微熱について
明主様御教え 「微熱というもの」 (昭和26年9月5日発行)
「この微熱というものは、現代人にない人は恐らくあるまい、ただ意識しているといないだけの相違であろう、
ところがこの微熱なるものは、案外人体に対して、大きな影響を与えているもので、それを今かいてみよう、
まず頭痛、頭重は固より、精神集中力も乏しく、散漫となり記憶力が減退し根気がなく、何かにつけて億劫(おっくう)がり、始終体が重懈(おもだる)く、ともすれば寝転びたがる、
また食欲も薄く、好き嫌いが多く、水気のものを好み、飲料を欲しがり、性質も怒り易く、
気が塞ぎ世の中が面白くなくなるから、悲観的に物を考えたがる、ヒステリーもこれであって、
すべてが消極的で、晴天の日よりも雨天の日を好み、
風邪を引き易く、鼻が詰まったり、耳鳴がしたり、扁桃腺炎が起り易い、
また急いで歩いたり、坂を上ったりすると、息切れがし、足が重くなる、
という訳でザットかいただけでも、このくらいだから、仲々馬鹿にはならないものである。
すべてがそんな訳だから友達付合もよくない、人々と円満にゆかず、
家庭にあっては夫婦仲も悪く親子兄弟達ともしっくり合わず、
いつも自分の言い状を通したがり、自分の行いに理屈をつけて、気まま勝手な振舞をする、
この場合自由主義などは、最もいい口実である、
そんな訳で家庭が面白くないから、どうしても忌わしい事が起り易い、
近来家出娘や家出息子の多いのも、そんなためもあろう。
酷いのになると、一家心中という破局的運命にまで陥るのも、右の原因もあるであろう。
そればかりではない、これを社会的にみた時、多くの人は、それぞれ自分勝手な理屈をつけたがるので調和も欠け、詰まらない事でも、直きに議論となったり、争わずに済むような事でも争いたがる、
これらも余りに自分本意のためであろう、これらは政治方面に多いようである、
また団体内で一つの問題を討議する場合等、どうもヤッサモッサが多すぎ、一致点を見出すには、仲々時間が掛るのである、
としても世人はその原因には気が付かないよりも、余り関心を持たないようである。
ところがまだある、右のように何だ彼んだと五月蝿(うるさ)い社会としたら、
人々は気持のいい事より、悪い事の方が多いので、何かしらで紛らそうとする、
そこで酒とくる、酒の売れ方が幾ら高くなっても少しも変らないのは、そのためでもあろう、
それ以外苦悩から脱れようとして刺戟の強い快楽を求めたがる、
若い者はキャバレー、ダンスホール、パチンコ屋やまた変な方面へ走ったりする、
年輩者は年輩者で、少し余裕のある人は、お妾や花柳界に慰安を求めようとする、
このように何も彼も不健全な娯楽が旺(さか)んであるのは、今日の世相である。
以上のごとくあらゆる悪の面の根本原因は、全く微熱が最大原因としたら微熱程恐ろしいものはないのである、ところがそれだけではない、
微熱のために健康診断を受ける場合、結核の初期に見られ易いからこれも厄介な話だ、
一度そう言われるや、絶対安静をはじめ、色々な逆療法を施される結果、
何年も苦しんだ揚句、あの世往きとなるのが大部分のようで、
幸に治って元通りの仕事に従事出来るような者は、恐らく百人中一人も難しいであろうとすれば、
どの点からみても、微熱のない身体にしなければならないのはもちろんである。
では微熱の原因はどこにあるかというと、全く人間体内にある薬毒のためであって、
それが各局部に溜結しており、緩慢な浄化作用が起るためで、
これを本当に治すとしたら、浄霊以外絶対ないのであるから、
本教信徒が増えるに従って、前述のごときあらゆる忌わしい事は、消えてしまう訳である、
そうなったら実に気持の良い住みよい社会が出来るではないか、これがすなわち地上天国の姿である。」
明主様御教え 「大三災と小三災」 (昭和24年8月13日発行)
「昔からいわれている風水火の大三災、飢病戦の小三災とはいかなるものであるか、これについてその根本義をかいてみよう。
風水の原因は天地間の浄化作用であって、なぜ浄化作用が発生するかというと、
霊界における曇りすなわち眼に見えざる汚濁が堆積するのである、
それを風力によって吹き払い、雨水によって洗滌される、それがための暴風雨である、
