薬毒による浄化停止の影響について
明主様御教え 「寿命が延びた理由」 (昭和28年11月11日発行)
「近来人間の寿命が延びたといって、この原因を医学の進歩としているが、これは大変な誤りである事をかいてみよう。
それは何かというと、漢方薬と西洋薬との関係にある。
すなわちこれまでの日本人が短命であったのは漢方薬使用のためであって、誰も知る通り漢方薬なるものは量を非常に多くのまなければ効かないとされているからである。
ところが近来に至って漢方薬はほとんど影を没し、普通薬といえば洋薬を指すようになった。
何しろ洋薬は毒分としては漢薬と大差はないが、量が非常に少いため害も少く、これが寿命の延びた理由の一つであって、
歴史的にみても分る通り、日本においても上代は普通百歳以上であったものが、紀元千百二十八年雄略天皇頃、中国文化と共に漢方薬も渡来し、その頃から病人らしい病人が出来ると共に、漸次 寿齢も短くなったのである。
今一つの理由は近来薬学の進歩によって、浄化停止のための薬毒の力が強くなった割に、副作用の現われ方が延びたからである。
そのため浄化と浄化停止との摩擦が余程緩和された事と、今一つは最近の薬の成分が今までとは全然異った、すなわち抗生物質の発見で、これが大いに効いた訳である。
というのは医師も経験者もよく知っている通り、何程効く薬でも一つものを長く続けていると免疫性になり、漸次効かなくなる。
そこで薬を変えると一時よく効くのと同様であって、抗生薬を続けるとしたらいずれは元の木阿弥となるのはもちろんである。
というように薬効なるものはある限度があるから、治っても安心は出来ない。
つまり根治とはならないからである。
何よりも今日病気をもちながら、どうかこうか働いている人が非常に多くなった事実である。
それは前記のごとく病の一時抑えが、今までよりも期間が延長したためで、これを進歩と錯覚したのである。
従って若くして老人のような消極的健康者が増え、元気溌剌たる人間が段々減るのである。
この例として近来の英、仏等の民族がそうである。ところがこの理を知らない我国の当局は、矢鱈(やたら)に医学衛生を奨励し、無理をするな、大切にせよ等と注意を怠らないのは、健康が低下したからである事は、これで分るであろう。」
明主様御教え 「現代医学で病気は治るか」 (昭和25年4月20日発行)
「右のような、標題は大胆を通り越して気狂と思われるかも知れないが、最後まで、この所説を読むにおいて、何人といえども異存を唱える事は出来まい。
近来医学の進歩によって、若干寿命が延びたといって喜んでいるが、それらは一時的であって、将来は逆効果になる時が来るのは知れきった事で、これは予言しても決して誤りはないのである。
それらについて以下詳説してみよう。
まずその前提として確実なる証拠をお目にかけよう。
それは救世紙及び雑誌地上天国に満載しているおかげばなしである。
このおかげばなしの報告は、現在一ケ月数百通に及んでおり、それらことごとくといいたい程数年または数十年にわたり、あらゆる医療その他の療法によっても治らない重難症ばかりである。
これら一々を点検する時、医療の効果は全然ないばかりか、むしろ逆でさえある場合が、あまりに多い事実である。
しかもその不成績に対し多額の療法費を使い長い間苦しむのであるから、気の毒というより外はない。
しかるにこのおかげばなしは本療法によって、全治したものの感謝感激のあまり、同病者に知らせたい熱誠の迸(ほとばし)りからである。
何よりもこの記録を見た医家は何と批判するであろうか聞きたいものである。
医学では病気の治らない事と、ある期間寿齢が延びるという事と密接な関係がある事を気付かないので、この根本を神医学からの解釈を加えてみよう。
吾らが常にいうごとく、病気とは人間保有毒素の排除作用の苦痛を名付けたものである事を知らない医学は、苦痛を悪い意味に解し、それを緩和させるのを可とする。
その手段とした唯一のものが薬剤である。もちろん薬剤の本質は毒物で、それによって毒素排泄の力を弱らしめて苦痛を緩和させる。
それを病気治癒の方法と錯覚するのである。
従って、せっかく排除されようとする毒素を押えて、一時的苦痛緩和を図るのが医療の使命と思うのだからいかに誤っているかである。
ゆえに本当を言えば医療とは苦痛緩和法であって治病方法ではないのである。
標題のごとく「医学では病気は治らない」というのは、この文を熟読玩味すれば明らかに判るはずである。
この理によって医学の進歩とは苦痛緩和術の進歩で、言い換えれば、毒素排除を延す方法の進歩である。
事実余病や再発や慢性の原因はそのためであるから、医学と反対に毒素排除を促進させ、体内を清浄化する方法こそ、真の医術であり、真の健康者を作る手段である。
もちろん伝染病菌にも感染されない完全健康者となる以上、消毒も全然必要がなく、現代人通有の黴菌恐怖症などは消滅するのである。
そうして毒素とはもちろん薬毒が主なるものであるから一言にして言えば病気を治そうとする手段そのものが病気を作る結果となるのである。
