毒塊人間について 1
明主様御教え 「毒結五十年」 (昭和26年6月6日発行)
「私は十八歳の時肋膜炎を患ったが、その時は、横腹を穿孔して、二百グラム程水を除った、
ところがその際の消毒薬と、そうして一旦治ってから、一年後再発した時の服薬と都合二回の薬毒が、
ちょうど背中と腋の下の間くらいのところに固まっていたのを近頃発見したので、
溶してしまおうと思い自分で浄霊をしたところ、
初めは随分固かったが少しずつ溶けて段々軟かくなり溶ける度毎に必ず下痢する、
大して痛みはないが判で捺したように正確なのだから面白い。
これによってみても毒結なるものは何年経っても消えない事が分る。
私は今年満六十八歳だから、ちょうど五十年間出ずに固まっていた訳である、
だから浄霊を知らなかったとしたら、まさに一生涯帰らないお客様という訳なのだ。
右のごとく、毒結が溶けて下痢になって出る程気分がよくなる、
今まで長い間気が付かなかったが、普通の気持と思っていた、
それは、今度気が付いてみると、思いもよらない爽快感が湧いたという事で実に嬉しい。
まずこれで二、三十年は寿命が延びるような気がする、オマケに頭も非常に具合がよくなり、原稿も今までよりよく書けるようになった。
これによってみても、薬毒なるものは、浄霊を知らないと一生涯消えないという事が判るのである。
それから下痢の原因の個所は私が常にいうごとく、ほとんど頭と背中である、
それでその部の毒結が溶けて、一旦腹に集まり下痢する場合と、飲食物の中毒による場合と両方がある。
特に頭の浄化による場合は血液が多く出る、その際肛門から出るのを痔出血と言い、それが腹の方へ一旦滞溜してから出るのが赤痢である。
それでその毒血を早く出るよう自然の役目をするのが赤痢菌であるから、赤痢に罹った場合放っておけば順調に毒血が出て治るのである。
ところがそれを知らない医学は、あの手この手で出さないようにするため悪化するのだから、この理を医学が知ったとしたら人間はいかに助かるだろうかと思うと、私は残念で堪らないのである。」
明主様御教え 「毒塊人間」 (昭和28年9月16日発行)
「私は常に現代人は毒の塊(かたまり)だといっているが、随分酷い言い方と思うかも知れないが、これが事実であってみればどうにもならないのである。
信者の誰もが知るごとく、今日どんな人でも祖先から受け継いだ先天性薬毒と、生まれてから入れた後天性薬毒との、二種の薬毒によって毒の固りになり切っている。
というのは私は二十数年来今日まで、何千何万の人間を取扱って来た経験によっても、そうでないものは一人もない。
残らずといいたい程人間の形をした毒の塊といっていい。
もちろん浄霊によれば容易に溶解排除せられ、病気も生命に別条ないまでに快(よ)くなるが、薬毒全部を除ってしまう事は、まず一生かかっても難かしいであろう。
このような訳だから今日人間の形をした毒の塊が高慢な理屈を言ってノサバっているのだから、これを吾々から見れば滑稽千万であり、碌(ろく)な智慧も出ないのは当然であろう。
そうして私が常に唱えているごとく、その毒は人間が神経を使う所ほど集溜固結するのが法則であるから、近代人のごとく非常に頭脳を使う以上、首の周りから肩へかけて固っている。
どんな人でもその辺を探れば必ず大小様々の固結やグリグリがあるからよく分る。
この固りの浄化作用が風邪であるからそのまま放っておけば毒素は順調に排泄され治るものを、無智な医学は薬その他の手段で出るのを停め、固めようとする。
その上そのための薬毒も追加されるとしたら、それだけ固りも増え、益々毒塊人間となるのは当然で、浄化も起り易くなり、今日のごとく病人が多いのである。
