病気症状の分析について (「天国の福音」より)


明主様御教え 「発熱・病気症状の解剖」 (昭和22年2月5日発行)

病気症状の解剖

「まず病気症状といえば大別左のごときものであろう。

すなわち発熱、痛苦、掻痒苦、不快感、嘔吐、下痢、浮腫(むくみ)、盗汗(ねあせ)、眩暈(めまい)、不眠、憂欝(ゆううつ)、麻痺、咳嗽(せき)、逆上(のぼせ)、耳鳴、冷え、便秘等である。

これらについて順次本医術による解説をしてみよう。


発 熱

医学上発熱の原因として今日行われている説は、既記のごとく発熱中枢なる機能が頭脳内にあって、それがなんらかの刺戟によって発生するとされている。

また運動による疲労のためや肝臓及び腎臓、胃腸障碍その他各所からの発熱に対してはその理由漫然としているようである。

しかしながら発熱中枢なる機能など人体内に無い事はさきに説いたごとくであるが、ここに見逃す事の出来ない事は「体温が食物の燃焼によって発生する」という説である。

この様な馬鹿馬鹿しい事を唱えるのは多分消化機能をストーブのように想い、食物の消化を石炭の燃焼と同様に推理したものであろう。

私の研究によって得たる発熱の原因を説くに当って読者に断わっておきたい事は、これはあまりに懸け離れている説であるから、心を潜(ひそ)めて熟読玩味せられたいのである。


そもそも宇宙における森羅万象一切は大別して三つの要素から成立っている。

それは火、水、土である。

すなわち火である火素は太陽の精であり、水素は月球の精であり、土素は地球の精である。

そうして天界は太陽、中界は月球、下界は地球というように三段階になっている。

これは日蝕の際明らかに見得るのである。

右は経(たて)の三段階であるが、これが緯(よこ)の三段階にもなっている。

すなわち経緯交錯の三次元的密合であり、それが人体にも当はまるのである。

そうして人体中の重要機関として三つの機能がある。

すなわち心臓、肺臓、胃の腑である。

この三大機能の活動は火素、水素、土素の三原素を吸収し、それによって生が営まれる。

すなわち心臓は火素を、肺臓は水素を、胃の腑は土素を吸収するのである。

しかしながら、今日までの科学は水素及び土素は確実に把握しているが火素は未知であった。

それには理由がある。

すなわち水素は半物質、土素は物質であるに係らず、火素は非物質であるからである。

右の理を一層掘下げてみよう。

すなわち非物質である火素は地上の空間を充填しており、私はこれを霊気界と名付ける。

同じく地上空間を充填している水素は空気界を造っている。

従って心臓は霊気界から火素を吸収しており、その運動が鼓動である。

もちろん肺臓は空気界から水素を吸収するーそれが呼吸である。

胃の腑はまた土素から生産された食物を吸収する。

これは誰も知るところである。

右の理によって体温とは心臓の鼓動によって不断に霊気界から吸収している火素である。

故に発熱とは毒結溶解のため所用の熱を多量に吸収するからで、発熱時鼓動の頻繁(ひんぱん)はそのためである。

この理によって死後 急激に血液が凝結するのは火素が霊気界へ還元するからであり、死体の乾燥は水素が空気界へ還元するからであり、死屍の土壌化は物質であるから土素に還元するのである。