事実、現代人が罹病するや直ちに医療を求めるのは常識である。
ところが前述のごとく医療は薬毒その他の方法で苦痛緩和手段を繰返えす結果、浄化は延期し、ついに半健康者となるのである。
そうしてこの半健康者はいかなる経路をたどるかを説明してみよう。
ここで、一つの重要なる事を書かねばならない。
さきに述べたごとき、毒素排除作用発生は何がためかというと、健康であるからで、健康者程新陳代謝が旺盛のため、吾らが言う浄化作用が起りやすいのである。
特に伝染病は最も旺盛なる浄化作用であるから、年少者に多いにみても明らかである。
また結核の青少年に多い事も同様の理である。ところが、医学の病理はこれと反対であるから、伝染病や結核は抵抗力が弱いためとする。
もしそうであるとすれば、老年期になる程抵抗力が弱るから、伝染病や結核に犯されやすい事になる。
また結核が長年月にわたるのは浄化発生を極力抑圧し引延ばすからである。
右の理を考える時、現代医学が進歩する程真健康者は漸減し、半健康者が増加するのは当然である。
半健康者とは青年にして老人のごとき中間性体質となるから、浄化力が微弱である以上、罹病の機会が減少する。
たまたま発生しても、浄化停止によって一時緩和する。
何よりも、近年労働者の労働力低減を看過する訳にはゆかない。
近来文明国における労働者が、疲れやすいため労働を嫌い、時間の短縮を強調する事や、農民までも労働持久力が低減した事等も一般が気がつかないだけで、実は体力減退のためである。
なるほど、文化が向上し労働者の幸福を思い、労働尊重の意味もあるが、その奥に右の点の潜んでいる事も見逃し難い事実ではある。
特に言いたい事は、近来、予防接種の問題である。
前述のごとく、伝染病は浄化力旺盛のためであるから、予防接種するや浄化力微弱となり、発病の機会が減少するというのを錯覚した訳である。
ところが、無毒である真健康者ならもちろん病気発生はないが、こういう健康者は現在皆無といってもいい程で、一般人は毒素保有の半健康人であるから、浄化発生すなわち病気に罹りやすいがまた一時的緩和もする。
もちろん発病するや、医療は極力浄化停止を行うが、浄化力は反撥する結果摩擦を生ずる。
その摩擦が強烈である程衰弱を増し死の転機を招く。例えば肺炎の場合がそうである。
元来、肺炎とは、猛烈なる浄化であるから、その治療剤を使用する場合、医家はこの薬なら速かに治るか、さもなければ死ぬかのどっちかだという。
それは強烈なる浄化に対するに強烈なる薬毒でなければならないからである。
この理は幼児にも当はまる。幼児の死亡率の多いのは幼児は最も浄化旺盛である。
それを停止する薬剤も普通薬でも幼児には強烈となるから、摩擦し死亡するという訳である。
以上のごとく、一々事実の説明によって大体は理解されたであろう。
とすれば、半健康人が漸次殖える以上、発病の機会が減少する事と、発病の場合も浄化微弱であるから、薬毒による強烈な摩擦を生じない訳で、一まず死を免れるというのが、近来寿命の延びた真の原因である。
しかしながらこの半健康人は長命は出来ない。何となれば老年期に入るや多量の保有毒素が老衰を早めるからで、彼の動脈硬化症も脳溢血も萎縮腎もこのためである。
右は事実が示している。近年平均年齢が延長したに関わらず、最長は変らないのである。
すなわち依然として八十歳以上は従来通りを統計が示している。
これによってみても、真の健康増進による寿齢延長でない事が知らるるのである。
最後に言うべき事は、神療法の真価は、罹病の場合浄化停止とは反対に浄化促進させ毒素を極力排除させるのである。
この経過はおかげばなし中に遺憾なく示されてある。
従って、神療法によって、真健康者になった者は九十以上の寿を保つ事は保証し得るのである。」
明主様御教え 「現代医学進歩の窮極」 (昭和26年9月12日発行)
「現代医学が、このままで進歩したとしたら、結局どうなるであろうかを、想像してかいてみるが、病気は浄化作用であり、医療は浄化停止であるという事が判ったとしたら、これも予想出来ないはずはない。
だがこれを知らない人が、初めてこの文を読んだとしたら、大いに驚愕するであろう。
そうして医学が今現に行いつつある浄化停止をすればする程、病気は起らなくなるので、それを医学の進歩と思い違い、益々その方法を進歩発達させる以上、これが逆効果となって、浄化微弱な人間ばかりが増えるのは当然である。
すなわち弱体健康者となり、消極的健康者の社会が出来るのである。
この理を判り易くするため、二つの例を挙げてみよう。
近来分った事だが、腺病質の虚弱児童程結核に罹りそうなものだが、事実は反対だという事と、今一つは伝染病が高度の文明国人には少なく、文化の低い民族と、そうして下層階級程多いとされている。
この事実によってみれば、前者は病気が発り得ない弱体者であり、後者は病気が発り得る健康者という事になる。