しかも頭脳が最も侵されるため、近頃のごとく頭の悪い人間が増えるばかりで、どんな人でも頭痛、頭重、朦朧(もうろう)感、焦躁(しょうそう)感、眩暈(めまい)等の苦痛のない人はほとんどあるまい。
この結果物の判断力が鈍く、正邪の区別さえつかず、常識の欠乏、智能の低下、鈍智鈍感、何事もその場限りで済ましてしまうのは、御自分を見てもよく分るであろう。
従って病気、犯罪、貧困、争い等々忌わしい事の多いのは驚くばかりで、社会はさながら地獄絵巻である。
そうして特に言いたい事は智識人のレベルの低さである。
彼らの説くところ矛盾撞着(むじゅんどうちゃく)、定見も主張もなく筋も通らず、ただ活字の羅列に過ぎず、ほとんどは原稿稼ぎといってもいいくらいで、
近頃の論説を読んでも後へ残るようなものは滅多にない。その中での二、三の例を挙げてみるが、まず宗教家である。
彼らの説くところ何百何千年前の骨董的教説に、新しい衣を着せたようなもので、何ら新味はない。
もちろん人々に感動を与えるなどはまずあり得ないといえよう。
また政治家にしても普通の頭なら、精々三十分くらいで結論の出るような問題でも、大勢かかって幾日も練るどころか、何カ月、何年に及んでも結論が得られないのを見てもその頭の悪さ加減が分るのである。
一例として彼の再軍備問題にしても、この可否など実に簡単明瞭であるにかかわらず、擦(す)った揉(も)んだで未だに結論が出ないにみても肯くであろう。
これも智慮あり信頼出来る指導者がないからでもあろうが困ったものである。
それについて私は常に部下にいっている事は、相談や会議の場合、三十分以上かかるようなら止めた方がいいとしている。
それでも纏(まとま)りそうもない時は、私はワンマン振りを発揮して、一言で片付けてしまう事もよくある。
本教が何事もスピード的に運んでゆくのもそのためである。
次に経済界であるが、これも余りに頭が悪すぎる。
衆知のごとく政府や財界の主脳者始め、日本の商工業者がいつも苦しんでいるのは借金である。
恐らく世界中日本くらい借金インフレの国はないであろう。
この最大原因こそ利潤と利子との釣合せが下手糞なためと、事業盛衰の判断力、世界の趨勢や国家経済の動向などに見通しがつかなすぎるからである。
それもこれも鈍智のためはもちろん、借金の苦労がそれに拍車をかけるからでもある。
まだ色々あるが、これだけでおよそ分ったであろうが、今一つ言いたい事は、近頃のごとく社会各面における忌わしい問題の多い事である。
交通事故、火災、鉱山の災害、殺傷沙汰、自殺、心中、裁判沙汰等の外、風水害、農村の病虫害等々、
要するにそのことごとくは頭脳の明敏を欠く結果で、その原因こそ薬毒であるから、何としてもこれに目覚めさせなければならないと痛感するのである。
遠慮なくいって現在の社会は、毒塊人間が押し合いへシ合い、蠢(うごめ)いているとしか思えない程で、
思えばこれを浄め給う神様の御手数こそ、さこそとお察しする次第である。」
明主様御教え 「現代人の短命」 (昭和11年5月15日発行)
「現在日本人の平均寿命は、四十四歳であるという、元来、百二十歳まで生きらるべき、定命としては、余りに短命である。
ほとんど、天寿の三分の一しか、生きられない訳である。
たまたま七十八十まで生きる人は、長命として、大いに祝うのであるが、かような人世へ対して人は何ら、疑問を持たないのである。
それはその原因も、方法も、発見し得ないから、止むを得ず、諦めて居るので、それがいつしか常識にまでになったのであろう。
しからば、この短命の原因は、どこにあるのであるか、それを、これから説明してみよう、私が、多くの健康者も、不健康者も、調査してみるにおいて、実に、驚くの外ないのである。
それは、あらゆる人々の肉体は、ほとんど、膿汁と毒血で充満していると言ってもよい位である。
