事故の原因は薬毒


明主様御教え 「事故の原因」 (昭和27年7月16日発行)

「近来交通事故を始め、色々の事故が多く当局においても絶えず注意を与えているが、それに頓着なく年々増える一方であるから厄介である。

ではどうすればいいかといっても、今のところその原因が全然不明であるから注意以外どうしようもないのである。

そこで真の原因はどこにあるかという事を、吾々の解釈からかいてみるが、それは近代人の神経の問題である。

つまり神経が鋭敏に働かない事に起因する。

危険に直面してもその瞬間避けるべき行動の敏速を欠く事で、一秒の何分の一のズレも災害の直接原因となる以上、それの矯正より外に手段はないのである。

これについて私がいつも思う事は、近頃の青年の敏捷性のない事である。

彼らは今年七十歳になる私よりも、行動遅鈍の者が多い。

私としては普通の行動と思っているのに、彼らは私を素速いと常にいっている。

ではそのように頭脳鈍感の原因は一体どこにあるかというと、全く現代人はヤレ注射、ヤレ何の薬などといって、矢鱈(やたら)に薬を用いたがる。

また酒類にしても防腐剤や何や彼やと薬が入っているし、農作物にしても化学肥料や殺虫剤などを用いるから、それを吸収した作物は、長い間には相当量人体内に薬毒として溜るのである。

右のように今日の人間は薬浸りといってもいいくらいであるところへ、生活が益々複雑となるので、頭の使用も加重となるから、自然薬毒が頭に集中凝結する。

それに対し不断に微弱な浄化作用が起るから、大抵な人は頭が熱く逆上的であり、頭重、頭痛が常に起り、ボーッとしたりする。

というように今日の人間で、恐らく頭のスッキリしている人は、ほとんどないといってよかろう。

これが事故ばかりではない、近頃よく新聞に出ている殺傷沙汰などもその原因となる。

こう考えてくると、事故の根本原因は全く薬であるから、この社会から薬を無くさない限り、事故は増えるとも減るはずはないのである。

嗚呼恐るべきは薬剤なるかなである。」




明主様御教え 「近頃の世相」 (昭和28年6月24日発行)

「今日の世相をつくづく見てみると、不可解な点が余りに多いのは、何がためかをかいてみよう。

それには色々あろうが、その第一は近頃のごとく各地に大中小の火災の多い事で、その損害高も相当の額に上るというのである。

これには人間に分らない何かの原因がなくてはならないと誰しも思うであろうし、その他交通事故にしても、ヤレ衝突、脱線、墜落等々、その都度人畜の被害も中々馬鹿にはならないものがある。

その他最も悪質なものとしては、つまらぬ事で喧嘩、殴合い、殺傷沙汰など、人間の命を余りに軽く見過ぎる態(ざま)は、普通の頭では解釈出来ない。

また僅かな金を奪るために簡単に人を殺すなどもそうで、彼の運チャンの首を締めて、僅か千円か二千円の金を奪うなど、人の命を見る事 敝履(へいり。使い物にならないはき物)のごとしである。


右は男性に関する事だが、女性の方も感心出来ない事が沢山ある。

その中で最も情ないと思うのは貞操観念の低下である。

吾々としても封建時代のような堅苦しい事は言いたくないが、その反動でもあろうが現在のようではどう考えても行過ぎとしか思えない。

近頃町を歩いても、公々然とむしろ誇らし気にパンパン嬢が外国兵と腕を組んで横行している有様は、これらも止むを得ないという理屈もあろうが、一種の国辱的感がするのは誰しもそうであろう。

これをたとえてみると人間の肉体の汚いところは出来るだけ人に見せないようにするのが本当である。


以上は気の付いたままかいたのであるが、ではこれらの原因は一体どこにあるかというと、これこそ吾々の神霊医学を通して見ればよく分る。

それは今日の人間程薬を多く用ゆる時代はなかったであろう。

つまり薬を多量に体内へ入れ、一方近代文化生活は頭脳を酷使するため、薬という毒物は頭脳目掛けて集溜し固結する。

その個所は後頭部及び延髄付近であるから、どんな人でも右の部を触れば必ず判ると共に、それが溶けるための微熱も必ずある。

そこでその固結が脳の血管を圧迫するため、常に軽い脳貧血が起っていると共に、微熱は脳に影響して脳の活動を鈍らす。

そのような訳で今日の人間は頭が痛い、重い、ボンヤリする、焦々(イライラ)する、考えが纏(まとま)らない、気が塞(ふさ)ぐ、悲観的となる、というような症状のない人はほとんどあるまい。