としたら実におかしな話と思うであろうが、それが事実であってみれば、何をかいわんやである。
そこで医学は、こういう擬似健康者を旺(さか)んに造っているので、これで進んでいったなら、窮極はどうなるかを考えてみるとして、今一つの例を拳げてみるが、
今日何よりも医学衛生を守る人程弱く、また弱いからそうする訳でもあろうが、そういう健康者が増えつつあるのは、注意すればよく分る。
これによってある程度病人は減ると共に、長寿者も増えるという妙な現象になる。
近来米国も日本も、国民の寿命が延びたといって、サモ医学の進歩のように思っているが、これは前述の理由を知らないからで、吾々からみればむしろ憂慮すべきである。
故にこのままで進むとしたら、次第次第に文化民族は消極的健康者が増え、いずれは重大な結果を生む事になろう。これは私の独断ではない。
現に英国及びフランス等を見ても肯ける。
近来両国民の元気のない事はなはだしく、ただ安逸を貪る事のみに汲々(きゅうきゅう)たる有様で、昔とは比較にならない程の国民性の衰えである。
しかも米国でさえ最近のスポーツ界を見ればよく分るごとく、ボクシングなどは有色人種の方が桁違いの強さである。
近来我国においても、この傾向が見え初めたのは大いに戒心すべき要があろう。
右は現代医学の進歩の真相をかいたのであるが、では窮極において文化民族の運命はどうなるかというと、容易ならぬものがある。
なるほど病人の数は漸次減るであろうが、その代り人間の元気は衰え、老人のような青年が増えるのは必至であり、一時は寿齢も延長するが、それを越えると大変な事になる。
すなわち今度は漸次短命となるからである。
しかもこの短命は今日のそれとは根本的に異うから、最早挽回の道はない事になり、ただ生きているに過ぎない人間が大部分を占める事になろう。
もちろんその時代は機械文明も極度に発達し、便利な社会となるから、これがまた拍車をかける事になる。
その結果長い間下積にされていた野蛮民族勃興の気運となり、ここに世界は野蛮と文明の交替が始まるであろう。
これこそ文化民族にとっての一大危機であり、その時になってあわてても最早遅いとしたら、今の内この誤れる現代医学に目覚め、積極的健康者を作り得る真の医学が出来なくてはならないのである。
ところが悲観するには当らない、何となれば神の大愛はこれを未然に防ぐべく、私をして真の医学の原理と治病の方法とを啓示され給うたからで、今現に素晴しい成績を挙げつつある事である。
そのような訳でやがては全世界の医学者も一般人も、あまねくこの事が分るとしたら、いかに人類は救われるであろう。
しかし一日早ければそれだけ速く危機を免れ得られる以上、何人も今直ぐに吾に来って、幸福の門を叩かれん事で、これを勧告して止まないものである。」
明主様御教え 「意外な話」 (昭和24年8月20日発行)
「近来、日本人の死亡率や伝染病減少を喜んでいるがこれは大間違いである、むしろ油断の出来ない現象で、その理由を説明してみよう。
吾々の常に唱うる病気は、浄化作用である以上、上の健康体は浄化発生はないが、一般人は中の健康だから病気発生しやすい、その場合医療を受ける、
医療は浄化停止だから摩擦を生じ、病勢悪化死亡する、伝染病も同様の理で、その証拠には普通健康民族は伝染病に罹りやすい、伝染病が老人に少なく、幼少青年期に多いのにみても明らかである、
とすれば伝染病減少は体力弱化のためであり、死亡率減少は体力弱化のため、浄化が起り得ないから罹病率が少ない事になるからともかく健康が維持される。
右の理は先進国の人口統計が物語っている、それは死亡率減少の次に来るものが人口減少である事は、英仏の統計にみて明らかである、
英が近年人口増加率逓減によって国力が衰え、仏の人口マイナスは有名な話である。
しかも日本は産制まで行う以上、数年ならずして人口大減少時代の来る事は吾らの確言するところである。」
明主様御教え 「医学の進歩と寿命」
「近頃医学の進歩によって、人間の寿命が延びたといっているが、なるほど数字から見たらば確かにそれに違いないが、それは表面に現われた現象であって、ただ漫然とそれを謳歌(おうか)する事は間違っている。
何となれば確かに寿命は延びたが、病人の数は少しも減っていないのは統計が示していると医学も報じている。
これによってみても人間が健康になって寿命が延びたのなら、どんなに医学の進歩として礼讃してもいいが、そうでないとしたら漫然と楽観は出来ない。
ところがこのような矛盾した理由は医学で説明すべきだが、その理由が分らないとみえて、何ら説明を聞かないのは困った話である。
また世の中の人もその疑問を知りたいと思う人もないとみえて、新聞などにも出ていそうなものだが、まだ見ないのは不可解と思う。
察するに医学に迷信している結果、少しは変だと思う事があっても、そこまでは考えないであろう。
しかしそれも無理はない。
なぜなれば医学の方で一般に納得がゆくよう詳しく説明すべきだが、それが不可能であるため、心では思っているだろうが、堂々と説明が出来ないのである。