故に健康者といえども、いつ、大病が発生するや知れない、危険の状態に、置かれてある事である。
私は現代人が、よく生を保って居るとさえ、思うのである。
又、これに気が付かない現代医学も、不思議であると思う、極端に言えば青白い顔は膿汁の為のそれであり、色艶の好い、油切った顔は、毒血の逆上(のぼせ)とさえ、思うのである。
もし、このままにして進まんか、実に国家の前途に対して、寒心と恐怖に、堪えない次第である。
かような、汚穢に満ちた人間が、天寿を保ちあたわぬのは、真に当然である、近来、最も多い、神経衰弱、肺結核等は、膿汁のそれが、原因であり、脳溢血、中風、リョウマチス等は、毒血の多量に由るのである。
故に、現代人の短命であるのは、その膿毒の為に倒れるので、その膿毒に堪えられないからである。
たとえば、重い荷を背負って行く、遠路の旅人のごときもので、路半(なかば)にして、疲労と困憊(こんばい)の極、道端に昏倒する様なものである、
何と情ないではなかろうか、獣類でさえ大方は、定命を保ち得るのに、万物の霊長と誇る人間が、天寿の何分の一しか、保てないと言うに到っては大いに考えざるを得ないであろう、にも係わらず、医学は進歩したというのである。
この点において、今日の宗教も、無力であると言える、何となれば寿命を延ばしてくれる宗教は、ほとんど無いからである。
それは、信仰者も無信仰者も、同じ様に病気に罹り、同じ様に死ぬのを見ても、あきらかであろう。
現代医学も、現在の宗教も、無病者たらしむる事も、天寿を全うさせる事も、出来ないとすれば、その存在価値を、疑わざるを得ないであろう。
本療病術とは、汚穢に満ちた人類を、浄化する事業である。
国民の延命運動である。
これは新日本医術の大療法を拡充する事によって、達成されるのである。
そうして、人間が汚穢を取除かれたなら、ひとり、肉体の健康ばかりではない。
霊体合一の理によって精神も健全になるのは、当然である。
精神が健全になれば、その人の行為は、正しからざるを得ない。真の人間としての、道をふむ事になる。
いわゆる、完全人間に成るのである。
完全人間が多数になるに従って、国家社会は、健全なる発達を遂ぐるは、必然であろう事である。 (「明日の医術・新日本医術としての岡田式療病法」より)
明主様御講話 「病人を一皮剥くと膿と毒」 (昭和11年1月1日)
「私はいろいろと毎日事実によって知らされる。
毎日いろんな病人の方がみえますが、病人でなくとも健康診断などで来る人もあり、そういう人達の一皮剥(む)けば、膿と毒で、これを考えるとき恐ろしい感じがする。
若い方できれいな方もあるが、膚をみると本当の血が循環しているんでない。
観音会の方でも掃除されてる人もあります。
その方は、おデキのできてる人があるが、これは結構なんで浄められるんで、ただ楽に浄められるのと、苦しんで浄められるのとあって、これはその人の想念、信仰などによるんであります。
しかし、汚れも清められなければならぬことになっている。
この人の霊体の曇りはいかに激しいか判らぬ。
なぜかというと、何千年の夜の世界にいて、本当の太陽の光に遇わなかったからであります。
これを清めなければ人類は、近き将来に滅亡しなければならぬと思う。
しかしこれだけ曇った人類の汚れを浄めるものがあるかというと、他には断じてない。
あらゆる宗教はたくさんあるけれど、それを掃除し得る宗教はない。」
明主様御講話 「薬は体内で固結している」 (昭和28年1月7日)
「私は昨日から歯が痛くて少し腫れてますが、これは歯の肉に固まりがあって、それが溶けてきたのです。
この歯の薬の固まりですが、この薬が今年で三十七年になります。
三十七年たっても、今もってなくならないというのは、固まってしまうのです。
