消毒薬について 1
明主様御教え 「既存療法」 (昭和18年10月5日発行)
「(一部のみ引用) 次に、今日広範囲に使用するものに沃度(ヨード)剤がある。
この沃度剤の中毒も恐るべきであって、これが頭痛の原因となり、神経衰弱、胃病、腎臓病等、種々の病原となるのである。
人により、発作的痙攣を起したり、手足の運動不能の原因となる事もあるが、医家は勿論世人もあまり知らないようである。
次に、外傷等における殺菌用として使用する「沃度ホルム剤」は、もっとも恐るべきものである。
よく手術のための外傷が、治癒に頗る時日を要することがあってその場合、医家は不可解におもうが、これは全く消毒薬の中毒であるから薬剤を廃し、清水で洗うだけにしておけば、速かに治癒するので、私はしばしば経験して好結果を挙げたのである。
そうして、沃度ホルムがなぜ恐るべきかーというに、この薬が外傷部の筋肉から滲透する時、患部の周囲またはその付近に、青白色の膿状斑点が出来るのである。
そうして、それが漸次増大して、その状態があたかも腐りゆくごとく見ゆるので、医家はそう信じ驚いて、手足の場合切断を奨むるのである。
しかも、強烈に痛むので、その苦痛を免れんため患者も終に切断を受ける事になるのである。
即ち、放置しても治癒する位の外傷が、沃度ホルムという薬剤によって、不具にまでなるというに至っては、全く驚くの外はないであろう。
故に今日戦傷勇士が、よく手や足を切断するということを聞くが、その多くが、沃度ホルム中毒のためではないかと、私は推断すると共に、そうであるとすれば憂うるの外ないのである。
故に一言にしていえば、外傷に、黴菌の侵入するを恐るる結果、殺菌作用を行うのであるが、
その殺菌作用が、黴菌の侵入よりも、幾層倍恐るべき結果を招来するという事になるので、全く角を矯(た)めて牛を殺す・・・という類である。」 (「明日の医術 第2編」より)
明主様御教え 「既存療法」 (昭和22年2月5日発行)
「(一部のみ引用) 次に、外科的に用いる消毒薬として沃度ホルムがあるが、これは特に恐るべきものであって、よく手術による患部が治癒し難く長時日を要する場合がある。
医家も不可解に思うが、これは全く消毒薬中毒であるから、その場合薬剤を落し、清水をもって洗うだけで順調に治癒に向うのである。
沃度ホルムの悪作用としてはこの薬が患部の筋肉から滲透し、その近接部に膿色斑点が出来、それが漸次拡充する事がある。
その場合医師は腐りゆくと思い、手足等の切断を奨めるが、それは猛烈な堪え難き痛苦もあるからである。
右のごとく黴菌の侵入を恐れる結果用いる消毒薬が、黴菌よりも数倍恐るべき結果を招来する訳である。
それについて例を挙げてみよう。ここになんら健康に異常なき一個の人間がある。
たまたま何かの予防注射を受ける。
暫くして多くは足部、膝下に腫物を生ずる。医師へ行く、切開手術をする。
消毒剤を用いる。それが滲透し、中毒を起し、激痛する、いかにするも治らない。
止むを得ず足首または膝関節から切断する、障害者になる。
しかるに最も不幸なものは切断手術の際の消毒薬中毒によって、早晩股間に腫物を生ずる。
これも激痛に堪えぬが場所が悪いから切断し兼ねる。
そこでやむなくモルヒネの注射によって痛みを緩和するが結局モルヒネ中毒となり、食欲不振、衰弱死に到るというのが経路である。
かくのごとくなんら異常なき健康人が医学の犠牲者になる事実は非常に多いのである。
嗚呼、憐れなる小羊をいかにすべきや。」 (「天国の福音」より)
明主様御教え「医学の盲点と自然良能力」 (昭和26年7月25日発行)
「(一部のみ引用) ところがこの殺菌剤が問題である。というのはこれがまず筋肉から滲透し、時日が経つと恐るべき中毒作用を起す事になる。
何しろいかに微細な黴菌といえども、生物である以上、それを殺す程の薬剤としたら、人体に与える影響もまた甚(はなは)だしいのである。
それで消毒剤が古くなると猛毒に変化し、早晩この浄化が起る、すなわち発熱、痛み、不快感等非常に悪性の悩みで、その際医師に診(み)せると原因不明の病気と言われるが、何ぞ知らんこの原因こそ医療が作ったのであるが、
