薬剤中毒について
明主様御講義 「薬剤中毒」 (昭和10年御執筆)
「病気が、薬剤に依って治癒するものと一般は思っているが、これが大変な謬りである。
薬剤なる物の力は、苦痛を緩和させるだけの働きである。
しかるに実際の治癒から言えば、前項に述べたるごとく、苦痛その物が病気治療の工作であるから、その苦痛を緩和するという事は治病の延期になる訳である。
しかもそれのみではない。苦痛を緩和した、薬剤その物は、血液中に混入するのである。
元来、血液は、絶対的純潔を保たなければならない性質のものであって、人間は血液さえ純潔ならば、黴菌に対する殺菌力の強烈なるはこれも、前項に述べた通りであるから、病魔には襲われないのである。
又血液純潔ならば、その人は外界に対する抵抗力が強きを以て、冬の寒さも、夏の暑さにも、割合耐え易く、常に朗らかにして、元気旺盛なのである。
現在非常に多い、神経衰弱等は、血液の溷濁(こんだく)が原因である。
それらの多くは肉食及び薬剤服用、注射等の為が頗る多いのである。
私が永い経験上、何年も薬剤を服用し、又は頻繁なる注射をなしたる人の皮膚をみれば能く判るのである。
一見するに、皮膚は黄色を帯び、光沢なく、弾力も無く、三四十にして、すでに老人の皮膚のごとくである。
かくのごとき人は、常に憂欝にして元気なく、これと言う病気が無いに拘わらず、何となく優れず、随って、年が年中、薬餌に親しむという具合で、
本人は飽くまで、薬に依らざれば、健康は回復しないものと、信じ切っているから、あちこちの病院を彷い、又は種々の薬剤を物色しつつ、
年を経る毎に、漸次、衰弱の度を増し、ついには、生命を失うまでに到るのである。
嗚呼、かくのごとき薬剤中毒者が、年々増加の傾向を認むるにおいては、結核や伝染病よりも恐るべきものがあるのであって、しかも、何人もこれに気が付かないというにおいては、人類社会の大問題である。
私はこういう患者へ対して、薬剤中毒のいかに恐るべきかを教えるのである。
幸にもそれを信じ、実行する人は、時日の経るに従い、薬剤中毒の自然消滅によって血行の循環は良くなり、胃腸は活力を益し、全体的健康は増進して来るのである。
特に注意すべきは、小児の発育不良、慢性下痢等である。
これらはほとんど、薬剤中毒である事は勿論、も一つ恐るべき事は、嬰児の発育停止である。
折々見る所であるが、非常に発育が悪く一年を経ても、歯が生えないとか、目方が増えないとか、ほとんど発育停止の状態なのがある。
この原因は医師に判らないという事をよく聞くが、私の診断では、矢張り、薬剤中毒である。
生後間もない嬰児には、乳以外他の何物も不可なのである故に、薬剤服用が非常な悪作用をするのである。
故に、そういう嬰児に、薬剤使用を禁止するにおいて、漸く普通の発育状態に還るにみても間違いのない事である。
次に、面白いのは、多く足部であるが、豆粒大もしくは、梅干大の腫物が、能く出来るのを見るであろう。
これは未だ誰も気が付かないが、実は、各種の予防注射が原因であるのである。
それは、注射薬が、一旦、血液へ混入するや、時日の経るに従い、血液自体の、不断の浄化作用によって、血液中の不純物は局部的に集中せらるるのである。
そして、なお益々、浄化せらるるにおいて、遂に膿汁と化するのである。
その膿汁が外に出でんとする、それが、前述の腫物の発生になるのである。
故にこの場合は、自然に放置しておけば、膿汁は皮膚を破って排出され、自然に治癒するのであるが、この理を知らざる故に、驚いて医療を受ける、医師も気が付かないから切開をする、
その時、無痛等の注射をするに依って、その注射薬が又、いずれは再び、膿汁となるから腫物が出来る、再び切ると言う様な事を繰返すのである。
しかるに、不幸なる患者は、医師の誤診の犠牲となり、最後に医師は再々の腫物に依って梅毒の疑を起し、駆梅療法を行うのである。
例の六百六号や、水銀療法等で、それら薬物が又、時日を経るに従い、膿汁に変化する。
こういう膿汁又は汚血は、普通肩胛部、頸部に集注する性質がある。
