病気の分析 5 心臓・胃・食道・肝臓・胆嚢の病気(岡田先生療病術講義録より)


明主様御講義 「心 臓」 (昭和11年7月)

「これから心臓の事についてお話致します。

よく心臓が悪いという患者を査べてみると、本当に心臓の悪い人は滅多にないのであります。

心臓の異常は脈でみるのが一番いい。

何病でもそうですが、リョウマチスとか神経痛とかは脈を診なくともいいのですが、内臓に関係のある病気は、必ずまず脈を診なくてはならないのであります。

脈で診る癖をつけると、余程脈によってすべての状態が判るのであります。

昔の漢方医の大家は、脈は二十一通りもあって、脈を診ただけで、どこが悪いかという事が判ったといわれております。

これは段々熟練するとそこまで到達し得る事も至難ではないと思うのであります。

貴方方でも一年位やれば略々(ほぼ)判るようになると思います。

脈の不整というのは、トントンとうつのが不規則で、トントントートントントンというようにうつ。

ひどいのになると、計算の出来ないのがあります。

無論、こういうのは症状はわるいのです。

又結滞するのがあります。トントントントンートンというように一つ位休んでうつのであります。

普通結滞するのは悪いとしてありますが、健康体であって結滞する人も偶(まれ)にはあります。

これは差支えないんであって、どこか病的症状があって結滞するのはわるいのであります。

又脈に力のあるのと無いのとありますが、持上る様にきつく力のあるのは健康体であって、どこか悪い所があるか、又は衰弱していると、非常に力がないのであります。


次に脈の数ですが、年齢の少い程多いので、生後二、三年は百十位、四、五歳で百位が正常であります。

そして段々成長して子供で九十位、青年になってから四十歳位までは七、八十であります。

それで、脈の数としては、成人でまず八十位までは健康体としていいのであります。

年をとるに従って脈は少くなり、七、八十歳になると六、七十位になります。

病気でなくとも、非常に疲れたり、腹が減ったりした時などは多いのであります。

普通病体として脈が九十位までなら必ず短時日に治るのであります。

次に、まず百までの脈なら、時日の長短はありますが、必ず治るとしていいのであります。

それから百以上百十位までは、治ると治らないとの半々位であります。

しかし、百十から百二十までは治るのもありますが、大体治癒困難と見なしていいのであります。

百二十を越したら、これはもう危険区域へ入っているので、普通二、三日ー長くて一週間以内に駄目と見ていいのであります。

しかし、一時的発作的に百二、三十位あっても、長く持続しないで、二、三十分か一、二時間で元へ戻るのは全然ちがうので、これは何でもないのであります。

昨日も今日も百二十位という具合だったら、まず恢復は困難と見ていいのであります。


熱が高いと脈拍は高いという事になっていますが、これは火素即ち熱を吸収するのに心臓がさかんに働く為であります。

しかし、病気によって、必ずしも高熱に伴わない脈の少い場合もあります。

衰弱している者の脈で、弱くて速いのは、火素は吸収しているが、その力が足りない為であります。

ですから・・・脈で一番衰弱の程度が判るのであります。

脈がフワフワしているのは、余程衰弱している。

これは感じで判ります。又衰弱していながら、ゆっくりうつのがあります。

これは、一つの脈が段がつくように(∧)でなく(∧∧)、(一山でなく二山型)にうつのであります。

一寸見ると正確のようですが、念を入れてみると変な所があります。

これは心臓が弱っているので、こういうのは多く喘息の持病の人にあります。

世間一番誤られ易いのは、喘息と心臓病であります。

御承知の通り、喘息の原因は、横隔膜下に水膿が溜る。