マサカ医師としては消毒薬が原因であるなどとは夢にも思えないから、治療の施しようもないというのはよく聞く事である。」
明主様御教え 「医療誤点の種々相」 (昭和27年12月1日発行)
「(一部のみ引用) また結核の間接的原因としての肋間神経痛であるが、この原因は意外なところにある。
それは首から上の病気で手術をする場合、使用する消毒薬のためが多いのである。
しかし医療は消毒薬は不可欠のものとしているが、この薬毒こそ実に恐るべきもので、
この毒分は非常に強烈であると共に、筋肉から直接滲透するから量も多く、それが下降して肋骨部に固結するので、なお下降して下半身に及んで、種々の病原となる事もある。
しかもこの毒性は執拗で激痛があり、治るにも長期間を要するもので、この消毒薬の害が判っただけでも、いかに多くの人が救われるかを私は常に思っている。」
明主様御教え 「手術に就て」 (昭和28年御執筆)
「(一部のみ引用) ここで大いに注意すべきは消毒薬中毒である。
手術とか外傷の場合消毒薬を不可欠のものとしているが、何しろ何十倍に淡(うす)めても黴菌を殺すだけの劇薬であり、直接筋肉から滲透するので、時が経てば必ずどこからか出ようとする。
その場合多くは頭痛、眼(失明)、中耳炎、歯茎等であり、時には下降して肛門(痔)、陰部、手足の関節等へまでも集溜し、腫物か湿疹となり、痛み痒みの苦痛が伴うが、ただ消毒薬に限って激痛であるからよく分る。
その場合これはアノ時の消毒薬だなと思うと必ず肯くであろう。
また近頃膝から下に腫物の出来る人が多いが、これは予防注射の薬毒が下降したもので、放っておけば膿が出て必ず治り、少しも心配はないのである。」
明主様御教え 「人体は綜合体である」 (昭和24年12月3日発行)
「(一部のみ引用) 次にある若い女の歯痛で、浄霊するやすぐ治ったが、翌日また痛いという、みると淋巴腺に凝りがある、そこを浄霊するとすぐ治ったが、翌日また痛いという、
よくみると肋骨に固結がある、それを浄霊するとすぐ治ったが翌日また痛いと言って来た、
今度はもっと下だろうと思い、盲腸部をみるとそこに固結があるので、そこを浄霊すると、今度は本当に治ってしまった、
これはどういうわけかというと、この女は盲腸炎で手術をした事がある。
その際用いた消毒薬が残存膿化して歯ぐきから出ようとする。
そのための痛みであった、ゆえにもし歯医者へ行ったところで治るはずはない、
これによってみても人体は綜合体である事が判るのである。」
明主様御教え 「心臓の手術」 (昭和28年4月8日発行)
「今度女子医大の学長、外科の大家榊原博士が、心臓弁膜症の手術に成功したという事をラジオで聴いたが、
それは心臓の弁膜は四枚あるのを、病気に罹(かか)っている一枚だけ除去出来たという報告である。
もっともこれは最近アメリカで成功したという手術であって、それからヒントを得て同博士はメスを振ったのであろうが、日本では最初の成功だという事である。
ところが吾々からみると歯牙(しが)にかける程の事でもない。
なぜなれば我浄霊ならばそんな手数をかけずとも訳なく治るからである。
というのはこの患者は一枚の弁膜の際(きわ)に毒素が固結し、その圧迫によって心臓の活動に障碍(しょうがい)を及ぼしたのであるから、
その固結毒素さえ溶解排除させれば、それで治ってしまうので、もちろん肉体に触れず、精々二、三回で済むのである。
そうしてこの手術に際し注意したい事は、よしんば完全に切除出来たとしても、決してそれで根治するのではない。
一時は治ったようでも、長くて数年も経てば必ず再発する。
というのはその隣の残る三枚の内の一枚に固結が必ずまた出来るからで、毒素は誰でも予想外に多いものである。
しかも手術の際の消毒薬は、いつもいう通り非常な猛毒であるから、その中毒の排除作用が悪性な病気となり、弁膜症再発以外別な苦しみが追加されるから、患者は気の毒なものである。
では初めから手術もせず、浄霊もしないとしたらどうかというと、普通人の生活常態であれば、時々微熱が出たり、軽い痛み、鼓動の昂(たか)まり、息切れ等、