しからば右のごとき曇りとはいかなるものでいかにして堆積するかを解説してみるが、
それは人間の想念と言霊によるのである、
すなわち想念の悪に属するものとして不平、憎み、呪い、嫉(そね)み、個人的怒り、偽り、復讐心、執着等が、霊界を曇らせるのである。
次に言葉であるが、気候が悪いとか悪天候とか米の不作とかいうような自然に対する不平や、
人に対する非難攻撃、怒号罵声、秘密欺瞞、咎め、愚痴等、
すべて悪から発するものは想念界の次位である言霊界を曇らすのである、
それら種々の曇りの堆積の量がある程度を超ゆる時一種の毒素が発生し、
人間生活に支障を来すことになるので、その自然浄化が発生する、それが天地の法則である、
前述のごとく霊界の曇りは人間の健康にも影響すると共に
草木特に農作物にも悪影響を与える結果凶作の原因ともなり、害虫の発生も旺盛になるのである、
ゆえに今日日本各地における松や杉を枯死させる害虫の発生もこの理によるのであるから、
人間が大いに向上しない限り、これを防ぐ事は難しいのである、
言い換えれば日本人自身の過が、自分の国の松や杉を枯死さしているという訳であるから、
人間の悪念と言霊は大いに慎まなければならないのである。
右の天災に引換え人災もまた怖るべきものがある事は何人も知る通りである、
特に最も人間に被害を与えるものとしては彼の戦争であろう、
私はこの戦争の原因について、破天荒ともいうべき新説をかいてみるが、
あまりに意外であるから、読者は心を潜めて読まれたいのである。
戦争とはもちろん集団的闘争であって、今日までの人類は平和を好むよりも争いを好むかに見える傾向が多かった、
それがひとり国際間のみではなく、国内各方面を見渡す時、争いのない所はほとんどあるまい、
一役所、一会社、一組合等、いかなる集団の内部にも必ず絶間ない暗闘があり、
互いに相手を非難し排斥し合う、また同業者間の争い、
家庭内の争いすなわち夫婦兄弟親子等の争い、友人間の争い等々、
実によく争いを好む、電車汽車内、道路上においてすら通行人同士の争いはしばしば見受くるところである、
全く人間生活の中で争いの面のいかに多いかは今更言う要はない、
とすれば一体人間のこのような争いを好む性格は何に原因するかを説いてみるのである。
いかなる人間といえども、先天性及び後天性に種々の毒素を保有している、
それらの毒素は人間が神経を使う個所へ集注するという、私の唱うる説に従えば、
神経を最も使う局所としては首から上である、
頭脳を初め眼鼻口耳等で手足は休むことがあっても右の機能は覚醒時中は一刻の閑さえなく活動している、
従って、毒素はこれらの付近に集溜するのは当然で、大多数者がいつも訴える首の周り肩の凝り等もそのためである、
この集溜毒素は時日を経るに従い一旦固結するが固結がある程度に達すると、
反対作用すなわち溶解排除作用が発生する、これを吾らは浄化作用というのである、
その際必ず発熱を伴うが、それは毒素排除を容易ならしむるための固結の溶解作用で、
それによって固結は液体化するのである、
この自然浄化が感冒であって喀痰鼻汁汗等の排泄物はその表われであるが、
感冒の極軽微な浄化作用は、大抵の人は平常といえども持続しているのである、
これはほとんど気の付かない程度であるから、
本人は健康と思っているがこの程度の人といえども決して真の健康的感覚はない、
何となれば精密に診査すると、頭脳全体から肩部にかけて必ず微熱があり、
軽度の頭重、頭痛、眼脂(めやに)、鼻汁、耳鳴、歯槽膿漏、頸肩の凝り等の自覚症状は必ずあるものであるから、
これがために絶えず一種の不快感がある、
この不快感こそ曲者である、
すなわちこの原因によって怒りとなり、怒りの具体化が争いとなり、争いの発展が戦いとなるのであるから、
人類から闘争心を除去する手段としては、この不快感を除去する以外他に方法は絶対ないのである、
この理によって誰しも感ずる事は、同一の事柄であっても爽快感の時は何とも思わないが、
不快感の時は憤怒を禁じ得ないので、この経験のないものはほとんどあるまい、この例として次のような事がある。
よく泣癖の赤児がある、それは虫気のためとか虫が強いとかいうが、
