消毒薬について 3
側近者の寄稿 「薬毒の恐怖」 瓢箪 (昭和29年10月15日発行)
(一)「私は毎年二回以上は消毒薬浄化による神経痛で死の苦しみを味わって来たが、
その都度、明主様に御救い賜わり、年毎に苦痛も楽に、浄化の回数も減らして戴いたが、
昨年秋十一月にも御浄化を戴き歩行不能に陥った。この前の浄化に比すればはるかに楽にして戴いたが、
それでも痛苦の為不眠と絶食の日もあった。しかし最も苦しい症状は一度の御浄霊でお除り戴いたので、
今迄にない短期間の、僅か一週間で歩行出来るようにして頂いた。
そしてさしもの消毒薬も殺人的苦しみは与え得ぬほど薄くして頂いた事がはっきりと分り、有難さに堪えなかったのである。
なお、この時の浄化状態の特異な点は、従来のように両脚の激痛に止どまらず、背部の手術個所の疼痛の執拗だったのと、右腕が痛んで利かなくなった事であった。
そして驚くべきはその手術部の御浄霊戴くと、忽ちにして頭脳がすっきりし物がはっきり見える。腕や足もズーッと楽になり、羽化登仙別世界に引上げられたような全身的軽快を覚えるのである。
これによっても、今迄長年苦しんだ足の激痛も頭脳の混乱も、結局はこの背部手術個所の消毒薬が根因となっていた事を、あまりにもはっきり分らして頂いた。
実にこの部の薬毒こそ一時に浄化すれば、いかに私の生命力ありとも容易に奪いとる程の恐るべきものであったのである。
私は身体も弱かったが、まず何よりも頭脳の変質と遅鈍を良くして頂きたく、従来頭部と頸部の御浄霊をしばしば御願いしていたが、
お蔭をもって頭も非常に楽になり、性格も体質も他人から変化を認められるほど穏健にして頂いた。
こうして頭頸部の薬毒を減らし薄くして頂いたため、平均浄化的に、さほど激しからぬ苦痛で、背部手術部の浄化を賜わるに至り、ここにあらゆる苦悩の根源たる薬毒の本拠は白日に照らさるるごとくあらわになったと共に、
今後これを解消して戴く事によって、初めて虫の境涯を脱して健全人間と生まれ変り、無上の幸福を与え給う事となった大御恵みの有難さ嬉しさは何と申し上げてよいか言葉もない。」
(二)「私が頭頸部の御浄霊を賜わるようになってから頭も大変よくして頂いた事を自覚していたが、時として物を考えようとすると思考が分裂してまとまらず、
無意味な妄想や、自分の意志と全く相反した不快極まる想念が沸いて混乱に陥ったり、ついには頭脳活動が停止したかと思う程無能力的になる。
こういう事が度々あると、次第に自己の頭脳に自信がなくなり、なすべき事も段々出来なくなる。
そういう時「これは自分の想念や行いの間違いによって曇りをつくり、その為に脳力に変調を来たしているにちがいない」と思うようになった。
そしてその事を明主様に御伺いすると、「何を言っているのだ、決してそんな事はない、みんな消毒薬の為だよ、まだまだウンと消毒薬が延髄部に固っている。
よほど消毒薬を入れたものとみえる。
お前の頭には普通人の何倍もの薬毒があり、それが頭の中で渦巻いているのだ」と御垂示賜わり、私は直ちには信じられぬ程ビックリしたのである。
自分が今迄になくよくして戴いた事から頭の方の薬毒は充分減らして頂いたし、消毒薬は手術部に固結しているだけで、
ただ信仰の至らぬ為の症状とのみ思っていた私には、消毒薬がこんなにも執拗な恐ろしいものであり、延髄の固結までもそれである、とは、全く気づかなかったのである。
私はこれ程に御明示戴いた事もいつしか忘れ、この時の浄化の時も再び深刻な地獄的想念に悩んだ。
自分はなすべき御用も何一つ出来ぬ身をもって、かほどまでに大神様の御手数をかけ奉るのは何たる恐れ多く勿体ない事であろう。
常に限りない大御恵みを頂きながら当然の御用さえ出来ぬとすれば信仰している意義はなく、生きていて何の甲斐があろう。
このように何にも出来ぬのはよほど深い罪があるからに違いない。
肉体の支柱たる脊髄まで傷つけられ、その薬毒の為こうまで苦しまねばならぬのは、よほど前世において、大神様に背き奉った最大の罪を身魂に背負っており、その罪に相応する医療の被害を受ける運命になったのではあるまいか、と思い、明主様にお伺いした。
すると、「お前は一体、前世で神様に背いた覚えがあるのか」とお聞きになった。
