毒塊人間について 2


明主様御講話 「人間の毒の量は大変なもの」 (昭和27年8月6日)

「一日の晩に腹が痛んで下痢をして夜中中・・・四回でしたか、随分たくさん・・・こんなにもあるかと思うくらい出たのです。

で、なにかにあてられたのかと思って食物を考えてみたが、それらしいものもない。

もしあてられたとすると、同じに食べた人もそうなるが、ならないからどうもそうでない。

で、私は後頭部に固まりがあるのです。

八つ頭の小さいようなものですが、これは先に一年間歯の薬を毎日つけ通しだった。

これは私の書いたものにありますが、これがここ(後頭部)に固まっていた。

これが長い間 固まっていたのが、去年あたりから私の浄霊で溶けてきた。

これが下痢になっていた。ですから毒というものは・・・今度知ったものではないが、このくらいのものが溶けると、このくらい(多く)になります。

薬だって、仮に薬一合服みますと、一勺よりもっと小さく固まるものです。

三十分の一か五十分の一くらいに固まります。

ですからそれが溶けると、何十倍というものになります。

これは信者さんはみんな知ってますが、毒は溶けると実に多いものです。

痰などいくら出しても出るし、それから膿でもなんでも、いくら出ても出ても後できます。

そのくらい増えるものです。

そうして後見ると少し小さくなりましたが・・・十分の一あるか、なしかくらいに小さくなったが、まだそうとうあります。

そうしてみると人間の毒の量というものは、たいへんなものです。


だから今信者さんも、特に幹部の人なんかは、特に猛烈な浄化が起って驚いている人がありますが、そういう人は神様のことに働いたいろいろな功労によって、浄化が早く来るのです。逆に考えると良いのです。

あれだけ一生懸命やって、あんなに酷い浄化で苦しむのはひどい、とあべこべに考える人があるでしょうが、その逆です。

あれだけ一生懸命神様のことをやったので、浄化を早くしていただくというわけです。


これをもういっそう深く考えると、一般の社会の人間が、いずれはそうなるのです。

ですからそうなった時の想像をしてみると、助かる人というのは、まずいくらもないでしょう。

それも、早く浄霊すると良いが、やっぱり医学の力に頼りますから、そうすると一時抑えをやる。

ところがもうそういう時になると浄化の方が強いですから、一時抑えがかえって逆作用になって苦しんで死ぬというのが多いです。

ですから病気になるかならないうちに片っ端から死んでしまいます。


そういう時が来るのです。

特に怖いのは、結核なんか近ごろ死亡率が減ったとか言ってますが、あれが怖いのです。

あの結核の新薬というのは、今までの薬より毒が強いのです。

毒が強いから、一時止めるから死ぬ人が一時延びるのです。

それで喜んでいると、その毒の浄化が起ります。

そこにもっていって浄化が激しくなっているからして、それはもう悪性の結核がたくさん起ります。

当局もまごつくし、一種の恐怖時代が来ます。

それが最後の審判です。

これは二千年も前から神様の方ではちゃんと警告を与えてあるのです。


で、日本人なんかでもごく上等で三分の一・・・三割助かったらごく上等です。

あるいは助かるのは一割くらいかもしれません。

なにしろ今の一般人というのは固まり健康です。

固まってわずかに健康を保っているのですから、溶け出したら想像もつかないくらいの大悲劇が起ります。

実に恐ろしい話なのです。

で、今私はそういうことを書いてますが、今書いてきたのを読ませます。

これは「文明の創造」の中に入る項目です。

(御論文 「病気〔健康〕と寿命」 拝読)」




明主様御講話 「薬毒、血膿というものは非常に多い」 (昭和28年12月15日)

