薬毒について 3


明主様御教え 「既存療法」 (昭和18年10月5日発行)

「病気治療の方法として、今日行われている種々の療法について一通り解説してみよう。

まず、西洋医学における治療法は、薬剤その他の方法を以て、浄化作用停止である事は、読者は最早充分諒解されたであろう。

しかし、未だ言い残した事があるから今少しく述べてみよう。


私の経験上、最も怖るべきは注射療法として、彼の六百六号一名サルバルサンがある。

これは周知のごとく、駆梅(くばい)療法として、一時は、実に救世主のごとく思われたが、何ぞ知らん、事実は恐るべき結果を来すものである。

そうしてこの薬剤は人の知るごとく、原料は砒素(ひそ)剤であって、同剤は耳掻き一杯で、人命を落すという程の猛毒であるから、注射するや一時的浄化作用停止の力は強烈なものである。

即ち梅毒性発疹や腫脹に対し、同剤を注射するやたちまちにして消滅するから、一時治癒したように見えるのである。

しかし、実は潜伏毒素が、浄化作用によって、皮膚面に押出されたのが同剤の注射によって、浄化作用は停止し、毒素は浄化作用以前の潜伏状態に還元したのである。


それだけならいいが、右の砒素は、不断の浄化作用によって、漸次体内の一局部に集溜するのである。

その集溜局所として、最も多きは頭脳で、砒毒が頭脳に集溜する結果は、大抵精神病は免れないのである。

その際医家は誤診して脳黴毒というが、何ぞ知らん、実は駆黴療法の結果であるというに至っては、何と評すべきや言辞は無いであろう。

近来、精神病激増の傾向があるが、私は六百六号の原因による事もすくなくないと想うのである。


次に、恐るべきは、六百六号に因る眼疾であるが、大抵は失明するのであって、この症状はほとんど片眼が多く治癒に頗(すこぶ)る困難である。

もっとも医家により眼疾のある患者は悪化するとして、同剤の注射を見合す由である。

その他種々の病原となる事は明かであって、私の経験上、同剤注射の経験をもつ患者の病症は、特に治癒に時日を要するのである。


次に私は、医家は固より、世人に一大警告をしなければならない事がある。

それは予防注射の薬毒による腫物である。

近来、足部特に膝下の部に大小の腫物が出来る人が多い事は人の知る所であろう。

これは、予防注射の薬毒が時日を経て足部に集溜し、浄化作用によって排除されんとする為である。

これらは放任しておけば短期間に治癒するのであるが、それに気が付かない為、薬剤を使用するので、それによって相当長期間に渉るのである。

そうして不幸な人は、医療によって薬毒を追増される為、悪化して終に足部を切断さるるようになる事も、稀にはあるのである。

又、注射液によっては、ひょう疽及び脱疽の原因となる事もあるから注意すべきである。

そうして、これらも手術によって大小の障害となるのは勿論である。


次に、利尿剤の逆作用も注意すべき問題である。

まず腹膜炎患者が尿水の為、腹部膨満するや、医療は唯一の方法として利尿剤を用うるのである。

それが為、一時は尿量を増し腹部縮小して、軽快又はほとんど治癒する事があるが、それは一時的であって、例外なく再び膨満するのである。

従って、また利尿剤を用いる。

また縮小するという訳で、かくのごとき事を繰返すにおいて、終には利尿剤中毒となって、逆効果の為尿量は減少し、腹部はいよいよ膨満し頗る頑固性となり、減退し難くなるので、

医家は止むを得ず穿孔して排水するのであるが、そのほとんどが結果不良で斃(たお)れるのである。

右のごとく利尿剤による逆効果の起った患者は、その利尿剤服用の多い程、治癒に時日を要するのにみても利尿剤使用は戒むべきである。

又睾丸水腫という、睾丸の膨脹する病気や、尿の閉止する症状等も、利尿剤の逆効果による事が多いのである。


次に、神経痛のごとき、強烈な痛みが持続する場合、モヒ(註 モルヒネのこと)の注射によって一時的苦痛を免れるのであるが、

これも多くは繰返す事になるので、その場合、非常に食欲を減退させ、それがいよいよ進むに従って、

終に頻繁なる嘔吐を催し、食欲の減退はなはだしく衰弱によってついに斃れるのである。


次に、ジフテリヤの注射は、同病に卓効ありとせられ、予防に治療に近来大いに行われているが、これらも未だ研究の余地は多分にあるのである。

私の研究によればこの注射によって悪結果をった者は、あまりにも多い事である。

はなはだしきは死に到ったものさえすくなくなかったのである。

そうして中には一週間位昏睡状態に陥って、覚醒後、精神変質者になったものや、胃腸障碍を起したり、神経衰弱的症状になったりして、しかも頗る頑固性であり、数年又は数十年に及ぶものさえあるのである。