常に肩が凝り、首筋が凝り、頭痛がするという人は、そういう原因から来たのが多いのである。
こういう患者が、偶々心配や過激に頭脳使用するにおいて、精神朦朧となったり、頭痛眩暈(めまい)等を起すのである。
そうなると、医師の診断は、往々、脳梅毒と誤診するのである。
脳梅毒と宣告された患者は、発狂の前提と思い、恐怖心を起し、職業を抛ち、廃人のごとき生活を送るものさえあるのである。
嗚呼、諸君、これは架空の話や小説ではない。
実際である。私が、観音力に依って知り得た、多数患者の病気の本源である。
即ち、始め単なる一本の予防注射が、遂に、廃人同様の脳梅毒患者にまでされてしまうのである。
何と悲惨なる事ではないか。
かく、私が述べる事は、余りにも不思議と思うであろう。
しかし、事実であるにおいて致し方がないのである。
これらの真実を社会に覚醒さする運動こそ、人類救済の、根本的、緊要事であり、政治経済以上の大問題である。」 (「日本医術講義録 第1篇」より)
明主様御教え 「薬の逆効果」 (昭和28年御執筆)
「次に薬の逆効果をかいてみるが、再三述べたごとく、今日まで広い世界に薬で病が治った例しは一人もない事である。
もちろん治るという事は、手術もせず薬だけで再びその病気が起らないまでに根治する事であって、これが本当の治り方である。
ところが事実はそのことごとくが一時的効果でしかないのは、一例を挙げれば彼の喘息である。
この病気に対する特効薬エフェドリンのごとき注射にしても、なるほど最初は一本でピタリと止まるが、
それはある期間だけの事で、暫くするとまた起るというように、その期間も漸次狭(せば)まり、
初めの内は一ケ月に一回で済んだものが、三週間、二週間、一週間というようになり、ついには一日数回から数十回に及ぶ者さえある。
そうなると自分で注射器を握り、その都度射つのであるが、こうなると最早死の一歩手前に来た訳で、まず助からないとみてよかろう。
ところが喘息ばかりではない、あらゆる注射もそうであるから、実に恐るべき問題である。
もちろん服薬も同様であって、世間よく薬好きの人とか、薬の問屋、薬詰めなどといわれている人もよくあるが、
こういう人は死にもせず、健康にもならず、中途半端で年中ブラブラしていて、生きているのは名ばかりである。
ところがそういう人の言い条(じょう)がいい。
「私が生きているのは全く薬のおかげです」としているが、実は薬のために健康になれないのを反対に解釈したので、薬迷信が骨の髄まで沁み込んでいるためである。
これを一層判り易くいえば、いかなる薬でも麻薬中毒と作用は異ならない。
ただ麻薬は薬の効いてる間が短いから頻繁に射つので、普通の薬は効いてる間が長いため気が付かないまでである。
この理によって麻薬は急性、普通薬は慢性と思えはよく分るであろう。
そうして薬について医学の解釈であるが、それはどんな薬でも余毒は自然に排泄消滅するものとしている考え方で、これが大変な誤りである。
というのは元来人間の消化機能は、消化される物とされない物とは自ら区別されている。
すなわち消化されるものとしては、昔から決っている五穀、野菜、魚鳥獣肉等で、それらは人間の味覚と合っているからよく分る。
これが自然に叶った食餌法である以上、これを実行していれば病気に罹るはずはなく、いつも健康であるべきである。
それだのに何ぞや、アレが薬になるとか、これは毒だなどといって、人間が勝手に決め、食いたい物を食わず、食いたくない物を我慢して食うなど、その愚なる呆れる外はないのである。
また昔から良薬は口に苦しというが、これも間違っている。苦いという事は毒だから、口に入れるなとその物自体が示している訳で、毒だから浄化が停止され、一時快くなるので効くと誤ったのである。
元来消化器能なるものは、定められた食物以外は処理出来ないよう造られている以上、薬は異物であるから処理されないに決っている。
それが体内に残存し、毒化し、病原となるので、この理を知っただけでも、人間は大いに救われるのである。
しかも薬剤の原料はことごとく毒である事は、専門家もよく知っている。