「それから、真善美の世界を造るということで、真善はともかく、美と言うと、美術館とか地上天国ということで、これは分かりきった話です。

ところがまだ気のつかない美というものがあるのです。

美の世界ではないのですが、それはなにかと言うと人間の腹の中です。

人間の臓物を美にしなければならないのです。

まずどんな人でも、一皮むいたら、それはもう血膿でいっぱいです。

とにかく筋肉や骨の量と、今の血膿の量とを比べたら、血膿の方が多い人が大部分です。

おそらく、世の中で汚い物と言えば、血膿だと思います。

これは糞小便よりもっと汚いと思います。

馬鹿に汚い話ですが、その血膿というのは、なにからできたかというと薬です。

薬が変化したものが全部血膿です。

そこで今の人間はウンと薬毒が入ってますから、とにかく毒血と血膿がいっぱいに詰まっているわけです。

だから、おそらく一番汚いのは人間です。

いろんな寄生虫がわくというのはあたりまえです。

だいたい人間の体に虫がわくということはあり得ないのです。

だからみんなきれいなことを言っていても、御自分の腹の中ときたら、それこそ糞溜めより汚いのです。

だから真善美の美の世界と言うが、これはまず人間の腹の中から美にしなければならないのです。

その因が薬毒ですから、薬毒からなくしなければならないのです。

それで、体の中が汚いから、そこで想念も汚くなるわけです。

これは霊体一致ですから・・・。


そこで今読んだ正義感の不足というのも、やっぱりそのためです。

それで神様の話をしても分からないというのは、分からないはずです。

それで汚いものを掃除されるわけですから、それは苦しいです。

だから、どうも信じられないとか、分かりが悪いというのは、つまりそういう汚いものは曇りきっているから、それが邪魔していて通じないわけです。

それでその掃除が始まると、その掃除を止めようとする。

それがまた薬ですから、掃除をする働きを止めようとして、またその掃除をすべきものを入れるわけです。

やっぱり超愚 です。


そういうようなわけで、美というものは、まず人間の腹の中というこれです。

浄霊というものは、つまり美にする働きです。

汚いものをきれいにするというわけです。

今の世で心のきれいな人間が非常に少ないということは、心でなく肉体が汚いのだから、どうしても浄霊ということによって、一番根本的に本当に結果を得られるというわけです。

浄霊は人間を使って個人個人に掃除をしてくれる仕事です。

神様はそういう方法をとられたわけです。

ところが霊界がだんだん明るくなる、昼間になるということは、人間の霊体の霊身の方が全体的に浄化されるわけです。

そのために、つまりいろいろ病気が起こる。

だから神様の方で全体的に病気が起こるようにすると、人間の方で=メシヤ教信者がそれを治し、汚いものを除る、出してしまうということで、神と人との共同作業です。


ところがその薬毒、血膿というものは非常に多いのです。

それは実に想像もつかないくらいなものです。

まずその人の一生涯でそれがすっかり除れる人はないでしょう。

私でさえ今もって毎日自分で自分を浄霊してますが、歯の悪いのは今年で三十七年目です。

最初から知ったのではないので中途からですが、とにかく知ってからでも十数年になりますが、自分で浄霊を始めたのが約十年くらい前からですが、それで今もって毎日やらなければ、少しずつ始終痛んでいるのです。

だから薬毒が自然に除れるということはまずないです。

時々風邪引きとか下痢するとか熱が出るということは、勿論それだけ毒が減りますが、それはわずかなものです。

それで浄霊を何十回何百回やるということは、かなり除れます。

それから疥癬で体中カッタイボウみたいになりますが、それでそうとう除れます。

疥癬の毒というのは天然痘の毒で、つまり古い毒です。

つまり親の遺産で、その浄化です。

ところが自分が生まれてから入れた毒がたいへんなものです。

それで疥癬の時に痒いのは天然痘の毒ですが、黒豆のようなものができて痛むのは薬毒です。

ですから疥癬でも薬毒もそうとう混るわけです。

それで、疥癬でアンナに毒が出たからもうよいかと思うと、まだまだウンとあるので、本当に疥癬で出たのは一部分のようなものです。

それから私がやっぱり毎日のように浄霊しているのは、背中と横腹の間に毒があるのです。

このごろはだいぶ減りましたが、これは昔肋膜をやった時のもので、私が美術学校に行っていたときに目を悪くして、ヨードカリという海藻から取った薬を二、三年毎日続けました。

