犯罪の原因は薬毒


明主様御教え 「罪の因は薬」 (昭和27年2月6日発行)

「この題を見た誰もは、大いに驚くであろう。罪と薬と関係あるなどとは、テンデ夢にも思えないからである。

ところが事実大いにあるのだから、不思議も不思議、奇想天外といってもいい。

それを今かいてみるが、私がいつもいう通り薬は毒で、身体へ入れると血が濁る。

血が濁れば霊が曇る、霊が曇ると人間は不快感が起る。


この不快感こそ曲者で、この結果どうなるかというと気が焦々(いらいら)し、怒り易くなるから、どうしても争う事になる。

何よりも人間は気持のいい時は、少々変な事を言われても笑って済ませるが、こっちが気持の悪い時は、僅かな事でもつい腹が立つ、というように人間は気持次第で明るくもなれば暗くもなる。

ところがこの気持という奴運不運にも大いに関係があるのだから、軽くは見られない。

というのは人間生活上、感情くらい重要なものはない。

例えば夫婦が別れるのも、親子兄弟の争いも、友人同士のいざこざも、酷いのになると失業の原因となる事さえある。

言うまでもなく官公吏や会社員など、上役から愛され、信任されるのも、同僚との交際や商人が御得意から引立てられるのも、技術家の成績も、学生の勉強も、全く感情が大いに影響するのは誰も知るところである。

以上は普通ありふれた事だが、これが発展するとエライ事になる。

それは余程修業が出来ていない限り、普通人では、不快感を紛らそうとして、刺戟を求めようとする。

そのため一番多いのが酒で、次が賭事であろう。

近来競輪やパチンコなどの流行もそれである。

中には少し懐が温くなり、地位や身分が出来ると、贅沢な暮しや、女遊び等の刺戟を求める。

それにはもちろん金がかかるから、つい良からぬ手段で得ようとする。

遣い込み、誤魔化し、汚職などもそのためであるが、恐ろしいのは近頃僅かばかりの金が欲しさに人殺しさえする奴がよくある。

こうみてくると犯罪の蔭には女ありと言われるが、私はその奥に薬ありと言いたいのである。

以上のごとく、近頃は心を紛らわそうとして、益々強い刺戟を求めるので悪質の娯楽機関は益々増え、しかも昔と違って交通の発達と相まって、至極手軽に出来るし、また階級制度の撤廃もあり、真面目な生活は馬鹿馬鹿しくなるというのが現在の世相である。


以下は明るい面のみをかいたのであるが、では暗い面はどうかというとこれがまた大変である。

もちろん病気の原因がそのほとんどであり、しかも近代人は矢鱈(やたら)に薬を服んだり注射をしたりするので、益々病気が殖え、不快感の人間が多くなる。

そんな訳で医療費や仕事を休むための収入減等で、懐は苦しくなるから借金はする、人に迷惑を掛ける事になるので、世の中が益々面白くなくなると共に、

病気に対して医療は一時抑えで根本的に治らないから長引き、二進も三進もゆかなくなり、切羽詰った揚句、人の物を盗むとか、気の弱いのは自殺や一家心中を企てる事になる。

このような悲劇は日々の新聞を賑しているが、特に多いのが結核のための悲劇である。

このようにみてくると犯罪の原因は人間の不快感であり、そのまた原因が薬剤である。

としたら標題の意味も分ったであろう。」




明主様御講話 「薬と副守護神」 (昭和28年1月6日)