それは新薬研究の場合、必ず毒物を原料とする。
彼の梅毒の特効薬六○六号にしても、耳掻一杯で致死量という猛毒亜砒酸(あひさん)である。
また近来流行のペニシリンにしても、原料は水苔であるから毒物ではないが、人間の口へ入れるべきものではない。
魚の餌として神が造られたものであるから、人間に役立つはずはない。
またよく薬の分量を決め、破ると中毒の危険があるとしているが、これも毒だからである。
以上によって薬と名の付くものはことごとく毒であり異物である以上、消化吸収されず、体内に残って病原となるという簡単な理屈が分らないというのは、全く医薬迷信の虜になっているからである。」
明主様御教え 「科学迷信」 (昭和24年12月3日発行)
「一般世人は迷信といえば科学と関係がないように思い別個の存在としているがこれは大きな誤りである、
科学にも相当迷信があり、科学迷信によって少なからず被害を蒙(こうむ)るものがあるばかりか、中には生命を失うものさえある、
というと眉をひそめる人もあろうが、事実であるから仕方がない、
しからば一体どういう訳かというと近来流行している麻薬中毒である、
ヒロポンを主とし種々の薬剤がある、最初これを用いるものはそれ程有害とは思わないらしい、
中には、恐るべきを知ってやめるものも相当あるようだが、大抵は漸次深入りしてどうにもならなくなる。
しかるに、このような事態を生む原因はもちろん昔から薬に対する強い信頼感で、
薬とさえいえば効き目の方ばかりが頭にあって毒の方は軽視し勝ちである、
現代人がいかに薬剤に憧れをもっているかは日々の新聞紙上多数の売薬の広告をみても判るであろう、
ところが吾らからいえば麻薬中毒とは現在はっきり分ったもののみではない、
あらゆる薬剤は麻薬中毒とほとんど同一の作用である、
ただ麻薬中毒のごとく、短期間に強烈に来ないで至極緩慢な経過をたどるので、誰も気がつかないだけである、
もちろん中毒であるから一時は苦痛緩和の効果があるため、医師も患者も、それで治ると錯覚するのである、
この結果薬剤によって病気を造る人や、生命を短縮する人のいかに多いかは測り知れないものがあろう、
吾らが常に薬毒という事を唱えるが、右のごとき薬害を世人に知らしめんがためである。
以上によって考えればよく判るのである、すなわち今日の薬剤は、科学の産物であり、
現代人は科学とさえいえば信頼するので、生命を縮めるものを知らず識らず用いるのである、
という事は、科学迷信でなくて何であろう、アア恐るべき科学迷信よ。」
明主様御教え 「浄霊術で完全に治癒・法話 三」 (昭和28年2月26日発行)
「薬毒による病気の中で一番多いのは胃病だ。
これは最初、食い過ぎ、胸焼け、消化不良、といった現象を起すが、誰でもすぐ胃薬を飲んで一時は治ったように思うが、日が経つと再発する。
そして、また薬で治す、また起るという風にして結局、慢性になってしまう。自然に放っておけば治るものを、今、いったような間違った方法をするから駄目だ。
次によくある胃潰瘍だが、これも薬毒で胃の薬に含まれている重曹が胃壁まで軟かくしてしまう。
そこへ固形物が触れると亀裂して出血する。これが吐血というやつだ。
次に頭痛、鼻病、眼病、扁桃腺だが、頭痛というとすぐ鎮静剤、鼻病にはコカイン、眼病には点眼薬、扁桃腺炎にはルゴールといった風にすぐ薬を使うが、これもみんな一時的効果をねらったもので、こんなことをすると必ず中毒になる。
発熱の場合でも放っておけば、段々と熱が下るが、なまじ解熱剤を使うと一時は解熱するが、すぐ反動的に再び発熱する。
そしてまた薬を使うというわけになって最後に医者のところへ相談にゆくと、医者は原因不明といって困った顔をするが、これは医者自身が作ったのだから原因不明というのも当然なわけだ。
薬というものは固まり易い性能と排泄しにくい性質があるので普通十年から数十年ひどいのだと一生涯固ったままという状態を続ける。
わたし自身、五十年ほど前、肋膜と結核を患った時の薬毒が今でも残っていて、そのため毎日欠かさず浄霊している。