そのために肋膜が起こって、肋膜から肺結核になったのですが、肋膜から水を除ったり、薬も多くのみましたが、

やっぱりヨードカリを多くのんだのです。

これは弱い薬で、痛んだりすることはないのですが、しかし始終胸が凝ったりするのです。

このごろはほとんど忘れてますが、それが約五十年前のものです。

ですから三十七年前とか五十年前の薬毒が今もってあって、毎日浄霊しているのですから、いかに恐ろしいかということが分かります。

信者などで「あれだけ浄化したから、もうないと思ったらまだある」ということがありますが、あなた方もそういうことがよくあるでしょう。

そういうようなわけで本当にたいへんなのです。


それが一番分かるのはなにがよいかというと寿命です。

おそらく今は百歳以上生きるのは、万人に一人か十万人に一人というようなものでしょう。

長生きをして九十代くらいです。

ふつうは寿命が延びたと言っても六十か七十です。

それで死ぬのは全部薬毒のためです。

薬毒がぜんぜんなくなれば、必ず百以上は生きます。

それで薬毒が多いほど早死になのですからして、それで見ればはっきりしてます。

しかし、近ごろ寿命が延びたと言ってますが、それは薬毒が出ようとするのを押さえつける工夫が進歩したのです。

これは医学で言う抗生物質という、今までとぜんぜん違うもののためです。


そのうちで特に寿命に関係して早死にさせたのは漢方薬です。

日本人の寿命というのは漢方薬が縮めたわけです。

それで近ごろ漢方薬を止して西洋の薬をのむようになってから寿命が延びたわけです。

以前外国の方では日本人より寿命が長いということを言われてましたが、それは漢方薬を使わないためです。

ですから寿命を縮めるのは漢方薬に限るのです。

・・・と言うと変な言い方ですが・・・。

そこで最近の寿命が延びたというのは、漢方薬がなくなったためと、西洋の薬が抗生物質の薬に変わったためです。

これは割合に副作用がなく浄化作用を停止するのに効果があるのです。


そういうようなわけで、人間の腹の中が汚いという、そのことをよく知っておくとよいです。

それがために婦人などは、顔色が悪いとか顔が荒れるとか唇の色が悪いとか言って、いろんな化粧品を使って、そうしていわゆるごまかしているわけです。

それがために、まず美人というのはないです。

化粧しなかったら、今の女の顔は見られやしません。

私はよく、あまり化粧しない女の顔を見ることがありますが、美術展覧会に行くと女の画家が多いのですが、女の画家は割合に顔を気にしないとみえて、化粧しないのです。

その代わり汚い顔です。

男の方がよほどきれいです。

展覧会にはいつも絵を見に行きますが、つい若い女の顔を見ると、実に汚いです。

だから化粧品が売れるのです。

売れるから広告などにたいへんな金を使うのです。

そういうわけで、汚い・・・ほとんど血膿を皮膚で包んでいるのだから、きれいなはずがないのです。

私はよく言いますが、「人間気がつかないが、人間の皮膚ぐらいありがたいものはない。

もしこの皮膚がなかったら、汚くて、とうてい人前には出られない。

だからその皮膚の恩恵も感謝しなければいけない」と、よく女などに言いますが、そういうようなわけで、つまり美人を見てもあんまり美に酔わされないためには、中身を考えてみる必要もあると思います。

そうなると恋愛ということも、ちょっと熱が冷めます。

しかしそうなるとやっぱり精神的に心の方の美を求めるから、かえってよいかもしれません。


そういうようなわけで、人間は意外に薬毒が多いということと、血膿というものは薬毒の変化したものということと、人間の美というものも体の中がきれいにならなければ、本当の美ではないということです。

やっぱり腹の中が美になれ・・・肉体が美になれば心も美になりますから、そうすると美しいものを好むということになります。

だから美術館などを見る、あるいは見ているうちに趣味が出てくるということは、やはりそういったような汚いものが精神的にそれだけ減ってゆくわけです。

つまり魂が美から受けるその作用によって、魂がそれだけきれいになるわけです。

非常に必要なことです。

神様はそういった、つまり楽しみながら魂をきれいにする、要するに浄化ですが、そういうことをやられるわけです。

だからして真善美の美ということの一番の根本は、人間の体の中を美しくするということで、その方法は、つまり直接には浄霊、間接には教えを耳に聞き、それから美を目から入れるということです。


