毒塊人間について 3
側近者の寄稿 「毒塊所感」 百地超生 (昭和28年4月1日発行)
(一)「よく明主様に御浄霊お願する時「お前達は肥溜がたまると私の所へもってくる。
私はそれを掃除し、とってやるのだから霊的のおワイ屋だよ」とお笑いになる。
吾々もつい吹出してしまうものの、尊い御手をかくまで煩わし奉ることを思うと恐多いやら勿体ないやらで身の置所もない程の恐縮を覚える。
といってお浄めをお願出来なかったら、前途がつまったようで、人間としての用を果し得る自信もないし、
どんなに汚なくても一つよりない肥溜はすててしまう訳にもゆかぬ。
全く絶対絶命的な欲望であり有難さである。
いうまでもなく右の肥溜とは、薬毒、肥料毒等による尿毒を主として固まった吾々の肉体そのものである。
そしてそれが浄化によってある局部へ溜ると、その部一帯の機能が著るしく鈍化する。
それがつまり肥溜がたまるということなのである。
全く吾々の肉体は、明主様から御覧になれば如何に醜穢極まる毒塊であろうかを知ると共に、
せめて肥溜にまでして戴いた身の幸いと光栄に打ふるうのである。
まことに過去の私は肥溜どころではなかった。
もっともっと不潔な鼻もちならぬ毒塊であり、腐れかかったドプ泥の様な人にして人にあらぬ生物であった。
その様な汚物をもお浄め賜わり、御神霊の清浄な御血を御入れ戴き、人らしき人、神に近づく人に一変して戴くあまりに偉大な有難さ勿体なさは言葉には表わせぬ。
それは正に腐敗物をして最高級の生物に変えて戴くに等しいことであって、その御手数や御煩わしさを偲び奉る時、私一個の場合の限りなき汚穢の量を考えただけでも気の遠くなるほどの大業と思えるのである。
否、より深刻なる毒塊衆生一切を清め、以て禽獣虫魚の境涯を脱せしめ、光明の天国に住まわせ給う大御業は、
どんな神にも聖雄にも企図し得なかった容易ならぬ至難事であり、
これを易々として必ず実現し給う神愛と神力の限りなさは到底人心の想像もつかぬ御事であると共に、
このように大き御恵を蒙る人間の身のおおけなさをつくづく思うて感激の涙にくれるのみである。」
(二)「医学を迷信し、久しく毒塊を常態として生きている現代人としては、今その肉体の真相を指示さるるとも到底信ずることは出来ぬ。
たとえ本教信徒といえども、薬毒の恐怖を知るに伴い合理的には推測出来るとしても自己の肉体が如何に物凄い汚塊であるか、
又それがどの程度減らして戴けたものかに至っては真に自覚出来る人は絶無であろう。
それはひとり神のみが知り給う所である。
そして自己が毒塊であるうちは自己の本体は想像も出来難いし、神は又信仰者の特権として常に平安と喜望を与え給い、浄化も霊界の明るみに応じ活動に支障を生ぜぬよう徐々に行わるべく御守護賜うからでもある。
私もかつては自分はこれほどに浄化され元気にして敷いたのであるから、薬毒も大部分とれ、殆んど綺麗になったことであろうと自惚れたことがよくあった。
ところがその後幾年に渉って御浄め戴き、排除された薬毒の量は驚くべきもので、
今もなお日々浄化しつつあり、正に無限と思える程の毒素の保有者であることを悟り、かつ浄めらるるに従い他人の肉体の汚なさをも目に感ぜられるようにまでして戴いた。
そして浄められた今にして当時を思えば、よくも生きて活動していたと思う程の醜穢極まる別個の自分を見る気がする。
否一年前を比べてさえ、醜い殻を破って羽化した様な軽やかさを覚え、何ともいえぬ幸福感を覚える。
現代人の肉体が毒塊の極に達しているのは造物主の賜うた鮮やかな生色全く失われた異様な皮膚面にもあらわに表われている事によっても知らるる。
そうしてたださえ危険極まる毒塊の上になおも汚毒を注ぎ、又加えしめんと必死の努力をしている惨状は慄然正視に堪えぬところである。
およそ世にこれ程悲惨な迷信はない。そうして人間が毒塊である限り、その結果的表われである。