いずれも軽い症状で、気にせずそのままにしておけば、自然に僅かずつ毒素は溶け、咳と痰となって出て、長くはかかるが、完全に治ってしまうので、
手術などという余計な事をして、反って余病を作るのは、その無智哀れむべきである。」
明主様御教え 「現実無視の悲劇」 (昭和18年10月5日発行)
「現代医学における現実無視は看過出来ないものがある。
それについて私の経験及びその他の例を挙げてみよう。
私は二十数年以前慢性歯痛に悩まされた事がある。それは四本の歯が痛み続ける事一年有余に及んだのである。
一時は痛苦のあまり頭脳に変調を来し、発狂の一歩手前とさえ思われたのである。
ついに最後に到って幾回か自殺を企てたるにみてもいかにはなはだしかったかという事が想像されるであろう。
そうしてこの原因が全く薬毒の為という事が判ったのであるが、それは一年有余苦しんだ揚句、ある動機によって判明したのであった。
その動機とは、万策尽き藁(わら)をも掴みたい心境になっていた際、たまたま知人から病気をよく治す某宗の行者があるという事を聞いたのである。
早速そこへ行った。行者は「一週間で治すが、その期間は歯医者に行く事は行(ぎょう)に障るから相成らん」というので、それまで毎日のように通っていた歯医者行をやめたのである。
しかるに、意外にも三日目か四日目頃だと思う。
僅かながら痛みが軽くなったのを覚えると共に、豁然(かつぜん)として眼界が開けたように思われた。
それはそれまで毎日歯医者へ通い、その度毎に薬を用いられていた・・・その薬の為ではないか・・・という事である。
そう意(おも)って回顧してみると、はっきりと浮び上って来た。
それは最初は一本痛み、且(しば)らくして二本痛み、次で三本四本というように、漸次悪化の経路を辿って来た事である。
又最初は痛んだ歯のあまりに治癒しない為抜歯した。
抜歯すると隣接の歯が直ぐ痛み出すというような訳で、遂に四本まで抜歯したのである。
にも拘わらず未だ四本痛んだのであるから、合計八本の歯が悪かった訳である。
恐らく私の歯痛位酷いのは、世の中にその例があるまいとさえ思ったのである。
従って、一年余というもの毎日歯医者へ行き、薬を注(つ)けぬ日とては無かった。
一日二回三回にも及ぶ事さえあった。
東京における有名な歯医者を数軒歩いたが治らないので、帝大歯科にも東京歯科医学専門学校にも行ったのであったが、効果がないばかりか、益々悪化の一途を辿るのみである。
その時、前述の行者に赴いたので幸いにも歯科医に行く事・・・その事が歯痛悪化の原因である事を識って、驚いてやめ、自然放置によって漸次快方に向うことになったのである。
そうして私が薬毒の害を知ったのはこの歯痛からであった。
以上のごとき、おそるべき慢性歯痛の最初の原因が、標題のごとき「現実無視」にあったことを、私は世人に告げたいのである。
それは最初前歯一本が虫歯になったので、そのあなを充填すべく、歯医者に行った。
その歯医者は「完全に消毒しなければいけない」といい、消毒すること数回に及んだ。
今日考えてみると、その消毒薬が強烈なためと、回数が多くあまりに念入りにやり過ぎたのがそもそもの原因である事が判った。
それは薬毒が歯根に滲透して痛み出したのである。しかるにその痛みが全く治癒しないのにセメントの充填をしたのであったが、充填するや、間もなく強烈な痛みとなったのである。
翌日歯科医に赴き、セメント充填の為の激痛と想うから除って貰いたいといった。
すると歯科医いわく「そんなはずは絶対にない。充分消毒しての上充填したのであるから」といって肯(がえ)んじなかった。
その時私は不思議な事を言うと思った。
何となれば、痛みは現実であって、はずは理屈であるからである。
いわば、理屈を以てとかく事実を否定する訳である。
歯科医又いわく「とにかく、痛むはずがないのだから、明日までそのままにされたい。もし、明日まで治らなかったら来てくれ」というので、やむなくその通りにした。
しかし翌日になっても痛みは依然たるばかりか、幾分悪化の傾向さえあった。