だからしてメシヤ教がやっていることは、本当に地上天国を造る要素なので、他の宗教でそういったような考えでやっているのは、ほとんどないのです。

ただ教祖の教えを丸呑みにして、無我夢中に、禁欲生活をしたり、大きな声をしてうなったり、太鼓を叩いたりいろいろしてますが、それでもないよりはよいです。

それがぜんぜんない人はどんな悪いことをするか分からないし、どんな犯罪者になるか分からないです。

とにかく神仏に向かっていれば、たとえ馬鹿馬鹿しいことをやっていても、それだけの心掛けであれば、兇悪犯罪をするということはあるわけがないです。

何々教信者が殺人強盗をしたということは聞かないから、これはよいですが、しかし本当に良い世界を造るということは、メシヤ教のやり方以外にないわけです。

ところがメシヤ教をおそろしく毛嫌いするのですが、というのは、つまり身体の中に汚いものをウンと持っているから、どうも掃除がつらいというわけです。

この掃除がつらいというのが副守護神です。

というのは、自分にとって勝手が悪いことになるから、極力止めようとするのです。

特に狐や狸というのは自分の居所がなくなるようなわけですから、つまり萎縮してしまい、活動ができなくなるのです。

彼らが一番怖いのは光ですが、メシヤ教は光で救うのです。

ところが一方祖先とかいうのは、光によって浄められれば霊界の地位が上がりますから、救われたいというわけです。

よくお蔭話で、祖霊が喜ぶ状態とか、信者にしたいとか、副守護神が邪魔しているのがありますが、それが分かってみれば、実によく分かります。


近ごろ非常に精神病が増えたということは、そういった動物霊が働きやすくなったからです。

働きやすくなったということは、人間の霊が曇ると彼らの活動力が増しますから、ここに汚い血膿なら血膿があれば霊の方は曇りが強いわけです。

それで曇りがあるほど動物霊というのは、そこで仕事をしやすくなるわけです。

だから了簡の間違った者や罪を犯す者は、副守護神、つまり動物霊が働きよい状態に置かれているわけです。

だから犯罪者が多いということや、さっき言ったとおり正義感が少ないということは、それとチャンと平均しているわけです。

だから今日正義感が薄いというのは世界的です。

すべて一時的御都合主義で、本当にこれが正しいと言って、それをやろうとする人はほとんどないです。

これは年中新聞やラジオで各政党や政治家がいろんなことを言っても、これなら本当に国民のためになる、世の中のためになるということはないので、

お座なり的で、実は、わが党が大きくなるとか、わが党のためになるとか、自分が出世する、というケチな考えで、こういう政策が本当に国民のためになるということをやる人は、ごくわずかしかないです。

そういうようなわけで、心が曇り、肉体は毒で埋まっているということがよく現われてます。」




明主様御講話 「人間、一皮むいたら毒血と膿でいっぱい」 (昭和28年12月16日)

