大正末期の無名の娼妓の手記と近代公娼制度について

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はてな匿名ダイアリーで投稿されていた「大正末期のある女郎の実態」という記事について、印象的なお話であったので一読してすぐに紀田順一郎著「東京の下層社会」での娼妓森光子(有名女優の故森光子とは同姓同名の別人)のエピソードだとわかった。

東京の下層社会 (ちくま学芸文庫)
紀田 順一郎
筑摩書房
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光子は明治三十八年(1905)群馬県高崎市の商家の娘として生まれ、家の借金を返済するために周旋人の甘い言葉に乗せられて大正十三年(1924)、吉原の娼館「長金花楼」に売られた。

記事でも書かれている通り、同書によると、300円の借金を返すために1350円で売られたが、250円は周旋人に、借金返済で300円が消え、家に残ったのは800円だった。六年契約で1350円の返済が必要だったが、売り上げの七割五分が楼主に取られ、一割五分が借金返済のため天引き、彼女の稼ぎは月に300円程度だったので手元に残るのは30円程度だが、そこから必要経費や病院代などが次々引かれ、これが40円前後にもなるため、追借しなければならず、一向に借金を返すことが出来ない蟻地獄のような日々となる。

光子は「春駒」の名を与えられて娼妓生活を送るが、非常に知性溢れる女性であったらしく、日々の遊女生活を日記に書き記していた。一年余りの後、性病検査のための通院の隙をついて決死の脱出を成し遂げて、当時歌人・女性運動家として名高かった柳原白蓮に助けを求め、廃業に成功、大正十五年(1926)、白蓮の庇護の下でそれまでの日記をまとめ、「光明に芽ぐむ日」と題する書籍として刊行し話題となった。同書は長く絶版であったが2010年に84年ぶりに再販されている。

吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日 (朝日文庫)
森 光子
朝日新聞出版
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こちらも以前読んだのだが、当時の娼妓の生活が垣間見えてとても興味深い内容になっているので当時の風俗を知りたい人にはとてもオススメ。学歴は無いが石川啄木の詩集片手に逍遥するような文学少女だったらしく、日記の端々から溢れ出る光子の知性と教養が、過酷な生活の中で、いや、だからこそ輝いていて尊厳すら感じさせる。

「東京の下層社会」では光子の稼ぎは月300円程度としているが、日記ではある月の娼館での娼妓売上ランキングが紹介されていて彼女は408円を売り上げて第五位に入っており、四位とは6円差に対して六位とは40円差なので、同館でも人気の花魁さんだったらしい。日記を読んでいても非常にクレバーな受け答えをしていて、確かに人気が出るだろうなと思わされる。

例えば、女工に比べれば娼妓は好きな着物来て、性欲にも不自由せず楽なもんだろうと偉そうに見下して言ってくる客に対しての痛烈な返し。

『妾(わたし)達を御覧なさい。出られないのは牢屋と一寸も変りはありませんよ。鎖がついていないだけよ。一寸出るにも、看守人付で、本なんかも隠れて読むんですよ。親兄弟の命日でも休むことも出来ないで、どしどし客を取らせられて、尊い人間性を麻痺さして、殺して了(しま)う様なものじゃないの。罪人よりか酷いと思うわ。そんな所で、どんな立派ななりをしたって、チットも嬉しいとは思いませんよ。仕事が楽ですって?寝ていればよいのだって?殺されるかも知れない医者のメスを横になって待つ病人は、寝ているから楽でしょうよ。何?苦労も、怖しさも、心配ないでしょうよ。性慾に不自由ないなんて、まさか、蝮や毛虫を対象に、性慾は満足出来ないでしょう。却って妾なんか女工の方が、羨ましいと思っているのよ、女工にでもなって、婦人運動の中にでも入れてもらって、うんと働きたいわ。呪わしい世の中ね。』(P220-221)

男はぐうの音も出ず、「君は仲々の雄弁家だね。誰にそんな理屈を教わったんだ」と負け惜しみを言うのが精いっぱいだったらしい。女工は女工で非常に苛酷な労働環境に置かれており、女工は娼妓に憧れ、娼妓は女工に憧れ、しかしどちらもが地獄という袋小路にあった。

お客さんの男性たちはこぞって、まぁ、男ってそんなものよね・・・というタイプの博覧会の様相でお約束の説教し出す人、紳士面してその実小者、インテリぶっても見透かされている男など”ザンネン”さが限りない。特に印象的だったのは、偉そうに遊女をえり好みする客に切れた彼女が「あなたご自分の顔と相談した方がいいわ」と啖呵を切って部屋を出て「馬鹿野郎」と大声で叫びながら階段を下りて行ったところ、何を思ったかその男は彼女を指名、夜通し「女に馬鹿野郎なんて云われたのは生まれて始めてだ・・・僕は醜男だから、君のような別嬪に、そんな事云われても仕方がないよ」などと偉そうな態度はどこへやら、ねちねち言ってきたという話。いわゆる大正版「我々の業界ではご褒美です」とでも言うようなダメ男で、思わず笑ってしまった。ついでに翌朝の光子と同僚の羽衣さんの会話。