歯科医いわく「昨夜独逸(ドイツ)のある本を調べてみたところ、貴方のような例は一つもなかった。どうも不思議である」といって首を傾げるばかりであったが、致し方なく充填セメンを除ったのである。
その為に痛みは大いに減少したが、軽痛は依然として治らない。
従ってついその軽痛を治さんが為、前述のごとく次々歯科医を取かえ漸次悪化しついに難症とまでなったのである。
右のごとく、現実の痛みを理屈で否定するという事は、はなはだ不可解のように思うであろうが、
これに似たような例はすくなくないので、私は患者からしばしば聞く話であるが、
盲腸炎の手術後、全治したるに係わらず、盲腸部に痛みのある事があり、
そういう時医家は、盲腸を除去したのであるから痛むはずがないといい、本人は痛いというような事もある。
又以前私は面白い例を本人から聞いた事がある。
それは五十歳位の男子で慢性眩暈(めまい)の患者であった。
その当時有名な脳神経専門の○○病院に行き診察を受けたるところ、二ケ月にて全治するといわれたので、
信じて通院したる所、二ケ月経ても何らの効がないので不満を漏した所、
今一週間延してくれろといわれ、それを諾(だく)したがそれも更に効がないので、
患者は非常に立腹し、院長に詰ったところ、院長いわく「貴方はもう病気はない。医学上いかに検診するといえども、病的症状は認められないから、最早来なくともよい」というのである。
ついに患者は堪りかねて、あまりに欺瞞(ぎまん)もはなはだしいと、頗(すこぶ)る強硬に出でたので、
遂に院長は謝罪し、それまで病院へ支払った費額を全部返還したとの事である。
今一例は、四十歳位の婦人、頭脳がわるくその症状といえば、頭脳の中央に何物かが居て、その者の考えが、本人自身の考える事を絶えず妨害をするというので、
患者はその苦悩を打消すべく、常に大声を発して喋舌(しゃべ)り続けるという訳で、同情に禁(た)えぬものがあった。
この患者は、帝大脳神経専門の権威で、今は物故せる○○博士を信頼し、約一年間通院治療を受けたのであった。
しかるに、一年余経たある日の事、博士いわく「貴方はもう治ったから、来なくともよろしい」というのである。
患者は「未だ頭脳の妨害者は少しも変らない」というと、博士は「今後出来るだけ気を紛らすようにすれば自然に治る」というまことに頼りない事を言われて突放されてしまったのである。
それが為、煩悶懊悩(おうのう)している際、私の所へ来たのであった。
右のごとき実例は無数にあるのであるが、私はいつも医家に対し同情が湧くのである。
何となれば、医家としては、あらゆる最新の学理や方法を究(きわ)めて努力するのである。
にも係わらず効果がない。患者からは不平不満を愬(うった)えられるという訳であるから、医家たるもの悲観せざるを得ないであろう。
従っていかに考うるも医家に罪のない事は勿論である。
その原因たるや、全く逆進歩である医学を真の進歩と誤り、今日までその誤謬に目覚めないという結果でしかないのである。
故に、以上のごとき医家の並々ならぬ努力が、反って患者の不幸を招く結果を来すというのであるから、ほとんど信ずべからざる程の悲劇が、常に無数に行われつつあるのである。
以前私は某医学博士から、左のごとき詐(いつわ)らざる告白を聞いた事がある。
それは医家としての最大なる悩みは、病状の悪化や、慮(おも)わざる死の転機に際し、いかにして近親者の納得し得べき説明をなすべきかという事を、常に苦慮しているという事である。これは全く有り得べき事であろう。
しかるに、本医術の受療者は、例外ないという程効果があるので、患者は固より近親者の感激は絶大なるものがあり、嬉し泣きの話なども、常に弟子から聞くのである。」 (「明日の医術 第2編」より)
明主様御教え 「口中の病など」 (昭和27年御執筆)
「ここで口中の病に関してかいてみると、まず歯であるが、歯の強弱の原因は、全く全身の健康と正比例しているものであって、近代人の歯の弱いという事は、健康が弱っているからである。
もちろんその原因は体内に溜っている薬毒のためではあるが、その他として入れ歯の際の消毒や、虫歯を治すための薬毒の害も軽視出来ないものがある。