これだけにみても私が常に医学の迷蒙を嘆いているのにみても分るであろう。
そこで私はこれを徹底的に説明し、医学者に諭(おし)えると共に、一般人にも理解の出来るようかいてみよう。
医療とは人間体内に保有している毒素の排除の苦痛が病気であるという事であり、その苦痛を病気と誤っている医学は、薬という毒を服まして排毒を停める。
それだけ苦痛が緩和されるので治ると間違い、無暗に薬毒を服ませる。
故に毒の強い程効く訳である。ところが薬でも同じものを服んでいると段々効かなくなる。
これは人体の方で抗毒素が段々出来るからで、これは近来流行の麻薬と同じ理屈である。
また何病でも同じ薬を服んでいると段々効かなくなり、変えると一時効くという事は、長い病気の人や、医師もよく知っているであろう。
もちろん効くという事は薬が替るから効くというのではなく、毒が替るから効くのである。
つまり毒で病気を抑える、その毒が替るからである。
ところが近頃になって薬剤界の方でも抗性物質を使うとよく効くという事を発見したといわれている。
これが近来続出する新薬である。ではなぜ効くかというと、今まで人間が使っていた薬の性質とは一変した訳であるから、それで一時効くのである。
しかしこれも年限が経てば元の木阿弥となるに決っているから、寿命の延びた自慢もお終いになろう。
これによって考えれば、新薬で病気が治ったのではない。
抑えている期間が増えた訳である。
ところが困った事には病気が治り健康になったのではない、死ぬのが延びただけであるから、統計上病人が減らないのはその理由である。
その結果死にもせず、健康にもならないという、言わば中途半端のブラブラ人間や老人が増えるので、国民の元気は衰え、生ける屍ではなく、健康である病人が増える事になる。
この見本が英仏であるから、英仏の国力の衰え方をみても分るであろう。
この事の最も著しいのが結核である。
近年結核死亡率が減ったといいながら、患者は増えるばかりで、病院が足りない、ベッドが足りないで悲鳴を上げている。
ところでこれに拍車をかけるのが結核にはお決りの絶対安静である。
従ってこの分でゆくと、何年も寝ながら天井を見つめている人間がサゾ増えるであろう。
それも若い人間が多いのだから、国家経済からいったら大きなマイナスであろう。
日本が経済上不如意なのも、この辺に原因があるのであろう。
ではこの問題をどうすれば、最もいい解決が出来るかというと、それをこれからかいてみよう。」
明主様御教え 「薬毒に就いて」 (昭和28年御執筆)
「前項までに詳説した薬毒のいかなるものであるかは、大体分ったであろうが、ここに最も明らかな例をかいてみると、
もし薬なるものが本当に病を治す力があるとしたら、先祖代々人間体内に入れた薬毒は、驚くべき量に上っているはずであるから、現代の人間は非常に健康になっていて、病人など一人も無い世界になっていなければならないにかかわらず、
事実はその反対であるとしたら、ここに疑問が起らなければならないが、全然気付かない迷盲である。
何よりも昔から病は薬で治るものとの信念になり切っており、それが迷信となってしまったのである。
それがため医学の進歩を嗤(わら)うがごとく病人は増えるばかりで、医師が、看護婦が足りない、病院は満員、ベッドの不足、健康保険、療養所、社会衛生等々、何だかんだの病気に対する対策の繁なる衆知の通りで、
これだけ見れば医学の進歩とは科学的に、微に入り細に渉っての唯物的進歩であるから、治す進歩であって治る進歩でない。
学理上治るべき進歩であって、実際上治るべき進歩ではない。
こう見てくると現代人の生命は学理の支配下にある以上、もし学理が誤っているとしたら、学理の犠牲になる訳である。
その根本は現在の学理は、人間生命まで解決出来る程に進歩したと信じているからである。
実に驚くべき学理の信奉者である。
そうして最近の統計によれば、日本人の寿命は近来非常に延び、三十年前は男女平均四十七歳であったものが、最近は六十二、三歳にまで延長したといって喜んでおり、これが医学の進歩としているが、この理由はこうである。
すなわち浄化作用を止めるべく医学は薬毒で人体を弱らせ、浄化を弱らせ、苦痛を緩和する。
ところが以前用いた薬毒は弱いため浄化の方が勝って死んだのであるが、近頃の新薬は中毒が起らない程度に毒を強めるに成功したので、浄化の停止期間が長くなり、それだけ死も延長された訳で、ちょうど医学が進歩したように見えるのである。
従って近来の新薬続出となったので、言わば変体的進歩である。
もちろんそれで病が治るのではないから、死にもせず健康にもならないという中ブラ人間が増えるばかりで、この傾向は文明国程そうである。
近頃欧州から帰朝した人の話によるも、英仏などは老人が多くなると共に、一般国民は勤労を厭い、安易な生活を求め、享楽に耽る事のみ考えており、
殊に英国のごときは食糧不足に悩まされ、戦敗国の日本よりも酷いという事であるから、全く国民体力が低下したためであるのは争うべくもない。