「それから真善美の美というと、美しいもの、つまりだいたい目に見えるものです。

心の美しいということもありますが、とにかく汚いものを美しくする、それが地上天国におけるもっとも重要な条件です。

ところが、そういった自然の美とか人工の美といったものでなく、もっと肝腎な美があるのです。

それはほとんど気がつかなかったろうと思うのですが、それはなんの美かというと、人間の肉体の美なのです。

というのは、外面から見た皮膚の美でなく、中身です。

皮を一枚剥がした中身の美です。

ところがこれが、今の人間はたいへんな醜になっているのです。

これは浄霊をする人はよく知ってますが、人体は実に薬毒が多いです。

いくら薬毒を減らしても、なかなかで、後から後から出てくるのです。

オレはあれほどの疥癬をやったから、もうたいして毒はないと言って安心していると、さにあらずで、後から後からいろんな毒が出てくるのです。

それで今まで疥癬の重いのをやって、もうあらかた毒が出たような気持ちになって、それからそれ以上の病気が出る人もあります。

それほど薬毒が多いのです。

ですからその薬毒なるものは、つまり分かりやすく言えば、血膿・・・毒血と膿です。

ですから人間、一皮むいたら毒血と膿でいっぱいです。

おそらく骨や筋肉より多いでしょう。

毒血と膿を取ったら骨と皮だけになります。

ですから私は言いますが、人間は皮膚のありがたみというのに気がつかない。

人間、美男とか美女と言ってきれいに思ってますが、一皮むいたら見られたものではないです。

昔、骸骨の絵があって、それに皮肉が書いてありましたが、文句は忘れましたが「一皮むけば、人間はこんなものだ、こうなるのだ」と書いてありました。

それは骨だけですが、とにかく毒血と膿でいっぱいなのです。

医者が手術したときもそうですが、これは現場ではなく写真で見ましたが、これは衛生博覧会で模型が出てますが、たいへんなものです。

ですから一番肝腎なことはそれを美しくすることです。

つまり毒を除ることです。

ということは無論分かりきった話で、浄霊でそういうふうにしてますが、ただそんなにたくさんあるということを、みんな分からないのです。

ですから少しでも毒が減ると、自分はもうたいへんきれいになったようにうぬぼれたがるのです。

それが間違っているのです。

とても、そんなうぬぼれどころではないので、肉体的には自分の体に愛想が尽きるくらいです。

現に私がそうです。私が五十年前の肋膜のときにのんだ薬ですが、これは水の溜まらないように、とのためでしたが、その前に目が悪くて、ヨードカリという薬を二年ほど続けてのみました。

これは海藻からとる薬ですが、これが溜まって肋膜が起こったのです。

やはりこれが肋膜の付近に溜まっていたのです。

ですから今もって背中と横腹の間にゴリゴリがあるのです。

これを三、四年前からやってますが、まだあるのです。

それから肋膜の時にのんだ薬がありますが、これが十八の時のですから五十年以上前です。

それから三十七年前に歯を悪くしてやった薬が今もってあるのです。

近年ほとんどのように忘れてますが、それでも毎日のように少しずつ痛みがあるのです。

ですから私なども、本当になくなるには、もう二十年ぐらいかかるのではないかと思います。

ですから九十になったら本当に薬毒がなくなり、それから大いに活動ーできるかできないか分かりませんが・・・。

その代わり減るに従って年々体の具合が良くなって行きます。

ですからかえって近ごろ若くなったと言われます。

それはかえって薬毒が減ったためです。

それほど薬毒というものは、しつこいものだということを知らなければならないです。


私も随分重い疥癬をやりましたが、毒にもいろいろ種類があるのです。

疥癬の毒と、頭の痛くなる毒とか、腹の痛くなる毒とか、いろいろ種類があるのです。

それで、疥癬の毒というのは天然痘の毒ですから、そこで疥癬は痒いのです。

まず痒いのは天然痘の毒と思えばよいです。

それから疥癬でも、痛いので黒豆のようなものができますが、これは薬毒です。

ですから疥癬は天然痘の毒に薬毒が混って苦しむものです。

それで毒によって、痒いのと、痛いのと、麻痺したのと、いろいろあります。

それは自分のつけた薬やのんだ薬を考えてみれば分かります。

それからいつも言うとおり、一番痛い毒は消毒薬です。

よくお蔭話とか質問に、霊的の病気のように思っている人がありますが、霊的の病気もありますけれども、ごくわずかなものでだいたいは薬毒なのです。

よく病気が思うように治らないというような時 質問があり「なんの霊でしょうか」とか「霊的でしょうか」というのがありますが、そうではないので、みんな薬毒です。

それから霊的の病気があるとしても、やはり薬毒です。

つまり霊が薬毒で曇っていると悪霊が憑きやすいのです。

ですから薬毒というものを知っているのは、霊の方が知っているのです。

狐などは特に薬毒を知ってます。

いつか、狐が「コイツをやっつけようとして随分薬をのましたが、このごろメシヤ教に入って薬を止めてしまったので困る」ということを言っていたことがありましたが、薬毒で肉体を悪くし、それで霊を曇らせる。