これを医学では神経衰弱というのである。

そうして薬毒の固結排除活動が発る。すなわち浄化作用である。

これが感冒、下痢、胃病、肺病、心臓病、不眠、精神病、赤痢、疫痢等の原因となるに対し医学では全然分らないから逆な療法を施す以上、増えるとも減るはずはないのである。

ところがこの原理が徹底的に分る所は我 メシヤ教より外になく、しかもそれを完全に治す方法が我 浄霊医術であるから、何が何でも右の症状のある人は、まず薬をやめて本教へ来る事である。

それによって右の苦痛は拭(ぬぐ)ったように去り、明朗愉快な人生を送り得ると共に、社会的には事故、犯罪、貧乏、争い等々解消するとしたら、これが地上天国を作る宗教でなくて何であろう。」




明主様御講話 「事故、争いの原因は後頭部の毒素による微熱」 (昭和27年5月25日)

「今年は赤痢がだいぶ流行だということが新聞なんかに出てますが、まったくこう寒いのに・・・まだ夏にならないのに、随分各地に赤痢が続出してますね。

今年は盛夏になると随分多いでしょう。あるいはレコードを破るかもしれませんね。


いつかも赤痢の原因は話しましたが、これを一口に言うと、頭を使って薬を服む。

これが赤痢の原因です。

今の人は非常に頭を使うんですね。社会生活上頭を使わないわけにいかないからね。

それでまたいろんな苦しいことが多いですからね。心配もするし智慧もしぼらなければならない。

そこにもっていって頭がだいぶ悪いですからね。頭を酷使しているわけですね。

そこにもっていって薬を服みますから、薬毒がどうしてもここ(後頭部)に寄ってくるんです。

私はこのごろ一般は治療しないが、家の家族だとかあるいは手近な人で具合が悪い時に見ると、みんなこれ(後頭部)です。

十人が九人までですね。

これに浄化が起って、つまり毒血ですね。

それが下に、溶けて下がってきてお腹に溜まって、それが下痢になって出るんです。

それが赤痢なんです。

医学では黴菌一方にして大騒ぎをやってますが、実はたいへん結構なんです。


つまり人間は、ここに溜まると頭が悪いんだから、頭ばかりでなく、始終ここに毒血を寄せますから、イライラしてボーッとしてきます。

よく交通事故がありますが、アメリカでもそうですが(アメリカの交通事故で死んだのは戦争で死んだのより多いんですからね)日本でもよく統計が出てますが、交通事故で死ぬのは多いんです。