それが肺の下部を圧迫し、それが又心臓を圧迫する。

それの為、動悸や息切がする。

この症状を心臓がわるいと診られ易いんであります。


又心臓部の肋骨に水膿が固結し、その付近に水膿がある場合があります。

そうすると、微熱を持ったり、多少の圧迫もあるから、そういう人は少し何かすると、直ちに鼓動が激しくなる。

これが心臓弁膜症と間違えられるので、この例は割合多いのであります。これは簡単に治るのであります。

三月程前・・・二十年来の心臓弁膜症が僅か三回で治って、今はすっかり快く、とても感謝しております。

弁膜症は治らぬとしてありますが、実に簡単に治るのであります。

が、これらの患者はいわば擬似弁膜症で、それは全く心臓に何ら異状がないからであります。

心臓弁膜症でも、脈拍に異常が無ければ容易に治るのであります。

それは大抵喘息の膿の為か又は肋骨の為と思えば間違いありません。

しかし本当の弁膜症はあります。

それは心臓狭心症に因るのと不時衝動の為とであります。

狭心症は非常な苦痛を起すもので、胸部は締めつけられる様であります。

原因としては、水膿溜結が心臓部に出来、心臓を極度に圧迫する為で、その結果弁膜の運動が阻害されるからであります。

これは絶対治らぬとされております。そうして鼓動が不正になるので、これが本当の心臓弁膜症で、偶にしかない病気であります。

も一つは、高所から落ちたり、あるいは胸を打つとか、そういう大きな衝動によって心臓に打撃を与える。それが為弁膜症となり、脈縛不正になるのであります。

又非常な大酒飲みで、酒の為に常に心臓が刺戟を受け、肥大となって故障を起す。そういう原因によって起る事もあります。


も一つはバセドー氏病の末期に、脈拍不正となる事もあります。

本当の弁膜症は非常に治り難いのであります。

ただ以上の内、衝撃に因る場合は治りいいので、これは打ちすてておいても、何年か経つと自然に治るのであります。

水膿溜結による弁膜症でも、気永にやれば必ず治るんであります。

酒の為になったのは、酒を罷(や)めて気永にやれば治るのであります。

ただ狭心症の結果、弁膜症になったのは一番困難であります。

これは最もひどく打撃を与えられるからであります。


その他心臓肥大という事をよくいいますが、これも滅多にないんであります。

よく肥大といって来る患者で、そうでないのが沢山あります。

これは多く喘息の水膿溜結の為、横隔膜付近が脹れている。

すると「そこまで心臓が肥大している」ように見えるのであります。

心臓肥大症は、大酒家、スポーツマン、永年の重症喘息患者等にある病気であります。

又非常に苦しむ病気などに罹ると、いくらか心臓肥大するようであります。

心臓神経衰弱というのがありますが、これは発作的に非常に胸が苦しくなる。

そうして脈が早くなって呼吸困難になり、脣(くちびる)は紫色になり、今にも死ぬかと思う状態になる。

ところがこれは何でもないので、三十分か一時間位経つとケロリと治るんであります。

医学では「心臓神経衰弱」といっております。

これは何の為かというと、死霊が憑る。

つまり死んだ霊が臨時に憑るんで、その死霊の死の刹那の症状が現われるのでありますが、これは本療法で簡単に治るんであります。


又心臓は普通左に着いているのですが、右に付いている人が時々あります。

これは心得ておくべき事です。

前に、随分変ったのがあった。

肋膜をやった人で、肋膜炎が治ったら、左にあった心臓が右へ移ったというのです。

見るとたしかに右の方で鼓動が打っております。

これは生れつきではない。

病気が治ってから右へ行ったんだと言っておりましたが、これはいかなる理由か分りません。」 (「岡田先生療病術講義録 下巻3」より)




明主様御講義 「胃 病」 (昭和11年7月)