次に注意すべき事は、発熱の場合世人は全身的と思うが、実はそのほとんどが局部的である。

例えば高熱の場合、指頭をもって発熱の焦点を探査する時、指頭位の小塊を発見する。

これは火のごとき強熱さでよく判明する。

それを溶解するやたちまち全身的に下熱するのである。

これによってみても発熱中枢なる機関など無い事は余りにも明らかである。

また世人が信ずるごとき体温計なるものは正確とはいえない。

何となれば発熱中心部が腋下に近い場合 高熱が顕われ、腋下に遠い頭脳かあるいは脚部等の場合は割合体温計に高熱は現われないのである。

すなわち発熱中心部から遠離(とおざか)るに従い、放射状的に低熱化するからである。

この証左として人により左右の腋下を計熱する場合、五、六分位の差異を往々発見するのである。


次に高熱に対し氷冷法を行うが、これは最も不可である。

それは人体適正の体温は三十六度台であるという事は、その程度が機能活動に適しているからである。

しかるに氷冷は零度であるから、氷冷を受ける局部の機能はその活動を著しく阻害され、はなはだしきは失う事になる。

それは凍結的麻痺状態になるからである。

従って私の経験上、脳溢血、肺炎、チブスその他高熱病の場合、その本来の病患のためではなく氷冷のために死を招く事実はすくなからずある事である。


右の例として以前私は大学生の患者某病院に入院、重態の故をもって招かれた事があった。

入院当時の病症は激しい下痢で他に疾患は無かったとの事である。

しかるに私が診査の際、極度の脳貧血で頭脳朦朧とし頻繁なる嘔吐あり、食欲皆無著しい衰弱を来し危篤状態であった。

それを説明すればこうである。

最初カタルによる高熱のため、医療は頭脳の氷冷をなし持続二十日余に及んだので、それがため強度の脳貧血を起したのである。

故に入院の目的たる下痢は既に治癒しており、今は誤療のために作った病気に悩まされていた訳である。

私は家人にその訳を話したが、医学に迷信しているため氷冷をやめられないというので、止むなく私は帰ったのである。

しかるに両三日後死亡したとの通知があった。

嗚呼、医学の誤謬による氷冷のいかに恐るべきかを歎かざるを得ないのである。


次に、発熱に対し解熱剤の連続服用の恐るべき事も知らねばならない。

普通解熱剤を一週間以上持続するにおいて、多くは徐々としてその反動作用が表われ始める。

これは非常に執拗であるため、医家はよく原因不明の熱というのである。」 (「天国の福音」より)




明主様御教え 「痛 苦」 (昭和22年2月5日発行)

痛苦すなわち痛みなるものは前にも述べたごとく、浄化発熱によって固結毒素が溶解され液体化され、それがいずれかに出口を求め、その方向に進まんとする運動が筋肉の神経を刺戟するためである。

痛みの症状は盲腸炎、急性腹膜炎、急性腎臓炎、胃及び腸の痙攣、頭痛、歯痛、中耳炎、リョウマチス、各種神経痛等実に多種多様であるが、多くは右の理によるのである。


また骨膜炎、骨髄炎、肋骨カリエス等 骨に関する痛みの原因は骨膜に凝結した毒素が浄化溶解によって表面へ滲出せんとし、骨そのものに無数の極微な穿孔をする、そのための激痛である。

歯根膜炎、中耳炎等もそうである。

右の穿孔の窖(あな)は病気治癒後速かに原形に復すのである。

この場合医家は往々骨が腐るというが、これは誤謬である。


次にひょう疽脱疽の激痛がある。

これは患部が暗紫色に腫脹し、漸次拡充する。

その状態がちょうど腐れゆくごとく見ゆるので医家は腐敗となし一刻も速く切断するを可とするが、これは大いなる誤謬である。

何となれば右の状態はある程度拡充してから必ず停止するものであるにみて腐敗でない事は明らかである。

その他火傷、刀傷、打撲傷等もあるが、これらは病気と異なり、自然治癒するのである。

しかしこれらに対し、消毒薬の塗布等を行うために、容易に治癒し難くなる例は非常に多いのである。

かかる場合薬剤を廃し、患部を清水に洗うだけで自然によく治癒するのである。

既記のごとく痛苦の原因はことごとく薬毒によるのであるから、多種多様の痛みは多種多様の薬剤があるからである。

本医術に依る時、痛苦は速かに治癒する。特にひょう疽、脱疽等のごとき激痛といえども一回ないし三回位にて無痛となり、患者は驚喜するのである。」 (「天国の福音」より)




明主様御教え 「掻痒苦」 (昭和22年2月5日発行)

掻痒苦(註 かゆいこと)は痛みに比して侮り難い苦痛である事は誰も知るところである。

原因はもちろん薬毒、然毒及び食餌中毒の三種であり、一般に知られているものとしては彼の疥癬及蕁麻疹である。

この原因は主に前者は然毒後者はカルシウム注射、ヨード剤等である。

疥癬(かいせん)は種痘による陰化然毒の浄化作用であるから、天然痘が急性なるに反し、これは慢性天然痘ともいうべきもので、短きは数ケ月長きは数ケ年に及ぶものさえある。