それはなにが原因かというと、ここ(後頭部)に熱が出てボーッとするんです。

それで衝突したりするんです。それは頭が悪いからです。

頭が悪いというのは、ここ(後頭部)に浄化が起っているんですね。


それから、ちょっとしたことで喧嘩したり殺したり・・・この間のメーデーの時でのことも、あの原因がやっぱり、これ(後頭部)です。

それから不快感ですね。

ものを善意に解しないで悪意に解する。

なんとなく気持ちが悪い。それにちょっと拍車をかけられると暴れる。

暴れるのは、一つのヤケクソみたいなものですね。


だから世の中の一番の忌まわしいことは、これ(後頭部)が原因なんですよ。

つまり薬毒の固まりです。

これを神様がやったというよりか、自然に浄化によって掃除される。

それが赤痢なんですよ。

だから赤痢くらい結構なものはないんですよ。

赤痢になればその人は健康になるし頭も良くなるしね。


それなのに滑稽なのは、外から帰ったら手を洗え手を洗えという、と、赤痢菌なんて随分大きなものと考えている。

手を洗ってみても、菌はこっちについたりあっちについたりしている。

目に見えるものなら・・・泥みたいなものなら洗えば取れるかもしれないが、黴菌みたいに小さいものは、洗ったところですぐついちゃいます。

そんな面倒臭いことをするのは実にかわいそうなものですよ。

それで他に手がないんで、結局赤痢の注意というのは、暴食をしないようにと言いますが、暴食と赤痢は関係がないですね。

暴食はただ胃が太るだけで、血を暴飲するんじゃないからね。

暴食したって、それが糞便になるくらいですからね。

また、手を洗えというのは実に子供みたいなものですよ。

それで、あとは手も足も出ないんですね。

それで心配して非常な金を使いますね。

だからわれわれからみれば実にかわいそうなものです。

今度新聞にも書きますが、書いたところで信者さんには解るが、他の人は不思議だくらいしか解らないですからね。

とにかくそういうような状態ですね。

ですから信者の人は赤痢なんていうのは、かえって罹れば結構なもので、その安心だけでも、たいしたものだと思います。」




明主様御講話 「事故の原因は後頭部、延髄にある薬毒」 (昭和28年6月5日)

「それからちょっとおもしろく書いた論文を読ませます。

(御論文「近頃の世相」)


今の人間の頭の働きの悪いといったらたいへんです。

つまり頭の活動が鈍いからして、それが挙動、行動に現われてくるのです。

運転手などが敏速に避けるとか、そういうことに対することが敏感にいかないのです。

それで事故を起すのです。

それから火事の起る原因というのは、ちょっとした火に注意すればなんでもないのに、そこのところをウッカリしてしまうのです。

それで消す所を消さないのです。

山火事の原因は煙草の火ということを言われてますが、ちょっと消せばよかったものを消さないのです。

それで大山火事になったりするのです。この間の北海道の大山火事は約二万町歩というものでした。

それから家が建っても建っても焼けるのですが、三分の一くらいは焼けているでしょう。

それで住宅難で困ると言うが、火事さえなければ住宅難ということはありません。

チャンと人数だけの予定をとっているのですが、またこの予定ということがおかしいので、今一カ年何十万戸いるから何十万戸建てれば住宅難は解消すると言ってますが、火事ということを予定に入れていないのです。

だから足りないのです。東京都などでも抽籤(ちゅうせん)でやってますが、十回ならたいてい当たるということになってますが、

今度は十一回になって、それでも駄目で、これからは十二回で当たるということは、できるのよりか要求する方が増えてくるのです。


そういうようで、いろんな面に対する事故ですが、病気ばかりでなく、そういったことも大いにあるのです。

それはみんな頭の働きです。

その原因は後頭部、延髄にある薬毒です。

今の文化生活というものは、本当のことが分かったら滑稽なものです。

それでこれは世間のことでもそうですが、私などは日常生活で、今の人間の鈍感さには驚いてしまいます。

驚くよりも困るのです。それはなんでも遅いのです。

ノロマなことと頭の働きが悪いことです。

へのようなことをやり損なったり遅れたりするのです。

それもここの毒がなくなればそんなことはありません。

私はあんまり早いので、まわりの者はまごついて困るのです。

どこかに行くのにも、たいてい用意ができていると思って行ってみると、人間もいないし用意もできてないのです。

それで私はまた戻って、少し昼寝をして行こうかと思うくらいです。

それで後頭部の毒がなくなれば、たいていな人はそのくらいなことはできるのです。

歩くにも私は速過ぎるので、若い者と歩くにも加減して歩いているのです。

「どうも明主様はお速い、間に合わない」と言うから、「それは年のせいだ」と言うのです。

私は早過ぎる早過ぎると言われますが、それは毒がなくなると、誰も彼もというわけにはゆかないが、たいていな人はもっと早くなります。

それに頭が働くと非常に能率が上がって無駄がないから、経済的に得です。

私ほどにはゆかないが、もっと敏感にはなるはずです。

これはやはり薬毒のためです。信者の人などは薬毒はよほど減っていてそのくらいですから、世の中の人はいかに鈍感か分かりません。

そういう人たちが自動車の運転手ですから事故が起るのはあたりまえです。

その原因を今読んだのですが、そういうような具合で浄霊は病気を治すばかりでなく、そういったことに対しても大いに効果があるわけです。」




明主様御教え 「薬毒による頭脳、挙動が鈍くなる」 (昭和28年6月6日)