同国に社会主義が発展したのもそのためで、社会主義は優勝劣敗を好まず、働く意欲が衰えるからで、英国近来の疲弊もそれが拍車となったので、日本も大いに考えるべきである。
話は別だが歴史を繙(ひもと)いてみると、日本の建国後千年くらいまでは、天皇の寿齢百歳以上が通例であった事で、その時代はもちろん薬がなかったからである。
その後漢方薬が渡来してから病が発生しはじめたと共に、千四百年前仏教渡来後、間もなく疫病が流行し、当時の政府は仏教入国のため、日本神々の怒りといい、仏教を禁圧したところ、
それでも効果ないので、再び許したという事である。
今一つの例は有名な伝説で、彼の秦の始皇帝が「東方に蓬莱島(日本)あり、その島の住民は非常に長命で、定めし素晴しい薬があるに違いないから、その霊薬を探し求めよ」と、臣徐福に命じ渡来させたところ、
当時の日本は無薬時代であった事が分り、流石の徐福も帰国する能(あた)わず、そのまま日本に残り一生を終ったそうで、今もその墓が和歌山の某所にあるそうだから、無稽(むけい)な説でない事が分る。
これらによってみても人間の寿齢は、薬さえ用いなければ百歳以上は易々(いい)たるもので、事実人間の死は病気のためで、言わば不自然死であるから、無薬時代となれば自然死となる以上、長命するのは何ら不思議はないのである。」
明主様御教え 「結核半減記念祝いに就て」 (昭和27年6月18日発行)
「先日、日本における結核死亡率が半減したというので記念祝いをしたが、これを吾々からみると余りに軽率どころか、馬鹿馬鹿しいとさえ思われるのである。
というのは、なるほど死亡率は半減したが、患者の数は少しも減らないのみか、依然として増加の傾向にあるので、この点深く考えてみるべきである。
なるほど患者の数が減ったなら、それこそどんな御祝いしても、吾々も喜んで賛成したいが、死亡者だけの減少では、到底楽観は出来難いのである。
これも医学は根本が分っていないから仕方がないが、実は喜ぶどころか悲観した方がいいくらいである。
それを今詳しく解説するが、これが分ったなら冷汗三斗の人が随分あるであろう。
いつもいう通り、近来 ストマイ(註 ストレプトマイシン)、パス(註 パラ‐アミノ‐サリチル酸)等次々新薬が出るが、
これらの薬効は毒物による浄化作用停止の力を強めたまでで、一時的に病気症状が減るから利くと思うだけで、実は小康を得るにすぎないのである。
従って単に死ぬのが延びただけで、もちろん長くは続かないから安心は出来ないので、これが死亡率は減っても患者の数は減らない根本原因である。
では今まで通りにしていれば、今後どうなるかというと、無論時の経つに従い再び浄化が起り始め、患者の数も増すので、再び薬を用いるが、
今度は以前程に効かないから、毒を一層強めた薬が出来る事になるのはもちろんで、ちょうど麻薬中毒患者と同様である。
そうしている中にいよいよ効かなくなり、ついには全然効果がなくなると共に、今までの強い薬毒の浄化も加わって、悪性結核激発となり、急死する者数知れずという事になろうから、今よりも幾層倍の結核患者が出来るであろう。
以上のような訳でその時になったなら、今度の記念祝典を憶い出して身が縮むであろう。
私はこのような悲観的な事は言いたくはないが、そうなるのは今から判っている以上、警告せざるを得ないのである。
ここで重ねて言うが、今日のごとき死亡率半減期間は一時的であるから、来年、再来年というように、再び頭をもち上げ始めるのはもちろんであるから、当局も一般人も大いに周章(あわ)て出し、結局今日の新薬が恐怖時代を作った事になるのである。
としたらその迷言たるや言うべき言葉はないのである。
しかも文化の発達した米国の医学者達までが、依然としてその迷言に目覚めない今日、ここに神様は大慈大悲の大御心によって、私をして世界に知らしめんとなし給うのである。
ここで今一つ重要な事がある。右のごとく新薬の効果によって、直に死なない半病人が増えるから、毀れ物扱いをされなければならないような消極的健康人が氾濫し、元気よく長時間働く事も出来ず、軽作業がやっとくらいの人間がおびただしい数に上るであろう。
としたら国家全体から見ても由々しき大問題である。
そこへゆくと本教浄霊は、保有しているだけの毒素を溶かして排泄させるのであるから、真の健康者となるから、これ程素晴しい福音はないであろう。
従って当局も医家もこれを知ったなら、私情や私利を度外し、一日も早く吾々の仕事に参加すべきで、これこそ最も賢明であり、医学者否文化人としての真のあり方であろう。
いずれはそうせざるを得ない事になるのは明らかであるから、好むと好まざるとにかかわらず、断然百八十度の転換を勧めて止まないのである。」
明主様御講話 「先進国は薬毒が原因でヒョロヒョロな人間が増えた」 (昭和27年2月5日)
