ではないと思うべきである。
この病気は最初 疳瘡(かんそう。性病による陰部の腫れ物のこと)、次は横痃(よこね。鼠蹊部淋巴腺の腫れ物のこと)、皮膚の斑点、毛髪脱落、声嗄れ等の症状が順次表われ、最後に到って鼻骨を犯し、言語不明瞭となる事がある。
軟性下疳は、疳瘡、横痃のみの症状で、それ以上の進行はない。
苦痛は発熱、痛み等で放任しても自然治癒するが医家は手術を推奨する。
しかしこれは反って長びくが、本医術においては簡単に全治するのである。
淋病は梅毒よりも悪性である。
何となれば根治する事は不可能であるからである。
故に淋病治癒とは実際上の治癒ではなく、再発の危険がなくなったという意味である。
これはいかなる訳かというと、淋菌すなわちゴノコッケンは生物で、有機物であるが、人体の抵抗力が増すに従い、漸次衰弱して無機質すなわち一種の苔のごときものとなる。
しかるにこの苔は飲酒、運動、発熱、その他の刺戟によって有機物に変化する事があるので、それが再発という訳で、これは概ね短期間に治癒するのである。
また右の苔が長年月後増殖する人があるが、それがため尿道狭窄を起し、排尿に支障を及ぼす事がある。
そうして医療は淋病に対し、漏膿時尿道内へ薬液を注入するが、それがため淋菌を深部へ押込む危険があるから注意すべきで、その結果として往々摂護腺炎(註 摂護腺とは前立腺のこと)や睾丸炎等を起し、発熱、痛み等に苦しむのである。
そうして淋病といえども自然療法が効果あるが、それは水分を出来るだけ多く摂取する事で、これによって尿の排泄が頻繁となり、自然尿道を洗滌する事になり、危険もなく、治癒も速かである。
特に松葉を煎じ、それを飲むと一層効果がある。
何となれば松脂の成分が淋菌の巣窟を閉遮し、繁殖を阻止せしむるからである。
本医術によれば淋病、摂護腺炎、睾丸炎は容易に治癒するのである。」 (「天国の福音」より)
明主様御教え 「精神病及び癲癇」 (昭和22年2月5日発行)
「精神病と癲癇(てんかん)は洵(まこと)によく似ている。
原因は霊的で、後に詳説するが、これらの疾病は唯物的医学がいかに研究するといえども解決は絶対不可能である。
しかるに近来脳の手術によって癲癇を治癒せんとする医家があるが、これらは徒労でしかないと共に予後反って悪影響を与えるのである。」 (「天国の福音」より)
明主様御教え 「婦人病」 (昭和22年2月5日発行)
「婦人病にも種々あるが、最も多いのは子宮に関する病気である。
すなわち子宮内膜炎、実質炎、周囲炎、前後屈、発育不全、筋腫、癌等であり、内膜炎は子宮内壁に白帯下(こしけ)による毒素が汚穢として付着する。
そのためのカタルによる浄化微熱の発生である。
これは放任しおくも健康になんら差支えないのである。
しかるに医療は掻爬(そうは)を行うが、これはなんら意味ないものでそれは間もなく、元通りになるからである。
故に根治せんとするには白帯下の原因を除去する以外ないのであるが、それは原因であるところの化膿性腹膜炎を全治させなければならないが、医療はそれが不可能であるため、末梢的手段として掻爬を行うのである。
実質炎は内膜炎のやや昂進せるものであり、周囲炎は子宮外部に集溜せる毒素の浄化である。
前後屈の原因は、前屈は子宮の裏面における溜結毒素の圧迫であり、後屈は右と反対に子宮表面よりの圧迫で、いずれも子宮窖(こう)が偏奇し、そのため妊娠不能となるのである。
医療は手術を可とし、手術によって毒結を除去して子宮の位置を正しくしようとするが、それはもちろん一時的で再び毒素集溜し還元するのである。
発育不全は子宮周囲に毒素溜結し、不断に圧迫するためであり、もちろんその原因は萎縮腎である。