こういう赤児を診査すると必ず頭脳及び肩部に微熱がある、
赤児で肩の凝っているものも沢山ある、
これらを本教浄霊によれば、毒素は軽減し無熱となって泣癖は全く治癒するのである、
また児童で怒りやすく、親に反抗する性質のものも必ず右の赤児と同様の症状で、
これまた浄霊によって治癒し従順となり、争いを嫌うようになり、学校の成績も可良となるのである、
夫婦仲の悪い原因も同様で、浄霊によって親和するようになるのである。
以上のごとく、争いの根源は頭脳と首肩付近の毒結の浄化熱とすれば、
それを全治させる事こそ唯一の解決の手段である、
とすれば、本教浄霊こそ世界広しといえども唯一無二の根本的争闘除去の絶対法といっても過言ではあるまい、
また今日戦争以外の苦悩に属するあらゆる問題といえども同様であって、
彼の破壊的思想や階級的闘争等の思想は、不快感による不平不満が原因である、
その他不快感から免れんがため、不知不識(しらずしらず)強烈な刺戟を求めようとする、
それが飲酒、淫蕩、怠惰、争闘等の犯罪発生の結果となるのはもちろんである。
以上の理を悪用し、その時代の唯物的野心家が不平不満を助長させ、戦争を起し、悪質の社会革命を起すのである、
従ってこの地球上に永遠の平和を樹立するとすれば、まず人間一人一人の不快感を祓除し、爽快感を充実させる事である、
その結果として闘争を嫌忌し、平和愛好者となる事は一点の疑いない事実である。
以上のごとき原理を把握させ、実際効果を挙ぐる力は本教以外にない事を知るべきである。」
明主様御教え 「天国の福音 結論」 (昭和22年2月5日発行)
「私は既存医学の誤謬を余す所なく説いたつもりであるが、読者は読み了(おわ)っていかなる感想が湧起したであろうか、
恐らく余りにも意想外なる新説に驚歎されたであろう。
人間が最大貴重としている生命を一日も延長し寿齢の長からん事を冀(こいねが)うと共に、健康の完(まった)からん事を欲求する事は、あまりにも当然である。
その目的を達成せんがための医学の在り方であるに拘わらず、実はその事自体が健康を破壊し、寿齢を短縮させるというのであるから唖然たらざるを得ないと共に、
私のこの発見が、全世界に対しいかに未曾有(みぞう)の重大問題を提供するかという事である。
もし今日においてこの発見が無かったとしたら、全人類の未来はいかになりゆくであろうか、洵(まこと)に慄然(りつぜん)たらざるを得ないのである。
その最悪の結果としては人類の滅亡であり、そうでないとしてもある程度の大減少の暁発見なし得たとしても、滅亡直前においての挽回は蓋(けだ)し容易ならぬものがあろう。
以上は人口問題に関しての将来観であるが私は他の面に向かっても検討すべき問題がある。
それは戦争と飢餓である。これらの問題についても、古今東西あらゆる碩学、その時代の卓越せる政治家、識者等の頭脳によって検討し尽されつつも、
なお未だ解決の緒にも着かないという現実は何を物語るものであろうか。
それは問題の根本に触れないがためである。
しかるに私はこの問題についての解決方策をも発見し、あわせてここに述べんとするのである。
しからば、その解決策とは何ぞやというに、これは前人未見の説であるから、読者はそのつもりで熟読されたいのである。
そもそも戦争発生の根本原因としては国家の構成分子たる個々人の性格である。
今日までの戦争原因のそのほとんどは英雄の野望と、封建的軍国主義者等の企図による事は明白であるが、
またそれらに引入れられ、賛同し、援助するという、国民にも一半の罪はあるであろう。
従ってまず考えなければならない事は、その時代における好戦国人民個々人の性格の検討である。
言うまでもなく平和を欲せず、争いを好むという意念である。
私の発見によれば、争いを好むという性格は帰するところ不平不満と愛の欠乏からであり、その原因としては不断における不快感である。
そうして不快感なるものを分析する時他動因と主動因とあり、他動因とは偶発するところの悪事情であるが、これは時間的に大半は解決さるるものである。
しかるになんら悪事情なきに係わらず、主動因である不快感は取除けようがない事は誰しも知るところである。
しかもこの主動的不快感は、普通事情までも悪事情化する恐れがある。