そうすると狐は大いに働きよくなるのです。

ですからこの点は人間より狐の方がずっと偉いです。

人間の方は、われわれの方でいくら薬毒を言っても、最初はなかなか信じないのですが、狐の方は知っているのです。

医者にかからせ、手術をさせたりするのは、狐がやらせるということが非常に多いのです。

学者というのは狐より以下ということになります。

おもしろいのは、そうやって人間の霊を曇らして、いろんな動物霊が悪いことをさせるのです。

だから今言う正義感がないということは、その原因はやはり薬なのです。

薬が悪を作っているということになります。

薬が人間の体を弱らせ、悪を作り、社会を悪くし、世の中を悪くするということになるのですから、薬というものは、いかに大きな罪悪を作っているか分からないです。

だから人間を健康にする、あるいは罪悪をなくするということは、薬をなくするということになるのです。

それを今浄霊しているのだからして、そのことが本当に分かったらずいぶん恐ろしいわけです。

それから、霊が曇るということは、今言ったとおり肉体が汚くなっているというわけで、霊的には、霊が低くなっているのです。

だからしてどうしても、劣等なことや、汚いことに対して、あんまり気にならない、厭わないのです。

自然に芸術などに対しての趣味を持たないのです。

要するに趣味が下劣になるのです。

そのために社会に対して悪い影響を与えるということも多いのです。

根本はどうしても人間の体の中を美しくするということになるのです。

その人間の肉体の中の美ということに対して、ぜんぜん気がつかないからして、それを気をつけるべく私は書いているのですが、今はその話をしたわけです。」




明主様御講話 「人間の体から血膿を除くと骨と皮だけ」 (昭和28年12月17日)

「薬毒というものは、信者になった人はみんな分かってますが、ただ本当に分からないのは、薬毒の量をたいていな人は少なく見ているのです。

ところがこれが非常に多いのです。

私はこの間なにかに、薬毒を全部除るには一生かかっても難しいと書きました。

まず一生のうちに薬毒を全部なくすことはできないです。

二代三代ぐらいはかかるでしょう。

そうなれば病気することはなく、寿命も百以上は必ず生きます。

薬毒というものは、そのくらい厄介なものです。

よく、随分酷い疥癬などをわずらった人が、もう自分の毒はあらかた取れたように思いますが、とんでもない話です。


それから薬毒にも種類がいろいろあります。

まず三つも四つも五つも六つもあります。

それで疥癬はたくさん出るようですが、これは天然痘の毒素です。

つまり遺伝毒素です。

ですから疥癬の重いのをやって、オレはいいと思っていると、それから酷い浄化が起こりますが、これはそういうわけです。

なによりも自分の薬毒というものは、ほとんど無限にあるように思っていればちょうどよいのです。

それでその薬毒というものはどういうふうになっているかというと、血膿です。

よくオデキなどになって腫れて出る血膿です。

それがいっぱいあるのです。

それで人間の体から血膿を除いてしまったら、骨と皮だけになってしまいます。


そういう例があります。

随分肥っている人が、毒が出てゆくとヒョロヒョロになってしまいますが、痩せたから薬毒がなくなってしまったかと思うとまだあるのです。

本当にこれを取ってしまったら骨と皮になってしまいます。

私はいつも言うのですが、人間の皮膚ぐらいありがたいものはないと思います。

人間から皮膚を取ってしまったら、どのくらい汚いか分からないです。


ですからずいぶん美人とかいって、ストリッパーなどは体がきれいです。

また油絵などに画く人もそうです。

ところがその美しさは皮膚だけの話で、中身ときたら汚いものです。

それを包んでいる皮膚というものに感謝してよいと思います。

少なくとも女性は大いに皮膚に感謝すべきだと思ってます。

そういった薬毒が取れるに従って女はきれいになるわけです。

それは化粧の必要もないです。

私の所にいる女中で、一人、生まれてからまだ薬をのんだことがないというが、実にきれいです。

それはどんな化粧をしたかと思うくらいです。

これは立派な生きた見本ですが、そういうわけで、女が薬をのまなくなったらどんなに美人になるか分かりません。

昔ー千年以上前の女は定めしきれいだったと思います。

小野小町なども、あの時分には漢方薬がそうとう入りましたが、それでもよほどきれいだったと思います。

それを考えると、今の人間は実に馬鹿です。

骨を折って、金を使って化粧して、体の中は薬毒で汚くするし、外は化粧品で皮膚から染み込ませて汚くしているのです。

それに気がつかないで、ますます念入りに化粧してます。

化粧品が売れるわけで、新聞広告と言えば、まず売薬の広告と化粧品の広告です。

今言ったとおりのそういった間違いが、薬屋と化粧品屋に金を儲けさせているというわけです。

そうして手数をかけて、金をかけて病気の種を作っているのです。

だから“超愚”では追いつかないくらいで、もう一つ“超”をつけたほうがいいくらいです。

つまりそれを早くなくするには浄霊よりほかにないのですが、その浄霊について書いてみました。

(明主様御論文「日本の誇り」発表)