「それから、今の人は非常に頭が鈍感になっているので、そのために火災だとかいろんな事故が起るのです。信者は知ってますが、その原因を書いてみました。

(御論文「近頃の世相」)


この薬毒が減ると体が非常に軽快になります。

ですから挙動が敏捷になるし、頭も同じように敏感になります。

ところが今の人は薬がいっぱいありますから頭が鈍感で挙動が鈍重なのです。

ですからいろんな事故が起るのはあたりまえです。

自動車や汽車を運転しても、挙動が敏感だと、見た瞬間にヒョッと避けてしまいます。

それが挙動が鈍重だから、見た瞬間に避けられないのです。

それから火事でも、この間の北海道の山火事など、約二万町歩も焼けたのですからたいへんなものです。

この原因の大半は煙草の火ということになってますが、吸殻を捨てますが、注意力があれば、これは危ないと思ったらちょっと消しますが、その注意力がないわけです。

アメリカなども非常に事故が多く、自動車事故も非常に多いようですが、これもアメリカ人の鈍感なためなのです。

そういった頭の悪さが社会のいろんな損害や不安の原因なのですから、その点からいっても、薬というものは恐ろしいものです。

それなのに明日からまた薬を大いにやるというのですから、馬鹿と言ってよいか、なんと言うか、言いようがありません。

私も昔は随分薬をのんだが、私は鈍感というよりか、すべてが不精になりました。

だからやっぱり結果においては鈍感と同じようなものです。


ところが始終自分でも浄霊してますから、だんだん薬が減るに従って、敏感になるのがよく分かります。

だから今の若い人に比べても非常に違います。若い人はノロイのです。

歩いても若い人がついていると私は加減するのです。

「明主様はお速いですね、とても自分たちはついて行けない」と言うから、「それは年のせいだ」と言うのです。

だから毎日のようですが、もう来て用意をしていると思って行ってみても、来ていないということがよくあり、私の方が早いのです。

ですから調子が合わないで困ることがあります。

この間も若い者に言ったのですが、お前たちは巾着切のようにならなければいけないと言ったのです。

私などは巾着切になったら随分成功する、それは逃げるのも早いです。

だから巾着切のような了簡でなければ駄目だと言ったのです。

ただ人の物を取らなければよいのです。

他のことは巾着切と同じでよいのです。

つまり敏捷になることです。

そういうようになると、物事の急所などが早く見つかりますから、無駄がなく能率が上がります。

身魂が磨けるということはそういうことなのです。なんにでも気がつくことです。

大本教のお筆先に「何事も気配り心配りをして下されよ」というのがあります。


ですから気のつくことです。ところが気のつかない人が非常に多いのです。

ちょっとしたことに気がつかないのです。

それは頭の働きが鈍いからです。

そういうことを心掛けて練習してもよほど違います。

つまり人がなにか言いますが、一言ですぐに見当がつくことです。

こういうことを言うから、ああいう性質を持っている。

また来た人の話をちょっと聞いても「ははあ、これはこういう目的で来たな」ということを早く覚るということは、非常に役に立ちます。

また他の家に行っても、はいっていきなり下駄を見ると、腐ったような体裁の悪いのがあったら、これは懐が楽ではないなと思う。

子供が食っている菓子でも、つまらない安い菓子を食っているのを見ても、ははあと分かるのです。

私はよくネクタイの柄を見ます。

これは趣味の高い奴だ、低い奴だと分かります。

それからキチンと締めていると、これは几帳面な者だ、あるいはだらしがない者だということが分かります。

そういうことを見ると、すべてにおいて便利で得です。

それで先方の心が変わったりいろいろしたり、想念が変わり、信仰なら信仰が進んだり鈍るが、そのことで見当がつくのです。


それでおかしなことで、霊的にいろいろなことを見るということは止めた方がよいです。

それは特別な能力を持っていなければならないから駄目です。

私は分かりますから、よくやりますが、物質的に見ることも大いにやらなければならないのです。

これは科学的の方です。

ですから霊的と科学的と両方なければならないが、まず科学的にやることです。

またこれは誰にでもできることであり、非常に肝腎なことです。

ですから私が美術館を造るにも、なにを造るにも非常に早くて手っ取り早いのです。

それは物事の急所を見てしまうのです。別館を造るにも、最初大体二十分ばかり見当をつけて指図して、その後、二度来て、二、三十分指図しただけで思ったとおりにできたのですが、