事実常に不平不満、後悔、愚痴等を連発する人はこの種の人で、またこの種の人は自己反省がなく、不平不満の原因を他動的に解釈し勝ちである。
その表われとして人を怨み、社会を呪い、排他的観念に陥りやすいのである。
彼の共産思想が個々人の不幸の原因がある程度自己の罪にもある事を閑却し、社会事情に因るとなし、
それを闘争によってのみ解決出来得るとするゆえんもここに在るのであると共に、資本家の横暴もまた愛の欠乏による事はもちろんである。
この意味において戦争の原因が、人間個々人の不快感にありとすれば、その不快感の除去こそ問題の根本的解決であらねばならない。
しかるに、それは本医術によってのみ解決なし得るのである。
何となれば不快感の原因が薬毒であり、薬毒保有者は常に身体のいずれかの部分に浄化発生があり、そのためであるからである。
しかるにいかなる人といえども不快感は何のためなるやを知らず、先天的自己の性格と信じ、
ただ漫然と不愉快なる生活を営んでいるに過ぎないので常に人を嫌忌し、怒りやすく悪いと知りながら争わすにはいられない、
不利と知りながら勤勉になり得ないというーその事がまた不平の因となるという訳である。
かく観じ来る時、戦争の原因を除去する方法としては、薬剤を人類から廃止する事と現在個々人が保有している薬毒を除去する以外ないのである。
従って本医術の普及こそ平和確立の根本義である事を知るであろう。
そうして以上述べた以外貧乏の問題がある。
貧の原因が、小にしては個人としての霊肉共に不健康であるからであり、大にしては戦争とそうして悪政治のためである事はいうまでもない。
従って本医術によって健康も、戦争も、貧乏も解決なし得るとしたら、光明輝く地上天国出現といえども、あえて夢想でない事を知るであろう。
本書に対し天国の福音という題名を付したゆえんもここに在るのである。」
明主様御教え 「薬 毒」より (昭和18年10月5日発行)
「(一部のみ引用) 私はここで、今一つ重大な事を述べなくてはならない。
それは薬毒保有者は、左のごとき悪影響を受ける事であって、
それが多量ほどはなはだしいのであるが、世人は全然気が付かない事である。
一、常に不快感のある事。
二、頭脳の活動が鈍くなる事。
三、身体の動作が弛緩する事。
右の三項目について詳説してみよう。
一、の不快感は、薬毒集溜個所に微熱があるから、局部的又は全身的に悪寒があるので、常に普通以上寒がるのである。
又、何事を為すにも億劫(おっくう)がり、寝る事を好み物に倦(あ)き易く長く一つ事に携わる事が出来ないのである。
そうして物事の解釈はすべて悲観的となり、常識を欠き、陰欝を好み、
従って、晴天の日より雨天の日を好むのである。
又腹立ち易く、はなはだしいのは自暴自棄的になったり、
又常にクヨクヨとして、いささかの事も気にかかり、ヒステリー的ともなり、
自分で間違っている事を知りながら、どうする事も出来ないという状態で、
又それを煩悶するという事になり、最もはなはだしいのは厭世的となり、廃人同様となる人さえある。
一家にこういう人が出来ると、他の者まで影響を受けて、家庭は暗く、争いの絶間がないので、人生の幸福を得る事は到底期し難いのである。」 (「明日の医術 第1編」より)
明主様御教え 「薬 毒」より (昭和22年2月5日発行)
「(一部のみ引用) 右の理によって人類から薬剤を取去ったとしたら、病気なるものは漸次消滅すべきは断じて疑いない所である。
そうして私が幾多の患者を取扱った経験上薬毒の多少によって病気の軽重を判別するのであるが、洵に正確である。
そうして薬毒多有者は左のごとき症状を呈するものである。
常に不快感がある。すなわち薬毒集溜個所に微熱があるからでそのため軽微な悪寒があり、普通人以上に寒がりである。
また物に億劫がり、横臥する事を好み、根気が薄く長く一つ事に携わる事が出来ない。
そうして頭脳が散漫で集注力がない。また物事の解釈はすべて悲観的であり、常識を欠き陰欝を好み、明るい所より暗い所を好むから、晴天の日より雨天の日を好むのである。