故にたとえ、ジフテリヤに効果があるとしても、悪作用と比較して、功罪いずれが勝るや疑問である。

同病は本療法によれば、十分ないし三十分位の一回の治療によって、完全に治癒するのである。


次に、今日広範囲に使用するものに沃度(ヨード)剤がある。

この沃度剤の中毒も恐るべきであって、これが頭痛の原因となり、神経衰弱、胃病、腎臓病等、種々の病原となるのである。

人により、発作的痙攣を起したり、手足の運動不能の原因となる事もあるが、医家は勿論世人もあまり知らないようである。


次に、外傷等における殺菌用として使用する「沃度ホルム剤」は、もっとも恐るべきものである。

よく手術のための外傷が、治癒に頗る時日を要することがあってその場合、医家は不可解におもうが、

これは全く消毒薬の中毒であるから薬剤を廃し、清水で洗うだけにしておけば、速かに治癒するので、私はしばしば経験して好結果を挙げたのである。

そうして、沃度ホルムがなぜ恐るべきか・・・というに、この薬が外傷部の筋肉から滲透する時、患部の周囲またはその付近に、青白色の膿状斑点が出来るのである。

そうして、それが漸次増大して、その状態があたかも腐りゆくごとく見ゆるので、医家はそう信じ驚いて、手足の場合切断を奨むるのである。

しかも、強烈に痛むので、その苦痛を免れんため患者も終に切断を受ける事になるのである。

即ち、放置しても治癒する位の外傷が、沃度ホルムという薬剤によって、障害者にまでなるというに至っては、全く驚くの外はないであろう。

故に今日 戦傷勇士が、よく手や足を切断するということを聞くが、その多くが、沃度ホルム中毒のためではないかと、私は推断すると共に、そうであるとすれば憂うるの外ないのである。

故に一言にしていえば、外傷に、黴菌の侵入するを恐るる結果、殺菌作用を行うのであるが、その殺菌作用が、黴菌の侵入よりも、幾層倍恐るべき結果を招来するという事になるので、全く角を矯(た)めて牛を殺す・・・という類である。


次に、湿布薬及び膏薬について説明してみよう。

これらも皮膚から薬毒を滲透させるので、その部面の浄化作用を停止するから、一時的苦痛は軽減するが、その薬毒が残存して種々の悪影響を来すのである。

私が経験した二、三の例を挙げてみよう。

背部が凝るので、数年に渉ってある有名な売薬の膏薬を持続的に貼用した患者があった。

しかるに、その薬毒が漸次脊柱及びその付近に溜着して、凝りの外に激しい痛みが加わって来たのである。

これは全く膏薬中毒である事が明かになった。

又ある患者で顔面に普通のニキビよりやや大きい発疹が、十数年に渉って治癒しないで悩まされていたのがあった。

これらも最初、普通のニキビを治そうとして、種々の薬剤を塗布しそれが浸潤してニキビが増大し、頑固性になったのである。


次に又、最初一局部に湿疹が出来それへ薬剤を塗布した為、その薬液が浸潤し薬毒性湿疹となり、それが漸次蔓延しつつ、遂には全身にまで及んだが、

それでも未だ気づかないで、医療は塗布薬を持続するので、極端に悪化し、皮膚は糜爛(びらん)し、紫黒色さえ呈し、患者はその苦痛に呻吟しつつ全く手が付けられないのであって、私は、医学の過誤に長大息を禁じ得なかったのである。

その他、頭痛に対する鎮静剤や、不眠に対する睡眠剤、鼻孔閉塞に対するコカインの注入等の中毒は周知の事であるから省くこととする。


次に、漢方薬であるが、これも洋薬と同様中毒を起すのであるが、ただ洋薬のごとくその中毒が強烈でない事が異うのである。

又その症状も、洋薬のごとく複雑ではないので、それは漢薬はほとんど新薬が出ないから、種類も少なく旧套墨守的である為であろう。

そうして漢方薬中毒の最も多い症状としては食欲不振及び嘔吐である。

この嘔吐は常習的であって、大抵は一回の嘔吐で平素通りになるのである。

しかし、その際の嘔吐は一種の臭いがあるが、それは、以前服用した漢方薬の臭いであるにみても中毒である事が知らるるのである。

そうして漢方薬中毒者は、腎臓疾患が多く顔色暗黄色で、何となく冴えないものである。

これについて私は、中国人の顔色は赤味がなく、青黄色が多いのは、祖先以来の漢方薬服用の結果ではないかと惟(おも)うのである。

そうして、洋薬も漢薬もそうであるが、多くを使用した者ほど皮膚は光沢を失い弾力なく、青壮年者にして老人のごとき状態を呈するのである。

しかるに、かくのごとき人といえども、薬剤を廃止するにおいて、年々薬毒的症状が消えるに従って若返るのであるにみて、この点においても、薬毒のおそるべき事が肯れるであろう。