「近ごろ・・・去年あたりは結核が減ったなんて喜んでますけれども、減ったというのは、BCGとか、ストレプトマイシンとか、やれオーレオマイシンだとか、いろいろ新しい・・・ああいう薬を用いますから、そのために浄化を停止したんです。
浄化を停止したために、一時、死亡だとか悪化を・・・一時食い止めたから・・・抑えたからね。
それだから、ちょっとそういった死亡率とか患者とかが減ったんですが、
けれどもそれで、ずっといくわけじゃないんだから、結局また浄化が起って、今度は先よりか悪性な結核か、さもなければ他の病気ですね。形を変えた病気ですね。
形を変えた病気というのは、近ごろアメリカで非常に起り出してきたですね。
アメリカでは、今までないような悪性な病気がだいぶ起ってきましたが、これは結核を食い止めたためです。
それから英国あたりは、結核が非常に少ないけれども、浄化をごく弱らせた・・・消極的健康者ですね。フラフラ人形ですね。
この間も、私は映画を見て、外国のニュース映画ですが、ボクシングですね。
黒人と白人とやったけれども、てんで・・・まるで、桁が違うですね。
実にイギリス人の方が弱いですね。まるでヘトヘトです。
黒人のなんとかいう・・・有名な・・・あれは強いです。
近ごろボクシングは、みんな黒人の方が強いですね。
それから、他の重量挙げとかマラソンとか、アメリカ辺りでもインデイアンの方がずっと強くなってきた。
ですから、文明国の人間の方は、ただ病気を起らないようにするために弱らせ、起らないようにしたんですから、そういうヒョロヒョロな人間がだんだん増えちゃった。
これは私がいつも書いているから解りますがね。
従って英国でも、国民の元気さがなくなってきたですね。
だから戦争とか、そういったことを怖れて、ただ無抵抗主義になった。
あれは国民の元気がなくなった・・・弱ったためです。
そのために、イラン問題とか、エジプト問題ですね・・・あれが各地に起ってきて・・・結局は英国は植民地だってなくなりますよ。
それをどうするというだけの元気が、もうないですね。
そんなような具合に、医学のためにだんだん弱らせていた。
これははっきり解っているんです。
それが、結局主なものは薬毒ですけれども、これをどうしても、文明国の人間に解らせなければしようがないんです。
それを解らせるとしたら、どうしても世界的にうんとやらなければならない。
神様もそういう御意志なんです。
それは勿論成功しますけれども、いろんな変化はあるだろうと思います。
で、これは平和的の革命ですから、いくら思いきってやったところで・・・別にそんな危険なことや、そういうことはないんです。安心して良い。」
明主様御講話 「薬による浄化停止で消極的人間が増える」 (昭和28年11月5日)
(御論文「寿命が延びた理由」発表)
「だから病気でなくて真の健康で働いて長生きするというのが本当です。
ところがそれができないからして、病気を浄化停止で大事にそっとしていて死なないだけにしているわけです。
だから健康で寿命が延びたのでなくて、病気を押さえつけたまま、ただ寿命だけを延ばしたというわけです。
ところが以前は、病気が起こった場合に浄化停止の薬の毒が薄かったために、浄化の方が強くなって、そうして死ぬというわけだったのですから、つまり毒を強くして浄化を止めてしまうということが進歩といえば進歩です。
ですからそれが今の抗生物質というものなのです。
その代わりだんだん老人が増えます。
これは英、仏がそうです。
だからして元気のある人間が少なくなるのです。
ただその日を安穏に暮らしてゆくという消極的人間が増えるのです。
英、仏の状態はそれがよく現われてます。
ただ楽に暮らしてゆくというのです。
それにお誂え向きなのが社会主義なのです。
英国の社会主義の発達がそういうためなのです。
そう働かなくても食い物だけは食える、配給される、それからすべては政府でやってくれる、学校の授業料はただ同様にしてくれる・・・
ついこの間までは歯は全部官費だったのです。
ただで歯を治してくれるのです。
ところが近ごろは財政困難のために歯は個人で出すというように規則の改正がありました。
そういうようだから、人民はそう働かなくても食うに困らないというわけなのです。
だから楽には違いないが、国民の元気がなくなってきました。
国民が、ただ楽して生きてゆくということだけしか考えなくなってきたのです。
そういうようなわけだからして、死亡率は一時減っただけのもので、今に同じになってしまいます。
それはただ死亡率が延びただけのもので、その延びた期間だけが減ったというわけです。
ですからその期間を過ぎると同じになってきます。
だから医学の進歩のために寿命が延びたということは、延びたにしても一時的のものです。
ただ国民の元気がなくなって、国民が弱ったまま長くなるだけのものですから、国家の経済上から言ったら非常にマイナスになるわけです。
そういうことを言ったところで当局などは、もう「超愚」になってますから、分かるわけがありません。