それは虫歯の穴へセメントなど詰めて貰う場合、消毒が肝腎といって、消毒薬を使うが、これが恐るべき逆効果となるのである。
というのは消毒薬は時日が経つと、必ず腐敗して黴菌が湧く、それに自然浄化が発って外部へ排泄されようとするので、軽いのは歯茎から出ようするだけで大した事はないが、大抵は重いから非常に痛む。
これは歯根の骨に小さい穴が穿く痛みであって、穴が穿いて膿が出始めれば、ずっと楽になる事は誰しも覚えがあろう。
従って私などは歯医者でセメンを詰めて貰う場合、必ず薬を使わせないようにする。
そうするといつまで経っても痛む事など決してない。
よくセメンなど詰めた歯が痛んだ時、それを除って貰うとスーッと快くなるに見て明らかである。
この場合歯医者は消毒不完全のためと思うが、これも医学迷信に陥っているからである。
従って歯磨き等も薬剤の入らない物程よい訳で、私などは近頃歯磨きも塩も何にも使わず、ただ指の腹でコスルだけである。
だから歯を丈夫にしたいと思うなら、全身を健康にする事で、それには薬剤と縁を切ればいいのである。
しかしそうはいっても現在歯の弱い人、虫歯のある人、老齢者などは急の間に合わないから、そういう人は精々入歯をして美しくすべきである。
次に口内粘膜にブツブツが出来て、ものが沁みたり、喉が痛んだり、舌におできが出来たりする人があるが、
これはみな服み薬、または含嗽(うがい)薬が粘膜へ滲透し、古くなって毒素となり、排除されようとするためであるから、放って置けば必ず治るのである。
舌癌などもほとんどそれであって、何にもせず放って置けば十中八、九は治るものである。
ところが医師は癌らしいものであっても、職業柄治る治らないは別として、薬を用いるより外に方法がないとして、まず薬物療法を行うが、これによって反って悪化させ、本当の癌になる事が多いのである。
従ってこの事を是非知らせたいと思ってここにかいたのである。
ところが希ではあるが、何としても治らないのがある。
すなわちこれが真症舌癌である。
しかしこれは霊的であって、原因はその人が悪質な嘘を吐いたり、舌の先で人を傷つけたりする罪の報いであるから、そこに気がつき悔改め、正しい信仰に入らなくては絶対治らないのである。
ここで、およそ馬鹿馬鹿しいのは、咳を緩和させようとして、吸入を行う事で、これは何の効果もないのである。
考えてもみるがいい、咳は息道から出るものであるから、吸入薬のほとんどは食道の方へ行ってしまうから見当違いである。
しかし最初に述べたごとく、咳は痰を出すポンプ作用であるから、出る程よいので、止めるのはいかに間違っているかが判るであろう。
そうして今一つ馬鹿馬鹿しい事は含嗽薬で、これも口内を消毒する目的だが実は逆である。
元来人間の唾液程殺菌作用のあるものはない。
何よりも黴菌よりもズット大きなある種の虫は、唾液をかければ弱ったり死んだりするのでも分るであろう。
だから実を言うと含嗽をしている間だけは、口内の殺菌力は薄弱である訳である。
この事は眼も同様で、よく眼を洗う人があるが実に滑稽であって、目には涙という素晴しい消毒液があり、瞼(まぶた)の裏の粘膜は柔らかく理想的のものであってみれば、硼酸(ほうさん)水や布巾(ふきん)などで洗う事などは最も間違っている。
ここで誰も気がつかないものに、顔面皮膚の悩みがある。
これは顔が逆上(のぼ)せたり、軽い痛みや、痒み、引っ張られるような感じがする婦人がよくあるが、
これは薬剤入りの化粧品を無暗に使うからで、その薬剤が知らず識らずの内に滲透して毒素化し、顔面の毛細管から滲出しようとするためで、大いに注意すべきである。」
明主様御講話 「痛みの病気の原因の多くは消毒薬」 (昭和29年2月26日)
「そういうようなわけで、これから浄霊の場合に漢方薬に注目して、どういう薬をどのくらい飲んだかということを、時によっては聞く必要があります。
けれどもただ漢方薬のほうが毒が緩慢な性質であり、鋭くないです。
しかし神経痛などは西洋の薬です。
だから近来神経痛が非常に多いということは、西洋の薬の関係です。
