浄霊の急所について 1 (総論)
浄霊の急所についての基本的説明
明主様御垂示 「浄霊の急所」 (昭和27年9月1日)
「急所というのは、痛みとか麻痺したとか固まったとか、そこに薬毒があるので、それが急所で、
それを取れば結局熱と痛み、そういったものはなくなります。」
明主様御垂示 「浄霊の急所」 (昭和27年3月16日)
「御浄霊の急所は悪い所だけですね。痺れた所と、それで良いですね。
ただ、よく箇所箇所と言うが、因ですよ。手のここ(先)らが悪いのは、ここ(頸部淋巴腺)にあるんです。
こことここ(付け根)にあるんだからね。足は、足の付け根ですね。
その、因をやるんです。ここ(手の先)が悪いと言って、ここ(手の先)をやっても、たいした効果はない。
体全身の急所は頭であり、手の急所はここが一で、次がここです。
足は、付け根。胃の方の急所は腎臓と、その急所さえ心得ていれば、なんでもない。」
明主様御垂示 「熱のある所が浄霊の一番の急所」 (昭和26年12月28日)
「浄霊する場合に、急所を見つけるのが一番ですね。
自分で身体を見ると、一番熱が起っている所があります。
それが、一番の急所ですから、そこを浄霊する。
自分でやる時も、力を抜かなければならないですよ。
そうすれば治ります。別に難しいこともない。それだけですね。」
明主様御垂示 「一番熱い所と一番固い所が浄霊の急所」 (昭和27年1月15日)
「どこかに固まりがあるでしょう。
その一番固まっている所・・・一番熱いですね。
熱がありますね・・・その熱い所が一番浄化が起っているんだから、
それでそこが良くなると、他が浄化が起ってくるから、それを間違えないようにする。
ここだと思っていると、そこが良くなってくると、なんぞ知らんこっちに起ってくる。
一番熱い所と一番固い所ですね。
そこが急所だからね。」
明主様御講話 「熱のある所が浄霊の急所」 (昭和28年7月5日)
「なにごとでもそうですが、まず急所です。
浄霊の場合でも急所を発見することです。
急所を発見するということは、いま言ったようなことをだいたい知っていると急所が非常に分かりやすいわけです。
自分で自分の健康診断をする場合にも、
体中を触ってみて熱のある所に毒素があるのだから、
触ってみてずっと冷たければよいですが、どこかに熱がありますから、そこが急所です。
それから押してみて必ず痛い所があります。(中略)
そういう所を自分で浄霊するなり、後の所は人にやってもらうなりすると、それは健康になります。」
明主様御論文 「自分で病気を知る法」 (昭和26年10月10日発行)
「病気というものは、いつもいう通り、毒素が身体のどこかしらに固まっており、それが熱で溶けて、排泄する苦痛なのであるから、
病気を知る方法としては、自分で自分の体を触ってみる事である、
頭の天近(てっぺん)から足の爪先まで撫(な)ぜてみるのが、一番よく分る方法である、
必ず熱のあるところが、一個所や二個所くらいあるもので、
そこに病気があるのだから、そこのところを自分もしくは誰かに浄霊して貰えばいいのである。
ところがこういう場合がある、よく結核などで強い注射などを多くしている人は、
一時浄化は停止されているから、身体中どこを触っても熱がないから、安心していると、いつかは必ず発熱する、それが速い程よいのであるから、
もしそういう疑いがあった場合、少しの間そのままにしておくと、必ず浄化熱が起るから、その時 査(しら)べればいいのである、
以上によってみても、ヤレ体温計だ、何んだ彼んだと手数をかけて騒がなくとも、
右のように至極簡単に掌だけで自己診断をすれば、最も正確である、としたら何と進歩した診断法ではなかろうか。」
明主様御教え 「浄霊の急所」 (昭和27年2月17日発行)
「浄霊の場合いつも私が注意している通り、急所を外れては、労多くして効少なしという事である。
何病気でもそうだが、近来殊に多いのは頭の病気であろう。
その原因は首の周り、すなわち左右いずれかの淋巴腺に固結があり、相当腫れているので、
大抵は見ただけでも分るが、必ず相当の熱もあり、触ればよく分る。
今一つはこれも左右いずれかの延髄部が腫れている。
見ただけでも片一方が高くなっているし、触ればなおよく分り微熱もある。
という訳でこの部を浄霊すれば必ず効果がある。
こういう人は常に頭重や朦朧(もうろう)感があり、
特に意外なのは、腕や足の悪い人でも、この部の浄霊で治る事がよくあるから、全く不思議である。