次に、電気及び光線療法であるが、これも、概略説明してみよう。

この療法の根本は毒素を固結さすのであるから、病原である毒素溶解作用を停止するのみならず、むしろ浄化作用発生以前よりも固結が強化されるので、

従って容積も著しく減少し、ある程度治癒したと思うのであるが、実際は固結さしたので、最初の病気発生の苦痛とは違った苦痛が生ずるのである。

それは最初の病気症状は、毒素溶解作用の苦痛であるが、後の症状はその反対である固結の為に支障を及ぼす苦痛で、その位置により苦痛は一定していないもので、位置によっては苦痛のない事もあるのである。

しかしながら、死に直面した重症に対し、電気療法によって起死回生の偉効を奏する事も聞くが、固め療法もその症状によって適合する場合、効果は確かにあろう。

そういう人は電気療法を讃えるのである。

しかしながら、私の経験上、レントゲン療法は悪いのである。これは、最も能く毒素を固結させるからである。


次に、氷冷及び湿布療法はさきに述べたから略すが、咳嗽に対して吸入療法を行うが、これは実に馬鹿馬鹿しいのである。

何となれば、さきに説いたごとく、咳嗽の原因は咽喉ではないから、吸入法をいか程行うも何らの効果はないのである。


又、温めるという温熱療法があるが、これも病気により一時的軽快を得る事があるが、病気により反って悪化さす事もあるのである。


又感冒の際、全身を温めて発汗さす事を良いとしているが、これも誤りで、発汗さすよりも自然に放任しておく方が反ってよく治癒するのであってすべて自然が良いのである。

次に癌に対しラジウム放射を行うが、これも何ら効果はないのである。

その証左として私は唯一の事実を挙げるにとどめる。それは彼の東郷元帥の喉頭癌に対し、その当時三十五万円のラジウムを使用したに関わらず、半ケ年にして生命を失ったことである。」 (「明日の医術 第2編」より)




体験談 洗面器も腐る薬毒の恐ろしさ 元看護婦の手記 (昭和28年5月6日発行)

島根県 隆光中教会 OS(37・女性)


医薬万能より浄霊万能へ

「明主様御守護のほど謹んで御礼申し上げます。

顧みますれば一年前の今日この頃は主人が薬毒の再浄化を頂きまして、来る日も来る日も胃痛と吐潟物の連続にて、ひたすらに明主様をお念じ続けておりました。

ちょうど一カ年を経ました今日この頃の健康体を眺めます時、これがあの時の主人か・・・とつくづく眺めやる思いが致します。

自分でも鏡台に向い思わず両頬を撫でて取り戻させて頂いた健康に、ただただ感涙に咽ぶこの頃でございます。

近親者はもとより、近所の人達からも驚異の眼をもって眺められ、本当にあの大病人が薬一服のまずにこんなになられたものと逢う人毎に、よくもまあまあの連発攻めにあっている現在でございます。