従ってその様な患者の下腹部を触指すれば普通より固く、腎臓部も毒結の塊を見るのである。
筋腫は子宮を牽引せる筋の一部に腫脹が出来るので、人により一個または数個大中小それぞれあり、
医療は手術によって除去するが、これは奏効する事もあるが、ただ手術の際の薬毒が残存し、時日を経て種々の病的症状を表わすをもって手術は不可である。
次に、子宮癌は医学上誤診が多いのである。
それは更年期以後出血のある場合、医診はまず、子宮癌の疑いを起すが、その際 下腹部に固結を見るので、それを癌と思い手術除去するのである。
しかるにこれは実は月経の古血の塊りであるというのがそのほとんどである。
何となればかかる症状に対し本施術を行えば、大抵二、三日後多量の出血があって、拭うがごとく全治するからである。
そうして以上種々の子宮患者も本医術によれば概ね全治するのである。
次に多い病気に卵巣膿腫がある。
医療は手術によって、卵巣内に集溜せる膿を排除すべく卵巣を除去するのである。
大抵は左右いずれか一個であるがまれには二個の場合もある。
しかしながら割合手術は奏効するが、一個の場合妊娠率は低下し、二個の場合妊娠不能となる事はもちろんである。
また子宮も卵巣も除去せし場合妊娠不能のみでなく性格も一変し、男子のごとくなる事は人の識る所である。本医術によれば時日を要するが、大抵は全治するのである。
次に、婦人淋疾も多い病気で、俗にいう消渇(しょうかち)であるが、これは男子の場合と同様で、ただ摂護腺(前立腺)炎及び睾丸炎は婦人には無いが、婦人は男子より尿道が短縮せる故膀胱を犯しやすく、なお腎臓までも侵す事がある。
またバルトリン氏膜と称し、左右小陰唇の下部に小孔がある。
粘膜を不断に浸潤すべき粘液を出す孔で、これが淋菌によって腫脹する場合がある。
これも医療は手術によって同腺を除去するが、その結果性欲減退するから手術は不可で、これは放置するも治癒するのである。
次に月経に関するものに無月経及び月経痛及び月経不順がある。
無月経は普通十三、四歳以後に到るも月経の無いもので、日本人は平均十四歳位としてある。
この原因は喇叭管(らっぱかん。卵管のこと)口付近にある毒結の圧迫による閉鎖のためであり、月経痛は毒結圧迫により縮小せる喇叭管を経血通過の際の痛みである。
また月経不順も右と同原因であるが、本施術によれば容易に治癒するが、医学においては毒素溶解の方法を知らないから治癒困難とされている。
医学においてよく喇叭管が腫れているというが、これは誤りで、実は外部からの毒血圧迫のためで、医学は内部から見るので腫れていると誤解するのであろう。
次に妊娠腎も多く、大抵七、八ケ月以後に発生し、強度の浮腫を伴うものである。
医家は危険となし人工流産を行うが、原因は平素から背面腎臓部に毒結あり、それの圧迫以外、妊娠による前面からの圧迫が加わる。
すなわち二倍の圧迫を受ける結果強度の萎縮腎となり、その余剰尿による浮腫である。
本医術による時、数回の施術にてほとんど全治するのである。
妊娠中の悪阻(つわり)もすこぶる多い症状で、はなはだしきは嘔吐頻繁のため、一ケ月以上ろくろく食餌を摂る能わず人工流産のやむなきに至る場合もあるがこの原因は既記のごとく、胃の下部にある毒結が、子宮膨満によって圧迫されるためで、
すなわち自然は腹部膨満の障碍物を除去するための浄化作用が嘔吐の原因で、本医術によれば容易に全治するのである。
子宮外妊娠もよくある症状で、かつ非常に恐れられており、医療は手術以外方法はないとされている。
原因はもちろん喇叭管内に受胎するためで、妊娠二、三ケ月頃下腹部の激痛に伴い出血があれば外妊娠と想うべきで、本医術によれば、数回の施術にて全治するのである。
白帯下(こしけ)はほとんどの婦人にあり、