いま話したように、つまり人間の体の中が一番汚いのです。

汚い物もいろいろあります。

糞尿もずいぶん汚いですが、血膿の方がもういっそう汚いです。

万物の霊長たる人間が一番汚いのです。

だからいろいろな寄生虫が腹の中にわくというのはあたりまえです。

だいたい人間の体は生きているので、腐っているのではないのですから、それに虫がわくということは、いかに汚いかということが分かります。

しかもその虫の種類がいろいろあります。

真田虫という馬鹿げて大きいのもあるし、小さいのもいろいろあります。

一番小さいのは回虫ですが、これはオソバみたいな、奇怪な形のやつで、たくさんわく人のは、ゾロゾロと、それこそソバみたいに重なり合っているのです。

それが人間の腹にわくということは、実に不思議なくらいです。

それでごく細かい目に見えないものが結核菌ですが、結核菌と言っても虫の小さいのですから、わいたに決まっているのです。

それは伝染もしますが、それは汚いから伝染するのです。

ちょうど便所の組みたいなもので、これは糞尿のない原ッパに出せばすぐに死んでしまいます。

それが、生きているということは、やっぱりそこに自分が生活し得るだけの材料があるからです。


ですから人間は、ともかくいばることをやめるのです。

つまり、一口に言えば虫の巣です。

巣だけならよいが、自分の体でそれを作っているのですから、実に、なんという汚い動物であるかということです。

ですから私は真善美の「美」の世界にするのは、まず人間の体の中からと思ってます。

それをみんな知らないからいばっているのですが、まずこれを知らせるのが肝腎なことだと思ってます。

そのくせ今日はいろんな虫というものが発見されて、ごく知りぬいているとしているのです。

ではどういうわけで、体の中にそういう虫がわくかということに、気がつかないのです。

ごく低級と言いますか、単純なものです。

もっとも、どういうわけで腹の中に虫がわくかということを考えても、気がつかないから、そこでそういうものだと諦めているだけのことです。

そうすると、それに気がつかないという、つまり愚か・・・暗愚ということも不思議ですし、われわれから見ると、今の文化人だとかヤレ教育があるとか学問があるとか言っても、肝腎なことがまるっきり暗愚です。

だからこの間のように「超愚」というのは、どうしてもそういう言葉が出るのです。


それで浄霊よりほかにないのですから、結核が治るということは、浄霊によって虫が殺される・・・というのは結果であって、虫が住むような条件がなくなるわけで、きれいになるのです。

わく条件がなくなるとともに、虫がそこに生存する条件もなくなるというわけだから、病気が治るということは分かりきった話です。

ところが医学の方で治すのは、その条件を医学が作るのだからして、逆になるわけです。

昨日か今日の新聞に出てましたが、日本は今まで癌は西洋よりか少ないとされていたが、西洋と違わないというのです。

今まで、いろいろ死亡者を研究してみると、癌の死亡者というのは、数において三分の一くらい日本が少ないとされていたのですが、そうでない、いろんな病気で死んだのを調べてみると三分の一増えたというのです。

それでは外国と同じということになります。


それでは癌というのはなにかというと、結局薬毒なのです。

ですから薬毒癌と言ってもよいです。

それから薬毒のほかに肉ですが、これは「アメリカを救う」の本に書いてありますが、肉の毒です。

これを消すために野菜というものがあるのです。

ですから野菜の食べ方が少ないのです。

少ないと肉の毒が余るので、そこに薬毒が混合するのです。

ですから浄霊して薬毒がなくなるとともに肉の毒がなくなるのです。


これはいつかも話しましたが、私は年々食欲が減っているので、おかしいと思って、前から鳩尾の所を見るとちょうど骨みたいなものがあるのです。

それで私はここに骨みたいなものがあって、人よりも変わっているのかと思って、たいして気にも止めなかったが、しかしこれはおかしいと、これを浄霊してみると少しずつ溶けるのです。