それから私は前から恐怖時代が来るということを言ってましたが、これがだいぶ近寄りつつあります。
まだ一般に気のつくところまでは行っていませんが、少なくとももう二、三年以上たつと急激に病人が増えてバタバタ死ぬことになります。
ちょうど今年の稲作が急激に悪くなったというように、どうしてこんなに病人が増えるのか、ということが分からないために大問題になります。
医者がちょっと手をつけるとコロッと死んでしまうとか、やればやるほど悪くなるのが、目に見えてだんだん激しくなってくるということになって、
そこで初めてメシヤ教の説というものが、たいしたものだということになるとともに、それを治してやる仕事がウンと忙しくなるわけです。
だから今の信者の人たちはその時のための一つの用意です。
急に増やすわけにもゆかないし、教修者がすぐに病気を治せるが、やはり前からそうとう熟練をした人は違いますし、
また神様の医学の医学的知識もあるし、慣れているという人が相当数いないと、その時になってみんなやられてしまうから、今はその準備と思えばよいです。」
明主様御教え 「此事実を考えて見よ」 (昭和26年8月1日発行)
「去る七月八日の夕刊読売紙上に「注射ばやり」の題の下に、正宗白鳥(まさむねはくちょう)氏の文が載っていたが、それはこうである。」
新聞記事
「注射治療は益々流行しているようである、私は保健のための注射も病気治療の注射もやった事はない、
先頃腸チフスの予防注射が施行されるので町役場から通知書が配布されたが、
それには何年生まれから何年生まれまでと制限されていて、六十歳以上の者は除外されていた、
老人には病の危険がないのか、注射の効果がないのか、あるいは老人その者は存在価値がないので無視しているのか、その理由は分らなかった。
その通知書には、注射を受けに行かない者は三千円の罰金に処すと記されてあった、老人無視は気にならなかったが、
この罰金の事は、私の頭脳のわだかまりとなった、チフスの予防注射は的確に効能のあるものとされ、
自分自身のためばかりではなく、社会公共のためにも罹病を防ぐための法を講ずるのは当然で、それを怠る不心得者は罰すべきだとされているが、
それにかかわらず、その強圧的態度は人をして不愉快を感ぜしめるのである、
電車内の喫煙、往来での放尿など禁止するのが当然であり
それを犯す者を処罰するのは当然であると思っている程に公共道徳観強い私が、罰金でおどかしてまでチフス予防注射を強行するのを変に感じたのはなぜか。
それは私の心の底に、暗々裏に予防注射なんか効くかどうだか判るものかと思っているためではあるまいか、
効くかどうだか分りもしないものを強制していいかと暗々裏に疑っているためではあるまいか、それは私の無知のせいであろうか、
しかしこれは無知のせいであるとしても、世の中には判りもしないくせに人に強制して当人の好まざる事を行わせる事が極めて多いのである。
古今東西すべてかくのごとくして、人世は経営されたのである、そうでなければ社会の秩序は保たれないのであろう、
強権者出て弾圧的に人間の行動や思想を統一しなければ、人の世は成立たないのであろう、
封建的強権者、民主的強権者、民衆のかたまりが他を強圧する事もはなはだしいのである。
新しい注射的治療法が発達したため、色々な病気が喰止められて、死亡率は著しく減ったそうだが、
しかし今まで不治の病とされていたものが、完全に回復するのではなくって、生きもせず死にもせずといった有様で生命が持続するものの殖えるのが、日本の現状であるそうだ、
秦の始皇帝の求めていたような不死の薬は、いくら医術が進歩しても、出現しようとは思われない。
もしそういう「不死注射」でも出来て、働けない老朽者で、世界が一杯になったら、人類生活は成立たないのであるが、
新薬注射で、死にもせず、生きもせずの人間が多数になり過ぎても人類生活の成立たなくなる事は不死の薬発明と似通(にかよ)ったものとなるであろう」(芸術院会員)
「右を読んでみて、私は実に驚いたのである、というのは私の唱える説を裏付したようなものであるからで、それについて少しかいてみるが、
信者はよく知らるる通り、病気とは体内に溜っている毒素を排除させる浄化作用であって、
この浄化作用は体力が旺盛であればある程起るものであるから、
単に病気を起さないようにするだけなら、体力を弱らせばいい訳である、
その方法としては、薬を体へ入れる事で、いつもいう通り薬とは実は毒であるから、体へ入れる程弱るのは当然であるから、その原理を応用したものが現代医学の注射であるから、
正宗氏の言うごとく、近頃の人間は、病気は起らないだけの死にもせず、そうかといって溌剌(はつらつ)たる元気のない者が段々増えてゆくのは事実である、
そうして近来日本人の寿命が延びたという報告があるが、全くこのためであろう、
ところがこれは独り日本人ばかりではない、英国人もフランス人もそういう傾向がある、
両国民が近来非常に戦争を嫌い、何事も妥協主義で安易を好む結果は、中共へ対する態度にみても分るし、イラン問題にしてもそうである、