「それじゃ、馬鹿野郎と云われたものだから、意地で遊ぼうと云う気になったのね・・・・・・じゃ何もしなかったでしょう」
「いいえ、そりゃこう云う所へ来る客ですものねェ・・・・・・」
「え、随分意気地なしね、そんな事を云われて、そしてそれほど怒っていながら・・・・・・男ってものは、みな偉そうな事を云っていても、やっぱり弱いのね」(P211)

記録が百年残っているのもご褒美か。

「東京の下層社会」によると、大正末期から昭和初期の全国の公娼数は約五万人、それと別に酌婦と呼ばれる料理店で客に酒を注ぐ女性たちが十一万人おり、その酌婦のうちおよそ七万人は売春に関係があると推測され、さらに私娼やカフェーの女給のうち売春に従事していると思われる者などを含めて十万人、計十五万人が売春に関っていたとみられている。これは芸妓を省いた数で、実際はこれより多いと思われている。当時の女性人口は三千万人で十五歳から三十五歳の女性人口約千百四十万人なので、控えめに見積もっても女性の七十六人に一人が売春に従事していたことになる、という。

これは当時の女性の職種が非常に限定されていたことにも要因があり、同時期紡績女工が百六十万人で、同じく十五~三十五歳女性の七人に一人が女工であり、一方で「事務員」や「バスガール」などが憧れの職業であったが、これはごく限られた人々が選ぶことが出来る狭き門であったため、文字通り「女工か女郎か」という選択肢の低さであった。

公娼制度は明治五年(1872)の娼妓解放令に基づき、「個人の自由意思」を前提として人身売買の防止を目的としたものだったが、その実態は人身売買そのものだった。上記の通り、楼主と娼妓との間で貸借関係が結ばされ、しかもそれは返済が非常に困難な契約であった。廃業は所轄の警察署の事務管理下にあったが、せっかく逃亡して警察に廃業を申し出ても、借金を踏み倒す者として楼主に連絡が行ってしまう。警察と遊郭との癒着も見られていた。紀田によると『昭和の初期にあって自由廃業に成功した娼妓は全廃業者の〇・五パーセントにすぎなかった』(P187)。

眞杉侑里論文『「人身売買排除」方針に見る近代公娼制度の様相』によると、1931年には日本のこのような人身売買の横行に対して国際連盟が「東洋に於ける婦人児童売買の実情調査」の調査団を派遣しており、これに対して政府が以下の通り抗弁したことが記されている。

・娼妓就業は個人の自由意志によるものである
・前借金(消費貸借)と娼妓稼業の間には何等関連は無い
・前借金の有無に関わらず個人の自由意志で廃業を為す事(自由廃業)が出来る
・債権確保の為、娼妓稼業に拘束することは違法(娼妓取締規則・民法90条)

これに対して国際連盟調査団の1932年報告書では『「此の法令(娼妓取締規則第6条)の精神並に目的は常に必ずしも遵守せられざるものゝ如く、警察当局が警察署に雇主を出頭せしめ、之と廃業希望者本人又は其の父母親族と協議せしめ、又は本人を壓迫する等の事実は、屡ゝ本人をして其の年期満了又は雇主に対する債務完済に至るまで貸座敷に止まらしむるの結果を来す懼れあり」』として自由廃業の実効性に疑問を呈しており、やはり国際的にも問題視されていたようだ。政府としても国際的な批判に対してなんらかの対応は行おうとしていたものの、『近代公娼制度に於ける人身売買的要素の存在が意図的な放置からではなく、公権力が介入してもなお排除しがたいものであった』とされている。

そのような社会背景であったから、光子の脱出から廃業への道のりは非常に命懸けで幸運に恵まれたものであったということがわかる。まず柳原白蓮の助力を得られたことは大きいだろう。政略結婚による炭鉱王の妻の座を捨ててジャーナリストと恋をした罪で華族を追放され平民に落とされたとはいえ、文筆活動で名高くしかも大正天皇の従妹にあたる女性である。さらに逃亡劇ではいくつもの危機を乗り越えている。そのいずれもが、間一髪であった。

光子はそのあともう一冊手記「春駒日記」を出し、彼女の廃業に白蓮夫妻とともに尽力した外務省官僚西野哲太郎と結婚、しかし、光子との結婚によって西野は外務官僚の地位を失い、その後の光子の行方はわからないという。紹介した「吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日」でも、巻末に編集部から『著作権継承者については現在判明しておらず、鋭意調査中です。お心当たりの方は、小社編集部までご一報いただけますと幸いです。』とある。

“大正末期のある女郎”は、当時の娼妓の実態を瑞々しく綴って、静かに市井の中に消えていった。日本近代史における非常に印象的な無名の女性の一人である。

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