注射などはもっとも神経痛の原因にもなるし、それからいつも言うとおり、消毒薬というのは必ず痛みになります。
痛みの病気はまずほとんど消毒薬と思っていれば間違いないです。
ところが消毒薬でも、ここならここが痛むから、ここに消毒薬を入れたかと思うと、そうでもないのです。
例えば頭が痛い人が、手足を手術した時の消毒薬が頭に上っていって、そこに固まるのですから、とにかく痛みの時は一通り手術を聞いてみるのです。
そうすると一番よく分かります。このごろだいぶ聞きますが、歯の痛い人は必ずと言いたいほど盲腸を取ってます。
盲腸の手術が歯痛に一番現われるのです。
これは思いもつかないことです。
ですから歯が痛くて浄霊して、一回か二回で治るのならそこだけのものです。
だいたい歯の痛みの原因というのは、歯を抜く時やあるいは歯にセメンやなにかをつめる場合に、その前に消毒薬を塗りますが、それが原因です。
これは前になにかに書いたことがありましたが、歯医者に行って歯につめる場合、必ず前に消毒をしますが、そうすると必ず痛みます。
その消毒薬が腐って出ようとするからです。それが痛みになるのです。
だからなにも消毒をしないですれば決して痛みはありません。
これも実に馬鹿なものです。ところが一回や二回で治らない場合には盲腸の手術を聞いてみるのです。
この盲腸を手術したときの消毒薬がだんだん上って行って、胸を通じて歯から出ようとするのです。
これは、歯の痛みの原因が盲腸の手術ということは、世界的の大発見です。
ノーベル賞以上です。ですから私が今までのいろんな発見を数えてみるとノーベル賞を何十ということになります。
ところがあっちは、現代の科学を審査するほうで、こっちはその科学では分からないですからしようがないです。
審査員を教育しなければ駄目です。」
明主様御講話 「膣痙攣の原因の多くは消毒薬」 (昭和28年4月17日)
「それから病気について、男はそうでもないが、女の、特に頭に関した病気で、まずヒステリーとか憂鬱症とか怒りっぽいとかいろいろありますが、
これは男も同じようなものですが、それは下の方に非常に関係があるのです。
それで女のいろいろな病気で、浄霊しても効かない時はお臍の下のあそこを浄霊するのです。
そうすると頭がなおるのです。ですからこれを心得ていて、ちょっと離れて良いのですから、そうしてやると頭が軽くなります。
それから性格も非常に良くなります。だから夫婦喧嘩などを減らすにはもっとも良いです。
夫婦喧嘩治療法です。これは所が所ですから、あまり言えないのです。しかし女はあんがいここに病気が多いのです。
なぜというと薬毒がだんだん下がって行きますが、そうすると女のここに薬毒が溜まって、それが原因になるのが非常に多いのです。
それからよく、結婚を嫌う娘さんはここに非常に原因があるのです。
ですからこれは親にも分からないのです。
あの娘があんなに結婚を嫌がるのはなぜだろうと思いますが、それはみんなここに原因があるのです。
これは私はいろいろ神様からも知らされるし、そういう点も良く分かってますが、結婚を嫌う娘の一番の原因は膣痙攣です。
これはちょっと触っても飛び上がるほど痛いのです。
これは薬毒にもよりますが、多く消毒薬が下がって行って粘膜に溜まるのです。
だから結婚の晩に逃げたりするのがありますが、これは浄霊ならなおるのです。
それでおもしろいのは、後頭部にある毒は肛門の方に行くのです。
ですから下痢などは後頭部の毒です。
それから前頭部の毒は女の陰部に集合するのです。
ですから前頭部の痛い女は、前頭部だけの浄霊ではいけないのです。
やはり前頭部とここで天地になっているので、おもしろいものです。
これはあんまり詳しく言わなくても分かるし、大体あらゆる薬毒は女はここに溜まるということを知っていれば良いのです。
ですからそういう人は自分で浄霊すれば良いのです。
そうするとずっと違います。だからこの浄霊法は自分でもできるから非常に便利です。
それから痔も後頭部の毒ですから、痔だけをやってもなおらないので、後頭部をやらなければならないのです。」