「それは何とも判りません」とお答えすると、
「そんな不確実な事を考えるのは変ではないか、物事はもっと現実的に考えるべきである。
手術を受けさした親も病気を治してやりたい一心でやったのだし、医師とても同様善意でやった事であって、誤った医学以外には誰にも罪はない訳でほないか。
それが事実であり、最も正確な見方である。信仰者はすべて罪悪的非現実的に考えるし、無信仰者は唯物的にのみ考えるがどちらも本当ではない。
私は何れにも偏らぬ最も正しい考え方を教えるのである」と御諭し賜わった。
人類の罪を赦し給う救世主神の御眼には、人間の罪悪はあたかもお認めにならぬかのごとく、
ただ罪悪を生み不幸を作る薬毒を滅せんとの大悲の大御心しかお待ちにならぬがに私には感ぜられた。
そして又私は、常に陥りやすい既成宗教的、病的な考え方の急所をつかれ、悪夢からさめたような喜びを覚えたのである。
結局私は頭脳をよくしていただいた為に、次々起った薬毒の浄化の為に、深い罪悪感に陥ち、自ら地獄を作っていたのであった。
又、その後右腕の御浄霊をお願いした時、右頸部に痛みを覚えたので、まずその部の御浄霊をお願いした。
明主様はちょっと御手をお触れになった。
「これだな、随分物凄く脹ってるな、夜寝れぬ事があるだろう」と仰せられ、一、二分御浄霊賜わったろうか、
気がついてみると腕はとても楽になり、右半身全体の重量は半減したように思えるし、顔の右半面がとても軽く左半面とズレたような妙な感じである。
それよりも、今迄どうしてあんな考えを起したのか不思議なほど、変な妄念の湧起がとれて、何とも言えぬ明るい軽やかな気分にして頂いたのである。
言うまでもなく頸部の弩脹は不眠から精神病に進行する毒結である。
思えば私は軽度の精神病になっていたのであって、頭脳に渦巻く消毒薬が起す、救いようのないような陰鬱と寂蓼感と相まって、罪悪感を生み、自ら萎縮していた訳である。
結局、恐るべき消毒薬は頭脳に固結して廃人同様の無能者たらしめ、頸部に固って精神病に至らしめんとし、腕に凝って不随にし、下降しては歩行を不能にし、名状すべからざる苦痛を与えたのである。
まことに一人の人間を廃人にし、その人生を滅茶々々にする程の力もつ消毒薬の恐ろしさは戦慄を覚える。
今仮に、この症状において御救いを知らなかったとしたらどうであろう。
この背痛は非常に長く持続する為、医師は脊髄カリエスとしてギブスをはめて固める結果、
薬毒は肺へ浸潤して肺結核にされ、これを固めれば心臓や胃に移行するという経過を辿る訳で、その間おそかれ早かれこの世をおさらばになるのは必然である。
今、消毒薬がいかに恐るべきものかを知らず、医学の進歩とする手術を盛んに行って、多量に体内に注ぐ人々は無数であるが、その浄化が起った場合は一体どうなるであろう。
何という戦慄、何という悲劇であろう。」
古参信者の寄稿 「御言葉の通り」 光宝大教会 SY (昭和27年4月16日発行)
「私は昭和十四年末「御聖業の一端に御加え賜わりまして以来今日迄十有余年の間、筆や言葉では到底申し尽させては戴けない程の御守護、大御恵の中に、今日もなお御使い賜わりつつある者で御座います。
奇蹟の日々とは全く私共だけの世界にある感激と申し上げる事の出来ますのも、この目この耳この手で握り感じさせて戴けます事実が、余りにも日々多いからで御ざいます。
一月を追い年を重ねさせて戴きます毎に、益々御神威は強まり、御光を具現遊ばされる現実を拝させて戴きまして、
年古りた私は過去をを顧み、その頃の御奉仕の誠の足らなさ、そして数々の御無礼の事ども多く御詫びの回想に時も足らない程なので御ざいます。
盗人の 来つるが如く窃やかに 下生しましぬ五六七大神
の御歌そのままに、雨となり風と変る渦の世を、常に御明主様には、春風の如き御風格にて、何心なきが如く、日に夜に大御経綸の御轍を、激しく御ひそかに進めさせ賜うて居られたので御ざいます。
嘲笑、罵声の中に厳然として、御垂示賜う御救め御言葉の数々は、年変る毎に現実となって現われて参るこの峻厳さには、ただただ鰭伏して、
御言葉を軽んじました身の不明の罪を、衷心から御詫ぴ申し上げ、今後共なお一層御使い賜わります事の出来ます様御念じ申し上げるのみで御ざいます。