病貧争の苦悩の跡を絶つことは出来ぬ。毒塊人種のより集って造った社会は汚穢堆積の病体世界であり悲劇充満の地獄世界である。
今にして汚毒注入を止めしめ、毒塊浄化の法を知らしむる以外、これを救う道は絶対になく汚濁世界の一大清掃の行われぬ限り、果しなき不幸や苦悩の根を絶つことは出来ぬ。
神はいよいよ今年より、その救いと大清掃を世界的、本格的に行われ始めたことを知らねばならない。
まことに、開闢以来の重大な時となったものである。
最後の大審判を免るべく毒塊より生体へ、醜悪より善美へ、不安と責苦の鞭に喘ぐ獣的境涯より人間的幸福と自由へ転換、現身そのまま天国に住まんと欲するものは、まずメシヤの最後の救いの門を叩くべきである。
明主様直接の御浄霊によって毒塊の中心を御浄め賜わり、御垂示や神書の光によって迷信や疑惑の暗雲残りなく一掃して前途を明々と照らされ、
美術館、地上天国等世に例しなき美を楽しみつつ最高天国に遊ばしめ、
あるいは新文明建設とう空前の大御業に如何なる人の如何なる方法でも楽しんで御奉仕の光栄に浴せしめらるる等、
本教による広大無辺の浄めと恵みの救いの門に入る時、あまりに偉大な恩恵に、何人も茫然自失的驚喜を覚えずにおれぬであろう。」
専従者の寄稿 「更 正」 馬太(マタイ) (昭和27年6月25日発行)
明主様は生命の継ぎ足しをされる
「かつて、大教会の長と仰がれ、本教役員を代表する最重要ポストにあった某氏は、
入信当初から布教活動に事念し、忽ちにして異数の成果を挙げて、日に百数十名浄霊の記録を持った程多忙に追われ、
肉体虐使に慣れて自らの御浄霊はほとんど戴かなかった。その為入信五年後、凝り固まり切った後頚部の血管が破れて脳溢血となったが、神護もあつく、本格的に至らぬ未然のうちに明主様の御救いを戴き活動しながら治癒された。
その後三年目再度の溢血に左半身不随となった上に重症腎臓病を併発して生命を危ぷまれたが、
これも明主様の御浄霊により、僅か十日間余静養したのみでお救い戴いたが、
当時多忙な全国的布教の衝にあった為、徹底的御浄霊を戴く間もなく活動を続けた。
勿論明主様も特別の思召から早くお治し下されたのであろう。
それから三年後の二十四年、一月二十九日終に三度目の脳溢血に斃れるに至った当時明主様は熱海清水町別院に御起居遊ばされており
一丁離れた居宅から人々の肩に支えられ漸く辿り着いた同氏は、
頭部機能は固より右半身不随、顔面蒼白、魂の抜けた如く生色なく如何に明主様の御浄霊によるも絶望ではあるまいかと疑惧する程の深刻さがあった
無論普通ならば幾日かあるいは幾時間か寝台に横たえられたきりで、不帰の客となる外ない症状である。
世間初めての脳溢血でさえ再起は期し難いのに三度目の溢血となっては死と同意語であって、万の中一も助かる望みはない訳である。
ところが神力の偉大さ、その日二度の御浄霊を戴いて昏々と眠った後、茶漬を摂り得たし、極僅かながら口も利けて、漸く愁眉を開いたのであった
そして毎日無意識的に眠り続けがちだったが、食事は一度も欠かした事はなかったのは素晴しい奇蹟であった。
毎日御浄霊戴いて、脚は一週間位、腕は二週間位の超スピードで自由にして戴き、右眼は殆んど視力を失っている為独歩は危険だったが、
手を引かれての歩行は可能となったので、以後の御浄霊は時々御願する事となった。
最も困難にみえたのは頭脳であった。
発作と同時に一切の記憶を喪失し、近親者や長く苦楽を共にした弟子は固より家族の顔の識別さえつかなかったし、呼び慣れた名も呼べなかった。
文字の記憶もなくなって毎日お唱えした御神体の大光明如来の御字さえ判読出来なかった。
最初は言葉の理解力もなかったが、理解出来るようになっても、人や自分の言った事が全く記憶の中に止まらず言葉に責任をもつ事が出来なかった。