また蕁麻疹に対しよくカルシウム注射を行うが、一時的効果はあるが、時を経て必ず増悪再発するのである。

またの目的によってカルシウム注射を行う場合も、時を経れば必ず蕁麻疹が発生するが、この病気は放任しておけば必ず治癒するのである。


蕁麻疹にも種類があり、普通は無数の微粒が皮膚面に表われるが、斑点、地図型等のものもあり、最初は紅色を呈するが、治癒するに従い黒色に変ずるのである。

もちろん紅色時掻痒苦があり黒色になるに従い掻痒苦は消滅する。これは疥癬も同様である。


次に、ある種の注射及びアンチピリン中毒、魚肉中毒等いずれも蕁麻疹的症状を呈するが、これらは一時的で軽きは一、二日重く共数日にして治癒するのである。

但しアンチピリン中毒のみは予後黒色の斑点をのこしそれが数年に及ぶものさえある。」 (「天国の福音」より)




明主様御教え 「不快感及び嘔吐」 (昭和22年2月5日発行)

「ここに不快感といっても一様ではない。

おもなる症状を記せば嘔気(はきけ)、痙攣、船車の酔、憂鬱感等であろう。

そうして最も多いのは嘔気である。

この原因は脳貧血による胃の反射作用と高熱、食物中毒、薬剤中毒、溜飲、幽門狭窄、妊娠の場合等である。

脳貧血が強度に発生する時必ず嘔吐を伴うものである。

この際額に掌を触るれば氷のごとく冷え、膏(あぶら)汗を掻き、顔面蒼白を呈するので、脳貧血を確認するのである。

この際 頚部及び延髄部を探れば必ず固結がある。

その固結を溶解施術すれば速かに快癒する。

その訳は固結の圧迫が消え、血液が頭脳に流通し得るようになるからである。

また高熱による頭脳浄化の場合、脳貧血と等しく胃の反射作用を起し、嘔吐の原因となる事もある。

食物中毒は食物中の毒素を体外に排泄すべき浄化作用であり、多くは下痢が伴うものである。

薬剤中毒は、年月を経て一旦吸収された薬剤が、胃内に還元する。

その場合一種の毒素となり嘔吐するのであるから、かかる場合服用せる薬剤の臭いがする事がある。

溜飲は胃中に流入せし胆汁が、胃弱のため嘔吐するのである。

幽門狭窄による嘔吐は、胃によって消化せる食餌が幽門狭窄のため下降し難いから逆流せんとするためである。

故にかかる場合、柔軟食または流動食なれば狭窄せる幽門も通過しやすいから嘔気は起らないのである。

悪阻(つわり)は胃の外部に滞溜凝結せる毒素が子宮の膨脹によって外部へ排泄されんとするためであるから、この毒素を溶解排除する事によって容易に治癒するのである。

痙攣は霊的原因と高熱発生時の悪寒の二原因があるが、霊的説明は最後の付録中に詳説する。

船車の酔は、胃の外部に毒結あり、それが動揺によって少しずつ溶解、胃内に滲透するためである。

憂欝感は霊的の場合、または胃の不活発、黄疸、脳貧血または肩及び背部の凝り等である。」 (「天国の福音」より)




明主様御教え 「下 痢」 (昭和22年2月5日発行)

下痢は最も多い症状で、まず急性と慢性とに区別される。

急性は飲食物による中毒すなわち食あたりである。

世間よく寝冷えによって起るというが、これは誤りで冷えによる下痢は極稀である。

食中りによる下痢の際、薬剤によって止めたり、反対にひまし油等によって排泄を促進させる事を可とするが、これらはもちろん不可であって治癒を永引かせるのみである。

自然治癒が最も良いのである。

右の外、食中り以外突如として猛烈に発生する下痢症がある。

一日十数回ないし数十回に及ぶものさえある。

もちろん水便であるが、血液の混入する事もあり、はなはだしきは腐肉とも見ゆるものが下る場合がある。

これらは膿及び毒血の固結の猛烈な浄化作用によるためである。

もちろん肉や臓器の一片といえども排出さるべき訳はない。

かような下痢症は青少年に多く老人は稀である。

これらも放任しておけば必ず治癒するのであるに係わらず、世人は驚いて医療を加えるがそれが却って悪化のもととなり、永引いたり、死を招いたりする事さえあるのである。


次に、慢性下痢は数ケ月あるいは数ケ年に及ぶものさえある。

医診は大抵腸結核というが、これは既説のごとく化膿性腹膜の浄化作用であって、原因は腎臓萎縮による尿毒が常に腹膜に溜結するためである。」 (「天国の福音」より)




明主様御教え 「浮腫及び盗汗」 (昭和22年2月5日発行)