「今日、胃病という病気になるのは、ほとんど全部が薬の中毒といっていい位であります。

消化不良とか胸焼、胃酸過多、アトニー、胃痛などいろいろありますが、

原因は一つで、最初は食物がもたれたり、不消化であったり、胃が痛んだり、胸が焼けたりする。

しからば、それらの原因は何かというと、これは全く食物の分量を決めたり、食事の時間を決める為であります。

何となれば、分量や時間を決めた以上、前の食物が消化されない中(うち)に食う為に、前の分が醗酵し腐敗し、前述のごとき胃の病的症状を起すのであります。

でありますから、腹が減れば食い、減らなければ食わない主義にすれば、絶対に胃病は起らないのであります。

私はこの方法によって永年の胃腸病が治り、今日は頗(すこぶ)る健全であります。

このような病的症状が起った場合、その原因に気がつき、それを改めれば容易に治るのであるが、誰しもその場合薬を服む。それがいよいよ胃病の始まりであります。

薬を服むと確かに一時は快くなるが、原因を改めない限り再び起きるので、その度毎に薬で抑える。

その為ついに慢性になるのであります。それで胃痛や胸焼や種々の苦痛は胃の浄化作用であるから、放任しておけば必ず治る。

それを薬剤を服むと浄化作用が一時停止される。それで一時苦痛がなくなるから、それを「薬で治る」と信じるのでありますが、何ぞ知らん、事実は「治癒を停止」させたに過ぎないのであります。

実際、薬で治癒されたなら、最早病気はおこらないはずであるのに、再び起るというのは「治らない」からであります。

言換えれば、胃自身としては治ろうとして痛むのを、治ってはいけない・・・というように薬を服むという理屈になるのであります。

そうして、胃がわるいと消化薬を服む、そして消化のよい物を食べるんですが、これがまた大変な誤りで、態々(わざわざ)胃を弱くするんであります。

何となれば、胃は胃自身の活動によって、物を消化する様に出来ている。

それによって胃は健全を保っているのであります。

ところが消化薬を服むと、胃は活動しなくとも済む。

薬が消化してくれるからで、その為胃は段々弱体化する。有閑者のようになる。

そこへ消化のいい物を食うから、なお拍車をかける訳で、益々胃は退化する。退化するから薬を倍々(ますます)服む・・・という循環作用でついに慢性になるのであります。

そうなると、偶々(たまたま)固い物を食ったりなどすると胃はとても骨が折れる。

もう「消化する力」を失っているので、そのまま腸へ送る、腸も胃の影響を受けて弱体化しているから、下痢し易くなるのであります。

中には反対に便秘する人があります。

これは食物が少量過ぎる為と、胃薬で柔軟化させ過ぎる為であります。

ですから、下痢と便秘と交互にする人がありますが、全く前述の理によるのであります。

自然に任せておけば、順調に排除されるのを、薬剤によって不正にさせ、苦しんでる人が、随分世間には多いようであります。」 (「岡田先生療病術講義録 下巻3」より)




明主様御講義 「胃潰瘍」 (昭和11年7月)

「次に、胃潰瘍と胃癌ですが、胃潰瘍は全く薬と飲酒が原因で、特に薬剤の方が悪性であります。

それは、胃薬は食物を柔軟化させると共にいつしか胃壁も柔軟化さしてしまう。

それが為少しの固い物が触れても、亀裂を生じ易くなり、その結果血液が参出するのであります。

その血液が胃の一部に滞溜して、便に混入して出る事があります。

この場合、古い血ほど黒色なのであります。

出血がなくとも胃潰瘍といわれる事がありますが、出血が無ければ潰瘍にはなっていないのであります。

亀裂が大きい程出血が多量であります。

口から血を吐くのはそれであって、こういうのは血が新しいから赤いので、これは重症であります。

しかるに、この胃潰瘍を薬で治そうとするが、それは不可能であります、何となれば言うまでもなく、薬が原因の病気であるからであります。

胃潰瘍は、薬をやめて痛みと出血のある内は流動食ばかり摂らせ、出血が止まればお粥のような物を食わせ、そして段々普通食にすればいいので、衰弱さえはなはだしくなければ必ず治癒するのであります。

日数は軽症で一ケ月位、重症で三ケ月位であります。」 (「岡田先生療病術講義録 下巻3」より)




明主様御講義 「胃 癌」 (昭和11年7月)