この症状も徐々に治癒されはしたが、最も長く続いて四年目の現在漸く全治に近づいた状態となった、
何といっても三度目の溢血の事とて、頭脳は全く破壊されたと同様で、これを医す事は新しい頭脳をつけ代えるに等しく、到底人間では考えられぬ業である。
それ程に絶望的な頭脳も、発病一カ月後の頃には初めて人の名を呼び得、その後一カ月程経ると信徒の浄霊が出来るまでにして戴き、
三月の大教会大祭には覚束なくも司祭を勤め得て、一見重病人と気づかぬ程にして戴けた明主様の御力は、実に驚くべきものである。
元来、この人の場合は、破壊された頭脳とは別個の、比較的明確た意志が腹中にあって、諸々の事をある程度意識的に理解してはいたが
それと交流すべき頭脳の活動が停止されている為、それを表現する事が出来なかった由である。
頭脳を喪失した肉体は小児の如く無能であったし、言語を使用出来、腹中の意志が次第にはっきりしてからも、普通の対談や動作はトンチンカンな点があったが、
教に関する話や必要な指示は、第三者が病体である事を疑うほど明かになし得たし、浄霊も僅かながら続け得たのであるから実に不思議であった。
この腹中の意志こそ、生涯をかけて養はれたところの絶対神に撃がり神の御心が流れるべき強烈な信仰心であって、
それが先づ明主様の御光に強められつつ、生命を支える力となったのではあるまいか。
いう迄もなく、明主様は頭脳を主として御浄霊賜わった。
そしてその都度脳内の毒素が溶解されては多量の吐痰や下痢となって絶えず排泄されたし、幾度か大熱や、四度目五度目ともいうべき軽微の溢血症状の浄化も起り、
それが治癒促進の段階となりつつおよそ一年六カ月、大浄化の波も落着いて布教の旅に出かけ得る迄にもなった。
しかるに二十五年五月法難事件勃発と共に同氏も獄に投ぜられ、約二カ月余の間御浄霊を戴けなかった為、
脳毒血は極度に固まって、新しい第二の浄化状態になり、事件四カ月後には一切の表面的役位を隠退し、
今日まで月五六回ずつおよそ一年十カ月間尊い御浄霊を賜わって、
死物にも等しかった肉体が、普通以上の健康体に更生さるるという空前の大奇蹟が行はれたのである。
同氏はこの半年位前から特に著るしい変化があり、過去の記憶も極めて明瞭に蘇り、
久しく眼底出血の曇りの為視界おぼろで、絶えず霊界を彷うような心地だった朦朧感も殆んど除かれ
文字も読め、人名もはっきり呼べ音声にも力の籠って来たのを自覚し、顔色も頭髪も艶やかに、壮年としか思えぬほど生気溌剌さとなり、
最近は十数年以前の同氏を知る人々から、その頃よりズーット元気に若くなったと言われ、
再起不能と信ぜられた人々からも驚歎の眼を瞠らるる程である。
特に最近、過去の同氏と全く質を異にする新しい優秀な脳力の閃めきと第二の人格の芽生えの認めらるるのには驚歎する次第である。
かくの如く六十幾歳を一期にその生涯を閉ずべき運命にあった同氏は、優秀なる牡年として更生させられたこの肉体の更生改質と共により良質の個性の生成される事、
それは現身そのままより長き霊体に替えられるに等しく、しかもそれは三回以上の脳溢血に斃れた肉体に行われたのであるから、
正に開闢以来ない事であって、如何に空想を逞しうする科学者の夢も及ばぬ事実であり浄霊の偉力を知る人とても首を傾げるであろう。
脳溢血は人生の荒波を乗越え、漸く世情に通じ、世の為円満なる智能的活動をなし得る年齢において多く発病し、不治の床に可惜(あたら)有為の材を葬ってしまう。
それが社会の為重要欠くべからざる人物である場合惜しみても余りある訳である。
しかもそのように価値ある人物は一朝にして造られ得ない。
かかる貴重な生命を長い年数を要せずして再生し若い生命を与えて、世に役立たしむる大御力の尊さ有難さは、讃えても讃えつくせぬ所である事を痛感する。