「今読んだとおり、霊が曇ると罪悪を犯すことになります。

ところが今の宗教は罪を犯してはいかんということだけやかましく言って、では罪を犯す気持ちになるというのはどういうわけかということは言えないのです。

ところが罪の構成ですが、罪を犯そうという気持ちは悪ですから、悪の発生というのは霊が曇って、つまり魂が汚れるからです。

悪いことをする気持ちになるということは、副守護神の活動が強くなるから、それで副守護神の意志のままに悪いことをする。

それを押さえるだけの魂の力がないからそういうことになるのです。

以前私が浄霊している時に、狐が出てこういうことを言ってました。

「これほど医者にかからして、やっと死ぬまでにしたのに、貴様横から出てよけいなことをして、とうとうオレの目的を邪魔して、ふとい奴だ」と言うのです。

どっちがふとい奴か分からないが・・・。

ですから、医者にかからせ、薬をのませるということは、副守護神がやっているということがよく分かります。

そこで薬をのむから霊が曇る。

曇ると奴さんが働きよくなり、その人間を自由にあやつることが非常にやりよくなるのです。

ですから医者にかかったり薬をのむということは、そういう先生が大いにそう思わせるのです。

ですから薬は毒だ、薬というものが人間をそういうように曇らせるということを、人間は気がつかなくても、そういう動物霊の方がずっと分かっているのです。

そうなってくると、動物以下、動物よりも愚かということになるから情けない話です。

今の人間は虫けら同然だと私はよく言いますが、実は獣や動物の方が文句を言うかもしれません。

「オレの方がずっと上だ」と。

そういうことなどが罪穢れの因ですが、今までの宗教はそれを看破できなかったところに大いに欠陥があるわけです、だからただお説教で押さえつけるのです。

やっぱり原因が分からないために結果に対する防止法が今までの宗教のやり方だったのです。

私は、今度その根本を説くわけです。はっきり見せるわけです。

ですから罪穢れを犯す人間にはこのことを分からせなければ、どうしても分からないわけです。

これについて、おもしろい経験がありますが、いずれ話します。神様は実に行き届いたことをされるのです。

これはやっぱりたいへんな大きな経綸ですが、まだ話がすっかり決まりませんから、話が決まったらその話をします。」




明主様御講話 「薬と副守護神」 (昭和28年1月7日)

「今ここに書いているほかのことは、悪の発生ですが、これはキリスト教の方などでは、旧約聖書の創世記にある「エデンの園におけるアダムとイブが禁断の木の実を食べた。

それで禁断の木の実を食べると悪が発生する」と書いてありますが、禁断の木の実というのは薬のことなのです。

それでその時分は薬をのまなかったために世の中はエデンの園のような楽園だったのです。

それで禁断の木の実によって悪を発生させて地獄の世にされたのです。

それによって今日のような物質文化が発達したので、これは神様の経綸であって、それは必要だったのです。

それで薬のない時代のエデンの園というと、ミロクの世と同じようなもので、まあミロクの世です。

その時分は文化というものはぜんぜんなかった原始的なミロクの世だったのです。

しかし今度は悪の発生によってこれだけの文化をつくって、そうしてもうこれだけになれば、あとは必要ない、むしろあとは邪魔になるから、悪をなくすということについては、薬をなくすということです。

そこで薬をなくすれば病人がなくなり悪もなくなりますから、そこで今度は絢爛たる文化によるミロクの世ができるのです。つまりエデンの園ができるのです。

そういうように考えるとよく分かります。

それでこれは難しい理屈ではなく、薬で血を濁しますから、血が濁れば霊が曇りますから、霊が曇れば副守護神の力が増すからして、副守護神というやつは悪いことをするのが本来ですから、それで悪いことをさせるというわけです。

難しいことはないので、簡単に分かります。おもしろいことは、私が前に浄霊していた時に狐などが出てきてこういうことを言うのです。

「せっかくオレが医者にかけて、これだけに悪くしたのに、横から出てきてとうとう助けてしまった。

随分薬をのまして、やっとこれまでに悪くして、もう一息で命を取るまでになったのを、横から出てきて助けた」と怒るのです。

ですから彼らは薬で悪くして結局命を取るということをよく知っているのです。それは人間はとてもかないません。むしろ人間以上です。私はむしろ狐から薬毒を教えられたくらいです。

自分自身でも分かりましたが、医学を狐が利用しているということが分かったわけです。

そうしてみると狐がその人間を殺そうとする場合には、やはり彼ら恨みの霊というものが、なにか仇を討つという場合に、狐がその人の副守護神に命令されたり、またはそこの祖先が稲荷を信仰したとか、またその人が稲荷を信仰したいという意思を知って、その狐が相手に働きかけるのです。

