心臓医術について
明主様御講話 「心臓は太陽の霊気を吸う」 (昭和10年9月21日)
「この間の最後の講座で、病気のことにつき心臓と肺臓と胃の関係につき話しましたが、
それは急いだから、その点徹底しない話し方があったかしれませんが、
観音力の療法は霊的療法ですが、ところが、いままでは心臓が非常に無視されている。
貝原益軒の「養生訓」という本があり、ちょっと読んでみたんですが、漢方のほうからいうと胃を根本としてある。
これはたいへんおもしろいと思う。
そして、西洋医学は肺を一番重要視している。
ですから、漢方は食物の養生を重んじ、菜葉、葱、紫蘇などの食物のいろんな薬のあるものを書いてある。
西洋医学では空気を重要視し、病気は転地などを主張している。
それは胃と肺へ対してはまことによく言ってあるが、心臓に対してはなにも言ってない。
これを新たに発見したのが観音力療法で、肺は月、心臓は火、胃が土という話をしましたが、
胃は土ですから七で、肺は水で六、心臓は五で、やはり五六七になっている。
ところが、心臓は五で観音様ということで、観音様はあってもいままで出ぬ。
隠れていた。そのために五が隠されていた。
実は五が主で、心臓は霊気を吸う。
太陽の霊気を主として吸う。
根本は太陽の霊気を吸うにある。
このことも血が浄化される。
きれいになればあらゆる病気は治る。
それを知れば空気中に酸素があれば、それで血が浄化されると思っているが、心臓が絶えず霊気を吸収して血がきれいになる。
これが本当の心臓の働きおよび霊気で、いままで未発見のものだったが、今度私が発見した。
要するに霊気が一番重要な役目になっている。
要するに、観音力の療法は霊気療法で、世間にも霊気療法はあるが、本当のことは知らない。
霊気も人間の霊界じゃない。
太陽を主とした月も交わった霊気です。
で、観音力でするにも無論霊気は出ている。
それで血が浄化している。
空気のいい所へ行こうとするのは旧時代の療法で、今度はいい霊気のある所へ行き養生するのです。
いい霊気のある所はどこかといえば、観音様よりほかにはない。
ほかにも多少あるがごく弱い。
月の霊気もある。むしろ月の霊気は違う。
太陽の霊気は放射する霊気、月の霊気は汚いものを洗う贖罪的のもので、これは限りがある。
すなわち水のほうには限りがある。
日のほうは無限でいくらでも燃える。浄化される。
その霊気はどこから発生するかというと、観音様から発する。
それで観音様を祭ると病気がなくなる。
というのは、それで祭ると心持ちがよい。
霊気を発する。それによって絶えず霊気を発して浄化される。
元々、浄化療法とか浄血療法とかいっても、健康の根本は霊気を浄化するのが根本で、空気のいい所へ行っても肺で死ぬ人はたくさんにある。
東京からそうとう離れた空気のいい所へ行って、そうとうの効果はあっても、絶対にすばらしい効果は得られない。
また空気のいい所にいて肺病にならぬとは限らぬ。
観音会で発表した霊気は、空気より何十倍何百倍いいもので、
空気だの紫外線など言っていても、未だ観音力の光の本体は科学で発見されず判っていない。
いまに時機が来れば、科学的にも実験するつもりです。
黴菌を殺すこと、浄血すること、膿が浄化することなど、科学的に実験研究などしようと思っている。」
明主様御教え 「内臓の三位一体と心臓の重要性」 (昭和11年御執筆)
「内臓の三位一体とは心臓、肺臓、胃を指していうのである。
この機関こそ全内臓中の基本であると言ってもよいので、最重要な役目を果しているのである。
今日までのあらゆる医術は、胃と肺臓に関しては相当研究もされ、その活動へ対しての認識もやや成ってはいるが、
ひとり心臓に至っては全く不明であると言ってもよい状態である。
しかるに実際は、この三臓器中、心臓が最重要な機関である。
医家が死の直接原因を、心臓麻痺というにみても識るべきである。
かように最重要である心臓の機能活動が判明しなくては、真の治療は確立されるはずがないのである。
現代医学は、肺臓の呼吸運動に依って血液を浄化し、それを心臓に送ると言い、
血液浄化の法として、清澄なる空気を呼吸せしめんとし、大いに転地療法を奨めるのである。