なお同氏が六十近くの齢で昭和十九年より五年間、疥癬の身を以て不眠不休、交通地獄のさ中を南船北馬、救業を拡充した超人的活動ぶりは、一見理想の健康体錬磨に成った頑健そのものであったが、
それも所詮毒素に固まった擬健康だったのである。そしてこの健康の典型とみらるる程の人にして毒塊だった事にみれば
現代には一人として真の健康者はない事を立証する一例とするに足るであろう。
同氏の延髄部には確かに幾本かの硬い皮革のような毒結の条があったし、耳下腺部には中耳炎を長く氷冷した石のような固結もあった。
それは誰人の浄霊も受付けぬ程強靭なものである事は何より自身が知悉した故に一途に明主様の御救いを仰いだ訳である。
聞く所によれば同氏の両親は漢方薬を交易した事があり、優秀な薬品を蒐集して家宝の如く誇った由であるから、
強烈悪性な漢薬が多分に体内に相伝され、それが最も強く頸部周囲に固結したものとみられ、その硬さと執拗さは恐らくみた事がない。
特に明主様の御浄霊を戴く時は、単に症状の治癒に止まらず、ある限りの体内の毒素が徹底的に浄化されるように感ずる。
吾等はよく頭部のみの御浄霊を戴いても全体重が半減したと思う程軽快を覚え、暫く経つと浄化溶解作用を全身に感じ、これを繰返しつつ別人の如く力づくのを経験する。
前記の如く同氏も御浄霊の度に吐痰、下痢、熱発等の浄化が激しく起り、頭部からは固形の血粒が排出され、
現在では右脚部は疥癬様に糜(ただ)れて、頭部御浄霊の時直ちに溶解毒素がその部へ下降する。
このようにして漸次健康が造られて行ったのである。
そしてそれ等一切め排泄物は実に無尽蔵かと思わるるほどで、現在までの物だけでも全身体の幾倍に相当するか分らぬほどの容積の由である。
これによっても現代人の肉体は実に毒素固結体であって本来あるべき人間の真の健康は忘れられているのである。
私も御浄霊によって生命がいくつあっても足りぬ程の毒塊であった事をはっきり知らして戴いた。
私はよく思う。吾々の体内には誰しも、祖先から連綿集積した毒結の核心が棒のように存在しているのではあるまいか、
そしてこの心棒の浄化滅少が夜から昼へ、地獄から天国の境涯へ住み代る根源ではあるまいかと、
そして明主様の御浄霊を戴く時はこの心棒が溶解される、それは個人に連繋するすべての霊に御救の光が及ぶ事を意味するのではあるまいかと。
同氏の脳溢血は確かに普通のそれと異なる点があった。
発病の当初、突如霞か星雲のようなチカチカした無数の微粒が長い帯状に渦巻いて迫り、眼球から脳内に侵入したようにみえたかと思うと次第に意識朦朧となった。
以来絶えずそれが眼前を蔽いチラつき視界を遮られたが、御浄霊を戴くに従い次第に薄れて行って夜から月明にそして昼間の明るさに物がみえるようになった由である。
この果知らぬ長さに思われた帯状の雲は、医学的にいえば、眼底出血が網膜に写った現象でもあろう。
しかし同氏は無数の精霊群と直感したというが、吾等にもそのように考えられる節がある。
又御浄霊を戴き初めて間もない頃から頭部表面に、砂のような粒塊になって硬化した血が毎日瘡ブタ状になって出るのであった。
この血塊の排出と眼翳の除去に伴って漸次頭脳は明瞭化した。
血塊は今少量になったが、今日迄どれ程多量か分らぬ程排出された。
それは発病時の溢血でもあろうし、全身から脳内に集溜した毒血であろうと解される。
そして御浄霊によって清い血液が殖えると共に汚血が排除され、全身の血が入れ替えられるのであろうと思われる。
又、血液は霊の物質化と御教賜わっているが、同氏の直感の如く、無数の霊群が脳内に侵入したとすればそれが脳内の汚血に憑依し御浄霊によって御救賜わる時、
その汚血と共に体外へ抜けるのではあるまいかと考えられるのである。
なお明主様法難事件は本教の散花結実であり同氏は散花の蕊(しべ)に相当すると仰せられたが、