また今一つの面白い事がある。
それは痔疾のような肛門に関係ある病気の原因は、ほとんど後頭部にある毒結であるから、そこを浄霊するとよく治るし、
また歯痛によっては、その原因が盲腸手術の時の消毒薬が毒化し、歯茎から出ようとするためもあるから、盲腸部を浄霊すると、よく治るにみて明らかである。
次はひょう疽の場合、その側の淋巴腺部、脱疽(だっそ)の場合は同じく股にグリグリがあるから、そこを浄霊すれば必ず治るのである。
(註 ひょう疽・・・手足の指の皮下組織に起こる化膿(かのう)菌による炎症。強い痛みがあり、骨などに波及しやすい。脱疽・・・壊死(えし)の状態から、腐敗菌感染などのためにさらに悪化したもの。)
このように病気というものの苦痛は、その元があり急所があるのだから、そこを発見しなければならないが、
それを知らない医学は、ただ苦痛の個所だけを治そうとするので仲々治らず、治っても一時的で本当に治らないのであるから、右の意味を教えてやりたいと思うのである。」
明主様御垂示 「浄霊は急所の優先順位に従い行う」 (昭和26年11月25日)
「一番肝腎なことは、急所を見つけてやる。一番痛むなり・・・苦痛ですね。
これは一、二、三、四と急所がありますから、一の急所を発見してやる。
それから二の急所をやる。
こういうふうに、順序良くやるとうまくいきます。
それを、一をやらずに二、三をやるから、馬鹿に苦しくなる。」
浄霊の急所についての明主様御講話
明主様御講話 「急所の発見」 (昭和28年7月5日)
「なにごとでもそうですが、まず急所です。
浄霊の場合でも急所を発見することです。
急所を発見するということは、いま言ったようなことをだいたい知っていると急所が非常に分かりやすいわけです。
自分で自分の健康診断をする場合にも、
体中を触ってみて熱のある所に毒素があるのだから、
触ってみてずっと冷たければよいですが、どこかに熱がありますから、そこが急所です。
それから押してみて必ず痛い所があります。
人によってはまるっきり痛くない人がありますが、
これはなにかというと毒がなくて痛くない人はまずないでしょうが、
毒が固まりきって少しも浄化が起ってないのです。
それで痛いということは、固まりにいくらか浄化が起っているから痛むのですが、
浄化がぜんぜん起ってないと痛まないのです。
ですからこういうのはかえって危ないのです。
そういうのはかえって信仰にはいると、痛みのない人が痛みが出てきますが、これはそこだけが活動を始めたのです。
しかしそういう人はごく少ないので、たいていな人はどこか痛いのです。
そういう所を自分で浄霊するなり、後の所は人にやってもらうなりすると、それは健康になります。
それで自分で浄霊するにも一番は肩ですが、
肩で固い所がありますからそこをやればよいです。
そうしてごく小さい固まりがあることがありますが、
それを浄霊するには、指から霊を出すのです。
これはいつも言うとおり触ってはいけません。
二本の指でこうやって、中指から霊を出すようにするとよいです。
この指から出る霊は強いですから、小さい固まりはよく溶けます。
そういうようでなんでも急所です。
ところがこの急所を外れていることが多いのです。
これは病気ばかりではないので、日常のことや話や、いろんなこと、また宣伝の具合でも、
人が「信仰にはいろうか、どうしようか」と迷っているときに急所をピタッと言えば、
「では、はいろう」ということになりますが、
その急所を見つけるのがなかなか難しいのです。
しかしその人の智慧証寛が進むと、急所の発見が早くなります。
どんなことでもその急所をやることです。
それから急所が見つからないときに、あせってやってはいけません。
それはまだ時期が来ないとか、いろいろな事情があるのです。
ですからふだん心掛けていれば、時期が来さえすれば急所は見つかるものです。
ですから病気でも、どうも熱が冷めないというときに、ちょっと急所に来ると冷めることがあります。
これはあなた方でも経験することがあるでしょうが、
急所を発見するということが、人間人生の最大の条件です。
ですからいまの政治、経済、外交ということも急所を外れているために、
ずいぶん間抜けなことをやっているわけです。
私はよく新聞ラジオで聞いてますが、政治家が大勢で毎日いろんなことを会議したりしてますが、急所を外れてます。
とにかく偉い人たちが大勢寄って相談してますが、急所の他のことを相談しているのです。
ですからよい案が出ないのです。