「御言葉の通り」と標題て戴いたので御ざいますが、これは余りにも広く大きく、現世の所有る処に現実になって現われつつあります事で御ざいますので
私の如き浅薄な女身の信徒と致しましては、申し述べさせて戴く言葉の術も存じませんので、私がこの身に体験させて頂きました事によって、御言葉の事実の現われを拙ない筆を以って、申し述べさせて頂き度う存じます。
忘れも致しません、昭和十四年末御側近に御使い戴けました御光栄を賜わりましてから、間もない頃と存じますが、
御明主様から御浄霊を賜わります折(畏い事では御ざいますが、当時は奉仕者一同に御治療を賜わったので御ざいます)
御明主様「貴女はいつ頃盲腸の手術をしました・・・」
私「はい今年の二月で御座います(昭和十四年二月十一日手術)・・・」
御明主様「ハハア・・・そうすると後十三年位か、あるいはそれまでもたないかも知れないね、ハハ・・・」と御笑いの中に仰言られたので御座います。
私はこの御言葉を何心もなく承り、今日迄過させて戴いて参ったので御ざいます。
今にして思わして頂きますと、誠に申し訳も無い事で、私は神様の御言葉を軽んじて居たので御座います。
御明主様が常々「私が一寸言った言葉の中に実は大切な事があるんですよ・・・」と仰言っておられました、この御注意を私は忘れて過したので御座いました。
以来十有余年、数々の御浄化を賜わりその度毎に、目の醒める様な御守護の奇蹟の中に、何時も易々と乗り越えさせて戴き、
又々昨年(昭和二十二年二月十一日)右腹部、盲腸手術の痕が赤く腫れ出し、大形の御茶呑み茶碗位になり、その痛みはとても激しく、夜も眠れませず、起居も出来なくなってしまったので御座います。
御浄霊戴きその後間も無く、濃い糊の様な膿が御碗に一二杯位い出させて頂き、手術痕の深い傷口(長さ約三糎、深さ一糎程)も浅くなり、殆んど平らに綺麗に全快させて戴きました。
顧みますれば、手術後丁度十三年目の月も日も同じ時に賜わりましたこの御浄化で御ざいます。
十三年前の御言葉の如く私の生命はこの時あるいはそれ以前に亡くなって居ったので御座います。
御浄化の大御恵に依りまして、私は新しい生命を賜わったので御座います。
嗚呼全く御言葉の通りと今更の如く有難く、ただただ感謝申し上げ御奉仕の誠を御誓い申し上げさして頂くので御座います。
その後本年に入りまして昭和二十七年一月二十一日以来半力月に亘り、執拗な薬毒の恐しさを重ねて身に染み染みと分からせて戴きました。
昨年あの争い有難い御浄化頂きまして以来、丁度一カ年目で御座います。
突然、右鼠蹊部淋巴腺が痛み、腿深部から足の中心部を通り、足首の深部が痛み出したのでございます。
丁度右足の中心に針でも通される様な痛み、外皮面には何も現われては居らないので御座います。
御浄霊を戴きますと一時は楽になりますが又痛み出し、その間に右足のふくらはぎに、薄赤く広さは茶碗大に色付き、その個所だけが激しく痛む様になり、
その色が日毎に濃くなり段々変色し、薄黒色から追々黒味が加わり、御碗を伏せた位に腫れ上がり膝関節から下は、平常の足の倍位に腫れたので御座います。
痛みの元を段々探って見ますと、盲腸手術の処かららしい事が分かりました。
盲腸手術の時の消毒薬が下り右足のふくらはぎから出ようとして居たので御座います。
痛みは激しく起居も用便も出来ず、日夜苦しみ続け、九日目に御守護戴き排膿させて戴きましたが、その痕の傷口はやや小形の茶飲茶碗位の大きさと深さの穴が、ポッカりと明いたので御座います。
常日頃賜わる薬毒の恐しさを、私は今染み染みと身を以って体験させて戴いたので御座います。
大小強弱に拘りませず身体に入れました薬毒は何時の日か、必ず出されるものと仰せ戴いて居ります。
この御言葉はこの世に生を享ける者が必ず一度は事実となり、現実に戴く事はこれで明かなのでございます。
私がもしこの御道を知らず御救いに漏れておりましたなら、命の無かった事は勿論の事で御座いましょうが、この足だけの場合を考えて見ましても恐しい事で御座います。
痛みの個所もはっきりとせず段々腫れ上って行く足、広い部分が色付き段々変色して行く口の無い腫れ物、
これを現代医学に委せたならば、どの様になったで御座いましょうか?