それは急所を見て、急所を指図するから能率が上がるのです。


だから病気を治す場合にも、私はいつも額を触りますが、額の熱で大体分かります。

また熱にもいろいろあって、深い所の熱、浅い所の熱があります。

浅い所の熱は、芯の方の深い所は熱くないのです。

それから深い場合は芯の方から熱くて、浅い所はたいしてないのです。

これは質(たち)が悪いのです。こういうのは浄化が重いのです。

そういうように重さ軽さが分かります。

また咳が出る痰が出るということもすぐ分かります。

ここだと思う時は必ず咳が出、痰が出ます。

そうするとそこに毒素があるのです。

そういうようにやると、浄霊の場合も早く効果が上がります。

それも神経の敏感さです。ですからなにごとにも、そういうように心掛けるとよほど違います。

それは初めからそうはゆきませんが、そのつもりで心掛けると、それに慣れるに従って無駄がなくなります。

それから行ってみて神様の話をしても、先方が興味を持ってくるか、お座なり的で、いやいややっているかを見通さなければならない。

それでお座なり的だったら止して、そうでなかったら熱心にやってやるというようにするのです。

それで急所がありますから、その急所をやると先方はハッと分かって、信仰にはいろうということになります。

そういうことを心掛けることです。」




明主様御講話 「現代人は薬毒を溜め込んでいるのでノロイ」 (昭和28年6月7日)

「それから今社会では、事故だとかいろんなことがありますが、信者の人はたいてい知っているでしょうが、新しい信者の人に対しても知っておかなければいけないから、ちょっと書いてみました。

(御論文「近頃の世相」)


今の人は頭の働きが悪いのです。敏感でありません。

だからどうしても事故などが起るわけです。

この間の北海道の山火事で約二万町歩と焼けたのですからたいへんな損害ですが、

この一番の原因は煙草の吸殻ということになってますが、山で煙草を吸っていて、吸殻を捨てても、気がつくならば、そこが枯れ草の上かどうかということにヒョッと気がつきますが、

それが頭の働きが鈍いから気がつかないで、捨ててボーッとして行ってしまうのです。

ですから自動車を運転していても、向こうからなにか来ると、それをヒョッと避ける敏感さがあればよいですが、避けようとしてやるのに時間がかかるから衝突してしまうのです。

なにごとにもノロイのです。

それは昔のように自動車もなにもない駕籠(かご)などの時代ならよいですが、今日のような非常なスピード時代になっているのに、頭の方が追いつかないのです。

追いつかないどころではないので、追いつけないようにしているのです。


だからどうしても後頭部に毒がないようにしなければならないのです。

ところが薬毒をつぎ込んで薬毒を溜め込んでいるのですから、今の人間は骨が折れます。

体の方がノロイのに歩く方を早くしなければならないのですが、実に悲惨です。

信者の人はよほど薬毒が減っているから、よほどよいわけですが、ふつうの人ときたら実にノロイです。

ノロイからして頭の働きが悪いのです。


だからなにごとを見ても聞いても、頭の悪さがよく出てます。

ちょっとしたことに気がつかないのです。

その辺を歩いてみても、町でも田舎でもそうですが、細い道や、おかしな道がありますが、木を切るとか草を取るとか、石が転がっているのをちょっと取ると、歩きよい道になるのに、それをしないのです。

なんでも気がつかないのです。

ですからちょっとした所に気をつければ、非常に便利になったり、良くなったりするのに、それすら気がつかないのと、億劫なのです。

厄介だという、不精という点が非常にあります。

周囲のことでもそういうことがよくあります。

ちょっとしたことで、ちょっとそこに棒をつけるとか、ちょっと取り除くとか、上げるとかすると非常に便利になるのに、そういうことに気もつかないし、つい億劫でそうしているが、これは薬毒のためにすべてが働かないのです。