つまりこれは胃癌なのです。

それで自分で寝るときにチョイチョイ浄霊していると、だんだん小さくなって、それにつれて食欲がだんだん増えてきて、去年からみるとちょうど倍になりました。

そうしてみると癌というのは実に・・・これは痛くもなんともないのですが、ちょうど骨ぐらいの固さです。

ですからこういう人が世間にはたくさんあるのだから、たいへんだと思いました。

これはいつごろからあるかというと、私がチフスをやったときで、二十八の時です。

その時に肺炎と間違えられて、肺炎の薬をたくさんのみました。

この肺炎の前に胃が悪くて胃の薬をのんで、それから肺炎になって肺炎の薬をかなりのみました。

それでチフスが治ってからは、食べてもある程度までゆくとピタッと止まってしまうので、おかしいおかしいと思っていたら、今言った結果なのです。

それで、胃癌は減りました。

今三分の二ぐらい減りましたが、これが取れたらもっと食欲が増え、肥るわけです。

寿命も十五年や二十年延びるわけです。

実に驚くべきものです。

あなた方も、食欲が少し変だと思った時には鳩尾を調べてみるとあります。

これはたいていあるようです。

大きい小さい、固い柔らかいはともかく、古いのは固いようです。

それで私のは四十年ぐらいの古くなったものです。

だから薬毒というものは、そのくらい古くても決して減るものではないのです。

ただ固くなるぐらいなものです。」




明主様御講話 「肥料の毒がまた大変」 (昭和29年3月27日)

「これについても、私が一番狙うところは、医学の革命です。

これはまた一番難しいのです。この自然農法が全国的に分かると、その医学に対する効果も、ちょうど自然農法と同じような理屈で、肥料というのは医学でいう薬です。

「肥料をやるために土が弱る」ということと、「薬を服むために健康が弱る」ということと、理屈は同じですから、この面から医学の方を分からせる上において、非常によいと思うのです。

そういうわけで、肥料のために、その毒素が人間の健康に非常な害があるということも分かるわけです。

おまけに特集号にあるような、米に穀象虫がわいたのを写真に大きく出してありますが、あれを見たら否も応もないと思います。

ですから今まで薬毒ということは、私は大いに唱えてきましたが、勿論薬毒も悪いが、それ以外に米に対する肥料の毒がまたたいへんなものです。

つまり肥料の毒というのは、やはり血を濁しますから、肥毒と薬毒との両方で、人間は今までいじめられていたわけです。

今度その論文を出しますが、「人間の体はいかに造物主が強靭に強く造られたかが分かる。これだけの薬毒を入れながら、なおかつ生きているということは、実に人間の体は丈夫なものだ」ということを書いてあります。


こうなると肥毒まで加わって、食う食糧に対する肥毒があって、薬を飲まない人でも一日に三度ずつ肥毒を体に入れているのですから、虫がわくのはあたりまえです。

寄生虫の害というのは、みんな知っているとおりですが、これは別におおげさに言うわけではないので、私はいつもそう思ってます。

薬毒がウンと固まって、体に薬毒がいっぱいある人がありますが、「これでよく働けるな、実に人間の体というのは強くできている」といつも感心してます。

これは医学的の頭で考えたら面喰うだろうと思います。

そういうわけで、神様の方は着々と進展しつつあるわけです。

しかも今言ったとおり、各宗教の教祖やなにか、そういった偉い霊たちがこれから救世教のために大いに働きますから、だんだん時期がたつに従って、予想もつかないような大きなことになると思ってます。

だんだん張り合いが出てきたわけです。今までは楽屋で支度をしていたようなものですが、これからいよいよ本舞台に上がって、檜舞台で世界人類を大いにうならせるというわけですから、ちょうど世界的の大芝居です。

これは大本教のお筆先にありますが、「今度は世界の大芝居であるから、今に世界は動くぞよ」とありますが、これはやっぱりそういう意味です。」