必ずや膝関節から切断される悲劇に遭っておりますのが、最少限度の運命であったで御座いましょう。
私はこの様にして新しい命と新しい足を、神様から戴いたので御座います。
これに加えまして有難い事は、御明主様の御言葉は御神示であり、絶対に間違いないと言う事を心の底から思う様にならせて戴く事が出来ました事で御座います。
事もなげに、御優しく御仰せ下される御言葉は、必ずや何時の日か現実となって、私共のこの目この耳この肉体がその事実に遭わねばならないと言う、神様の御言葉の厳粛さで御座いました。
今日まで御明主様の御言葉を軽々しく考えて参りました事を深く深く御詫び申し上げさせて頂きます。
今後共どうぞ御聖業の一端に御加え賜わります様、御念じさせて戴きます。
まことに有難う御座いました。」
明主様御教え 「この項を世の医師諸君に提供する」 (昭和27年12月24日発行)
「薬というものは全部毒である事は常に言っている通りであるが、特に消毒薬の害毒がいかに恐ろしいものであるかは、左の御蔭話が遺憾なく証明している。
これを読んだならいかに頑迷な専門家でも、首を捻らざるを得ないであろう。
この事実によってみても、現代医学の迷盲を嘆かざるを得ないのである。
従ってこれに気付かない限り、患者は多額な費用を払いつつ大きな苦痛を与えられるのであるから、その無智驚くべきである。
ところがおかしな事にはかくのごとき迷信を発見した吾々は、その実証を裏付けとして知らせているのを、反って迷信視するのであるから、彼らの頭脳こそ迷信に輪をかけた迷信であるといっても否とは言えないであろう。
これを一言にいえば医学は善意の罪悪という以外言葉はないのである。」
体験談 消毒薬弊害の驚異
大分県 南光中教会 SS
「この一事に就いては、明主様より絶えず医薬中最大な害毒として御垂示賜わり、充分に我々としても認識済みであるが、
今ここにそれに就いての事実を目の前にしていかに消毒薬そのものが現実に人体に悪影響をもたらすかを説明するに十分なる実例があるから載せさせて戴きたいと思うのであります。
夏の日差しも次第に強まってきた七月初め、別府郊外亀川町へ何時もの様にW信者の宅へ浄霊に赴いた。
ところが光明如来様にお参りして浄霊に来ている人の顔を見渡すと苦悩を激しく訴える見知らぬ老女がいる。
この人が問題の人である。というのはこの老女は乳癌で過去四年間ずっと苦しみ続けてきたとの事、
しかして四年前にもこの御道の事を聞き、ある婦人の信者に浄霊を三カ月して貰ったが一向に治らず、ひどくなるばかりだったので止めたという話、
考えるに、当時ではまだ十分に当人としても浄化の意味も解らず、浄霊を施す婦人も単なる信者に過ぎない為、浄霊の個所も誤っていた事だろうと思うが、それはまあまあとして今日まで手術をしてないのがこちらにとってはいくらかのとりえである。
早速「なぜ今日まで手術を・・・」と聞いてみれば「このお道の事を聞いて薬の使用と手術はいやだ・・・」というのである。
しかしながらその考え自体が本教の非常なるおかげで、今日まで生きのびてるわけである。
全く体にメスを入れぬ者、薬を使わぬ体はかくも強いものであり、かくも病気に耐え得るものであろうかと、私は深く感心した。
しかして更にそれを深く証明するものに、近隣の人が二月位後で同じく乳癌になり、その人は医学一本で治療を続け、軽い内にと言われて手術を国立でやったそうだが、
半年経たずに死んだとの事、実に手術はこわいものであり、本人は丸で手術の為に医師から殺されてしまった様なものである。
こういう訳で、今日まで四年間手術をせぬ為生き延びてきたこの老女は、最初の一、二年の間はだんだんと溶けて乳房から出てくる膿を、自分で拭き取っていたそうだが、
遂に膿が多量に出る為自分ではやり切れず、医者に行って看護婦から膿をふきとってもらい、
消毒したガーゼを乳の所に当て胸を包帯で巻きつけていたそうである、全く頑固な老女だ。
今日初めて私の見る傷は、もはや左乳のふくらみは全然なく、乳のふくらみだけ逆に溶けて凹みが出来、肋骨も二本程見える極めてひどい傷になっている。
それ程の重病人だ。本人は乳癌になってからは傷に一つも薬を使いませんと自慢そうに言い張るが、中々どうして、消毒したガーゼをつめ替える事、これが大変なのだからとよく話してやったらびっくりしていた。
初めて浄霊してやる時の臭さったら話にならぬ程の物凄さ!