(註 白帯下とは、女性の子宮から出てくる粘液や組織片などの総称。おりもの)
医学はこれを不可として種々の治療を行うが、効果のない事は周知の通りである。
医学は子宮が悪いというが、これは誤りで子宮は全然関係がなく、実際は化膿性腹膜炎の毒素が、緩慢なる浄化によって溶解し、一旦子宮内に滞溜し流下さるるのであるから健康上可であり、放任すれば自然治癒するのである。
ただし注意すべきは、膣炎、膣痙攣、掻痒症等は白帯下の毒素による刺戟のためである。
子宮脱出は経産婦に多く、原因は出産時、息みのため子宮筋の緩みに加え、子宮孔の弛緩未恢復のためで、大抵は放任によって治癒するが、本医術によれば容易に全治するのである。
不感症は割合多いが、ほとんどは秘密にするため知られないのである。
医学上、不感症はホルモン欠乏及び子宮発育不全とされているが、この両原因は萎縮腎によるので、本医術によれば確実に奏効するのである。
ここで妊娠について心得おくべき事がある。
それは妊婦の状態を診て出産の重軽を知り得る方法である。
すなわち妊婦が健康であれば子宮だけが膨脹して他には異常なく、ちょうど下腹部に円形の玉が隆起せるごとく際立ちて見ゆるのである。
この様な状態であれば出産は軽いと共に出産間際まで身が軽く活動が出来、予後も順調である。
右に引換え下腹部から腰部へかけ膨満している妊婦は割合多いが、これらは出産は重く、出産時の近よるに従い身体重く活動不如意となり、産後の経過も概ね不良である。
もちろん右のごとき膨満は萎縮腎による浮腫であって、本医術によれば容易に全治し、出産は非常に軽く、また出産前後の状態もすこぶる可良であるから、本医術の偉効に感謝せざるものはないのである。」 (「天国の福音」より)
明主様御教え 「腫物及び火傷、切傷」 (昭和22年2月5日発行)
「腫物には瘍(よう)疔(ちょう)はもとより、普通の腫物、結核性、毒虫のため等種々あるが、いずれも浄化作用であって、体内の不純物が毒血膿汁となって皮下に集溜し腫脹し、皮膚を破って排泄せられるのであるから、全く生理的自然作用ともいうべきで、放任しておけば順調に治癒するのである。
しかしながら右の過程の多くは激痛を伴うのみならず、瘍疔のごときは生命に関する程の危険ありと教育されているため非常に恐怖を感じ、しかもそれは手術によらざる限り治癒不可能とされている関係上急ぎ医師に行く、
医師は薬剤の塗布または氷冷、湿布等にて散らさんとするが結局は、メスによって排膿の余儀なきに到るのが普通一般である。
しかるに手術の結果は薬毒等により意外な悪化を招く事があるのみか、手術のための治癒遅延は免れ得ないのである。
結核性の原因は、浄化発生によって一旦皮下に集溜腫脹せんとする時、氷冷その他の方法によって浄化停止を行うため、還元または固結する結果固結毒素の再浄化は初発時より執拗であるから、これを結核性というのである。
虫類または獣類による傷害、すなわち蜂、蛇、蝮(マムシ)の類、鼠、猫、犬等に咬まれた場合、その動物特有毒素のため、それぞれ症状は異なるが、苦痛はなはだしく蝮、鼠、犬等に至っては生命の危険すらある。
しかし本医術によれば、蜂の刺傷は数分間、蝮害は数時間、狂犬は数日間にて完全に治癒するので、その実際を見る時何人もその偉効に驚くのである。
火傷及び切傷の場合大抵は化膿する。
それは人体の一部に傷害を負う場合、傷害部に近接せる毒素を主に、他の各部にある毒素といえども誘導的に傷害部に集溜する。
それが化膿であるから、これは大いに喜ぶべき事であると共に放任すれば必ず順調に治るのである。
そうしてすべての痛みは薬毒であり、痒みは然毒あるいは特殊薬剤によるのである。
またすべて皮膚に関する疾患の予後は醜痕を残す。