そうするとその場合に医者にかけるのです。できるだけいい医者にかかって、できるだけいい薬をのむのです。


むしろかえって大きな病院やいい薬を、ということに狐は働くのです。その方が悪くするには効果的なのです。

大病院というのは、やり方が大胆で思いきってやりますから、悪くするのも思いきって悪くします。

それで町にいる藪医者というのは、オッカナビックリしながらやります。

手術でも、あんまりひどい手術はしないというのですから、被害は少ないのです。

ですから大病院でなおらなくて、町医者でなおったということを聞きますが、つまり藪ほど間違いないというわけです。

それでまた薬をのませると霊が曇るからして、奴さんはよけい働きよくなるのです。

つまり医学を利用しているのは、そういう動物霊というわけです。


そこで悪の世界というものは薬がつくったものです。

無論今読んだのは、薬が不幸をつくるというのですが、不幸というのは悪のためですから、人間界から悪をとれば不幸というものはなくなってしまいます。

だから病気で苦しむために不幸になるというので、その病気をつくるのは薬ですから、薬というものはそのくらい恐ろしいのです。

ところがその薬をいいもののように人間は長い間教育されているので、ちょっとやそっとではなかなか分からないのです。

メシヤ教信者になれば信じられますが、ふつうの人に言ってもなかなか信じられないので、そこに骨が折れる点があるのです。

ですから結局薬の害を知らせることが根本なのです。

結局いろんな面から書きますが、元はと言えば薬毒の害になるのですから、それを分からせるということです。」




明主様御講話 「犯罪の原因も薬毒」 (昭和29年3月7日)

(御論文「薬剤は科学?」発表)

「これは、科学ではないということをザッと説明したのですが、これを大きくみると、人間の一切の悩み、たとえてみれば犯罪ですが、犯罪の原因も薬毒なのです。

今度の汚職問題で偉い人がみんな引っかかって苦しんでますが、これの因の因は薬毒なのです。

つまり、薬毒が溜まると霊が曇ります。

霊が曇ると邪霊(動物霊)が活躍ができますから、そこで内証で変な金を手に入れたりすることになります。

その薬毒のために霊が曇るから動物霊が活躍するのですが、そうするとまず大いに芸者買いしたり、酒を飲んだりマージャンをやったり、いろんなことをする、それはみんな動物霊の指図と言い得ます。

そうしてそれには金がいる、そうしてうまくやればよいというので、いろいろなことをやるのです。

そうすると結局において薬が罪人を作っているわけです。

犯罪者を生んでいるわけなのだから、薬毒というのは病気ばかりではないのです。

いわば、肉体的病気ばかりでなく、精神的病気も作っているわけです。

あらゆる悪の面、人間の悩み苦しむその原因は全部薬なのです。


人類から薬というものを抜けば、地上天国もミロクの世もできるのです。

とにかくメシヤ教というのは、世の中から薬をなくするというのが根本の仕事です。

そんな恐ろしいものをさかんに売っており、また奨励しているというのだから、実に世の中は間違いもはなはだしいのです。

今新聞広告で一番よく出ているのは売薬の広告です。

ラジオの民間放送というと、薬屋の宣伝が一番です。

ほとんど薬で、その他の商品などはわずかです。

それほど恐ろしい物をこれほど大騒ぎをやって奨励して、飲ませようとしているのだから、いかに世の中が間違っているかということがよく分かります。

今まで人間に「薬は良い」という観念がしみ込んでいるのですが、これが「あべこべなものだ」ということを分からせるのがたいへんです。

それで浄霊を受けて病気が治った人は分かりますが、それを急に早く分からせようとしても、なかなか無理なので、そこでやはり神様はチャンと、一ぺんに分かるような仕組みをされてあるのですから、それも時期です。