もちろん、薬毒といっても洋薬ばかりではなく、漢方薬も同じ理屈だ。
洋薬の苦痛は尖鋭的で漢方薬は鈍感的といえる。
要するに薬毒迷信を打破しなくては人類から病気の苦悩を追放することは出来ないと断言したい。
次に近代医学の手術についてアメリカあたりでは手術の進歩を謳歌しているが、これは医術の進歩でなくむしろ退歩だ。
なぜなら、ほんとうの医術は病気で冒されている臓器を除くのではなく臓器はそのままにして、病気だけを除くものだ。
人間は手術によって身体の一部を除けば、必ずその影響がないはずはない。
よく盲腸炎をやると医者はすぐ手術で虫様突起を切り取ってしまうがこんな野ばんなことはない。
造物主は人体に不必要なものは何一つ造っていない。
もともと盲腸の役目は下半身の毒素を排除する機関だからこれを切取るということは全く無茶な話で、精(くわ)しくいうと、毒素は初め背面右側部の腎臓部に集まり、少しずつ溶けながら盲腸部に移り、そこで固まる。
それがある程度に達すると浄化が起って発熱して溶解する。
この苦痛が盲腸炎だから、そこを浄霊すると、たちまち痛みはなくなり、間もなく下痢をともない、やがて完全に治るわけだ。
毒素排除の役目をもっている盲腸がなくなれば、そこへ集まってくる毒素は仕方なく腹膜や腎臓部にたまることになり、それが原因となって悪性の歯痛や中耳炎、結膜炎、顔面のはれ物といった病気が起る。
さて、わたしの浄霊医術だが、その方法は患者から数尺離れて空間に手をかざすだけだが、時間は十分ないし三十分くらいの短時間で終るという簡単なもので器具も費用もいらない。
一人で一日数十人の患者を見ることが出来るから最も理想的な医術といえる。
大病院から見離された者、大博士から死の宣告を受けた者でも一時的ではなく、私の浄霊医術で根本的に治るのだから実に二十世紀の大奇蹟といってもよい。
そしてこの医術が世界中に行渡るとしたら、病気のない世界が完全に実現するわけだ。」
薬と名の付くものは全部麻薬なり 医学断片集(21) (昭和27年9月17日発行)
「今日世人は麻薬というと、非常に恐ろしいもののように思っているが、実は薬と名の付くものは、全部麻薬である事の意味をかいてみるが、
これは誰も知るごとく初め麻薬を用いるや、頭脳は明晰となり、爽快感が起るので、段々癖になってしまうので、これが中毒である。
ところが実はあらゆる薬も同様であって、ただ麻薬と違うところは、麻薬は即座に効き目があるが、外の薬はそうはゆかないで、言わば長持がするただそれだけの異いさである。
風邪でも結核でも、胃病、心臓病、何でもかでも理屈は二つである。
従って現代人のほとんどは、軽微な麻薬中毒に罹っているといってもいいくらいであるから、病気に罹り易いのである。
そうして面白い事には、近頃よくこういう話を聞く、それはアノ薬は以前は非常によく効いたが、この頃効かなくなって困ってしまうというのである。
これは全く薬の中毒患者が増えたためであるが、それに気が付かないだけの事である。
でなければまさか人の方が以前と異なる体になった訳ではあるまいから、全く医学の盲点を物語っているといってよかろう。」
明主様御講話 「薬と名の付くものは全部麻薬」 (昭和27年9月5日)
(御論文「医学断片集 薬と名の付くものは全部麻薬なり」)
「つまりこういう意味です。
今の人間は全部麻薬中毒になっている。
ただふつうの薬は、麻薬のようにすぐ効かないというだけのもので、病気の苦しみというものは、薬を飲むと一時楽になりますから、そこでそれを薬で治るとこう思ってしまう。
治るのは、ちょうど麻薬を、苦しくなるとちょっと注射すると楽になりますが、あの理屈です。
ですから麻薬はすぐ効くが、他の薬は麻薬のようにすぐ効かないでだんだん効くと、こういうわけです。
薬によると少しずつだんだん飲んで、半年も一年も飲んでいる。
その結果麻薬と同じように、いくらか楽になるというわけです。
楽になるということは、溶けかかったものを麻薬で固めるわけです。
ですからそういうふうに説明すると、一番分かり良いと思います。
みんな麻薬中毒になっているから、その麻薬が溶け始めるとそれが病気なのです。