浮腫み(むくみ)はその原因に二種ある。

普通は腎臓萎縮または膀胱の支障であって、腎臓萎縮は一般的浮腫の原因である。

重症は全身的、軽症は局部的で、例えば左右いずれかの半身または下半身というような事もある、

しかしながら局部的といえども顔面または片腕、脚等の場合は萎縮腎でなくその浮腫部にあった固結毒素の浄化溶解のためである。


ここに注意すべき事は種々の病気が重症に進む場合、脚の甲に浮腫発生する事がある。

これは死の信号ともいうべく、まず恢復困難と見るべきである。

また脚気の浮腫は膝下に限るとみていいので、医診は足部に浮腫さえあれば無差別的に脚気と断定するが、軽率もはなはだしいのである。


次に医家も世人も全然気付かない浮腫がある。

これは女学生に最も多い症状で、すこぶる肥満し、俗に固肥りという訳で一見非常に健康そうに見えるが、健康でない証拠は常に疲労しやすく、動悸、息切、身体重量感等種々の支障が起りやすいのである。

この原因としては、萎縮腎による余剰尿が全身的に少量ずつ溜積しそれが長時日にわたり固結するので、もちろん本人は気付かないのである。

故に少量の食餌を摂るに拘わらず肥満する人があるが、それは右のごとき人である。

また膀胱と尿道との境に結石、または膿結がつかえそのため尿の流下が妨害され、浮腫の原因となる事もあるが、これらも本医術によれば容易に治癒するのである。


盗汗(ねあせ)は結核の項目に述べたから、ここでは局部的発汗を説明する。

よく頭脳、顔面、腋下等何かの衝動によって発汗する人があるがこれはその部に尿毒があり、その浄化としての発汗である。

そうして健康者は常に全身的に発汗しやすいのが普通で、健康そうに見えても、局部的発汗またはあまり発汗のない人は、いずれかに故障があるとみるべきである。」 (「天国の福音」より)




明主様御教え 「眩暈及び不眠」 (昭和22年2月5日発行)

眩暈(めまい)も多い病気であるが、医学では不明とされている。

しかし、その原因はすこぶる簡単である。

原因として最も多いのは、右側延髄部に固結があり、それが眼球へ送血する血管を圧迫するためで、その圧迫が波状的の故をもって視神経が動揺するのである。

次は高熱の場合、眼球付近にある毒結の浄化作用によるので、ちょうど酒に酔った時や、ストーブの火に直面した時等と同様の理である。


不眠症は眩暈の原因とほとんど同一で、右側延髄部の固結による血管圧迫のため、一種の脳貧血を起すからである。

その結果として、神経過敏症状となり、それからそれへと物を考えがちになるのである。

その他脳の前部及中心部にある毒結浄化の場合もある。」 (「天国の福音」より)




明主様御教え 「憂欝症及び麻痺」 (昭和22年2月5日発行)

憂鬱症の原因として最も多いのは頚部及び肩の凝りである。

ことにおもしろいのは嬰幼児の場合である。

これは常に機嫌悪く憤(むず)かるが、医学では全然判らない。

よく虫気のためなどといい虫下しや禁厭(まじない)などを行うが、これらは迷信にすぎないのである。

私の経験によれば大部分は肩の凝りからである。

嬰児のくせに肩が凝るとは不思議に思うが事実である。

何となれば肩の凝りを解消するや、たちまち機嫌が治り普通状態になるからである。

その他頭脳の一部または全部に浄化熱がある事もあり、霊的原因による事もある。

麻痺は種々あるが、最も多いのは脚気で、これは脚気の項に譲る事にする。

その他の麻痺としては手指、及び足指、足の甲が多いが、これは主に注射の薬毒である。

また手術による予後、その局部に長年月にわたり麻痺が続く事があるが、これは自然に治癒する。

中風の麻痺はその項目で説明する。」 (「天国の福音」より)




明主様御教え 「咳嗽および逆上と耳鳴」 (昭和22年2月5日発行)

「咳嗽(がいそう。セキのこと)はさきに詳説したが、なお二、三補遺する事がある。

咳嗽発生の原因は実に身体あらゆる局部からであって、医学でいうがごとき咽喉とする事は問題にならない錯誤である。

意外と思うのは頭脳、顔面、歯齦(しぎん)、手足の指、特に股間陰部等にある固結毒素を溶解施術するや、間髪を容れず咳嗽し吐痰するのである。


私は以前弟子である某医学博士の股間を施術した事がある。

その都度 咳嗽吐痰をするので、その博士はいわく「たとえ、毒結が溶解排除されるとして、間髪を入れず喀痰が咽喉部に移動するのはいかなる脈管を通過するのであるか不可解極まる」というのであるが、