しかし痛みつつあった瞬間のそれはほんの十分程の浄霊で去ってしまった。
これに就いては面白い話がある。
即ちこのガーゼをつめ替え始めてからというものは、一日にきっと三回以上は極めて激しい勢で苦痛が襲ってくるとの事である。
そして又家中が物凄い悪臭を満たしており、その人の後は臭くて歩けぬ程だそうです。これらはすべて消毒薬の為というわけである。
私は早速この日、老女に自分でガーゼを求めて自分自身出る膿を処理した方が良い事を話してやったが、
老女は「そりゃ、先生! そうしたいのですが、中々こんな大きな深い傷になっては自分で傷を見る事さえこわくてね・・・」と言って一向に応じなかった。
しかし僅か十分の浄霊で痛みのとれたその偉大なる神力に驚ろかされ、明日より自分では出来ないから医者にそう話して、消毒しない、ガーゼを家からもって行ってそれでやってもらおうと張切って帰った。
ところが翌日早朝より彼女は信者宅に私の来訪を待ちわびて
「先生! 御医者がやってくれましたよ。御医者さんは私の病気にはもう手におえぬとサジを投げているんだから
「まあまあ生きている間あなたの希望通りにして上げよう」といって何でも私の言う通りにしてくれました」と。
そのH医者とは私もちょいちょい話し合った事もあるが中々立派な人である。
それにも増して喜々として話す言葉に「一日三回以上今までは痛んでいたが、昨日は二度しか痛まなんだ。わしゃほんとに嬉しかったぜ・・・」と心をはずませていた。
かくして五日目には到頭医者をやめてすべて自分でやる様になってしまった。
ところが一週間目の事である。「先生! とうとう痛みがなくなったぜ。
物凄い激しさで襲ってくるあのこらえる事の出来ぬ痛さ、有難テエもんじゃなあ、ほんとに、もうあの痛みったら堪える事が出来んからなあ、それがなくなったんだから・・・」
ほんとうに嬉しそうである。それもその筈である。あれだけの深い傷に痛みがやってきたらもう死にもの狂いであるからである。
それがなくなったのであるから・・・。
「先生、それからもう一つ・・・」大いに張切って愉快そうな口振り。
「何だね。臭みのなくなったという事じゃないのかね」
「そうですよそうですよ先生! 家中大喜びです。
食事の時分そして何でも食べる時、あの臭さはたまらないからな。有難いものですよ。光明如来様・・・」と嬉し涙を流していた。
かくして消毒薬をやめ、浄霊を施す様になった結果、(一)あのひどい堪えがたい苦悩は忽ちにして去り、一日に一回もなくなり、(二)物凄いあの膿の臭みがなくなってしまったのである。
ところがこの老女の長男と長女が二人揃って、母の傷が次第に楽になる不可思議さにわざわざ私を訪ねて喜びを語り、妙智力なるものを質した。
その第一とするところは、「一般常識的には、否、科学的に言ったって、毎日きれいに消毒したガーゼでお医者さんが出てくる膿をきれいに拭きとってくれるのだから、反って臭みがない筈のものだが、
その方が臭くて、逆に母自身がガーゼを取り替えるといったって隔日位のもので、とりかえるにしても医者程きれいに拭きとる事は出来ないはずだが、
事実は反対で、毎日とりかえるよりも放っといた方が臭みがないなんて実に不思議だ」というのである。
これに就いては誰もがそう思うであろうが、明主様の「薬剤の体内における毒素化説」を、現実の証明するところを話してやると納得がいったらしい。
その他いろいろと珍談奇談が続出したが、最後に「もう私達の母はどこの医者からも断られ「あんたの病気は手の施し様がないからあんたのいいようにして死を待つより仕方がない」といわれているんです。
それにあんなに先生のおかげで嬉しがっている母の姿はほんとに家中の喜びです。
これからはもうこの道信仰の外に道はありません事をよく知りました。よろしくお願いします」と。
彼等二人して余りにも偉大なる御神力に驚歎し、消毒薬がいかに人体を害するかをよく認知し、平伏して大光明如来様に母の御守護を願って帰って行った。」 (昭和二十七年十一月一日)