「この病気は余程前から世界中で研究しているが、原因はどうしても判らない。

それで現在は、癌を治療する研究ではなく、癌を発生させる研究をしている実状でありますから、

まず治療法発見までには、今後何十年あるいは何百年かかるか判らないのであります。

しかるに、吾々の方では現在完全に治癒する事が出来るのであります。

ここでその癌の原因と発生の経路をお話致します。元来、癌なるものは、青年期には発生しない。

四十歳以上でなければおこらないという事実でありますが、これはどういう訳か。

この点から解決されなければならないのであります。


それは、人体内にある毒素が、自然浄化作用によって常にいずれかに集溜しようとしている。

しかるに、集溜作用は運動等に因る・・・神経活動の部に限るので、青年期には全身的活動旺盛の為、四肢五体に分散するのであります。

しかるに、老年期に近づくに従い運動不足になる結果、毒素は一部分に集溜しようとします。

即ち、運動不足者は、肺、心臓は余り活動しないから、どうしても、胃の部に集溜するのであります。

そうしてその毒素なるものは水膿でありますから、それは時日の経過によって固結してゆき、進んで化膿性になります。

この化膿した一種の内部腫物は、胃の外壁から内壁へと蝕入(しょくにゅう)してゆく。

これが胃癌になるまでの経路であります。

診査の場合、胃部を圧して痛い塊のあるのは、まず「癌の卵」と思えばいいので、普通、心窩(しんか)部から臍までの間の中央線が主で、次がその両側であります。

しかしながら、胃部に滞溜した水膿も、その人が浄化力旺盛であれば、自然下痢などによって排泄されるのであります。

近代人は、少しでも不快だと直ちに薬を服む。薬剤は浄化力を弱め、特に胃薬が胃を衰弱させるから、胃の抵抗力を減ずる結果、排泄されないで、ついに化膿するまでになるのであります。

化膿が進めば、胃の一部に穿孔される事になる。そうなると胃の活動はほとんど停止され、又その孔からの排膿作用も加わって、旺んに嘔吐をするのであります。

しかし、痛は身体が衰弱してさえいなければ必ず治るのであります。

何となれば、胃は仮に化膿しても浄化すれば元の様になる性質のものであります。

胃癌の最初の徴候は、胃痛又は重圧感であります。

嘔吐が加わるのは、相当進んでからであります。

胃癌の初期ですと、本療法で一週間ないし二週間で全治するのであります。


次に、最も注意しなくてはならないのは末期のものです。

これは治療する場合に、非常に危険があります。

それは、癌を溶解するのに急激ですと、内出血するから生命に係わるのであります。

故に末期の癌は極めて徐々に治療しなければならないのであります。

私が以前扱った患者で、腸の一寸位上の方に、護謨毬(ゴムまり)位の癌があって、

治療二、三回でずっと萎(しな)びたので喜んでいると、間もなく死んだのであります。

それは、急に癌が溶けた為、内出血したので、これは私の無経験による失敗でありました。

そういうのは圧してはいけない。極く軽く触れるか触れない位にしてやらなくてはならないのであります。

胃癌によっては、腸又は肝臓部へ移行する場合もありますが、これは最も悪質であります。

普通の進んだ症状に、コーヒーのようなものを沢山吐瀉(としゃ)する事がある。

あれはよく出血といいますが、私には、そうは思えないのであります。

あの吐瀉物は、煙草かコーヒーのような色で血の色ではない。

そしてこれを随分吐きますから、血液なら生命を保てる訳がないと思うのであります。

これは、沢山飲んだ薬剤の化学的変化した物と思うのであります。

勿論この中に幾分血液は混っておりましょうが、全体としては他の物質と思うのであります。」 (「岡田先生療病術講義録 下巻3」より)




明主様御講義 「胃下垂」 (昭和11年7月)

「次に、胃下垂でありますが、原因は、消化薬を服みつつ柔い物ばかり食うから胃が弱る。それで緊張が無くなるから弛緩し、下垂するのでありますから、「人為的製造病」であります。

しかし、胃下垂と言って来る患者で事実下垂のものは十人に一人位であります。それは、実は、水膿溜結の大きいのが胃から腸の部分にあるので、それが下垂のように見えるのであります。