もっとも人口増加率の低下も一因であるが、何しろ両国民の元気のない事は盛りが過ぎた下り坂の運命を見るようだ。
このような病気の起らない弱体人を、私は擬健康というのであるが、日本人も今の内に覚醒しないと前途は思いやられるのである、
これに反し吾々の方は、薬毒を入れないで、無病者を作るのであるから、これが本当の健康法である事を知るであろう。」
明主様御教え 「生産増加の根本条件」 (昭和18年10月5日発行)
「我日本が現在直面しつつあるこの難局に対し最大喫緊(きっきん)事である事は戦力の増強、即ち生産力拡充である事は今更言うまでもなく、官民共に努力の焦点としている事によってみても明かであろう。
そうしてこの問題に対し、現在行いつつある方策なるものは、私はいささか的外れではないかと思うのである。
それは何であるかというと、識者の見解によれば生産増加の原動力は、国民一般がこの重大時局に対し認識と熱意が、今一層強化されなければならないとしているようである。
従って、重点を意志や思想に置いている事である。
即ち勤王の大義を説き、幕末の志士等の言行を以て亀鑑(きかん)とすべく筆に口に鼓吹しつつあるのであるが、それらも勿論緊要事ではあるが、それよりもなお一層重要なる点に気付かなければならないと思うのである。
先般翼賛会のある有力者のラジオ講演によれば「我国民は近来、戦時意識に対し、中だるみがしてはいないかと想う。それは生産部面が予期のごとき成果を挙げ得られないという事である」と、
しかるに私は、この言葉の奥にはまことに憂慮すべきものを示唆していると思う。
何となれば現在益々増産しなければならないこの時期において、中だるみなどという事はあり得べきはずはないからである。
いうまでもなく今日においては最早国民中一人としてこの重大時局を突破するには生産の増加あるのみという事を意識しない者はないはずである。
銃後も戦場であり、一億全部が戦いつつあるという覚悟をもっていない者はあるまいからである。
しかるに、その国民の総意が生産に表われないとすれば、それはいずれかに割切れない何かがあるに違いないからであろう。
しからばそれは何であるか、私は次に書いてみよう。
右の原因として、一言にしていえば国民全般が疲れているのである。
否疲れるのである。いかに確固たる意志があり、精神力が旺盛であっても、体がいう事をきかないのである。
それは体力の限度を超える事は出来得ないからである。
即ち十五貫の重量を限度とする人はいかに精神力を揮(ふる)っても二十貫は持ち得ないと同様である。
この意味において私は、現在の日本国民は精神力が勝ち過ぎ体力がそれに伴わないというのが真相ではないかと思うのである。
右の意味によって考える時、中だるみという事の原因は体力低下にありという事を物語っているのではあるまいか。
しかも緊張しなくてはならないというこの際、それは体力の低下が相当寒心すべき程度にあると思うのは杞憂(きゆう)ではあるまい。
しからば、右のごとき体力の低下はいかなる訳であろうか。本医術に照し考うる時あまりにも明白である。
それは勿論現在の保健衛生が適正でないという事に帰しよう。
そうしてさきに説いたごとく疲れとは微熱発生の為であり、微熱発生とは保有せる溜結毒素に対し労務特に激烈なる労務によって浄化作用が発生するのである。
しからば保有毒素とは何か、いうまでもなく予防注射等による薬毒の凝結及び感冒的浄化作用の抑圧による毒素累積の二つが重なる原因である。
右のごとくである以上、この解決は容易である。それは薬剤を廃止する事と感冒に罹るようにする事である。
単なるこの二つの実行によって国民の体力が増強するという事は何たる簡単な方法ではあるまいか。
しかるに、右の原理とおよそ反対である今日の保健衛生であるから、いよいよますます体力は低下するのみであろう。
故に、この根本原理に目覚めない限り、国家の前途はいかになりゆくや、これを思う時、私は晏如(あんじょ)たり得ないのである。
今一つ重要な事がある。それは医学においては結核の重なる原因として過労及び睡眠不足を挙げている。
従って、この事を信ずるとすれば右の過労と睡眠不足を極力避けなければならない事になるから、それが為の注意の観念が仕事の上にどう作用するかという事を考えてみなくてはならない。
即ち今一息頑張ればいいという時、又は今一息仕事の時間を延ばそうとする場合、精神的に躊躇するのは当然であろう。
故に、右のごとき結果として生産の上に影響する所いかに大なるものがあるかという事である。
又さきに説いたごとく感染の憂なき結核を感染するとなし工場出勤を禁じたり、早期診断の結果仕事に従事しながら治癒する程度の軽症を工場から離脱せしむるごとき等いずれも生産力に影響する所鮮少ではないであろう。
右に述べたるごとき種々の医学的方策がいかに生産力を阻害し、生産減少の原因となっているかは、けだし量り知れないであろう。」 (「明日の医術 第1編」より)