又、飲食物を重要視して、栄養と消化の研究には、最大努力を払っているのである。
かように、肺と胃に対しての、器能活動の研究には、絶えず努力しつつあるに係わらず、独り心臓に対しては、あまり研究をしないようである。
これはまことに不思議であって、全く心臓なるものの機能の本体が、把握出来ないと諦めた結果であろうか。
私の研究によれば、この三臓器中心臓のその活動こそ、人間の健康の基本であると言ってもよいので、
この心臓の不明である限り、治療法と健康法は決して解決されない事を、私は断言するのである。
しからば、最重要たる心臓の活動の本質は何であるか、鼓動は何であるかを、詳説してみよう。
肺臓が一分間何十という呼吸運動をしているのは、今日の医学で説明が付くとしても、心臓の鼓動については何の為であるかを説明し得ないのである。
例えば、肺患者が転地して、新鮮な空気を吸い、胃には充分なる栄養を摂取しても、容易に治らないのは何の為であるか。
又、海岸居住者にして肺結核に罹病する者がすくなからずあるという事は、いかなる理由によるのであるか。
これらについても現代医学は、未だ説明が出来ないのである。
これは全く心臓の器能が不明であるからである。
この事の説明に対しては最初に、この地球の現象界の組織から説いてゆかねばならない。
我々が住んでいるこの地上の構成は何であるかと言うと、それは、三つの元素界から成立っている。
一、霊界、二、空気の世界、三、物質世界である。
しかるに、今日までの発見では、空気の世界と、物質界の二つのみであって、最重要なる霊界は未だ発見されていないのである。
この三段の組織を称して、仏語では、三千世界、又は三界といっているのである。
この三段階の元素を説明してみれば、第一の霊界とは、空気より一層稀薄にして、今日の科学では、これを測定すべき方法がない霊素ともいうべきものである。
しかし、最近の科学において発見せる電子、陽子、中性子、核等の研究は、この霊界に一歩突入したのであるから、
いずれは霊界の実在を認識するまでに到るであろう事は、信じ得らるるのである。
ただ私の説は、科学よりも一歩先へ前進しているだけである。
しかして、霊界は火素を主とする太陽霊であり、空気界は水素を主とする太陰霊であり、物質界は土素を主とする物質原素である。
この関係が認識出来得れば心、肺、胃の器能も判明さるるのである。
即ち、心臓は火素を即ち霊気を呼吸しつつあるので、それが鼓動である。
肺臓は水素即ち空気を吸収しつつあるので、それが呼吸である。
胃は土素から成る食物を吸収しつつあるので、それが伸縮運動である。
肺と胃の活動は、説明を略して、心臓を主として説明をしてみよう。
本来血液は、霊の物質化であるという事は既に述べてある通りで、
この人体生命のエネルギーである血液を、不断に活動させつつ、なお浄化の工作をなすその力こそ火素である。
そうして心臓は絶えずこの火素、一名霊素を吸収しつつあるが、空気にも清濁あるごとく、この霊界にも大いにそれがあるのである。
故に、この霊界においての清浄という所は、霊素が充ちているのであり、それは、光と熱との量積が、多分に在るという事である。
しかるにこの霊素が稀薄である所は、反対に汚素が多分に在るのである。
汚素とは一種の霊的曇である。別言すれば、霊界において、霊素の濃度なる所は、晴天のごとき明るさを感じ、霊素の稀薄なる所は、曇り日のごとき陰欝を感ずるものである。
しからば、霊素、汚素の多少はいかなる原因かというと、霊素の多い条件としては、正しき神霊を奉斎する事であり、
又 善に属する行為と言葉によるのであって、汚素の原因としては、右と反対に邪神や狐狸の霊を奉斎し、
又は、悪に属する行為と言葉を発するが故である。
故に、この理によって心臓の活動を旺盛にし、その結果たる血液を浄化せんと欲せば、前者の方法を実行すれば良いのであって、
そうすればする程、健康を増し、不幸は解消するのである。
しかるに、現在大部分の宗教は、光と熱を霊射する正神が少なく、大抵は暗黒に相応する邪神が多いのと、
しかも、人間の行為と言葉が、悪に属する方が多いから、霊界は曇るばかりであって、全く無明地獄である。