この症は、本療法で溶解すれば、一、二週間位で簡単に治るのであります。

又真の胃下垂は、食物の改良・・・即ち普通米飯食になし、薬剤を服まなければ短時日に治るのであります。」 (「岡田先生療病術講義録 下巻3」より)




明主様御講義 「胃痙攣」 (昭和11年7月)

「胃痙攣は、水膿溜結が段々固結した時、胃の方が不消化物又は大食をして膨脹する時、胃とその固結物とが押合って痛むので、

その痛みのひどい為に痙攣を起すのでありますから、その固結を溶解すれば全治するので、割合容易であります。」 (「岡田先生療病術講義録 下巻3」より)




食道疾患


明主様御講義 「食道癌」 (昭和11年7月)

「食道癌に就てお話致します。

これは実に厄介な病気で、肋骨の為に患部を指で触る事が出来ないから、位置が判り難いので、治療が困難であります。

しかも吾々の方へ来る頃は極端に衰弱しているから、とても難しいので、従って、食道癌は請合えないのであります。

原因としては、食道付近に水膿溜結し、食道を圧迫するので、症状は食べた物が閊(つか)える。

末期には全然食物が通らなくなり、水を飲んでも吐くようになるのであります。

極悪質のものは、食道の一部に穿孔されて、そこから飲んだ水が、気管へ滲出して非常に噎(むせ)るのであります。」 (「岡田先生療病術講義録 下巻3」より)




明主様御講義 「食道狭窄」 (昭和11年7月)

「食道狭窄というのがありますが、これは大体癌と同じようで、ただ狭窄の方が癌よりも緩慢に食道を圧迫しているのであります。

これも早期ならば治癒しますが、末期は困難であります。」 (「岡田先生療病術講義録 下巻3」より)




肝臓病と胆臓病


明主様御講義 「肝 臓」 (昭和11年7月)

「胆臓は胆嚢ともいい、肝臓に包まれているもので、昔から肝腎要めといって、肝臓と腎臓は大切なものになっております。

この外に、脾臓、膵臓などがありますが、これは病気にあまり関係がないから、省略する事と致します。

ちょうど胆臓を心臓とすれば、肝臓は肺のように一つの保護的な位置になっております。

医学の解釈では、腸で選り分けたものを肝臓で、血液、漿液、脂肪などに分けて、身体の方々へ送る事になっております。

胆嚢の中には、胆汁があって、それを始終胃へおくり、消化を援けている訳であります。」 (「岡田先生療病術講義録 下巻3」より)




明主様御講義 「肝臓癌」 (昭和11年7月)

「肝臓の病気としては、まず肝臓癌で、肝臓のみの場合もあり、胃痛又は腸痛から移行される事もあります。

それで肝臓癌は、まず胃のように内出血はしないが、実に悪質で、執拗(しつよう)であります。

しかし、これは衰弱はなはだしくない限り必ず治るものでありますが、相当時日を要します。

軽症で二、三ケ月ー重症で五、六ケ月位であります。」 (「岡田先生療病術講義録 下巻3」より)




明主様御講義 「胆石病」 (昭和11年7月)

「次に胆石病は、胆臓の中へ石が出来る。

その石が一個の場合もあり、数個の場合もあります。

これは非常に痛む。石の出来る場合に痛むのであります。

どういう訳で石が出来るかというと、水膿が胆嚢中へ入ると、胆汁と化合するので、化学的作用によって石になるんであります。

この場合は胆嚢の後部から水膿が入るんであります。

この膿は、最初背髄から出て腰に滞溜し、それが脊髄から二寸位の右側を上昇して胆臓へ入るのであります。

胆石で五年位苦しんでいる患者が、四、五回の治療で治ったのがありましたが、この患者は脊髄の右側から胆嚢の後あたりまで水膿が棒のように溜っており、又、腰にも溜っていて、腰が非常に冷えるのであります。

すべて水膿は非常に冷えをよぶものであります。

それで棒のようになった水膿溜結を溶いたら、胆石病はピタリと治ったのであります。

なお、黄疸(おうだん)は、肝臓部に塊がありますから、これを治療すればいいのであります。」 (「岡田先生療病術講義録 下巻3」より)