とにかく人類の一切の不幸は薬が因と思っていればよいです。

それで薬がなくなったらどうなるかというと、人間の寿命は必ず百歳は生きるのです。

人間の寿命が百以上は生きるということになったら、こんな結構なありがたいことはないと思います。

メシヤ教に入れば百歳以上は生きるということが分かったら、みんなメシヤ教信者になります。

「そんな馬鹿なことがあるものか、人を馬鹿にしてやがる、宗教宣伝のためにうまいことを言ってやがる」と、最初は思いますが、「とにかく入ってみろ」というのも非常によいと思います。」




明主様御垂示 「犯罪を犯すのは薬毒で血が濁り霊が曇るから」 (昭和26年11月1日)

信者の質問
「昭和二十四年三月入信の信者、UT(五十九歳・女性)同年九月初め、右足を蟻の巣に踏み入れたため、そこに小さい傷ができ、

それが二、三日するうちにキリキリと痛み出したので御浄霊をいただきましたところ、

痛みはますますひどくなるばかりで、ついに歩行もできなくなりましたが、

十二月ごろから小康を得、杖にすがって歩くことができるようになりましたので、さっそく教修をいただく光栄に浴しました。

傷口は依然として残り、毎日相当量の排膿がありました。

翌二十五年二月ごろより、全身が浮腫み始め、しだいにひどくなり、五月ごろには口中、特に舌が痺れ、火傷(やけど)のような痛みを感じ、ついには顔面まで痺れ、

同時に手足の第二関節までローソクのように白くなり、感覚がなくなってしまいました。

このころふと邪神にやられ、病院にもちょっと行き、手当てを受けましたが、

排尿はますます悪く、ために全身は浮腫み、心臓の動悸も激しくなりましたので、

ふたたび御浄霊をいただくうちに、十二月ごろ足の傷はやっと治りましたが、

最近また、右足に傷口ができ、痛みも以前と同じような状態となってまいりました。

二十年前、胃潰瘍、腎臓炎、肋膜、腹膜、膀胱、盲腸、肺炎を一時に患い、生命の危険を感じたこともございました。

注射の名は解りませんが、二本以上打つと生命の保証はできないという注射を、主人と同意の上、毎日二本ずつ一カ月続けて打ちました。

やっと生命は取り止め、一年病床につき全快いたしましたが、以後右の足が常に腫れています。

私の家は、昔お寺の屋敷跡で庭の隅には先祖の墓と無縁仏の墓がありますが、本年八月、家の墓を山の墓地に移した時に、その無縁仏の墓も一所に移し、仏壇には「諸霊位」として祀ってあります。

ちなみに御屏風観音様は二十四年四月、御神体は二十六年五月御奉斎させていただいております。右御開示のほどお願い申し上げます。」


明主様御垂示
「これは、この薬毒ですよ。二本ずつ一カ月続けた・・・というこの薬で、今そういうふうになって出るんです。

それで蟻の巣を踏みつけて傷がついたという、あのためじゃないんです。

針の先でも同じなんです。

そういう薬毒は、どこかちょっとした刺激で、そこに寄ってきて出ようというんです。

それで、最初のは出て、今度は残っているのが出ようとしているんです。

もう少しの辛抱です。

痛みというのは、全部薬ですからね。

だから、人間薬を止めれば、痛みはなくなる・・・苦痛はね。

人類から薬をなくすれば、痛みというのはなくなるんです。

薬が痛みをつくっているんです。たいへんな世の中ですね。

だから、薬の恐ろしいことが本当に分かれば、それで人間は大体救われたわけです。

それから、霊が憑るのも・・・やっぱり霊が曇っているから悪霊が憑るんで、曇りという原因はほとんど薬毒ですね。

あとは罪ですからね。

罪を犯すということは、薬毒で血が濁り、霊が曇るということですね。

結局人間の身体から薬を抜けば、悪人もなくなるんですね。

しかし悪人も今までは必要だったんです。

血を濁らせて、悪人をつくって・・・やっぱり必要だったからです。

だから、観音さんは薬師如来になって、薬を服ませたんですからね。やっぱり仕組みなんです。」