丁度法難後から同氏は、落花の蕊の腐敗したような細長い茶褐色を吐き続け初めた。
そして新しい自分が生れたような気がしたし、浄霊の場合特に強い霊気の放射を手に感ずるようになり、
今日では自ら驚くほど偉大な治病力を賜わった事を自覚され感激されており、同氏と神秘感を共にした事があった。
なお同氏が倒れたのは、丁度全国に教線の柱を樹て切って定めの使命を果した時であった。
そして又税問題によって仏花散じ、明主様はいよいよメシヤ的活動に入らんとせられ、本教も内部的整理充実期に入らねばならぬ時でもあった。
神は恰もこの機に浄化の恵みを給い霊肉の更生を行わしめ給うたのである。
同氏が神業に貢献した功績は、偉大であった。
その積徳によって向上した霊身に相応すべく毒塊的肉体も、それに繋がる諸々の形態も一応浄化整理され、
霊肉一致して円満順調に栄ゆべき天国的境涯に住わせ、新たな使命を授け給いて、いまや堅実なる第二の活動に、入らんとしている。
明主様の賜う御浄霊の意義は実に深く偉大である。
神力の自由無碍、神意の深遠、神恵の有難さ、人の心に測り難きものを思う次第である。」
側近者の寄稿 「無頭人間」 瓢箪 (昭和27年2月27日発行)
「私は最近、自分の頭の悪さを熟々歎いていたが、この間、明主様の御側へお伺いした時ヒョイと
「私は実にヒドイ頭で御座いまして、御手数ばかり掛けまして」と申上ると、
「ナニ、ヒドイのはまだ良い方だよ。ヒドイ事に気のつくのは大したものだ、今の人間の頭は麻痺しているというか、変質しているというか、全然働かない。
まるで、頭がないようなものだ」とのお言葉にお慰め戴いたようにホッとした気持だった。
「私も、どうも頭のないように思います」と申上げると、
「マルデ、改進党みたいだね」と仰言ってお笑いになられたので、私も吹出してしまったと共に、
ヒドイ程度にまでして戴いた御高恩に感謝の気持を忘れていた事を申訳なく思った。
考えてみれば、文化の深い迷信に陥っている今の人間の頭は、確かに薬毒や肥毒が一パイ詰っているに違いなく、お先真暗、物の判断がつかぬようになっている、といっていいのであろう。
第一、一番肝腎な生命に関する事にしても態々高い金をツギ込んで、病気を作ってもらい、生命を縮めたり、障害者になったり、
農作物を骨折って弱らせ害虫をふやし、まずくし、減産をさせては苦しんでいる。良いと信じたらどんな恐ろしい結果が表われようが、
本教によって、いくらその間違いをとかれ簡単に助かる道、楽に増産出来る方法を説き、目に見せられても、反って迷信として耳を傾けぬどころか、理屈は判っても、実際が判らない。
それは全く麻痺的である。これだけでも他は推して知るべし。
これはどうしても、雁首をスゲ代えられる外ないではないかと思うが、それはキセルや鼻緒のように簡単に出来る事ではない。
しかしそこは神様、この不可能な事を、首はそのまま脳味噌の大量洗濯をお始めになった。
それが今度の農業特集号と近く刊行御予定の結核信仰療法の、二大原爆の小手査べ的御投下である。
これを一発頂戴したら如何なる頭脳麻痺症患者でも、頭のシンまで響く事請合である。
明主様は、現代文化を笊水文化と、評された事がある。
笊水文化とは言うまでもなく、精出して笊へ水を汲んでるようなもので、いくら酌んでも片っ端からもれる。
肝心の目を塞ぐ事に気がつかぬ。
つまり一生懸命骨折って無駄な事をしているという意味である。
これが、文明人種達が得々として誇る現代文化の実態なんだ。
これでは頭がないと言われるのも道理であろう。
コイツ怪しからんと腹が立ったなら、明主様の御文章をよく読む事で、目を開いて見ればナールホドと肯かぬ訳にゆかぬであろう。
それでも判らなければ頭脳の御浄霊を戴く事だ。
実は私も頭の御浄霊によって、無頭人間である事がはっきり判った一人である。」