また腹立やすく、自暴自棄的となり勝ちで、いささかの事が気に懸るからヒステリー的ともなり、物事に対し自分で間違っている事を知りながら、それを矯(た)める事が出来ないばかりか、反ってその様な精神状態を煩悶するという事になる。
はなはだしくなると厭世の結果自殺を企図したり、また精神変質の結果廃人同様となる者さえある。
一家にこういう人があると、他の者まで影響を受け家庭は暗く争いの絶間がないという訳で、幸福生活などは到底期し得ないのである。」 (「天国の福音」より)
明主様御講話 「事故、争いの原因は後頭部の毒素による微熱」 (昭和27年5月25日)
「今年は赤痢がだいぶ流行だということが新聞なんかに出てますが、
まったくこう寒いのにーまだ夏にならないのに、随分各地に赤痢が続出してますね。
今年は盛夏になると随分多いでしょう。
あるいはレコードを破るかもしれませんね。
いつかも赤痢の原因は話しましたが、これを一口に言うと、
頭を使って薬を服む。
これが赤痢の原因です。
今の人は非常に頭を使うんですね。
社会生活上頭を使わないわけにいかないからね。
それでまたいろんな苦しいことが多いですからね。
心配もするし智慧もしぼらなければならない。
そこにもっていって頭がだいぶ悪いですからね。
頭を酷使しているわけですね。
そこにもっていって薬を服みますから、薬毒がどうしてもここ(後頭部)に寄ってくるんです。
私はこのごろ一般は治療しないが、家の家族だとかあるいは手近な人で具合が悪い時に見ると、みんなこれ(後頭部)です。
十人が九人までですね。
これに浄化が起って、つまり毒血ですね。
それが下に、溶けて下がってきてお腹に溜まって、それが下痢になって出るんです。
それが赤痢なんです。
医学では黴菌一方にして大騒ぎをやってますが、実はたいへん結構なんです。
つまり人間は、ここに溜まると頭が悪いんだから、頭ばかりでなく、始終ここに毒血を寄せますから、イライラしてボーッとしてきます。
よく交通事故がありますが、アメリカでもそうですが(アメリカの交通事故で死んだのは戦争で死んだのより多いんですからね)日本でもよく統計が出てますが、
交通事故で死ぬのは多いんです。
それはなにが原因かというと、ここ(後頭部)に熱が出てボーッとするんです。
それで衝突したりするんです。それは頭が悪いからです。
頭が悪いというのは、ここ(後頭部)に浄化が起っているんですね。
それから、ちょっとしたことで喧嘩したり殺したりーこの間のメーデーの時でのことも、
あの原因がやっぱり、これ(後頭部)です。
それから不快感ですね。
ものを善意に解しないで悪意に解する。
なんとなく気持ちが悪い。それにちょっと拍車をかけられると暴れる。
暴れるのは、一つのヤケクソみたいなものですね。
だから世の中の一番の忌まわしいことは、これ(後頭部)が原因なんですよ。
つまり薬毒の固まりです。
これを神様がやったというよりか、自然に浄化によって掃除される。
それが赤痢なんですよ。
だから赤痢くらい結構なものはないんですよ。
赤痢になればその人は健康になるし頭も良くなるしね。
それなのに滑稽なのは、外から帰ったら手を洗え手を洗えという、と、赤痢菌なんて随分大きなものと考えている。
手を洗ってみても、菌はこっちについたりあっちについたりしている。
目に見えるものならー泥みたいなものなら洗えば取れるかもしれないが、
黴菌みたいに小さいものは、洗ったところですぐついちゃいます。
そんな面倒臭いことをするのは実にかわいそうなものですよ。
それで他に手がないんで、結局赤痢の注意というのは、
暴食をしないようにと言いますが、暴食と赤痢は関係がないですね。
暴食はただ胃が太るだけで、血を暴飲するんじゃないからね。
暴食したって、それが糞便になるくらいですからね。
また、手を洗えというのは実に子供みたいなものですよ。
それで、あとは手も足も出ないんですね。
それで心配して非常な金を使いますね。
だからわれわれからみれば実にかわいそうなものです。
今度新聞にも書きますが、書いたところで信者さんには解るが、
他の人は不思議だくらいしか解らないですからね。
とにかくそういうような状態ですね。
ですから信者の人は赤痢なんていうのは、かえって罹れば結構なもので、
その安心だけでも、たいしたものだと思います。」