すなわち手術は引吊りとなり、薬毒は紫黒色等の痕跡を胎(のこ)すが、自然治癒によれば右のごとき醜痕、色痕は胎らないのである。
右いずれの症状といえども、本医術によれば重症も容易に治癒するのはもちろん激痛もたちまちにして緩和、または除去されるので、患者の歓喜は常に経験する所である。」 (「天国の福音」より)
明主様御教え 「乳幼児及び小児病」 (昭和22年2月5日発行)
「乳幼児及び小児に関する病気といえば、まず消化不良、便秘、疫痢、麻疹(はしか)、百日咳、肺炎、喘息(ぜんそく)、脱腸、ジフテリヤ、腸炎、小児麻痺等であろう。
乳児における消化不良は最も多く嘔吐、青便、泡便等の症状であるが、嘔吐にも単なる飲み過ぎのためと病的と両方ある。
健康児といえども、呑み過ぎによる吐乳は差支えないが、病的は呑乳量が少ない割合に吐乳するのである。
この原因は母乳中に毒素のあるためでこの毒素のほとんどは薬毒である。
従って薬剤多用の経験ある母乳は特にはなはだしく、またその乳が不良であるばかりか量も少ないのである。
実際上薬剤多用の都会の母親に乳不足が多く田舎のそれは稀であるにみても明らかであろう。
青便は不良乳のためであり、泡便は一層不良によるのである。
従って、青便も泡便も毒素の排泄であるから喜ぶべきであるに拘わらず、この理を知らぬ医学は不可とするのである。
また生後数ケ月内に吐血する幼児がある。
医家は驚いて胃潰瘍などというが、実は生出直前古血を飲んだためであるからなんら差支えないのである。
ここで乳不足について一言するが、これには二つの原因がある。
一は胃の毒結圧迫による縮小のため、摂取量は一人前だけで乳児の分にまで及ばないという事と、今一つは乳腺を毒結が圧迫するためで、全乳腺の乳量が完全に通流しないからである。
この場合毒結は数ケ所に及ぶもので触指すれば諸所にグリグリがあり、圧すればかなりの痛みがあり判然と分るのである。
もちろん薬毒の塊りで微熱も伴う。
この点においても薬毒のいかに恐るべきかを知るのである。
本医術によれば容易に治癒するのである。
医学は消化不良児に対し、乳児脚気などと称し、母親の脚気が乳によって伝染するとなし呑乳を禁止するが、これらも全然誤りであって実は右に説いたごとき薬毒乳の結果で、脚気ではない。
次に便秘であるが、便秘などは、乳幼児にはあるべき筈はないのである。
むしろ大人と違い、液体便とその回数も一日二、三回が自然である。
にも係わらず便秘するという事はなんらか反自然的の原因があるからである。
その反自然とは、例えば青便等の場合、医家は消化不良のためとして故意に乳量を減ずる事がある。
いかなる場合といえども乳児の欲するままに乳を与えるのが自然であるに係わらず、乳量を減ずるごときは、反自然である。
その結果としての便秘であるが、原因に思い及ばずして結果のみを恐れ浣腸を行うのであり、浣腸の逆作用による便秘に対しまた浣腸をするという具合についに既説のごとき腹部膨満となり、生命の危険にさえ曝(さら)さるるのである。
これによってみても、育児は飽くまで自然でなければならないのである。
疫痢(えきり)は乳児から五、六歳までが最も多く、たまには十歳以上も罹患する事がある。
医学は伝染性となし恐れるが、これは伝染ではなく急激な浄化作用である。
また医学は食物に関係あるように思い、果実、菓子等は与えないようにするが、これらも誤りである。
誕生過ぎかまたは生歯後の幼児は大抵な食物は差支えない。
そうして医学上疫痢は治癒困難とされているが、その訳は医療による時、疫痢のほとんどは死亡するからである。
しかるに本医術による時医学とは逆で、治癒は高率で死亡はほとんどないといっても過言ではないのである。
しかも二、三回の施術によってである。