ですから新しい信者の人などがかなり浄化して出たので、もう薬毒はなくなっただろうと思うと、あに計らんやこれからです。
二十年も三十年も前にのんだ薬などは、もうなくなっているだろうと思うと、どうしてどうしてなかなかです。
固まっているからですが、それが順に溶けていくのです。
ですから一生涯なくなるということはないでしょう。
私は三十七年前のを毎日浄霊してます。
それから横腹と背中の間に固まりがありますが、これは肋膜の時の水が残っていたのが固まっているのです。
それに薬毒もありますが、これはちょうど五十年前のがまだあるのです。それは固まってしまうからです。それでいつまでたっても取れないのです。
それで誰でも浄霊によって、やっと溶け始めて出るのですから、たいへんなものです。」
明主様御垂示 「現代人は肉一毒九」 (昭和23年4月28日)
(井上先生「天国の福音」中の省略された原稿「恐怖時代」を朗読)
明主様御垂示
「人類は今まで薬を使ってきたが今後霊界が昼になるにつれて火素が増量し、今まで服用した薬は体外へ排除される。
そのときも既存の固め療法をしていたら勿論死を免れない。
薬毒の多い現代人はその時が到れば急激な浄化のため相次いで死亡し「人類は何分の一、何十分の一またはそれ以下に減ずるかもしれない」
そしてその恐怖すべき時代は「一九四七年以降数年間に現出するであろう」。
みんな毒でいっぱいなんだ。肉や皮膚より毒のほうが多いでしょう。
でそうじゃなくてまったく多いんです。
そのときに疥癬をやった者は浄化が軽くてすむ。だから疥癬はありがたいんですよ。」
信者の質問
「肉三膿七ですか。」
明主様御垂示
「そのくらいなら上等ですよ。肉一毒九ですよ。
昔は「膿塊人」と題して笑冠句を作ったもんです。
いまのような激しい病気や形の変わった浄化が起ったとき、初めてこのお浄めの意味がわかります。
私がこう言うと悪宣伝の材料になり観音会に入らぬと死んでしまうなどと言う人が出る。
私が言った通り言うならいいけどオマケがついてしまう。
空気が三分間なくなるという話もよく調べたら出口王仁三郎が言ったんです。
そしてこっちで言ったようにしてこっちを害しようとしたんです。
やっぱり邪神が憑依しているんです。
ほかの宗教でもこういうことは言ってます。
以前キリスト教の牧師で「天国の福音」会会長という人に会ったらその人がいわく「世の終わりとは人類が全部死んでしまって千年経ってからいったん死んだのがポツリポツリと生きかえる、それが復活だ」と言っていた。
そのころ私は宗教のことはよく知らぬのでバカバカしくてね。
またチベット学者の河口慧海を訪ねて、人間は死ぬとどうなるかと訊ねたら、宇宙の大霊に溶け込んで零になってしまうと言っていました。
そんな考えになると虚無思想で悪いことをするようになる。
なぜなら善をしても悪をしても死んでから零になるんなら悪いことをしてもこの世の中で楽をしようという気持ちになるから。
何年何月にどうなるという予言は外れるものだ。
関西の地震もそうです。
そういうことは人間に判ってはいけないんです。
寿命と同じで寿命があらかじめ判ったら人はいい加減前からもうあとこれこれで死ぬんだからと言ってブラブラ遊んでしまうでしょう。
地震が確実に予言されたら家を建てる人もなくなってしまう。
だからそんなことを知らせるのは邪神です。
正しい神はただこういうことが将来あると知らせるだけです。
大本で浅野和三郎を訪ねたとき、お立替は昭和十一年にあると言ったので、もしなかったらどうするかと問うたら、私は軍人だから腹を切ると言っていた。
十一年にはなにもなかったので彼は止めてしまったのです。
キリストの再臨なんてのもね、「メシヤは夜盗人の来るがごとく来る」とか「栄光の雲に乗って天降る」とか書いてある。