従って、ここに褄息する人間は、この曇れる汚素を常に心臓が吸収するから心臓は弱り、心臓が弱るから、愛の情動が稀薄になるのである。
現代の人間に愛が乏しく、とうとうとして稀薄になるのは、実にこの理によるからである。
しかしながら、この暗黒界にいよいよ大いなる光と熱の、無限の供給者たる光明如来、即ち観世音菩薩が救世之光となって出現されたのであるから、
この御神体を奉斎する時、無量にその火素、即ち、光と熱を放射され給うので、その家の霊界は、漸次曇が消滅して明るくなるのである。
その結果、そこに住する人間の心臓は、火素の潤沢(じゅんたく)によって活動力が旺盛になるから、愛が湧起するのである。
その結果は争が無くなり、血液も浄化するから、健康となるのである。
右のごとく、愛と健康を以て、業務に従事する以上、繁盛と栄達は当然の帰結であって貧は無くなる。
病貧争絶無の根源は、これに依ても瞭(あき)らかであろう。
ここで、今一つの基本的解説をする必要がある。
それは、火と水との性能本質である。
元来、火は水に依て燃え、水は火に依て流動するのである。
もし、火を起すべき燃焼物に、全然水が無かったら、火は燃ゆる時間がなく、一瞬に爆発してしまう。
又、水に火の影響が全然無ければ、凍結のままである。
火の熱によって解溶するから、流動するのであって、なお進んで蒸気となり、動力発生となるのである。
本来、肺臓は水の性能である。
空気は、酸素、窒素等の原素はあるが、実は、水素が主である。
故に、肺臓は主として空気、即ち水素吸収機関であるから、冷性であり、理性の発電所である。
それと反対に、心臓は、火の性能が本質であるから、神霊界の火素(霊素)を吸収しつつあり、熱性であるから、愛と感情の根源である。
故に、肺臓の水性を活動させんとするには、心臓の活動によって、熱素を充分供給しなくてはならない。
故に、肺臓の活動が鈍いのは、心臓の愛の熱が少い為であるから、肺患治療に対しては、心臓へ火素を、より吸収させる事である。
心臓へ火素を潤沢に与えんとすれば、その住する霊界を清浄にするより外なく、それは、正しき神霊を奉斎する一事である。
この理によって、心臓を強め、心臓病を治癒するには、清浄なる空気を肺臓に与うればよいので、
そうすれば肺臓の水性が活動するから、心臓の火性を揺り動かす事によって、心臓は健康になるのである。
故に、近来肺患者の激増の原因は、各人の心臓の衰弱が原因である。
それは、二つの理由がある。一は前述の霊界の曇の濃度、即ち、邪神狐狸の奉斎と、悪の行為言葉による影響の為と、今一つは西洋思想である。
元来、西洋思想は、科学を基本として成った関係上、理論偏重である。
その結果として冷性になり、愛の情動が稀薄になるからである。
肺患者は理性の勝った者が多いので、薄情になりがちである。
利己的であって、利他愛が少い傾向を帯びているのは、争えない事実である。
又、心臓患者はこの反対であって、感情に走り易く、激怒し易いのであるが、
近来、実際の心臓病患者は、まことに少いのである。」 (「新日本医術書」より)
明主様御教え 「心 臓」 (昭和27年御執筆)
「人体の機能中、最も重要であるのは、心臓であって、機能中の王者と言うべきものである。
従って心臓機能の本体が根本的に判らない限り、真の病理は確立するはずはないのである。
医学においても他の臓器は手術が出来ても心臓は出来ないに見ても肯れるのである。
ところがこのように肝腎な心臓機能が、医学では適確に判っていない事である。
ただ僅かに肺臓から酸素が送られ、浄血作用を行う機関くらいにしか思っていないようで、ほとんど取るに足らない考え方である。
では心臓機能の真の働きとは何であるかを詳しく書いてみよう。
そもそもこの機能は、霊界と最も密接な関係のある点である。
というのは左のごとき事を前もって知らねばならない。
というのは地球の構成原素である。
それはさきに説いたごとく三段階になっている。
すなわち一、霊界、二、空気界、三、現象界であって、これを一言にして言えば、一は火素が本質であり、二は水素が本質であり、三は土素が本質である。
もちろん一は日の精、二は月の精、三は土の精であって、この三原素の力によって、一切は生成化育されている以上、