麻疹(はしか)は人も知るごとく免れ難い病気で、その病症も重軽の差が著しく、普通は一回で済むが二回三回に及ぶものもすくなくないのである。
医学上原因不明とされているが、これは遺伝毒血の浄化作用である。
麻疹は稀には成年期に及んで発病する事もあるが、普通は五、六歳位が最も多い。
発病前大抵三、四日位三十八度前後の発熱が持続する。
その際皮膚をよく点検すればいずれかに少量の発疹を見るのである。
この病気は昔から風にあたる事を不可とし外出を禁ずるが、その理由は皮膚が空気に触れる時は発疹が不充分となるからである。
元来麻疹は発疹する程よいので、発疹不良の結果は、毒素が内部に還元するから、そのため肺炎等を起すのである。
麻疹による肺炎は肺胞全部に発疹し、それがため呼吸困難を起し、小児のごときは呼吸の頻繁なる、見るに忍びざるものがあり、周囲の者は驚くのであるが、これはさほど心配はない。
二、三日にして次第に常態に復すのである。
本医術によれば容易に全治し、発病時は一回の施術によって全身的発疹を見、肺炎も速かに治癒するのである。
その他の余病としては中耳炎及び結膜炎等であるが、これらは放任によっても全治するのである。
百日咳も多い病気で、強烈な持続性咳嗽あり、白い泡のごときものを盛んに嘔吐するのが特徴である。
この毒素が咳嗽によって全部体外へ排泄される。
それが百日位を要するから百日咳というのである。
また百日咳の咳嗽は、息を引く時一種特有の音を発するのでよく判る。
医療は毒素の排泄を止めて固めるのを本意とするが、幸い固めるに成功したとするもいつかそれの浄化が起る。
それが小児肺炎または小児喘息である。
本医術によれば、普通一週間、初発時一週間位にて全治するのである。
小児肺炎は、成人と同様呼吸逼迫、喘音(ぜんおん)、高熱等であって、もちろん強烈な浄化作用である。
医療は強力なる浄化停止を行う結果往々死を招くが、本医術によれば一週間以内で全治するのである。
脱腸は小児に多い病気で、中年にはほとんどなく老年期に及んで反って相当あるのである。
この病気は重軽の差著しく、軽症は成育するに従い自然治癒するが、重症は容易に治癒し難く、医家は手術によって腸の短縮を図るのである。
本医術によれば軽症は簡単に治癒し、重症は日数を要するが全治するのである。
ジフテリヤは咽喉が腫脹し、呼吸困難となり窒息死に到るのである。
もちろん急激なる浄化作用で、本医術によれば普通は数十分位にて治癒する。
この疾患は霊的もあって、これの治癒は相当困難であるが後に解説する。
小児麻痺は真症と擬似とあり、真症は霊的であるから後に説くから、ここでは擬似について解説するが、擬似の症状は、例えば足部の支障によって歩行困難や、手指の支障で、これらはいずれも先天性毒素が一部に集溜しているためで本医術によれば容易に全治するのである。
これについて一例を挙げてみよう。
十歳位の小児、片方の足の裏、拇指辺が着けないで、外側と踵(かかと)だけで辛うじて歩くのである。
医診は小児麻痺となし、外側の筋が長過ぎ、内側踵の骨が足らないと診て、手術によって外側の筋を切り詰め、内側の踵に脛の骨を切除って着け足したが、数年を経ても少しも効果なく私の所へ来た。
診査すると実際の原因は拇指辺の裏側に毒結があり、拇指を着くと痛むので、内側を浮かして歩くのであったが、医診はその発見が出来ず見当違いの手術をしたのであった。
故に私は拇指裏の毒結を解消したところ、足の裏は完全に着く事が出来、普通状態となったが、今度は踵に足した骨が邪魔になって歩行が完全とはいえないので、私が手術を奨め、右の足し骨を除去したところ、完全に歩行出来るようになった。
要するに過れる医学は余計な事をしたのである。」 (「天国の福音」より)