これはどっちにもとれるようにしてあるんです。」
明主様御垂示 「人体内の薬毒はほとんど無限」 (昭和28年3月1日)
信者の発言
「だいたい秩父宮様は丈夫な方なのでございましょう・・・十数年もかかってやっとまいったのでございますから」
明主様御垂示
「それは素晴らしく丈夫な人です。山の宮様と言って山が好きなくらいですから・・・。
私が登山しているときに、よく、去年秩父宮様がおいでになったと聞きましたが、そのくらい丈夫だったのです。
それで、最初に結核と言われましたが、やっぱりいくらか胸に曇りがあったのでしょうが、それから薬をのみ始めたのです。
それが最初は膵臓に固まって、その圧迫によって糖尿病になったのです。
そこにもっていって薬をのむから、左のほうが一杯に溜まって、それが右のほうに行って、それが胆嚢を圧迫して黄疸になったのです。それが致命症です。
だから少しの薬が、だんだんやっているうちに命に関わったのですから、結局医学の殺人です。
医学によって殺したわけです。」
信者の発言
「とにかく十数年間もてたということは、そうとうに丈夫だったのでございますわけで」
明主様御垂示
「そうです。
私は、秩父宮様に限らず、人間というのは丈夫なものだと思ってます。
これだけの毒をのんでいて、なお生きて働いているのですからこんなに丈夫なものはありません。
むしろ馬や豚のほうが弱いです。
今度も豚コレラということでその予防注射をしたら、四十五頭が死に、六百七十五頭が発病し、さらに続発が予想される、というのですが、
それは予防注射のために死んだのですが、人間ならそうは死にません。
そのくらい人間は丈夫に神様はつくってあるのです。
だからそういう家畜よりも、寿命にしても人間のほうがずっと長生きします。
それは馬や牛の寿命でもとても人間ほどは長生きしません。
それで浄霊したりしてみると、みんな実に毒があることが分かります。
体の肉や血よりも毒のほうが多いくらいです。
それでいて生きているのですから大したものです。」
信者の質問
「特に最近は御浄化が強くなりましたが、自分の体は他の人より良いと思っておりましたが、あっちからもこっちからも出てまいりまして驚きます」
明主様御垂示
「そうなのです。疥癬を何べんもやったとか、下痢とかオデキをやって、自分はあらかた毒がなくなったと思いますが、とんでもないことで、それはほんの何分の一というわけで、まだいくらでもあるのです。ほとんど無限なくらいです。」
信者の質問
「数年ならずして浄化が非常に旺盛になりますことと思いますが、そのときの世の様というのはたいへんなものと思われます」
明主様御垂示
「それはたいへんなものです。
おまけにアメリカなどは実に薬をのむのです。
それでパンなどにもビタミンAとかBというのを入れて売っているのです。
それから水は水で晒粉を入れますが、それを良いと思っているのですからしようがありません。
だからこの浄化が起こったらたいへんなものです。
そこでアメリカなどでできる薬はだんだん毒を強めているのです。」
明主様御垂示 「寄生虫と毒素との関係」 (昭和23年7月28日)
信者の質問
「回虫などの寄生虫と毒素との関係はいかがでしょうか。」
明主様御垂示
「虫なんか湧くのは体内に毒素があるからで、虫はその毒素を食って生きているのです。
虫がいるからって心配はありませんよ、御浄め(註 浄霊のこと)すれば早く出ます。」
信者の質問
「虫が体内の毒を食えばそれだけ毒は減ることと思われますが。」
明主様御垂示
「回虫はしかし毒をそんなにたんとは食べないから駄目です。
ふつう回虫は二匹いる。
五匹も六匹もいると病気として扱うのです。
そしてその二匹はたいてい夫婦です。
だから一匹出ると必ずまた一匹出てくる。」