それに対し私はこう説明したのである。

人体内の生理作用は、不要物を排除する場合、筋肉も臓器も難なく一瞬にして透過するので、この理は霊と物質の関係を知るにおいて、容易に理解し得るのである」と。

霊と物質との関係は付録中に詳説する。


逆上(のぼせ)は、世人の考えるような血液が上昇するのではない。

顔面または額部に溜結せる毒素の浄化作用で、紅潮を呈するのはその熱のためである。

耳鳴は、耳下腺に溜結せる毒素及び内耳近接部及延髄部に溜結せる毒素が、浄化のため溶解する音響であるから、それ等の毒結を溶解排除するにおいて容易に治癒するのである。」 (「天国の福音」より)




明主様御教え 「冷えと便秘」 (昭和22年2月5日発行)

冷えの原因は局部的発熱による悪寒または局部的毒結による血液不循環のためである。

多くは腰、下腹部、脚部、足の甲及び指先等で、特に婦人に多いが、これらは毒結を解除すれば下熱及血液が循環するから簡単に治癒するのである。


便秘は非常に多い症状で、かつ長期にわたって苦しむが、この原因は腹膜部に毒結があり、それが直腸を圧迫する。

そのため糞便が直腸管を通過し難いためで、これらも毒結溶解によって容易に治癒するのである。


そうして便秘症の人は常に下剤を服用して辛くも目的を達するが、この方法は非常に不可である。

何となればこれが習慣となり、便秘は漸次悪化し、下剤服用によらざれば排便が困難となるからである。

しかもそれが長年月にわたるに従い、増悪しついには下剤の量を多くするか、または異なる下剤によらなければならない事になる。

しかも下剤の薬毒が累積し、種々の病原となるのである。

元来人体は上から食物を入れ下から糞便が出るのは自然であって造物主はその様に造られたのである。

故にいかなる人間といえども食餌を入れる以上、糞便は排泄するに決っている。

ただ人により一日一回もあれば、二日に一回もあり、一週間に一回の人もある。

それでいいのである。

しかるに医学においては便秘は健康に害あるごとく誤認し、毎日便通がなければならぬように宣伝するので、

一般人は便秘を恐れるあまり、便秘すれば神経的に不快を感ずるので、下剤使用となるのである。

しかるに下剤によって排便する以上、排便機能は退化するから便秘する。

便秘するから下剤を使用するという悪循環となり、ついに下剤なしでは生きてゆかれないようになるのである。

よく発熱時便通を付ければ下熱するといい下剤を用いるが、これらも反って治癒妨害となり全治を鈍らす結果となる。

またある種の病気は反対に下剤によって高熱に導く事さえある。


便秘がなんら懸念すべきでない事の実例を示してみよう。

私が以前 胃癌の患者を取扱った際、便秘二十八日間に及んだが病気にはなんら影響が無かった。

それは全治し数年後農業に従事し、健康である事の報告があったにみても明らかである。

また私が扱った患者の中で、二ケ月間の人と六ケ月間便秘の経験を持った人の談によれば、いずれも便秘による何等の影響もなかったとの事である。

その後某婦人雑誌に掲載されてあった実例に、二ケ年の便秘でこれもそのための異常のない事が書かれてあった。


また医学においては、便秘を放任しておくと自家中毒なるものを発生するというがこれらも誤謬である。

この説は多分、便毒が血液中にでも混入するように想像したのであろうが、この様な事はあり得べからざる事で事実は宿便は時日を経るに従い、増々硬化するだけの事であるから悪影響などはないのである。


次に乳幼児に対する浣腸で、これは恐るべきである。

嬰児の中から浣腸する結果、一種の浣腸中毒となり、浣腸によらざれば排便不能となる例がよくある。

その結果として、三、四歳頃になると、少し便が溜ると腹部膨満し苦しむので、止むなく浣腸して一時的緩和を計るのであるが結局は死にまで到るのはいうまでもない。

これによってみても、浣腸などの不自然極まる人為的方法は、断然廃めるべきである。」 (「天国の福音」より)