ですから今の人の歩くのでも、ノロイです。

その点において私はいつでも困るのです。

私が早過ぎるのかもしれませんが、だからすべて先にやっておくべきものをやっておかないうちに、私の方が先に行ってしまうので、それでいつでも叱ることがあるのです。

そういうようなことで、いろんな事故が起るということはあたりまえなのです。

そのためにその損というものは非常に多いです。


それからまたその他にもまだあります。

それは邪念が多過ぎるのです。

なにかごまかそうとか、おかしな考えをしているために、よい方の頭が働かないのです。

つまり邪の方の頭が働くためにそこで物事がうまく行かなかったり、故障が起ったりするわけです。

その根本としてはやはり薬毒ですから、その薬毒を除ることです。


私も昔は薬毒がたくさんあったが、自分で浄霊してだんだんとっていくために、だんだん体も軽くなるし、頭の働きもよくなりつつあるわけです。

だからこの間も小言を言ったことがありますが、それは男の連中に言ったのですが、お前たちは巾着切のようにならなければいけないと言ったのです。

鋭く素早くというわけです。しかし巾着切をしろというのではないので、巾着切のように敏捷にならなければいけないというのです。

よく私はそう思うのですが、オレは巾着切になったらずいぷん成功するなと思います。

逃げる時の速さは目にも止まらないくらいです。

そんなような具合で、それによって非常な利益を得ます。

それで巾着切などは、これはいくらくらい金があるということが分かるそうです。

紙入れを持っただけで、どのくらいはいっているということが分かるそうですから、そのくらいにならなければいけないのです。


信仰していても、話をしていても、これは神様の話が分かる人間か、どうしても分からない人間かということが分かるのが早いです。

そうするとさっき読んだとおり、これは救われる側になっている、あるいは救われない側になっている、ということが分かります。

病気でも、頭が痛いとかケツが痛いという時に、原因はどこにあるかという時に、この人の性質はどうだ、また苦しみ方はどうだということで見当つきます。

それから顔色で分かります。

顔色の非常に悪いのは漢方薬の中毒です。

西洋の方は顔色にはあんまり来ません。

害が酷いのはどっちかというと漢方薬です。

近来寿命が延びたということは、漢方薬をのまないからです。

現在の人は漢方薬をのまないで西洋の薬をのみますが、それは顔色が悪くならないということと、病気が早くなおるのです。しつこくならないのです。

ですから寿命が延びたということを言いますが、それは漢方薬をのまないで西洋の薬をのむからというので、これはちょっと気がつかないことです。

そういうようで、顔色が悪くなるのは漢方薬のためです。

ですからアメリカ人などは割合に顔色がよいですが、それは西洋の薬のためです。

非常にしつこい病気は漢方薬の中毒が多いのですが、しかし西洋の薬もこのごろは負けずに注射などをやっています。」




明主様御講話 「現代人は薬毒のせいで頭の働きが遅鈍」 (昭和28年7月15日)