というのは頭が悪いわけではないので、頭は良いのですが、ただその頭も外側が良いのです。
中身が悪いので、外側ばかりをいろいろ論議して、中身を論議する人はないのです。
やっぱり ☉(ス ○にチョン)のポチが分からないのです。
ですから人間は急所の発見ができるような頭を作ることです。
信仰もその修行です。
メシヤ教というものはですから、
いままではみんなこれが分からなかったのを、これを分かりこれを主にして救うということが根本なのですから、
そういった頭で物事をみたり、いろいろやったりするとすばらしいものです。
これはなかなか難しいですが、せめて急所に近い所がすぐ分かるようになれば結構です。」
明主様御講話 「一切は急所」 (昭和28年9月5日)
「そういうようで、信仰でもなんでも一切は急所です。
ですから急所を見つける能力を養うわけです。
それには頭が良くなくてはならないのです。
頭が良くなるということは、頭の薬毒を早くとるということです。
ですから熱が出て頭が割れるほど痛いということは非常によいのです。
それは頭の深い所の毒が溶けて出るときは非常に痛いのです。
神経の側だからです。
頭の外側の場合はそうでもありません。
そういう割れるように痛いのは頭の奥の方だから、それは非常によいのです。
それを知らないから医学の方は氷で固めるので駄目になるのです。
だから日本脳炎というのは、このくらい結構なものはありません。
子供などで日本脳炎をやったら、必ず学校の成績が良くなります。
そういうようなわけで、浄霊でも急所です。
やっぱり病気にはみんな急所があります。
またその急所がとんでもない所にあるのです。
これなども意外なのですが、ロレツがうまくまわらないで舌がつる、という原因はどこにあるかというと、
鼻の奥(アデノイド)のまた奥にあります。
ですからそういうのは鼻のそこを目掛けて浄霊すると治ります。
それから鼻に関係したことで、臭覚がないとか、始終風邪ひいて水っ洟(ぱな)が出たり、
鼻がつまりますが、それはここ(小鼻の両側)をやればよいのです。
前からやってもよいですが、その場合そこを押すと痛いですが、蓄膿などはここが原因です。
鼻から出ようとしてここに来るのです。
鼻がつまったときにはここが多いです。
それから他の鼻はここ(後頭部)です。
ここから前の方を目掛けてやると霊が通ります。
そういうようで、思いもつかない所に原因があります。
だから急所といっても、分かりやすい急所と分かりにくい急所があります。
また病気ばかりでなく、いろんな事情も、意外な所に急所がありますから、それを発見しなければならないのです。
それにはやはり智慧証覚です。
智慧が働かなければならないのです。
この智慧が働くということは、頭の中の毒素と、その人の精神状態にあります。
ちょっとでも不純なおかしな野心でもあると智慧が曇るから働かないのです。
その人の考え方にそういった不純がなく本当に世の中人のために尽くすという気持ちだと智慧も働くのです。
だからやっぱり心の悪い人は必ず失敗しますが、それはそういうわけです。」 (長文は「急所を発見せよ」のページ)
明主様御講話 「急所の発見が一番肝腎」 (昭和28年7月6日)
「病気などは特にそうですが、急所の発見ということが一番肝腎なのです。
それからこの前も言ったとおり、理屈に合わないことはいけないと言ったが、
いくら一生懸命にやっても、その人を浄霊すべき条件が理屈に合わないと、いくら一生懸命にやっても治らないのです。
これはこの前話したから大体分かっているでしょうが、
その理屈に合わないことという一つの条件というのは、神様のことを知った人とぜんぜん知らない人とはたいへん違うのです。
知らない人はたいへん無礼なことをしても、これは知らないから許されます。
ところが信仰にはいってそうとうたって、知っているはずのところの人が、理屈に合わないとお蔭がないわけです。
そういうこともよく考えるべきことです。
やってみて、どうしても思うようにゆかないということは、自分の浄霊の霊力が弱いのだろうとかいろんなことを思うが、
そういうことはごく少ないので、本当は急所を外れていることと条件が理屈に合わないことが一番多いのだから、
そういうことに気がつくようにならなければならないです。
それはその人の智慧証覚です。
だからまず智慧証覚を磨くということが一番肝腎です。
智慧証覚が磨けると急所の発見が早いのです。
これはなにごとにも非常に関係があります。」