それが分かれば別に難しいことも、なんでもないのです。
患者に説明するのに、麻薬を例にして説明するのが一番良いと思います。」
明主様御講話 「薬と名の付くものは全部麻薬」 (昭和27年9月6日)
「これはちょっと参考になることです。
(御論文「医学断片集 薬と名の付くものは全部麻薬なり」)
これをよく信者さんなんかに説明してやって・・・。胃が悪い、苦しい、気持ちが悪い、というので胃の薬を飲む。そうすると一時良くなる。
頭が痛い。すると「ノーシン」を飲むと一時良くなる。
だから一時良くなるけれども、そういった胃が苦しいとか胃痙攣が起るとか頭が痛いとか言うが、胃病の薬や消化薬を飲んだその結果です。
消化薬を飲むと腹が減っておいしくなるから、うっかりそれに惚れてちょっと具合が悪いというとやる。
それが麻薬と同じですから、ついにはやっぱり気持ちが悪くなる。
で、一日一服飲んだのが、ついには二服三服とだんだん薬を強くするが、これは麻薬の経路と同じです。
最後には麻薬をやらなければ苦しいので、麻薬を泥棒してまで買って飲む・・・そういうふうになります。
ただ麻薬の方は急性です。急激に来る。それから他の病気の薬は慢性です。
だからして急激に来る麻薬の方は恐ろしがって、ジワジワ来る薬毒の方は恐ろしいとは思わないという、はなはだ矛盾したおかしな話なのです。それが現在のありのままの姿なのです。
だから一切の薬は麻薬と、こういう具合に思って・・・無論信者の人は思ってますが、そういう具合に説明すると一番分かりやすいと思います。
そこで結核にしろ、ヒドラジドをやったところが熱が非常に下がって食欲が増えた・・・それは食欲というのは熱が一番関係があるのですから、熱が下がれば食欲は出ます。食欲が出るから肥ってくる。
そういうような具合だから非常に効いたようにみえる。
ところが最近は二、三週間で元通りになって、結核菌は悪性になっているということを聞きましたが、麻薬が二、三週間で効かなくなったということです。
それについてもだんだん霊界の浄化作用が強くなると、今まで半年も一年も効いた麻薬がだんだん効かなくなって、今読んだように「このごろ薬が効かなくなった」「先にはたいへん効いた薬だ」というのを考えてみれば分かるのです。
考えてみて、どこまでもそこを徹底してみれば分からないはずはないのだが、そういった観念も起らないのです。
ただ、つまり薬迷信に陥り過ぎてますから、薬のためということに考えつかないのです。それほど酷くなっているのです。
ところが人間の身体は、なにも二十年前や三十年前と違ったわけはないのです。人間の身体というのは何千年何万年前と理屈は同じです。
それが単に十年か二十年前に効いたものが効かなくなったという、そんな馬鹿な話はないのです。
ところが効かなくなったということはよく聞きます。
「なんの薬はあの時分は効いたが」と、これはお医者さんが言うのだから間違いないです。
そうするとお医者さんは人間の身体が変わったのではないかと、それは思わないのです。
そうするとどういうことか? 薬が変わったかというと、変わらない。先と同じ製造方法です。そうすると疑いが起るはずです。
ところがその疑いの考えも起らないのです。起したところで分からないのです。どうもなんだか変だがと、それだけです。
そうするとお医者さんが絶対治らないというのが、こう(御浄霊)やって半月か一月で治る。
これはどうして治ったと、首をひねるだけでおしまいになる。
だからわれわれからみると実際馬鹿なものです。
わけが分からない。やっぱり肥料も麻薬中毒と同じです。
硫安とかをやった年とかその次の年とかは馬鹿にできるのです。
そうするとそれが良いと思って、だんだんやっていると中毒になるのです。そこに気がつかないのです。
ですから肥料も薬も理屈は同じです。結局麻薬中毒と思えば間違いないです。」
明主様御講話 「薬と名の付くものは全部麻薬」 (昭和27年9月7日)
「それから、よく麻薬中毒ということを言いますが、麻薬中毒というと他人事のようですが、今日本人全部が麻薬中毒なのです。