「病気のことを少し話します。この間の「結核を治すには肩を柔らかくする」ということは分かったでしょう。

それで肩を柔らかくすると、第一食欲を増すから衰弱をしなくてすむというわけです。

それで今度は頭から頸のまわり、肩という所の毒素が溶けると、いったん胃にはいって、それから下痢になって出るという順序ですが、

それがお腹にいったん溜まって、それが男は無論肛門から出るのですが、女はそれがコシケになる方が多いのです。

これは男は穴が一つで女は二つあるからたいへん便利にはできています。

その場合に毒の性質によっていろいろに違います。早く溶けて下りるのとそうでないもの、これは毒の重い軽いという意味もあります。

それで重いのは早くいかないからして遅い。遅い時に、人間は使う所に固まりやすいのです。

ですから浄霊を始終やっていると、肩の神経を使うからどうも腕に固まりやすいのです。

それから割合に背中に固まります。それからそれがだんだん下がって行って腰に固まります。

これが息切れの原因になります。背中から脇の下、肋間が息切れの原因なのです。

それから喘息の原因にもなります。だから喘息といっても頭や頸のまわりに非常に原因がありますから、そのつもりで浄霊することです。

それからこの間一度言いましたが、尾てい骨の付近に溜まった毒素のために、それが息切れの原因になります。

よく、歩いて息の切れる人、特に坂などを上って息が切れる人は、尾てい骨の付近に溜まった毒素のためなのです。

というのは腰が重いから、それにつれてやっぱり足が重いのです。

そうすると骨が折れるから息が切れるというわけです。

私はこの年でいて山や坂を上るのに非常に速くて、若い者より速いくらいです。

ですから若い者でも弱い者がいると私の方で加減するくらいです。

というのはなにかというと、私は始終腰を浄霊してますから、腰が非常に軽いのです。

つまり坂などを速く上れないということは息が切れるためです。

というのは、腰が痛んだり圧迫されたりするためです。

そのために骨が折れて息が切れるのです。

そういう人は腰の真ん中の所を自分で浄霊するとよいです。

そうするとウンと良くなります。

ですから、汽車や電車に乗る時には人より先に乗れるくらいでなくてはならないのです。

そう言うと意地が悪いようですが、そうではないので、今の人は腰が重いから敏捷にゆかないのです。

それでこっちは腰が軽いから体が敏捷に運ぶから、人よりか速く乗れるわけで得です。

しかしこれは自然ですからしかたがありません。

人を押しのけるのでなくて、先がノロイからこっちが速くなるのです。


それからもう一つは今の人は頭が悪いというよりか、頭の働きが遅鈍なのです。

敏捷に働かないのです。

これはつまり頸や頭の毒のために頭の活動が鈍っているわけです。

ですから頭も敏捷に働かなければならないのです。

それで私は体が軽いとともに頭も敏捷に働くのです。

今もここに出てくる時に、もう一つの羽織を着るとボヤボヤした感じがするのです。

狼の衣ひきのようになるのです。

それで襟が少し広そうですから「襟が広い」と言うと、女中が比べてみて「いや同じです、変わりはありません」と言うから、

「いやそんなことはない、物指しで比べてみろ」と言うと、物指しで計ってみて、約一分違うのです。

それはどういうわけかというと、神経が敏捷でないのです。

そういうことは始終あります。

だから体が敏捷になるとともに頭も敏捷に働かなければならないのです。

私はいつも女は気がきかなければいけないと言うのですが、今の女の人の頭は敏捷でありません。

鈍感です。

しかしメシヤ教の女の人はそういうことはありません。

ですから体が敏捷に働くとともに頭も敏捷に働くと得です。

早く分かりますから、ちょっと見てすぐ分かりますから、間違いが減るわけです。


だから結局毒素です。今は自動車事故とかが非常に多いのですが、これは頭が敏捷に働かないためです。

というのは薬毒が頭に来ているわけです。

これは信者はよく知っているから言う必要はないが、結局今のいろんな病気の原因が上から下に下がって行くうちに所々に固まるのです。

それから肝臓や膵臓は違います。

これは胃です。

のんだ薬がだんだん外に流れて行って肝臓に固まると肝臓で、膵臓に行けばこれは糖尿病になります。

それから変な話ですが、女のコシケにしてもいろいろあります。

それでコシケが溜まった時に熱が出るのです。

それで女は下の方に熱が出ると前頭部に反射するのです。

この前頭部と陰部は非常に関連してます。

だから女で気がふさぐというのは陰部に熱があるのです。

そういうのは頭を浄霊するとともに下も浄霊するとずっと良くなります。」




明主様御教え 「薬 毒」より (昭和18年10月5日発行)

「(一部のみ引用) 私はここで、今一つ重大な事を述べなくてはならない。

それは薬毒保有者は、左のごとき悪影響を受ける事であって、

それが多量ほどはなはだしいのであるが、世人は全然気が付かない事である。

一、常に不快感のある事。

二、頭脳の活動が鈍くなる事。

三、身体の動作が弛緩する事。 (中 略)