人間といえどもその三原素の力によって生命を保持されているのはもちろんである。
そこで三原素を吸収すべき主要機能としては心臓、肺臓、胃の腑である。
すなわち心臓は霊界から火素を吸収し、肺臓は空気界から水素を吸収し、胃の腑は物質界から、土素を吸収するのである。
だからこの理を基本として、人体の構成を見ればよく判る。
しかるに今までは肺臓は空気を吸い、胃は食物を吸収する事だけしか判っていなかった。
従って心臓が火素を吸収するなどは、全然判っていなかったのである。
ではなぜそうであったかと言うと、それには理由がある。
すなわち空気も、食物も科学で測定が出来るからであるが、ひとり心臓機能のみはそれが不可能であった。
というのは霊界は無とされていた以上、機械的には把握不可能であったからで、これも無理はないのである。
早く言えば三原素の中、二原素だけ判ったが、一原素だけが判らなかった訳である。
ところがこの一原素こそ、実は二原素以上重要なものであってみれば、これが判らない以上、完全な医学は生まれない訳である。
ゆえに今までの学理は、言わば欠損的であった事は言うまでもない。
以上のごとく最重要な火素を吸収すべき機関が心臓であって、水素を吸収するのが肺で、土素を吸収するのが胃であって、それによって人間は生きているのである。
ところが病気であるが、病気とは再三説いたごとく、毒素の排泄作用であるから、固結毒素を溶解する場合、熱が必要となる。
その熱を心臓が吸収する役目であるから、平常よりも余分に熱を要するので、心臓はそれだけ活動をさかんにしなければならない。
発熱の際鼓動が頻繁なのはそれがためであって、その際の悪寒は体温を心臓に補給するため不足となるからで、
また呼吸頻繁なのは心臓の活動を助けるため、肺臓は水分を余分に供給しなければならないが、それには熱は水分を加える程力を増すからである。
また発熱の際食欲不振なのは、消化に要する熱量を、心臓へ奪われるからである。
このようにして毒結の溶解が終れば、熱の必要はなくなるから解熱するのである。
これで心臓の実体は掴めたであろう。」
明主様御教え 「心臓医術」 (昭和18年10月5日発行)
「腎臓に次いで重要なる機能は、何といっても心臓であろう。
従って、本療法によって心臓が健全になった場合、疾患及び全身機能、精神的方面等に対し、いかなる好影響を及ぼすかという事を説いてみよう。
まず、腎臓の余剰尿が集溜する局所としては、肩胛骨(けんこうこつ)と脊柱との間が多い事はさきに説いた通りであるが、それはちょうど心臓の裏面に当る所である。
故に、この毒結が心臓を圧迫している為、心臓の活動が妨げられるのは当然である。
そうして心臓の活動の強弱はいかなる影響を与えるかというに、さきに説いたごとく、人体において心臓は火であり、肺臓は水であり胃は土であるという原理によって、それは次のごときものである。
まず初め、心臓圧迫の毒素を溶解するにおいて、心臓の活動が旺盛となり、その結果として火素の吸収が増加するから、水である肺臓の活動が強化されるのは勿論である。
ちょうど水を温める火力が強くなるようなものである。
従って、肺臓の活動が旺盛になれば、結核患者の肺臓内に固結している毒素は、溶解排泄が速かとなるので、治癒が促進される訳である。
又、肺臓の活動は胃の活動を促進するから、食欲は増進するので、両々相まって非常な効果を挙げ得るのである。
そればかりではない、ここに見逃す事の出来ない事は、性格的に好変化が表われて来る。
元来、心臓なる機能は、熱の本源である関係上、性格的には愛の湧出する機能である。
故に、心臓の活動力旺盛は、愛の情動が盛んになる事で、性格が一変する訳である。
その例として、肺患者の性格は押並べて愛の熱が淡く、理性の方が勝つという事で、私が幾多の肺患者を扱った経験によっても、争う事の出来ない事実である。
それは心臓が弱い時は愛の熱が不足する。その為、水が温くならないという訳である。
この意味において、この心臓医術によれば、肺結核の治癒は促進され、罹病者は減少するのであるから、
結核問題解決に効果のある事は贅言(ぜいげん)を要しないのである。」 (「明日の医術 第2編」より)