ただ早く効く麻薬と、遅く効く麻薬との異いです。で、みんな麻薬と言っているのは、早く効く麻薬です。
それから薬と言っているのは、遅く効く麻薬です。それについて書いてみたのです。
(御論文「医学断片集 薬と名の付くものは全部麻薬なり」)
よくお医者さんなんかが「この薬は前は効いたが近ごろは効かない」ということを言うのですが、あれはやっぱり麻薬中毒と同じで、麻薬も最初は三日に一本射てば良かったが、だんだん効かなくなって、今度は二日に一本、一日に一本というように詰まってます。
あれと同じで、前は風邪の薬を飲んだり、胃の薬をたまに飲めばすむくらいだが、だんだん頻繁にしなければ追いつかない。
よく喘息の注射なんか、起るたびに射ったのが、それがしまいにはだんだん詰まってきて、三日とあけず射つようになる。
それで始終射つということになります。あれは麻薬の作用と同じことです。
麻薬は、しまいには射たないと苦しいから、人のものを盗んでも射つようになります。喘息の注射はそれと同じです。
少し注射しないでいると、息が詰まりそうになります。そうしてみると一切の薬は麻薬なのです。
だから麻薬中毒を恐れるのなら他の薬も恐れなければならないが、ただ他の薬は麻薬のように早くない。
遅く効くから、中毒になり方が暇がかかるから、それで気がつかない。
実に人間の頭の悪さというのは、お話になりません。
それから結核の新薬なんかでも年中変わってます。
今はヒドラジドなんかと言っているが、この次はまたなにか出てきます。
それに気がつかない間は、いくらでも薬が出てきます。
しかしそのうちに、こっちの説を世界中が信じるようになります。
それまでの間はドンドン新しい薬が出ます。それで新しい薬というのは、麻薬なら麻薬の効きが良くなるのです。だからそれが分かれば恐ろしい話なのです。
薬の中毒を患者に言う場合に、麻薬を例にとって言うと分かりやすいと思います。一番良いと思います。
ストレプトマイシンという麻薬なのです。ヒドラジドという麻薬なのです。こういうふうに言うと分かりやすいです。
だんだん薬の種類が増えると・・・増えるということは、これもおかしいことで、よく胃なら胃の薬を服んでいると、もうそれが効かなくなる。
すると、薬を替えると一時効くということを言いますが、あれが・・・一つ薬を飲んで効かなくなるということは、中毒になっているのです。
中毒というのは、身体にそれに対する抵抗力ができるので効かなくなる。
人間の身体というのは、ちょうど食物やなにかで毒のあるものを食べていると、だんだん毒にあたらなくなるが、あれと同じことで、一つ事をやっているとそれに中毒をしてしまう。だから替えなければならないことになる。
これは農業の方の連作と同じです。つまり肥料中毒にかかっているから、そこで畑なら畑を替えると、一時良くなるという意味と同じことです。
そういう点を考えると、薬毒というのは良く分かるのです。」
明主様御教え 「薬剤亡国論 薬毒怖るべし」 (昭和24年9月10日発行)
「八月十六日付朝日新聞「大人の社会科」欄にヒロポンとアドルムと題し左のごとき記事があった。」
新聞記事
「織田作之助、太宰治、ミス・ワカナいずれもヒロポン、アドルムと心中したみたいなものだが
近くは坂口安吾狂乱?のもとはこの興奮剤と催眠剤の中毒だという。
ヒロポンを五○粍(ミリグラム)ものみ下してカン馬のごとく原稿を書きなぐり、
さて眠れぬからとアドルムを六○粍(ミリグラム)もかんで、
酒と共に酔い倒れるこの反覆では、まるで中毒量と致死量の実験をしているようなもの、
ヒロウをポンと吹きとばすからのヒロポンではない、実はギリシア語のフィロポノス(仕事を愛する)から発しているのだそうだ、
科学的には1フェニル・2メチル・アミノ・プロパンという構造エフェドリンやアドレナリンと同族、
長井博士がエフェドリン発見の途中漢薬麻黄(まおう)からすでに明治二十年代に作り出しているが、
一九三五年アメリカのベンゼドリン一九三八年ドイツのベルヴィチンが出て、その興奮作用が再発見され昭和十六年からヒロポンとしてデビューした、