三、現代人の動作の遅鈍なる事は、またはなはだしいのである。

これは、国民の大部分がそうであるから気が付かないのである。

特に、都会人の歩行の遅い事は驚く程である。

これは身体が鈍重である為である。

昔の武士や武芸者等が、咄嗟の場合、飛鳥のごとく身をカワしたり、又飛脚屋が一日二十里を平気で日帰りしたりしたというような芸当は、現代人には到底出来得ないであろう。

元来、日本人は、外国人に比べて非常に身が軽く、動作が敏捷(びんしょう)であるのである。

日本人の飛行家が特に優秀であるのは、何よりの証拠であろう。

従って、人間の不幸も争いも、その根本は、薬毒にあるといっても過言ではないのである。

故に、薬毒のない人間の社会が出現するとしたらいかに明朗であるかを私は想像するのである。

全く薬毒が無くなった人間は、頭脳明晰で、爽快感に充ち、生々溌剌としているのである。」 (「明日の医術 第1編」より)




専従者の寄稿 「交通事故」 百地超生 (昭和27年4月30日発行)

「近時不思議なほど著るしく交通事故が殖え増大して来た。

その為可惜(あたら)多数の人命が空しく一瞬に葬られるのは愁惨に堪えぬ所である。

そして相次ぐ惨事に当局でも民間でも益々事故防止措置を尽されているのにその割合に減少の傾向が見られぬのはどうした事であろうか、

特に自動車事故の如き又その事故が単なる不注意や酒酔等による運転の誤り、

あるいは機械の故障とのみ思えぬ程運転常識に外れ当然避け得られるようなものが著るしく見らるるのはどうした事であろう。

勿論当事者や運転者とて誰よりも事故を恐れる以上常に不注意を戒め運転中の緊張を忘れる筈はない。

又不注意や酒酔の原因による事故は以前からある事なのに、近来特に前例のない程大きく瀕発するのは、

原因のない事故のない以上それら以外の誰も気のつかぬ根因がある事を物語っている。


元来、如何なる動機によるも事故そのものは根本的には霊的曇りの浄化の表われであるが、

今吾等よりみる体的原因としては運転者の、主として延髄部の毒結の浄化にある事が知らるるのである。

この延髄部や頸部の毒素は甚だしく脳の活動を妨げ種々の全身的異常を起させる。

これが固結する場合脳貧血、眩暈、不眠、嘔吐等の症状を呈し又浄化溶解する時嗜眠、不快感、頭脳朦朧等を起し、

殆んど無能力化せしめるのであるが浄霊によってこの毒結を溶解さるる時、

忽ちにして自己の頭脳を取戻した如く軽快し、光明界に出でた如く視界明るく脳力は活発となるのを吾等は屡々体験する。

そして運転者は運転中絶えず頭脳や眼に神経を集注する為毒素は延髄部に集溜固結し易く、

それが浄化を起す故疲労し易く知らず識らず頭脳の鋭敏性を失って故障の直感も鈍り、四肢の運動も遅鈍となり、咄嗟の場合応急の措置を誤る事となるのである。


これによっても本教浄霊による延髄毒結の解消は交通事故をなくす上にも必須の要件であるといえる。

現代人は多量の薬毒肥毒を体内に入れ最も多く頭脳を使用する故にそれ等の毒素は頭脳に集溜し、延髄に固結しない者はなく、すべてに適確なる判断力を失っている。

そしてそれはひとり交通事故に止まらず、病気戦争、欠乏、犯罪、社会悪等あらゆる人為的災害や苦悩の根因となっている。

そして現代医学においてはあらゆる面の脱線転覆の因をなすこの固結の存在さえ夢想も出来ぬ事であり、固より解消の術もあり得ぬ。

この固結解消の一事のみによっても本教浄霊の救いが如何に偉大であるかが知らるる。


又、明主様の行使し給う御力は原爆の力さえ犯し得ぬのであるから機体そのものの安全を確保し、

死傷を伴う事故を絶対起し得なくする奇蹟の如きは易々として行われる。

その可能を実証する事例は今無数に本紙に寄せられている事を付言する。

なお現世は夜から昼に転換しつつある今、何人も気づかぬうちに日に日に広く強く霊的火素は増量しつつあり

その火素は絶対的浄化力を持つ故に一切の汚穢の浄化が自ら行われつつあるのであって、

近来あらゆる面におけるトラブル、変動、災害事故等続出しつつあるのは正にその浄化の表われである。

故に交通事故増大の一事にみてもその転換しつつある時を知る事が出来るのである。」