元の職場に帰りまして早や半カ年、一日も職場を休むことなく、時々軽い御浄化は頂きますものの、本当に志なく明るい毎日を過させて頂いております。

私は元派出看護婦をしておりました関係上、初めからこのお道の御教え通りについて行ける自信はありませんでしたが、

主人がこの再浄化を頂きます二、三年前(主人は(昭和二十四年入信し胃潰瘍を救われています)によく子供が御浄化を頂き、

その都度御浄霊でよくして頂いている関係上、その頃より御神書は常に拝読させて頂き、

医薬万能のこの頑固な元看護婦にも薬毒の恐ろしさを多少なりとも悟らせて頂いておりましたので、

主人のこの度の御浄化にも割合に平静に諸先生の御指導なり、主人の不動の信念なりについて行けたのでございます。

一日千秋という言葉がございますが、生命を危険にさらして苦痛に喘ぐ十カ月(三百日)を希望と感謝の中に

あの大浄化の険しい大峠を越えさせて頂きましたのは、全くひしひしと胸に、否全身に、明主様の大愛の御心と御力を御恵み頂いたらばこそでございました。

頑迷なる医薬万能者は御浄霊万能者になることによって、主人の生命と一家の幸福を頂く事が出来たのでございます。

以下薬毒の浄化を思い出すままに記さして戴きます。」



薬毒には鉄もボロボロ

「御浄化の初めは、のたうち廻り果ては息もたえだえになってしまい、

うち続く吐瀉物にいよいよ瘠せて少し離れていると私を呼ぶことさえ出来ぬ位衰弱いたしました。

これが元の私でしたらなんで捨ておきましょうや、すぐ目の色変えて医者に走りましたことでしょう。

吐瀉物は初め十回位は洗面器にほとんど一杯位ずつ、シュッシュッとまるでサイダーのごとくブツブツ泡立ち、

丁度重曹をそのまま洗面器にほおり込んだようで流石の私もただ唖然たる許りでありましたが、

これで以前服用した重曹の浄化であることは一点疑う事は出来ません。

この時の吐瀉物の為使用中の鉄製の洗面器は急に、ボロボロに穴があき使えなくなりました。」



ゲンノショウコを六カ月吐く

「重曹の浄化に引続きコーヒー状のものを毎日吐き続けました。

それは以前半年間毎日のんだ「ゲンノショウコ」でありました。

しかもそれを吐く時の身を削られるような苦しさ、これが半年間続きました。

アア何と薬毒の恐ろしさよ・・・今思い出しても身の毛がよだつ様であります。

半年間服用したとはいえまさか半年間吐くとは思えず、後では苦しまぎれに毎日のように、先生にまだ吐かねばならないでしょうか、まだ薬毒があるでしょうかとお問いしました。

その都度先生は「そうあせらんと気長に吐きなさい。

吐いただけは薬毒が減って行くんだし又あるだけのものは吐かねばならないんだ。

それにその薬は私がのましたんじゃあない、あなたがのんだものでしよう・・・」とお笑いになり、なお色々と力をつけて下さいました。


今考えますとその量でも計っておけば参考になるものをと惜しいことをしたと思いますが、その時はただ御浄霊と心配と家事に一生懸命でありました。

吐き出したものは千差万別で、ある時は癌腫の溶けたものではなかろうかと思われるヌラを吐き、

その中へイチゴの種のようなものが無数にあるものを何日も吐いたかと思うと、

又肉腫の溶けた様なものや、又三日も前に食べた食物の残渣やでありました。

菜ッ葉の繊維は必ず吐きました。

しかも胃からばかりでなく鼻からも又唾液の中にも薬毒が排泄したのには驚きました。」



アスピリンの浄化

「ある時鼻汁を乾かして見ますとアスピリン状に白い粉々になり、しかも結晶状に光っていますのでなめて見ますと酢いような味が「アスピリン」と少しも変らぬように思えました。

又唾液はとても粘って粘って始末のつかぬ様なものが執拗に出ました。

尿は白い粘のようなものが何日間も続いて出たこともありました。

少し快方に向ってからでしたが吐瀉物に血の固りのようなものや血の糸のようなものも混っていました。

医者にそんなものを見せたらどう言うでしょう。

そして昔の私でしたらどうしていたでしょう。


ちょっと黒便が出てもすぐ出血しているのだから絶対安静にしていなくてはとか、絶食とか、流動食とか、それはそれはうるさいことでありますのに、

お道の有難さ、これとは反対にこんな血の固りが出る度に又吐く度に主人の胃の中が清浄に、そして健康になっていくと思えば洗面器を替える手も軽くただ感謝で一杯であります。

血であろうと何であろうと決して必要なものは出ず、いらないもののみ出るとの御教えを固く胸に抱きしめて介抱させて頂きました。

便にも白いノロノロしたものが無数に付着して排泄いたしました。

医学上では粘液便と言って腸の病気に外ならないのであります。

病気を悪化作用と考える時、本当に身も世もあらぬ思いがするに反し、浄化作用と思えばかくも安心していられるとは、御教えの有難さに謝する言葉もありません。

この長い御浄化中には医者にかかっていれば危篤の電報を何べんか打っていることでありましょうし、それのみか当然生命も無くなっていたでありましょう。

相当重態の日が続きましたけれども、明主様にお縋りしている身には、そんなに重態と考えたり生死の心配を致しませんでしたけれど、

他の人々にはとても重態に見えましたものか、兄弟中で万一の時の相談もしてあったそうであります。

今にして思えばみんな尊い思い出の一つ一つでありますけれども、その時は、誰も一生懸命でありまして信仰に入らして貰ったものと、そうでないものとの対立は真にいやなものでありました。

それをこうして無事に乗り越えさせて頂きました有難さ、これひとえに明主様の御神徳に外ならず、又たゆまざる諸先生方のお導きに対し心から御礼申し上げる次第であります。

この上は夫婦が力を合わせひたすら御神業に励まさして頂き、明主様の御恩の千万分の一なりともお返しさせて頂く考えでございます。

明主様誠に有難うございました。謹んで御礼申し上げさせて頂きます。何卒今後とも御守護賜わりますよう伏して御願い申し上げます。」