戦後、引っぱりダコになったのは出版インフレの作家と徹夜ロケの芸能人のおかげである。
ヒロポンは、コーヒーのように大脳を刺激して興奮させ、一方、エフェドリンのように血圧をあげる、
だからネムケやユウウツ感をふっとばし、動作は活発意想はほとばしり出て、多弁となる、
ミス・ワカナの愛好したところだが、それはなけなしのエネルギーを一時に切って落したようなものだから、
後ではガッカリ疲れ、相当の養生がいる、しかし小手術でもすぐ虚脱する人や、
麻酔が切れたあとの興奮や、急性伝染病など血圧の異常降下にはもってこいだ、
同類の市販品にはゼドリンホスピタンなどがある。
アドルムはかつてのカルモチン、ベロナール、アダリンに代って登場した催眠剤、
化学的には1・2チクロヘキセナイル・エチル・バルビツール酸カルシウムという舌をかみそうな構造、
カルモチンなどよりよく効く、興奮剤、催眠剤ともに濫用すれば、量がすすみ中毒症を呈するのは常識だが、
麻薬と違って普通の人なら、ちょっとした自制心で回復できる、ヒロポン、アドルムで松沢ゆきにまでなるのは、
恐らく素質のある場合だろうと東大神経科ではいっている。」(新聞記事は以上)
「以上の記事は私の説を裏書している、各界の有名人が近頃のように次々死ぬのは全くこの薬剤中毒が最大原因である事は一点の疑いない事実である、
右の記事にもあるように、薬剤の効果は一方に良ければ、他方に悪いという訳で、それがついに中毒化し薬剤が放せなくなる、
ところがそれだけならいいが、強烈なる効目がある以上、薬毒が多分に含まれているからその薬毒のため、頭脳が変質したり、異常な衰弱を来したり、心臓に故障を及ばすので遂に死を招く事になろう。
嗚呼、薬毒のいかにおそるべきかを一般に認識させたいのである。」
明主様御教え 「ヒロポン中毒」 (昭和24年11月19日発行)
「最近覚醒剤としてのヒロポン中毒がやかましくいわれ、禁止の運命になった事は人の知るところである、
これはもっともな話で、何しろ青少年層にまで非常な勢をもって浸潤しつつある事実で実におそるべきである、
したがって禁圧の手段も当然どころかむしろ遅きに過ぎるくらいである。
右について、今日一般の気のつかない重大事をかいてみるが、それは吾らが常に主張するところの一般薬剤の中毒である、
すなわち消化薬も、結核や肺炎の特効薬も感冒薬も、一切の薬剤は一の例外もなく中毒を起すのである、
ただ一般薬剤はヒロポンのごとく急激な中毒作用を起さないから気がつかないまでである、
その二つ三つの例をかいてみるが、彼の消化薬常用者が慢性消化不良である事や便秘症が下剤を用いなければ便通がない事も、熱性患者が解熱剤の常習者となり、コカインの鼻口吸引等なども無論薬剤中毒となっているのである、
以上によってみても今日の人間の大部分は薬剤中毒に罹っており、これがため神経衰弱も病弱者も結核も短命も、ことごとくそうであって、実に恐るべきである。
これによってみても人類救済の根本としては薬剤の怖るべき事を一般に認識させる事で、これほど大きな救世の福音はあるまい。
右について左の記事は参考になると思う。」
新聞記事
売れっ子悲劇の因 ヒロポン愛用者列伝
「ミス・ワカナがヒロポンのために死亡、永田キングが日劇の楽屋で倒れ関屋五十二が二十の扉をとちり松平晃は声をつぶしまた
牧野正博が女房轟夕起子に愛想をつかされ夫婦けんかの結果、一時別れ話まで出たのもヒロポンのためといわれる、
また霧島昇、松原操夫妻も愛好者であったが極力止めるよう努力しており、灰田勝彦も恐ろしさを悟って専らビタミンとホルモン注射に転向したと評判、
その他脚本家小国英雄、映画演出家亀井文夫、軽演劇の藤尾純、桜むつ子、山茶花究、歌手近江俊郎、小畑実、落語の金馬、歌笑、声帯模写木下華声、
講談一龍斎貞山、舞踊荒木陽、アナウンサー和田信賢、作家坂口安吾、菊田一夫なども愛好者であり
その他無名のバンドマン、裸ショウの女達のヒロポンのまんえんぶりは大変だ」 (昭和24年11月6日付東京日々新聞)